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2006年12月01日

3人乗り宇宙船とランデヴー・ドッキング(EJ第1407号)

 ジョン・F・ケネディ大統領は、1961年5月25日の演説――人類を月に送り、
月面活動の後、地球に帰還させる――を決めるために、ジョンソン副大統領だけではな
く、彼が信頼を寄せる複数の人々に昨日のEJで述べたメモを送り、レポートを提出さ
せているのです。
 ジョンソン副大統領は、大統領のメモをフォン・ブラウンに示し、彼の意見を聞いて
います。フォン・ブラウンは、次のように答えたといわれています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       宇宙に実験室を送るというような方法では、ソ連を打ち負か
      すことは決してできません。しかし、人間を月面に着陸させる
      という絶好のチャンスを持っています。・・・月に人間を着陸
      させましょう。国の他の宇宙計画をすべて後回しにしても・・
                        ――フォン・ブラウン
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ジョンソンは、このフォン・ブラウンのことばを下敷きにして大統領に人類初の月着
陸を目標にすべきことを回答しています。ケネディ大統領は、就任直後から宇宙開発に
は強い関心を示し、そのためにジョンソン副大統領を宇宙協議会議長に就任させ、NA
SAの長官には、ジェームス・E・ウェップを登用していたのです。このウェップとい
う人物は、弁護士、大企業の重役、科学教育の責任者、航海士の経験を持ち、政治の世
界でもトルーマン大統領の財務局長や国務次官を務めている大物だった人です。
 1961年5月8日、このウェップNASA長官とマクナマラ国防長官の署名の入っ
た覚書がケネディ大統領に届けられています。大統領のメモに関する回答です。そこに
は、次のようなことが書かれていたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       宇宙での劇的な偉業の成就は、国家の技術力と組織力を象徴
      するものです。だからこそ、宇宙で何を達成したかは、国家の
      威信に貢献するものです。・・・私たちは国家計画のなかに、
      1960年代の終わりまでに、有人月探査を行うという目的が
      含まれるべきであると考えます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ケネディ大統領は、彼が信頼する複数の人の意見を集め、そのうえで自ら決断し、1
961年5月25日のあの演説を行ったのです。そのとき、米国は有人月着陸どころか
有人宇宙飛行ですらクリアしていなかったのです。
 辛うじて同じ年の5月5日にシェパード飛行士がレッドストーン・ロケットの先端に
格納されたマーキュリー宇宙船「フリーダム・セブン」に乗り込んで、打ち上げの3分
後にブースターから分離し、弾道飛行を終えて帰還することに成功したレベルのことし
かできていなかったのです。したがって、「困難なことは、高い目標を掲げて国家を挙
げて挑む」――この目標による管理の原則をそのままケネディ大統領は実践したことに
なります。
 このケネディ大統領の演説を米国の議会と国民は歓呼の声を上げて迎えています。議
会は活発な活動をはじめ、まず、NASAに対して170億ドルの資金が予算化された
のです。NASAのウェップ長官は、この資金を使って、全米の産業界・科学界から最
高の頭脳のスカウトに着手したのです。
 ウエップ長官は、人材を集めるに当って、全米に広がる選挙区に平等になるように配
慮しています。要するに、特定の地域からだけ人を集めるのではなく、全国から集める
ようにしたのです。そのため、この計画は広範な人々から熱狂的な支持を獲得すること
に成功しています。人類の月着陸という目標は、これによって文字通り、米国民全体の
目標になったといえるのです。
 1962年2月20日、有人宇宙飛行の先陣はジョン・グレンによって行われました
が、二番手の宇宙飛行は、同じ年の5月にスコット・カーペンターによって行われてい
ます。しかし、このときは、逆噴射ロケットを噴かすタイミングが遅れて、帰還予定の
場所から400キロメートルも離れた場所に着水するという失敗を冒しています。
 しかし、同じ年の10月には、三番手として、ウォーリー・シラー飛行士が飛び、6
時間の軌道飛行を行い、制御用の燃料を十分に残して、地球に帰還――予定地域から6
.4キロメートルの地点に着水し、三番手の失敗をカバーしています。
 1963年5月マーキュリー計画の最後を飾って、ゴードン・クーパー飛行士が「フ
ェイス・セブン」によって地球を飛び立ち、地球を19周することに成功します。その
ため、人工衛星軌道で米国人としてはじめて眠りに落ちることを経験しています。しか
し、その後電子機器のトラブルにより、手動で大気圏突入を行い、無事に帰還していま
す。このことから分かるように、NASAの宇宙計画は着実に前進していたのです。
 ここにきて、月に行くためには、米ソともに次の2つの課題をクリアしなければなら
なかったのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       1.2機の宇宙船が軌道上でのランデヴーすること
       2.1人乗りから3人乗りの宇宙船を開発すること
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 ソ連にしても米国にしても、ここまでは、果たして人間が宇宙で生活できるかどうか
を試すことに重点が置いていたのです。それは、米ソにおける1人乗りの宇宙船での実
験において実証されたといってよいと思います。
 次は、宇宙で人間はもっと自由に動き回り、数日間をある程度快適に過ごせるように
する必要があるのです。そのためには、1人の飛行士では無理で、最低3人は必要なの
です。そういう宇宙船を果たして作れるのでしょうか。
 それに月面に到着して帰還するには、どうしてもランデヴー・ドッキングは不可欠で
す。米ソの宇宙競争は、この2つの問題をめぐる競争に移っていくのです。 
・・・ [アポロ計画/018]
              
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