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2006年12月05日

フルシチョフの失脚とコロリョフ(EJ第1409号)

 世界を欺いたソ連のヴォスホート1号が地球に帰還したのは、1964年10月13
日のことです。ところが皮肉なことに、その翌日の14日にフルチショフ首相は突如失
脚してしまいます。その結果、コロリョフはソ連の宇宙開発計画について、フルシチョ
フの後を継いだブレジネフ書記長と折衝しなければならなくなるのです。
 このブレジネフという人物もフルチショフと同様に米国に遅れることは非常に気にす
るのですが、ソ連の宇宙開発に関して確固たるビジョンを持っておらず、コロリョフは
その点で苦労することになるのです。
 ここで考えてみるべきことがあります。この頃になると、ソ連は明らかに米国を意識
して宇宙開発を進めており、3人乗り宇宙船のように米国よりもソ連が宇宙開発で先行
しているように世界に印象づけるため、一種の騙しをやったという事実についてです。
ヴォスホート1号は、従来のヴォストーク宇宙船に多少の改良を施して、3人をすし詰
めにして押し込み、明らかに3人乗りの宇宙船と偽っています。
 もっとも騙しといっても、実際に宇宙に3人で行っていることは事実であり、単に宇
宙飛行中は座席に縛り付けられていて、何もやっていないというに過ぎないのですが、
米国をしてあたかも3人乗り宇宙船が既に完成していると思わせたのはやはり一種の騙
し(=戦術?)といえます。
 そういう観点で考えると、60年代中に人類を月に送り、月面に降りて探査を行い、
地球に生還させるという宣言をした米国が土壇場まできてできないことがわかったとき
、世界に対して騙しを行うことは可能性としてはないとはいえないのです。ソ連にして
も米国にしても、ともに国の威信を賭けているだけに、そういうことがあっても不思議
はないからです。
 しかし、調べてみると米国の宇宙計画は驚くほど緻密であり計画的なのです。このあ
とも明らかにしていきますが、あらゆる可能性を検討して月着陸に挑んでいるのです。
 このヴォスホート計画の頃になると、コロリョフの体調はかなり弱ってきていたので
す。コロリョフは外見こそ頑丈でたくましく見えますが、若いときに長期間にわたる収
容所生活を経験しており、その時点で健康を害していたのです。
 それでもコロリョフは宇宙開発におけるソ連の優位性を確保するためにがんばった
のです。1964年になって、コロリョフはそれまでの持論である地球軌道上で宇宙船
をドッキングさせて月に行くという計画を修正しています。
 N−1ロケットによって2人乗り宇宙船を月に向かって打ち上げ、月の軌道に入った
ら、宇宙飛行士1人を月面に着陸させ、1人は月の軌道上に残しておくというプランで
す。宇宙飛行士は2人ですが、アポロ計画とそっくりの内容です。
 1965年3月18日ソ連はヴォスホート2号を打ち上げるのです。このヴォスホー
ト2号には、ベリヤエフ大佐とレオノフ中佐の2人が乗っており、レオノフ中佐は17
周回に及ぶ飛行において21分間の船外活動をやっているのです。この快挙によって、
宇宙開発におけるソ連の優位性は保たれたといえます。
 船外活動を実施するには宇宙服のテストをやる必要があったので、ヴォスホート2号
の打ち上げに先立って、無人テストが行われたのです。しかし、その無人宇宙船は何ら
かのトラブルで壊れてしまったのです。調査の結果、宇宙船が非友好国に着陸しそうに
なったときに働く爆破システムが働いてしまったからです。
 このとき宇宙遊泳をやるかどうかでブレジネフとコロリョフは対立します。慎重に計
画を練り直す必要があるとするコロリョフに対して、宇宙遊泳で米国に先を越されるこ
とに怯えるブレジネフが計画強行を迫ったからです。ブレジネフに対して、コロリョフ
は次のようにいったといわれています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       私には技術だけでなく、人やプロジェクト全体についても責
      任があります。テスト計画を完了するまで進行させたくありま
      せん。もし、それでも「実施せよ」とおっしゃるなら、誰かを
      ここに派遣して私を更迭していただきたい。 ――コロリョフ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これにはさすがのブレジネフもコロリョフの意見に同意したといわれます。当時のソ
連において、時の権力者にこれほど明快にものがいえるのはコロリョフ以外にはいなか
ったと思います。それは、ソ連の宇宙計画は自分が支えているのだという強い信念があ
ったからこそいえることばであると思います。
 結局、宇宙服の件はその制作を担当したセヴェーリンにる地上テストの結果、打ち上
げ延期をする必要がないという結論に達し世界初の宇宙遊泳は行われて成功します。ベ
リヤエフ大佐とレオノフ中佐の2人は帰還後にパレードし、モスクワ市民に歓呼の声に
迎えられたのです。
 ブレジネフが先を越されることをあれほど恐れた米国では、レオノフ中佐が宇宙船の
外に出た時点においてNASAは船外活動の計画さえ立てていなかったのです。ソ連は
あらぬ影に怯えていたといえます。逆にいうと、それだけNASAのジェミニ計画の内
容が優れており、着実にソ連を追い詰める計画であることがコロリョフには理解できて
いたということになります。
 ここで知っておくべきことは、米国の宇宙計画の詳細は世界に公表されていたのに対
し、ソ連のそれはいわゆる鉄のカーテンに遮られて米国には掴めていなかったという事
実です。
 コロリョフの名前も「主任設計員」として登場するだけで、海外はもちろんのこと、
国内ですら伏せられていたのです。ソ連としては、コリョリョフの暗殺を極度に恐れた
からです。しかしながら、コロリョフはソ連の中では、必ずしも厚遇されていたとはい
えないのです。いなくなっては困るが、彼がやりたいようにはさせない――これが、ソ
連政府や国防省のコロリョフに対する扱いだったといえます。
・・・ [アポロ計画/020]

宇宙遊泳の飛行士のパレード.jpg

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