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2006年11月28日

ソ連に大差をつけられた米国の焦り(EJ第1404号)

 世界初の人工衛星の打ち上げ成功――この画期的なニュースは世界中に大きな波紋を
巻き起こしたのです。
 ちょうどそのときアラバマ州のハンツヴィルでは、国防長官に任命されたばかりのマ
ッケルロイ長官が他の陸軍高官を率いて、陸軍弾道ミサイル局(ABMA)を訪問中で
あり、フォン・ブラウンも当然その場にいたのです。
 そこに広報部長のゴードン・ハリスが次のように叫びながら会場に飛び込んできたの
です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
           ソ連が衛星を打ち上げました!
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 この叫びは、マッケルロイ長官をはじめ、その場にいた一同を打ちのめしたのです。
一瞬の静寂――そのとき、フォン・ブラウンは、訪問者に向かってこういったのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      レッドストーンを使えば2年も前に同じことができたのです。
      長官、やれといってください。60日で衛星を打ち上げてお目
      にかけます。            ――フォン・ブラウン
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1957年10月5日の『ニューヨーク・タイムス』紙は、第一面の全幅を横切る二
分の一インチの大活字で、めったに使わない三行のベッドラインで次のように伝えたの
です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
          ソヴィエト、地球周回衛星を宇宙に発射
          時速1万8000マイルで地球を周回
          球体はアメリカ上空を四回横断 !!
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これに対してフランスの『フィガロ』紙は全段抜きの次の大見出しをつけています。
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        神話が事実に変わり、地球の引力は征服された!?
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 そして、「技術の分野において多少の屈辱感を体験したアメリカ人の幻滅と苦渋の反
省」と報道し、米国を皮肉っています。しかし、これほどの快挙にもかかわらず、肝心
のソ連内部の直後の反応は実にそっけないものだったのです。
 発射翌日の『プラウダ』紙によると、一面の右下のところに控え目に打ち上げの事実
だけを伝えているだけです。それに、コロリョフをはじめとする打ち上げ関係者につい
ては、ソチ市にあるブルガーニンのダーチャ(田舎の別荘)で、5日間の休暇が与えら
れただけなのです。
 打ち上げ成功についてインタビューを受けたフルシチョフ首相は、次のようにいった
そうです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       コロリョフがまたロケットを打ち上げたということだ。
                  ――ニキタ・フルシチョフ首相
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 こういうソ連の態度を知ると、ソ連という国にしては「何とまあ、謙虚なこと」と考
えるかも知れませんが、そうではないのです。実は、フルシチョフ首相をはじめ、ソ連
は人工衛星というものの意味がよく理解できていなかったのです。
 その証拠に、ソ連の人工衛星打ち上げについての西側の報道を見たあとの10月6日
の『プラウダ』では、一転して、次のような見出しをつけたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
        世界初の地球軌道上の人工衛星、ソ連邦で誕生!
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 フルシチョフ首相は、事態を理解すると、早速コロリョフにクレムリンにくるよう命
じたのです。そして、コロリョフの成果を称えるとともに、あることを実現させて欲し
いとコロリョフに依頼したのです。
 その「あること」とは途方もないことだったのです。それは、革命四十周年記念を祝
賀するため、金はいくらかかってもよいから、何か目立つものを宇宙に打ち上げて欲し
いということだったからです。
 打ち上げて欲しいといっても花火ではないのです。しかも、革命四十周年記念日まで
には一ヶ月しか時間がないのです。そのようなことは、現在の技術をもってしても不可
能なことです。そういう誠に無理な、困難な要請だったのです。
 しかし、コロリョフはそれを引き受けるのです。何しろソ連の最高首脳から頭を下げ
て頼まれたのです。できないとは口が裂けてもいえなかったと後年コロリョフは述懐し
ています。そして、史上最短の宇宙ミッション、スプートニク2号計画がスタートした
のです。
 1957年11月3日、革命記念日の当日、スプートニク2号は打ち上げられたので
す。その重量は、スプートニク1号の6倍に相当する504キログラムだったのです。
 このスプートニク2号には、黒白まだらのテリア「ライカ」が乗っていたのです。ラ
イカはその孤独な宇宙滞在の間、心臓の鼓動を地球に送り届けながら宇宙で餌を食べ、
吠え、眠り、目覚めながら結局7日間生存したのですが、ブースターを切り離したとき
に熱制御システムが故障を起こし、カプセルの過熱によって死亡しています。しかし、
ライカは世界初の宇宙旅行者となったわけです。
 このスプートニク2号の成功によって、ソ連は改めて米国との技術力の差を全世界
の人々に見せつける結果となったのです。米国、とくにアイゼンハワー大統領のあせり
は頂点に達しつつあったわけです。
 それまで米国は何をしてきたのでしょうか。なぜ、ソ連にこれほどの差を許してしま
ったのでしょうか。                ・・・ [アポロ計画/015]

ライカ.jpg

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