INTEC JAPAN/BLOG

このブログは、異文化研修の教育機関(株)インテック・ジャパンの情報発信用です。(株)イー・メディアとの提携により、同社のドキュメント・レポート「Electronic Journal」をウィークデイの毎日お届けします。
「Electronic Journal」は様々な情報を400字詰原稿用紙7枚にまとめて配信する日刊メールマガジンです。

2008年12月01日

テンプル騎士団が核心である(EJ第1845号)

 5月25日に映画『ダヴィンチ・コード』を鑑賞したのです。平日の午後3時という
時間帯であったにもかかわらず、満員の盛況でした。原作の人気を反映していると思い
ます。
 映画の内容はかなり難解であるといえます。原作を読まないで行けばほとんどわから
ないでしょうし、原作を読んで観に行ってもよくわからない部分が残ると思います。
 この映画のキーワードは秘密結社――テンプル騎士団、シオン修道会、オプス・デイ
――これら3つの秘密結社のそれぞれの関係がかなり複雑であって、映画を一回見ただ
けでは、すんなり納得できないと思うのです。それにマクダラのマリアのミステリーが
からんできます。
 今回EJのテーマでは、秘密結社――なかでもフリーメーソンについて探求していき
ますが、それは「ダヴィンチ・コード」の謎にも直結する問題でもあるのです。映画で
は、「フリーメーソン」という言葉はラングドンのセリフとして確か1回だけ出てくる
だけですが、この映画とフリーメーソンは、深く密接な関係があるのです。しかし、映
画ではそれが意識的に隠されています。
 謎を解く鍵はテンプル騎士団にあります。彼らは「異端」の疑いで逮捕されています
。本当の意味で根も葉もないことではなく必ずしもフィリップ4世のでっち上げでもな
いのです。そうでなければ、いかにフィリップ4世といえども、周辺諸国に対して、同
様にテンプル騎士団を捕えるべしと同調を呼びかけることはできなかったはずです。
 事実、フィリップ4世の呼びかけに同調したイングランドでは異端審問所においてテ
ンプル騎士団の団員を調べています。そして何人かの団員から、次の証言を引き出して
いるのです。
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       1311年6月、イングランド異端審問所は、とある騎士団
      員から、「入団の際にイエスは人であって、神ではないと告げ
      られた」という興味深い情報を引き出した。
       また他の団員は、ジャック・ド・モレーが「イエスは人に過
      ぎず、全能の神は天と地を作られた偉大なる建築家であり、十
      字架に架けられたりはしていない」と述べていたと証言した。
      この証言は多くの専門家を驚かせた。
          ――クリストファー・ナイト/ロバート・ロマス著/
          松田和也訳、『封印のイエス/「ヒラムの鍵」が解く
                       キリストのミステリー』
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 このように、テンプル騎士団はイエス・キリストの神性に関しては急進的な考え方を
持っており、それがマクダラのマリアの話にもつながってくるのです。しかし、彼らは
徹頭徹尾、敬虔なるカトリック教徒だったのです。彼らが有していた特別の知識や秘密
の儀式はキリスト教の信仰を補完するものだったのです。しかし、彼らはそのように、
身も心も捧げてきた教会と教皇に裏切られたことになるのです。
 映画『ダヴィンチ・コード』には、興味深い場所がいくつも出てきます。その1つは
、秘密の謎を解くために、ラングドンとソフィーは英国に行き、最初に訪れれたテンプ
ル教会です。
 法曹関係の施設が密集するフリート街から少し入ったところにそれはあります。これ
はテンプル騎士団によって1185年に献堂された最初で最大の教会です。
 9人の騎士の彫像があるロンドンに唯一残る円形の教会であり地下鉄のテンプル駅の
すぐ近くなのに、都心の喧騒から隔絶された静寂さが漂う場所として知られています。
 それから、スコットランドの首都、エディンバラの南11キロにあるロスリン礼拝堂
――実はこれこそ多くの学者が議論の対象としている場所であり、「暗号の大聖堂」、
「石のタペストリ」「石の庭園」などと呼ばれるスコットランドの名所なのです。
 ここは、テンプル騎士団、薔薇十字団、聖杯伝説、フリーメーソンなどなど、そうい
う謎が一番詰まった場所であるともいうことができます。このロスリン礼拝堂について
は、後で詳しく取り上げることになります。
 さて、ダン・ブラウンの「ダヴインチ・コード」の種本になっているのは、次の2つ
の本です。
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           マイケル・ベイジェント/リチャード・リー/
           ヘンリー・リンカーン著/林和彦訳/柏書房刊
      『レンヌ・ル・シャトーの謎/イエスの血脈と聖杯伝説』
      ――――――――――――――――――――――――――――
          リン・ピクネット/クライブ・プリンス著/林和彦訳
      『マクダラとヨハネのミステリー/2つの顔を持ったイエス』
                              三交社刊
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 とくに『レンヌ・ル・シャトーの謎』は重要ですが、次のような内容です。
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      マグダラのマリアは娼婦であり、罪深い女とされているが、実
      はそれはカトリック教会の陰謀なのだという。実は彼女はキリ
      ストと結婚していて、その子どもを宿し、フランスに逃れてき
      たというのである。そしてフランスのメロディンガ王朝は彼女
      の子孫の血脈であるという。その血脈はシオン修道院という。
      テンプル騎士団と密接につながっている秘密結社に受け継がれ
      た。聖杯というのも、その聖なる血のことだという。
       ――海野 弘著、『秘密結社の世界史』/平凡新書/315
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 映画に登場する謎の宗教史学者、リー・ティーピングは、『レンヌ・ル・シャトーの
謎』の著者、リーとベイジェントをもじった綴り変えなのです。彼は物語のスフィンク
スであり、謎に満ちていて、いわば物語のエンジンの働きをしている存在です。イアン
・マッケランが演じています。        ・・・[秘密結社の謎を探る/19]


     ≪画像および関連情報≫
      ・悪魔には問題があるが、神にもついても疑問はある
       ―――――――――――――――――――――――――――
       カトリック教会は1885年、レンヌ・ル・シャトー管区に
       33歳の、ハンサムで、教養あるソニエールを任命した。ベ
       ランジェ・ソニエールは6世紀西ゴート族の聖地の上に建つ
       街の小さな教会を修繕し始めた。村の教会は1059年にマ
       グダラのマリアに献堂されたものであり、その改修中に彼は
       (推測ではあるが)秘密の羊皮紙を、祭壇に隠された西ゴー
       トの柱の中の穴から発見した。
                   http://www.voynich.com/rennes/
       ―――――――――――――――――――――――――――
       ソニエール――この名前は、ルーヴル美術館長、ジャック・
       ソニエールとして使われています。

テンプル教会/リー・ティーピング

2008年11月28日

テンプル騎士団は消滅したのか(EJ第1844号)

 テンプル騎士団の最後の総長であるジャック・デ・モレーという人は、騎士道精神に
のっとった行動をする立派な人物であったといわれます。
 フィリップ4世がモレーらにかけた容疑は異端を取り入れようとしたということだっ
たのですが、彼らは容疑を認めず、無実を訴え続けたのです。しかし、あくまで容疑は
逮捕の理由を作るためだったのですから、無実の訴えが通るはずがありません。
 フィリップ4世はテンプル騎士団の隊員へ徹底的な拷問を行わせたのですが、ジャッ
ク・デ・モレーを始めとする隊員たちは容疑を認めなかったというのです。とくにモレ
ーは隊長としての尊厳を重んじ、最後まで全面否認を貫いたのです。
 そして、1314年3月14日、モレーはセーヌ河の中洲で火あぶりの刑に処せられ
たのですが、彼は最後の最後まで無実を訴えたのです。そして処刑直前、モレーはフィ
リップ4世とクレメンス教皇に対して、次のようにいって死に臨んだといわれます。
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      余は国王と教皇を決して許さない。一年以内に、必ずや神の法
      廷に引きずり出す。
           ――加治将一著、『石の扉/フリーメーソンで読み
                       解く歴史』 新潮社刊行
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 実はこの予言は当たったのです。まもなくフィリップ4世は、46歳で唐突に死亡し
、クレメンス教皇も同じように死亡してしまったのです。いずれも一年以内だったとい
います。
 そのため、これは「ジャック・デ・モレーの呪い」として後年有名になり、フランス
におけるテンプル騎士団全員が逮捕された1307年10月13日――その日が金曜日
であったことから、以来「13日の金曜日」は、欧米諸国で不吉な日といわれるように
なったのです。
 フィリップ国王は、騎士団を始末すると、彼らの隠し持っているはずの金銀・財宝を
探したのですが、どこにも見つからなかったといわれます。騎士団の金銀・財宝はどこ
かに運び去られたあとだったようです。
 中でも騎士団がソロモンの神殿から「聖杯」――最後の晩餐で使徒と回し飲みしたと
きの盃、もしくは十字架にかけられたキリストから流れる血を受けた盃――を探し当て
、それを持ち去ったのではないかという噂が流れたのです。これが以後、聖杯伝説とし
て伝えられるようになります。映画『ダヴィンチ・コード』も結局は、この聖杯伝説を
アレンジしたものであるといえます。
 ここで触れておかなければならないことがあります。フィリップ国王は、テンプル騎
士団を逮捕するに当たって、周辺諸国である英国やドイツに対してテンプル騎士団を逮
捕するよう呼びかけています。英国やドイツは一応テンプル騎士団を逮捕して裁判には
かけますが、ほとんどが無罪になっていることです。
 このように国によって対応が異なるのですが、テンプル騎士団は、フィリップ4世の
指示を受けたクレメンス教皇によって1312年に解散させられているのです。これに
よって歴史上はテンプル騎士団は200年の歴史の幕を閉じています。
 さて、テンプル騎士団が運び去ったといわれる金銀・財宝はどうなったのでしょうか

 フィリップ国王がテンプル騎士団を逮捕するという情報をいち早く掴んだ騎士団の一
部があるのです。そこでその騎士団は、財宝とともにイングランドの北部のスコットラ
ンドに逃れたという説があります。1307年のことです。
 当時、スコットランドはイングランドからの独立を目指して戦争を展開していたので
す。ときのスコットランドの国王は、ロバート・ド・ブルース(ロバート1世)――彼
はマーガレット女王の死後に王位継承に名乗りを上げた13人のうちの一人の孫なので
す。しかし、戦争はきわめて劣勢だったのです。
 ところが、1307年の後半からはカコットランド軍は急に強くなり、次々と各地で
イングランド軍を打ち破り、イングランドを追い詰めていったのです。そして、132
7年にスコットランドは正式に独立国として認められることになります。
 興味深いのは、ロバート1世の率いるスコットランド軍がなぜ突然強くなったのかで
す。ここにフランスから脱出したテンプル騎士団の一部とつながってくるのです。
 とにかく当時のスコットランドは問題山積だったのです。1298年にはフォールカ
ークの戦いでイングランド軍に大敗し、愛国者でナイトのウォレスは、その後7年間に
わたってゲリラ戦を行い、イングランドに抵抗したのですが、1305年には捕らえら
れます。そしてウォレスは八つ裂きの刑に処せられたのですが国王はそれを見殺しにし
たり、1306年2月には別の反乱軍の首領でライバルのジョン・カミンを教会内で殺
害して、クレメンス教皇に破門されるなど、散々だったのです。
 ところが、フィリップ4世の暴挙に追われたテンプル騎士団の一部がフランスからス
コットランドに行ったとされる時期は、スコットランドのロバート国王がイングランド
軍との戦争において劣勢となっていた時期と一致するのです。
 推測ですが、フランスのテンプル騎士団の一部――どの程度の規模であるかはわから
ないが、ロバート1世の率いるスコットランド軍に加わって、それによってスコッドラ
ンド軍が強くなったのではないかと考えられるのです。
 当時のテンプル騎士団は、鉄の規律に基づく卓抜の軍事力を有しており、軍の指揮能
力も当時のスコットランド軍よりも数段上をいっていたのです。軍隊というものは、そ
ういう一団が加わっても軍全体の戦闘能力は大きく上がるものなのです。
 もちろん当時、スコットランドにも、テンプル騎士団の支部があったのであり、フラ
ンスを脱出したテンプル騎士団の一部がスコットランドに向った可能性は高いのです。
なぜなら、イングランドはフィリップ4世寄りだったからです。
                      ・・・[秘密結社の謎を探る/18]


     ≪画像および関連情報≫
      ・スコットランドについて
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       「スコットランド」という国を知っていますか? 多分、多く
       の日本人が、ウィスキーを思い浮かべ、何となくヨーロッパ
       の北の方をイメージすることでしょう。「ザ・ユナイテッド
       ・キングダム」を日本語ではイギリスと呼び、イギリスに対
       応する英語は「イングランド」と習う。これでイギリス人=
       イングリッシュ、スコットランド=イギリスの一部=イング
       ランドの北の方、という間違った等式を作ってしまう。多く
       のスコットランド人が「イギリス人」と呼ばれるのを嫌う。
       私の夫は日本語が全く話せないが、「私はスコットランド人
       です、イギリス人ではありません」だけは言える。このペー
       ジは、スコットランドの実情を日本の人々に理解してもらう
       ことを目的に、何の計画もなく、ただただ思いつくことを書
       くつもりである。
            http://www.holyrood.org.uk/nihongo/index.html
       ―――――――――――――――――――――――――――

テンプル騎士団に関連するDVD
テンプル騎士団に関連するDVD

2008年11月27日

テンプル騎士団の本当の目的は何か(EJ第1843号)

 テンプル騎士団の話を続けます。地中海沿岸の港町ヤッファとエルサレム間の巡礼を
保護する――これがテンプル騎士団の目的だったはずです。
 しかし、騎士団創設当初の人数はたったの9人――このような人数で、強力なイスラ
ム教徒軍から巡礼を保護できるはずはないし、事実保護した証拠や記録は何ひとつ出て
きていないのです。しかも、彼らは9年間もヘロデ王のソロモンの神殿にこもって何か
をしていたのです。一体何をしていたのでしょうか。
 彼らはヘロデ王の神殿の遺跡の地下を発掘して、トンネルを掘り、何かを探していた
ようなのです。皮肉なことに、巡礼の保護に当たったという証拠はありませんが、遺跡
を発掘していたという証拠ならたくさんあるのです。
 フランスの歴史家、ゲタン・ドラフォージュは次のように記述しています。
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      この9人の騎士たちの真の使命は、おそらくはモーセの時代に
      遡る、ユダヤ教および古代エジプトの秘儀の伝承のエッセンス
      が含まれた遺物と写本を発見することであった。
          ――クリストファー・ナイト/ロバート・ロマス著/
          松田和也訳、『封印のイエス/「ヒラムの鍵」が解く
                       キリストのミステリー』
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 また、『神々の指紋』の著者、グラハム・ハンコックも次のように述べて、その証拠
として、後年イスラエルの考古学者が発見したトンネルの存在についての公式文書を示
しています。
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      騎士たちの目的の中心は神殿の遺跡そのものであり、また、そ
      こには大規模なる発掘の跡も残っている。
                      ――グラハム・ハンコック
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 また、20世紀初頭において、英国陸軍工兵隊のチャールズ・ウイルソンは、この神
殿の地下からテンプル騎士団のものと思われる遺品の数々を発掘したと報告しています
。明らかに、テンプル騎士団の9人は、9年間もかけて、ひたすら神殿の地下のトンネ
ルを掘り進んで、何かを探していたのです。
 問題は、何を探していたのか、そして、それは発見されたのかということですが、そ
れがいずれもはっきりとはしないのです。はっきりしていることは、騎士団の9人は上
層部――はっきりしていない――から密命をを受けてやっていたということです。
 推測ですが、おそらく9人によって何かが発見され、その功績によって騎士団には大
変な特権が与えられたとは考えられないでしょうか。そうでなければ、テンプル騎士団
に対してキリスト教会が、あれほどの特権を与えるはずがないからです。
 おそらく直接命令を出したのはボードゥアン2世ではないかと考えられます。あくま
で巡礼を守るというのは表向きの理由と考えられます。そうでなければ、本来の職務を
果たさない9人の騎士団の費用を負担するはずがない――自然に考えると、このように
推理できます。
 しかし、ボードゥアン2世は亡くなってしまったので、ユーグ・ド・パヤンスは、そ
の発見したものを教皇のホノリウス2世に示して、騎士団は会憲を手にしたとは考えら
れないでしょうか。いずれにせよ、騎士団の設立の本当の目的は不明のままになってい
るのです。
 その本当の目的はおくとして、テンプル騎士団のその後の運命について述べることに
します。
 テンプル騎士団が勢力を拡大し、銀行業務なども当たって、保有資産が増えてくると
、その転覆を企む者が出てくるものなのです。それに騎士団自身も金回りが豊かになる
と、態度も横柄になり、しだいに人々の信頼を損ねるようになります。このようにして
騎士団は少しずつ評判を落としていったのです。
 当時のフランスの国王は悪名高きフィリップ4世――彼は莫大な借金を抱えていたの
です。主として借金をしていたのはユダヤの豪商からですが、テンプル騎士団からも融
資を受けていたといわれます。
 そこでフィリップ4世はユダヤ人の弾圧をはじめ、彼らの財産を没収するというひど
いことをはじめたのです。これによって借金をチャラにしてしまおうというわけです。
 これに味をしめたフィリップ4世は、テンプル騎士団も潰しにかかったのです。そし
て、テンプル騎士団に対して、次の2つの難題を突きつけるのです。
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        1.テンプル騎士団は聖ヨハネ騎士団と合体せよ
        2.皇太子のテンプル騎士団への入団を承認せよ
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 聖ヨハネ騎士団はフィリップ4世の傀儡であり、事実上テンプル騎士団を自分の傘下
に置くということですし、王子を騎士団に入れれば、内部から崩されます。そこで、テ
ンプル騎士団は両方とも断固拒否したのです。
 フィリップ4世は、自分に逆らうローマ教皇を政治的に失脚させ、その地位に気心の
知れたクレメンス5世を着けて足場を固めてから、テンプル騎士団の料理に取り掛かっ
たのです。
 1307年10月、フィリップ4世はフランス全土にいるテンプル騎士団を全員を一
網打尽に逮捕させたのです。その総数は、3000人〜4000人に及んだといわれま
す。
 そのときのテンプル騎士団の総長は、ジャック・デ・モレーですが、彼は何かの間違
いであり、おとなしく縛につけと団員に抵抗を禁じたのです。
 モレー総長は、フィリップ4世の狡猾な思惑を見抜けなかったのです。そして、遂に
テンプル騎士団の最後のときがやってくるのです。
                      ・・・[秘密結社の謎を解く/17]


     ≪画像および関連情報≫
      ・フィリップ4世
       ―――――――――――――――――――――――――――
       フランスの王(在位1285年〜1314)。整った顔立ち
       のため端麗王と称される。官僚制度の強化に努め、絶対王政
       への端緒になった。対外的には豊かなフランドル地方の支配
       を目指し、フランドルの都市市民と激しく争った。また、ロ
       ーマ教皇と激しく対立し、フランス国内の支持を得てアナー
       ニを起こし、最終的に教皇権を従え教皇庁をアヴィニョンに
       移した(教皇のアヴィニョン捕囚)。また、テンプル騎士団
       を異端として弾圧・解体したため、後世に悪評を得ることに
       なった。              ――ウィキペディア
       ―――――――――――――――――――――――――――

フィリップ4世

2008年11月26日

テンプル騎士団の歴史を探る(EJ第1842号)

 テンプル騎士団が生まれたのは1118年のことであり、発足メンバーは9人といわ
れています。場所はフランスのボルドーというところです。
 その中心人物はユーク・ド・パヤンスであり、その正式名称は次のような長い名前が
付いていたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
         キリストとソロモン神殿の貧困同胞騎士団
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 この騎士団の目的は、地中海沿岸の港町ヤッファとエルサレム間の巡礼を保護するこ
とです。エルサレムの総主教ボードゥアン2世は、この新たな結社に対して宿営地を与
えたのです。その土地はかつてソロモン王の神殿があった土地なのです。ソロモンの神
殿は3つがあることは昨日のEJで述べましたが、これはヘロデ王が建てたソロモンの
神殿の跡地なのです。
 この騎士団――これは騎士団であると同時に修道会であったという特色があります。
つまり、日本風にいえば、武士と僧侶が一体になったものなのです。この騎士団に入る
と、修道会なみの厳しい戒律を守る必要があるのです。そのため、彼らのことを修道騎
士と呼んだのです。
 当時、彼らの敵は異教徒であるイスラム教徒です。彼らは小集団でも強力な軍事力を
持っていたのです。エルサレムがイスラム教徒に占領されたりしたときは十字軍が出陣
したのですが、エルサレムに通う巡礼の保護まではしてくれなかったのです。
 したがって、その役を買って出たユーク・ド・パヤンスをはじめとする騎士団の申し
出にエルサレムの総主教ボードゥアン2世は感動して、ヘロデ王のソロモンの神殿の跡
地を宿営地として提供し、諸費用をすべて負担したのです。
 しかし、いくら記録を調べても、彼らが実際に巡礼を保護したという証拠がまったく
存在しないのです。一体彼れらの狙いは何だったのでしょうか。
 結局、9人の騎士団は一向にメンバーを増やすことなく、9年間にわたって、ボード
ゥアン2世の寄付に頼って、その宿営地でひたすら何かをやっていたわけです。
 1126年10月にボードゥアン2世が亡くなると、まるでそれを待っていたかのよ
うに、ユーク・ド・パヤンスは積極的に行動しはじめたのです。ユーク・ド・パヤンス
は同じ騎士団のアンドレ・ド・モンパールを通じて、教皇ホノリウス2世に接近しよう
とします。モンパールの叔父がクレルヴォール大修道院長――後の聖ベルナールだった
からです。
 パヤンスの工作は成功し、パヤンスは教皇ホノリウス2世に会うことができ、騎士団
に「会憲」を与えて欲しいと要望したのです。「会憲」というのは、キリスト教会内部
において正当な地位を与えることを意味していたのです。
 1128年1月31日――トロワで行われた評議会で、騎士団は会憲を授与されたの
です。ここにはじめて騎士団員は、自らのマントを纏うことを許され、真の修道騎士と
なったわけです。
 会憲を手にしたテンプル騎士団は、積極的に新しいメンバーの募集をはじめます。会
員は国家の垣根を超えて増加を続けたのです。反イスラムという旗印の下に、フランス
、イギリス、イタリア、スペインなどからも会員になる者が増えていき、やがてテンプ
ル騎士団は押しも押されぬ勢力となっていったのです。
 テンプル騎士団は、ローマ教会に承認された組織でありながら組織としては独立して
いるのです。騎士団の中には独自の司祭がいて、一般の司祭の指図を受けることはない
のです。それに税の免除という大変な特権も手にしたのです。さらに土地の取得や管理
、新しいビジネスをやることも認められたのです。
 テンプル騎士団に入るには、自らの財産をすべて騎士団に献納することが求められま
す。加えて、新入会員はすべて貴族の出身に限られるなど、厳しい条件があったのです
。そして、入会に当たっての財産は剣だけに限定されたのです。
 それに組織が大きくなるにつれて寄進も大きくなり、新会員の寄進される財産もある
ので、テンプル騎士団は自然にヨーロッパ中に大変な財産を抱えるようになっていった
のです。
 1139年にテンプル騎士団は、時の教皇インノケンティウス2世から、修道士のた
めの聖堂を建てることを許可されているのです。さらに「軍事宗教組織」という地位も
与えられたのです。
 そのため、テンプル騎士団は、フランス王のルイ7世による第2回十字軍に参加し、
大活躍をするのです。とくに1153年のアスカロン占領にはテンプル騎士団は大いに
貢献したのです。
 テンプル騎士団は十字軍と違い、エルサレムに常駐して警備して戦ったので、多くの
尊敬を集めたのです。そのため寄進の額はますます増えていったのです。西欧には90
00を超えるテンプル騎士団の所領があったといわれます。プロヴァンスにはとくに多
くあったといわれます。
 そして、テンプル騎士団はビジネスとして銀行業務を始めたのです。中世では教会や
修道会は、すべて銀行の役割を果たしてきており、とくに珍しいことではないのです。
貴族たちは自分の財産を教会の金庫に預けておけば安全なので、教会は寄託というかた
ちで財産を預かったのです。
 まして軍事力を持っているテンプル騎士団に預けておけば安心と多くの貴族が財産の
寄託をしたといわれます。テンプル騎士団のパリの城館「タンプル塔」ではフランス王
室の財産を預かったのです。フランス王室はルーヴル宮に金庫を持っていましたが、テ
ンプル騎士団に預けた方が安心と考えたのでしょう。
 テンプル騎士団が発展したので、ユーク・ド・パヤンスは巨額の冨を得て、スコット
ランドの地に初の騎士団の支部を設けています。これが後で重要な意味を持ってくるの
です。そして、テンプル騎士団は、1307年までは発展に次ぐ発展を遂げて拡大して
いくことになります。そして、要するにテンプル騎士団は当時の特権階級だったのです
。                     ・・・[秘密結社の謎を探る/16]


     ≪画像および関連情報≫
      ・テンプル騎士団について
       ―――――――――――――――――――――――――――
       「騎士」と聞いて、どんな人物像を思い浮かべるだろうか。
       ファンタジーや歴史物語が好きな方なら、「主君のために命
       を投げ出す忠節無比の勇者」「弱きを助け強きをくじく正義
       の戦士」といった答えを返すだろう。そして歴史をひもとき
       神に一生を捧げる「修道士」をも兼ねた騎士たちがいたこと
       を知れば、きっと胸が高鳴るに違いない。今回は、そのよう
       な騎士の一団、「テンプル(神殿)騎士団」の数奇な運命に
       ついての話である。第1回十字軍がイスラーム勢力から聖地
       エルサレムを奪い、王国を建ててから約20年後のこと。聖
       地をめざす巡礼者は増えたが、山賊・追いはぎが出没するそ
       の道のりは危険きわまりなかった。そんな中、齢60近いに
       もかかわらずまったくのボランティアで巡礼路をパトロール
       する剛の者がいた。その名をユーグ・ド・パイヤンという。
       http://homepage3.nifty.com/ryuota/templarii.html
       ―――――――――――――――――――――――――――

テンプル騎士団

2008年11月25日

ソロモンの神殿とは何か(EJ第1841号)

 フリーメーソンリーはいつ誕生したのでしょうか。
 公式には、1717年6月ということになっています。ロンドンにあった4つのロッ
ジが合同して「グランドロッジ」を作って以来、「フリーメーソンリー」と呼ばれるよ
うになったというのです。したがって、発祥の地は英国であるという説です。
 何がベースになったのでしょうか。
 一般的には、中世の石工ギルドから発展したものである――という説が有力なのです
が、英国に中世の石工ギルドが存在したという記録は一切ないのです。しかし、ヨーロ
ッパ各国には中世のギルドは多く存在しているのです。ところが、ヨーロッパでは石工
ギルドは存在していたものの、フリーメーソンリーがあったという痕跡はないのです。
 考えてみると、当時石工たちは教会や地主に雇われていた身分です。そういう石工た
ちがフリーメーソンのような組織を作れる能力もそれを許す環境もなかったはずです。
 中世の石工のほとんどは教育らしい教育も受けておらず、文字の読み書きですら、で
きなかったというのです。そのような石工たちが、現在のフリーメーソンの行っている
ような複雑な儀式を作り出すなどは到底できなかったと考えられるのです。
 伝えられていることによると、フリーメーソンリーには多くの王侯や貴族が加入して
いるのです。そういう事実と石工による職能的組合の間には大きな隔たりがあります。
このように考えてもフリーメーソンが中世の石工ギルドの発展形であるという説は根拠
が薄いと考えるべきでしょう。
 もうひとつ、フリーメーソンは、ソロモン王の神殿と結びつけて語られることが多い
のです。ところで、ソロモン王の神殿とは何でしょうか。
 エルサレムにあるといわれる「ソロモン王の神殿」には次の3つがあるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
        1.紀元前570年にソロモン王自身が建てたもの
        2.紀元前6世紀前半にゼルバベル王が建てたもの
        3.イエス・キリストの時代ヘロデ王が立てたもの
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ソロモン王などというと、神話の世界であり、果たしてソロモンが実在したのかどう
かも明確ではありませんが、ソロモン王は多くの神殿を建てたといわれているのです。
 ソロモンは旧約聖書の「列王記」に登場する古代イスラエルの第3代の王で、父はダ
ビデ王です。ソロモン王は「賢者」といわれていますが、「賢者」の名称はソロモン王
より何千年も前から宗教的な建物の建造者に与えられる尊称だったのです。
 ここで、ソロモンの神殿がどういう建物であったかについて述べておきたいと思いま
す。常識的に考えると、ソロモンの神殿とはユダヤ人が彼らの神を拝む場所である−−
このように考えてしまいますが、違うのです。
 それは基本的に人間が訪れる場所ではなく、神――古代ユダヤ民族が唯一神「ヤハウ
ェ」の恒久の住い――というよりはっきりいうと、神を閉じ込めておく場所なのです。
したがって、その大きさは村の教会堂ぐらいのものと考えるべきです。
 しかし、当時のユダヤ人の建築技術は非常に低く、単純な壁以上のものは作れなかっ
たのです。そこで、ソロモンは親交のあるツロの王ヒラムに助力を求めたのです。
 ヒラムの支配下にあったティルスやシドン(古代フェニキアの海港都市)の人々は当
時最高の建築技術と卓越した彫刻・装飾技術を持っていることで知られており、小アジ
アにおいては建築の仕事を独占していたのです。ツロの王ヒラムは、ソロモン王の要請
に快く応じ、ティルスから3306人もの労働者を送り、神殿建設に不可欠な材木と石
を遣わしてくれたのです。
 このとき神殿建設の中心的役割を果たしたのが、「ヒラム・アビフ」なる人物なので
す。ややこしい話なのですが、このヒラムはヒラム王とは別人なのです。このヒラム・
アビブなる人物――後で詳しく述べることになるので、覚えておいていただきたいと思
います。
 ソロモンの神殿については現在まったく残っていないのです。ソロモンの神殿につい
ての記述をご紹介しましょう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       その石造りの神殿の内側には、ティルスから持ってきたヒマ
      ラヤ杉が張られていた。壁の厚みは9キュービット――約4.
      1メートルで、これがヒマラヤ杉と樅の屋根を支えていた。壁
      と床、そして天井は純金張り、智天使――ケルビムと花の彫刻
      が施されていた。(中略)
       その中心には、シッテム(アカシア材)で作られた約1.2メ
      ートル、幅と高さが各約60センチの長方形の箱が置かれてい
      た。これが「契約の聖櫃」と呼ばれるもので、その中に3つの
      ものが収められていた――十戒を記した2枚の石板、および神
      ヤハウェ自身である。
          ――クリストファー・ナイト/ロバート・ロマス著/
          松田和也訳、『封印のイエス/「ヒラムの鍵」が解く
                       キリストのミステリー』
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 このソロモンの神殿は、「ダヴィンチ・コード」とも関係のあるテンプル騎士団――
日本では聖堂騎士団という――と深い関係があるのです。なぜなら、テンプル騎士団の
「テンプル」とは、ソロモンの神殿のことを指しているからです。
 このソロモンの神殿の建設者であるソロモン、ヒラム王そしてヒラム・アビフ――こ
の3人とフリーメーソンリーは深く結びついているのです。
 テンプル騎士団とは何か――複雑で扱いにくいテーマですが、明日からテンプル騎士
団の歴史について探っていきたいと考えています。
                      ・・・[秘密結社の謎を探る/15]


     ≪画像および関連情報≫
      ・ソロモンの神殿
       歴史的にはソロモン王が紀元前10世紀に建設した神殿(第
       一神殿)と、バビロンの捕囚からの解放後、紀元前515年
       にゼルバベル王の指揮でほぼ同じ場所に再建された神殿(第
       二神殿)、さらに紀元前20年、ヘロデ王によって完全改築
       に近い形で大拡張された神殿(ヘロデ神殿)がある。この神
       殿はユダヤにおいてユダヤ人が立てこもったため、紀元70
       年のローマ帝国軍による攻撃によって破壊され、現在「嘆き
       の壁」と呼ばれる部分のみが遺構として残る。

ソロモンの神殿

2008年11月21日

免除された石工/フリーメーソン(EJ第1840号)

 「秘密結社」という言葉の意味について、もう少し考えておく必要があります。
 「秘密」とは何でしょうか。
 「秘密」とは、隠されたもの、覆われたもの、つまり、見えないもののことです。「
見えない」には2つの意味があります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
        1.「見えない」は不安であり、危険である
        2.「見えない」には真実が潜むことがある
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 第1の「見えない」は不安であり、危険である――われわれの世界は見えることが中
心になっています。見えることは事実なのです。私たちは見える世界に住んでいるので
す。
 ですから、「見えない」ことは不安であり、危険だと感ずるものです。「見えない」
ものとしての「秘密」は、不安であり、危険であり、怪しげなのです。秘密結社が怪し
げな陰謀の巣窟とされるのはそのためです。
 しかし、見えるものは、仮象や幻想に過ぎないという考え方も一方にあります。第2
の「見えない」には真実が潜むことがある――これはそのことをいっているのです。こ
の考え方は、秘密にこそ本当のものがある――その隠れたものに達することが本当の知
識であり、智恵なのです。
 海野弘氏は、「視覚は二重化した知覚」であるとして、次のように述べています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      ここでは、視覚というのが二重化した知覚であるであることが
      わかる。見える側としての表、見えない個としての裏、見える
      外、見えない内、見える地上、見えない地下、上と下といった
      二分化が現われる時、「秘密」が成立し、「秘密結社」がつく
      られる。   ――海野弘の論文「すべてはつながっている/
                         秘密の世界ゲーム」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 一般社会というパブリックな世界にあって、社会に何らかのゆみやひずみができると
、そこにポケットのように秘密結社ができるわけです。秘密結社は、表、外、上の一般
社会に何らかの問題や葛藤があるときに生ずるのです。
 現代において秘密結社が話題となっているのも、この考え方によれば一般社会に何ら
かの問題が発生しているためであるとも考えられるのです。
 「結社」についても考えておきたいと思います。「結」は「むすぶ」という意味であ
り、「ゆう」とも呼びます。つまり、メンバーを一つに結んでいる紐帯という意味にな
ります。それでは、何がメンバーを結びつけているのでしょうか。それが密儀や奥義な
のです。そういう共通の秘密があると結束が強くなるのです。
 中国の秘密結社は「○○会」と呼ばれるそうです。「三合会」というようにです。「
会」とは人の集まりのことですが、「蓋」という意味もあるのです。たとえばつぼにぴ
ったり合う蓋をする――そうすると密閉された内部空間ができますが、それが秘密結社
になります。
 英語でこれに該当するのが「フード」なのです。フードとは頭巾のことです。例えば
、「ブラザー・フード/兄弟団」などというのです。そういえば、フードをすっぽりか
ぶるクー・クラクス・クラン(K.K.K)という有名な秘密結社があります。
 さて、内なる秘密結社と外を繋いでいるものについて、海野氏は興味深い意見を述べ
ています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      秘密結社を外から隔てるのが、壁ではなくて敷居であることに
      注目しなければならない。壁は物理的な境界であり、越えにく
      いが、敷居は、精神的な境界で越えようと思えば越えられる。
      しかし、他人の家の敷居を勝手に越えてはならない、と考えら
      れている。秘密結社において、内と外は絶縁されているわけで
      はなく、ある程度通れるようになっている。内と外をどのよう
                     ――海野弘氏の前掲論文より
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 さて、そういう秘密結社の代表的な存在が「フリーメーソン」です。おそらく「フリ
ーメーソン」という名前を一度も聞いたことがないという人はいないと思いますが、そ
れが何を目的とする結社なのかということになると、百論があって、さっぱり実体が掴
めないというのが実情です。
 フリーメーソン――このことについて書かれた本によると、フリーメーソンとフリー
メーソンリーという言葉が使い分けられていますが、まず、この言葉の意味から明らか
にしましょう。
 フリーメーソンというときは特定の個人を指すのですが、フリーメーソンリーという
ときは、フリーメーソンの集団を意味しているのです。もっともフリーメーソンリーと
いう言葉を一切使わず、フリーメーソンで個人も集団を意味することもあります。
 さて、この「フリーメーソン」――フリーは「自由な」、メーソンは「石工」という
意味です。直訳すると「自由な石工」という意味になります。
 この場合、「フリー」は「自由な」という意味よりも、「デューティ・フリー」の「
フリー」――すなわち「免除された」という意味にとらえるべきです。つまり、「何ら
かの義務が免除されている石工」という意味です。
 ところで、なぜ「石工」が問題になるのでしょうか。日本では石工というと、墓石造
りを連想してしまいます。それにどのような義務を免除されていたのでしょうか。
 それには、フリーメーソンの歴史をたどってみる必要があると思います。しかし、フ
リーメーソンの歴史は一向にすっきりしていないのです。極めて複雑怪奇な話になると
思いますが、明日から挑戦してみたいと思います。 [秘密結社の謎を探る/14]


     ≪画像および関連情報≫
      ・クー・クラックス・クランとは何か
       クー・クラックス・クランのメンバーは、フードを備えた白
       いローブを着用している。それは敵に報復するために死後の
       世界から戻った兵士の幽霊を表し、顔を隠している。白いロ
       ーブとフードのもう1つの意味は「匿名の功績」であり、メ
       ンバーは神によって使命が与えられたと信じ、謙遜の象徴と
       して白いローブとフードを着用する。また別の説は、中世の
       テンプル騎士団員を模倣した物だとする。オリジナルのクー
       ・クラックス・クランの指導者には「テンプル騎士団員」の
       位階を持ったスコットランド人の石工が多数いた。
       "Grand Wizard"、"Exalted Cyclops"、"Kleagle"と言った位
       階は、クー・クラックス・クラン内での地位を示すために使
       用されたのである。         ――ウィキペディア

フードをかぶるクー・クラクス・クラン

2008年11月20日

SNSも一種の秘密結社である(EJ第1839号)

 ここで「秘密結社」そのものについて、考えてみることにします。秘密結社というと
、何となく秘密的な、陰謀的な、神秘的なおどろおどろしいイメージがありますが、よ
く考えてみると、この世の中は秘密結社だらけなのです。
 秘密結社の定義とか分類という話になると、必ず出てくるある名前があります。それ
は、セルジュ・ユタンという人物です。彼は、秘密結社を次の2つに分けています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
              1.政治的秘密結社
              2.入社的秘密結社
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「政治的秘密結社」とは、国王や政府を倒すという政治的目的を持った結社であり、
その目的ゆえにその存在は秘密とされ、メンバーの名前も秘密にされます。
 フランス革命のさいのジャコバン・クラブやロシア革命の時のボリシェヴィキは、政
治的秘密結社といえます。これらの秘密結社は、その政治的目的が達成されると結社は
閉じられるのです。
 「入社的秘密結社」とは、「入社式/イニシエーション」が重要な意味を持ちます。
入社式を通ってメンバーになることが大事なのです。そして、最初の入社式を通ると、
さらに上の段階への入社式があり、その階段を一段一段上がっていくことに意義がある
のです。フリーメーソンはその典型です。
 セルジュ・ユタンによると、入社式秘密結社では、とくに迫害されていなければその
存在は隠されておらず、入社儀式だけが非公開であり、秘密に行われるだけであるとし
ています。
 ところで、セルジュ・ユタンというと、あのノストラダムスの予言集の編集を行った
人です。『ノストラダムスの大予言』の著者、五島勉氏は、同書のなかで、セルジュ・
ユタンを次のように紹介しています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      セルジュ・ユタンというのは、ソルボンヌ大学出身、やはりユ
      ダヤ系フランス人のすぐれた神秘哲学者である。〔中略〕ノス
      トラダムス研究家としても、表面に出ている人としては、本場
      の第一人者。詩の解釈をつづけるかたわら、フランス各地に埋
      もれたノストラダムスの原本・異本を掘り起こし、正確な編集
      をしてきたことで知られている。
       ――五島 勉著、「ノストラダムスの大予言 V 」、祥伝社刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 さて、ユタンの秘密結社の分類ですが、「政治」と「入社」と対比してみると、政治
は「目的」であり、入社は「方法」であって対立項になっていない――これでは区分す
る共通基準になっていないというのが、陰謀作家と称される海野弘氏の主張です。
 それならばどのように分類すべきでしょうか。
 海野弘氏の所説をご紹介しましょう。添付ファイルの図をご覧ください。
 まず、縦軸の両極に「秘密」と「公開」があります。秘密結社の秘密のレベルにはい
ろいろあるので、縦軸にそのレベルをとっています。次に横軸の両極、すなわち左右―
―「私」と「われわれ」を配置しています。「私」とは個人、内的、精神世界であり「
われわれ」は社会、外的、現実世界をあらわします。
 これら縦軸、横軸によって4つの面が形成されます。4つの面のそれぞれについて考
えます。
 「 I 」は個人的な精神世界であり、秘密性が高いのです。秘密の宗教カルトなどは
これに属するのです。なお、秘密――シークレット(secret)の「sec-」は「分離し、隠
す」という意味です。
 「sec-」は「sect/セクト」につながってきますが、これは分派――とくに宗教的分
派の意です。なお、宗教的分派は「cult/カルト」と呼ばれることもあります。
 「 II 」は私的な内的世界ですが、秘密性はなくオープンです。芸術や学問のグルー
プなどはこれに属します。もっとも作品――成果は発表され、誰でも見ることはできま
すが、その創造プロセスは必ずしもオープンというわけではありません。
 「 III 」は、オープンで、社会的な団体・組織をあらわしています。協会とか組合
といった一般的な集団のほとんどはこれに属するといってよいと思います。
 「 IV 」は、社会的、政治的で、きわめて秘密性が強いのです。一般的な秘密結社と
いう場合は、ほとんど「 IV 」を指していると考えて間違いがないでしょう。イルミナ
ティやフリーメーソンなども「 IV 」に属します。
 現代は「秘密結社ブーム」といわれています。個人的興味が多様化している時代とい
われています。その典型的なものに、最近大流行の「SNS/ソシャール・ネットワー
キング・サービス」があります。
 SNSは、その存在は告知されていますので、秘密性は薄いといえます。そういう意
味では「 III 」ですが、SNSは入会に関しては閉じており、会員である人の推薦メ
ールがないと入れないのです。そこに多少の秘密性があります。そして入会してからは
個人的な付き合いの世界であり、「 II 」の世界であるといえます。
 海野弘氏は、現代においてなぜ秘密結社が流行しているのかについて次のように述べ
ています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      秘密結社は共通の認識の危機からあらわれる。常識は分裂し、
      バラバラになり、分離する。私たちは社会へのつながりを失っ
      て、小さなグループに逃避しようとする。現代社会において、
      「秘密」はどのようなものになっているだろうか。現代の二つ
      の傾向が「秘密」を形成していると思われる。一つは「ビジュ
      アル・カルチャー(視覚文化)であり、もう一つは「インター
      ネット」である。  ――海野弘著、『秘密結社の世界史』/
                          平凡新書/315
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− [秘密結社の謎を解く/13]


     ≪画像および関連情報≫
      ・海野弘著、『秘密結社の世界史』/平凡新書/315
  ――――――――――――――――――――――――――――――――――――
       人はなぜ“秘密結社”に魅せられるのか?ヴィジュアル・カ
       ルチャー、インターネットの発達によって、見える表面と見
       えない背後の二重化が進んだ現代では、物事の背後にある秘
       密を垣間見たいという欲望が高まっている。古代密儀、テン
       プル騎士団、薔薇十字団、フリーメーソン、イルミナティ、
       KKK、ナチス、カルト、マフィア。古代から中世、近代、
       二十世紀、現代に至るまで秘密結社という「隠された視点」
       から世界史を読み直す。
  ――――――――――――――――――――――――――――――――――――

海野 弘氏の秘密結社分類図
海野 弘氏の秘密結社分類図

2008年11月19日

イルミナティとフリーメーソンの関係(EJ第1838号)

 ロックフェラーのことを述べてきた関係で、フリーメーソンについて詳しく説明する
前に、イルミナティについて説明をしようと試みています。その方がフリーメーソンを
より理解できると思うからです。
 イルミナティの創始者であるヴァイスハオプトは非常にカリスマ性があり、何人も彼
の話を聞くと、強い共感を覚えたといわれます。彼はその時点で既に大きな組織になっ
ていた秘密結社フリーメーソンのあるロッジに自ら入会するのです。「組織を支配しよ
うと思うなら、内部に入るべし」というユダヤ人の考え方の実践といえます。
 ヴァイスハオプトの強烈な個性と巧みな説得力はその組織のなかでめきめきと頭角を
あらわし、押しも押されぬこのロッジの中心人物にのし上ったのです。このようにして
、ヴァイスハオプトは、メーソンの組織内部にイルミナティ派を増やしていき、事実上
ロッジを支配するようになっていたのです。
 この動きをメーソンの本部は放っておかず、会員に命じていろいろな手を打ったので
すが、既にメーソン内部でイルミナティの勢力は既にゆるぎないものになっていたので
す。
 1782年7月16日にイルミナティとフリーメーソンの間で会談が行われ、協議の
結果、イルミナティは正式にフリーメーソンの中のひとつの派とすることになったので
す。しかし、これはヴァイスハオプトの巧みにして、強引な説得力の賜物であり、イル
ミナティとの合併に強く反対するフリーメーソンの会員は少なからずいたのです。
 その一方でイルミナティが加わったことで、フリーメーソンの会員は300万人を超
える大組織になり、著名にして有望な会員が次々とイルミナティの思想に取り憑かれる
ような事態になっていったのです。とくに感受性の強い学者や作家、芸術家などがイル
ミナティの魅力に取り憑かれたといわれます。
 その1人がゲーテなのです。ゲーテは晩年、「ファウスト」によってドイツ文学の金
字塔を築いたのですが、その作品はイルミナティ的な神秘主義をロマン主義文学に託し
たものなのです。
 イルミナティとの合併以前からのフリーメーソンのメンバーでゲーテと同様にロマン
主義文学者である哲学者のジャン=ジャック・ルソーもイルミナティに共感を抱き、そ
の自由思想によってフランス革命に霊感を与えたといわれています。
 フランス革命といえば、経済的自由主義者として中心となって働いたオノーレ・ミラ
ボーも、イルミナティに強い共感を覚えたフリーメーソン・メンバーとして知られてい
ます。
 しかし、イルミナティはその思想があまりに過激であるために反発し警戒するフリー
メーソンの穏健派のメンバーも多く、イルミナティ派の動きには強い批判も多かったの
です。
 1783年のことです。イルミナティ派の一部が、時の政府と教会の崩壊を狙ってテ
ロによる軍事行動を起こすクーデター計画があるという内部告発を受けて、バヴァリア
政府が調査に乗り出したのです。
 そして政府に動かぬ証拠を掴まれたイルミナティは、1785年3月2日に活動停止
処分なり、ヴァイスハオプトは国外追放されたのです。これによってイルミナティは、
フリーメーソンからはもちろん地上から完全に消滅したかに見えたのです。
 秘密結社の研究家によるイルミナティについての一般的見解は次のようなものです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      イルミナティは、陰謀史家のとり憑かれた頭の中の妄想として
      しか存在しないような秘密結社である。彼らは、私たちすべて
      の生活は、ある秘密のエリートたちによって支配されていると
      いう恐ろしいセオリーを成立させるために、ありとあらゆるも
      のを動員しているのだ。     ――ニック・ハーディング
      ――海野弘著、『秘密結社の世界史』より。平凡社新書315
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 しかし、現在ではイルミナティは大きく変質しているのです。現在イルミナティは「
三百人委員会」というエリート・グループに支配されており、その目的は「ニュー・ワ
ールド・オーダー/世界秩序」をつくることであるといわれます。
 この新しいイルミナティ観に火をつけたのは、女性の陰謀史家とされるネスタ・H・
ウェブスターの次の本です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       ネスタ・H・ウェブスター著/馬野周二訳
       『世界革命とイルミナティ』 東興書院/1990
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ウェブスターによると、フランス革命からロシア革命にいたるまですべてイルミナテ
ィの仕業であるというのです。現在、多く出版されている、いわゆる陰謀論のネタ本の
ひとつです。
 このように、もともとあったフリーメーソンという秘密結社にイルミナティという一
派が入り込み、一体化したのです。すぐイルミナティ派は犯罪を計画して姿を消したの
ですが、フリーメーソンにはイルミナティ的な因子が多く残されているのです。
 したがって、フリーメーソンを語るとき、本来のフリーメーソンについて語るか、イ
ルミナティ的なフリーメーソンを語るかによって、その内容は大きく異なってくるので
す。
 フリーメーソンについて書かれた本もどちらに重点を置いて書くかによって違ってき
ます。少しでも面白く書こうとすると、次の図式に重きを置くようになります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
         ユダヤ = イルミナティ =フリーメーソン
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 私はフリーメーソンには、これらの両面があると考えるべきであると思っています。
そのためには、イルミナティについても詳しく知る必要はあるのです。そういう意味か
らウェブスター女史の所説も取り上げたいと思います。
                      ・・・[秘密結社の謎を探る/12]


     ≪画像および関連情報≫
      ・ネスタ・H・ウェブスター女史について
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       ネスタ・H・ウェブスター女史は、大英帝国の最盛期、ヴィ
       クトリア女王時代の富豪である父と、大僧正の娘である母と
       の間に生れた、奇しき運命の子である。世人が全く知るとこ
       ろがない、近代西洋世界を暗黒の中から動かしてきた秘密結
       社の正体を、女史の霊眼は余すところなくここに剔抉した。
       本書は単に過去の分析をもって終るものではない。90年代
       を再び暗黒に鎖すべく活動するイルミナティの危険。女史が
       幽界から打ち鳴らす警鐘を、読者は聞くことが出来るだろう
       か。本書は1921年初版、1961年女史の死の直前に第
       6改訂版が出され、今日なお幾種類かの翻刻版が出回ってい
       る。      http://item.rakuten.co.jp/book/418931/
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

ルソー&ゲーテ

2008年11月18日

ユダヤ人の戦略と秘密結社(EJ第1837号)

 秘密結社の話をするとき、ほとんどの人は「そんなもの本当にあるのか」と疑います
。誰も「私はこれこれこういう秘密結社に属している」とはいいませんし、そういう結
社が看板をかけて存在しているわけではないからです。
 また、こっそりと隠れて何かをやっているというわけでもないのです。秘密結社はあ
る意味で堂々とやっています。しかし、一般的な印象では、「人に隠れてよからぬこと
をやっているグループ」というイメージが付きまとうことは確かです。
 さて、秘密結社になぜ「秘密」という言葉が使われているのでしょうか――これには
、次の3つの理由があるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
            1.その存在自体が秘密である
            2.誰が属するかは秘密である
            3.何をやってるか秘密である
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 第1は「その存在自体が秘密である」ということです。
 その結社に属する結社員(以下、会員)は、こういうグループが存在することを他人
にいってはならないのです。そのグループの存在は会員だけがわかっていればよいこと
であって、こんなグループがありますよと、第三者に対していう必要はないのです。
 第2は「誰が属するかは秘密である」ということです。
 その存在自体を明かしてはならないのですから、誰が会員であるかを他言することは
厳禁です。具体的にいうと、会員名簿は門外不出なのです。したがって、ある人は○○
結社の会員だという人がいたら、それは非会員が憶測でいっていることになります。
 第3は「何をやってるか秘密である」ということです。
 何のための結社であるか――つまり、結社の目的は会員ですら一部の人にしか知らさ
れていないのです。それだけ秘密性は高いということです。結社の中には入社儀式を行
い、それを重視しているところがありますが、入社儀式は絶対に他言禁止なのです。
 もうひとつ秘密結社には何らかの意味でユダヤ人が深く介在しています。イルミナテ
ィの創始者であるアダム・ヴァイスハウプトはユダヤ人ですし、そのイルミナティに入
会したカール・マルクスもユダヤ人です。
 秘密結社について考えるとき、ユダヤ人が基本的にどういう考え方をする民族である
かについて知っておく必要があります。ユダヤ人は亡国の民として国を持たず、流浪の
民として行く先々であらゆる迫害を受けてきたのです。
 ユダヤ人はそういう経験から、しだいに次のような考え方を持つようになってきたの
です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
        1.自分たちを迫害しているのは「国家」である
        2.国家の中枢にはエリートたちの「家」がある
        3.迫害の阻止には家の内部から壊すべきである
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 まず、自分たちを迫害しているのは「国家」という組織であると考えたのです。そし
て、国家の支配階級を構成し、その権力の中枢をなしているのは一部のエリート(貴族
)が構成する「家」であると認識しているのです。
 これは実に鋭い観察力であると思います。要するに国を動かしているのは「家」――
ロックフェラー家であるとかロスチャイルド家であるとかそういう少数の「家」、すな
わち結社であると見抜いているからです。
 そして、そういう「家」は外からは力を加えて崩すよりも、何らかの方法で「家」の
内部に入り込み、内部から崩壊させるしかないという戦略まで立てているのです。その
結果、ユダヤ人は、「家」の中に自然に入り込める職業――医者か弁護士などを積極的
に職業として選んだといわれます。
 ニューヨークはとくにユダヤ人の多い都市で、ユダヤ系の人々の支持を取り付けない
と、市長にはなれないといわれます。ニューヨークの開業医は99.99%までがユダ
ヤ系であり、弁護士や新聞・雑誌の経営者のほとんどはユダヤ系なのです。
 さらにユダヤ人は力を持つために、積極的に金融業を生業とすることを厭わなかった
のです。ヨーロッパのキリスト教世界では「金銭を生業とするのは卑しいことである」
という思想があり、ユダヤ人が金融業を営むのを放置したのです。つまり、金融業はユ
ダヤ人に任せたのです。
 ニューヨーク株式市場に上場している経営者や管理職のなかで指導的な立場に立って
いる人のユダヤ人の比率は次の通りです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
            WASP ・・・・・ 95%
            ユダヤ系 ・・・・・  5%
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 このようにユダヤ系はわずか5%ですが、経済・金融面に強く巨額のマネーにかかわ
っており、加えて資質も優秀なので、政治的にも強い影響力を握っているのです。文字
通り、内部からコントロールをはじめているのです。
 世界最大の金融センター・ニユーヨークのウォールストリートで活動している人々は
、大きくわけてユダヤ系と非ユダヤ系とに二分されますが、ユダヤ系証券会社の旗頭は
ソロモン・ブラザーズ社であり、ゴールドマン・サックス社もユダヤ系です。
 非ユダヤ系からユダヤ化した証券会社には、ロックフェラー財閥の主力であるメリル
リンチ社のほか、ファースト・イースト、モルガン・スタンレー社などがあるのです。
 また、WASPであってもユダヤ人の内部侵入戦略によって融合が進み、ユダヤ化し
ているのです。表面上はWASPのフリをしていますが、本当はユダヤ系になっている
のです。
 世界の富の3分の1が米国に集中しているといわれます。その潤沢な資金の大半はユ
ダヤ系の富裕層が保有し、運用しているといわれています。    
                      ・・・[秘密結社の謎を解く/11]


     ≪画像および関連情報≫
      ・ユダヤ人の定義とは
        古い民族の「ユダヤ人」と、ユダヤ教徒の「ユダヤ人」は
       同一ではない。現代イスラエル国の帰還法によると、母親が
       「ユダヤ人」であるか、ユダヤ教に改宗した人のこととされ
       る。一方、トーラーによると、ユダヤ人であるためには母親
       がユダヤ人でなければならない。
        「ユダヤ人とはユダヤ教を信仰する人々」という定義は、
       古代・中世にはあてはまるが、近世以降では、キリスト教に
       改宗したユダヤ人(例えばメンデルスゾーン)も無神論者の
       ユダヤ人(例えばフロイト)も一面では「ユダヤ人」と呼ば
       れるのが現実であり、特に19世紀以降の西欧では、民族を
       指す言葉と考えた方が良いという人もいる。
                         ――ウィキペディア

イスラエルの国旗と国章

2008年11月17日

イルミナティ=フリーメーソンではない(EJ第1836号)

 EJ第1834号でご紹介した本の著者ジョセフソンは、ロックフェラーの行動を分
析した結果、次のようにいっています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
        ロックフェーの行動はイルミナティのそれである
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「イルミナティ」とは何でしょうか。
 イルミナティとは、「啓明結社」とも「光明結社」ともいう秘密結社のひとつであり
、もう既にその歴史を終えています。このようにいうと、研究家の人たちから、「そん
なことはない。現在もイルミナティはある」という反論を受けそうですが、歴史的にい
うのであれば既に終わっているというのが正しいのです。
 ただ、その幻想は現代もなお陰謀史家の頭のなかで生き続けており、いわゆる世界的
な陰謀にはすべてこのイルミナティの影があると考えられているようです。それに世界
最大の秘密結社といわれるフリーメーソンについてもイルミナティと同一視している人
がたくさんいるようですが、これも間違いです。
 そこで、イルミナティとはどのような経緯で結成され、どのような活動をやったのか
――簡単に歴史を調べてみるのは、無駄ではないと思います。
 イルミナティが発足したのは、ドイツのバイエルン地方であり創立者はこの地方のイ
ンゴルシュタット大学の法学部長をやっていたアダム・ヴァイスハウプトという人物で
す。
 ヴァイスハウプトはユダヤ人であり、少年期に戒律の厳しいことで知られるイエズス
会の修道士を任されたのです。このとき強い反宗教意識が芽生えるのです。しかし、好
奇心の強いヴァイスハウプトは、バビロニアやエジプトなどのデモーニッシュな密儀や
秘儀に心ひかれるようになっていったのです。
 ヴァイスハウプトは極めて優秀であり、27歳の若さでインゴルシュタット大学の法
学部長に栄進します。しかし、彼はその大学で陰湿ないじめに遭うのです。若い教授の
才能に対する妬みやそのあまりの自由思想に対する反発からです。そのいじめは常軌を
逸しており、これによって彼は、少しずつ人間を信用できなくなっていくのです。
 その対抗策としてヴァイスハウプトは、自分と意見を同じくする仲間を集め、秘密裏
に会合を開き、会の存在と内容については一切の他言を禁じたのです。そして、リーダ
ーシップのあるヴァイスハウプトは、会員に対して自分への完全服従まで要求したので
す。このようにしてはじまった組織がイルミナティの前身であり、本格的に秘密結社と
して発足したのは、1776年5月1日のことです。
 当時は自由思想は隆盛をきわめており、イルミナティの会員は急速に増えていったの
です。
 イルミナティというのは次の言葉から由来すると一般的には考えられています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
         illuminate = イルミネート → 啓蒙する
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 別の考え方もあります。本当のところは、イルミナティは「光を与える」という意味
だというのです。ここで「光」とは「ルシファー(ルチフェル)」のことです。
 聖書によれば、ルシファーとは「サタン」であり、悪魔ということになります。旧約
聖書にはこういうことが書いてあります。ルシファーは光の天使として天上において大
きな力を持っていたが、その力を過信して自らが神になろうとしたので神の怒りを買い
、地獄に突き落とされた「堕天使」である――このように記述されています。
 その真偽はおくとして、イルミナティという秘密結社の目的とは何でしょうか。
 ヴァイスハウプトは、当時既に存在した秘密結社であるフリーメーソンを研究し、イ
ルミナティの会員を次の3つの階級に分けています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
                1.養 成 的位階
                2.メーソン的位階
                3.密 儀 的位階
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 イルミナティの目的についてヴァイスハウプトは、「密儀的位階」に達した会員にの
み伝えているのです。つまり、ここでいう養成的位階とメーソン的位階は、いわば洗脳
のレベルを示すものと考えてよいでしょう。
 密儀的位階をクリアした会員にヴァイスハウプトが伝えたイルミナティの目的とは次
の7つです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       →  1.あらゆる統合政体(国家)の廃絶
          2.私有財産の廃絶
          3.相続権の廃絶
          4.愛国主義的の廃絶
       →  5.すべての宗教の廃絶
          6.結婚の廃絶による家族制度の廃絶
       →  7.世界政府の樹立
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ヴァイスハウプトは、とくに1、5、7に力を入れていたのです。国家の廃絶を強く
望み、ユートピア的な世界政府の実現を目指し、そのためには暴力革命も辞さないとい
う、当時としては極めて過激な思想だったのです。
 このイルミナティの思想は、明らかにマルクス共産主義の思想に通じています。カー
ル・マルクスはユダヤ人の弁護士の子としてドイツのライン州トリールに生まれていま
す。そして、16歳のとき、彼はジャスト支部というイルミナティの組織に入会してい
るのです。                 ・・・[秘密結社の謎を探る/10]


     ≪画像および関連情報≫
      ・カール・マルクス
       ―――――――――――――――――――――――――――
       カール・マルクスは1818年5月5日、トリールに生まれ
       ました。父はハインリッヒ、母はヘンリエッテ。両親ともユ
       ダヤ教の由緒あるラビ(指導者)の出身。つまり、マルクス
       はユダヤ人社会の名門に生まれたのです。父は1789年の
       フランス革命とその後のナポレオンのトリール支配から啓蒙
       思想の影響を受け弁護士(トリール市の法律顧問)になりま
       すが、フランスはワーテルローの戦い(1814年)で敗退
       し、トリールを奪還したプロイセン(ドイツ)は伝統的なキ
       リスト教信仰を押しつけ、ユダヤ教徒を公職から追放する条
       例を作りました。父は信仰を守るか、それとも職を守るかの
       選択を迫られ、その結果、職を選び、1816年にユダヤ教
       を捨てキリスト教に改宗、洗礼名ハインリッヒ(それまでは
       ヘッシェル)を名乗るようになったのです。
       http://www.geocities.jp/thkxp/chack/z-chack09.htm
       ―――――――――――――――――――――――――――

ユダヤ人/カール・マルクス

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