ガボン
ガボンの豊かな森林は“地球の左肺”
外国人人口も多く、殆どの産品は外国から輸入
静岡県出身の山下真有美さんは、2008年1月〜2009年12月までの2年間、JICA(国際協力機構)・青年海外協力隊の派遣によってガボンに滞在した。
ガボンは、中央アフリカの一国。西は大西洋に面し、首都リーブルビルはほぼ赤道直下に位置する。日本の約3分の2の国土に、人口は約145万人。*注1)旧宗主国フランスからの独立は1960年であった。ノーベル平和賞を受賞したシュバイツアー博士が医療活動に半生を捧げた国でもある。民族的にはバンツー系(全体の3分の2)とファン系(同3分の1)に大別され、部族毎に言葉が違うが、教育の普及もあり、全土でフランス語が共通語として機能している。
オマール・ボンゴ氏が1967年から40年余年に亘り大統領職にあったが、2009年6月、7期目の途中で逝去。子息のアリ・ボンゴ氏が大統領選挙で当選し、2009年10月に新大統領に就任した。
日本とガボンの関係は一貫して良好で、ガボンに日本大使館が開設されたのも、アフリカの中では比較的早かった(1972年)。とはいえ、経済面での交流はまだこれからで、日本からの進出企業はごく少なく、山下さんの赴任当時、約50人の在留邦人の大半は、大使館関係者やJICA関係者(職員、専門家及び青年海外協力隊員)だった。
山下さんの赴任先は、首都リーブルビル市内のメレン精神病院で、協力隊員としては前任者に続き2代目だった。「大学時代に開発学を履修し、教授の引率による研修でフィリピンに3週間滞在した。卒業旅行の行き先には、かねてから訪れてみたかったアフリカのケニアを選び、学友との二人旅を実現。ケニアでは、観光のみでなく、ナイロビ最大のスラムにあるNGOを訪問したり、知的障害者の学校を見学するなどした」―山下さんは、協力隊を志すに至った自身の原体験を振り返る。卒業後に「精神保健福祉士」の国家資格を取得。協力隊員となる前は、千葉県内の研究機関の臨床チームにてソーシャルワーカーとして勤務していた。協力隊の「保健衛生」部門で、ソーシャルワーカー職の募集があることを知り応募。晴れてガボンの地を踏むことになったのである。
メレン精神病院は、山下さんの着任時に開院26年目を迎えた、ガボンでただ一つの精神病院で、計3名の医師(精神科医2名と精神科の研修医1名)が勤務していた。*注2)公立病院のため入院・治療費は無料(10棟ある病棟の内、1棟のみが有料のVIP棟)。山下さんが配属された社会福祉課は総勢11名で、主な業務は、「患者の生活相談」「家族訪問」「省庁まわり(社会福祉の申請手続き)」だった。中でも特に困難を伴うのが「家族訪問」。患者が回復し、退院の見通しが立つと、ソーシャルワーカーが家族を訪ね、患者を受け入れてもらえるよう交渉するのだが、“養うべき家族が他に大勢いて、引き取るのは無理”と断わられてしまうケースもある。入院後、家族が連絡なく転居してしまい、行方を探す必要に迫られることもある。また、患者の中には、市民から「精神疾患が疑われる路上生活者がいる」との通報を受けて保護し、入院させた人もあり、戻れる家があるのかさえわからないことも。
メレン精神病院の同僚たちと(右端が山下さん)
両親と伯母がガボン訪問の折に撮影。
「ガボンで精神疾患の治療にあたる上でのハードルの一つは、アニミズム的な伝統療法の存在です」と山下さん。西洋医療の対極にある伝統療法では、患者が施術で“トランス状態”にされ、その状態に依存するようになったり、時には火傷を負うような治療をされるなど、かえって心身共に傷つく場合があるのだ。しかし、国民の間では、未だに伝統療法への信奉が強い。当事者(患者と施術者)はその内容を極力秘匿しようとするため、伝統療法の実態を掌握するのは容易ではない。
地方にいる患者が、治療を継続できないという問題もある。「精神疾患は、種類によっては、ずっと薬を飲み続けることで、症状が出ない状態を保てることが多い。生活するのが精一杯の患者や家族にとっては、半年に一度でも首都に出てくるのは大変なこと。まとまった量の薬を渡したところで、それを決まった分量ずつ、定期的に飲む習慣が身につかなければ、薬効も期待できなくなる。」
ところで、ガボンでの生活に必須なフランス語は、山下さんにとって初めての言語であった。出発前にJICAの研修施設で2ヶ月間の特訓を受け、渡航直後の1ヶ月も同期のガボン赴任隊員と共にフランス語の集中レッスンを受けた。この1ヶ月は、現地の家庭にホームステイし、30歳の長女を筆頭に5男3女のいる一家(当時同居していたのは、両親と叔母、息子3人)にお世話になった。
ガボン人は、一般的にシャイで、それはプライドの高さの裏返しでもある。職場の同僚たちも、最初は様子を見る風で、山下さんと距離をとっていたが、山下さんの方から積極的に話しかけることで、段々と親しくなることができた。山下さんは、終業後も時間を見つけては、フランス語の雑誌記事や絵本を訳すなどして、少しずつ長文に取り組み、最終的には仏語新聞も読みこなせるようになった。会話面での心許なさは数ヶ月後にはなくなったが、「同僚は慣れてくると、こちらの表現がつたなくても理解してくれるので、それに甘えないよう、職場の外にも人間関係を広げるように努力した」とのこと。先輩隊員に紹介してもらうなどして、現地での友人を増やしていった。
ガボン人同士のコミュニケーションを見ていて印象的だったのは、“職位の高低”による上下関係の厳しさである。例えば、職員が自分の担当業務の優先順位や緊急度に沿って仕事を進めていても、高い地位にある上司の突発的な指示・意向があれば、そちらを優先させる。また、挨拶をはじめ上司との良好な関係が仕事の出来不出来に関わらず重要となる。山下さんは、上司に顔を覚えてもらうために、活動初めの頃は手作りの名札をつけ、毎朝各病棟・事務室・医師のところへ挨拶まわりをした。帰る時も、通りがかった職員に「今日はこれで失礼します。また明日!」と声をかけるとより丁寧で喜ばれた。
ガボン人は一般的に「仕事よりも家族を優先」する意識が強い。「家族」*注3)といっても、自身の親や妻子だけではなく“遠い親戚”も含めて考える。そして、親族の中に“稼ぎがある人”がいたら、その人が必然的に皆の面倒を見ることになる。自分の暮らしがきつくなるからと援助を断われば「薄情」と言われ、親族関係にひびが入ってしまう。毎月の給料日になると、同僚たちがよく丸1日休むので、最初は訝しく思った山下さんだが、よくよく聞いてみると、給料を銀行で下ろした後、それを手当てしなければならない親族のところに割り振り、届けて回らねばならないとのこと。山下さんの勤務した病院の職員は、皆公務員として安定した給与が得られる立場だが、かくして養うべき親族が多いだけに、貯蓄にまわせる余剰金はない様子だった。
山下さんの住まいは市街地のアパートで、隣室には別の協力隊員が住んでいた。滞在中は、心身ともに健康でいられるよう、余暇の過ごし方を工夫した。一人の時間には、読書(JICA事務所や大使館の図書コーナーの本が借りられる)、音楽鑑賞、DVD鑑賞などで寛ぎ、時には、隣の同僚隊員と一緒に菓子作りを楽しんだ。休暇には、他地方で活動中の隊員仲間を訪ねたり、国立公園に足を延ばしたりした。
ガボンは、国土の8割が森林(熱帯雨林)で、豊かな森と資源に恵まれた国だ。*注4)「アマゾンが地球の右の肺ならば、ガボン(+コンゴも含めた地域)は左の肺―といわれるほど」と山下さん。森林の他にも、サファリやビーチリゾートなどがあるが、そうした自然の美を堪能できるのは、悲しいかな、概して外国人である。ガボンでは「首都⇔国立公園」のツアー代金は、「首都⇔近隣国」のそれと大差なく、国内旅行といえども大変高いものにつく。山下さんの経験では、有名な大西洋岸のロアンゴ国立公園は2泊3日のツアーで一人15万円。他の国立公園でも10万円前後はかかる(ガボン人の平均的月収は4〜5万円。)大半のガボン人にとっての一番の娯楽はテレビで、その他、家を訪ねあって談笑したり、近くのバーでビールを飲み語らうなど、ごく身近なところで楽しみを見出している。
ガボンの食文化についても触れておこう。ガボンには(注1で触れたように)自国生産品がほとんどなく、食料も含め、ほとんどは外国からの輸入に頼っている。(ビールとフランスパンと砂糖は、純ガボン産のものがあり、価格も低く設定されている。)野菜はカメルーンから輸入されており、国境を接している北部の州では比較的安く手に入るが、他の地域では大変高価。そんな中でも手に入りやすいのは玉葱とトマトだ。鮮魚は大西洋岸の各地では豊富に出回っている。
ガボン人は主食として、フランスパン、タイ米、バナナ(調理法多種)を食べる。「マニョック」といって、タロイモを茹でてつぶし、バナナの葉で包んで蒸した料理も有名だ。魚料理は、魚一匹を丸焼きにしたもの、玉葱やトマトと煮込んだものなどいろいろある。ショコラという調味料(マンゴーの種を砕いたものと燻製の魚のすり身を練り合わせ、固めたもの)で味付けした煮込み料理はなかなか美味だった。山下さんもガボン人の友人宅で様々な料理を習い、可能な限り実践してみた。
ところで、思いもかけないことであったが、山下さんの任期後半には、病院内で賃金倍増を要求するストライキが起こった。ストは帰国直前まで約1年間続いたが、その間、職員はほとんど出勤せず、医者や看護師もストに加わったため、医療活動が制限され、入院患者数を大幅に減らす事態となった。公務員である彼らは、全く働かなくても月給が満額支給される。当初はストに参加していなかった職員も、自分だけ真面目に出勤することに嫌気がさしてか、その内に来なくなったりした。「働き、その対価として得るのが給与であるのに、長期間ストをして、働かずに給与を手にし、その倍増を求めるとは…」山下さんの思いは複雑だったが、「大家族社会」の仕組みの中で、家族を支える彼らには彼らなりの事情や思惑があるのかと、現実を受けとめるほかなく、ソーシャルワーカーとして孤軍奮闘し、社会福祉課を切り盛りした。
2009年12月末に任期を終えて帰国。メレン精神病院には、2010年6月から後任隊員が着任する予定だ。「ガボンは、渡航するとなると、パリや南アフリカ、エチオピアなどを経由して、二日がかりになる遠い国。入国にあたっても、ビザの取得と黄熱病の予防接種が必要―と、気軽に訪れられる環境ではないが、インターネットの普及にも助けられ、日本との距離をさほど感じずにいられる」と山下さん。現在は郷里に戻り、次なるステップに向け準備中だが、「今後の人生においても、何らかの形で、ガボンを含むアフリカ仏語圏の国際協力に関わる仕事ができたら」と希望を膨らませている。
(齋藤志緒理)
注1)ガボンの人口:
ガボンでは国勢調査が行われておらず、正確な数値は確定しづらい。2007年の世銀のデータでは133万人だが、150万人に上るとの説もある。いずれにせよ、ガボンはその国民人口の少なさから、多くの産業分野に、仏語アフリカ圏(ニジェール、ブルキナファソ、ベナン、セネガル、カメルーンなど)からの出稼ぎ者を受け入れている。また、この人口数では、自国生産をし、利益を上げるに見合うだけの消費者が確保できないため、工業産品、食品、野菜などほとんどの産品を外国からの輸入に頼っている。
注2)ガボン人の精神疾患:
男女それぞれで精神疾患の傾向が異なる。山下さんが勤務したメレン精神病院での治療状況から述べれば、女性は「うつ病」の患者が多く、出産後のいわゆる「マタニティ・ブルー」が高じたり、夫を亡くした喪失感からくるもの、HIVに感染したことを知ったショックで発症するケース等が見受けられた。統合失調症の患者も多かった。男性については、薬物依存症患者が多く、裕福な家で、外国に留学した先で薬物を覚え、依存症に陥ったという症例もみられた。山下さんの経験に照らすと「男女共に、日本に比べると回復が早い。重度の精神疾患患者は少なく、中程度の患者が多かった」とのこと。
注3)ガボン人の家族について:
ガボンには伝統的な一夫多妻制度の影響が今も残り、父または母が違う子どもが同居することもある。また、男性女性に関わらずパートナーをどんどん変えることが珍しくなく、生みの親に育ててもらえない子どもも多い。伝統婚では、新郎側から新婦の実家に相当の金品を贈る必要があるため、経済的な理由で、その手続きを踏まずに同居を始めることもよくある(多くの女性は、十代で未婚のまま初産を経験。)子どもが何人かできてから式を挙げるケースも少なくない。
注4)ガボンの主要産業は、鉱業(原油、マンガン)と農林業(木材、ヤシ油)である。
ガボンでの結婚式風景:
ガボンでは、結婚式を行う際、新郎新婦が事前に招待客に同じ柄の布を(ご祝儀と引き換えに)プレゼントする。招待客は、それで思い思いの洋服を仕立て、当日身につけていく。
(山下真有美氏撮影)






