カンボジア
発展の礎となる帰国留学生たち
「地雷」や「貧困」だけではないカンボジア像を
カンボジアの首都、プノンペン出身のエアン・リーナさんは、カンボジア政府の国費留学生に選ばれて2002年に来日した。東京外国語大学で日本語学習をゼロからスタートさせ、猛勉強の末、翌年には東京大学教養学部1年に入学。現在は、同大学大学院修士課程で経済学を専攻している。
エアンさんの両親は、ポル・ポト政権下(1975年4月17日?1979年1月7日)、全都市民を強制的に農村に送る政策によりプノンペンを離れることを余儀なくされた。父は二十代、母は十代の若さだった。待っていたのは共同農場での労働。100万人とも200万人とも言われる国民が犠牲になったポル・ポト政権時代、知識人は特に敵視され、学校教育も完全に停止した。この時代、母親は悲しいことに実母(エアンさんの祖母)と生き別れ、弟を食中毒で失ってしまう。ベトナムの侵攻によって、ポル・ポト政権が崩壊し、ヘン・サムリン政権によるカンボジア再建が始まると、母は兄姉と共にプノンペンに戻り、大家族で励まし合いながら再起を図った。エアンさんの母は末娘だったため、先に結婚した兄姉の子供たちの面倒を任されることになり、改めて学校教育を受ける機会はとうとう巡ってこなかった。
エアンさんの両親は、その後プノンペンで出会い、1980年代前半に結婚。エアンさんと妹の二女を授かると、十分な学校教育を受けられなかった自分たちの夢を託すかのように、娘たちの勉強を熱心にバックアップした。当時、道路・電気・水道といったインフラはまだ不十分で、エアンさんの子供時代も、中学三年までは校舎には電気が引かれていなかった。学校は朝7時?11時と午後1時?5時までの二部制で、午前・午後の登校のシフトは月ごとに入れ替わる。午後の部を5時に終えると、今度は希望者のための課外授業(学費は別途必要)があり、それが夜7時まで続く。真っ暗な校舎で授業を受けるため、一人が一本ずつろうそくを持参して机に立て、先生を囲むように座って授業を受けたという。帰宅すると、今度は父親が勉強をみてくれた。常に1?2学年先の教科書を使って先行学習し、父はテキストの各課のポイントだけ説明すると、後は自分で練習問題を解いていった。
こうした努力が実り、学校では常に優等生だったエアンさん。同居していた4歳年上の従兄の存在も大きく、彼がいつも一歩先を進んで、エアンさんの人生行路を照らしてくれたという。その従兄の話を聞く中で、いつしか「高校卒業後は海外に留学しよう」という思いが膨らんだ。留学先としては、日本の他に、ベトナム、中国、ロシアといった社会主義国が並んでいたが、エアンさんは、「第二次世界大戦の敗戦後、わずか数十年で世界の経済大国に変身した日本の素晴らしい教育システム、優れた技術・社会制度を学びたい」と日本を選んだ。
「来日してからは、語学面で苦労し、今までは常に一番だった自分が、初めて逆の立場を味わった。でも、東大の学友たちは優しかった。手を差し伸べ、 “共に助け合おう”という姿勢で接してくれたのが、何より嬉しかった」と語る。
来日して丸6年になる現在、エアンさんは、在日カンボジア留学生協会の司会通訳や、日本国際協力センターの青年交流プログラム(カンボジア高校生の訪日)のコーディネーターを務め、日本アセアンセンター主催のカンボジアへの投資視察ミッションに通訳として同行した経験ももつ。さらに、財団法人 国際教育映像協会の「留学生が先生!」教育プログラムの講師として、関東圏の小中高校に出講するなど、学業以外でも活動の幅を広げている。「日本の教育環境は本当に恵まれている。でもそのことに子供たち自身は気づいていない。カンボジアでは、今でも生活を支えるために学校に行かれない子供たちが多い。私は、自分が勉強をさせてもらえる環境に生まれたことを運命だと思い、与えられたチャンスを無にしないよう心に刻んでいる」と表情を引き締める。
「カンボジア人は、日本人にとても親近感をもっている。日本は対カンボジアのODAで、No.1の国。道路や橋など、日本の援助で造られたものについては、地元の人は皆それを知り、感謝している。例えば、今まで川を隔てて行き来が困難で、交通手段は渡し舟しかなかったような場所に橋が架けられると、両岸の町が結ばれ、車でも移動できるようになる。こうしたインフラの整備が、人々の暮らしに与える影響は計り知れない」とエアンさん。「カンボジア人の日本に対する思いを考えると、日本にとってカンボジアは、まだまだ“近くて遠い国”なのではないか」と言葉を添えた。
ところで、カンボジア人にとっては、“笑顔”がとても大切だという。コミュニケーションをとるときは、必ず目を合わせて、相手に微笑みかける。「日本では、丁寧な言葉を使っていても、表情が硬い人がいて、当初は戸惑った」そうだ。そう言われてみて、改めて、エアンさんの笑顔の明るさに気づかされた。「もちろん、いつでもということではありません。悲しい話、深刻な話をするときは、笑っていられないこともあるでしょう。でも相手への友好的な思いを伝えたいときは、笑顔が一番です」と、また微笑む。
もう一つ、日本で気になったのは「帽子」だ。エアンさんは、日本で、他人の家の玄関に入っても、また目上の人に挨拶するときも、帽子を被ったままの人を見て、驚いたことがあるそうだ。カンボジアでは、身体の中で「頭」が一番大事な部位。相手に敬意を表する際、帽子を取らないのは礼儀違反になるとのこと。
「日本人は勤勉で、時間をよく守る。また社会のマナーや道徳意識も高い。」―エアンさん自身の日本評価は、すこぶる高い。「反道徳的な事件を報ずるニュースが後を絶たず、“道徳”や“社会規範”といった言葉も、空回りしているかに感じられる昨今の日本だが」と敢えて私感をぶつけてみたが、エアンさんの目には、日本がまぶしく映る部分が多いという。リップサービスではなく、心底そう感じているのだといった風に、見つめ返された。
「日本でのカンボジアの報道のされ方には、違和感を覚える」とエアンさん。世界遺産・アンコールワットは観光資源として着目されているが、ことカンボジア社会の話題となると、地雷除去の話、井戸を掘るために日本からカンボジアに渡っている青年の話など、内戦の痛手と、貧困の状況が報道されることが多い。「発展しつつある都市部の姿や、活気ある人々の暮らしぶりなどにも、ぜひ目を向けてほしい。今から5年後のカンボジアの姿は、大分変わってきているはず」と力強く述べた。
エアンさんは、日本で修士号を取得したら、母国に帰る予定だ。カンボジア政府派遣の留学生には、国費留学生によくある「卒業後は必ず国に帰らねばならない」という制約がないそうだ。学位を得たら、そのまま留学先に残るという選択肢もあるのに、海外留学生はそのほとんどカンボジアに帰るという。それだけ、母国や家族への愛着と、自分たちの学識を母国の発展のために活かしたいという思いが強いのであろう。エアンさんは、日本で出会った同郷の国費留学生と3年前に結婚し、一時帰国して挙式した。夫は3ヶ月前に学業を終え、カンボジアに帰国したばかり。「夫は、政府機関に奉職したいと、今就職準備をしているところです。私も帰国後は、公務員として、カンボジアの発展のために貢献したい」と抱負を述べる。
「カンボジア人は、自分を大事にし、そして家族を大事にします。結婚したら、自分の親を大事に思うように、夫の両親を大事に思います。そして夫も同じように考えてくれます。日本で、“嫁姑”など、家族の問題が取り沙汰されるのを見るにつけ、どうしてそういうことが起こるのか、私には不思議に思えてなりません」とエアンさん。帰国後は、家族という一番大切なものを守りながら、夫婦手を携えて、それぞれの専門をカンボジアの未来のために活かしていってくれることであろう。
(齋藤志緒理)
エアン・リーナさん
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