猿丸大夫という歌人の謎(EJ第1276号)
百人一首の中で作者のはっきりしない4つの歌のうち2つについては説明が終わり
ましたが、残る2つの歌を説明します。対象の歌を再現しておきます。
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1.秋の田のかりほの庵の苫をあらみ
わが衣手は露にぬれつつ 天智天皇
5.おくやまにもみぢ踏み分け鳴く鹿の
こえ聞くときぞ秋はかなしき 猿丸大夫
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第1番の天智天皇の歌は、「万葉集」2174番にその原型が出ています。しかし、
この歌は「詠み人知らず」なのです。
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秋田刈る仮庵を作り吾が居れば
衣手寒く露ぞ置きにける
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それが「後撰集」に天智天皇作として収められているのです。少なくとも天智天皇は
一流の歌人ではなく、この歌が天智天皇の作品ではないことは一般的な見方となってい
ます。
第5番の猿丸大夫の歌については大きな疑問があります。この歌の出典は「古今集」
の215番なのですが、「詠み人知らず」になっているのです。
この猿丸大夫という歌人については、多くの疑問があり「謎の人物」とされており、
その正体をめぐって分厚い単行本まで出版されているのです。もっとも百人一首には喜
撰法師や蝉丸など経歴がはっきりしない人物も何人かはいますが、猿丸大夫の不鮮明さ
は中でも際立っているのです。
なにしろ生没年は不明、経歴も不明、勅撰集には「猿丸大夫」の名では1首も選ばれ
てはいない――わからないのオンパレードです。しかし、それでいて、藤原公任によっ
て「三十六歌仙」に選ばれ、その歌が公任の私家集である「三十六人撰」に載っている
のです。百人一首の100首のうち99首は「古今集」から採られています。いうまで
もないことながら「古今集」は勅撰集であるのに、第5番の猿丸大夫の歌は「詠み人知
らず」の歌としては「古今集」ですが、その出典としては公任の私家集である「三十六
人撰」から採られているのです。
定家の歌集に「二四代(にしだい)集」(「八代集抄」とも称する)というのがあっ
て、1809首の歌を収めています。「二四代」というのは「2×4=8」の意味で、
「古今集」から「新古今集」までの八代の勅撰集の中から定家は歌を抄出し、秀歌覚え
とし手控えたものが「二四代集」です。
その「二四代集」に「おくやまに・・」の歌があるのですが、作者名は「古今集」そ
のままに「詠み人知らず」になっているのです。これによって、定家はこの歌が「詠み
人知らず」であることを百も承知のうえ、それを百人一首に収めているのは間違いない
ことなのです。
百人一首の猿丸大夫の歌にはもっと不思議なことがあります。それは百人一首の中に
猿丸大夫の歌とそっくりの歌がもう1首あるからです。それは第83番の次の歌です。
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83.世の中を道こそなけれ思ひいる
山の奥にも鹿ぞ鳴くなる 皇太后宮大夫俊成
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どうでしょうか。「おくやまに・・」の歌に極めてよく似ています。この歌の作者は
俊成――つまり、藤原定家の父の歌なのです。つまり、定家は父の歌と同工異曲の猿丸
大夫の歌をあえて百人一首に選んでいるのです。
わからないことが多いのですが、事実を少し整理します。藤原定家はある目的のため
に百人一首の歌を選んでいることは間違いないのですが、その目的を果たすためには、
歌だけでなく、歌人の名も必要としているのです。
先ほど藤原公任が「三十六人撰」の中に猿丸大夫の歌を3首を収めていると述べまし
たが、それは次の3首です。なお、番号は「古今集」の通し番号です。
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29. をちこちのたつきもしらぬ山中に
おぼつかなくも喚子鳥かな
204. ひぐらしのなきつるなへに日はくれぬと
みしは山のかげにざりける
215. おくやまにもみぢ踏み分け鳴く鹿の
こえ聞くときぞ秋はかなしき
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これらの歌は、いずれも暗い感じの歌で、歌のできも必ずしも秀逸とはいえないので
はないかと考えられます。それなのに、公任はこれらの歌を「三十六人撰」に収録し、
定家もその中の1首
「おくやまに・・」を百人一首の歌として採歌しているのは、その歌も歌人の名前も両
方とも必要としたと考えられます。
百人一首の100首のうち、99首は勅撰集、1首は私撰集から採られている――こ
の事実は、何らかの事情で、猿丸大夫だけを100人から浮かび上がらせる意図がある
のではないかとは考えられないでしょうか。
なお、非常にややこしい話なのですが、藤原公任の「三十六人撰」の他に、定家の父
である俊成にも「俊成三十六人歌合」という歌集があるのです。この歌集に俊成は公任
の選んだ3首を猿丸大夫として引き継いでいるのですが、これら2つの歌集と古今集に
は、明らかに深い関連があるものと考えられます。
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藤原公任 ・・・・・ 「三十六人撰」
藤原俊成 ・・・・・ 「俊成三十六人歌合」
勅撰集 ・・・・・ 「古今和歌集」
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・・・ [百人一首/07]
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