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2006年11月21日

乾坤一擲のレポート(EJ第1400号)

 1939年、再審議の結果コロリョフの刑期は10年から8年に減刑になったのです。
彼はシベリアのコリマの収容所に送られるはずであり、もしそうなっていたら、彼は
生還することは困難だったと思われます。コロリョフは壊血病を患っており、当時相当
悪化していたからです。
 しかし、ツポレフをはじめとする大勢の人の嘆願により、シャラーシュカの収容所に
送られたのです。ここは、かつてツポレフも入れられていたことがある小さな収容所で
、同僚などの密告で犯罪者にされた科学者や技術者が中心だったのです。
 しかし、コロリョフは、その後シャラーシュカからプチールスカヤ刑務所に移行され
、1941年にはシベリアのオムスク、さらに次の年にはモスクワから650キロメー
トル離れたカザンへと移され、1944年7月になってやっと長い長い囚人生活から開
放されたのです。この間、ソ連のロケット開発は停止したままだったといっても過言で
はないでしょう。
 その頃、ドイツのフォン・ブラウンは、ペーネミュンデの秘密基地でV−2計画を遂
行中だったのです。しかし、1944年になると、連合軍の足音は日増しに大きくなっ
てきたのですが、フォン・ブラウン以下、元VfRのメンバーは、きちんとロケットの
建造に取り組んでいたのです。
 それは、祖国が勝利するための兵器としてのロケットの開発というよりも、彼らが抱
く未来の夢――宇宙を探査し、宇宙に人類を送り出すためのロケットを開発する――そ
ういう気持だったのです。彼らはこの時点で、ドイツがどのような巨大なロケットづ
くりに成功しても、もはや戦況を逆転する力にはならないことをよく知っていたのです。
 フォン・ブラウンは、こうした状況の中にあって、冷静に戦後のことを考えていたの
です。重要なことは次の3つです。
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           1.V−2計画機密書類を死守する
           2.ロケット開発技術者の安全確保
           3.必要な機材・部品の移動と確保
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 フォン・ブラウンとしては、戦後になっても宇宙開発のためのロケットづくりを続け
たい――そのためには、ペーネミュンデにある上記の3つものを死守する必要がある。
それには、どうすればよいか――フォン・ブラウンは、自分たちの夢を実現できるのは
米国しかないと考えていたのです。
 1945年1月、ソ連軍はペーネミュンデの東150キロメートルのところまで迫っ
ていたのです。そのとき、フォン・ブラウンは、上層部から次の2つの命令を受けてい
たのです。
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       ●ナチス親衛隊(SS)将軍/ハンス・カムラー
        ペーネミュンデの全人員、全機材を中部ドイツのブライヒ
        ェローデに移動せよ
       ●ポメラニア地方の長官
        ペーネミュンデを死守せよ
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 フォン・ブラウンはどちらの命令を選んでも未来はないと判断したのです。まして、
ポメラニア地方の長官の命令は自殺行為そのものです。そこで彼は仲間と相談をして、
上記の2と3、すなわち、技術者と必要な機材の移動についてはカムラーの命令を受け
入れるふりをして、ペーネミュンデの部局をひとつずつ南のブライヒェローデに向かわ
せ、状況を判断して西側の連合軍に投降するというシナリオを組んだのです。
 1945年3月、ソ連軍はペーネミュンデの30キロ東まで接近してきます。その時
点においてペーネミュンデからは技術者はすべて脱出し、設備の破壊を担当する人たち
がナチスのSS隊員の監視の下に作業をしていたのです。しかし、ソ連軍はすぐにはペ
ーネミュンデに進入してこなかったのです。なぜなら、ペーネミュンデはソ連軍の主要
なターゲットではなかったからです。
 さて、フォン・ブラウンは、上記1の機密書類については、彼の2人の腹心にハルツ
山脈のデルンテンの廃坑を隠すよう委託したのです。そのとき、SSの将軍カムラーか
ら、次の命令を受け取ります。
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      ブライヒェローデを去って、さらに南のバイエルン・アルプス
      のオーバーアンマーガウをめざせ。
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 1945年4月、500人から成るペーネミュンデ・チームは列車でペーネミュンデ
を出発し、オーバーアンマーガウに到着します。そこにはSS隊員が大勢おり、フォン
・ブラウン一行は彼らの厳重な監視の下に置かれたのです。
 しかし、4月30日にヒットラーの死がラジオで伝えられるとオーバーアンマーガウ
からは、目に見えてSS隊員の姿が消えていったのです。
 そして、1945年5月2日、フォン・ブラウンを中心とするロケット技術者のグル
ープは、米国第44歩兵師団第324連隊に身柄を確保されます。フォン・ブラウンの
狙い通りに米軍に投降することができたのです。
 フォン・ブラウンは、ガルミッシュ・パルテンキルヒェンで連合軍の専門的技術者た
ちから、いろいろな質問を受け、ドイツのロケット開発についてレポートを書くよう命
令されるのです。そのレポートの中でフォン・ブラウンは、今まで6万回に及ぶロケッ
トの改良を詳細に述べたあと、ロケット技術はまだ発展途上であること、さらに努力す
れば、人工衛星を実現することは可能であり、月や火星に人間を送れることを力説した
のです。未来の夢の実現をめざして、乾坤一擲のレポートを書いたのです。
                     ・・・ [アポロ計画/011]

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