ソ連世界初の人工衛星成功(EJ第1403号)
副島隆彦氏の『人類の月着陸は無かったろう論』に関して、書き始めてからちょうど
15日目です。このところ米ソのロケットのことを細かく書いており、また、ロケット
の話に戻ってしまったのかと錯覚される方もあると思いますので、このあたりで、問題
を整理して先に進むことにします。
上記の書籍で、副島氏は「人類の月着陸はなかった」という立場に立って、その数あ
る矛盾点を突いています。しかし、それは結局は水掛け論になります。
そこでEJでは、NASAのアポロ計画が行われた1969年当時において、米国に
月に行って人類を月に降ろし、月面活動のあと、着陸船を発射させて母船とドッキング
して、地球に戻る技術が果たしてあったのかどうかを調べることによって、それが本当
に行われたかどうかを検証してみることにしたのです。
具体的には、人類を宇宙に送るという幼いときから抱いていた夢を、ただひたすらに
実現させるべく努力した2人の男――米国のフォン・ブラウンとソ連のコロリョフのロ
ケット開発の軌跡をたどることによって、アポロ計画が本当に実現可能であったかどう
かを推理してみようというわけです。
1955年7月29日、アイゼンハワー米大統領は次の発表を行ったのです。
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1957年から1958年にかけての国際地球観測年に米国は
人工衛星を打ち上げる。 ―――アイゼンハワー米大統領
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しかし、この発表を受けてソ連は、1955年秋にコペンハーゲンで開催されたIA
F(国際宇宙航行連盟)総会において、初参加のソ連の代表団が、ソ連もゲームに参加
することを表明し、次のように述べています。
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技術的に見て、新聞に報道されたものより規模の大きい衛星
を創り出すことは可能であり、・・・ソ連のプロジェクトは、
比較的近い将来に実現される見通しです。ただし、わたくしは
その日程を正確に特定する立場にはありません。
――ソ連アカデミー/レオード・セドフ氏
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この1955年のアイゼンハワー大統領の宣言により、米ソのロケット開発の方向は
、ミサイルではなく、衛星の打ち上げへと舵を切ったことになるのです。
既に述べたように米国では、陸・海・空の3軍に分かれて、ロケット開発を進めてお
り、海軍の「ヴァンガード」計画と、フォン・ブラウンを擁する陸軍の「レッドストー
ン」計画が競っていたのです。
ヴァンガードかレッドストーンか――この判断が国防総省に委ねられたとき、国防総
省は自ら判断することを避けて、カルフォルニア工科大学のスチュアート教授に丸投げ
したのです。自ら判断してあとで責任をとらされることを恐れたからです。
さらに、そのスチュアート委員会(メンバー9人)も、計画を細かく検討することを
せず、多数決で決めてしまったのです。結果は次の通りです。
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ヴァンガード → 6 レットストーン → 3
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この投票を受けて、国防長官は陸軍に対し、衛星についてのすべての作業を中止し、
ミサイルの開発に専念せよという命令を発しているのです。フォン・ブラウンは敗れた
のです。
一方、ソ連でも似たようなことが起こっています。フォン・ブラウンと違って、その
当時のコロリョフは、フルシチョフをはじめ共産党中央委員会の幹部に対しても、強く
ものがいえる立場にいたのです。というのは1957年8月21日、コロリョフは大陸
間弾道弾「R−7/セミョールカ」の打上げに成功していたからです。
R−7は、ダミーの水爆弾頭をつけて、バイコヌールからカムチャッカ半島まで、お
よそ6400キロメートルを飛んでいるのです。これはその当時の世界新記録であり、
ソ連におけるコロリョフの立場は強かったのです。
当時世界初の人工衛星打ち上げに対して「ノー」の態度をとっていたのは、共産党中
央委員会だけだったのです。そこで、コロリョフは、中央委員会に対して、次の質問を
試みたのです。
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ソ連邦は衛星打ち上げを実現する世界で最初の国家をめざし
ているのか。それをやらずして、ソ連邦は歴史的責任を取れる
のか。 ――コロリョフ
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これに対して、中央委員会は臆病きわまる黙秘を決め込んだのです。誰もスケープゴ
ートになりたくないからです。しかし、コロリョフの提案に対して、無線信号機と電池
および温度測定装置のみを搭載する衛星という条件で、人工衛星打ち上げの承認を事実
上与えています。
しかし、当時のソ連の最高幹部たちの意識において、非軍事的な米ソの宇宙競争の軍
事的価値が認識されていなかったことは、注目に値することといえます。そのため、そ
れ以後コロリョフは米国という大国に宇宙開発で対峙するとともに、自国の大物たちを
相手とする消耗戦を死ぬまで続けることになるのです。
そして、1957年10月2日、スプートニクという人工衛星を装備したR−7ロケ
ットは打ち上げに成功し、世界初の人工衛星は軌道に乗ったのです。そして、スプート
ニクの地上でのコールサインを聞いたとき、コロリョフは、「私が生涯かけて待ち望ん
でいたのは、ただこの日のことだ」と述べたといわれます。かくして、人工衛星世界一
はソ連に奪われたのです。コロリョフ一歩リードです。 ・・・ [アポロ計画/14]
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