ラオス
血縁を越えた「家族」の意識
争いごとは好まず、和を重んじる国民性
Yさんが、ラオスの首都ビエンチャンに着任したのは2005年であった。日本政府は「市場経済移行国」(中央計画経済体制から、市場経済体制への移行期にある国)の援助を進めており、東南アジア圏では、現在、ラオス、カンボジア、ベトナムがその対象国となっている。Yさんは、この援助政策の下、JICA(国際協力機構)専門家として派遣され、3年間教育関係のプロジェクトに携わった。
ビエンチャンには、国民人口の1割にあたる約60万人が住む。主だった都市として、他にパクセ、サヴァンナケット、ルアンプラバンなどがあるが、首都も含め、どの都市も規模は小さい。国民の暮らしは、決して豊かとはいえない。貧困に由来して、乳児死亡率が高く(62.2%、2005年)、平均寿命は61.9歳(2005年)である。家庭の日常食も大変質素だが、「貧しい」ながらも、自給自足的な暮らしが機能しているため、飢饉が起こることはない。
ラオスでは、暮らし向きが厳しい分、家族のつながりが強く、助け合いの精神が顕著である。ここでいう「家族」の概念はとても広く、祖父母、両親、子といった直系のつながりのみならず、伯父(叔父)、伯母(叔母)、従兄弟などが、大家族として、一つ屋根の下で暮らすことは珍しくない。Yさんは、同僚のラオス人に「あなたのご家族は何人?」と尋ね、「“多分”11人」という答えが返ってきて面食らったことがあるという。
「家族」の範疇は、時には、血縁によらない関係にまで広がる。Yさんのカウンターパートだったラオス人男性A氏には、大学教授の夫人がいるが、そのA氏がある時、Yさんに「僕には結婚する前から娘がいたんですよ」と話してくれたという。A氏と夫人は互いに初婚同士。なぜ結婚前から娘がいたのか―そのストーリーはこうである。A氏の故郷の村で、ある貧しい夫婦の下に娘が生まれたが、養いきれないことが目に見えていた。そこで村長が、その娘を将来有望なA青年に託した。当時学生だったA氏は、赤子の内からその娘を引き取って学業を続けながら育て、十数年後にその娘が結婚するまで、養親としての役目を果たし続けた。A夫人も、婚約時にその事情を諒解し、結婚したその日から、養女の母親となって共に育てた。
結婚後ではなく、独身時代に養子を迎えるのは稀有な話と思われるが、ラオスでは決して珍しいことではない。ラオス人には「持てる者が、持たざる者を助けるのは当然」という通念があり、A氏も、ごく自然に養父の役割を引き受けたのであろう。「家族」の意味合いの広さや、徹底した相互扶助の精神を浮き彫りにするストーリーとして、この話は、Yさんの心に大変印象深く残った。
「相互扶助」といえば、こんな出来事もあった。ある時、メコン川が氾濫し、ビエンチャン市街が洪水に見舞われた。多くの人々が被災し、Yさん自身、一週間自宅から避難する事態となったのだが、洪水が発生すると、ほどなく周辺の村々から若者たちが派遣されてきて、浸水の恐れがある場所に土嚢を積み始めた。リーダーの指示の下、それぞれの持ち場できびきびと働く若者たち。日本人には、災害時の救援・復旧作業は行政や自衛隊など公的な組織が行うもの―という意識があるが、ラオスでは、地域コミュニティが連携して復旧活動に当たっている。Yさんは、それを目の当たりにし、この地では、コミュニティの連携が自治体、ひいては国家を支える基盤なのだという思いを強くした。
こうしてみてくると、ラオス人は、他者との関係づくりにおいて、和を重んじ、自我を抑える側面があることがわかる。大家族での暮らしの中では、自分を中心にものを考えることはできず、常に他の家族と折り合っていかねばならない。また、他者を助けるのであれば、自分の時間や自由を云々してはいられまい。「このような環境で育つ故か、ラオス人は一にも二にも“争いごとを好まない”」とYさん。例えば、職場で、ちょっとした不満や要望があっても、それを口にすることはしない。伝えられない思いは蓄積されて一気に噴出するわけでなく、伝えないことで当人にストレスがたまるわけでもない。しかし、時には、何の“サイン”もない中で、突然、退職を切り出されることもある。一言言ってくれれば、意見を取り入れて修正する余地もあったのに―と思うものの、それができないのがラオス人の気質のようである。他者と波風を立てずに生きるための智恵といえば、そうなのであろうが、Yさんはラオス人スタッフの真意を読み取れずに困惑することも多かった。「世界には、何事につけ、言葉で意思表示し、交渉・議論して物事を決めていく国もある。日本人がそういう国に赴任すると、当初は“主張すること、主張されること”に慣れず、疲れを覚えるというが、ラオスではその対極の悩みを体験することになる」とYさん。
Yさんが日本に帰任する日が近づくと、ラオス人の同僚が送別会を開いてくれた。送別会では、ラオスの伝統的な儀式「バーシー」が執り行われた。バーシーは、ラオスの民間信仰に則ったもので、祭司は(仏僧などの聖職者ではなく)その心得のある一般人が務める。結婚式や出産などの人生の節目や、歓迎・送別会の折、皆が心を一つにして、幸福や繁栄を願う儀式である。文末の参考写真をご覧いただくと、花で飾られた中心の祭壇から、白い糸が沢山伸びているのがわかる。この白い糸を参加者各人が一本一本両掌の間に挟んで、祭司の祝詞に合わせて祈る。祝詞が終わると、白い糸を祭壇から外し、皆がはなむけの言葉を贈りながら、Yさんの手首にお守りとして巻いてくれた。祭壇から伸びる沢山の糸、そして糸を通じて、つながっている同僚と自分―Yさんには、バーシーの儀式が、他者とのつながりを重んじて暮らすラオス人の生き様を象徴しているかに思えた。
Yさんに、ラオス人と人間関係を築く際に心がけたことを尋ねてみると、「どこの国に行ってもそうだが、その国の人と一緒に過ごすこと。招かれる機会があったら、臆せずにどんどん入っていくこと」という答えが返ってきた。「ラオスでは、宴会には踊りがつきもの。宴もたけなわとなれば、必ずと言っていいほど踊りの輪ができ、皆が心ゆくまで踊る。そんな時は、見よう見まねでラオス人と一緒に踊る楽しみを共有すればよい。言葉ができなくても、恥ずかしがらずに一緒に踊れば、自然に輪に溶け込むことができるでしょう」とのこと。
「踊りといえば…」Yさんは言葉を継いだ。ラオスには「シン」と呼ばれる、伝統的な長い巻きスカートがある。今や日常着は、ジーンズなど動きやすい格好に取って代わられているものの、女子学生や女性公務員は登校時や出勤時にシンを穿く決まりがある。シンには美しく刺繍が施され、それぞれの世代や社会的地位にふさわしい様々な柄目がある。彼女たちは、通勤・通学用のシンの他に晴れ着のシンも持っており、TPOに合わせておしゃれを楽しむ。「女性は、晴れの場に穿いていくシンを何着か誂えておくと、様々な行事に参加する際、役立ちます。シン姿で踊りの輪に加われば、現地の人たちとの距離もより縮まるでしょう」とYさん。
家族を核とし、その延長に縁ある人々が連なり、網の目のように繋がり合って互助の関係を築いているラオス社会。信頼関係が培われれば、外国人であろうと、やはり“大きな家族”の一員として彼らの懐に受け入れられる。「ラオスに滞在する機会があったら、現地の人々との接点を大切に、ぜひそうした実感を味わってもらいたい」―Yさんは、朗らかな笑顔でそう結んだ。
(齋藤志緒理)
バーシー風景(Y氏ご提供)


