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このブログは、異文化研修の教育機関(株)インテック・ジャパンの情報発信用です。(株)イー・メディアとの提携により、同社のドキュメント・レポート「Electronic Journal」をウィークデイの毎日お届けします。
「Electronic Journal」は様々な情報を400字詰原稿用紙7枚にまとめて配信する日刊メールマガジンです。

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● 2006年06月 記事 ●

2006年06月01日

CFRの驚くべき人材パワー(EJ第1131号)

 RIIAとCFR――品よく、ごくオーソドックスにいえば、
前者は英国の、後者は米国の「シンクタンク」ということになる
と思います。しかし、RIIAとCFRは、いずれもシンクタン
クというよりも、それぞれの国を動かす「秘密結社」のイメージ
に近い存在といえます。
 最近刊の本に、米国のシンクタンクの現状について書かれてい
る次の本があります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   菅原出著/ビジネス社刊
   『日本人が知らないホワイトハウスの内戦』
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この本によると、CFR(外交関係評議会)を「エスタブリッ
シュの牙城」というタイトルを掲げて、CFRについて次のよう
に記述しています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 アメリカにある数あるシンクタンクの中で、「外交関係評議会
 (CFR)」ほど数多くのストリーを生み、「世界を操る秘密
 結社」「陰の政府」「巨大な陰謀組織」として、さまざまな陰
 謀説の主人公にされたシンクタンクも珍しいかもしれない。
               ――前掲の菅原出氏の著書より
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 CFRの目的は何でしょうか。同じ本で、菅原氏は次のように
述べています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 世界情勢に関する理解を深め、アメリカの外交政策に新しい思
 考をもたらし、次世代の外交政策リーダーを発見し育てること
               ――前掲の菅原出氏の著書より
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 CFRは、民主党員、共和党員を問わず超党派で構成され、当
時多くのこうしたエリートクラブのほとんどがユダヤ人を排除し
ていたのに対し、CFRは発足当初より著名なユダヤ人を積極的
にメンバーに加えていたのです。さらに「会議の内容を一切公開
しない」という原則があったことから、その秘密性が数々の憶測
を生む原因となったといえます。
 CFRの目的に「次世代の外交政策リーダーを発見し育てる」
という部分がありますが、CFRは多くの財団を創設して、そこ
から研究所や大学や金融機関に優秀な人材を送り込むのです。そ
の実態は、驚くべきものがあります。
 1969年刊の『帝国顧問団』という本には、次のように記述
されています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  CFRは、ブルッキングス研究所に理事22名、ランド研究
 所に理事29名、ハドソン研究所に理事14名、中東研究所に
 23名、ロックフェラー財団の理事19名のうち14名、カー
 ネギー財団の理事17名中の10名、フォード財団理事16名
 中の7名、ロックフェラー兄弟基金の理事11名中6名を送り
 込んでいる。
  プリンストン大学の学部にも58名の理事を配しており、以
 下、シカゴ大学69名、ハーバード大学30名他という具合。
 金融界(銀行)では、チェース・マンハッタン銀行の理事7名
 J・P・モルガン28名、ファースト・ナショナル・バンク7
 名、ケミカル・バンク6名、ブラウン・ブラザーズ・ハリマン
 銀行6名・・・・
             ――シャウプ著『帝国顧問団』より
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 米国政府が国家として重要な決定――どこかの国と戦争をする
ような決定の場合、さまざまなシンクタンクからの意見を集約し
ますが、CFRがこれほどの人材をシンクタンクや大学、それに
金融機関に配置していることから、CFRは政策決定に重要な影
響力を及ぼすことになります。そのため、CFRが米国という国
家を動かす「陰の政府」であるといわれることは、こういう事情
から納得できます。
 このCFRとRIIAが創設した機関のひとつに「国際連合/
国連」があります。現在の国連の前身の「国際連盟」は、第1次
世界大戦が終った1919年のパリ講和会議で誕生していますが
それはあくまで表の顔であり、その裏側でそれをコントロールす
る組織として、RIIAとCFRが設立されているのです。
 フェビアン協会という団体があります。この団体は、1884
年に英国で結成された漸進的社会改革を主張する社会主義者の団
体であり、英国労働党の母体のひとつとされています。1905
年にフェビアン協会の米国支部が設立されたのですが、この設立
にかかわった評論家のウォルター・リップマンたちが表の顔とし
て国際連合という名の国際協調組織を置き、その裏側でRIIA
とCFRの設立を画策したといわれています。
 つまり、国際協調主義という美名のもとに設立された国際連盟
に世界の注目を集めさせておき、RIIA、CFR設立の真の狙
いから巧みに世界の目をそらさせたのです。
 国際連盟はうまく機能しなかったのですが、これらの裏側の勢
力は国際連盟崩壊後に国際連合を結成させています。少なくとも
その当時国連のような組織は、RIIAやCERが世界外交戦略
を展開するときに不可欠な存在だったからです。
 話が大韓航空機撃墜事件と離れたように感ずる読者もいると思
いますが、実はこの事件の真相を解くにはRIIAやCFR――
とくにニューヨークのめ名門であるプラッツ家と深くかかわるC
FRの存在は欠かせないのです。
 また、米国と国連の関係――具体的には、米国合衆国憲法と国
連との関係も明らかにする必要があります。あの大韓航空機00
7便に乗っていたマクドナルド議員は、この合衆国憲法と国連の
関係を議会で説き、米国の国連脱退を主張したのです。どうやら
彼は、「虎の尾」を踏んでしまったのです。
                  −−−[大韓航空029]

「ホワイトハウスの内戦」.jpg

2006年06月02日

レーガン・ベクテル連合の目的は何か(EJ第1132号)

 4月19日から1ヶ月以上にわたって連載してきた大韓航空機
撃墜事件は本日が最終回です。問題は、「大韓航空機撃墜事件は
何が原因で起こったのか」――事故か、謀略かということです。
 これについて、今まで調べてきたことをまとめると、次の4つ
になります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1.この事件は偶発的な事故ではあり得ず、何者かがある目的
   のために何らかの工作をした結果起きたものである
 2.大韓航空007便のパイロットや乗員が何者かと共謀して
   スパイ目的で領空侵犯を起こしたものではないこと
 3.007便はサハリン上空でソ連戦闘機によってミサイル攻
   撃されたが、海上に着水し生存者がいることは確実
 4.生存者がいることについて、当のソ連と米国は最初から確
   認しており、両国で共謀しその事実を隠蔽している
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 それでは犯人は一体誰なのでしょうか。
 残念ながら、動かぬ証拠というものはありませんが、やはり一
番怪しいのは米国です。その根拠は、6月12日のEJ1126
号に掲載した3つの理由です。再現しておきます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1.米国は、大韓航空007便の航路逸脱を早い時点で知りな
がら、007便に連絡していないこと
 2.そして、大韓航空007便が撃墜されると、いち早く「全
員死亡」をソ連より早く公表している
 3.007便には米国の有力議員が複数搭乗する予定だったの
   に特定の議員以外予定を変更している
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 それでは、米国は何が目的でこのようなことをやったのでしょ
うか。その狙いとするものは何でしょうか。ここで米国とは、単
に米国ワシントン政府というよりも、レーガン政権+ベクテル連
合といった方が分かりやすいと思うのです。
 彼らは一儲けしたかったわけです。そのため、米ソの緊張関係
を一段と盛り上げる必要があったのです。それに、ソ連の防空体
制がどの程度のものであるかを情報として掴んでおきたかったと
いうことも確かです。それに加えて、レーガン政権+ベクテル連
合にとって都合の良くない議員にはこのさい消えてもらえば、一
石二鳥というわけです。
 いうまでもないことですが、ここで一儲けとは「戦略防衛構想
/SDI」のことであり、これに十分な予算をつけることです。
当時のベクテル社は後にスターウォーズ計画と呼ばれるMXミサ
イル・プロジェクトを極秘のうちに進めていたのです。
 そのためにレーガン政権としては、「ソ連の脅威」を声高に叫
ぶ必要があったのです。それが、ベクテル社の社長からレーガン
政権の国務大臣に乗り込んだシュルツに対する、上の組織(CF
RおよびRIIA)からの命令だったのでしょう。
 レーガン大統領は、ソ連を「悪の帝国」とののしり、領空を侵
犯したとはいえ旅客機をミサイルで攻撃するというソ連の残虐さ
を世界にPRし、MXミサイル・プロジェクトの予算化に成功し
ているのです。正確にいうと、1983年9月15日――007
便事件の2週間後、ベクテル社のMX計画を含む国防費支出権限
法案が成立しているのです。
 1983年9月16日の朝日新聞夕刊は、このことを次のよう
に伝えています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 アメリカ下院は、1984年国防費支出権限法案を、266対
 152で可決採択した。大韓航空機事件後の対ソ強硬姿勢を反
 映し、次期大陸間弾道弾(ICBM)MXや神経ガス兵器の開
 発、次期戦略爆撃機B1Bなど、レーガン政権のめざすものを
 網羅している。また、日本に対して、シーレーン防衛の能力を
 1990年までにもつようにとの意向も決議の中に組み込まれ
 ている。     ――1983.9.16付、朝日新聞夕刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 さらに、同じ朝日新聞の夕刊の紙面には、次のような記事も掲
載されているのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 アメリカ上院は15日、大韓航空機事件についてのソ連非難決
 議案を95対0で可決した。     ――上掲朝日新聞より
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ベクテル社からのシュルツの入閣の目的は、まさにこれであっ
たということができます。そして、2期目のレーガン政権は、こ
れといったポイントを上げないまま退陣し、かわって、ジョージ
・ブッシュ(父)が登場してくるわけです。
 しかし、こうした飛ぶ鳥を落とす勢いだったレーガン・ベクテ
ル軍団を批判するグループがこの時期にあらわれているのです。
「憂慮する科学者同盟」――これはRIIAとCFRの下部機関
であるTC(日米欧三極委員会)が設立したもので、RIIA、
CFRから見れば、孫の位置にある組織です。運営資金はカーネ
ギー、フォードの両財団とアスペン研究所から得ているのです。
 この「憂慮する科学者同盟」はレーガン政権の進める「スター
ウォーズ計画」の反対を表明したのです。また、ローマ・クラブ
の関連機関が発行する機関紙にも、同計画の反対表明が掲載され
たのです。
 しかし、「憂慮する科学者同盟」はCFRの下部機関ですし、
ローマ・クラブはCFRの外郭団体であり、レーガン・ベクテル
軍団とは、いわば身内の団体なのです。それが、なぜ、レーガン
・ベクテル軍団を批判したのでしょうか。
 これは、いわばアリバイづくりなのです。そういう反対する団
体もいないと、あまりにもみえみえだからです。そこまで、考え
ているのです。こうした米国のシンクタンク、団体については、
いずれテーマを改めて取り上げます。長期にわたった大韓航空機
事件は今回で終了し、来週からは別のテーマです。
                  −−−[大韓航空030]

2006年06月05日

JFAシンボルマークとヤタガラスの関係(EJ第883号)

 サッカーワールドカップ2006ドイツ大会は、いよいよ6月
9日からはじまります。F組に出場の日本は、6月12日にオー
ストラリアと対戦します。
 ところで、日本サッカー協会(JFA)が採用しているシンボ
ルマークをご存知ですか。日本代表選手のユニフォームには燦然
と輝く黄色いワッペンに何が描かれているのです。
 そこには、三本足のカラスがデザインされているのです。三本
足のカラスが二本足で立ち、もう一本の足でサッカーボールを押
さえている図柄です。(添付ファイル)
 このカラスの本当の名前は「八咫烏(ヤタガラス)」というの
です。ヤタガラスは、記紀神話に登場するカラスです。その神話
とは、神武天皇が東征するときの話なのですが、これについては
2001年4月2日のEJ587号でご紹介しています。しかし
ヤタガラスについては説明を省略したのです。
 九州を出発し、一路東に向かった神武天皇は、今の大坂のあた
りに上陸したのです。そこで先住民のナガスネヒコの軍と争いに
なり、それが全面戦争に発展します。しかし、このナガスネヒコ
の軍は強く、神武天皇の軍は退却を余儀なくされます。
 敗因を占った結果、天照大神の子孫でありながら太陽に向かっ
て軍を進め、戦をしたのが敗因であると出たのです。そこで、神
武天皇は、改めて戦略を練り直し、今度は太陽をつねに背負う形
になる南から攻め入ることにしたのです。具体的にいうと、難波
から紀伊半島を迂回し、熊野に上陸。そこから紀伊山脈を越えて
大和地方に入ることにしたのです。
 しかし、紀伊の山は道が険しく、神武天皇の軍は道に迷ってし
まいます。周囲には敵も潜んでおり、再び神武天皇の軍は窮地に
陥ってしまいます。そこに、どことなくあらわれたのが巨大なヤ
タガラスなのです。このカラスは、天照大神によって、神武天皇
を先導するよう使命を帯びていたのです。
 神武天皇はヤタガラスを神の使いと見抜き、それについていく
と、森を抜けることができ、吉野から大和に入れたのです。そし
て再びナガスネヒコと戦うのです。しかし、今回は太陽を背負っ
ての戦いであり、戦況は有利に運んで、ナガスネヒコの退治に成
功します。こういう経過から、ヤタガラスは勝利に導くシンボル
とされているのです。
 この再度の神武天皇とナガスネヒコの戦いにもうひとつ有名な
話が伝えられています。戦争が始まったとき一羽の金色の鳶(と
び)が飛来して、神武天皇の弓の先に止まり、あたり一面に金色
の光を撒き散らしたのです。ナガスネヒコ軍はこれによって戦意
を喪失したといわれているのです。そういう意味で、金色の鳶も
勝利のシンボルとされています。
 道を先導して勝利に導くヤタガラスと敵の戦意を喪失させて勝
利を決める金色の鳶――どちらも鳥が神武天皇を助けているので
す。このうち、金色の鳶については、のちに金鵄勲章にデザイン
されて一躍有名になります。
 それでは、日本サッカー協会はなぜヤタガラスをシンボルマー
クに採用したのでしょうか。
 それは、ヤタガラスが単に勝利に導くシンボルであること――
それはもちろんあります。しかし、それだけではないのです。そ
れは、明治時代に近代サッカーを日本に紹介した中村覚之助氏と
いう人物に関連があるのです。
 中村覚之助氏は、和歌山師範学校(現和歌山大学)を卒業後、
宇久井高等小学校の教師から東京高等師範学校に入学し、4年生
のときに米国の「アソシエーション・フットボール」という本を
翻訳して、そのうえで蹴球部を創設するのです。本は鐘美堂とい
う書店から、東京高等師範蹴球部の名前で出版されています。
 この本は当時、東京高等師範学校の運動部長であった坪井玄道
教授が海外視察のときに原書を手に入れ、帰国後、それを中村覚
之助氏に翻訳するよう託した結果、できあがったものなのです。
 当時、サッカーに似た競技はあったのですが、フットボールと
呼ばれており、ラクビーと渾然一体のスポーツだったのです。中
村覚之助氏は、正しいルールを記述した「アソシエーション・フ
ットボール」という本によって、日本で初めて「蹴球」というこ
とばを使ったのです。それ以後、現在のサッカー・スタイルの蹴
球は「ア式フットボール」または「ア式蹴球」と呼ばれるように
なったのです。
 中村覚之助氏は、和歌山県那智町(現那智勝浦町)浜ノ宮で生
まれています。ここには、ヤタガラスを祀る神社があるのです。
ちなみに神武天皇東征軍が上陸したのは那智勝浦海岸です。ここ
は熊野であり、ヤタガラスは、熊野三山――本宮大社、那智大社
速玉大社――では、霊鳥として祀られています。
 また、平安時代に「蹴鞠」の名人といわれた藤原成道は、その
技能向上を祈願するため、何度も熊野詣をしたと伝えられていま
す。つまり、熊野から日本サッカーの歴史が始まったといっても
過言ではないのです。そういう経過から、日本サッカー協会は、
その旗章にヤタガラスを使ったと考えられます。
 しかし、不思議なことに日本サッカー協会は、そのホームペー
ジにおいても、シンボルマークの三足烏は、中国の故事に基づく
ものとしか認めていないのです。日本サッカー協会は、昭和6年
にシンボルマークをデザインしており、図案の発案者は、当時の
東京高等師範学校の内野台巌教授を中心とする人々であるとされ
ています。
 内野台教授は、明治39年当時の蹴球部員であり、中村覚之助
氏をよく知る人の一人です。中村覚之助氏は、1906年7月に
中国から船で帰国する途中発病し、神戸で緊急入院したのですが
亡くなっています。まだ27歳の若さだったといいます。
 ヤタガラスについては、まだまだ述べることがあります。これ
を機会にもう少し古代史の世界をのぞいてみましょう。
                   −−−−[八咫烏01]

ヤタガラス.JPG

2006年06月06日

なぜ、ヤタガラスを頭に置くのか(EJ第884号)

 「八咫烏/ヤタガラス」の「咫」はヘンな字ですね。「尺」に
「只」という字をつけます。1尺は「寸」の約10倍でセンチに
直すと約30センチです。
 「1咫」は、手のひらの下端から先端までの長さで4寸――約
18センチ、「8咫」ですからこれを8倍すると144センチ、
ほぼ1.5メートルですから、ヤタガラスはかなり大きなカラス
ということになります。
 カラスは全身が黒、イメージは闇です。何となくうさんくさい
イメージです。しかし、神話の世界では光、太陽のイメージなの
です。ギリシャ神話でのカラスは太陽神アポロンの使いであり、
英国のワタリガラスは王家の紋章です。
 昨日のEJで、神武天皇の東征の神話の話をしましたが、実は
これとそっくりの話があるのです。それは『ブルターク英雄伝』
に書かれているアレキサンダー大王にまつわるカラスの伝説なの
です。アレキサンダーは紀元前4世紀にマケドニアの王子として
生まれ、25歳にして世界帝国の王として君臨した人です。
 アレキサンダー大王も東方遠征をしているのです。紀元前33
4年、イッソスの戦いに勝利したアレキサンダー大王は、そのま
ま地中沿いに南下し、エジプトに侵入し、プトレマイオス朝を征
服して自らファラオになることを決意します。ファラオは太陽神
アモンの子供であることを意味します。
 しかし、ファラオになるには、シバのアモンの神殿で託宣を受
けなければならないのです。そこで、アレキサンダーは、リビア
砂漠のオアシスにあるシバに向けて出発します。
 しかし、アレキサンダーの一行は、すさまじい砂嵐に巻き込ま
れて、道を見失ってしまうのです。このあたりの砂嵐は有名で、
1965年にアレキサンダー大王の行程をたどろうとしたドイツ
の探検家5人が死亡しているのです。
 もはやだめかと思われたとき、天空から一羽のカラスが現れて
先頭を飛び始めるのです。アレキサンダーは、藁をも掴む思いで
カラスの飛んでいく方向に進んでいくと、目指すシバのオアシス
にたどりつき、託宣を受けて、ファラオに即位したのです。
 これは、神武天皇の神話とそっくりです。天照大神とアモンは
ともに太陽神ですし、神武天皇とアレキサンダーはともに大王で
あり、ともに東方遠征をして道に迷い、カラスに救われる――本
当にそっくりです。
 これだけではないのです。神武天皇の神話とアレキサンダーの
伝説は驚くほど酷似しているのです。神武天皇が宇陀にやってき
たときのことです。敵地の土でお神酒を入れる瓶を作って神々を
祀れば、敵が降伏するという夢を見たというのです。神武天皇は
これにしたがい、配下に敵地の土を持ってこさせ、その土で瓶を
作ってお神酒を入れて神々を祀ったところ、敵が降伏してきたと
いうのです。
 これとそっくりな話がアルメニアの伝説にあります。アレキサ
ンダー大王は、ペルシャとの戦いの前日、神武天皇と同様の夢を
見るのです。アレキサンダー大王自身が敵地に侵入し、土を持っ
てきて酒杯を作ったところ、ペルシャ軍に勝ったというのです。
 これはもちろんアレキサンダーの話が先にあって、その話がペ
ルシャからインド、東南アジア、中国、朝鮮を経由して日本に入
ってきていると考えられます。
 今やカラスといえば、とくに都会では人間の敵というべき存在
ですが、カラスは太陽神の化身であり、神道においては祭祀氏族
のシンボルとなっています。また、カラスは聖霊の象徴としての
存在にもなっていたらしいのです。その証拠というべきものが、
日本の伝統的な「烏帽子」と「丁髷」(ちょんまげ)です。
 「烏帽子」は、「カラスの帽子」と書きますが、なぜ、カラス
なのでしょうか。かつて神道祭祀の者はもとより、日本人は正式
な場では、この烏帽子をかぶっていたのです。烏帽子には、身分
によって、次の3つに分かれています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
     1.烏帽子 ・・・・・・・ 貴族
     2.侍烏帽子 ・・・・・・ 武士
     3.梨子烏帽子 ・・・・・ 庶民
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これらの色はすべて黒ですが、これは黒い帽子だからカラスな
のではなくて、もともとカラスをかたどった帽子であるがゆえに
「烏帽子」なのです。この烏帽子のカラスは、天から舞い降りた
カラス、すなわち八咫烏(ヤタガラス)なのです。
 それでは「丁髷」はどうでしょうか。
 まず、「丁髷」は「髪」であり、これは、上、神、守、皇、頭
に通じますが、いずれも自分よりも上位の存在を意味します。髪
にしても人体の一番上の頭部にあるので、「カミ」と呼ばれるの
です。神道では、頭部は神の宿る場所とされているのです。
 それに日本人の髪の色は黒です。これはカラスの黒に結びつき
ます。女性の長い黒髪は「烏の濡れ羽根」というように頭に生え
た髪はカラスに結びつくのです。それをあえてもっとカラスに見
えるようにしたものが「丁髷」なのです。
 丁髷を想像して見てください。左右の耳際の「びん」はカラス
の両翼、はね上げの「たば」はカラスの尾、頭頂の「まげ」がカ
ラスの頭部をあらわしているのです。
 このように烏帽子と丁髷は、ともに人間の頭に宿る神、すなわ
ち、八咫烏を意味しているのです。頭に神の霊が宿っているので
す。この考え方は、カラスを太陽神の使いとみなす古代エジプト
でも同じです。古代エジプトのカフラー王の座像に翼で頭を抱え
るようにしている隼(はやぶさ)がいます。
 しかし、なぜ、八咫烏を頭に置いているのでしょうか。何か特
別な意味があるのでしょうか。      −−−[八咫烏02]

カフラー王と隼.JPG

2006年06月07日

ヤタガラスは陰陽道と関係がある(EJ第885号)

 「安倍晴明」がブームになったことがあります。安倍晴明を理
解するには、「陰陽道」について勉強する必要があります。実は
現在テーマとして取り上げている八咫烏(ヤタガラス)は、「陰
陽道」に深い関係があるのです。
 安倍晴明は「陰陽師」(おんみょうじ)ですが、陰陽師とは一
体何でしょうか。
 古来から日本では、徹底した二元論でこの世を読み解いてきて
います。それが陰陽道です。森羅万象、この世はすべて陰と陽が
あり、それによって成り立っているという思想です。人間の男と
女、電気のプラスとマイナス、磁気のN極とS極、空間の上下、
右と左、過去と未来、光と闇――すべて陰と陽です。
 陰陽道のルーツをたどると、中国の「道教」に行きつくのです
が、その道教の呪術体系が陰陽道であり、3〜5世紀ごろ渡来人
によって日本にもたらされたものです。
 陰陽道は、奈良時代の、いわゆる律令制のもとでは、その天文
学と暦法は政治の根幹に据えられていたのです。律令制のもとで
は、一般には太政官が一番エライ役職であると思われていますが
実は神祇官(じんぎかん)という役職の役人が事実上の最高権力
者なのです。
 神祇官は、神道の儀式を取り仕切る役人であり、神道の祭祀は
陰陽道に基づいて行われていたのです。当時国家の陰陽道は「陰
陽寮」(いんようりょう)と呼ばれる役所で行われており、陰陽
師はそこで働く公務員のような存在だったのです。
 安倍晴明は、生まれながらにして物怪(もののけ)を見抜く力
を持つ超能力や霊能力を持つ有能な陰陽師であり、賀茂忠行によ
ってその才能を認められ、忠行の子の賀茂保徳の下で陰陽道を修
行して、恐るべき才能を開花させたのです。
 この賀茂家というのは、陰陽道の宗家であり、京都には賀茂神
社があります。賀茂家の家紋は「葵」です。賀茂家の祭礼は葵祭
といわれ有名です。しかし、「葵の御紋」といえば徳川家の紋で
す。どうして徳川家が葵紋を使っているかについては、諸説があ
るそうです。
 この安倍晴明と並び称される陰陽師がいます。蘆屋道満という
陰陽師です。蘆屋道満は、安倍晴明と違って陰陽寮で働く陰陽師
ではなく、在野の陰陽師です。在野の陰陽師は全国を遊行して、
陰陽呪術の普及に務めたのです。
 安倍晴明と蘆屋道満は、同じ陰陽道であっても流派が違うので
す。これは、国家管理の陰陽道と在野の陰陽道の違いというわけ
ではないのです。この2つの流れは、それぞれの陰陽道のシンボ
ルマークが違うのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    安倍晴明 ・・・・・ セーマン/五 芒 星
    蘆屋道満 ・・・・・ ドーマン/九字切り
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 このように書くと、何か別の国の行事か古来の行事のように考
えるかも知れませんが、陰陽道の儀式というのは、現在の日本に
色濃く残っています。
 陰陽道では、数字には次の陰と陽があるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    陰 ・・・・・ 偶数
    陽 ・・・・・ 奇数 ⇒ めでたい儀式
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 神道ではおめでたい儀式には奇数を用いるのです。「753」
がそうですし、3月3日の雛祭り、5月5日の鯉のぼり――すべ
て奇数です。シンボルマークにしても安倍晴明は「5」、蘆屋道
満は「9」といずれも奇数です。
 さて、ここでややこしい話をしなければならないのですが、陰
陽道にも陰と陽があるのです。つまり、表の陰陽道と裏の陰陽道
があるのです。この分類では、安倍晴明のセーマンも蘆屋道満の
ドーマンも表の陰陽道なのです。
 裏の陰陽道――これは表の陰陽道とはすべてにおいて違うので
す。裏の陰陽道にはちゃんとした名前があります。その名前は、
次の通りです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
          カッパーラ=迦波羅
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 裏の陰陽道は、中心とする数字も陽数ではなく、陰数を使いま
す。具体的には次のようになります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  裏セーマン ・・・・・ 5+1= 6 ⇒ 六芒星
  裏ドーマン ・・・・・ 9+1=10 ⇒ 十 字
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 裏の陰陽道では偶数を使うので、五芒星が六芒星になります。
五芒星は「ソロモンの星」といわれていますが、六芒星は「ダビ
デの星」といわれ、現在のイスラエル共和国の国旗に描かれてい
る有名な星です。つまり、六芒星はユダヤの紋章なのです。
 この六芒星――日本では「カゴメ紋」といわれ、日本でも無関
係ではないのです。しかし、なぜ、ユダヤの紋章が遠く離れた日
本にあるのでしょうか。
 しかし、五芒星が六芒星になり、九字が十字になると、急にユ
ダヤ教とキリスト教の世界になるというのは面白いと思います。
何か普通の人が知らない隠された世界がそこにあるのです。
 すべてのことに陰と陽があるのであれば、神道にも陰の神道と
陽の神道があることになります。実は「八咫烏」は陰の神道――
裏の神道に深いかかわりがあるのです。しかし、このことを明ら
かにするには、もう少し前提知識が必要になります。
                   −−−[八咫烏003]


捲竓星/九字切り.jpg

2006年06月08日

漢波羅の本拠地は下鴨神社である(EJ第886号)

 昨日のEJで、陰陽道自体の陽と陰――すなわち、表の陰陽道
と裏の陰陽道があるという話をしました。この表の陰陽道の使い
手が陰陽師です。彼らには陰陽寮という役所に仕える役人のよう
な存在の陰陽師と在野の陰陽師があります。有名な安倍晴明は正
式な陰陽師、すなわち陰陽寮に仕える陰陽師です。
 ところが裏の陰陽道というものがあります。この裏の陰陽道の
ことを「迦波羅」(カッバーラ)といい、カッバーラの使い手を
「漢波羅」というのです。まとめておきます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
     陰陽師 ・・・・・ 表の陰陽道の使い手
     漢波羅 ・・・・・ 裏の陰陽道の使い手
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 日本では、「カッバーラ」ではなく、「カバラ」という名称で
次のようなものが伝えられています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
     カバラ・タロット     カバラ占い
     カバラ数秘術       カバラ占星術
     カバラ魔術        カバラ恋愛術
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これらは本物のカッバーラではなく、カッバーラから派生した
枝葉末節の呪術に過ぎないのです。専門家によると、この手のも
の――とくにタロットなどは、興味本位でもてあそぶのは危険で
あると警告しています。何かの拍子に魔界に入ってしまう恐れが
あるからです。「コックリさん」という遊びをやっていて、そう
なってしまった人が実際にいるからです。
 ちなみに、イスラエルでは「カッバーラ」は「領収書」のこと
であり、あくまでも相手から差し出され、受け取るものをいうの
です。これを人間と神の存在におきかえると、カッバーラとは神
から人間に与えられる知識(叡智)であり、それなりの修行をし
勉強してはじめて手にすることができるものとされます。そして
神からカッバーラの奥義を授けられた者が「預言者」といわれる
のです。預言者とは「神の言葉を預かる者」という意味です。こ
の「神の言葉」こそカッバーラなのです。
 カッバーラは、預言者の間でのみ口頭伝承されてきており、イ
エス・キリストからその弟子に伝えられ、現在まで継承されてき
ています。中でもイエス直系の教えを受けているとされるのが、
エルサレム教団であるといわれます。
 日本には、神道というかたちでカッパーラが根付いていますが
問題はそれがどこから、誰からもたらされたものかということで
す。表面上神道は日本古来のものであるとされていますが、渡来
人が日本に持ち込んだものという説が有力なのです。そして、そ
の渡来人は「秦氏」という一族であり、そのルーツは、歴史の舞
台から姿を消したエルサレム教団――失われたイスラエルの十二
支族にたどりつくといわれているのです。
 それはさておき、神道には表と裏があるように、神社にも表と
裏があります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      表神道の頂点 ・・・・・ 伊勢神宮
      裏神道の頂点 ・・・・・ 賀茂神社
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 神社の総本山はよく知られているように、伊勢神宮ということ
になっています。これが表神道の頂点ということになります。こ
れに対して、裏神道の頂点は京都の賀茂神社です。いい換えると
賀茂神社は、裏神道の呪術、「迦波羅」(カッバーラ)の使い手
の本拠地ということになります。
 既に述べたように、カッバーラの使い手を漢波羅というのです
が、漢波羅はすべて賀茂氏なのです。その賀茂氏が崇拝する神社
の中枢が賀茂神社なのです。
 伊勢神宮の本殿は、「内宮」と「外宮」があり、その周りに数
多くの別宮や摂社、末社が配置されています。賀茂神社について
も本殿は次の2つがあり、境内には数多くの摂社があります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  1.下 鴨神社
  2.上賀茂神社
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これら2つの本殿は、「下上賀茂神社」(げじょうかも神社)
というのですが、下鴨神社が「下賀茂神社」ではないというのは
興味深いものがあります。
 本来、賀茂氏の「カモ」は、「加茂」、「迦毛」、「加茂」、
「可毛」などと表記しますが、その真に意味するところは「鴨」
――つまり、鳥であるということです。神道祭祀にかかわる氏族
は、何らかのかたちでシンボルとして「鳥」とかかわってくるの
です。それは、鳥が天と地を行き来できる存在であり、神と人と
の間を取りもつ象徴として意義があるからです。
 繰り返しますが、重要なことは、伊勢神宮と賀茂神社が表裏一
体の関係にあるということです。表の神道において全国の神社の
頂点に立つのは伊勢神宮ですが、裏神道において事実上全国の神
社の頂点に立ち、実質的な権限を握っているのは賀茂神社なので
す。いわば、神道界の総元締め的存在が賀茂神社といえます。
 なぜなら、天皇が天皇になるためにもっとも重要な儀式といわ
れる「大嘗祭」を主催し、そのすべてを取り仕切っているのは、
宮内庁でも伊勢神宮でもなく、京都の賀茂神社――それも、天皇
の儀式のいっさいを執り行うのは下鴨神社なのです。
                   −−−[八咫烏004]

下鴨神ミ.JPG

2006年06月09日

鳥居は『鳥が居る』ということである(EJ第887号)

 昨日、下鴨神社は実質的に神道の総元締めのような存在である
という話をしました。今回の古代史の話は、「八咫烏(ヤタガラ
ス)」の話から入っていますので、ときどき話を整理しながら、
八咫烏と結びつけていきます。
 実は下鴨神社は八咫烏を祀っているのです。下鴨神社の主祭神
の1人「賀茂建角身命(かもたれつねみのみこと)」は賀茂氏の
祖先であり、この主祭神が八咫烏なのです。賀茂建角身命は神武
天皇の母である玉依姫(たまよりひめ)の父親に当たります。と
いうことは、神武天皇の祖父に当たるわけです。神武天皇が八咫
烏に助けられたという神話は、神武天皇の祖父が八咫烏となって
孫の神武天皇を助けたということになります。
 下鴨神社は、漢波羅の本拠地ですから、その神社が祀る賀茂建
角身命は漢波羅の親玉的存在ということになります。つまり、大
漢波羅というべき存在です。ここで、留意していただきたいのは
賀茂建角身命だけが八咫烏というわけではなく、代々引き継がれ
て、それはある集団を指すようになってきていることです。
 つまり、八咫烏とは、下鴨神社に属して陰陽道をきわめ、カッ
バーラを知り尽した漢波羅の集団の名称と考えるべきなのです。
もっと具体的にいうと、漢波羅の中でももっとも優秀な漢波羅が
構成する秘密組織なのです。
 そして、重要なことは、この秘密組織は昔存在しただけではな
く、現在もなお存在するということです。もちろん、秘密組織で
すから、ひそかにそれは存在するのです。
 それでは、秘密組織八咫烏は、何を目的としていまもなお存在
しているのでしょうか。
 八咫烏の使命は、「この国――日本を存続させること」あるの
みです。天皇を裏で支え、神道を根幹として霊的な呪術をはりめ
ぐらすのです。この秘密組織の一団は、下鴨神社を拠点としてひ
そかに活動しているといわれます。皇室の存続と神道の擁護のた
めに彼らは働いているのです。あなたは、信じられますか。
 ところで、神社には「鳥居」があります。鳥居は文字通り「鳥
が居る」という意味です。何のために居るのかというと、それは
不審者が入ってこないよう監視しているのです。
 家の中の部屋の門というべきものに「鴨居」があります。これ
また「鴨」――鳥が登場します。神社の参道にはいくつもの鳥居
があり、家の中にもいくつも鴨居があるように、奥の院、奥の部
屋にたどり着くには、いくつものトビラを開かなければならない
わけです。それらのいくつものチェックポイントで、八咫烏が目
を光らせているわけです。
 この八咫烏の存在を知ったうえで日本史を調べると、そこには
ぜんぜん別の歴史が展開されているのを知ることができます。少
なくとも日本の歴史においてかつて権力を握ったものは、この八
咫烏のめがねにかなった人物だけなのです。
 日本最古の神社のひとつに、奈良の大神(おおみわ)神社とい
うのがあります。一度EJで取り上げたことがある神社です。大
神神社には本殿はなく、ご神体は三輪山にあり、山そのものを遥
拝するために拝殿があるのみです。そして、三輪山の麓に鳥居が
立っているのです。
 添付ファイルを見ていただくと分かるように、この鳥居は非常
に変わっています。3つの鳥居が横一列に合体しているのですが
鳥居の足は4本しかないのです。中央の鳥居だけは大きく、左右
の鳥居は小さいのです。これを「三ツ鳥居」と呼んでいます。
 なぜ「三ツ鳥居」なのかというと、大神神社は三神を祀ってい
るからです。三神とは次の通りです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       和魂 ・・・・・ 大物主神
       幸魂 ・・・・・ 大己貴神
       奇魂 ・・・・・ 少彦名神
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 正面の一番大きな鳥居が大物主神、向かって右の小さな鳥居が
大己貴神、左の鳥居が少彦名神です。それでは、「和魂」、「幸
魂」、「奇魂」とは何でしようか。
 神道では、神の御魂を次の二つに分けています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    和魂(にぎみたま) ・・・ 神の和やかな魂
    荒魂(あらみたま) ・・・ 神の荒らぶる魂
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「和魂」というのは神の和やかな魂のことです。自然界におけ
る恵みや幸といった人間を祝福する側面です。人間が神社を参拝
して神に願い事をし、感謝を捧げる対象としての神です。
 「荒魂」というのは神の荒らぶる魂のことです。自然界におけ
る嵐や暴風雨、天変地異という激しい破壊的な側面です。このう
ち、「和魂」は、さらに次のように2つにわかれます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   幸魂(さちみたま) ・・・ 目に見える物質的側面
   奇魂(くしみたま) ・・・ 目に見えぬ精神的側面
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「幸魂」は、動植物が成長し繁栄していくことを示す、物質的
側面のことです。これに対して「奇魂」は目に見えないもの――
人間のもっている愛情や動植物の生命力、または死んだ人の霊魂
をつかさどる御魂です。
 この大神神社の氏子のひとりに「サントリー」の創業者、鳥居
信治氏がいたのです。鳥居姓は大神神社の三ツ鳥居にあるのです
が、社名の由来は次のように決まったといわれます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      三ツ鳥居 ⇒ 三鳥居 ⇒ サントリー
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 実はこの「3」という数が八咫烏に大いに関係があるのです。
                   −−−[八咫烏005]

三ツ鳥居.JPG

2006年06月12日

秦氏創建の神社と賀茂氏の関係(EJ第888号)

 9日に八咫烏の正体は、下鴨神社に帰属して陰陽道をきわめ、
カッバーラを知り尽くした漢波羅たちによって構成される秘密
組織であり、その組織は現在もなお存続しているということを
述べました。
 にわかには信じられないという方がほとんどでしょうが、少
しずつ事実を明らかにしていきます。こういう組織が存在する
ことで分かることは、神道にはさまざまな重要な儀式があって
そういう儀式をどのようなことがあっても守るという強い意思
が働いていることを感じます。
 謎を解くひとつのカギは、下鴨神社です。既に述べたように、
この神社は裏神道を仕切る賀茂氏の神社です。下鴨神社の境内に
は深い緑の森があります。この森は「糺の森」(ただすのもり)
と呼ばれています。「糺(ただす)」というのは、身を糺すとい
う意味であり、毎年土用の丑の日、境内の池では人々は手足を水
に浸して汚れを祓い、無病息災を祈るのです。
 実は、京都にはもうひとつ「糺の森」があるのです。それは、
右京区太秦にあるのですが、この森は「元糺の森」とよばれてい
ます。「元糺の森」も神社の境内にあり、それは次の神社です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  木嶋坐天照御魂神社
  このしまにいますあまてるみたま神社
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この神社の摂社を「養蚕神社」(こかいじんじゃ)というので
すが、この神社は呉服屋、三井家によって崇拝されているところ
から、地元では「蚕の社」として知られています。三井家は蚕の
社の氏子なのです。
 この蚕の社は秦氏によって創建されている神社なのですが、こ
こには奇妙な鳥居が立っています。それは三柱鳥居といって立体
的に3基の鳥居が合体しています。3本の柱によって、三角形の
空間を囲んでおり、一種の結界を形成しているのです。
 三柱鳥居が立っている神社は全国にありますが、そのほとんど
は再建されたものであるのに対し、古代まで遡れるものとしては
蚕の社の三柱鳥居が唯一のものです。
 さて、蚕の社にある「元糺の森」ですが、「元」とあるように
こちらが本家であることを示しています。調べてみると、もとも
と「糺の森」は蚕の社にあったのですが、9世紀の初頭、嵯峨天
皇のころ、糺の森は下鴨神社境内に移ったのです。いうまでもな
く、森そのものが移動したわけではなく、名前だけが移動したの
です。そのため、蚕の社の森は「元糺の森」と称せられるように
なったのです。
 糺の森という名前が移動したといっても、コトは神社の話であ
り、そこに祀られている御魂――すなわち、祭神が移動したと考
えるのが自然です。つまり、蚕の社――木嶋坐天照御魂神社は、
元下鴨神社だった可能性が強いのです。
 それは、蚕の社の社紋が下鴨神社の社紋と同じ「二葉葵」であ
ることが、そのことを何よりも証明しています。蚕の社を祀る秦
氏と下鴨神社の賀茂氏との間には、表に出ない何か深い関係があ
ると考えてよいと思います。
 既に述べたように、三井家は蚕の社の氏子ですが、三井家と同
じ名前の三井神社は、下鴨神社の摂社なのです。そこには、賀茂
建角身命と伊可古夜日女と玉依姫の3人が祀られているのです。
とても偶然とは思われませんし、明らかに同族であると考えてよ
いと思います。
 ところで、「葵の御紋」といえば徳川家の家紋です。しかし、
徳川家の紋は「三葉葵」です。どうして、徳川家がこの紋を使っ
ているのかについては諸説があります。徳川家康は、三河の松平
家の本流といわれていますが、その出自にはいろいろ、疑問があ
るのです。
 歴史家の村岡素一郎氏の研究によると、徳川家康はもともと松
平氏とは関係のない「世良田二郎三郎元信」と称する男であり、
この男が松平当主であった信康を暗殺して岡崎城主になったとい
うのです。この真偽は定かではないですが、家康がいろいろ系図
操作をしていることは確かなのです。
 ところで、葵を家紋としていたのは、徳川四天王のひとりであ
る本多正信です。本多氏は賀茂神社の神官の一族であり、そのル
ーツは賀茂氏、その家紋は「立ち葵」です。そこで、家康は本多
家にあやかって葵を家紋としたといわれているのです。
 しかし、これとても真相であるとは思えないのです。むしろ、
徳川家も賀茂氏の系統で、配下に陰陽師や漢波羅を抱えていたと
する説の方が説得力があります。EJ887号でも述べたように
およそ日本の歴史において、今まで権力を握ったものは、そのす
べてが秘密組織「八咫烏」の力を借りているからです。したがっ
て、徳川家康がそれと無関係であることは考えられないのです。
 さて、秦氏の創建による蚕の社の祭神が下鴨神社に移ったとい
う事実――それが真実であれば、秦氏と賀茂氏はつながっている
ことになります。いや、つながっているというより、賀茂氏は秦
氏そのものであることも考えられるのです。
 5月15日に京都では、平安時代の貴族に扮した人々が街を優
雅に練り歩く祭礼「葵祭」があります。この葵祭を主催している
のが下上賀茂神社なのです。この日天皇の命を受けた勅使が下上
賀茂神社に出向き、神殿において御祭文や祝詞、東遊舞などを奉
納する社頭の儀というものが今でも行われるのです。それに加え
て、5月12日に下鴨神社で行われる秘祭があるのです。これが
葵祭で行われるもっとも重要な儀式となっています。
 2002年6月23日のNHKスペシャル「アジア古都物語」
で、水に関して、下鴨神社のこの秘祭と葵祭が取り上げられま
した。ご覧になったでしょうか。     −−−[八咫烏06]

のミと三柱鳥居.JPG

2006年06月13日

童謡『とおりゃんせ』の深い謎(EJ第889号)

 2002年6月23日−−夜のNHKスペシャル「アジア古都
物語」 テレビに登場した鴨氏は、謎の渡来人といわれる秦氏に
つながる一族――というか、秦氏そのものなのです。秦氏は高度
な土木建築の技術も持っており、京都の水についてもコントロー
ルしていたのです。なお、5月12日に下鴨神社で鴨氏がやって
いた水の行事は、御蔭祭(みかげまつり)といって裏神道の秘祭
であり、よくテレビで公開したものだと思います。秦氏について
は、さらに研究する必要があると思います。
 なお、葵祭に参加するのは、下上賀茂神社だけではなく、松尾
大社も参加します。この松尾大社を創建したのも秦氏――秦都理
という人です。そして、上賀茂神社、下鴨神社、松尾大社の3つ
を「秦氏三所明神」といっているのです。
 さて、『童謡の謎』(合田道人著、祥伝社刊)という本がよく
売れているそうです。昔から何気なく歌っている誰でも知ってい
る歌が、意外なメッセージを伝えているということはよくいわれ
ます。ところで、次の歌を知らない人はいないと思います。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ――とおりゃんせ、とおりゃんせ
   ここは、どこの細道じゃ
   天神様の細道じゃ
   そっととおして、くだしゃんせ
   御用のない者、とおしゃせぬ
   この子の七つのお祝いに、お札を納めに参ります
   行きはよいよい 帰りは怖い
   怖いながらも、とおりゃんせ、とおりゃんせ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この歌の解釈は、『童謡の謎2』に20ページを使って説明が
出ています。合田道人氏の解釈については改めて述べますが、以
下にご紹介する解釈は、合田氏とはぜんぜん別の解釈です。
 誰でも知っている歌ですが、歌の意味を考えてみると、よくわ
からないことがたくさんあります。それに、とても不気味な歌だ
と思いませんか。実はこの歌は、陰陽道やカッバーラに深く関係
している歌なのです。
 ご存知のように、この歌は遊戯が伴っています。最近の若い人
は知らないと思うので、ご紹介しましょう。
 ふたり一組になった子どもが手をつなぎ、それを門のように上
にかかげます。残った子どもたちは歌を歌いながらその門の下を
次々と通り抜けるのです。歌が終わると、ふたりの子どもの両手
は下ろされ、門は閉じられます。このとき、両腕の間に挟まった
子どもは「鬼」になってしまうのです。こういう遊戯です。
 この遊戯で「鬼」になるということは、この世のものではなく
なることを意味しています。「鬼」は陰府へ至る死者を暗示して
いるのです。
 この歌は対話形式になっていますが、子どもを連れた母親が神
社の門番と対話しているイメージがあります。この神社の門番と
は「鳥居」なのです。鳥居には人間の目には見えない鳥がつねに
居り、不審者が近づこうとすると姿をあらわし、誰何する――と
いうわけです。どこに近づこうとするかというと、神道奥義であ
り、そこに接近しようとする者を警戒するのです。神社の奥の院
にはそういうものがあるからです。
 この歌には、いくつもの謎があります。大きく分けると、次の
3つです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  1.天神様の細道
  2.七つのお祝い
  3.行きはよいよい、帰りは怖い
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 まず、「天神様」と何でしょうか。「天神様」といえば、菅原
道真のことですが、これをそのように解釈すると、もっとわから
なくなってしまいます。
 これは、素直に「天の神」というように解釈すべきです。もう
少し正確にいうと、天神とは「造化三神」のことです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  1.天之御中主神 ・・・ あめのみなかぬしのかみ
  2.高御産巣日神 ・・・ たかみむすびのかみ
  3.神 産巣日神 ・・・ かみむすびのかみ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 昨日のEJで蚕の社の境内の池に立つ三柱鳥居の写真をご紹介
しましたが、その写真をよく見ると、三柱鳥居の中心には、根元
に積み石がしてあります。これは天之御中主神を祀っているので
す。この神は、この世の初めに誕生した唯一の神であり、神道の
絶対神といわれます。
 天之御中主神と同時に、高御産巣日神と神産巣日神があらわれ
三神を構成しています。蚕の社の三柱鳥居はこの三神をあらわし
ているのです。これらの神は、神道では宇宙の根源的な絶対神と
されているのです。
 それでは「細道」とは何でしょうか。
 実はここは、聖なる神々に関する神道の叡智を試す試練所なの
です。誰でもそれに挑むことはできますが、それに合格すること
は困難であるということをいっているのです。すなわち、合格す
るのが難しいということを「細道」と呼んでいるのです。
 それでは、そんなところになぜ7歳の子どもを連れて行くので
しょうか。それは、ここでいう「七」が「七五三」の行事を意味
しており、この七五三の行事こそ神道の重要な儀式に他ならない
からなのです。         −−−[八咫烏07]

童謡の謎/2.JPG

2006年06月14日

七五三にかかわる神道奥義(EJ第890号)

 「天神」についてもう少し詳しく述べる必要があります。出典
は「古事記」です。
 最初にこの世にあらわれたのは、天之御中主神です。この神と
同時に高御産巣日神と神産巣日神があらわれたのです。これらの
三神を「造化三神」といいます。ここまでは復習ですが、最初に
「3」という数字が出たことに注目していただきたいのです。
 造化三神に続いて、次の二神があらわれます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1.宇摩志阿斯訶備比古遅神 うましあしかびひこじのかみ
 2.天常立神 ・・・・・・ あめとこたてがみ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この時点で、この二神と造化三神とあわせて五神――「5」と
いう数字が出たことに留意していただきたいと思います。
 これらの五神が姿を隠すと、さらに二神が姿をあらわします。
国之常立神と豊雲野神です。そのあとは、男女のふたりワンセッ
トで神々が次々と姿をあらわすのです。この場合は男女一神と数
えます。七番目の神は「イザナギ命」と「イザナミ命」です。
 「古事記」では、国之常立神から、「イザナギ命」+「イザナ
ミ命」までを「神代七代」と記述しています。「3」「5」とき
て、ここでやっと「7」があらわれます。ここで「七五三」の数
字がすべて揃ったわけです。
 神道では、いわゆる「八百万の神々(やおよろずの神々)」と
は聖別して「七五三」の神々のことを「天神」というのです。こ
の造化三神と神代七代までの間に、想像を絶するような神道奥義
が凝縮されているのです。
 このように考えてくると、「とうりゃんせ」の歌の最初の部分
は解けてきます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ――通してください 通してください
   ここは、何を試すところですか
   聖なる神々に関する神道の叡智を試す厳しい場所です
   志と覚悟のできていない者を受け入れることはできない
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ここまでは解けるのですが、「七五三」のところが難解です。
七五三――これらの数字に凝縮された神道奥義とは一体どのよう
なものでしょうか。
 一般的には、七五三とは、子どもの成長を願うお祝いのことで
す。数え年で男の子は三歳と五歳、女の子は三歳と七歳の11月
15日に晴れ着で神社に参詣する習わしのことです。
 実はこれは見せかけであり、子どもの儀式のことではないので
す。本当の意味は別のところにあります。この歌は、神道奥義の
何らかの試験のことを歌っており、それも七五三にかかわる試験
なのです。
 七五三にかかわる神道奥義――といってもピンとこないと思う
ので、その基本をひとつ示すことにします。それは「魔方陣」と
いわれるものです。
 神道における数字は、1〜9までで基本的には一桁です。二桁
以上の数はそれぞれを加えて、一桁の数になるまで加えます。例
えば、2002年6月26日は次のように計算します。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   2+0+0+2+6+2+6=18→ 1+8=9
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 そこで、一桁の数字1〜9までを3行3列の升目に入れて、な
おかつ、縦横斜めの3つの数字を足しても、みな同じ数になるよ
うにすると次のようになります。これを3次魔方陣といいます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
           6 7 2
           1 5 9
           8 3 4
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この3次魔方陣では、四隅の数字はすべて偶数であり、残りの
数字は奇数となります。そして、縦横斜めの合計はいずれも15
になるのです。七五三のお祝いが11月15日に行われる理由は
ここにあります。
 この魔方陣は、古今東西に共通する呪術アイテムのひとつであ
り、東洋においてはあの諸葛孔明が駆使したといわれる奇門遁甲
術、九星気学、易などの基礎となっているのです。
 15という数を1+5で一桁の数に直すと、「6」になります
が、神道では「6」は人間の数字であり、「7」は完全数といっ
て、神の数字なのです。つまり、「6」は「7」に1足りない数
字なのです。ですから、「七つのお祝い」とは、試験が人間のこ
とではなく、神にかかわるものであるということがわかります。
 1〜9の数の世界は人間が活動する「この世」のことであり、
3×3の魔方陣は漢字の「囲」を表現しています。「囲」が示す
ように、この宇宙が無限ではなく、有限の閉じた世界であること
も暗示しています。
 神道奥義というのは、この魔方陣をはじめとして、陰陽五行説
カッバーラの数秘術ゲマトリアなど、複雑にからまっており、そ
れをすべて極めるのは容易なことではないのです。これらについ
て私は若い頃から勉強はしていますが、その奥は深く大変深遠な
世界であるといえると思います。
 神道奥義を極める試験――これに極めて類似しているのはモー
ツァルトの歌劇「魔笛」です。もともとこのオペラは、フリーメ
イソンの入会儀式を描いたものとして有名ですが、それにしても
よく似ていると思います。
 3つの神殿(叡智、理性、自然)にはそれぞれ門番がおり、門
番と問答をして、やっと門をくぐると、今度はさまざまな試験が
用意されている――そっくりです。仮に八咫烏という秘密組織を
フリーメイソンにたとえると、その性格は酷似していると思うの
です。フリーメーソンについては、現在、EJ/BLOGで毎日
連載をしています。
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     http://electronic-journal.seesaa.net/
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2006年06月15日

『とうりゃんせ』の由来は多くある(EJ第891号)

 童謡「とうりゃんせ」の「七つのお祝い」の部分は、子どもの
7歳のお祝いの儀式ではなく、神の数「7」にかかわる神道奥義
の試験を意味するという話をしました。天神にいたる道は細く閉
ざされており、文字通り狭き門なのです。
 それでは、「行きはよいよい、帰りは怖い」というのは、どう
いう意味でしょうか。神道の研究家によると「試験に合格すれば
よいが、合格しないと五体満足で帰れる保証はない」という意味
だと述べていますが、いまひとつ説得力がないと思います。
 『童謡の謎2』の合田道人氏は、この部分をどのように説明し
ているのでしょうか。ご紹介しておきたいと思います。
 合田氏は、この歌の発祥地は、現在も埼玉県川越市にある三芳
野神社であるといっています。ちゃんと天神様を祀っており、細
道もあるというのです。三芳野神社は昔からあったのですが、長
禄元年(1457年)に川越城が建てられて、三芳野神社は川越
城の城内に移されているのです。合田氏の説明は、ここがキーポ
イントになるのです。
 「とうりゃんせ」は、もともと川越城内の子女を遊ばせるため
に作られたわらべ歌であるといいます。城内の子女を意識的に外
部とのふれあいから避けるために作られ、子どもを遊ばせた歌で
あるというのです。
 城外の市民が三芳野神社に参詣できないわけではないのです。
しかし、神社は城内にありますから、門番にいちいち誰何され、
参詣の目的を聞かれる――このように考えると、つじつまが合っ
てきます。
 七五三は、当時の子どもは抵抗力が弱く、医学も発達していな
かったので、三歳まで生かせていただいた、五歳まで生かせてい
ただいたというように、神社にお礼に行くというのが、当時の習
わしだったのです。
 この七五三のお参りに三芳野神社に行くとき、門番にわけを話
して入れてもらうのですが、城を警備する武士からみると忍びか
もしれないし、警戒すべき対象となるわけです。子連れの親とし
ては「怖い」わけです。しかし、それなら、「行きはよいよい」
とならず、「行きも怖いし、帰りも怖い」となるはずです。この
帰りだけが怖い理由としては、帰りに城外に出るとき厳しい持ち
物検査などをされたからという説もあります。
 しかし、「とうりゃんせ」の川越発祥の地説はいくつかの点で
難があるのです。というのは、この歌は日本全国くまなく広がっ
ているという点です。川越から広がって行ったといっても日本全
国くまなく広がるものでしょうか。
 それに三芳野神社は城内にあるという特殊事情があり、そうい
うことで歌の意味が通じるのですが、これは一般的ではないと思
います。だいいち、子どもの七つのお祝い程度のことで、一般人
を城内に入れるでしょうか。仮にもし入れたとしても、一年に一
度か二度の特殊の日――例えば、大祭の日などに厳重な監視付き
で許可する程度だと思います。
 それに日本全国には、「とうりゃんせ」発祥の地というのが川
越のほかにもあるのです。ひとつ例をあげると、小田原市国府津
に正暦5年(994年)開基といわれる菅原神社があるのですが
ここには「わらべうた 通りゃんせ 発祥の地」という石碑が立
っており、歌詞も刻まれているのです。
 ここを発祥の地とした場合、通す通さないのやりとりは、箱根
の関所ということで理解できます。合田氏は、この菅原神社を発
祥の地とすると、「細道」とは箱根の山の街道のことではないか
といっています。箱根の関所から歩けば、国府津の菅原神社まで
4時間から5時間はかかるはずです。
 関所は、今の時間で午前6時から夕方4時まで(明け六つ〜夕
七つ)でしたから、朝6時に関所を出て4時間歩いて神社に参拝
し、2時間休んで引き返すと関所の閉門ぎりぎりになってしまう
のです。それに、行きは下り坂ですから「よいよい」ですが、帰
りは登り道ですから、ヘトヘトになってしまいます。
 これが「行きはよいよい、帰りは怖い」という意味ではないか
というわけです。合田氏は歌の中の「怖い」は「こわい」――疲
労困憊という意味ではないかといっています。北海道では、「疲
れた」ということを「こわい」というからです。しかし、関所と
いう制度は江戸時代に作られており、そういう点では年代的には
疑問があります。
 とにかく諸説があるのですが、いずれも決め手はないのです。
しかし、日本全国隅々まで、いやそれどころか現代にいたるまで
「とうりゃんせ」の歌は完全に日本人の頭の中に浸透しているわ
けです。ある発祥地が長い間にわたって、少しずつ浸透していっ
たということでは説明がつかないのです。それよりも、ときの権
力者(天皇)が明確な目的をもって全国に浸透させたと考える方
が納得がいくと思うのです。
 やはりこの歌は、神道奥義を問う試験に関連して、志のある者
がこれに挑戦するということを意味しているのではないか――そ
のように考えます。
 関所の話が出てきたので、少し脱線します。テレビでお馴染み
の杉浦日向子さんの話ですが、当時関所に関して、「入鉄砲と出
女」ということがいわれたのです。どういうことかというと、関
所の役割は、江戸に入る鉄砲と江戸を出る女を厳しく取り締まる
ことだったのです。鉄砲はわかるとして、なぜ、江戸を出る女を
取り締まったのでしょうか。
 それは、江戸幕府は、各藩主が人質として江戸の邸宅に残して
いる妻や娘が国許にこっそり帰るのを警戒したのです。女の場合
化粧をして風貌を変えたり、汚い着物を着て卑賤の者に姿を変え
ることができます。なぜなら、遊女や芸人などは比較的簡単に通
してくれたからです。それに比べれば男に対して関所は寛大であ
ったそうです。ですから、男装をして出ようとする女もいたので
す。それに、奉行所には女性は絶対に入れなかったのです。もち
ろん、奉行所には女性の職員はいないのです。
                    −−−[八咫烏09]

オ五三のお祝い.JPG

2006年06月16日

八咫烏とはどのような組織か(EJ第892号)

 八咫烏の話――まだ続きますが、そろそろ一応の結論を出す時
期にきています。話を整理しながら、先に進めます。
 神道に表と裏があるということは、天皇にも表と裏があること
を意味します。われわれが目にする天皇は、もちろん表の天皇と
いうことになります。ここで重要なことは、天皇とは神道儀式を
行う中心的存在――つまり、祭司であるということです。しかも
神道儀式にはいろいろあって、それらを間断なく行う必要がある
のです。そういう儀式を祭司として行うだけでも、天皇は結構忙
しいのです。
 しかし、明治時代以降の天皇は、表の仕事も非常に忙しいので
す。明治時代において天皇は国家元首でしたし、民主主義になっ
てからの現在の天皇は、外交儀礼や民間の行事などに関わり、古
来の儀式を十分に行う時間がなくなってきています。
 そのため、皇位継承などの重要行事は別として、その他の神道
行事については、裏天皇が天皇に代わって神道儀式を祭司として
執り行うことが必要になってきたのです。この裏の天皇に率いら
れる組織が秘密組織八咫烏なのです。八咫烏――漢波羅秘密組織
は、天皇の祭祀のいっさいを仕切るとともに自らも神道儀式を行
うのです。
 この八咫烏は現在も存在するということですが、どのようなこ
とがあっても表に出ることはないのです。なぜなら、彼らには名
前がないからです。どうしてかというと、子どもが生まれても届
けないからです。それでは何をもって識別するのでしょうか――
彼らにあるのはコードネームであり、これで識別します。
 そんな馬鹿な・・といわれるかも知れませんが、そういう人た
ちを支える組織があれば、戸籍がなくても十分生きていくことは
可能なのです。彼らは一般社会とは異なる世界に生きているので
す。そういえば、表の天皇は人前に出るので名前はありますが、
姓や苗字はないのです。よって戸籍がないのです。また、戸籍法
によると、一般から皇族に嫁ぐ人はそれまでの戸籍からは除籍さ
れるのです。そういう意味で表の天皇や皇族も別の世界に生きて
いるといえます。
 専門家によると、秘密組織八咫烏の人数は数十人――推測では
70人前後の規模といわれています。組織の一員として生まれた
ときから神道儀式全般、陰陽道、迦波羅を徹底的に仕込まれるの
です。そして一生八咫烏の組織の一員としての使命を果たすとい
われています。
 中核となる八咫烏は12人――「十二烏」といい、このメンバ
ーに欠員が出るとそのつど補充されるようになっているのです。
これら12烏のさらに上に八咫烏の大ボスが3人います。これら
3人が12烏の中の3人か別の3人かは分かりませんが、彼らは
他の八咫烏から「大烏」と呼ばれています。「三羽烏」というの
はここからきています。
 この三羽烏は、造化三神(三神にして一神/絶対神)に対応し
ているのですが、裏天皇というのはこの三羽烏のことをいってい
るのです。つまり、表の天皇は1人ですが、裏の天皇は3人で1
人なのです。絶対三神が唯一神を形成するように3人で裏天皇を
務めているのです。
 もうひとつ、これらの三羽烏は別名を持っています。それは、
「金鵄(きんし)」です。金鵄とは神武天皇の弓の上に止まった
鳥のことです。「金鵄勲章」の金鵄です。
 このような事実を知ると、不思議な一致があることに気が付き
ます。それは、イエス・キリストとその弟子の話に非常に似てい
ることです。
 イエス・キリストは、伝道を開始するに当たって12人の弟子
をユダヤ人の中から選んでいます。「12使徒」がそれです。そ
して、イエスは重要なことがあると、ペテロとヤコブとヨハネを
連れて歩いています。マタイによる福音書には、次の記述がある
のです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『イエスは、ペテロ、それにヤコブとその兄弟のヨハネだけを
 連れて、高い山に登られた』。
 (「マタイによる福音書」第17章1節)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「12」と「3」――これが神道奥義とぴったりなのです。そ
れだけではないのです。神道奥義を調べていくと、なぜかイエス
・キリストと結びついてくるのです。
 いくつかあげてみましょう。EJ890号でご紹介した神道奥
義のひとつの魔方陣をもう一度見てください。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
             6 7 2
             1 5 9
             8 3 4
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 魔方陣では、奇数は陽数、偶数は陰数です。これが陰陽道のき
まりなのです。この9つの数字について陽数、つまり奇数だけを
見てください。十字になっているのです。
 迦波羅、すなわちカッバーラのシンボル、裏ドーマンは、ずば
り十字――陰陽道が九字を切るのに対して、迦波羅では十字を切
るのです。この十字を切る所作は、キリスト教徒が祈りを捧げる
さいに切る十字とまったく同じなのです。
 もうひとつ、「日本」という文字について考えます。「日」と
いう字は、文字通り「太陽」――太陽神、天照大神をあらわして
います。問題は「本」の字です。この字から「大」の字を外して
みてください。そうすると何が残りますか。
 そうです。「十」――十字架があらわれるのです。いろいろな
ところに十字架が隠されているのです。陰陽道は渡来文化です。
そのため、陰陽師は渡来人によって占められてきたのです。資料
には、数多くの陰陽師が名をつらねていますが、中でも一番多い
のは秦氏です。秦氏についてはいろいろ説がありますが、ユダヤ
人原始キリスト教徒であるといわれているのです。
                    −−−[八咫烏10]

2006年06月19日

秦氏のルーツはイスラエルの10支族なり(EJ第893号)

 EJ892号で「秦氏はユダヤ人原始キリスト教徒である」と
いう指摘をしましたが、今回はこれのルーツを明らかにしてみる
ことにします。JPAの八咫烏のマークからはじまった古代史の
シリーズは、今回を含めてあと2回でひとまず終ります。
 「イスラエル12支族」というのは、一般的には次の12の支
族のことをいいます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  1.ルペン族        7.ガド族
  2.シメオン族       8.アシェル族
 祭3.レビ族         9.イッサカル族
 南4.ユダ族        10.ゼルブン族
  5.ダン族        11.ヨセフ族
  6.ナフタリ族     南12.ベニヤミン族
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 イスラエル王国は、かつて北朝イスラエル王国と南朝ユダ王国
に分かれていたのですが、現在ユダヤ人といわれている人は南朝
ユダ王国の人たちの末裔と考えてよいと思います。南朝ユダ王国
は、エルサレムを聖地としていたのです。
 南朝ユダ王国は、ユダ族とベニヤミン族の2支族で構成されて
おり、北朝イスラエル王国は、残りの10支族から構成されるの
です。これら12支族のうちレビ族は祭祀を担当しており、北朝
と南朝の両方に属するという考え方があります。
 それに加えて、ヨセフの息子のマナセとエフライムをそれぞれ
独立させることによって、レビ族を外しても北朝は10支族にな
るのです。
 北朝イスラエル王国は、紀元前722年にその首都サマリアが
アッシリアによって陥落し、北朝イスラエルの人たちはメソポタ
ミア地方に捕囚されてしまいます。そして、他の民族を北朝イス
ラエル王国のあった土地に入植させたのです。
 その後、南朝ユダも滅ぼされ、やはり捕囚にされるのですが、
その後バビロニア王国を滅ぼしたペルシャの大王キロス2世の配
慮によって、捕囚となっていた北朝イスラエルと南朝ユダの人た
ちは開放されるのです。南朝ユダの人たちは、喜び勇んで国に帰
り、ソロモンの神殿を再建しますが、北朝イスラエルの人々は戻
らず、忽然と姿を消してしまうのです。これを「失われたイスラ
エルの10支族」といっているのです。
 南朝ユダはその後、古代ローマ帝国に滅ぼされ、1948年に
パレスチナの地にイスラエル国が建設されるまで、ユダヤ人は流
民となって世界各地をさまようことになるのです。したがって、
現在、イスラエル人といわれる人たちは、南朝ユダの末裔という
ことになります。
 問題は、歴史の舞台から忽然と消えてしまった「失われたイス
ラエルの10支族」です。彼らはいったいどこへ行ったのでしょ
うか。
 中世以降になって、これらのイスラエル10支族の情報が入り
始めます。失われたイスラエルの10支族は、中国、日本、イン
ド、エチオピア、スーダン、アフガニスタン、パキスタン、シベ
リアなど・・・世界中にその足跡が発見されています。
 これらの失われたイスラエルの10支族の一部が、シルクロー
ドを通って、中国、朝鮮半島を経由して日本に入ってきていると
いう説を唱えるのが、ユダヤ教ラビ、マーヴィン・トケイヤー氏
が著した次の本です。前にも何度かご紹介した本です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  『日本・ユダヤ封印の古代史/失われた10部族の謎』
   マーヴィン・トケイヤー著/久保有政訳 徳間書店刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 シルクロードをそのまま東に進むとやがて中国にいたります。
事実中国にはユダヤ人が多く住んでおり、その数はかなりの数に
達していたといわれます。秦の始皇帝自身がユダヤ人であったと
いう説もあるくらいです。
 ところで、当時ユダヤを支配していたのは、古代ローマ帝国で
すが、ローマ帝国のことを中国では「大秦」と呼んでいたという
のです。したがって、彼らが朝鮮半島経由で日本に渡来したとき
「大秦」から一字をとって「秦氏」と名乗っても不思議はないと
いえます。中国人から「秦人」と呼ばれていた支族が朝鮮半島に
渡って、「秦韓」を建国し、それが「新羅」に代わったという話
も実際にあるのです。
 そうなると、日本で秦氏と呼ばれている一族は、失われたイス
ラエルの10支族の一部であったという説は、あながち荒唐無稽
な説とはいい切れないと思うのです。
 注目すべきは、秦氏が日本において多くの神社を創建している
ことです。日本における神社は神道と深い関わりがあります。こ
の説が正しいとすると、神道と原始キリスト教の間には共通する
点が多くあることになります。
 神道の奥義は唯一絶対神への信仰であり、さらに造化三神(天
之御中主神、高御産巣日神、神 産巣日神)を中心に据えていま
す。これに対すて原始キリスト教が崇拝するのも唯一絶対神であ
り、それは絶対三神(御父、御子、聖霊)によって形成されてい
るのです。 これを整理すると次のようになります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   1.天之御中主神 = 御父
   2.高御産巣日神 = 御子イエス・キリスト
   3.神 産巣日神 = 聖霊ルーハ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 表の神道は八百万の神々を崇拝する多神教ですが、裏神道は唯
一神信仰であり、絶対三神を崇拝するのです。
 神道と原始キリスト教の関係の分析は興味あるテーマであり、
いずれEJで取り上げてみたいと考えています。それでは、秦氏
と賀茂氏はどのような関係にあるのでしょうか。これについては
明日のEJで述べます。         −−−[八咫烏11]

2006年06月20日

『鴨がねぎを背負ってくる』の意味(EJ第894号)

 神社にて神を祀る――これが神道というものであり、日本固有
の宗教であると多くの人が信じています。その神社を渡来人であ
る秦氏が創建する――これは本来奇妙な話なのです。
専門の古代史研究家ですら「秦氏は帰化支族としては不可解な
ほど神祇信仰と密着している」と不思議がるほど、秦氏は神道儀
式に通じているのです。むしろ秦氏の宗教である原始キリスト教
がベースになって神道ができたのではないか――そういう考え方
が出てもおかしくないのです。
 それでは、秦氏は、いったいどのような神社を創建しているの
でしょうか。
 ところで、全国で一番多い神社は何という神社かご存知でしょ
うか。それは、稲荷神社です。これには、仏教系と神道系の2つ
があるのですが、古いのは神道系です。そして、全国の稲荷神社
発祥の神社は京都の伏見稲荷大社なのです。
 伏見稲荷大社の由来書を見ると、この神社を創建したのは、秦
伊呂具なる人物です。次に数が多いのは八幡神社です。武術の神
として、源氏の守護神としても有名なのが八幡神であり、それを
祀っている神社が八幡神社です。
 八幡神社の総本山は、九州大分にある宇佐八幡宮です。ここで
原始八幡信仰を担っていたのは、地元の豪族の辛嶋氏なのですが
辛嶋氏は秦氏の支族なのです。それから松尾神社というのがあり
ます。松尾神社の総本山は京都の松尾大社ですが、その創建者は
秦都理という人で、やはり秦氏です。
 それに四国には「金力比羅宮」がありますが、ここは「旗宮」
もしくは「秦宮」と呼ばれており、やはり秦氏の神社なのです。
それだけではないのです。宗像神社、諏訪大社、大避神社、白鬚
神社、鹿島神宮、白木神社、兵主神社、出石神社などなど――こ
れらは、すべて秦氏の神社なのです。・
 それでは賀茂氏というのは何者でしょうか。「古事記」によれ
ば、「賀茂」の名を持つ神としては「迦毛大御神」があります。
この迦毛大御神は「大国主命」の子であり、現在、奈良県御所市
の高鴨神社に主祭神として祀られています。大国主命の子といえ
ば、もう一人「事代主命」がいます。
 賀茂氏は主としてこの事代主命を祀っているのです。これと関
連のあるのは三島神社です。「三島」という名前が付く神社は全
国に1万社以上あるといわれますが、その総本山は、静岡にある
「三島大社」なのです。『延喜式』によると、三島大社はもとも
とは、伊豆国賀茂郡にあったというのです。
 伊豆は、かなり早い時期から賀茂氏が支配していた場所であり
伊豆諸島の神社はことごとく事代主命を祀っているのです。しか
し、よく調べてみると、三島大社は「大山祇命」(おおやまずみ
のみこと)を主祭神として祀っていたとあるのです。
 そして、『伊予風土記』によると、大山祇命は百済からやって
きた神であるとしています。神様だけがひとりでにくるはずがな
いから、三島明神を祀る一族である賀茂氏が、大山祇命を運んで
きたのではないかという推理が成り立つのです。つまり、賀茂氏
はどうやら渡来人であったということです。
 旧暦の5月5日に、大山祇神社で行われる「御田植祭」という
祭りがあります。このとき、「一人角力(ひとりすもう)」とい
う奇妙な儀式が行われます。二人で相撲をとるのではなく、ひと
りで行うのです。実は、相手は神様であり、目に見えない相手に
相撲をとるので、ひとり相撲と呼ばれるのです。
 この神様と人間との相撲は『旧約聖書』に載っているのです。
イスラエル人の祖といわれるヤコブはあるとき神と格闘し、最後
に勝って「イスラエル」という名前をもらったというのです。
 「一人角力」のルーツが、もし、『旧約聖書』にあるとすると
ユダヤ人原始キリスト教徒である秦氏が浮かび上がってくるので
す。このあたりから、賀茂氏と秦氏の関係を探っていくと、細か
な経緯は省きますが、両者は完全に同じであるという結論に達す
るのです。賀茂氏イコール秦氏なのです。
 そうであるとすると、なぜ、賀茂氏といわずに秦氏としないの
でしょうか。同じ一族なら秦氏でよいのではないでしょうか。
 それは、賀茂氏がイスラエル12支族の「レビ族」と同じ位置
づけだからです。イスラエル12支族が北朝イスラエル国と南朝
ユダ国に分かれたとき、レビ族だけはどちらにも属さなかったの
を覚えておられますか。レビ族は祭祀を担当するので、両国の共
用とされたのです。
 既にお話ししているように、賀茂氏は裏神道の儀式の一切を取
り仕切る祭祀人の役割をしています。したがって、あえて秦氏と
は名乗らず、賀茂氏、または鴨氏の名称を使ったのです。
 賀茂氏が裏神道の祭祀人の役割を果たしていたとすると、賀茂
氏は全国の神社に絶大な権力で支配していたことになります。こ
の間の事情を物語るあることばがあります。それは、『鴨ねぎ』
ということばです。
 鴨鍋をしようと思ったら、鴨がねぎを背負ってやってきたとい
うことをいうことばですが、意味が違うのです。「鴨」は鴨氏の
ことであり、「ねぎ」は禰宜――神社の宮司や神官の下で働く神
職を意味するのです。
 鴨氏が禰宜を背負ってくる――これは鴨氏が全国の神社に鴨氏
の息のかかった禰宜を送り込むという意味なのです。いくら賀茂
氏といえども、最初から全国の神社を仕切っていたのではなく、
神職の人間を強制的に送り込んで、もともとあった神社を次々と
乗っ取っていったのです。
 これに従わない場合は、おそらく武力をもって神官を追い出し
追放するということもやったと思われます。藤原不比等が古代に
あった唯一神道を封じたウラには、賀茂氏と組んだ大規模な神道
再編計画があったと考えられるのです。
 お話ししたいことはまだまだたくさんあります。しかし、この
話だけを続けるわけにはいきません。明日からは新しいテーマを
取り上げます。             −−−[八咫烏12]

神と相撲を取るヤコブ.JPG

2006年06月21日

「相対性理論とタイムマシン」(EJ第1138号)

 いま「タイムマシン」が静かなブームになっているのをご存知
でしょうか。なぜか、タイムマシンなのです。特設コーナができ
ている書店もあります。
 実は今から30年ほど前、タイムマシンのブームがあり、当時
「広瀬 正」という作家の本が売れていました。彼は、過去への
タイムトラベルを取り上げて小説にしているのですが、読み終わ
ると????になってしまったものです。
 最後に彼は『タイムマシンの作り方』という本を上梓して、急
逝してしまうのですが、彼の棺には「タイムマシン」と書かれて
いたそうです。添付ファイルで広瀬正氏と彼の本をご紹介してお
きます。1973年の出版です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   広瀬 正著
   『タイムマシンのつくり方』 河出書房新社刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この手のタイムトラベルSF作家として優れた作品を残した人
に、ハインライン、ウェルズ、フレッド・ホイルがいますが、広
瀬もその中に入る優れたタイムトラベルSF作家だと思います。
 もうひとつ――先日映画「マトリックス/リローデッド」を観
たのですが、前回に引き続いて「マトリックス」という空間に興
味を持ちました。この空間は一体何でしょうか。直接タイムマシ
ンには関係はありませんが、何か共通するような、ぞくぞくする
ものを感じます。
 そういうわけで、これからしばらく「タイムマシン」をテーマ
に取り上げてみたいと思うのです。しかし、このテーマは、時間
論、時空論に深く関連し、ともすると話が哲学的になりやすいの
で、そのあたりに注意して、やさしい記述に努めますので、しば
らくお付き合いください。
 「タイムマシン」とは一体何でしょうか。
 この答えは意外に簡単なのです。人間が乗れて、光に近い速度
で進むか、光を超える速度で進むマシン――それがタイムマシン
なのです。
 光に近い速度か光を超える速度かは、タイムマシンの性能に次
のように関係してくるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   光に近い 速度 ・・・ 未来に行けるタイムマシン
   光を超える速度 ・・・ 過去に行けるタイムマシン
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 タイムマシンの問題には、アインシュタインの相対性理論が深
く関与してきます。相対性理論をごくごく簡単にいってしまいう
と、次のようになります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    相対的に速く動いている物体の時間は遅く進む
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 地球から、光速ロケットが宇宙に飛び出したとします。この場
合、光速ロケットの中の時間は、地球にいる人に比べて遅く進む
ということです。
 この場合、その光速ロケットから地球を見ると、ロケットは静
止し、地球が光速で遠ざかっているように見えます。そうである
とすると、地球の時間の方が遅く進むのです。相対的というので
すから、そういうことになります。
 ところで、相対性理論には「加速度」を考える、考えないで次
の2つがあるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    加速度を考える ・・・ 一般相対性理論
    加速度考えない ・・・ 特殊相対性理論
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この場合、加速度が変化すると、変化した側の時間が遅く進む
のです。例えば、光速ロケットが地球を飛び出し、途中で反転し
て戻ってきたとします。帰ってくるために反転したロケットは、
加速度が変化しているので、光速ロケットの時間は遅く進むこと
になります。要するに、物体を動かして、それをまた本本の位置
に戻せば戻った方の時間が遅く進むのです。
 しかし、あのアイザック・ニュートンの時間のとらえ方は違う
のです。彼は時間について次のようにいっています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 絶対的な、真の、数学的な時間は、外部の何ものにも影響を
 受けず、一様に流れる       ―――――ニュートン
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 一般の人の時間の観念は、このニートンの考え方に近いと思い
ます。時間というものは、どこにいても万人にとって等しく流れ
るはずのもの――そう考をえています。
 確かに心理的には、時間はときにより長かったり、短かったり
しますが、あくまで時間は時間であり、何をしようとどこにいよ
うと、時間は絶対的、普遍的なものであると考えています。これ
に異を唱える人はいないはずです。
 しかし、この考え方は間違っているのです。それを指摘したの
がアインシュタインの相対性理論なのです。つまり、アインシュ
タインは、時間と空間に関するニュートンの考え方を否定したこ
とになります。
 この相対性理論が発表されたのは1905年のことですから、
そろそろ一世紀が経過しようとしています。この長い時間の間に
相対性理論はあらゆる角度から世界中の物理学者が検証しており
正しいことを認めています。
 時間は相対的であり、普遍的な「今」をともなう絶対時間の常
識的な観念は虚構である――このことを多くの物理学者は認めて
います。しかし、あなたはどうでしたか。時間をどのように考え
ていたでしょうか。         −−[タイムマシン01]

広瀬 正/タイムマシンのつくり方.JPG

2006年06月22日

動いている側の時間は遅く進む(EJ第1139号)

 昨日のEJで、理論上未来に行けるタイムマシンをつくるには
そのマシンは、できる限り光に近い速度を出す必要があることを
指摘しました。
 これに関して、1971年に2人の物理学者が行ったある実験
があるのです。2人の物理学者の名前は、ジョー・ハーフェルと
リチャード・キーティングです。
 彼らはどのような実験を行なったのでしょうか。
 精巧な原子時計を2台用意して、一つは地上のある場所に置き
もう一台は飛行機の中に設置したのです。それから、原子時計を
積んだ飛行機は世界一周旅行に出発します。そして、飛行機が元
の空港に戻ってきてから、飛行機内の時計と地上のある場所に置
いてある時計とを比較したのです。
 その結果は、飛行機内の時計の方が、地上のある場所の時計よ
りもあきらかに遅く進んだことがわかったのです。正確にいうと
飛行機内の時計は、地上のある場所の時計よりも相対的に「59
ナノ秒」遅れていたのです。
 ちなみに、1ナノ秒とは、10億分の1秒のことです。ほんの
わずかな差ですが、この価は、アインシュタインの理論が予測し
た大きさと一致したのです。アインシュタインの予測した数値と
は、「時間の遅れ因子」というのです。それは、ある速さを光速
で割り、2乗し、1からその価を引く。そして差の平方根をとっ
た値なのですが、こんなことはわからなくてもいいのです。
 それよりもその僅かの差――これは大変なことを意味している
のです。差が僅かであるのは、動き回るのが飛行機であったため
であり、もし、光速に近いロケットで同じ実験を行なった場合は
非常に大きな差となってくるからです。
 これをもう少し分かりやすくするために、別な状況を考えてみ
ることにします。光速ロケットに乗っているAと、地球にいるB
がいると仮定します。
 光速ロケットの中に一枚の鏡とひとつの光源があるとし、A、
B両方の人がそれを見られる状況にいると仮定します。この状態
で、光速ロケットは静止しているとします。鏡と光源の間の距離
をDとします。
 この状態で光源から光が発せられたとします。その光は、鏡に
反射して戻ってきます。光の進んだ距離は往復ですから、Dの2
倍になります。これは当然ですね、光速ロケットにいるAから見
ても、地球にいるBから見てもDの2倍です。
 しかし、これは光速ロケットが静止しているからなのです。光
速ロケットが動き出すと、Dの2倍ではなくなるのです。もし、
Bが動いている光速ロケットの中の鏡と光源が見られるとしたら
それは、Dの2倍よりも長く見えてしまうことになります。
 仮に光速ロケットが左に移動したとします。この場合、ロケッ
トの中にいるAには、ロケットが静止しているときと同じように
Dの2倍に見えます。それは、Aを含めてロケットの中のものは
ロケットと一緒に左に移動しているからです。
 しかし、ロケットの外にいるBにとっては、光の進んだ距離が
変わってしまうように見えます。ロケットは左に移動しています
から、光源から発せられた光は鏡を目標に進むのですが、光が鏡
に到達する前に鏡は左に移動するので、それを追いかけると光は
斜めに移動することになります。さらに反射して戻る光も斜めに
進むことになり、その距離はDの2倍よりも長くなります。これ
については、添付ファイルをご覧ください。
 ここで、問題を整理しておきます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1.光速ロケット内にいるA(移動している)にとっては、光
   の移動した距離は同じDの2倍である。
 2.光速ロケット外にいるB(静止している)にとっては、光
   の移動した距離はDの2倍以上である。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この場合、「光の速度はつねに一定である」という原則に基づ
いて考えると、移動した距離が長いということは、その距離を移
動するために必要な「時間も長くなる」ということになります。
 これはきわめて重要なことをいっています。仮に光速ロケット
内にいるAにはこの光の往復が1秒間であったとしても、ロケッ
トの外のBにとっては1秒以上の時間になっているのです。
 ちょっと考えると、これは奇妙なことに見えますね。これによ
ると、つねに飛行機であちこち飛び回っている人と、地上にいる
人とでは「時間の進む速度が違う」ことになるからです。
 あのスティーブン・ホーキング教授の本にも似たような事例が
出ていましたので、ついでにご紹介しておきます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  ひとつの例として、ふたつの正確な時計を飛行機で正反対の
 方向にそれぞれ運び、その後時間を比較するというのがありま
 す。その結果、非常に僅かな時間ですが、はっきりと差が生じ
 ていることが確認されたのです。このことは、少しでも長生き
 したいと願うなら、地球の自転速度を加えるために、飛行機で
 自転の方向である東に飛び続けたらいい、といったことを示し
 ています。 ――スティーブン・ホーキング著、佐藤勝彦訳、
 『ホーキング、未来を語る』より アーティスト・ハウス刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これは、西方向に航行する飛行機の中に置かれた時計は、逆方
向に進む飛行機に置かれた時計よりも速く進んでいる――という
ことを示しているのですが、いずれにせよ、これらは事実であり
時間というものは、どのような状況でもつねに同じように進む絶
対的なものでないことは確かなのです。
 これは本来大変衝撃的なことです。ただ、その差が1秒の何桁
も短いものであるだけに、あまり問題になっていないのです。し
かし、タイムマシンを論ずる場合には、アインシュタインの相対
性理論は避けて通れないのです。明日は、光速ロケットの時計の
話をさらに発展させます。      −−[タイムマシン02]

ロケット内外の光源と鏡のタ験.JPG

2006年06月23日

過去を遡るタイムマシンの原理(EJ第1140号)

 光速ロケットの中のA、地球にいるBの比較をもう少し続ける
ことにします。
 飛行機に乗って世界一周旅行をする人と地上にいる人では、時
間の進み方が違うということ――これについては既に指摘しまし
た。飛行機に乗って動いている人の時間の方が遅く進むことが物
理学的に証明されています。
 そこで飛行機を光速ロケット――光速に限りなく近い速度で飛
行するロケットでその時間比較をやったらどうなるかについて考
えてみることにします。
 ところで、光はどのくらい高速なのでしょうか。
 よく知られているように、光の速度は毎秒30万キロメートル
――これは1秒で地球を7周半もするのです。こんな途方もない
速度に大きく近づいたり、ましてそれを追い超すことなど不可能
と思われていますが、ここでは仮にそれがやれると考えて推論を
続けることにします。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
                光速ロケット    地球
  光速 × 0.72     8ヶ月 0日   1年間
  光速 × 0.9953  10ヶ月14日   9年間
  光速 × 0.99953 10ヶ月15日  90年間
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 光速ロケットが光速の72%で飛行できるとすると、ロケット
内では8ヶ月しか経過していないのに、地球では1年経過してい
るという計算になります。さらに、光速ロケットの速度を光速の
99.53%に引き上げると、ロケット内と地球での時間差は、
ロケットの10ヶ月に対して地球では9年間も経過していること
になるのです。光速ロケットの速度をさらにアップして、光速の
99.953%にすると、ロケット内の10ヶ月は実に地球での
90年間に該当するのです。
 これは何を意味しているのでしょうか。
 光速ロケットのAと地球にいるBの年齢をともに20歳としま
しょう。この年齢のときに、Aが光速の99.53%で飛行する
光速ロケットに乗って10ヶ月間の宇宙飛行をして地球に戻って
きたとします。
 そうすると、Aはまだ21歳になっていないのに、Bは29歳
になっていることになります。これは、Aは10ヶ月かけて、B
の9年後の未来に到着したことを意味するのです。つまり、この
光速ロケットは、未来に飛ぶタイムマシンそのものということに
なります。
 以上が未来に飛ぶタイムトラベルの原理です。それでは、過去
にタイムトラベルするのはどうしたらよいのでしょうか。
 これが実現する条件は、そのマシンが光よりも速く飛行する必
要があるということです。現在の物理学では、「光よりも速いも
のはない」ということになっています。相対性理論では、それが
前提になっているのです。
 もし、あるマシンが光速に達したとすると、時間の遅れ因子は
無限大になる――要するに、時は停止してしまうことになるので
す。これは、通常の物体は光速に到達できないということを示し
ています。
 それをあえて、光よりも速いマシン、すなわちタイムマシンが
仮にあると考えてみるのです。ここからは、添付ファイルの図を
見ながら読んでいただくと、分かりやすいと思います。
 太陽と地球について考えてみます。太陽と地球の距離は非常に
長いので、太陽の光が地球に届くには約8分の時間を要するので
す。つまり、地球上でわれわれが見ている太陽光は実際よりも8
分遅れで地球に届いていることになります。別な表現でいうと、
われわれはつねに8分前の太陽を見ていることになります。
 ここから、非常に非現実的なたとえ話をします。いま光速より
も速いマシンに乗った地球人が太陽のすぐ近くにいると仮定しま
す。そんなことはあり得ませんが、一応そう仮定するのです。
 そのときに太陽に大きな爆発があったとします。太陽のすぐ近
くにいる地球人には当然それが見えます。しかし、その爆発の模
様は、地球には光速でも8分かかるのです。
 このとき、光速よりも速いマシンに乗った地球人が地球に3分
で戻ったとしましょう。つまり、マシンは地球に向う光を追い越
してしまうことになります。
 その地球人が地球に戻ったとき、地球から見る太陽にはまだ爆
発が起こっていません。地球から太陽の爆発が見えるのは、それ
から5分後です。爆発時点での太陽からの光はまだ地球には届い
ていないからです。
 その時点での太陽は過去の太陽――そうです。爆発以前の太陽
なのです。つまり、過去に戻ったことになります。もし、光速よ
りも速いマシンに乗った地球人が「これから5分後に太陽で爆発
が起こる」と予言したら、彼は預言者として名声を勝ち取ること
ができるでしょう。つまり、そのマシンこそ過去に遡ることがで
きるタイムマシンであるということができるのです。
 このように、タイムマシンをつくるには、そのマシンは光速に
限りなく近づくか、光速を超える必要があるのです。既に述べた
ように、現在の物理学では光速を超えることは不可能とされてい
ますので、少なくとも光速に近づける必要があります。しかし、
現状では、人間の乗り物の最大の速度は、せいぜい光速の1%程
度なのです。
 これでは、タイムマシンをつくることは、不可能ということに
なってしまいます。しかし、それなのになぜ、タイムマシンが現
在話題になっているのでしょうか。
 それは、アインシュタインの相対性理論の新しい解釈が続々と
生まれてきているからなのです。その中で最近とくに注目されて
いるのは「ワームホール」といわれるものです。しかし、これを
理解するには、相当の予備知識が必要になります。時間を考え直
すという意味で、あせらず論を進めていきます。
                 −−−[タイムマシン03]

過去に行くタイムマシン.JPG

2006年06月26日

なぜ、光を超えられないのか(EJ第1141号)

 タイムマシンがつくれるかどうかを議論するとき、そのタイム
マシンが光の速さに近づけるか、もしくは光の速度を超えられる
かどうかが中心の議題になります。
 しかし、現代の物理学では、光の速度を超えるはできないとし
ているのです。これについて、ホーキンズ教授は次のように述べ
ています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  相対論の非常に重要な点は、質量とエネルギーの関係です。
 光速が誰にとっても同じように見えるというアインシュタイン
 の仮説は、どんなものでも光より速く動くことができないこと
 を示しています。粒子であろうと、宇宙船であろうと、エネル
 ギーを使って速度を上げようとすると、その質量はどんどん増
 加するのです。質量が増えてしまうため、さらに加速しようと
 しても速度を上げることは困難になります。粒子を光速になる
 まで加速するには、無限のエネルギーがいることになりますの
 で、それは不可能です。――スティーブン・ホーキング著、佐
 藤勝彦訳、『ホーキング、未来を語る』より アーティスト・
 ハウス刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 なぜ、光の速さに追いつき、追い越せないのか――それは、速
く動こうとすればするほど質量が増えて、速度が加速しなくなる
からです。ホーキンズ教授はそれを、「粒子であろうと宇宙船で
あろうと、エネルギーを使って速度を上げようとすると、その質
量はどんどん増加する」という表現で説明しているのです。
 それでも何とか光速に肩を並べることができたとすると、その
時点で「質量は無限大」になる――つまり、世の中で最も重い物
体になってしまうのです。「光速を超える」ということは、無限
大の物体を動かせる力がなくてはなりません。それには無限大の
力が必要ですが、そのような力があるでしょうか。かくして、光
速に肩を並べることはもちろん、まして光速を超えるなどという
ことは、あり得ないということになるのです。
 添付ファイルを見てください。図の上に数式があります。これ
が有名なアインシュタインの方程式です。この数式は、タイムマ
シンに関する議論に重要な役割を果たすことになります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
        E ・・・・・ エネルギー
        m ・・・・・ 質量
        c ・・・・・ 光の速さ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 図は、あらゆる点でまったく同じ振り子がはかりの上に乗って
います。左側の振り子を動かしたとき、静止している振り子より
も、ほんの少しですが質量が増しているのがわかると思います。
なぜかというと、揺れている振り子は運動エネルギーを持ってお
り、運動エネルギーは質量を持つからです。物質と質量とエネル
ギーは互いに関係しあっているのです。
 「どんな物体も光よりも速くなれない」――これについて、世
界の物理学者たちは、素粒子を巨大な加速器を使って実験を繰り
返して行い、それが正しいことを認めています。
 実験では、光の速さに近づくにつれて、粒子は途方もなく質量
が増えて、粒子を加速することが困難になるのです。多くのエネ
ルギーが粒子を重くすることに使われるので、その分速さを増加
するために用いられるエネルギーが少なくなるからです。
 ここまで、光の速さに匹敵するか超える速度という観点からタ
イムマシンの可能性を探ってきましたが、もうひとつ方法がある
のです。それは「重力」を使う方法です。
 1908年にアインシュタインは、特殊相対性理論を拡張して
この「重力の効果」を取り入れています。どういうことかという
と、「重力は時間の歩みを遅くする」ということです。地球には
重力があるので、ビルなどでは1階と最上階では、僅かではあり
ますが、時間の進みに違いがあることになります。もちろん地面
に近い方が時間は遅く進むのです。
 1955年にハーヴァード大学で高さ22.5メートルの塔の
タイムワープ因子を計る実験が行われています。その結果、塔の
上と地上とでは、地上の方が、次の時間の遅れが観測されている
のです。この測定値は、アインシュタインの予測を追認するもの
だったのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    0.000000000000257%の遅れ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 非現実的な仮定ですが、もし、魔法か何かを使って、地球を質
量を保ったまま半分の直径に縮めたとすると、表面の重力は4倍
になり、タイムワープは2倍になります。さらに圧縮していくと
時間の遅れ因子は拡大します。そして、地球の半径が0.9セン
チメートルという臨界値に到達すると、時間は停止してしまうの
です。そんな、バカなことを・・というなかれ、天体物理学では
物体が途方もなく圧縮されるということは起こり得るのです。
 牡牛座に「カニ星雲」と呼ばれるものがあります。この星雲は
巨大な恒星が爆縮によって粉々になった残骸なのです。こうした
潰れた星の重力は非常に大きいので、原子でさえ押し潰されて中
性子になってしまうほどです。そのためこういう星のことを「中
性子星」といっています。
 この中性子星の時計は、天文学者の計算によると、地球上の時
計よりも30%ゆっくりと時を刻むことがわかっているのです。
またまた、非現実的な仮定ですが、中性子星の近くに住まいを設
ければ、その住まいは未来を旅するタイムマシンとなるのです。
なぜなら、そこで7年間を過ごせば、地球で過ごす10年間に相
当するからです。
 蟹座には、互いに相手のまわりを跳ね回っている2つの中性子
星があるのですが、そこからは規則的に電波が出ており、その信
号を観測することで、それが違っていないことが分かるのです。
                  −−[タイムマシン04]

アインシュタインの方程ョ.JPG

2006年06月27日

光の2つの謎を解いたアインシュタイン(EJ第1142号)

 タイムマシンの話を続けていますが、今までのところを整理し
補強して、来週さらに先に進みたいと思います。
 1687年にアイザック・ニュートンは『プリンキピア』とい
う本を発刊します。この本については一度EJで取り上げたこと
がありますが、この本で「時間」と「空間」の数学的なモデルが
提示されているのです。
 このニュートンが提示したモデルは、「時間」と「空間」は事
象が生ずる舞台であるが、事象によって何ら影響を受けない絶対
的な存在となっているのです。「時間」は「空間」とは分離され
ており、また、両端が無限に続く1本の直線もしくは鉄道の線路
のようなものだと考えられていたのです。
 実は、ニュートンの時代において「光」には、次の2つの謎が
あったのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  ≪第1の謎≫
   ・なぜ、光の媒質であるエーテルが見つからないのか
  ≪第2の謎≫
   ・なぜ、光には速度合成の法則が当てはまらないのか
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 19世紀末には「光は波である」と考えられていたのです。そ
のため、その媒質探しが物理学の最大の関心事だったのです。こ
の未知の媒質は「エーテル」と名づけられ、多くの物理学者が、
それこそ血眼になって「エーテル探し」をやっていたのです。し
かし、誰もエーテルを見つけることはできなかったのです。これ
が「第1の謎」です。
 「速度合成の法則」というものがあります。時速40キロで走
る自動車同士がすれ違うとき、それらの車に乗っている人から見
ると、お互いに相手の自動車の速度は時速80キロに見えるとい
うのが「速度合成の法則」です。
 自分を基準とした相手の速度――つまり、相対的な速度ですが
自分と相手の速度の和や差で計算できるということは、ガリレイ
の相対性原理に基づくニュートン力学の基本中の基本なのです。
 しかし、時速40キロで走る自動車と秒速30万キロ――時速
10億キロの光のケースでは、次の式は成立せず、光の速度は、
時速10億キロメートルなのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   40キロ + 10億キロ = 時速10億40キロ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 つまり、「速度合成の法則」は成立しないことになるのですが
これが「第2の謎」なのです。1887年のことです。米国の物
理学者マイケルとモーレーは、地球の東西方向と南北方向とで、
光の速さを計測する有名な実験を行ったのですが、東西方向、南
北方向とも、光の速度はまったく同じだったのです。これでは、
「宇宙に存在するあらゆる運動を説明できる」としたニュートン
力学に重大な欠陥が存在することになってしまうのです。
 これらの光に関する2つの謎を解明したのが、アインシュタイ
ンだったのです。そのときアインシュタインは弱冠26歳だった
のですが、彼は、1905年に次の3つの論文を書いて、物理学
の世界に衝撃のデビューを飾るのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    1905年3月 ・・・・・ 光量子論
    1905年4月 ・・・・・ ブラウン運動
    1905年6月 ・・・・・ 特殊相対性理論
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「光量子論」では、今まで「波」と考えられていた光に「粒」
としての性質もあることを説いています。金属に、波長の短い光
(紫外線)を当てると電子が飛び出すのに、波長の長い光(赤外
線)を当てると何も起こらないという現象を光電効果というので
すが、光を「波」だと考えると、この現象は説明できないことな
のです。
 これから、アインシュタインは、光の正体は「光電子」という
「粒」とみなし、波長の短い光は粒子1粒当たりのエネルギーが
波長の長い光よりも大きいからであると考えたのです。この光量
子論によって、光とは次のような不思議な性質を持つものである
ことを明らかにしたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  光は粒でもあり、波でもある。ある時は粒であり、ある時は
 波であるというのではない。粒が波のように振動しているので
 もない。粒であり波であるとは、相反する性格が同居している
 ことを意味する。          ――アインシュタイン
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「第2の謎」については、特殊相対性理論によって明らかにさ
れたのですが、その反響は大変でした。何しろこの論文は、時間
の進み方が遅くなるとか、長さが縮むとか、当時としては、常識
外れのことばかりが書いてあったからです。既にノーベル賞を受
賞していたオランダの物理学者ローレンツなどは、常識外れな論
文と決めつけ、批判の急先鋒に立ったほどです。
 しかし、その一方でアインシュタインの論文を高く評価する学
者もたくさんいたのです。この論文を読んだドイツの数学者ミン
コフスキーは、チューリッヒ工科大学で自分の授業をぼんやりと
聞いていたアインシュタインの優れた理論に驚嘆し、「信じられ
ない!」と何回も繰り返したといわれています。そして、ミンコ
フスキーは、後にこの相対性理論を幾何学的にまとめ直すという
優れた業績を残しています。
 しかし、われわれ一般の人間が持っている時間の観念は、まだ
ニュートン時代の絶対時間の観念にとどまっているのではないか
と思います。だから、タイムマシンが、荒唐無稽なSFの世界の
ことに感じられるのではないでしょうか。
 そういうわけで、タイムマシンを解明するには、相対性理論に
ついてさらに理解を深める必要があります。来週は、相対性理論
で時間の遅れを計算してみましょう。
                 −−−[タイムマシン05]

2006年06月28日

トンネルに入る列車の運命はどうなるか(EJ第1143号)

 今朝は趣向を変えてクイズを出します。特殊相対性理論に関す
る問題です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  秒速24万キロメートルで走る列車が全長40万キロメート
 ルのトンネルに差しかかったのです。ところが、このトンネル
 にはとんでもない仕掛けがしてあるのです。
  実は、この列車には時限爆弾が仕掛けてあって、列車の先端
 がこのトンネルに入ると、時限爆弾のスイッチが入り、その1
 秒後に時限爆弾が爆発するようになっているのです。
  ただし、トンネルの出口には時限爆弾解除のスイッチがあり
 列車の先頭部が出口にたどり着けば、爆発は回避されるように
 なっています。
  さて、列車は今トンネルに入り、時限爆弾のスイッチが入り
 ました。列車はトンネルを通り抜けることができるのでしょう
 か。途中で爆発してしまうのでしょうか。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この問題は、添付ファイルの「時間の遅れ計算式――A」に数
値を当てはめて計算すると解くことができます。実際に計算する
前に計算式について説明します。Aの計算式を見てください。
 ルートの中のグレーの網がかかっている部分を見てください。
この部分では、「動いているものの速度」を「光の速度」で割っ
ていますが、「光の速度」は毎秒30万キロメートルという高速
なので、分子の「動いているものの速度」が「光の速度」に近い
高速でない限り、ほとんどの値はゼロになります。
 そうすると、この部分は1からゼロを引いて平方根を求めても
結局は1になるだけのことです。これは何を意味しているかとい
うと、動いているものの時間が遅れて進むといっても、ほとんど
は止まっているものの時間と変わらないということです。
 現在、いわゆる乗り物で、一番速いものといったら宇宙ロケッ
トしかないはずです。その宇宙ロケットにしてもせいぜい、秒速
20キロメートルぐらいのものです。この数値で時間の遅れを計
算すると、地球で1秒経過したときに宇宙ロケットでは次の時間
が経っているに過ぎないのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
        0.999999998秒
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この数値では、16年間に1秒しか遅れないことになります。
したがって、秒速20キロ程度では、止まっているものの時間と
ほとんど変化はないといえます。
 問題を解いてみましょう。普通に考えると、トンネルの長さは
40キロメートル、秒速24キロメートルの列車が1秒間で通り
抜けられるはずはありません。計算すると、1.66秒かかるこ
とになり、列車は爆破されてしまいます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   40万キロ÷24万キロ=5/3秒=1.66秒
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 しかし、この列車の秒速は24万キロメートルであり、光の速
度にかなり近いので、はっきりとした時間の遅れが計算できるは
ずです。Aの計算式で計算してみます。
 24万キロ/秒を30万キロ/秒で割ると0.8、式にしたが
って、1から0.8の2乗を引くと0.36、その平方根を計算
すると0.6――つまり、地上時間の1秒は、0.6秒に該当す
るのです。
 そうすると、1.66秒かかるといっても、実際には次の時間
しかかかっていないのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  1.666666666×0.6=0.999999秒
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 そうです。列車がトンネルの出口に差しかかるまで、0.9秒
しかかからない計算になります。つまり、列車は辛うじて爆破を
免れるのです。これが正解です。
 この場合、列車に乗っている人にとってはどのように見えるの
でしょうか。
 列車内の人から見れば、列車は動いていますが、乗っている人
は止まっており、時間の遅れは生じないのです。1秒は1秒なの
です。これは、積み込まれている時限爆弾の時計についても同じ
ことがいえます。
 そうすると、列車が約1秒間で40万キロメートル――光速を
超える速度でトンネルを通過したことになるのでしょうか。
 そうではないのです。結論からいうと、「トンネルの長さが縮
んだ」結果なのです。列車の中の人にとっては、トンネルが秒速
24万キロで近づいてくるように見えます。運動の相対性から、
トンネルが動いていると考えてもいいのです。
 そうすると、動いているトンネルの長さは、止まっているとき
の長さより縮むことになります。ここで、添付ファイルの計算式
のB――長さの縮みの計算式を見てください。
 このBの計算式は、Aとほとんど同じです。数値を当てはめて
計算すると、次のようになります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   40万キロメートル×0.6=24万キロメートル
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 つまり、止まっているときの長さが40万キロメートルのトン
ネルが、もし秒速24万キロメートルで動けば、その長さは24
万キロメートルに縮むのです。だから、約1秒で通過できること
になるのです。
 このさい、「縮んで見える」ということを「縮んでいるように
錯覚している」と考えないことです。固有の長さが40万キロメ
ートルのものが動いているときは縮むのです。きちんと計算され
科学として認められていることなのです。
                 −−−[タイムマシン06]

時間の遅れ/長さの縮み計算ョ.JPG

2006年06月29日

時間は空間の一部である/ウェルズ(EJ第1144号)

 タイムマシンをテーマにした小説は多いのですが、何といって
も一番有名なのは、英国の作家、H・G・ウェルズの『タイムマ
シン』でしょう。ウェルズの『タイムマシン』は、今までに2回
映画化されています。
 最初の映画化は1959年――私はこれを映画館で見ているの
です。そして、第2回目は2002年――昨年のことです。もち
ろん、この映画はDVDで発売されており、どうやらこの映画が
昨今のタイムマシンブームの口火になった可能性があります。
 ところで、2002年の映画化の監督は、サイモン・ウェルズ
――彼は原作者H・G・ウェルズのひ孫なのです。いろいろな経
緯があったと思いますが、ディズニーアニメの助監督などをして
いたサイモン・ウェルズに白羽の矢が立ったのです。
 少し話が脱線しますが、この原作者H・G・ウェルズという人
物は単なるSF作家などではないのです。彼は、自分の小説の中
で作った空想の大量破壊兵器の廃絶運動を行うという奇妙な行動
をとっているのです。その大量破壊兵器とは、当時世界に存在し
ていなかった「原子爆弾」だったのです。
 空想の兵器といってもウェルズの記述は精緻を極め、物理学者
が読めば、その製造法のヒントがわかるほどだったのです。現実
にH・G・ウェルズのこの小説を読んだハンガリーの生物学者レ
オ・シラードは、衝撃を受け、生物学者の道を捨てて核物理学者
へと転身を図っています。そして、シラードは空想ではない本物
の原子爆弾の開発につながるいくつかの研究――核分裂における
連鎖反応方式の発明などをはじめるのです。
 そして、シラードは、アインシュタインを説得して、当時の米
国大統領ルーズベルトに対して、原爆開発のための「マンハッタ
ン計画」を進めるよう進言する有名な手紙を書かせることに成功
するのです。シラードは、アインシュタインと親しい付き合いが
あったので、その後も何かと彼を利用しています。
 しかし、原子爆弾のそもそものアイデアが、H・G・ウェルズ
の小説に登場していることはあまり知られていません。それだけ
ではないのです。H・G・ウェルズは、あの国際連盟の考案者で
もあるのです。いずれ、大韓航空機撃墜事件の関連テーマとして
国際連盟・国際連合について取り上げる予定ですが、これにもH
・G・ウェルズが深く関与しているのです。
 話を元に戻します。H・G・ウェルズがその代表作『タイムマ
シン』において、タイムマシンというマシンについてどのように
考えているかについて考えてみます。
 19世紀末の英国のあるサロンに好事家が集まってきます。こ
の邸宅の主人は発明家であり、著者はその主人のことを「タイム
トラベラー」と名づけています。
 物語は、そのタイムトラベラーが何人かの好事家に、ひどく難
しい問題を説明しているところから始まるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  この世の中にある立体は4つの方向に広がりを持っている。
 縦、横、高さ――そして、持続する時間だ。しかし、人間の肉
 体はもともと弱いので――それについてはいま説明するが――
 4番目の時間のことを忘れがちなのだ。
  この世界には4つの次元がある。そのうちの3つは、空間の
 平面と呼ばれるもの――縦、横、高さ――であり、残りのひと
 つは時間だ。
  ところが、僕たちはとかく、平面の3つの次元と、時間の次
 元をわけて考えるくせがある。わけることなどできないのに。
 なぜそんなことになるかというと、僕たちの意識が生まれてか
 ら死ぬまで、時間の流れとともに動いていくからだ。
       ――H・G・ウェルズ著、『タイムマシン』より
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 このタイムトラベラー――これはH・G・ウェルズ自身のこと
だと思いますが、彼は「時間は空間の一種である」と考えている
のです。しかし、時間をのぞく空間は自由に動きまわれるのに対
して、時間の中では動けない――これはおかしなことであると考
えており、そのことを好事家たちに説明しているのです。
 つまり、ウェルズのタイムマシンは、時間に対してだけ移動し
空間は不動なのです。小説の中でタイムトラベラーは、小さなタ
イムマシンをテーブルの上に置いて、実際にレバーを動かして見
せるのです。
 例えば、いまテーブルに置かれている小型のタイムマシン――
これはつい先ほどまではなかったのです。したがって、このマシ
ンのレバーを倒して、過去に飛ばしたとしましょう。そうすると
そのタイムマシンは一瞬のうちに消えてしまうはずです。
 過去に遡るというのは、1分前、1時間前、1日前というよう
に、過去に向って進行するからです。空間は動かず時間だけが過
去に遡るのですから、小型タイムマシンがそれを現在(いま)の
時点で見ている人の目から消えてしまうのは当然ですね。
 タイムトラベラーは、このあと邸内の研究室に入り、そこに置
いてあるタイムマシンに乗って80万年先の未来にタイムトラベ
ルします。着いた場所は芝生の上なのですが、その場所はタイム
マシンを置いてあった研究室の80万年後の姿なのです。つまり
空間は動いていないという設定です。
 タイムトラベラーは、この80万年後の世界で、探索、調査、
未来人間との会見など、いろいろやるうちに闘争に巻き込まれて
しまいます。そのどさくさに紛れてタイムマシンは、未来人間に
よって、少し位置を移動させられてしまうのです。
 しかし、タイムトラベラーは何とかタイムマシンに乗って現在
の世界に戻ってたくるのですが、着いたところは研究室から少し
離れたところだったのです。そうです。未来人間たちに動かされ
た分だけ、位置がずれて着いているわけです。このあたりは理に
かなっていると思います。
 この作品ができたのは、アインシュタインの相対性理論の発表
より前のことであり、大変優れた着想といえます。
                 −−−[タイムマシン07]

H・G・ウェルズとタイムマシン.JPG

2006年06月30日

時空の考え方を取り入れた干支暦(EJ第1145号)

 空間の3次元――縦、横、高さというものがあります。ニュー
トン以来の物理学では、物質が存在したり、物体が運動したりす
る入れ物として、この無限に広がる3次元の空間を考えており、
ニュートンはこれを「絶対空間」と呼んだのです。
 つまり、物体はその中で運動したり変化したりする――しかし
空間自体は固定されていて、全く変化せず、永久不変に存在して
いると考えたのです。
 時間についても同様です。時間は過去から未来に一様に流れ、
かつ宇宙のどこでも全く同じ時間になっていると考えたのです。
これが「絶対時間」です。これらの絶対空間と絶対時間の下で、
ニュートン力学は、あらゆる時間、あらゆる空間において、普遍
的に成り立つとされていたのです。
 しかし、アインシュタインは、時間と空間が密接に結びつき、
お互いに影響し合って変化することを明らかにしたのです。特殊
相対性理論の最大の功績は、従来の物理学でバラバラに扱われて
いた時間と空間を「時空」というひとつの概念にまとめたことで
あるといえます。つまり、空間の3次元に時間の1次元を加えて
「時空」という4次元の存在――4次元時空となるのです。
 「宇宙」の「宇」は「空間」、「宙」は「時間」の意味を持つ
といわれます。すなわち、「4次元時空」とは、「宇宙」そのも
のをあらわす言葉なのです。
 「時間」とか「空間」とか難しい話が続いているので、少し脱
線して、今朝は時空に関連する「十干十二支」についてお話しす
ることにします。
 「十干十二支」は、中国から伝わったといわれています。「十
二支」は、中国の戦国時代(西暦前5〜3世紀)からいわれるよ
うになってきており、「十干」はそれより後の漢の時代に占星術
師が考え出したといわれています。
 実は、この「十干十二支」は、時空をあらわしているのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
        干 ・・・・・ 空間
        支 ・・・・・ 時間
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「干支暦」というのがありますが、この暦は、時間と空間の組
合せでできているのです。「十干十二支」は次の通りです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 十 干:甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
 十二支:子 丑 寅 卯 辰 巳 午 未 申 酉 戌 亥
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「十二支」が時間を意味することはよく知られています。現在
私たちは「定時制」を採用しています。例えば、午前2時といえ
ばその瞬間を指すことになっています。しかし、江戸時代におい
ては、24時間を12で割った120分間(2時間)の「不定時
制」だったのです。
 例えば、「子の刻」というと、午後11時から午前1時までの
2時間を指していたのです。十二支と当時の時刻の関係を知って
おくと、時代小説を読むとき役立つので、次に示しておきます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    十二支   時刻          鐘
    子 ・・・ 午後11時〜午前 1時  九つ
    丑 ・・・ 午前 1時〜午前 3時  八つ
    寅 ・・・ 午前 3時〜午前 5時  七つ
    卯 ・・・ 午前 5時〜午前 7時 明六つ
    辰 ・・・ 午前 7時〜午前 9時  五つ
    巳 ・・・ 午前 9時〜午前11時  四つ
    午 ・・・ 午前11時〜午後 1時  九つ
    未 ・・・ 午後 1時〜午後 3時  八つ
    申 ・・・ 午後 3時〜午後 5時  七つ
    酉 ・・・ 午後 5時〜午後 7時 暮六つ
    戌 ・・・ 午後 7時〜午後 9時  五つ
    亥 ・・・ 午後 9時〜午後11時  四つ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 午の刻の真ん中の時刻――正午を境に午前と午後を区別してい
ます。私たちは何気なく「午前」「午後」といっていますが、こ
れは午の刻を中心にいうことばなのです。そして、正子の刻(午
前0時)と正午の刻(午後12時)が、陰陽道でいう陰陽の境に
なっているので、この時刻になると鐘を九つ打ったのです。現在
でいう時報です。
 鐘の数は今でもことばとして残っています。「三時のおやつ」
といいますが、これは午後3時に打つ鐘の数が八つであるからで
すし、唄で歌われる「お江戸日本橋七つ立ち・・・」は、旅立つ
には、午前3時から5時の間に・・という意味なのです。
 ところで、「空間」をあらわす「干」は10、「時間」をあら
わす「十二支」は12ですから、2つ余ります。十干と十二支を
甲子、乙丑、丙寅・・・癸酉のように組み合わせていくと、次の
2つ――戌、亥には、時間に見合う空間がありません。これは、
12年に2年間はそういう年があることを意味しています。
 「時間がある」ということは「生きている」ことです。「時間
があるのに空間がない」というのは、生きてはいるが実感がない
ということを意味します。例えば「寝ている」ときがそうです。
人間には、12年に2年間はそういう年があるのです。
 したがって、そういうときに何かを積極的にやるのは、リスク
が大きくて成功の可能性が低いということなのです。中国の諸賢
はそれを「空亡」とか「天中殺」と呼び、後世の人に注意のサイ
ンを送ったのです。
 このように十干と十二支とは2つずつずれるので、全部で60
通りの組み合わせがあって、元の甲子に戻ります。60歳を「還
暦」というのは、このことをいっているのです。
 十干十二支はこのように時空をあらわしますが、来週からは少
し複雑な話に入っていきます。    −−[タイムマシン08]

二支と時刻.JPG

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