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2006年07月26日

JFKジュニア/事故か謀殺か(EJ第1424号)

 1999年7月16日、米国で1機の自家用飛行機――6人乗りパイパー・サラトガⅡが消息を絶ったのです。この飛行機の操縦桿を握っていたのは、ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ・ジュニア――同乗者はケネディ・ジュニアの妻キャロリンとその姉のローレンの2人だったのです。
 ケネディ・ジュニアが操縦する飛行機は16日午後8時38分にニュージャージー州フェアフィールドを離陸、目的地のマーサズ・ビンヤードに午後10時に到着する予定だったのです。ここは、ケネディ家の別荘があるのです。ケネディ・ジュニア一行は故ロバート・F・ケネディ司法長官の娘ロリーの結婚式に出席する予定だったのです。
 しかし、予定時間から4時間が過ぎても到着しなかったので、家族が連邦航空局に届け、事故が判明したのです。捜索の結果、7月21日に3人の遺体は収容されています。解剖の結果、ジュニアの妻は妊娠3ヶ月――結局4人の命がこの事故によって失われたことになるのです。
 ロバート・ケネディは、ケネディ・ジュニアにとって叔父にあたるのですが、彼が1968年、大統領選挙に出馬中にロサンゼルスで射殺されたとき、叔母のおなかの中にいたのがロリーなのです。ロバートの死後、5ヶ月して誕生したロリーの結婚式には275人が招待されていたのですが、不幸なことに、ケネディ・ジュニアの葬式と重なり、式は中止されたといいます。
 この事故に関して、米国の航空管制局は、夜、悪天候、操縦に慣れていない購入したばかりの飛行機といったいくつかのキーワードから、何らかの操縦ミスによる着陸の失敗という報告を公表しています。さらにジュニアは足をケガしており、ギブスが外れたばかりという事故を裏付ける情報も出ています。
 しかし、これに反する情報は多いのです。足のケガに関してはジュニアは飛行機に乗る前にジムで汗を流していたことがわかっており、操縦に支障はなかったと考えられます。
 また、このニュージャージーの海岸線一帯は霧で有名なところですが、ジュニアにとっては自分の庭のように飛び慣れており、まして妻が大事な赤ん坊をおなかに宿していることでもあるので慎重に操縦したことは間違いないと考えられます。
 着陸空港の管制官とのやりとりの記録でもジュニアは「これから着陸態勢に入る」ということばを交わしており、着陸寸前まで何も異常はなかったことがわかっています。
 あとになって判明したことですが、この事故には目撃者はかなりおり、飛行機は急スピードで海上に墜落したことがわかってきたのです。飛行機のトランクルームに爆薬が仕掛けられていたか地上からミサイルのようなものを撃ち込まれ、機体が爆発したという情報すらあるのです。
 公の報告書は操縦ミスによる事故死ということになっていますが、これとは別にこうした目撃情報のウラをとった事故報告書が存在するのです。しかし、奇怪なことに、その報告書の公開は差し止められ、国家の安全保障に関わるという理由で、2029年まで公開を差し止める封印措置がとられてしまったのです。
 これでは、父親であるジョン・F・ケネディ元大統領と同じ扱いになりますが、大統領と違い、ケネディ・ジュニアは一民間人なのです。その飛行機事故の報告を暗殺された大統領並みにそこまで封印する必要があるのか疑問に思います。
 しかし、このケネディ一族――不慮の事故があまりにも多過ぎるのです。飛行機事故だけを例にとっても、ジョセフ&ローズケネディの長男、ジョセフ・P・ケネディ・ジュニアは、第2次世界大戦中の1944年、自ら操縦する爆撃機が爆発し、29歳で死亡しています。
 これは戦時中のことであり、仕方がないともいえますが、長男に続いて次女のキャサリーン・ケネディは4年後の1948年、フランスのセベンヌ山脈でチャーター機が墜落して28歳で死亡しています。
 飛行機以外の事故を含めると、たくさんあります。暗殺されたロバート・ケネディの長男のジョセフは、1973年に車で事故を起こし、同乗者の女性が負傷、重度の身体マヒにさせてしまっています。三男のデービットは1984年に麻薬の過剰服用で死亡。四男のマイケルは彼の子供のベビーシッターと関係を持ったことを非難されて精神がおかしくなり、1997年にコロラド州のスキー場で滑走中に木に激突して死亡しています。
 現在、連邦上院議員であるエドワード・M・ケネディは、1969年にマサチューセッツ州チャッパクディックで運転していた車が橋から落ち、本人は助かったものの、同乗していた女性を死亡させています。ところが、事故の通報が10時間も遅れたことでスキャンダルに発展し、これが原因でエドワードは大統領の夢が絶たれてしまうのです。
 しかし、逆の見方をすると、エドワードが現在でも上院議員を続けていられるのは、大統領への道が完全に閉ざされた結果であるともいえるのです。ケネディ一家では、大統領を目指そうとする者は確実に殺されてしまうからです。
 JFKジュニアといえば、3歳になったばかりの自分の父の埋葬の日、最敬礼をしながら父親の棺を見送るシーンが目に焼きついています。JFKとジャクリーン夫人との間には、流産と死産を繰り返したあとに生まれた子供が2人います。姉のキャロラインとJFKジュニアです。
 病院の保育器の中にいるジュニアを見つめるJFKに記者団が「将来、ご子息にも大統領になって欲しいですか」と聞いたところ、「無事に育ってくれればそれで十分」と答えたといわれています。しかし、JFKの願いは空しかったのです。まさか38歳でこの世を去るとは・・・。
 ジュニアの死は事故ではない疑いが濃厚なのです。だからこそ政府は事故報告書の公開を封印したのでしょう。そうであるとすると、ジュニアはなぜ殺されたのでしょうか。・・・・・・・・[JFK01]


JFKジュニア.JPG

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