INTEC JAPAN/BLOG

このブログは、異文化研修の教育機関(株)インテック・ジャパンの情報発信用です。(株)イー・メディアとの提携により、同社のドキュメント・レポート「Electronic Journal」をウィークデイの毎日お届けします。
「Electronic Journal」は様々な情報を400字詰原稿用紙7枚にまとめて配信する日刊メールマガジンです。

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● 2006年05月 記事 ●

2006年05月01日

NAVスイッチのミスが起きる理由(EJ第1111号)

 日本航空には『FLIGHT SAFETY』という社内誌が
あるそうです。『FLIGHT SAFETY』誌は、同社の運
航安全推進部が運航乗務員や運航関係者を対象に発行している社
内の定期刊行物です。
 この雑誌発行の目的は、運航乗務員が自ら冒したミスを公開し
そこから得られる教訓を運航乗務員や運航関係者の共有財産にし
て同じような事故を防ぐことにあります。
 その「FLIGHT SAFETY」の1983年4月号に重
要な事例が出ているのです。それは、1982年5月に同じアン
カレッジ空港で、モード・セレクターを「NAV(ナブ)」に入
れないうちに機体を動かしてしまうミスの事例だったのです。
 このケースでは、INSへウエイ・ポイントのデータの入力は
間違いなく行われていたのです。この日航747型機は、アンカ
レッジ空港を離陸したあと、アラスカ上空では無線標識の電波を
探知して飛ぶ航法をとっています。昨日のEJでご紹介した旅客
機の3つの航法のうちの3番目の航法です。
 アンカレッジから最初のウエイ・ポイントであるベセルまでの
ジェット・ルート「J501」のちょうど中間にカイルン山無線
標識があります。ちょうどアンカレッジの西方約150マイルの
地点に当ります。
 そのとき機長は、INSのデータをチェックしたところ、現在
位置の表示データは、3台のINSすべてがカイルン山無線標識
より北に15マイル(約28キロ)も逸れた位置を示していたと
いうのです。
 ここで機長は飛行を直ちに中止し、アンカレッジ空港に引き返
す決断をします。調査の結果、INSそのものに異常はなく、出
発時にモード・セレクターを「ナブ」に切り換える前に機体を動
かしているという事実が判明したのです。実際どのようにして、
そういう事態が発生したのかについて説明しておきましょう。飛
行機が離陸するまでに乗員が何をしているのかを知ることもマイ
ナスではないと考えるからです。
 この飛行機の操縦クルーは、アンカレッジから交代で乗り込ん
だ乗員でした。この便はアンカレッジへの到着が定刻よりも少し
遅れていたので、機長は少しでも遅れを取り戻そうとコックピッ
ト内の出発準備作業を急ピッチで進めたそうです。
INSへのウエイ・ポイントの入力が済むと、あとはモード・
セレクターのスイッチを「アラインメント」から「ナブ」に切り
替えるだけですが、機長はその操作をエンジン・スタート直前に
しようとして、「アラインメント」のままにしていたのです。
 なぜ、そのようなことをしたのでしょうか。
それにはちゃんとした理由があるのです。モード・セレクター
を「ナブ」にすると、INS内部では、ジャイロスコープがコン
ピュータと連動してプラットフォームを完全に水平に保つように
働き、加速度計が機体の動きを敏感に検出する態勢になります。
 しかし、INSを長時間使用すると、その精度は少しずつです
が、低下していくのです。通常INSの精度を安心して信頼でき
る時間は、モード・セレクターを「ナブ」にしてから、約12時
間とされているのです。そのため、ほとんどの機長は、モード・
セレクターの「ナブ」の切り替えをエンジン・スタートの直前に
しようとするのです。
 早々に「ナブ」スイッチを入れてしまうと、天候その他の事情
で飛行機の出発が遅れたような場合、12時間というINSの持
ち時間が減ってしまうことを機長は嫌うわけです。
 ここで、出発前の飛行機がどのような状態であったかについて
明らかにしておく必要があります。アンカレッジ空港では、飛行
機は、搭乗口に機首を突っ込んだかたちで駐機しています。エン
ジン・スタートは、地上での燃料補給、貨物の積み込み、乗客の
搭乗のすべてが終了し、飛行機のドアが閉められたあと――つま
り、エンジンを回転させても危険がなくなった時点で行うことに
なるのです。
 この状態で飛行機を滑走路に移動させるのは地上の牽引車の役
割です。牽引車は、飛行機を誘導路まで引っ張る――つまり、後
退させるわけです。これを「プッシュバック」といいます。
 エンジン・スタートのタイミングは、地上コーディネーターが
判断して、機長に「エンジン・スタート5分前」と連絡します。
ここからは、機長と管制官とのやりとりになります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 機 長:こちらJA○○便、エンジン・スタート5分前です
 管制官:JA○○便、エンジン・スタート了解
     (5分後、機長はエンジンをスタートさせる)
 機 長:こちらJA○○便、プッシュパックしていいですか
 管制官:JA○○便、プッシュバック了解
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 このように機長は管制官の承認を受けると、機長は航空機関士
に出発直前のチェックリストの読み上げを要求します。コックピ
ット内は緊張感を増してきます。そして、インターフォンで、地
上コーディネーターに対して、「プッシュバックの準備OK」と
伝えます。
 モード・セレクターのスイッチを「アラインメント」から「ナ
ブ」に切り替えるのは、まさにこのタイミングなのです。しかし
このときは、スイッチの切り替えよりも、牽引車が機体を後退さ
せる方が一瞬早かったのです。その時点で機長は「ナブ」の切り
替えタイミングのエラーに気がつかなかったのです。
 機長が飛行を断念したのには、もうひとつ理由があります。と
いうのは、INSの自動操縦で入力したデータ通りに飛行するに
は、所定の航路から常に半径7.5マイル(約14キロ)の範囲
内にとどまっている必要がある――こういう条件です。
 つまり、航路を中心とする直径15マイル(約28キロ)の円
から離れてしまうと、INSは機能しなくなってしまうのです。
この日本航空機の場合、北に約28キロ逸れていたのですから、
これに該当し、機長は飛行続行断念を決断したわけです。
                   −−[大韓航空009]

2006年05月02日

コース逸脱は2つの局面から考える(EJ第1112号)

 既に述べたように、旅客機の航法には次の3つがありますが、
まだ説明が済んでいないのは2の「ヘッディング・モードによる
飛行方式」です。大韓航空007便は、2と1を組み合わせて飛
行しているのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    1.INS(慣性航法装置)での自動操縦
  → 2.ヘッディング・モードによる飛行方式
    3.無線標識の電波をとらえての飛行方式
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「ヘッディング・モードによる飛行方式」は、通常航空機が離
陸するときはこのモードを選択するのです。このモードで飛ぶと
きは、「ナビゲーション・モード・スイッチ」を「HDG」にセ
ットし、すぐ左隣にある「機首方位選定」のつまみを回して、希
望する方位(磁方位)の数字をセットするのです。
 たとえば、磁方位245度の方向に飛びたいときは「245」
にセットすると、飛行機は機首方位「245」度の方向に真っ直
ぐ飛んでいきますが、もし、右手から風があれば、飛行機は左に
流されるので、そのつど方位を再設定しないと「245」度の方
位には飛んでいかないことになります。つまり、ヘッディング・
モードで飛ぶときは、つねに方位の調整が必要なのです。
 INS航法が導入されるまでは、洋上飛行などで無線標識を利
用できないときや、有視界飛行で航路をショートカットするとき
などにこのヘッディング・モードが使われていたのですが、最近
では、所定のルートに乗るまでの間や積乱雲を避けるために一時
的にコースを変更するときなどに使われるのが、一般的になって
います。
 後で明らかになったフライトレコーダの記録によって、007
便がどのような方位に飛行していたかを検証してみることにしま
す。フライトレコーダには、離陸の5分18秒前から、最後の撃
墜までの007便の機首方位が記録されているのです。
 007便は、アンカレッジ空港のゲート「N2」から、滑走路
「32」に進む地上滑走ルートを通っていますが、これは地上に
残された記録とも一致します。
 007便のパイロットは管制塔から離陸許可を受けて、離陸し
ます。離陸後、上昇して高度3万1000フィートを維持し、機
首方位を220度にセットし、左旋回せよ、そして可能な時点で
ベセルに直行せよというのが管制塔の指示だったのです。
 このとき、「ナビゲーション・モード・スイッチ」は、HDG
――つまり、ヘッディング・モードになっており、離陸したとき
の機首方位は滑走路の方向に合わせて320度だったのです。
 007便は離陸して23秒後に管制塔から指示のあった機首方
位を220度に合わせて左旋回を開始し、離陸して1分50秒後
に旋回を完了させています。そのうえで、機首方位を最初のジェ
ットルートである「J501」の方位角、245度にセットした
のです。離陸して2分10秒後のことです。
 これは、「可能な時点でベセルに直行せよ」と指示した管制塔
の指示にしたがったことを示しています。しかし、どういうわけ
か、007便は指示されたベセル直行ルートより、コースを右サ
イドに逸脱させているのです。
 これについてICAOは、本来007便はヘッディング・モー
ド245度で上昇してジェット・ルートに乗ったあと、「ナビゲ
ーション・モード・スイッチ」をINSに切り替えなければいけ
ないのに、それをやっていないためと推測しています。そのため
007便は、ヘッディング・モード245度をそのまま維持して
飛行を続けることになったというわけです。
 これに関してもうひとつの説があります。それは、INSに切
り替えるのを忘れたのではなく切り替えているのですが、そのと
き007便は既にコースから大きく逸れており、INSへの切り
替えは不能であったとする説です。INSは、所定コースから、
7.5マイル以上逸れると機能しないのです。
 この場合、「ナビゲーション・モード・スイッチ」はINSに
なっていても、マシンはINSモードに備える準備段階のまま、
ヘッディング・モードが継続してしまうのです。そのため、乗員
はINSが機能していると思い込み、自動操縦装置が、INSに
よってコントロールされていないという異常に気が付かなかった
のではないかとICAOは分析しているのです。
 そして決定的なことは、撃墜された時点での機首方位が245
度であったことです。したがって、007便は始めから終わりま
で一貫して同じ方位245度のヘッディング・モードで飛び続け
たことになります。
 柳田邦夫氏はあらゆる可能性を検討したうえ、007便のコー
ス逸脱の原因は、次の2つの局面に分けて分析する必要があると
述べています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  1.スイッチミスで、正常の航空路から逸脱した局面
  2.乗員がコース逸脱に気が付かずに飛び続けた局面
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 007便のコース逸脱については、いろいろな説が考えられま
すが、何らかのミスが重なったことは動かし難いと思います。し
かし、本当の原因は何なのかについてはしっかりと分析すべきで
す。これが第1の局面です。
 もう1つの局面は、どうして乗員が異常に気がつかなかったの
かという点です。今までにもINSに関係するミス、ヘッディン
グ・モードのまま飛び続けるミスなどは多く発生しています。し
かし、そのほとんどは、途中で異常に気がつき、航路を変更する
なり、空港に引き返す処置などをとって、事故を未然に防いでい
るのです。
 しかし、大韓航空007便の場合は、離陸時から終始一貫、乗
員は異常に気がついていないのです。その方がはるかに「異常」
です。来週からは、ソ連の立場からこの事件を考えます。
                   −−[大韓航空010]

INSとモード・セレクター.JPG

2006年05月08日

RC−135は747型機に似ている?(EJ第1113号)

 今週も大韓航空007便撃墜事件の話を続けます。今までとは
観点を変えて、007便の飛行をソ連側(当時)がどのように捉
えていたか――この観点に立ってお話しします。
 1983年9月1日、午前○時22分のことです。カムチャッ
カ半島に設けられていたソ連軍の防空監視レーダーが、同半島の
北東沖を航行中の航空機の機影をキャッチします。
 ソ連軍は、この航跡に「6065」という識別番号をつけたの
です。といっても、この機影は大韓航空007便ではなく、米空
軍の偵察機RC−135だったのです。後になって米国は、同機
――米空軍アラスカ基地所属RC−135――がその時刻にカム
チャッカ沖を飛行中であったことを認めているのです。これが、
007便にとって不幸のはじまりであったといえます。
 当時、米空軍は、カムチャッカ沖で日常的にソ連軍基地への電
子偵察を執拗に繰り返していたのです。つまり、RC−135は
ソ連領空を侵犯する常習犯であり、これにソ連としては、相当神
経をとがらせていたのです。
 ところがです。ソ連の防空監視レーダーは、カムチャッカ半島
沖上空に別の航空機の航跡を発見するのです。実は、これが大韓
航空007便だったのですが、ソ連側としては、まさかこんなと
ろに旅客機が飛んでくるはずがないと考えて、その航跡にも「6
065」という航跡番号を付けたのです。しかし、識別不明、未
確認の航空機であることを示すために「91」という注釈をつけ
たのですが、ソ連側としては、その航空機もRC−135であり
2機で連携して行動していると判断したのです。
 007便にとって不幸だといったのは、識別不明、未確認の航
空機であることを示す「91」という注釈番号をつけたとはいえ
RC−135と同じ番号「6065」をつけられてしまったこと
です。これによって、本物のRC−135はアラスカ基地に戻っ
ていったのに、007便は依然としてソ連領空を飛び続けていた
ため、ソ連側としては、007便を最後までRC−135と思い
込んでしまったのです。
 あとになって、ソ連のオルガコフ参謀総長は次のように述べて
いるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 われわれは、ソビエトのレーダー監視網にRS−135偵察機
 を探知した。カムチャッカ時間の4時51分(日本時間で午前
 ○時51分)にRC−135偵察機に類似した別の航空機が同
 じ地域、同じ高度で探知された。2機は一定時間一緒に行動し
 た。1機はアラスカ方向に向かい、もう1機はカムチャッカ方
 向に進んだ。当然ソビエト防空基地は、偵察機がソビエト領空
 に接近しつつあると結論した。   ――オルガコフ参謀総長
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ところで、RC−135というのは、どのような航空機なのか
についてお話しします。
 現代における国際的な諜報戦の重要な部分を占めるものに次の
2つがあります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    1.エリント ・・・・・・・ 電子情報
    2.コミント ・・・・・・・ 通信情報
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 世界の主要各国は、軍事組織の中に独立したエリント・コミン
ト組織と機能を持っていますが、米国のエリント・コミント組織
はNASA(国家安全保障局)がそれに該当します。
 NASAは、世界中に無線傍受施設を有しており、そのアンテ
ナを通じて、相手国の暗号通信を含む無線通信の電波をはじめ、
レーダー電波、ミサイルの信号電波、放送電波など、あらゆる電
波をキャッチして解析しています。
 しかし、無線傍受施設は場所が固定されており、そのカバーす
る範囲は限られています。そこで、航空機や艦船にさまざまな電
波傍受装置を積んで相手国に接近し、各種の電波をキャッチする
方法があわせてとられているのです。そういう任務を持つ偵察機
を「電子偵察機」または「エリント偵察機」というのですが、R
C−135は代表的なエリント偵察機なのです。
 それでは、RC−135の機体はボーイング社の旅客機と似て
いるのでしょうか。
 それが似ているのです。そっくりなのです。
 ボーイング社が1950年の中頃に開発した4発ジェットの空
中給油機KC−135という飛行機があります。ボーイング社は
このKC−135を母体として、RC−135や707型機を開
発したので、どうしても似てきてしまうのです。
 大韓航空007便はボーイング747型機であり、特徴のある
外形をしています。しかし、基本的には747型機は707型機
を母体して作られており、地上に並べて比較するならともかく、
空を飛んでいる機体概観は、とてもよく似ているといえます。し
かも、RC−135は、その飛行高度は1万メートル前後であり
これはジェット旅客機と同じ高度なのです。これでは、間違えて
も不思議はないといえます。
 ところで、KC−135というボーイングの空中給油機は現在
でも現役として活躍しています。『フライデー』の最新号6月6
日号に、その米空軍のKC−135から空中給油を受ける自衛隊
機の写真が出ています。4月から5月にかけて日米共同で実施し
た日米共同の空中給油の訓練の一環です。これに関して、北朝鮮
が反発しているとの記事がついています。
 添付ファイルに、KC−135、RC−135、707型旅客
機、747型旅客機の写真があります。見比べていただくとよく
似ています。まして、当時のソ連軍は、西側の民間機を識別する
能力を持っておらず、飛んでいる機影だけを見てRC−135と
ボーイング747型機を識別することはほとんど不可能であると
考えてよいと思います。そのことを、大韓航空007便を撃墜し
たスホーイSU15のパイロットが証言しているのです。
                  −−−[大韓航空011]

KC−135/RC−135.JPG

2006年05月09日

ソ連軍の緊張と007便の異常な弛緩(EJ第1114号)

 ここに貴重な交信記録があります。時刻は、午前3時13分か
ら14分にかけてです。この交信は、サハリンで007便迎撃の
総指揮をとっていたソコル基地飛行師団司令コルヌコフ大佐が、
対岸の沿海州ハバロフスクにある極東軍管区空軍のカメンスキー
軍司令官と交わしたやりとりです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 コルヌコフ :コルヌコフです。カメンスキー将軍をお願いし
        ます。
 カメンスキー:カメンスキーだ。
 コルヌコフ :同志将軍。コルヌコフです。おはようございま
       す。状況を報告します。目標6065はテルペ
        ニア湾の上空を方位240度で通過しました。
        国境から30キロです。ソコル基地からの戦闘
        機が6キロ後方につけています。ロック・オン
        状態です。武器使用を命令しました。目標は応
        答しません。目で識別できません。なぜなら、
        まだ暗いからです。
 カメンスキー:われわれは確認しなければならない。ことによ
        ると、民間機かも・・・。よくわからないが。
 コルヌコフ :何が民間機なものですか。それはカムチャッカ
        上空を飛行してきました。識別信号を出すこと
        もなく、海を越えてきました。もし、それが国
        境を超えた場合は攻撃命令を出します。
 カメンスキー:いまやるのか。私が命令を下すのか。
 コルヌコフ :そうです。その通りです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 将軍はなぜか迷っており、自分で命令を下して、あとで責任を
取りたくないというような感じです。しかし、コルヌコフ大佐は
サハリン地区の防空の司令官であり、ここで領空侵犯機を見逃し
たら責任問題になるので必死なのです。まして、カムチャッカ基
地では、スクランブルに失敗しているのです。いずれにせよ、ソ
連側が相当あせっていたことは確かなのです。「逃げられては・
・」という気持があったからです。
 本来、迎撃に対しては、まず、相手機に対して「警告」を発す
る必要があります。これは国際的に決められているのです。
 第1に、緊急周波数121.5メガヘルツによる侵犯機への呼
びかけがあります。
 しかし、805号機のオシーポヴィチ中佐は、それをやってい
ないのです。もし、それをすると、地上との交信ができなくなる
し、何よりもそれをする時間的・精神的余裕がなかったとあとで
述べています。あまりにも彼には情報がなかったからです。
 第2に、緊急電波による呼びかけに相手機が応じない場合、機
関砲から曳光弾を発射して警告を発する方法があります。
 しかし、オシーポヴィチ中佐はそれもやっていません。なぜな
ら、805号機には曳光弾が積んでいなかったからです。ちなみ
に日本の航空自衛隊を含めて戦闘機の実戦部隊は曳光弾など積ん
でいないのです。曳光弾は文字通り光を発するだけの信号弾であ
り、武器ではないからです。
 曳光弾を積んでいるのはスクランブル・迎撃任務を負わされて
いる戦闘機だけですが、ソ連空軍は実戦部隊がスクランブルを兼
ねているので、曳光弾は積んでいないのです。代りに地上からの
命令で徹甲弾を4回200発以上発射していますが、徹甲弾は弾
丸の飛跡が見えないので、相手機に気がつかせることは困難であ
ることは明らかです。
 なお、ある戦闘機部隊の指揮官の話によると、ソ連空軍の迎撃
機805号機は、007便の後方5キロくらいから機関砲を発射
しているが、この位置では、たとえ曳光弾を発射していたとして
も007便には見えないはずだといっています。国際的な取り決
めでは、目標の前に出て、相手機のパイロットにはっきりと見え
るように発射しなければわからないといっているのです。
 ここでひとつ不思議なことがあります。オシーポヴィチ中佐自
身がいっているのですが、「なぜ、自分が選ばれたか」という点
です。なぜなら、オシーポヴィチ中佐に出撃命令が出たとき、若
いパイロットが既に出撃態勢に入っていたからです。
 ソコル基地ではオシーポヴィチ中佐は最古参の戦闘機パイロッ
トです。それに中佐といえば将校であり、普通は、当直環境のチ
ェックが主な仕事であって、自ら出撃することはほとんどないの
です。しかし、なぜか、上層部は、オシーポヴィチ中佐に出撃を
命令し、彼は実際に007便を撃墜しているのです。
オシーポヴィチ中佐は、基地司令室から「目標は国境を侵犯し
ている。撃墜せよ」という命令を受け、目標をロックオンし、ミ
サイルの発射準備をしたのです。「ロックオン」とは、目標に向
けて、ミサイルの発射態勢に入るという意味です。
 しかし、午前3時20分になって、なぜか突如地上から撃墜命
令は撤回され、侵入機を強制着陸させよという命令に変わるので
す。ちょうどその頃東京管制は、007便に対し高度350(3
万5000フィート)を承認し、その維持を求めているのです。
 なぜ、撃墜命令は撤回されたのでしょうか。迎撃司令官コルヌ
コフ大佐とカメンスキー将軍の意見の衝突――十分考えられるこ
とですが、その3分後に再び撃墜命令が出されるのです。明らか
に命令系統が混乱しています。強硬派と慎重派の意見衝突が交錯
したものと思われます。
 地上基地のデプタットは、撃墜命令を撤回し、機関砲の警告発
射を805号機に求めます。805号機は徹甲弾を発射しますが
それによって007便は減速したと報告しています。
 しかし、これは、007便の高度上昇のための減速であり、徹
甲弾に気が付いたわけではないのです。ところがソ連側は007
便の高度変更をソ連領空からの離脱しようとしていると考えたの
です。「逃げられたら、大変なことになる」――そう考えた地上
の基地司令官はあわてて、一度撤回した撃墜命令を再び出したも
のと思われるのです。        ・・・[大韓航空012]

2006年05月10日

ソ連軍の緊張と007便の異常な弛緩(EJ第1115号)

 空港やレーダーサイトにおいて、航空機と交信し、空の交通整
理をする「管制官」について、少しお話ししておきます。
 「管制官」には、職制上次の2つに分けられます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  1.管制官   ・・・ レーダー監視とフォロー業務
  2.管制通信官 ・・・ 遠い地点の航空機と通信連絡
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 レーダーでカバーできる領域は限られています。レーダーでは
カバーできない遠くの航空機と連絡をとる業務を行うのは、「管
制通信官」の仕事です。
 成田にある東京国際対空通信局(東京ラジオ)を例にとると、
管制卓は次の6人のシフトで作業するようになっています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   VHF(超短波)担当 ・・・・・・・・・ 3席
   HF(短波)担当 ・・・・・・・・・・・ 2席
   ATIS(気象情報)担当 ・・・・・・・ 1席
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 大韓航空007便ともっぱら交信していたのは、遠方でも電波
の届くHF担当の当直管制通信官なのです。
 午前3時15分――007便は東京ラジオに高度変更の要求を
してきます。東京ラジオの管制通信官は、所沢にある東京管制部
(東京ACC)と連絡をとり、「R20」上の他の便との位置関
係を確かめると、約7分後の午前3時22分に007便に対して
高度変更承認を与えます。
 実は、このとき、007便はオホーツク海からサハリン上空に
向けて飛行していたのですが、そのようなことは当の007便も
管制通信官も知るよしもなかったのです。まして、4機のソ連戦
闘機の追跡を受けていたなどということは・・・。
 007便を追跡していたソ連の戦闘機は4機であり、それぞれ
次の識別コードが付けられていたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 スホーイSU15 ・・・ 805 → ソコル基地
 ミグ23 ・・・・・・・ 121 → ソコル基地
 ミグ23 ・・・・・・・ 163 → スミルヌイフ基地
 ミグ21 ・・・・・・・ 731 → 対岸沿海州の基地
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 このとき、805号機に搭乗していたのが、007便を撃墜し
たオシーポヴィチ中佐なのです。彼は、ソコル基地の迎撃管制官
コズロフ中尉のレーダー誘導を受けながら、805号機は007
便に迫りつつあったのです。午前2時56分から58分にかけて
次のやりとりが行われています。ここで「デプタット」というの
は、暗号名です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 デプタット:805号機、こちらデプタット。目標は左方向、
       距離130キロ
 805号機:了解。方位は70度
 デプタット:目標の方位は240度
 805号機:目標の方位は240度か?
 デプタット:目標の方位は240度の方向。左方向、距離は
       120キロ
 805号機:了解
 デプタット:805号機。目標は君の方に向かっている。目
       標まで70キロ、高度は1万メートル
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 午前3時1分――これはあくまで日本時間であるが――この
時点で007便内では、客室乗務員があと3時間で金浦国際空
港に到着することと飲み物と朝食を出す旨のアナウンスが行わ
れています。機内には何の緊張感もなく、パイロットはあくび
を連発していたことが、ボイスレコーダに残っています。
 これと対照的なのが、サハリンのソコル基地です。迎撃管制
官のコズロフ中尉と同じソコル基地の別棟で無線マイクを握る
総指揮官のコルヌコフ大佐との間では次のようなやりとりが行
われていたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 コズロフ :現在、805号機は右90度の方向に目標を捉
       えている。識別のため後方から誘導している
 コルヌコフ:目標は、何も識別の表示を出していないのか
 コズロフ :識別するため805号機を誘導している
 コルヌコフ:後方から目標に接近させるな。接近角度を保て
 コズロフ :了解。実施する
 コルヌコフ:忘れるな。目標の後部には機関砲があることを
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 このやりとりはきわめて重要です。RC−135は、後部に
機関砲を有しているのです。これは、この時点でも007便を
米空軍のRC−135と誤認していることを示しています。
 午前3時4分にVHF無線が007便を呼び出し、交信が始
まっていたのです。相手は、大韓航空015便です。015便
は、R20ルートに沿って、007便のすぐあとを飛行してい
る飛行機です。話の内容は雑談です。
 ちょうど、その時刻に805号機と暗号コールサイン名、デ
プタットの間で次の交信をしています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ブプタット:805号機へ、こちらデプタット、ミサイル・
       レーダーの準備を
 805号機:了解
 デプタット:805号機へ、こちらデプタット。目標は軍用
       機である。国境を侵犯したら目標を撃墜せよ。
       武器使用の準備を
 805号機:目標のスピードは?
 デプタット:目標のスピードは時速900キロ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
                 −−−[大韓航空013]

2006年05月11日

迎撃司令官と将軍との意見の衝突(EJ第1116号)

 ここに貴重な交信記録があります。時刻は、午前3時13分か
ら14分にかけてです。この交信は、サハリンで007便迎撃の
総指揮をとっていたソコル基地飛行師団司令コルヌコフ大佐が、
対岸の沿海州ハバロフスクにある極東軍管区空軍のカメンスキー
軍司令官と交わしたやりとりです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 コルヌコフ :コルヌコフです。カメンスキー将軍をお願いし
        ます。
 カメンスキー:カメンスキーだ。
 コルヌコフ :同志将軍。コルヌコフです。おはようございま
       す。状況を報告します。目標6065はテルペ
        ニア湾の上空を方位240度で通過しました。
        国境から30キロです。ソコル基地からの戦闘
        機が6キロ後方につけています。ロック・オン
        状態です。武器使用を命令しました。目標は応
        答しません。目で識別できません。なぜなら、
        まだ暗いからです。
 カメンスキー:われわれは確認しなければならない。ことによ
        ると、民間機かも・・・。よくわからないが。
 コルヌコフ :何が民間機なものですか。それはカムチャッカ
        上空を飛行してきました。識別信号を出すこと
        もなく、海を越えてきました。もし、それが国
        境を超えた場合は攻撃命令を出します。
 カメンスキー:いまやるのか。私が命令を下すのか。
 コルヌコフ :そうです。その通りです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 将軍はなぜか迷っており、自分で命令を下して、あとで責任を
取りたくないというような感じです。しかし、コルヌコフ大佐は
サハリン地区の防空の司令官であり、ここで領空侵犯機を見逃し
たら責任問題になるので必死なのです。まして、カムチャッカ基
地では、スクランブルに失敗しているのです。いずれにせよ、ソ
連側が相当あせっていたことは確かなのです。「逃げられては・
・」という気持があったからです。
 本来、迎撃に対しては、まず、相手機に対して「警告」を発す
る必要があります。これは国際的に決められているのです。
 第1に、緊急周波数121.5メガヘルツによる侵犯機への呼
びかけがあります。
 しかし、805号機のオシーポヴィチ中佐は、それをやってい
ないのです。もし、それをすると、地上との交信ができなくなる
し、何よりもそれをする時間的・精神的余裕がなかったとあとで
述べています。あまりにも彼には情報がなかったからです。
 第2に、緊急電波による呼びかけに相手機が応じない場合、機
関砲から曳光弾を発射して警告を発する方法があります。
 しかし、オシーポヴィチ中佐はそれもやっていません。なぜな
ら、805号機には曳光弾が積んでいなかったからです。ちなみ
に日本の航空自衛隊を含めて戦闘機の実戦部隊は曳光弾など積ん
でいないのです。曳光弾は文字通り光を発するだけの信号弾であ
り、武器ではないからです。
 曳光弾を積んでいるのはスクランブル・迎撃任務を負わされて
いる戦闘機だけですが、ソ連空軍は実戦部隊がスクランブルを兼
ねているので、曳光弾は積んでいないのです。代りに地上からの
命令で徹甲弾を4回200発以上発射していますが、徹甲弾は弾
丸の飛跡が見えないので、相手機に気がつかせることは困難であ
ることは明らかです。
 なお、ある戦闘機部隊の指揮官の話によると、ソ連空軍の迎撃
機805号機は、007便の後方5キロくらいから機関砲を発射
しているが、この位置では、たとえ曳光弾を発射していたとして
も007便には見えないはずだといっています。国際的な取り決
めでは、目標の前に出て、相手機のパイロットにはっきりと見え
るように発射しなければわからないといっているのです。
 ここでひとつ不思議なことがあります。オシーポヴィチ中佐自
身がいっているのですが、「なぜ、自分が選ばれたか」という点
です。なぜなら、オシーポヴィチ中佐に出撃命令が出たとき、若
いパイロットが既に出撃態勢に入っていたからです。
 ソコル基地ではオシーポヴィチ中佐は最古参の戦闘機パイロッ
トです。それに中佐といえば将校であり、普通は、当直環境のチ
ェックが主な仕事であって、自ら出撃することはほとんどないの
です。しかし、なぜか、上層部は、オシーポヴィチ中佐に出撃を
命令し、彼は実際に007便を撃墜しているのです。
オシーポヴィチ中佐は、基地司令室から「目標は国境を侵犯し
ている。撃墜せよ」という命令を受け、目標をロックオンし、ミ
サイルの発射準備をしたのです。「ロックオン」とは、目標に向
けて、ミサイルの発射態勢に入るという意味です。
 しかし、午前3時20分になって、なぜか突如地上から撃墜命
令は撤回され、侵入機を強制着陸させよという命令に変わるので
す。ちょうどその頃東京管制は、007便に対し高度350(3
万5000フィート)を承認し、その維持を求めているのです。
 なぜ、撃墜命令は撤回されたのでしょうか。迎撃司令官コルヌ
コフ大佐とカメンスキー将軍の意見の衝突――十分考えられるこ
とですが、その3分後に再び撃墜命令が出されるのです。明らか
に命令系統が混乱しています。強硬派と慎重派の意見衝突が交錯
したものと思われます。
 地上基地のデプタットは、撃墜命令を撤回し、機関砲の警告発
射を805号機に求めます。805号機は徹甲弾を発射しますが
それによって007便は減速したと報告しています。
 しかし、これは、007便の高度上昇のための減速であり、徹
甲弾に気が付いたわけではないのです。ところがソ連側は007
便の高度変更をソ連領空からの離脱しようとしていると考えたの
です。「逃げられたら、大変なことになる」――そう考えた地上
の基地司令官はあわてて、一度撤回した撃墜命令を再び出したも
のと思われるのです。         −−[大韓航空014]

2006年05月12日

東京管制への高度上昇要請から撃墜まで(EJ第1117号)

 ボイスレコーダの交信記録(トランスクリプト)は、何回かの
訂正が行われています。大韓航空007便撃墜事件について書か
れた本はいくつかありますが、交信記録は本によってかなり異な
るのです。
 というのは、ロシア語が非常に聞き取りにくく、聴取不能の部
分がかなりあったからです。その後、米国務省は、音声技術の専
門家とロシア語の専門家に協力させ、特製の音声増幅装置を使っ
て、何回も聴き直した結果、いくつかの追加と修正を加えていま
す。それでも不明部分は残るのです。
 迎撃戦闘機パイロットであるオシーポヴィチ中佐が地上基地の
撃墜命令で、ミサイルをロックオンした午前3時20分から、大
韓航空007便が撃墜されるまでの交信記録を私なりに整理して
ご紹介したいと思います。以下、次の略語を使います。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  デプタット ・・・・・・ ソ連ソコル基地/迎撃司令部
  805号機 ・・・・・・ 迎撃機/オシーポヴィチ中佐
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 時刻は、日本時間で午前3時20分――東京管制が007便に
対し、3万3000フィートから3万5000フィートに高度を
上げることを承認することを伝えた時刻です。この時刻から、0
07便が東京管制に呼びかける午前3時23分までの交信記録を
ご紹介します。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 デプタット:805号機へ。目標は国境を侵犯した。目標を撃
       墜せよ――午前3時17分
 805号機:ロックオン継続している。当方のZ・Gは既に点
       灯している。(Z・G点灯はミサイルが発射寸前
       であることを示す)
 デプタット:805号機!撃墜中止!目標まで高度を上げ、目
       標を強制着陸させよ。
 805号機:了解。ロックオンをオフにする。
 デプタット:機関砲で警告射撃せよ。
 805号機:ロックオンを解除。機関砲を発射する。
 デプタット:発射したか。
 805号機:発射した。(徹甲弾を4回200発発射)
 デプタット:目標の状況は・・・?
 805号機:目標は減速した。気がついたようだ。(007便
       は気がついたのではなく、高度上昇のための減速
       と思われる)
 デプタット:スピードを上げよ。805
 805号機:スピードを上げている。
 デプタット:805、目標にミサイルを発射せよ。
 805号機:もっと早く命令して欲しかった。すでに目標の真
       横にいる。この位置では発射できない。
 デプタット:了解。もしできるなら、攻撃位置につけ。
 805号機:今から目標の後ろに後退する。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ここまでの交信が終了した午前3時23分に007便は、高度
350に達したことを告げているのです。あくまで007便は、
この時点でも正規のルートを飛行しているものと考えていたこと
は明らかです。しかし、この高度上昇をソ連側は、「逃げようと
している」と解釈し、撃墜指令を出したのでしょう。
 それでは、午前3時23分から、805号機のオシーポヴィチ
中佐が「目標は破壊された」という報告をする午前3時26分0
1秒までの交信記録をご紹介します。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 デプタット:805号機、目標を機関砲で攻撃せよ
 805号機:私は、既に目標の後方にいる。いま、ミサイルを
       試します。
 ―― 007便のコックピットは他機からの交信で混信 ――
 805号機:目標に接近する。目標をロックオン中。目標まで
       の距離は8キロ。
 805号機:ミサイルを発射した。
 805号機:目標は破壊された。直ちに攻撃から離脱する。
 デプタット:目標降下中。目標高度5000.
 デプタット:目標はスクリーンから消えた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 オシーポヴィチ中佐の話によると、ミサイルは2発発射され、
第1弾は尾翼に命中しています。その瞬間、黄色い炎がパッと上
がったそうです。第2弾は左翼の半分を吹き飛ばし、そのとたん
に明かりは消えたといいます。
 場所は、サハリン西海岸のホルムスク南方にあるプラウダとい
う村の上空です。007便は、サハリン上空を通過して、まさに
日本海上空に差しかかろうとしていたときにミサイルを撃ち込ま
れたことになります。
 また、オシーポヴィチ中佐のスホーイSU15は、帰投すべき
ソコル基地まで、150キロもあるのに、残っている燃料は十分
間の飛行分しかなく、燃料警告灯がついていたと語っています。
ソコル基地でもパイロットの戦闘機に乗っての亡命を防ぐため、
燃料はギリギリしか搭載していなかったのです。
 そのため、迎撃パイロットとしては、すべてにおいて余裕とい
うものがなく、十分目標を確かめもせず、せかせかとミサイルを
発射したものと思われます。
 それにしてもソ連という国家は、国が最も信頼を寄せるべき存
在である国土を守る戦闘機パイロット全員を疑いの目で見て、戦
闘機の燃料を少量しか積ませないという、愚かにして、明らかに
その任務に支障が起きることを平気でやる国だったのです。これ
では、国が崩壊しても不思議はないといえます。
 大韓航空007便撃墜事件――アンカレッジ離陸からサハリン
で撃墜されるまでを整理してきましたが、いろいろな問題点が見
えてきます。            −−−[大韓航空015]

2006年05月15日

大韓航空は航路逸脱の常習犯(EJ第1118号)

 大韓航空機撃墜事件のレポートを書き始めたのは、4月19日
のことです。したがって、第5週目に入ることになります。しか
し、このテーマについてお伝えしたい情報は、むしろこれからが
本番なのです。
 ここまで、追求してきたテーマは、次の3つになります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   1.どうして進路を外れて飛ぶことになったのか
   2.パイロットはなぜそれに気付かなかったのか
   3.ソ連空軍はなぜ性急に撃墜してしまったのか
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1と2に関してはいろいろな説があり、その真相は解明されて
いません。しかし、EJの検討でわかるように、少なくともスパ
イ飛行などではないことと、大韓航空機007便のパイロットの
怠慢は、はっきりしていると思います。
 航路逸脱については、ヘッディング・モード245度で飛び続
けたという説、INSの入力ミスなどいろいろな説があります。
しかし、いずれも決め手に欠けるのです。
 しかし、何よりも長時間にわたって航路逸脱に気がつかなかっ
た007便のパイロットの責任は重大であると思います。常識的
に考えても、パイロットはつねに飛行している自機の位置を正確
に把握しておくべきであって、それをやっていればこのような事
故は起こり得ないと思うからです。
 007便のボイス・レコーダに記録されていた007便の機長
と、ソウルに向う次の便015便の機長との雑談などはひどいも
ので、パイロットは、こんなことを話しながら飛んでいるのかと
あきれるほど、緊張感がないものなのです。
 3のソ連空軍の対応もお粗末そのもの。やすやすと領空侵入を
許してしまう防空体制――米ソ対決の当時のソ連軍の防空体制と
しては考えられないひどさです。そして、やっと侵入に気が付く
と、あわててスクランブルをかけて、十分に警告を出すなどの措
置をとることなく、いきなりミサイルで撃墜してしまう――本当
に乱暴な話です。
 大韓航空とソ連空軍がいかにいい加減なものであるかは、大韓
航空機007便撃墜事件のちょうど5年前にこの事件とほとんど
そっくりの事件を起こしているのをみれば明らかです。両国とも
そこに何の反省もないことがわかります。
 1978年4月21日のことです。パリのオルリー空港を一台
の飛行機がソウルに向けて飛び立ったのです。アンカレッジ経由
ソウル行き大韓航空902便――ボーイング707型機です。
 902便は、離陸して北に進路を取り、ノルウェーのフィヨル
ド海岸を眼下に見て北極圏に入り、飛行計画では英国の上空を通
過する予定になっていたのです。
 4時間ほど飛んだあと、食事も終って機内ではほとんどの乗客
がブラインドを下ろして就寝していたのです。この902便には
日本人も乗っており、杉本裕氏夫妻も乗客の一人だったのです。
ボーイング707機の客席は、左右3席ずつであり、左側がA、
B、C、右側がD、E、Fとなっています。杉本裕夫妻は、右側
の「14E」「14F」に座っていたのです。
 杉本氏は窓際の「14F」に座って、眠れないので、ブライン
ドを開けたままにしていたそうです。そのとき、杉本氏は変な飛
行機に気が付きます。それがすぐにジェット戦闘機であることが
わかります。戦闘機はだんだん近づいてきて、その機影が窓いっ
ぱいになるほど接近してきたというのです。時刻は、日本時間で
午前3時18分であったというのです。
 戦闘機は、しばらく902便と平行して飛んでいましたが、ス
ピードを落としつつ高度を上げて、視界から消えたのです。その
1〜2分あと、「ガツン!」というもの凄い衝撃が、客室全体に
走ったのです。あとで判明したことですが、902便はソ連戦闘
機によってミサイル攻撃を受けたのです。この攻撃で死者2名、
重軽傷者14名を出しているのです。死者は韓国人と日本人の2
名で、日本人は菅野義隆氏という人です。
 902便はもの凄いスピードで急降下し、機内はパニックに陥
りましたが、機長をはじめとする乗員からは何ら適切なアンウン
スはなく、スチュワーデスはおろおろして何もできなかったとい
います。日本人のある医師は、スチュワーデスに手伝わせるため
ほっぺたをたたいて気を取り直させることまでしたそうです。
 しかし、しばらくして902便は水平飛行に移り、2時間ほど
飛行して、機長から「エンジンのトラブルが起きて、不時着する
かも知れないので、救命胴衣を着用してください」というアナウ
ンスがあったのです。そして、しばらくして、再び機長から「ア
ラスカの灯が見えます」というアンウンスがあって、902便は
着水に成功します。客席からは拍手があったそうです。
 このとき902便の乗員は、着水地点がアラスカのどこかだと
思っていたという証言があります。しかし、そこは、アラスカで
はなく、ソ連領のムルマンスク南方のケミ市付近の凍結したイマ
ンダラ湖上だったのです。902便がミサイル攻撃を受けたのは
ソ連北岸のノルウェーとの国境に近いムルマンスク地域の上空で
時刻は日本時間で午前3時48分だったのです。そういうわけで
この事件は後に「ムルマンスク事件」と名づけられるのです。
 やがて902便は、ソ連兵に包囲され、乗客は近くの公民館の
ようなところに移送されるのです。このときは、米国が902便
がソ連空軍によって強制着陸させられたことを素早く公表したの
で、機長と副操縦士以外の乗客・乗員は、強制着陸の2日後に帰
国することができています。
 このムルマンスク事件では、「強制着陸」が強調されており、
ミサイル攻撃を受けたことが強く表面に出ていません。しかし、
それによって2人が死亡しているのです。米国も意識してそうミ
サイル攻撃という表現を避けているようです。
 不可解なのは、大韓航空がその5年後の1983年に007便
事件を起こしていることです。902便と同様に航路を大きく外
れ、ミサイル攻撃を受けるまでそれに気がつかなかったのです。

2006年05月16日

異常に早い死亡認定と保険金の支払い(EJ第1119号)

 旅客機が正規の航路を外れ、ソ連の領空を大きく侵犯、ソ連空
軍のミサイル攻撃を受けて九死に一生を得たものの、死者2名を
出すという大事故を引き起こした航空会社が、その5年後にほと
んどそっくりの領空侵犯事件を引き起こす――とても考えられな
いことです。
 しかし、大韓航空はそれをやっているのです。何ということで
しようか。考えられないことといえます。一番不可解なのは、9
02便の航路逸脱です。まだ、007便の航路逸脱は何とか説明
がつきますが、902便の場合は説明がつかないのです。
 ヨーロッパからアラスカに向う北極圏の航空路は、北極点より
もグリーンランド寄りに設定されています。というのは、ソ連側
にはソ連防空ラインが設定されていて、NATOのそれと拮抗し
ているため、民間航空機は飛行を許されていないからです。
 ところが、902便は北極点の手前でまるでUターンでもする
ように右に逸れて、ほとんど180度旋回してソ連領空に入り込
んでいます。このような尋常ではない航路逸脱をパイロットが意
識しないで、できるものでしょうか。(添付ファイル参照)
 ところで、大韓航空機が侵入したムルマンスクというところは
ソ連にとってどういう地域なのでしょうか。
 ムルマンスクは、不凍港で、ソ連の原子力潜水艦を含むソ連北
方艦隊の一大拠点です。それにムルマンスクを中心とするコラ半
島一帯には核ミサイルが配備されており、戦略爆撃機バックファ
イヤーの基地を含めて8つの空軍基地があります。さらに、米国
からのミサイル攻撃を北極圏でいち早くキャッチする遠距離早期
レーダー網も配備されているのです。
 こともあろうに、そういうソ連の一大軍事拠点に大韓航空機は
侵入してしまったのです。「何か意図があって・・・」とソ連側
が考えるのは当然の話です。
 しかし、それほどの重要軍事拠点を守るソ連側の迎撃体制は、
あまりにもお粗末であったといえます。なぜなら、大韓航空機9
02便は、北極圏におけるソ連の防空ラインをやすやすと飛行し
たばかりか、重要軍事基地が密集しているコラ半島の上空を20
0マイルも奥まで入り込んでしまったからです。
 米国側の情報によると、この軍事基地を統括していた現場指揮
官が後日責任を問われて処刑されたそうです。さらにソ連は国境
法を改正・強化し、防空に関して万全の態勢を引いたのです。
 その国境法第36条は、国境――領土、領空、領海の侵犯者に
対しては、武力を持って阻止行動をとるということを定めている
のです。ちなみに、このような厳しい国境法を定めている国は、
西側にはないのです。しかし、それにもかかわらず、その5年後
に大韓航空007便撃墜事件が起こり、またしても大韓航空機の
大幅な領空侵犯を許してしまうお粗末さです。
 同じような事故を何度も起こす大韓航空、一方、法律を強化し
軍備を強化しても一向に堅固な防空・迎撃体制を築けないソ連空
軍――どちらも構造的な欠陥を抱えているといわざるを得ないと
思うのです。
 ムルマンスク事件のとき、ソ連側は当初沈黙を守っていたので
す。しかし、米国は素早く第1報を流しています。当時米国は、
カーター政権でしたが、ブレジンスキー大統領補佐官は次のよう
に報道陣に情報を流してします。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ソ連は自国戦闘機が旅客機を迎撃したのを承知していながら、
 沈黙を守っている。乗客は全員無事の模様で、着陸地点はムル
 マンスク南方200キロ付近である。
              ――ブレジンスキー大統領補佐官
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これは、米国が驚くべき情報収集能力を持っていることをソ連
に見せつける結果となったのですが、同時に902便の乗客・乗
員を救うことにつながったのです。
 本当のところソ連は、902便の乗客・乗員をそんなに簡単に
返すつもりなどなかったと思います。だから、当初ソ連は沈黙し
たのです。しかし、米国が事件をあまりにも早く、驚くべき正確
さで伝えてしまったので、早期開放せざるを得なかったのです。
 大韓航空007便の場合は、日本時間で9月1日、午後11時
40分に米国のシュルツ国務長官は記者会見を行い、次の2つの
ことを明らかにしています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1.大韓航空機007便は早くから正規のルートから外れ、カ
   ムチャッカ半島を横切ってサハリンに向ったこと
 2.同機は、カムチャッカ半島に差しかかる前からソ連戦闘機
   による迎撃を受けて、ミサイルで撃墜されたこと
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この時点でシュルツ国務長官は、ソ連軍戦闘機とソ連地上当局
との無線交信を傍受していたことを明かしています。それまでの
報道では、「ユジノサハリンクス空港に強制着陸?」など、乗客
・乗員の生存の可能性を示す報道もあったのですが、このシュル
ツ長官の記者会見以降、報道は悲観的なもの一色になります。
 ここでひとつ知っておくべきことがあります。旅客機が戦闘機
によってミサイル攻撃を受ける――こういうことを聞くと、その
旅客機はミサイルによって粉砕され、空中分解してしまうと考え
てしまうものですが、事実は少し違うということです。
 旅客機は意外に頑丈にできていて、命中する場所にもよります
が、戦闘機が搭載している空対空ミサイルなら、命中しても、空
中分解はしないということです。現にムルマンスク事件では、ボ
ーイング707型旅客機がミサイル攻撃を受け、命中しているの
ですが、急降下はしたものの着水に成功しています。
 しかし、007便の場合はシュルツ長官の発言を機に各メディ
アは一斉に「269名全員死亡」と報道しているのです。シュル
ツ長官自身は乗客・乗員の生死には言及していないにもかかわら
ずです。何をもって全員死亡と判断したのでしょうか。
                 ・・・[大韓航空 017]

ムルマンスク事件の航路.JPG

2006年05月17日

異常に早い死亡認定と保険金の支払い(EJ第1120号)

 飛行機事故に限らず何の事故でも同じですが、その生死の発表
は、事実――生存の事実/死亡の事実が確認できたものから行わ
れ、確認できないものは「行方不明者」として扱われるのが常識
となっています。飛行機事故のように、きわめて生存が難しい場
合でも、遺体が確認されない限りあくまで生存しているものと信
じて捜索が行われるのです。
 しかし、大韓航空機007便撃墜事件の場合、その常識が無視
され、異例なほど早く「乗客・乗員269人全員死亡」なる報道
が行われているのです。ちなみに、この事件の場合、現在にいた
っても、遺体は1人として確認されていないのです。
 事実を確認してみることにします。撃墜事件が起こったのは、
1983年9月1日です。最も信頼すべき公式発表としては、米
国時間で1日午前10時40分/日本時間で1日午後11時40
分に行われたシュルツ国務長官の談話です。
 ここでシュルツ長官は、乗客・乗員の生死には言及していない
ものの、007便がソ連軍戦闘機によるミサイル攻撃で撃墜され
たことを伝えています。
 この公式発表は、1日の午前3時29分に航空自衛隊のレーダ
ーから007便とみられる機影が消えてから20時間11分しか
経過していないのです。この談話を契機として、報道は一転して
悲観的なものになります。
 9月1日の共同電では、次のように伝えています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 デクエヤル国連事務総長は、事件の推移を詳しく見守ってい
 る。民間人の命が失われたことを深く悲しんでいる。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 このように国連では、早くも「全員死亡」を前提にして、デク
エヤル国連事務総長の談話を伝えています。
 ソ連側の報道としては、2日のタス通信、6日の政府声明があ
りますが、内容は次の通りです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ≪タス通信/2日≫
  権限を与えられたタス通信は、ソ連指導部内で、人命が失わ
  れたことに対して遺憾の意が表明されている。
 ≪ソ連政府声明≫
  罪のない人びとの死に弔意を表明し、その遺族、友人と悲し
  みを分かちあうものである。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 その時点では、007便の墜落場所も確定しておらず、1体の
遺体も発見されていないのに、このように「死」一色です。
 最も奇怪なのは、ロンドンの保険業界です。保険業界といえば
事実が明確にならない限り保険金のことに言及しない業界である
のに、事件の翌日2日には保険金に言及しているのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 2日、ロンドンの保険業界筋が明らかにしたところによると、
 007便の機体に対する保険金は最低3500万ドル(約88
 億円)になる。戦争リスクを含むすべての危険に対してかけら
 れたという――1983年9月3日付、朝日新聞夕刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 驚くべきことに、この保険は、事故後約2週間で大韓航空に支
払われているのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 13日、ロンドンの保険会社、スチュワート・ライトソン社は
 007便の大韓航空機にかけられていた戦時保険の保険金、2
 682万4000ドル(約65億円)を同日、大韓航空に支払
 ったと発表した。
         ――1983年9月14日付、朝日新聞朝刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この保険金の支払いの早さは本当に異常です。通常は機体破損
の事故から保険金が下りるまで数年はかかるのです。それがたっ
たの2週間での支払いです。
 そして「乗客・乗員全員死亡」のダメ押しとなったのは、19
83年12月に、ICAO(国際民間航空機関)が事件の当事国
に配付した最終報告書です。ここでは、「パイロットの操縦ミス
が大韓航空007便の撃墜につながった」としています。乗客・
乗員についてはふれていませんが、「全員死亡は当然」という扱
われ方なのです。
 これだけ並べられれば、誰でも「全員死亡」を信じてしまうで
しょう。しかし、・・・です。遺体は未だに1体も発見されてい
ないし、当のソ連側もあまり真剣に捜索していないのです。海を
捜索していたのは、ブラックボックスを米国よりも先に見つけよ
うと必死になっていたに過ぎないのです。
 不思議なことに、米国も米国人の犠牲者も多かったのにもかか
わらず、遺体捜索にあまりこだわっていないのです。一貫してソ
連、米国は、肝心なことには沈黙しているのです。このウラには
何があるのでしょうか。
 昨日のEJでも述べましたが、飛行中の旅客機にミサイルが命
中すると、次の一連の思考が働きます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  戦闘機 → ミサイル発射 → 旅客機に命中 → 旅客機大破
  → 空中分解 → 墜落→ 全員死亡
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 しかし、必ずしもそうはならないことは、ムルマンスク事件の
例を見れば明らかです。ムルマンスク事件では、ミサイル攻撃を
受けても902便は高度を落として水平飛行を続け、不時着地点
を探して無事に着水しているからです。
 007便の場合もムルマンスク事件と状況はまったく同じなの
です。それなのに、007便のときはなぜ乗客・乗員全員死亡説
が先行するのでしょうか。なぜ、あわてて保険金が支払われるの
でしょうか。米・ソは、なぜ沈黙を続けているのでしょうか。
 謎、謎、謎――謎がいっぱいという感じです。
                ・・・[大韓航空 018]

2006年05月18日

007便の乗客・乗員は生存している(EJ第1121号)

 EJ1120号で、乗客・乗員の死亡確認にこだわったのは、
大韓航空007便の乗客・乗員が全員生存しているという情報が
あるからです。このようなことをいうと、「そんな、馬鹿な!」
という人が多いと思いますが、そういう情報は間違いなく存在し
ます。実は、このことについて書くために大韓航空機撃墜事件を
テーマに取り上げたのです。
 事実をひとつずつ確認していくことにします。この衝撃的な情
報が出てきたのは、1994年頃であったといわれます。199
4年というと、70年間続いたソ連体制が崩壊の危機からもはや
逃れられなくなっていた時期に当たります。
 公務員の給料の遅配が続き、その不満は街に満ちており、食料
などの生活物資は不足して、価格が高騰していたのです。そして
「個人の勝手」がモスクワ市内で一人歩きして、役人たちもそれ
ぞれ勝手なことをやっていたのです。
 ある高級官僚などは、ソ連の木材とスペインのワインとを交換
する目的で自ら「木材輸出許可申請書」と「ワイン輸入許可証」
の両方にサインしてそれを実現させる――つまり、自分で申請し
て自分で許可を出すという自作自演をやっていたのです。
 こういう時期ですから、長い間ソ連の分厚い壁の向こうに隠さ
れていて、絶対に陽の目を見るはずのない秘密が漏れ出しても不
思議はなかったのです。それに、1985年にゴルバチョフが、
党の書記長になってから推進したグラスノチ(情報公開)の波が
ここにきて効いてきたことも情報流出を加速させたのです。
 大韓航空機撃墜事件についての情報源は、ロシアン・マフィア
やKGB、ソ連各地に今もある強制収容所の囚人や看守たち、そ
れにソ連政府に批判的な人たちであるとされています。その中に
は、大韓航空の「生存者」と一緒に生活し、その姿を見ていると
いう情報まであるのです。
 アブラハム・シフリン――という人物がいます。ソ連からイス
ラエルに移住してきたユダヤ人です。ロシアには帝政時代から多
くのユダヤ人が住んでいたのですが、帝政時代もソ連時代も彼ら
は、不当な迫害を受けていたのです。
 『屋根の上のヴァイオリン弾き』というミュージカルがありま
す。このミュージカルの時代背景は、1905年の帝政時代のロ
シアで、そこに登場する牛乳屋のテヴィェ一家は、アナテフカと
いうロシアの寒村に住んでいるユダヤ人です。この時代もユダヤ
人は迫害されており、結局村を追われて米国に移住するのです。
 ユダヤ人の迫害はソ連時代に入ると一層激しくなります。シフ
リンも強制収容所に入れられ、死刑を宣告されたのですが、九死
に一生を得て、イスラエルに移住したのです。そこで、シフリン
は、大韓航空007便に「生存者」がいることを耳にするやある
調査機関を作って、この問題の追及を開始したのです。その調査
機関の名称は次の通りです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   強制労働収容所・精神矯正収容所リサーチ・センター
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ソビェト・ロシアの20世紀は「監獄の時代」といわれます。
革命後のソ連は、近代化を急ぐため、大量の労働力を必要として
いたのです。そのため、労働力に見合う強制労働収容所を設けて
恐怖政治の下に効率の良い管理成果を達成したのです。
 そういう監獄では、政治犯などの洗脳も行われ、50余年前の
第2次世界大戦でソ連の全強制労働収容所で死んだロシア人は、
1200万人――現在でも約1000万人が収容所に閉じ込めら
れているといわれています。シフリンは、自らの体験を生かして
リサーチ・センターを設立して、そういう強制労働収容所や精神
矯正収容所を調査し、一人でも多くの人を救出したい――そうい
う考えで作った機関ではないかと考えられます。
 そもそもロシアという国は、今もって、かつてのKGB大幹部
であるプーチン大統領の率いる国家であり、「人権」という言葉
が死語に等しい扱いを受けているようです。
 しかし、それだけに、このシフリンの機関から大韓航空の「生
存者」情報が出てきたということは、その情報源を強制労働収容
所や精神矯正収容所にしているという点において、信憑性がある
と思います。大韓航空007便の乗客・乗員は、ロシアのどこか
の強制収容所で、一生出られない囚人として今も収容されている
――そういう可能性がないとはいい切りないと思うのです。
 シフリン機関のレポートによると、ソ連軍戦闘機によってミサ
イル攻撃された大韓航空007便は、サハリンに接するモネロン
島(海馬島)沖に着水――機体は破損したもののほぼ無事で、そ
のまま沈みもせず、暗い波間に浮かび続けたというのです。
 その洋上の007便にKGBの沿岸警備艇が接近し、機体の中
にいた乗客・乗員は警備艇に移されたのです。無人になった00
7便は、深度の浅い海域に曳航され、そこで爆破されて海底に沈
められたのです。
 サハリン島のKGB基地の警備艇に乗せられた乗客・乗員は、
本土のKGB管轄C区域のソブガバン基地へと全員が運ばれてい
ます。ソブガバンというのは地図にないのですが、沿岸州のソビ
エツカヤガバニのことと思われます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    ソブガバン=Sovgavan(シフリン・レポート)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 乗客・乗員は、成人と子供に分けられ、成人も男女に分けられ
ます。もうその時点では「乗客・乗員全員死亡」を世界中が信じ
させられていたのです。
 子供たちは、ソブガバンの孤児収容所、あとは、ウラジオスト
ック、オムスク、バマウル、そしてカザフ共和国――現カザフス
タンの孤児収容所へと送られています。
 一方、分離させられた成人男女は、ティンダ駅からどこかの収
容所に送られているのですが、どこに送られたかは、シフリン・
レポートでは不明となっています。
 どうでしょう。あなたはこの事実を信じますか。
                 ・・・[大韓航空 019]

2006年05月19日

なぜ、米国は沈黙を続けるのか(EJ第1122号)

 007便には日本人28名を含む16ヶ国269名の乗客・乗
員が乗っていましたが、その中に米国のVIP――ローレンス・
パットン・マクドナルド米下院議員(民主党)がいたのです。
 このマクドナルド議員については、ソブガバン基地に連行され
た他の乗客・乗員と違って、KGBが特別に仕立てた飛行機で、
9月8日にハバロフスク経由でモスクワに送られているのです。
 そして、モスクワ市内にあるKGBの監獄ルビヤンカで尋問を
受け、その後、レフォルトボ収容所に収監されています。そのと
き以来マクドナルド議員は、「囚人ナンバー3」と呼ばれるよう
になります。かなり目立った囚人だったのです。
 その後、モスクワ近郊のKGBのダッカ保養所に身柄を移され
さらにカザフ共和国のカラガンダ監獄へと移されています。その
頃には、マクドナルド議員は、KGBによる特殊な「治療」によ
り、自分が誰であるのかわからなくなっていたそうです。
 モスクワ周辺には41の犯罪者収容機関があるのですが、その
中には10の「精神病」監獄院があります。そこでは、どんな拷
問方法でも口を割らない囚人に口を開かせるある処置が行われる
のです。ソ連では、それを「治療」といっています。
 「治療」は強力な麻酔薬を使って脳に手術する方法らしいので
すが、マクドナルド議員はどうやらその種の「治療」を受けて、
自分が誰だかわからなくなっているようなのです。
 しかし、顔は変えられないのです。シフリンたちのグループは
その「囚人ナンバー3」の写真を、看守を通して入手しており、
鑑定結果では、マクドナルド議員に間違いないようです。なお、
現時点での同議員の消息は把握できていないそうです。
 ところで、大韓航空の緊急着水から、乗客・乗員の収容、機体
内キャビンの荷物処理などの一連の秘密処理の総指揮をとったの
は、ロマネンコ将軍という人です。しかし、彼はその約10年後
に自殺しているのです。どうやら、世界に生存情報が漏れたこと
の責任をとらされて、自殺に追い込まれたものと思われます。
 シフリンによると、ロマネンコ将軍は東ベルリンのソ連大使館
付きの武官に栄転したのちに同地で自殺しているのですが、その
事実は1992年9月のソ連紙コムソモルスカヤ・プラウダの紙
面に出ていたというのです。
 CIAは、その後ロマネンコ将軍に関するすべての情報が、K
GBのプロファイリング(コンピュータに収録された人物情報)
から削除されたことを確認しています。そうなると、シフリンた
ちのグループにも危険は迫っているといえます。
 シフリンたちは、マクドナルド議員をはじめとする007便の
生存者の情報がわかるにつれて、生存者を救出するには民間団体
の力には限界があり、米国政府を動かすしかないと判断します。
そのうえで、世界のマスコミを通じてソ連政府に圧力をかけるこ
とが最も効果があると考えたのです。
 007便に乗っていた米国人は62名、そのうち1人は下院議
員です。生存情報が伝われば、米国の威信にかけてもソ連当局に
生存者の送還を求めるに違いない――シフリンたちは、そのよう
に考えたのです。
 そして、シフリンたちは、米国上院議員ジェシー・ヘルムズ議
員――共和党、ノースカロライナ州選出に働きかけることを決断
します。ヘルムズ議員は、親イスラエル派であり、ソ連、中国な
ど共産主義国に対し、強硬な立場を主張している硬派の政治家と
いうことで知られていたのです。
 しかも、このヘルムズ議員は007便と無縁ではないのです。
というのは、当初8月31日にニューヨーク発の007便に搭乗
を予約していたからです。9月1日から3日にかけて開催される
米韓安保関係会議に出席するためです。しかし、ヘルムズ議員は
なぜか、数日前になって、31日のロサンゼルス発アンカレッジ
経由ソウル行きの大韓航空015便――007便の3分あとに飛
行していたあの飛行機――に乗り換えているのです。
 何か話ができ過ぎているという感じですが、人間の運命という
ものは不思議なものです。そういう意味では、ヘルムズ議員こそ
ソ連政府に対し、生存者の返還交渉をする最適の人材であること
になると思います。
 1990年11月――シフリンの要請に対し、ヘルムズ議員側
から「この件は了承した。もっと詳しく情報が欲しい」と返事が
あり、ヘルムズ議員の側近といわれる3人がシフリンの事務所に
やってきたのです。
 シフリンたちは、ソ連から特別に招いた収容所看守の2名を証
人として彼らに引き合わせるなど、万全を期したのです。そのた
め、ヘルムズ議員の3人の側近は、シフリンたちの主張を完全に
納得したというのです。
 そこで、シフリン側としては、大韓航空007便の乗客・乗員
269名を「誘拐」する結果になったこの事件を上院公開聴聞会
の議題としてヘルムズ議員が取り上げ、行政レベルで徹底的に調
査することを3人に強く要請したのです。
 それからしばらく経って、ワシントン・ポスト紙の編集者エリ
ザベス・ウェイマウス女史が、ヘルムズ議員から紹介されたと称
して情報確認と取材を兼ねてシフリンを訪ねてきたのです。女史
は、記事発表を約束して、シフリンの握る証拠資料をごっそりと
持ち帰ったのです。
 さて、その後、いくら待ってもヘルムズ議員からも、女史から
も何の連絡もなく、完全にナシのつぶてだったのです。上院は、
この件に関して何の動きもなく、ワシントン・ポスト紙にも1行
も記事は出なかったのです。
 シフリンは結果として騙されたのです。ヘルムズ議員側は、シ
フリンたちが握っている情報の内容を知りたかったのです。そこ
で、シフリンの要請を受け入れる対応をして、情報を聞き取った
のです。最初から動くつもりなどなかったのです。
 それにしても、なぜ米国は、自国民が「誘拐」されているのに
知らん顔をしているのでしょうか。まるで、拉致問題に関する日
本政府(外務省)と同じです。  ・・・[大韓航空 020]

2006年05月22日

ソ連の隠蔽工作に協力する米国政府(EJ第1123号)

 期待していたジェシー・ヘルムズ議員に完全に騙されたシフリ
ンたちは、さすがに腹を立て、いろいろな方法で調査結果を公表
しようとします。しかし、彼らの努力は、ことごとく失敗に終る
のです。何か強大な力がバックで動いているのです。
 例えば、1991年7月11日にシフリンたちはエルサレムで
記者会見を開いたのですが、記者会見場には1人の記者も姿を見
せなかったのです。
 シフリンたちがその原因を調べると、何者かが、会見予定時刻
の1時間前に、シフリンたちが招待状を出した新聞社、通信社、
テレビ・ラジオ局などの報道機関のすべてに電話をかけて、記者
会見の中止を伝えていたのです。明らかな妨害工作です。
 そこでシフリンたちは報道取材記者に直接アプローチし、それ
ぞれインタビューは行われたのですが、それを発表したのはただ
の1社もなかったのです。
 これは不思議な話です。本来であれば、「大韓航空007便の
乗客・乗員の生存」は世界的なスクープであり、各国の新聞や雑
誌において、大見出しで扱われるべきビッグ・ニュースです。し
かし、シフリン・レポートは徹底的に無視されたのです。どうし
て、マスコミはこのニュースを無視したのでしょうか。
 しかし、最初に動いたのは、意外にもソ連の新聞イズベスチヤ
紙なのです。1991年になってイズベスチヤ紙は、あくまで独
自調査と断って、大韓航空機撃墜事件について、25回の連載を
掲載しています。その連載開始の理由について、同紙は次のよう
に述べています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  われわれは、269名の乗客・乗員に死を宣告したまま、そ
 の家族に釈明すらしていない。ソ連は大韓航空機を撃墜しても
 いい権利を有してはいたが、「カチンの森事件」がそうであっ
 たようにいまや追加情報を世界に公開すべきであると考える。
                   ―――イズベスチヤ紙
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これは明らかにゴルバチョフが推進したグラスノチの波の影響
と考えられます。
 ところで「カチンの森事件」とは何でしょうか。
 時代の舞台は、映画『戦場のピアニスト』の時代背景と重なり
ます。1939年9月1日にドイツ軍はポーランドに侵攻するの
ですが、第2次世界大戦がはじまってから、ポーランドはドイツ
とソ連で2分割されるのです。独ソ不可侵条約の秘密協定がそこ
にあったからです。
 しかし、独ソ不可侵条約は簡単に崩され、1941年にドイツ
とソ連の間で戦争がはじまるのです。1942年になって、ドイ
ツはベルリン放送を通じて、カチンの森でポーランド人将校と将
兵1万人以上が虐殺されており、これはソ連軍のしわざであると
暴露――ここから非難合戦がはじまるのです。
 ソ連は即座に「ナチスこそ犯人だ」と応酬し、以来48年間に
わたって決着がつかなかったのです。しかし、1990年になっ
てゴルバチョフは、カチンの森の虐殺はソ連KGBが犯人である
ことを認めて謝罪しています。
 実は1920年にソ連はポーランドと戦争をしており、敗れて
います。その結果、ソ連はかなりの領土をポーランドに割譲して
いるのです。
 そのため、スターリンはポーランドに長年にわたり、恨みを抱
いていた――カチンの森事件はこれがベースにあります。そこで
1939年にドイツとともにポーランドに侵攻したソ連軍は、占
領した東方領土に親ソ的な軍隊を置きたいと考えて、このさい反
ソ的な将校を抹消することを考えたのです。これがカチンの森事
件の真相です。
 ゴルバチョフの推進したグラスノチは、カチンの森事件のよう
な自国にとって不利な事実でもあえて情報公開するという意味に
おいて、大変意義のあることです。大韓航空機撃墜事件に関わる
イズベスチヤ紙の連載は、そのグラスノチの波が大韓航空機撃墜
事件にも押し寄せた結果といえます。
 イズベスチヤ紙の25回の連載は、かなりのウソは入っている
ものの、今まで伏せられていた多くの事実が公開されています。
この連載は、のちに同紙のアンドレイ・イーレッシュ記者によっ
て次の本にまとめられています。しかし、生存者情報には一切触
れておらず、あくまで、全員死亡が前提となっています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『大韓航空機撃墜/9年目の真実』――アンドレイ・イーレッ
 シュ著、川合渙一訳、文芸春秋/1991年)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1992年になって、さらに大きな前進があらわれます。19
92年10月26日に、韓国の国会で、国民党(当時)の孫世一
国会議員が、「CIAの秘密報告書」なる資料を根拠として「大
韓航空007便の乗客・乗員がソ連の強制収容所で生きている」
と訴えたのです。
 驚くべきは、孫議員が持っていた「CIAの秘密報告書」なる
資料です。そこには、1983年9月の初期の段階で、007便
がミサイル攻撃を受けながらもモネロン島付近の洋上に着水し、
同機に乗っていたほとんどの乗客・乗員が救出され、ソ連本土の
収容所に連行された事実をCIAはすべて掴んでおり、その資料
の中で認めているのです。
 これは、非常に奇怪なことです。なぜなら、これが本当である
とすると、ソ連政府が必死になって隠蔽しようとしている作業に
米国政府は加担し、それに協力していることになるからです。
 「CIAの秘密報告書」は、明らかにシフリン・レポートを下
敷きにしています。シフリンがヘルムズ議員やワシントン・ポス
トのウェイマウス女史に提供した生存者情報は、米国政府筋に伝
わり、それがCIAを通じてKGBに流れたのではないか――そ
れがイズベスチヤ紙の連載を通じての真相吐露につながったので
はないかと考えられるからです。   −−−[大韓航空021]

2006年05月23日

シフリン・レポートへのCIA工作(EJ第1124号)

 大韓航空007便の乗客・乗員が生存している――このような
ビックニュースを日本のマスコミは、どのように扱っているので
しょうか。
 日本の対応は、北朝鮮の拉致問題へのかつての対応と何も変わ
らないのです。基本的な態度は、「そんなことは信じられないが
・・・」としたうえで、「韓国の国会議員が発言しているので一
応お伝えしておきます」というような対応なのです。
 1992年10月27日の読売新聞と朝日新聞の一部をご紹介
しておきましょう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ●KAL機撃墜生存者がいた!?
  83年9月に起きた大韓航空(KAL)機撃墜事件をめぐり
 韓国の国会本会議で26日、野党議員が「米中央情報局(CI
 A)の極秘文書によると、KAL機は海上に不時着し、生存者
 もいた可能性がある」と“爆弾質問”する一幕があった。
  同事件では乗員・乗客269人全員が死亡したとされ、エリ
 ツィン・ロシア大統領も今月中旬、韓国などに関連資料を伝達
 した際、生存者はいなかったと説明したばかりとあって、韓国
 政府関係者は9年ぶりの生存者説に首をひねっている。
          ―――1992.10.27付、読売新聞
 ●大韓機事件でCIA報告書/生存者の可能性指摘
  1983年9月にサハリン上空で起きた大韓航空機事件で、
 米中央情報局(CIA)が最新、極秘報告書を作成し、同機が
 サハリン沖に不時着し、生存者がいる可能性があると指摘して
 いることが26日、明らかになった。同報告書は、生存者がい
 る場合、送還を求める『外交的な努力が必要だ』としており、
 日韓米の遺族らから抗議の声が上がることも予想される。韓国
 民主党の孫世一・韓国国際委員長が同日、韓国国会の対政府質
 問でこの報告書の内容を明かし、日韓米、ロシアの4ヶ国で共
 同調査団を作り、再調査するよう要求した。
          ―――1992.10.27付、朝日新聞
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 日本もこのように一応きちんと報道しているのですが、明らか
に腰が引けています。そのため多くの日本人はこのビッグニュー
スに気がついていないのです。記事がスクープ扱いではなく、加
えて追加情報がまったくなかったからです。
 なぜ、追加情報が出せなかったのでしょうか。それは、情報源
がCIA――米国の情報機関だからです。ニュースソースが情報
機関では「裏取り」が難しいからです。まさにそれを、ソ連と米
国は狙っていたとはいえないでしょうか。
 韓国の孫議員の爆弾発言の根拠となったCIAの極秘文書――
既に述べたように、この報告書はシフリンの報告書をベースに作
成されたと考えられます。なぜ、CIAはそのようなものを作っ
たのでしょうか。
 その狙いは、シフリンの報告書を封じ込めることにあったと思
うのです。大韓航空機撃墜事件からちょうど7年経過したところ
で、シフリンたちの生存者情報が飛び出してきたのですが、その
頃になると、事件は風化しつつあり、あまり人々の噂にも上らな
くなっていたのです。したがって、突然のシフリン・レポートに
ソ連と米国は大きな衝撃を受けたのです。
 今頃になって、生存者が出てきてもらったのでは困る――ソ連
は当然こと、米国も同じ思いです。米国はいち早くソ連戦闘機に
よる撃墜を世界に訴えて、乗客・乗員の全員死亡を告げてソ連を
批判してきたのです。もし、乗客・乗員が生存しているのであれ
ば、それは何だったのかということになってしまいます。
 何はともあれ、シフリンたちの行動を抑える必要がある――米
国はそう考えたのです。しかし、直接行動はまずい。そのため、
シフリン・レポートが根も葉もないガセネタであるように世間に
思わせる作戦を立てたのです。
 そこで、シフリンたちに接近し、彼らが握っている情報を詳細
に調べ上げ、それにCIAとしての調査も行い、生存者情報源が
シフリン・レポートではなく、あたかもCIAであるかのように
思わせるため、CIA極秘報告書なるものを作成したのです。そ
して、シフリンたちを徹底的に無視する行動に出たのです。
 さらに、CIAはその情報をKGBに流し、それがイズベスチ
ア紙の連載に結びついたものと思われます。この行為はいわばア
リバイづくりのようなものであり、そのうえで生存者情報を否定
することに狙いがあったのです。
 シフリンたちから、生存者情報が出ているのに沈黙を続けてい
ると、どんどん情報が拡大し、どうしようもなくなることを恐れ
先手を打ったのです。そして、ソ連のグラスノチの一環として情
報が出てきたように工作したのです。
 韓国の孫議員の国会質問は、その根拠がCIAの極秘文書にあ
ることを世界に知らしめるためのCIA工作なのです。CIA極
秘文書はシフリン・レポートを下敷きにしたものですが、CIA
とイスラエルの1民間機関の比較では、世界はどちらを信用する
でしょうか。この時点でシフリンたちの動きはほとんど封じられ
たといえます。
 考えてみれば、シフリンたちの一派は、世間的に何の権威も持
たない、世をすねた者たちによる民間機関――そう思われても仕
方がないといえます。CIAにとっても、彼らの力を無力化する
ぐらい簡単なことであると思われます。
 ここで思い出していただきたいのは、シフリンがヘルムズ議員
の側近に生存者が間違いなくいることの証人としてイスラエルに
招いた収容所看守が2人いたことを、です。彼らは、議員の側近
たちの前で、宣誓して証言しているのです。
 キリスト教国での宣誓証言の重みは日本人が想像する以上のも
のなのです。おそらく真実が証言されているはずです。しかし、
その2名の看守は、証言してから数年以内にイスラエルから国外
へと消息を絶っているのです。おそらくその筋からの手が伸びた
ものといえると思います。      −−−[大韓航空022]

2006年05月24日

007撃墜事件をソ連側から見ると・・(EJ第1125号)

 大韓航空007便撃墜事件についていろいろなことがわかって
きましたが、どうやら生存者のいることは間違いないものと思わ
れます。そこで、少し論点を整理して、最終結論に進みたいと思
います。
 最初にソ連サイドの立場をまとめておきます。
 ソ連としては、大韓航空007便による領空侵犯事件は、操縦
士による操縦ミスなどではなく、米国が特定の意図を持って実行
した明らかなスパイ行為である――この立場を一貫して崩してい
ないのです。
 しかし、大韓航空が米国と共謀して行ったスパイ行為ではなく
大韓航空自体は知らないうちに協力させられているのではないか
と考えられるのです。そうでないと、ムルマンスク事件にしても
007便事件にしても乗員のあまりの危機感のなさ、ノーテンキ
ぶりの説明がつかないのです。具体的にどのようにやったのかに
ついては不明ではありますが・・・。
 ところが、ムルマンスク事件と同様に、007便についても生
存者が出たわけです。ソ連としては、領空侵犯という主権の侵害
事件であるから、取り調べる必要がある――ところが、米国が早
々と「全員死亡」を打ち出してくれたので、ソ連としてもそれに
同調し、取り調べという大義名分で乗客・乗員を強制収容所に収
容してしまったのです。
 ソ連は、1983年9月6日に政府声明を出しています。その
一部をご紹介しておきます。
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  要するにこの事件は、ソ連の戦略的重要地域での故意かつ前
もって計画された行動だった。この行動をそそのかした者たち
は、結果がどうなるかを当然、認識していたはずだ。
  彼らは明らかに、民間機を使った大情報作戦を実施に移し、
 故意にその乗客たちを死の危険にさらしたのである。(中略)
 今回の領空侵犯は技術的な過ちではなかった。この航空機は、
 情報作戦を滞りなく実行する予定だったが、もしその任務を阻
 止された場合、彼らはこの作戦全体を反ソの一大政治的挑発行
 動に切り替えるつもりだったのである。
  米特殊機関によって汚い目的のために使われたこの航空機の
 乗客たちは、この厚かましい犯罪の犠牲者となったのである。
 ソ連政府は罪のない人々の死に弔意を表明し、その遺族、友人
 と悲しみを分かち合うものである。今回の悲劇の全責任は完全
 に米国の指導者たちである。
 ――1983年9月7日付、「朝日新聞」夕刊/ソ連政府声明
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 この9月6日の時点でソ連として、はじめて乗客・乗員の全員
死亡の事実を正式に認めたことになります。それにしても、米国
は、撃墜事故の起こった1日の時点で、「ミサイル発射→撃墜→
全員死亡」を表明しているのです。撃墜の当事国でない米国にし
ては、あまりにも早すぎると思いませんか。
 1996年になって、韓国の総合誌『月刊朝鮮』1996年新
年号に、この9月6日ソ連政府声明に関連のあるソ連の極秘文書
が公開されたのです。この資料は、1992年10月14日にな
って、エリツィンのロシア政府から、韓国の盧泰愚政府に引き渡
された事件関係資料の中にあったのです。
 この文書は、1983年12月、ソ連国防相ウスチノフとKG
B議長のチェブリコフが、アンドロポフ書記長に提出した報告書
なのです。
 この文書によると、ソ連が007便の領空侵犯事件をどのよう
に考えていたかよくわかります。報告書からその部分を抜粋して
ご紹介します。
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  第1に、同旅客機の領空侵害で、ベレート・スパイ衛星など
 から、極東でのわれわれの防空システムについての資料を得よ
 うとした。もし、同機が何の指示もなく、わが国の上空を通過
 できた場合、米国人は極東でのわれわれの防空システムのお粗
 末さについて宣伝する意図を持っていた。
  第2に、彼らはわれわれが飛行を阻止する場合、それに対す
 る大規模な反ソキャンペーンを展開する目的で、その事実を利
 用する考えであった。同機の挑発的で諜報的な性格と、米情報
 部が追求しようとしたところをわれわれが暴露して、その挑発
 行為を通じて米国人が目的とするところを完全に阻止した。
                   ――ソ連極秘文書より
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 これを見ると、ソ連側は、米国の狙いが、民間機を故意にソ連
の重要軍事基地の空域に飛ばすことによって、ソ連の防空体制の
堅固さをチェックすることにあると考えているようです。そして
もし、軍事基地の奥深く入り込むまでソ連側がその民間機を捕捉
できない場合は、米国はソ連の防空体制のお粗末さを天下に宣伝
するであろうといっているのです。
 なお、同文書は、時のアンドロポフ書記長に対して、ソ連とし
て米国やその他の国(日本を含む)に対して9月6日付のソ連政
府声明を守るよう要請しているのです。
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  ICAOや録音を解読する意図がある国に録音資料を伝達し
 ないのが良いだろう。そして、同録音がソ連にあることも、や
 はり秘密にしなければならない。また、米国・日本は、先に指
 摘された物体(ブラックボックス)がわが国にあることを裏付
 ける証拠を持っているはずがない。
  今後その秘密を保全するために必要な措置をわれわれは探っ
 た。同事件と関連した問題が派生する場合、9月6日付のソ連
 政府声明で発表された立場を引き続き維持し、損害補償をいっ
 さい拒否しなければならず、また、挑発行為を計画した米政府
 に、犠牲者に対する責任をすべて転換させなければならない。
 同意を望む。    ――D・ウスチノフ M・チェブリコフ
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                ・・・[大韓航空 023]

2006年05月25日

米国が何かを企んでいたという証拠(EJ第1126号)

 大韓航空007便撃墜事件に対する米国の対応は、奇怪のひと
ことに尽きると思います。疑問はたくさんありますが、その中で
も大きな疑問は次の3つです。
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 1.米国は、大韓航空007便の航路逸脱を早い時点で知りな
がら、007便に連絡していないこと
 2.そして、大韓航空007便が撃墜されると、いち早く「全
員死亡」をソ連より早く公表している
 3.007便には米国の有力議員が複数搭乗する予定だったの
   に特定の議員以外予定を変更している
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 一番不思議なのは、米国が、007便が離陸直後から航路を逸
脱し、ソ連領空に侵入する恐れのある飛行をしていることを知り
ながら、007便に対し、何の警告もしていないことです。00
7便に米国人乗客が62名も乗っているにもかかわらずです。
 そして、サハリン上空で007便が撃墜されるや、世界のどこ
よりも早く、「007便はソ連戦闘機によってミサイルで撃墜・
全員死亡」を全世界に伝えているのです。以来、この事件は、米
ソともに「全員死亡」で口裏が合わされています。
 シフリンたちの007便の生存者情報が出ても、米国は、CI
A報告書なるものをでっち上げ、「そんなウワサがあることは百
も承知しているが、事実ではない」として、シフリン・レポート
を事実上抹殺してしまっています。
 実は、撃墜の事実を最初に掴んだのは、稚内の航空自衛隊なの
です。稚内の航空自衛隊では、レーダーサイトでとらえた007
便の航跡と、傍受したソ連戦闘機の通信内容などを分析し、事件
から7時間後の9月1日午前10時過ぎには、防衛庁から後藤田
正晴官房長官(当時)に「007便は空対空ミサイルで撃墜され
た」という報告を上げています。そして、中曽根首相(当時)も
報告を受けていたというのです。
 この情報は直ちに米国に伝えられたのですが、高度の軍事機密
である日本の通信傍受能力をソ連側に察知されるのはまずいとい
う判断から、撃墜の公表は伏せられています。
 ところが、米国政府は、撃墜の事実を掴んでいたのに韓国政府
に対しては、「乗客・乗員全員はサハリンに強制着陸」というウ
ソの情報を流しているのです。
 その意図はよくわかりませんが、これは米国がよくやる手なの
です。もく星号の遭難事故のときもそうです。当初米軍側は「乗
客・乗員全員救助」の情報を流して、日本国民の目をあらぬ方に
向けさせておいて、そのあとで「全員死亡」を伝えています。事
態が判明する前に、韓国政府にいろいろ動かれては困る――そう
いう意図があったのではないでしょうか。
 もうひとつ重要な事実があります。
 1983年9月1日〜3日にかけて米韓安保関係会議が開かれ
ていることは、EJ1122号をお伝えしています。実は、この
会議の正式名称は次の通りなのです。実務会議というよりも記念
行事であり、多くの米高官が招待されています。
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      米韓相互防衛条約30周年記念会議
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 この会議に出席するため、大韓航空007便を予約した米国議
員は次の4名です。
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    1.ラリー・P・マクドナルド下院議員
    2.ジェシー・ヘルムズ上院議員
    3.スティーブン・シムズ上院議員
    4.ニクソン元大統領
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 ところが驚くべきことに、マクドナルド下院議員以外の3名の
議員には、直前になってある筋から電話が入り、007便への搭
乗を中止しているのです。結局のところ、007便に搭乗したの
は、マクドナルド議員だけなのです。
 具体的にいうと、ヘルムズ議員とシムズ議員は、007便より
もソウル到着が27分遅い大韓航空015便に搭乗変更をし、ニ
クソン元大統領は訪韓自体を取りやめています。
 この事実は、1983年9月8日の産経新聞で次のように報道
されています。一部をご紹介します。
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  両議員(ヘルムズ&シムズ)はソウルでの米韓安保関係会議
 に出席のため、8月31日、ニューヨーク発の007便を予約
 していたが、国内の政治活動の都合により「数日前になって」
 (議会筋)31日、ロサンゼルス発のKAL015便に変更し
 たという・・・。ヘルムズ議員らが出発直前に搭乗便を変更し
 たことは、犠牲者の遺族の気持ちなどを考えて公表が差し控え
 られてきたようだ。
            ――1983年9月3日付、産経新聞
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1983年9月25日の朝日新聞は、モスクワ支局発の記事と
して、次の報道をしています。
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  ソ連領空を侵犯した大韓航空(KAL)機には、ニクソン元
 大統領も乗ることになっていたが、出発直前に搭乗をとりやめ
 た。これは事前に何らかの情報が告げられていたからに違いな
 い――スパイ飛行説を主張し続けるソ連は24日、こんな新事
 実を持ち出した。
           ――1983年9月25日付、朝日新聞
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 「数日前になって」ではないのです。搭乗直前にかかってきた
1本の電話によって、3人の議員たちは、次々と搭乗を中止して
いるのです。ソビエツカヤ・ロシア紙は、ニクソンの席が「第1
列B2席」であることまで報道しているのです。
                −−−[大韓航空 024]

2006年05