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2006年12月30日

和歌の秘伝を伝える古今伝授(EJ第1278号)

 古今和歌集第29番の歌「をちこちの・・・」の中に「喚子鳥」という鳥が出てきま
す。この歌は古今和歌集では、「詠み人知らず」ですが、公任の「三十六人撰」では猿
丸大夫という謎の歌人の歌とされていることは既に述べた通りです。
 さて、この「喚子鳥」という鳥は人を呼ぶような鳴き声をする鳥のことで、カッコウ
などをあらわすのですが、歌道の世界では、特殊な意味を持っています。結論からいう
と、「古今伝授」の秘伝に使われる鳥なのです。
 古今伝授というのは、古今和歌集の解釈の秘説を師匠から弟子に秘伝として伝えたも
ので、形式化されたのは1471年の東常縁(とうのつねのり)から連歌師宗祇(そう
ぎ)へ伝授されてからといわれています。ちなみに古今和歌集(古今集とも略記)は醍
醐天皇の命を受けて勅撰したわが国初の勅撰集であり、編纂に携わったのは、紀貫之、
紀友則、凡河内躬恒、壬生忠岑の4人の歌人です。
 この古今伝授において非常に重要な事項については、一通ずつ切紙に書いて伝えられ
たといわれます。これを「切紙伝授」というのです。そのとき使われるのが「三木・山
鳥」(さんもく・さんちょう)といい、「喚子鳥」は三鳥のひとつです。
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        三木 ・・・ 御賀玉木、河菜草、めどに削り花
        三鳥 ・・・ 喚子鳥、百千鳥、稲負鳥
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 しかし、何しろ秘伝であり、三木・三鳥を具体的にどのように使うのかは残念ながら
不明です。それに「めどに削り花」などは8音であり、歌に使える言葉とは思えないの
す。したがって、古今伝授は三木や三鳥にかこつけて、言葉の意味以外のもっと大切な
ものを伝える手段ではないかと考えられるのです。
 しかし、藤原公任の「三十六人撰」に載っている猿丸大夫の歌3首について、歌の通
し番号と左格の通し番号の差「29」というキーワードから、古今集の29番に該当す
る歌を調べると「三十六人撰」では猿丸大夫の最初の歌「をちこちの・・」にたどりつ
くのです。ところが、この歌には三鳥のひとつ「喚子鳥」が歌われています。何か暗示
的であるとは思いませんか。
 この古今伝授が、歌道の世界でどれほど重要なものであるかを示す有名な歴史的事件
があります。
 東常縁から古今伝授を受けた連歌師宗祇は、三条西家の実隆にそれを伝授し、そこか
ら三条西家の公条、実枝、実条へと伝えられるのですが、実条が幼少だったので、一時
弟子の細川幽斉に預けられたのです。
 細川幽斎は、かつて細川藤孝のときに織田信長の命により、明智光秀とともに丹後を
平定し、その恩賞として丹後国を与えられます。そして、そこに宮津城と田辺城(通称
舞鶴城)を建立して息子の忠興(細川ガラシャの夫)とともにこの丹後地域を統治して
いたのです。
 この舞鶴城下では、細川幽斎の人気は上々で、武将であると同時に類まれな国家的文
化人である幽斎のことを誇りに思う人が多かったのです。それは関が原の戦いのときに
起こったある事件がきっかけで細川幽斎の人気が上昇したのです。
 1600年9月に起こった関が原合戦で細川一族は徳川家康についたので、忠興が全
軍を率いて会津征伐に向かっているときに石田三成は、福知山城主小野木縫殿助ら三成
方の軍勢1万5千騎をもって丹後に侵攻させたのです。
 宮津城で留守をあずかっていた幽斉は、石田勢の大軍が侵攻してくるのを聞き、決死
の覚悟で宮津、久美、嶺山の諸城を焼き払い、船で舞鶴城にわたり、籠城したのです。
敵の数1万5千人に対して、細川方はわずか5百人――当時の舞鶴城は北が海、東西は
川、南は馬が渡れないほど深い湿田で、難攻不落の城ではあったのですが、落城は時間
の問題だったのです。
 これを知って、幽斉から歌道を教わっていた八条宮智仁は、後陽成天皇に幽斉を救っ
て欲しいと願い出ます。天皇は「幽斉が討ち死にすると、古今伝授するものがいなくな
り、本朝の新道奥義和歌の秘密が長く途絶え、神国のおきてむなしくなる」と憂い、使
者を送って城を明け渡すようにと再三伝えます。
 最初のうち、幽斉は武士としてそれはできないと断り続けたのですが、何しろ天皇の
勅命でもあり、3日間の話し合いの結果、幽斉は城を明け渡すことを決めたのです。こ
うして守られたものが「古今伝授」というわけです。古今伝授はそれほどに重要なもの
なのです。
 幽斎の詠んだ歌に次のようなものがあります。この歌には、三木ならぬ十木が隠され
ており、「幽斎公十木御詠」といわれていますが、わかるでしょうか。
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           必ずと契りし君が来まさねば
               強いて待つ夜の過ぎ行くは憂し   幽斎
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 答えは次の通りです。詠みにくいですが、歌はトレースされています。
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      か【楢】ず【栃】【桐】【樒】【柿】≪柾≫≪根≫≪葉≫
      【椎】て【松】よの【杉】【柚】【桑】うし
                        『古事類苑』神宮司庁
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 古今伝授がどのようなものかよくわかりませんが、何らかの意味で、百人一首に関連
しているように思います。「古今和歌集」、「三十六人撰」、「俊成三十六人歌合」、
「百人秀歌」と「百人一首」とは、すべてつながっているように考えられます。
 藤原定家は、これらの歌集を総動員して、何かを後世に伝える意図があって、そこに
複雑な仕組みを作っているような気がするのです。古今伝授もその重要な一環と思われ
ます。
・・・ [百人一首/09]

古今伝授書三巻.jpg
                 

「INTEC JAPAN/BLOG」は、本号が年内最終号となります。12月31
日から2007年1月4日まで通常号の発行をお休みさせていただきます。読者の皆様
には今年もご愛読頂きまして、まことにありがとうございました。どうぞ良いお年をお
迎え下さい。

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