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このブログは、異文化研修の教育機関(株)インテック・ジャパンの情報発信用です。(株)イー・メディアとの提携により、同社のドキュメント・レポート「Electronic Journal」をウィークデイの毎日お届けします。
「Electronic Journal」は様々な情報を400字詰原稿用紙7枚にまとめて配信する日刊メールマガジンです。

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● 2007年01月 記事 ●

2007年01月05日

喚子鳥/百千鳥と紀貫之(EJ第1279号)

 百人一首に入っている歌の中で、5番の歌「おくやまに・・」の作者である猿丸大夫
は、次のような理由により、特異な存在になっています。今まで検討してきたことを6
つにまとめておくことにします。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      1.藤原公任は、古今和歌集で「詠み人知らず」である歌3首
        を猿丸大夫という名前で「三十六人撰」に収めている。
      2.猿丸大夫は生没年、経歴ともに不明の謎の人物であり、猿
        丸大夫の名前では勅撰集に1首も選ばれていないこと。
      3.藤原俊成は、「三十六人撰」に入っている猿丸大夫の同じ
        歌3首を、「俊成三十六人歌合」の中にも収めている。
      4.藤原定家は、「三十六人撰」および「俊成三十六人歌合」
        の中の猿丸大夫の歌1首を百人一首の中に収めている。
      5.藤原定家は、百人一首のうち99首を勅撰集から採歌して
        いるが、猿丸大夫の1首は私撰集から採っていること。
      6.定家は百人一首の中の猿丸大夫の歌「おくやまに・・」と
        よく似ている俊成の歌を83番の歌として収めている。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 以上により、これらの歌集において、猿丸大夫は特異の存在であり、何らかのキーワ
ードとして使われているのではないかと考えられるのです。
 28日のEJ第1277号において、「三十六人撰」における猿丸大夫のポジション
(左格6番)について、「三十六人撰」全体の歌の通し番号と左格の通し番号の差をと
ったところ「29」という数があらわれましたが、古今和歌集の29番は次の歌である
ことがわかったのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       29. をちこちのたつきもしらぬ山中に
                  おぼつかなくも喚子鳥かな
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この歌は、「三十六人撰」に猿丸大夫の作として公任によって選ばれている歌であり
しかも、この歌には古今伝授の三鳥のひとつが歌い込まれており、古今伝授とも関係が
あるようです。
 このあと、猿丸大夫に関連してキーワードとなりうる数としては、次の4つが上げら
れと思います。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
         1.「三十六人撰」と「俊成三十六人歌合」の
          全体の通し番号の差
         2.「三十六人撰」と「俊成三十六人歌合」の
          左格の通し番号の差
         3.「俊成三十六人歌合」における全体と、左
          格の通し番号との差
         4.「三十六人撰」と「俊成三十六人歌合」に
          おける歌数の差42
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1については、次の結果となります。繰り返しますが、猿丸大夫は、左格6番のポジ
ションです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
          ≪歌の通し番号≫ ≪左格通し番号≫
               59 −     31 = 28
               60 −     32 = 28
               61 −     33 = 28
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この「28」で古今和歌集を引くと、次の歌が出てきます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       28.ももちどりさへずる春は物ごとに
                あらたまれども我ぞふりゆく
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ここで「ももちどり」とは「百千鳥」――またまた古今伝授の三鳥の中のひとつが登
場してきました。
 続いて、2と3を計算します。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      ●「左の格の通し番号の差」
          ≪「三十六人撰」≫ ≪「俊成三十六人歌合」≫
               30 −     16 = 14
               31 −     17 = 14
               32 −     18 = 14
      ●「俊成三十六人歌合」の通し番号の差
          ≪全体の通し番号≫ ≪左の格の通し番号≫
               31 −     16 = 15
               32 −     17 = 15
               33 −     18 = 15
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この「14」と「15」については、試行錯誤の結果、次の事実が判明しています。
「三十六人撰」の中で猿丸大夫の名前で採歌されている歌は3首あり、その最初の歌は
59番の「をちこちの・・」です。この歌が古今和歌集の29番に「詠み人知らず」と
して出ていることは既にお話ししましたね。
 この古今和歌集29番の歌から14番目の歌が何であるかを調べると次の歌が出て
きたのです。番号は42番です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      42.人はいさ心も知らずふるさとは
               花ぞ昔の香ににほひける     紀貫之
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この歌は百人一首の35番の歌です。ここで、やっと百人一首の歌との関連が出てき
ました。しかも、この「42」という数字は、「三十六人撰」と「俊成三十六人歌合」
の歌の数の差なのです。そして古今和歌集の42番から15番さかのぼると――つまり
「をちこちの・・」の前の歌が古今伝授に関係のある「ももちどり・・」の歌なので
す。「14」と「15」という数字はいずれも古今和歌集の選者「紀貫之」に結びつく
のです。                      ・・・ [百人一首/10]

2007年01月09日

紀貫之をめぐる歌の分析(EJ第1280号)

 2007年になって早くも1週間が過ぎました。百人一首のテーマはしばらく続きま
すが、結論はかなり先になりますので、区切りのよいところでいったん終了し、別のテ
ーマをいくつか取り上げて、再び百人一首のテーマに戻るというスタイルで記述します
ので、ご了承願います。
 古今和歌集の42番は、紀貫之の次の歌です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      42.人はいさ心も知らずふるさとは
               花ぞ昔の香ににほひける     紀貫之
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この「42」という数は「三十六人撰」と「俊成三十六人歌合」の歌の数の差です。
「三十六人撰」の方が「俊成三十六人歌合」よりも歌の数が42首多いのです。
 ここで、百人一首に採用された36歌仙を洗い出してみると、次の25歌仙になりま
す。左右の格で示しておきます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
          左 1:人麻呂      右 2:貫之
          左 3:躬恒       右 4:伊勢
          左 5:家持       右 6:赤人
          左 7:業平       右 8:遍昭
          左 9:素性       右10:友則
          左11:猿丸       右12:小町
          左13:兼輔       右14:朝忠
          左15:敦忠       右18:忠岑
          左21:敏行       右22:重之
          左23:宋干       右28:元輔
          左27:興風       右34:忠見
          左29:是則
          左33:能宣
          左35:兼盛
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 さて、ここでひとつの実験をします。百人一首では上記25人の歌人が1首ずつです
から、歌の数は25首ですが「三十六人撰」の独特の数え方と「俊成三十六人歌合」の
1人3首の数え方で、この25歌仙を数えるとどうなるか――そんなことをしても意味
がないではないかという疑問を持つ方もいると思いますが、やってみることにします。
 「三十六人撰」における歌の数え方とは、左格1〜左格2と、右格1〜右格2の4人
の歌人、それに左格18と右格18の2人の歌人については、それぞれ10首ずつ、そ
れ以外の歌人についてはそれぞれ3首ずつという選び方です。意味がわからない方は、
1月28日のEJ1277号を参照願います。
 百人一首に選ばれている25人の歌人のうち、10首と計算する歌人を次に示してお
きます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
           左格 1:人麻呂    右格 1:貫之
           左格 2:躬恒     右格 2:伊勢
           左格18:兼盛
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 全部で5人ですから50首、それ以外の20人は3首ずつですから60首――合計し
て110首ということになり、「110」という数字があらわれました。
 これに対して、「俊成三十六人歌合」は25人がそれぞれ3首ずつですから75首と
なり、「75」という数字が出てきます。そこで次の計算をすると、「35」という数
字になります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
             110 − 75 = 35
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 百人一首でこの「35」番の歌をひくと、次の歌になります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      35.人はいさ心も知らずふるさとは
               花ぞ昔の香ににほひける     紀貫之
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 話がかなり複雑になっていますが、ご理解いただけますでしょうか。こうなると、と
ても偶然とは思えなくなります。そこに一定のルールのようなものがあるからです。
 紀貫之の「人はいさ心も知らず」の歌は、古今和歌集では42番の歌になっています
が、この「42」という数字は「三十六人撰」と「俊成三十六人歌合」の歌数の差――
150−108=42――なのです。
 ところが、藤原定家は、公任がやったのと同じロジックを使って「35」という数字
を出し、百人一首の35番の歌として「人はいさ心も知らず」の歌を配置しているので
す。これで、百人一首の歌番号が年代別などではなく、ある目的のために、一定のロジ
ックの下に決められている――そのように考えられます。
 さて、古今伝授の三鳥――喚子鳥、百千鳥、稲負鳥のうち、稲負鳥については、まだ
お話ししていません。稲負鳥を詠み込んだ歌は古今和歌集の208番に載っています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      208.わがかどにいなおほせどりの鳴くなへに
                   けさ吹く風に雁はきにけり
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 古今和歌集を見ると、この歌の5首前に「ひぐらしの・・」の歌(204)がありま
す。「三十六人撰」に載っている猿丸大夫の歌3首のうちの2番目の歌です。
 そして、この歌から数えて8番目に、猿丸大夫の3番目の歌で百人一首の5番に置か
れている「おくやまに・・」の歌があるのです。つまり、古今和歌集208番の「わが
かどに・・」の歌はその前後を猿丸大夫の歌によってはさまれたかたちになっているの
です。ここに、「5」と「8」という数字が浮かび上がってきますが、この解明は明日
のEJでやることにします。             ・・・ [百人一首/11]

2007年01月10日

『百人秀歌』との関係の分析(EJ第1281号)

 「5」と「8」の数字の解明ですが、「5」に関しては、百人一首における猿丸大夫
の5番の歌「おくやまに・・」が頭に浮かびますが、「8」とは何を意味するのでしょ
うか。
 ここまでは、古今和歌集を中心に、猿丸大夫という謎の歌人の歌をひとつのキーワー
ドとして、「三十六人撰」と「俊成三十六人歌合」という2つの歌集を分析手段として
使いながら、それを百人一首に結びつけるという作業をやってきました。
 しかし、もうひとつ重要な歌集があるのです。「百人秀歌」がそれです。百人秀歌に
ついては、1月21日のEJ1272号で解説していますが、その特色を再現しておき
ます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
         1.99番と100番の両院の歌がないこと
         2.歌人の配列順序がかなり違っていること
         3.百人一首にはない3つの歌が入っている
         4.74番の歌が別な歌に入れ替わっている
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この百人秀歌の中に、百人一首の5番の歌「おくやまに・・」が入っているかどうか
を調べてみると、何と8番に入っているのです。ここで「5」と「8」が結びついてき
ます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      「百人一首」の5番歌−「稲負鳥」−「百人秀歌」の8番歌
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 何度も述べているように猿丸大夫の歌は謎を解くキーワードとなっています。中でも
百人一首の5番歌「おくやまに・・」は主要な歌といえます。それに「稲負鳥」は古今
伝授の三鳥のひとつです。したがって、藤原定家は『「百人一首」と「百人秀歌」の両
歌集を一対のものとして、古今伝授を探れ!』といっているのではないかと思います。
 既に述べたように、定家は、「三十六人撰」に収められている三十六歌仙のうち、二
十五歌仙を百人一首に採り入れています。それを左格と右格に分けると、左格14人、
右格は11人というように、アンバランスな数になります。
 次の表を見てください。左格18人、右格18人で36歌仙がすべて揃っています。
このうち、★印がついているのは、百人一首に取り入れられている歌仙です。左格が1
4人、右格が11人です。A、B、Cの意味は次の通りです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       A 「三十六人撰」に公任によって採り入れられた歌の数
       B 「俊成三十六人歌合」に俊成によって採り入れた歌数
       C 「三十六人撰」と「俊成三十六人歌合」おける共通歌
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
               A B C         A B C
      左 1:人麻呂★10 3 1 右 1:貫之★10 3
      左 2:躬恒★ 10 3   右 2:伊勢★10 3 1
      左 3:家持★  3 3   右 3:赤人★ 3 3 2
      左 4:業平★  3 3   右 4:遍昭★ 3 3 1
      左 5:素性★  3 3 1 右 5:友則★ 3 3
      左 6:猿丸★  3 3 3 右 6:小町★ 3 3 2
      左 7:兼輔★  3 3   右 7:朝忠★ 3 3 3
      左 8:敦忠★  3 3   右 8:高光  3 3 3
      左 9:公忠   3 3 2 右 9:忠岑★ 3 3 1
      左10:斉宮女御 3 3   右10:頼基  3 3 1
      左11:敏行★  3 3 2 右11:重之★ 3 3 1
      左12:宋干★  3 3 3 右12:信明  3 3 1
      左13:清正   3 3 2 右13:順   3 3 1
      左14:興風★  3 3 2 右14:元輔★ 3 3
      左15:是則★  3 3 1 右15:元真  3 3
      左16:小大君  3 3 1 右16:仲文  3 3 2
      左17:能宣★  3 3 1 右17:忠見★ 3 3 1
      左18:兼盛★ 10 3 2 右18:中務 10 3 1
 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
              75  21        75  21
                54            54
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 表の読み方を説明します。例えば、人麻呂はABCがそれぞれ「10.3.1」とな
っていますが、これは「三十六人撰」からは10首、「俊成三十六人歌合」からは3首
という意味であり、その中に共通歌は1首ということをあらわしています。
 したがって、全部同じ歌というのは、「3.3.3」になっている歌人――猿丸、朝
忠、高光、宗干の4人だけです。これも何かのキーワードになっている可能性がありま
す。
 重箱の隅を突っつくような話ですが、左→右の順序で上から★印を数えて見てくださ
い。猿丸は11番目、朝忠は14番目になります。ここに左格14人、右格11人の数
値があらわれます。定家が25歌仙を14と11に分けたのは、われわれの目をこの共
通歌に向けさせるものではなかったのでしないでしょうか。
 その証拠をお目にかけましょう。共通歌の数を合計すると左格も右格も21となりま
す。その合計は42――古今和歌集の42番は紀貫之の歌です。そして、今度は定家が
百人一首に選んだ★印の25歌仙の共通歌の合計は16+12で「28」になります。
この「28」とは何かを調べると、何と「百人秀歌」の28番も紀貫之の歌になってい
るのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
         人はいさ心も知らずふるさとは
               花ぞ昔の香ににほひける     紀貫之
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この歌は古今集では42番、百人一首では35番、百人秀歌では28番――これらの
数字は、今まで検討してきた通り、すべて意味のある数字なのです。紀貫之の歌を利用
して、定家は、全歌数の差の42首と35首で古今集と百人一首をつなぎ、共通歌数の
差42首と28首で古今集と百人秀歌とつないでいるのです。・・[百人一首/12]

2007年01月11日

百人一首五歌とは何か(EJ第1282号)

 藤原定家の家系は、孫の代になってから家督相続の争いが起こり、次の3家に分立し
ています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
         1.二条家 ・・ 為氏 ・・ 百人一首
         2.京極家 ・・ 為教(為氏の弟)
         3.冷泉家 ・・ 為相 ・・ 百人秀歌
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 定家の長男である為家には為氏という嫡男がいます。しかし、為家は、50歳を過ぎ
てから後妻――阿仏尼を迎えています。この阿仏尼が為家との間に生まれた為相(ため
すけ)に宗家を継がせようとしたことから宗家をめぐる争いが起こるのです。
 こういう場合、宗家は先妻の子に継がせるのがすじというものであり、為家は荘園の
権利を為氏に与えていたのです。しかし、阿仏尼の執拗な訴えにより、為家は為氏に権
利を為相に渡すよう迫ったのです。ところが、為氏はそれに抵抗して権利の譲渡を拒否
――結局、為家の生存中にはそれは実現せず、これが原因で、定家の家系は3家に分割
されたのです。
 そして、百人一首は二条家、百人秀歌は冷泉家に伝えられたのですが、百人一首の方
は積極的に流布されたので、多くの人の知るところになったのに対し、百人秀歌の方は
徹底的に秘匿され、1951年になってやっと発見されたのです。
 もうひとつ藤原家の歴史について、百人一首の謎を解くための鍵となる事実がありま
す。それは、為家が彼の先妻の父、入道蓮生から嵯峨中院の山荘――百人一首の色紙を
貼った障子がある山荘――を相続しており、それは為相(冷泉家)に受け継がれている
ことです。
 これから少しずつ明らかになっていきますが、百人秀歌は百人一首の謎を解くために
は不可欠なものであり、これが発見されるまでは、誰も百人一首の謎に迫ることはでき
なかったのです。百人秀歌が厳重に隠されたのは、そういう理由によるのです。
 ところで、百人秀歌には、巻末に次のような奥書があります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      上古以来歌仙之一首 髄思出 書出之。名誉之人秀逸之詠、皆
      漏之。 用捨在心。自他不可有傍難歟。
      ――上古以来の歌仙の一首を思うままに選んだ。名誉の人や秀
      れた歌は皆漏らしたが、なぜそのようにしたかという理由は自
      分の心の中にあるので、他からとやかく言わないで欲しい――
      ――藤原定家
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 もうひとつ百人一首には、古今伝授が明らかに深く関与していると考えられます。古
今伝授に関しては元禄14年に刊行された「和歌極秘伝」に、秘伝内容として次の12
項目が上げられています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      1.歌のとまり字の口傳    7.古今和歌集山鳥の口傳
      2.詠歌制の詞口傳      8.同七首の秘歌
      3.百人一首五歌の口傳    9.三木の口傳
      4.同他流の口傳      10.一首十躰
      5.伊勢物語七ヶの秘事   11.一首五躰
      6.つれづれぐさ三ヶの秘事 12.木綿袴の歌
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 この中に「百人一首五歌の口傳」とあることを見ても、百人一首が古今伝授に関係の
あることは確かです。古今伝授の伝授者である細川幽斉自身も「幽斉抄」の中で次のよ
うに述べています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      和歌の骨髄は此百人一首なり。余情比類なき物也。十の内実は
      六七分、花は三四分たるべきにや      ―――細川幽斉
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 さて、古今伝授の秘伝の内容に上げられている「百人一首五歌の口傳」の「五歌」と
はどの歌を指すのでしょうか。
 これは、二条家と冷泉家では違うのです。歌人の名前で上げておきます。
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        二条家: 忠岑 人麻呂 仲麻呂 喜撰 定家
        冷泉家: 忠岑 家持  忠道  実朝 経信
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 最初に冷泉(れいぜい)家の五歌から分析することにします。五歌とはどのような歌
でしょうか。
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      30.有明のつれなくみえしわかれより
              暁ばかり憂きものはなし       忠岑
       6.かささぎのわたせる橋に置く霜の
              白きを見れば夜ぞふけにける     家持
      76.わたの原こぎいでてみればひさかたの
              雲居にまがふ沖つ白波        忠道
      93.世の中はつねにもがもな渚こぐ
              あまの小舟の綱手かなしも      実朝
      71.夕ざれば門田の稲葉おとずれて
              あしのまろやに秋風ぞ吹く      経信
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 これら五歌は、百人一首だけではなく、百人秀歌にも選ばれています。それぞれの歌
番号を合計して見ましょう。
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       ≪百人一首≫
        忠岑 家持  忠道  実朝 経信
        30+ 6 +76+ 93+71 = 276
       ≪百人秀歌≫
        忠岑 家持  忠道  実朝 経信
        30+ 5 +79+ 98+70 = 276
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 驚くべきことですが、合計数が276で一致しているのです。
                       ・・・[百人一首/13]

2007年01月12日

猿丸3歌と4歌集は相互関連する(EJ第1283号)

 前回、古今伝授によって示されている「百人一首五歌」は、藤原定家の後継三家のう
ち、二条家と冷泉家によってそれぞれ異なること――そのうち、冷泉家についてはそれ
ら五歌の作者の歌番号の合計が百人一首と百人秀歌で一致することを指摘しました。再
現しておきます。
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       ≪百人一首≫
        忠岑 家持  忠道  実朝 経信
        30+ 6 +76+ 93+71 = 276
       ≪百人秀歌≫
        忠岑 家持  忠道  実朝 経信
        30+ 5 +79+ 98+70 = 276
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この「276」という数字は何を意味しているのでしょうか。今まで検討してきたこ
とから考えると、キーワードである「猿丸大夫」とそれに関わる次の4つの歌集の関連
数値から割り出せるはずです。
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        1.百人一首       3.三十六人撰
        2.百人秀歌       4.俊成三十六人歌合
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 これら4つの歌集は、今後も登場しますので、どのような歌が収録されているか、参
照していただくサイトをご紹介しておきます。必要なときにダブルクリックすれば、そ
れぞれ歌集の掲載歌を参照できます。
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     ★百人一首
     http://homepage2.nifty.com/100-1/HYAKUNIN/KENKYU/100_1.htm
     ★百人秀歌
     http://homepage2.nifty.com/100-1/HYAKUNIN/KENKYU/100_s.htm
     ★三十六人撰/俊成三十六人歌合
     http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/36k_t.html
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 結論からいうと、「三十六人撰」と「俊成三十六人歌合」における猿丸大夫の歌番号
の合計が「276」になるのです。猿丸大夫の歌は、これら両歌集に3首ずつ同じ歌が
選ばれていますが、歌番号はそれぞれ異なります。
 その理由は、既に何度も述べているように、「三十六人撰」では上位4人と第18位
2人については10首ずつで他は3首ずつ「俊成三十六人歌合」では、すべて3首ずつ
採歌しているので、歌番号が異なってくるのです。
 そこで両歌集の猿丸大夫の歌3首の歌番号を合計してみると276」になるのです。
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       「三十六人撰」    「俊成三十六人歌合」
       (59+60+61)+(31+32+33)=276
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これによって、4つの歌集と猿丸大夫の3つ歌と古今伝授は、明らかにつながってい
ることがわかります。
 続いて、二条家について冷泉家と同じことをしてみることにします。二条家における
「百人一首五歌」とは、次の5人の歌人です。忠岑以外はすべて別の歌人です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
        二条家: 忠岑 人麻呂 仲麻呂 喜撰 定家
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 二条家の五歌は、次のような歌です。
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      30.有明のつれなくみえしわかれより
              暁ばかり憂きものはなし       忠岑
       3.あしひきの山鳥の尾のしだり尾の
              ながながし夜をひとりかも寝む   人麻呂
       7.あまの原ふりさけ見れば春日なる
              みかさの山にいでし月かも     仲麻呂
       8.わが庵は都のたつみしかぞ住む
              世をうじ山と人はいふなり      喜撰
      97.こぬ人をまつほの浦の夕なぎに
              焼くや藻塩の身もこがれつつ     定家
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 これらの五歌はもちろん百人秀歌にもあります。それぞれ歌番号を合計してみましょ
う。
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       ≪百人一首≫
        忠岑 人麻呂 仲麻呂  喜撰 定家
        30 + 3 + 7 + 8+97 = 145
       ≪百人秀歌≫
        忠岑 人麻呂 仲麻呂  喜撰  定家
        24 + 3 + 6 +14+100= 147
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 今度は一致しません。しかし、「147」については、「俊成三十六人歌合」におけ
る猿丸大夫の3歌の全体の通し番号と左格の通し番号を加えると「147」になるので
す。しかし、145については何を意味するのかわかっていません。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      「俊成三十六人歌合」
       全体の通し番号     左格の通し番号
       (31+32+33)+(16+17+18)=147
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 以上の分析ではっきりしてくることは、これら4つの歌集の歌の順番や歌の数、その
歌番号には何か大きな秘密が隠されていることについては、わかっていただけたと思い
ます。百人一首のテーマはまだ続きますが、その第1部は明日で終わります。
                          ・・・ [百人一首/14]

2007年01月15日

番号が移動していない11首(EJ第1284号)

 12月20日(水)から、14回にわたって百人一首の謎の解明に取り組んできまし
たが、本日でその第1部は終了します。そして、しばらくしてから、続きをやりたいと
考えています。最終結論は実に驚くべき結果になります。百人一首については、図書館
の本も含めてほとんどの本を手に入れており、それらを総動員して謎の解明に取り組ん
でおります。
 古今伝授が示唆した「百人一首の五歌」は、「百人秀歌」にはすべて入っています。
しかし、百人秀歌は百人一首の歌をほとんど取り込んでいますが、その順番は大きく変
動しており同じ歌でも歌番号はそれぞれ違うのです。冷泉家の場合、それでいながら、
なぜ、5首の合計が一致するのでしょうか。
 もし、数を一致させる作業が百人一首と百人秀歌が作られた後で行われたとしたら、
数を一致させようとすると、かなり面倒な作業になります。しかし、最初から百人一首
と百人秀歌が一体のものとして作られているとしたら、その作業は容易です。百人秀歌
の番号の順番が大きく変わっているのは、そのためではないでしょうか。
 それはさておき、そのように歌番号が変化している百人秀歌において、ぜんぜん歌番
号が移動していない歌が、11首あるのです。ほとんどの歌が移動しているのに、移動
していない歌がある――それだけできわめて暗示的です。「移動しない」ことによって、
後世に何かを伝えたい――そういう意図があるのではないでしょうか。その11首をご
紹介しましょう。
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       1.秋の田のかりほの庵の苫をあらみ
                わが衣手は露に濡れつつ ・・・・ 秋
       2.春過ぎて夏来にけらし白妙の
                衣干すてふ天の香具山 ・・・・・ 夏
       3.あしびきの山鳥の尾のしだり尾の
                ながながし夜をひとりかも寝む ・ 秋
       4.田子の浦にうちいでてみれば白妙の
                富士の高嶺に雪は降りつつ ・・・ 冬
      19.難波潟みじかき葦のふしの間も
               「逢はで」この夜を過ごしてよとや
      20.わびぬれば今はたおなじ難波なる
               みをつくしても「逢はむとぞ思ふ」
      32.山川に風のかけたるしがらみは
               流れも「あへぬ」紅葉なりけり
      44.「逢ふことの絶えて」しなくばなかなかに
               人をも身をもうらみざらまし
      77.瀬をはやみ岩にせかるる滝川の
               われても末に「逢はむとぞ思ふ」
      84.「ながらえばまたこのころやしのばれ」む
               うしと見し世ぞ今は悲しき
      85.「夜もすがら物思うころは」明けやらぬ
               閨のひまさへつれなかりけり
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これら11首は、最初の4首とそれ以外の7首に分けることができます。最初の4首
は季節を詠んでいる歌であり、残りの7首は「心情」を詠んでいる――すなわち、恋心
の移り変わるさまを詠んでいるのです。
 恋の心情を詠んだ7首については、それぞれ解説本を参照して確かめていただきたい
のですが、一言でいうと「片想いの心情」を詠んでいる歌といえます。
 ところで、百人一首には「逢う」という言葉を詠み込んだ歌があと3首あるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      43.「逢ひみての後」の心にくらぶれば
               むかしは物を思はざりけり
      56.あらざらむこの世のほかの思ひ出に
               今ひとたびの「逢う」こともがな
      57.「めぐり逢ひて」見しやそれともわかぬ間に
               雲がくれにし夜半の月かな
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これらの3首は先の移動しない11首中の7首が「逢いたい」「逢えぬ」「逢うこと
が絶える」「生きていれば逢える」というように、逢いたいが逢えない心情を歌ってい
るのに対し、上記3首は、「逢った後の」「逢う」「めぐり逢う」など、逢ったあとの
心情を詠んでいます。明らかに違うのです。
 万葉集などを見ると、恋の歌には次の2つがあるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
          1.不逢帰恋 → 逢わずしてかえる恋
          2.逢後別恋 → 逢ってのち別れる恋
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 このように分類すると、移動しない11首のうちの7首は明らかに「不逢帰恋」であ
り、移動している3首は「逢後別恋」ということになります。とても偶然とは思えず、
定家は明らかにていねいに歌を選り分けているのです。
 百人一首の歌の意味の分析については、多くの学者や研究家が挑戦しています。中で
も百人一首の成立論において新説を発表している織田正吉氏の研究は、実にユニークで
す。織田氏は、百人一首の歌は共通する言葉によっていくつかの歌群に分かれるが、そ
れらは、最終的にはすべてつながり合ってしまうと述べているのです。これらの歌群の
ひとつに「逢う」の歌群があるのです。
 こぼれ話ですが、百人一首をテーマとして取り上げようとしたとき、実は最初に探し
たのはこの織田氏の本なのです。しかし、なかなか見つからず、結局、梅木氏の協力に
より、練馬図書館から借りてもらったのです。しかし、百人一首には、その織田氏でも
気がついていない驚くべき秘密が隠されているのです。以上で百人一首の第1部は終り
です。                       ・・・ [百人一首/15]

織田正吉氏の本.jpg

2007年01月16日

地球には明らかに水が多すぎる(EJ第998号)

 われわれの住んでいる地球が「水惑星」といわれているのをご存知でしょうか。
 地球の地表の3分の1は海です。そして、北極と南極には氷山と氷床があります。そ
うすると、地球上のかなりの部分は水で覆われていることになります。他に水のある惑
星というと、火星や金星がありますが、地球ほどの水はないといわれています。
 「この多すぎる水はどこからきたのか」――と考えたことがあるでしょうか。実は、
世界中の多くの学者がこのテーマに挑んでいるのですが、今のところその謎は解明され
ていないのです。
 「何とかして地球上の水を減らすことはできないか」――これが実現すると、人間の
住む土地が増えるので人類にとって意義のあることです。しかし、減らすどころか、最
近の地球の温暖化現象で、氷山が溶けて逆に水が増え、人間の住める土地が少なくなり
つつあるようです。
 「海」はどのようにしてできたのでしょうか。
 約46億年前のことです。太陽系3番目の惑星である地球が誕生したのですが、その
とき地球はマグマ・オーシャン(マグマの海)の状態で、岩石がドロドロに溶けて地表
を覆っていたといわれています。
 岩石の中には水が化合物の状態で存在します。そのため岩石が溶岩状になると、岩石
の中の水の化合物が水蒸気となって出てきます。この水蒸気が空気中に放出されると雨
雲が形成され、それが雨となって地上に落ちてきます。しかし、地上が熱いうちは雨は
水蒸気となって空に発散し、また雨雲を形成します。
 しかし、地球誕生から約6億年が経過すると、地表の温度は摂氏100度を切るよう
になり、雨はそのまま地上に止まるようになって、少しずつ海が形成されていったわけ
です。
 ところで、水が液体の状態でいられるのは、次の条件が必要なのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       1気圧の下で、地表の温度が摂氏0度以上100度未満
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 地球が誕生して約6億年が経過してやっとこの状態になったのというわけです。もう
ひとつ――太陽から受け取るエネルギーは地球上で1分間に1平方センチメートル当り
約2カロリーといわれています。
 ところで金星は、この太陽から受け取るエネルギーが地球の2倍なのです。これによ
って、金星の地表温度は摂氏500度近くまで上がってしまいます。逆に、太陽から受
け取るエネルギーが2%減少すると、地球は全面凍結してしまうといわれています。
 地表温度が下がって地表が凍結し、雪や氷で覆われると、今度は太陽光が反射してし
まい、太陽から受け取るエネルギーがさらに少なくなって一層地表温度が下がるという
悪循環がはじまるのです。すべては、太陽しだいであり、地球上の生命を保つ環境は微
妙なバランスの上に成り立っているのです。
 水はこのようにかけがいのない貴重なものですが、地球上の水は、いささか多すぎる
と考えた人がいます。高橋実さんという日本人の科学者です。考えてみれば、人類はぎ
りぎりの水際に住んでいるといえます。よく晴れた日に飛行機から下を見ると、それが
よくわかります。東京にしても、ニューヨークにしても、ロンドンにしても、上海にし
ても、ほとんどの大都市が海面すれすれのところに展開されているのです。
 もし、南極の氷がとけて、海面が5メートル程度上昇すれば、すべてが海に沈んでし
まうのです。ちなみに、南極の氷がすべてとけてしまうと、世界の海面は150メート
ル上昇するといわれています。地球の温暖化が進むと、南極の氷はとけることになりけ
っして非現実的な話ではないのです。
 高橋氏は冒頭のテーマ――「何とかして地球上の水を減らすことはできないか」を本
気で考えて、科学者らしく計算をしてみたのです。その結果、このことが人智の及ばざ
ることであることを悟ったといいます。
 どういう計算かご紹介しましょう。
 海面を100メートル下げることを考えたとします。そうすれば、地球上に多くの陸
地ができることになります。これを実現するには、3.5京トンの海水を氷にして、そ
れを南極大陸に積み上げる必要があるのです。「京」という単位は、「兆」の1万倍と
いう途方もない単位です。
 しかし、海水を氷にしてそれを南極大陸に積み上げるのに、石油が動力源として20
兆トン必要になるのです。ところが石油の埋蔵量は、大陸ダナのありったけを見積もっ
ても2兆トンぐらいにしかならないというのです。これは、しょせん不可能なことであ
るわけです。
 ところで、大陸の氷がとけて海水になるという理屈は納得できますが、氷はなぜでき
たのかということに関しては、はっきりしていないのです。素人的に考えると、気候の
変化に決まっているということになります。確かに極冠と呼ばれる南北両極圏の氷は、
地球上でできたものと考えられます。
 しかし、氷について不可解なのは、二畳紀といって今から約2億年くらい前の、古生
代末期に近い頃の地層に発見される氷河の痕跡です。これがオーストラリア大陸にも南
米大陸にも分布しているばかりではなく、アフリカ大陸の中央部、赤道直下にも、それ
から、赤道の北にも南にも広く発見されているのです。
 この氷はどうしてできたのでしょうか。素人は、当時はきっと寒かったのだろうと簡
単に考えていますが、高橋氏は氷の分布状態から考えて、それでは説明がつかないとい
っています。
 「氷は地球の寒暖と関係なしにできたものらしい」が、「氷がとけるときは、寒いと
ころはとけ残り、暑いところはとけて海水になる」――高橋氏はこのように考えて、壮
大な仮説を組み立てるにいたるのです。        ・・・[ノアの洪水/01]

地球.jpg

2007年01月17日

ノアの洪水の神話は史実である(EJ第999号)

 「地球の水は多すぎる」――日本人の科学者、高橋実氏はこのように考えたのですが
問題はこの水がどこからやってきたのかがわからないのです。
 現在の地球で増水するという現象は、大量の雨が降るか、南北両極圏の氷がとけるこ
としか考えられません。高橋氏が考えたのは前者の「大量の雨」――すなわち、「洪水」
それも「ノアの洪水」だったのです。「どうもイマの地球の水の一部は、ノアの洪水の
時の水なのかも知れない」――高橋氏は、このように考えたのです。
 ところで、「ノアの洪水」についてあなたはどのように考えているでしょうか。
 大部分の人は、ノアの洪水は聖書の中の話、すなわち、神話であると考えていると思
います。確かに、ノアの洪水の話は「旧約聖書」の「創世記」に記述されています。
 しかし、聖書は実際に起こったことを述べているというよりもキリスト教的な啓示と
してとらえるものとされており、その関心の中心はもっぱら遠い過去の出来事の中に、
現在と未来の神の予言を見出すことに向けられていたといえます。
 そのため「洪水」は、この世の終末(最後の裁き)を予示するものとしてとらえられ
ています。これに関連して、マタイの福音書には、次の記述があります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。すな
      わち、洪水の出る前、ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い
      飲み、めとり、とつぎなどしていた。そして洪水が襲ってきて
      いっさいのものをさらっていくまで彼らは気がつかなかった。
      人の子の現れるのも、そのようであろう。
                   ――マタイ福音書24:37−9
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 こういう思考の流れから、ノアの洪水を実際に起こった史実としてとらえるのは困難
なのですが、高橋氏はあえて実際に起きたこととして、とらえてみることに挑戦したの
です。このように考えると、実はいろいろな謎が解けてくるのです。
 その謎のひとつに「マンモスの謎」があります。
 マンモスの冷凍体が、北シベリア(ベレゾフカ)のツンドラの中で発見されたのは、
1799年のことです。今から203年も前のことです。このマンモスの冷凍体はよく
保存されていて、まるで冷凍牛肉のように新鮮だったそうです。
 このマンモスの冷凍体から、胃の中や歯の間などにあった未消化の草や木の葉が発見
されたのです。この事実から考えて、次のことがいえるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      マンモスは食事中か食事直後か、それが消化し切れないほどの
      時間内に何らかの原因で突然殺されている。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 どういうことかというと、マンモスは食事中か食事が終ったとたん、そのままの状態
で、いきなり冷凍されてしまっているのです。その死因は何だったのでしょうか。
 謎は長い間とけなかったのです。20世紀の後半に入ってからマンモスの歯の間や胃
の中にあった木の葉が、マンモスの冷凍体の発見されたツンドラ地帯に生えていないと
いうことがわかったのです。その木の葉は、1000マイルも南の暖かいところにしか
生えていないのです。
 もうひとつ、マンモスの死因は「溺死」という説が出てきたのです。これは、南米の
アンデス山脈の高地からあるはずのない貝殻が見つかったことから、マンモスは突然の
高潮に襲われたという説から出てきたのです。いずれにせよ、人類が体験したことのな
い突然の気候の急変によって、マンモスは一挙に寒冷の地に運ばれたというのです。
 高橋実氏は、その著書において、これに関して次のように述べています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      マンモスが襲われたのは、暖かい地域においてだ。巨大な水が
      マンモスを襲うと同時に、それを1000キロメートルも20
      00キロメートルも離れたところへ押し流してしまった。シベ
      リヤ北部の低いところにきて、水勢が衰えたところでマンモス
      の遺体はしばらく止まり、そこで冷凍された。
            ――高橋実著、『灼熱の氷惑星』より。原書房刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 私がこの高橋氏の著書を手に入れたのは、今から20年も前のことです。本の表題に
興味をそそられたからです。しかし、内容は難解であり、途中で読むのをやめてしまっ
たのです。そのため長く書棚の奥の方で眠っていたのですが、現在の住まいに引っ越す
ときについになくしてしまったのです。
 しかし、EJで月の話を書きはじめたときに、あることでこの本を思い出し、必死に
なって本を探しはじめたのです。そして、やっとこの11月28日に神保町の古本屋の
店先のゴンドラの中でこの本を発見したのです。これは奇跡です。
 初版が1975年2月27日で、私の手に入れた版が1975年の5月10日の初版
第8刷ですから、相当売れた本であるといえます。ちなみに本の価格は900円ですが
入手値段はたったの100円だったのです。
 断続的にはなりますが、これからのEJで高橋氏の驚くべき仮説をご紹介していきま
すが、その前提として「ノアの洪水」について詳しく知る必要があります。
 しかし、・・・です。「ノアの洪水」について書かれた単行本が非常に少なく、かつ
てあってもほとんどが廃版になっているのです。しかし、それでも何冊か貴重な本を手
に入れましたので、それを手かがりに秘密を解明したいと考えていす。・・・[ノアの
洪水/02]

灼熱の氷惑星.jpg

2007年01月18日

創世記によるノアの箱舟神話(EJ第1002号)

 「ノアの洪水」の話を知らない人はないでしょう。しかし、多くの人、とくに日本人
はその詳細について知っている人はとてもわずかです。ところで、ノアの箱舟はどのく
らいの大きさであるかご存知ですか。
 創世記によると、神がノアに与えた指示は次の通りです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      箱舟の長さ300キュビット、幅50キュビット、高さ30キ
      ュビットとする。それに屋根をつけ、三階建てで各階は部屋に
      分かれ、横にドアをつけ、窓をつける。
      ――ノーマン・コーン著/浜林正夫訳『ノアの大洪水』大月書
      店刊より。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1キュビットは約52センチです。書籍によっては、「1アンマ」という単位を使っ
ています。1アンマ=1キュビットというわけです。1アンマとは、大人の肘から中指
の先までの長さの単位とされています。ちなみに、私の場合は46センチしかありませ
んが・・・。
 これで箱舟の大きさは次のようになります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       長さ ・・・・ 1万5600センチ=156メートル
       幅 ・・・・・   2600センチ= 26メートル
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これで想像がつくと思いますが、まるでタンカーのような凄く大きな船です。そんな
船をノアが神の命にしたがって、陸地の奥で作り出したのですから、周囲はノアが完全
に気が狂ったと考えたのです。そんな大きな船をこんなところで作って、どうやって浜
辺へ引いていくのか――洪水など誰も考えなかったからです。
 しかし、ある日雨が降り始めると、どこからとこなく、数多くの動物たちがノアのと
ころにやってきます。それらはすべてつがいだったのです。彼らもノアと同じように、
神に命じられた鳥や動物だったのです。ノアは箱舟の扉を開けて彼らを箱舟の中へと導
きます。
 それを待っていたかのように、雨は激しさを増し、豪雨となり14日間降り続くので
す。そして、遂に「大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれて」滝のよう
な激しい雨が降り始めるのです。
 どのくらい雨は続いたのかについては諸説があります。40日、40夜、150日間
、1年・・・・いずれにせよ、その結果として、次のようになります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      水はますます勢いを加えて地上にみなぎり、およそ天の下にあ
      る高い山はすべて覆われた。水は勢いを増してさらにその上、
      15アンマ(約8メートル)に達し、山々を覆った。
      ――「創世記」第7章19〜20節
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 一番高い山よりも水が8メートルも高くなったのですから、地球上はすべて水で満た
され、その上に浮かんでいるのは、ノアの箱舟だけになってしまったのです。
 やがて雨はやみ、箱舟はアララト山の上に止まったのです。そして水は少しずつ引い
て、やがて地上が見えてきたのです。このとき、地球上で生きていたのは、ノアの一族
と箱舟に乗り込んだ鳥や動物たちだけとなってしまったのです。
 以上が「旧約聖書」の「創世記」が伝える「ノアの洪水」の物語の概要です。果た
して、これが史実でしょうか。
 一体「ノアの洪水」は何時起こったのでしょうか。
 1650年に英国のアッシャー大司教は、聖書でいうところの天地創造は紀元前40
04年と発表しています。ケンブリッジ大学の言語学者ジョン・ライトフットは、これ
を補正して次のように日時まで割り出しています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
          紀元前4004年10月26日午前9時
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 そして、ノアの洪水があったのは、紀元前2344年という数字が有力視されていま
す。しかし、これは聖書学の年代決定によるものであり、諸説があります。大雑把にい
って今から4500年前に「ノアの洪水」は起こったというのです。
 しかし、現在では、敬虔なキリスト教徒でも、「ノアの洪水」は史実ではなく、神の
道に反してはならないという、戒めのためのたとえ話として、とらえるようになってい
るのです。まして、日本では完全に神話としてとらえています。
 しかし、19世紀の後半になって、あることから、もしかすると、「ノアの洪水」が
史実ではないかという考え方が出てきたのです。その「あること」とは何でしょうか。
 現在、国連の査察が行われているイラク―――ここは、かつて世界最古といわれる
「メソポタミア文明」が発祥したところなのです。「メソポタミア」というのは、古代
ギリシャ語で「大きな河にはさまれた地」という意味なのです。その河とは、チグリス
河とユーフラテス河のことです。
 今から5000年前のことですが、この地にシュメール人と呼ばれる民族が最古の都
市を建設し、古代メソポタミア文明は幕を開けるのです。そのためこれをシュメール文
明と呼ぶこともあるのです。
 シュメール文明で特筆すべきことは、きちんとした文法を持つ言語体系を有していた
ことです。その形から「楔形文字」といわれますが、この言語は、そのあとこの地に興
ったアッカド、古バビロニア、アッシリア、バビロニアというシュメール文明以外の国
家でも使われたのです。
 このメソポタミア地方からは、この楔形文字を刻んだ粘土板が多数出土しているので
すが、19世紀後半になるまで、この文字は誰にも読めなかったのです。・・[ノアの
洪水/03]

ノアの箱舟.jpg

2007年01月19日

地球規模の洪水伝説は世界中にある(EJ第1003号)

 「ノアの洪水」の謎を解くことに貢献した人物の一人にジョージ・スミスという人が
います。スミスは、1840年に英国のロンドンで生まれ、14歳のときに銀行券の銅
版づくりの見習いになります。
 この仕事でスミスは非凡な才能を発揮します。しかし、スミスの関心は楔形文字を解
読することにあったのです。そこで、スミスは、銅版づくりの仕事をやめて、博物館の
修理工として働き始めます。それは、楔形文字の刻み込まれた何千という粘土板の断片
を集めて修復する作業です。この仕事を通じて、スミスは楔形文字を完全に解読するこ
とができるようになったのです。
 スミスの名を世界的に有名にしたのは、アッシリアの首都ニネヴァで発掘された粘土
板の解読に成功したことです。その粘土板は、アッシュール・バニパル王の図書館にあ
ったものですが、その一片には、次のように記述されていたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      ニシル山に船は止まった。7日たっても、船はニシル山の頂に
      止まったままだった。私は、鳩を放った。だが、止まる場所が
      ないのか、鳩は戻ってきた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これは創世記の「ノアの洪水」の記述に瓜二つです。「ニシル山」と「アララト山」
の違いはありますが、明らかに、「ノアの洪水」のことを書いています。スミスは、残
りの膨大な粘土板をつなぎ合わせて読んでいったところ、それは「ギルガメッシュ叙事
詩」と呼ばれる文献であることが判明したのです。
 さらに調べてみると、この粘土板は、アッシリア人が先住民であった古バビロニア人
から継承したものであることがわかったのです。このアッシュール・バニパル王という
人は古代文化に造詣が深く、アッシリア以前の記録を収集して、自ら図書館を建てて、
そこに保存していたのです。
 「ギルガメッシュ叙事詩」は全編12章から成り、その11章に、「ノアの洪水」と
そっくりの記述があるのです。『ノアの大洪水』の著者のノーマン・コーンによると、
その11章は幸いにも全体のうちで最もよく保存されているもののひとつであり、洪水
の記述は200行に及んでいたそうです。
 1872年12月3日、スミスは聖書考古学会で「ギルガメッシュ叙事詩」について
報告し、世界中にそのニュースは伝わっていったのです。その発表会の席には、当時の
英国首相グラッドストンをはじめ、多くの著名な学者、神学者、考古学者がならんでい
たといいます。しかし、スミスは、惜しいことに赤痢にかかり36歳の若さで世を去っ
ています。
 昨日のEJで「あること」が原因で「ノアの洪水」が、もしかしたら史実ではないか
と考えられるようになったと述べましたが、その「あること」とは、スミスによる「ギ
ルガメッシュ叙事詩」の発見なのです。
 仮に「ノアの洪水」が史実であったと考えてみましょう。そうであったとすると、大
洪水――それも地球規模の大洪水の記録はメソポタミア地方だけでなく、世界中にある
はずです。結論からいうと、地球規模の大洪水の記録は世界中に存在するのです。
 イラクの隣りのイランには、ペルシャ人固有の神話体系の中に洪水伝説があります。
インドは遺跡の中から楔形文字が見つかっており、もともとメソポタミア地方との結び
つきは強いのです。もちろん洪水伝説は存在します。インドには「マハーバーラタ」と
いう大叙事詩があるのですが、この中に「ノアの洪水」とそっくりの話があるのです。
 中国では、「欽定古今図書集成」の中に、大洪水が起こって地上の人間や動物は絶滅
したが、一部の人間や動物は巨大なヒョウタンに乗って助かるという話があります。こ
の他にも漢民族の神話の中に大洪水の伝承が見られます。
 オーストラリアにも大洪水の伝説があります。ここでは、動物が主人公になっていま
す。ハワイにも洪水伝説があります。ハワイの話は、「創世記」の「ノアの洪水」の話
と酷似しています。北米のアラスカ地方にも大洪水の伝説はあります。インディアン系
のトリンギット族、その他のインディアンの部族を調べると大洪水神話は存在します。
 中南米インディアンの神話の中にも、スケールの大きな大洪水の伝説が存在します。
今までに宇宙は4回死滅したが、そのつど大洪水と大火事が天地を襲ったとあります。
 ギリシャにも大洪水伝説があります。古代ギリシャが青銅の時代、主神ゼウスが堕落
した人類を滅ぼす目的で、大洪水を起すのですが、「ノアの洪水」によく似ています。
 ヨーロッパの北欧神話の中にも洪水伝説があります。北欧神話の『エッダ』という文
献の中に、真っ赤な色をした星が現れて、大洪水が起こったという話があります。北方
のスカンジナビアやアイルランドにも大洪水の伝説があります。
 古代エジプトに関しては、直接的に大洪水にふれた記録はないのですが、エジプトの
地方の神話の中には大洪水伝説があるといわれています。アフリカのマサイ族の神話に
も大洪水の話が存在します。
 不思議なことに日本に関しては、明確に大洪水についての記述が残っていないのです
。日本神話の原典である「古事記」や「日本書記」には、「大洪水」ということばも描
写もないのです。しかし、イザナギとイザナミによる日本列島形成に関する記述はあま
す。それを大洪水直後と考えればツジツマは合います。
 このように、例外はあるとしても、世界中に地球規模の大洪水の記録が伝説として存
在しているのです。その神話のいずれもがひとにぎりの人間や動物をのぞいて、世界中
の人間や動物が絶滅したと述べています。したがって、「ノアの洪水」は、実際に起こ
った史実と考えても別に不思議はないのです。
 しかし、神話の中に残っていてもそれは起こったことの証明にはならないという説も
一理あるといえます。               ・・・ [ノアの洪水/04]


ジョージ・スミス.jpg

2007年01月22日

アララト山には箱舟の残骸がある(EJ第1004号)

 世界中にある地球規模の洪水伝説は、いずれも大洪水によって地球上のすべての生き
物は絶滅してしまうのですが、一部の人間や動物は命を救われるということでパターン
は一致しています。大洪水は、堕落してしまった人類を懲らしめるために神が起こした
もので、一部の信心深い者は救われるという、きわめてキリスト教的な世界の話です。
 したがって、これが実際に起こったことではないかと考える人は少ないはずです。し
かし、「ノアの洪水」は史実であると考える人は少数派ながらいるのです。
 既にご紹介した高橋実氏は、地球上には異常なほど水が多いことに気づき、これらは
「ノアの洪水」の余水ではないかと考えたのです。そこで現在EJでは「ノアの洪水」
が実際に起こったことなのかどうかを検証しているのです。
 実は月は「ノアの洪水」と密接な関係があるのです。このままEJを読んでいってい
ただくと、やがて結びついてきます。その話をするためにも「ノアの洪水」が史実であ
るかどうかをはっきりさせる必要があるのです。
 もともと地球は「水の惑星」といわれるほど、水が多い惑星です。そのため、その地
球上に住む人類は、一方で水の恩恵を受けながらも、他方において水と戦ってきたので
す。したがって、世界の各地には、必ず洪水の記録が残っています。
 「ノアの洪水」が史実であると仮定すると、世界各地に地球規模の大洪水の何らかの
記録が残っていなければならない――と考えて世界中の国に、地球規模の大洪水が起こ
った記録はないか探してみたのです。
 果たせるかな、世界中のほとんどの国に地球規模の大洪水が起こったという記録が、
伝説や神話のかたちで残されていることがわかったのです。
 しかし、これだけでは、「ノアの洪水」が史実であるという証明にはなりません。犯
罪捜査風にいうと、状況証拠のひとつが実証された段階といえると思います。
 これに物的証拠が加わると、「ノアの洪水」は史実であるという驚くべき結論に到達
することになるのです。ところで、物的証拠などあるのでしょうか。
 「ノアの洪水」の物的証拠とは、ノアが作った箱舟そのものです。この箱舟が漂流し
て、聖書でいうようにアララト山頂に漂着したのだとすると、そこに何らかの痕跡があ
るはずです。それが見つかれば、何よりもの物的証拠となるはずです。
 創世記の「ノアの洪水」のことを記述した書籍を見ると、アララト山頂に漂着した箱
舟のイラストがあります。写真のAがアララト山であり、Bが漂着した箱舟のイラスト
、Cは洪水の前夜を描いた絵画です。
 アララト山は写真を見てもわかるように日本の富士山に似ています。アララト山は、
現在はトルコ共和国の領内のアルメニア共和国に近いコーカサス地方にあります。標高
5165メートルのコニーデ式火山です。
 そのアララト山に、本当にノアの箱舟の何らかの痕跡があるのでしょうか。少なくと
も現時点においては、そのようなものは確認されていないのです。
 しかし、この問題をていねいにフォローしてみると、アララト山でノアの箱舟を見た
という目撃情報はたくさんあるのです。それでいて、現在においても、誰もこの問題に
決着をつけようとしていないのです。UFOの問題と同じです。
 覚えている人もあるかも知れませんが、1985年の夏に当のトルコのアララト山で
、ある事件が起こったのです。日本のNHK、ドイツ、フランス、アメリカ各国の撮影
隊の一団が地元の反政府集団のテロに襲撃されたのです。テロリストの正体は、トルコ
政府に反旗をひるがえし、分離独立運動を掲げるクルド人の一団であったのです。
 問題は、日本、ドイツ、フランス、アメリカという先進国の一団が何を目的としてア
ララト山に登ろうとしたかにあります。その目的は、山頂にあるといわれているノアの
箱舟の痕跡を探り、それを撮影しようとしたのです。
 しかも、アララト山付近は、テロが出没する危険性についても撮影隊はよく知ってい
たのです。単なるドキュメンタリー作品を制作するにしては、危険が大き過ぎるのです
が、箱舟発見という重大な使命を帯びてのプロジェクトだったのでしょう。
 ノアの箱舟を目撃する目的で、アララト山に登った最初の人はドイツ人の自然哲学者
フリードリッヒ・パロットです。パロットは登頂に成功し、箱舟の残骸を目撃したとい
うのです。1829年のことです。
 彼は、アララト山の北東斜面のルートをとって登頂したのですが、彼は、そのとき、
アホーラ(アルグフリ)という村にある聖ヤコブ修道院を訪れています。
 その修道院にはひとつのイコン(聖像)があったのです。その修道院の話によると、
それは山頂の箱舟の残骸を削り取って、作ったものだそうです。しかし、残念なことに
その修道院は、それから10年後に起きた火山噴火と大地震でアホーラ村ごと消失して
しまったのです。
 続いて、1883年に英国大使館員を含めたトルコ政府の調査隊がアララト山に登頂
し、箱舟の残骸を発見しています。この調査隊の目的は、箱舟発見にあるのではなく、
火山が原因での地震の被害を調査するためだったのです。
 そのとき政府の調査隊が目にしたものは、アララト山を覆う氷河の割れ目、すなわち
クレバスの底に、何やら木片のようなものを発見したのです。しかし、アララト山は高
い山であり、その山腹には木が生えないのです。    ・・・[ノアの洪水/05]

アララト山と箱舟.jpg

2007年01月23日

箱舟は2つの場所で発見されている(EJ第1005号)

 「ノアの洪水」のように宗教のからむ問題は、その真実の解明を求める動きと、それ
に反対する動きが錯綜するものです。神の啓示ということを強調したい人たちは、真実
が解明されることに強く反対するのです。そのために、「ノアの洪水」の真偽は、多く
の目撃証言がありながら、いまだに解決していないのです。
 英国大使館員を含むトルコ政府の調査隊は、1883年、アララト山の山頂付近のク
レバスの下に箱舟の残骸らしいものを発見し、この情報は当然のことながら、イスタン
ブ−ルから全世界に向けて発信されたのです。
 このニュースは多くの国々の新聞に掲載されたのですが、シカゴ・トリビューン紙、
ニューヨーク・ワールド紙、ニューヨーク・ヘラルド紙などは、このニュースを取り上
げながら、それはインチキであると批判したのです。
 新聞社としてろくに調査もせず、きわめて感情的にインチキときめつけたのですが、
同紙の読者たちは「なぁーんだ、そういうことか」というように新聞を信じてしまいま
す。
 そのあともそういうことの繰り返しなのですが、19世紀から20世紀にかけての主
要な箱舟解明の動きについて、私の調べた事件をまとめると、次のようになります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      1.1850年 ・・ イアラム事件
      2.1893年 ・・ 世界宗教会議/米国シカゴでの提案
      3.1916年 ・・ 帝政ロシアロスコヴスキー中尉事件
      4.1948年 ・・ トルコ北部大地震での箱舟発見事件
      5.1952年 ・・ フランス人実業家ナヴァラ事件
      6.1959年 ・・ トルコ人パイロット箱舟発見事件
      7.1972年 ・・ トルコ人ジョージ・ハゴピアン事件
      8.1985年 ・・ 米国/最新機器による箱舟探査事件
      9.1985年 ・・ 日、独、仏、米各国撮影隊襲撃事件
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これら9つの事件のすべてを述べる紙面はありませんが、箱舟らしいものが発見され
た場所は2つあるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      1.2.3.5.7. ・・・・・ アララト山北東斜面
      4.6.8.9 ・・・・・・・・   アキャイラ連山
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 昨日のEJ1004号でご紹介したフリードリッヒ・パロットとトルコ政府調査隊も
箱舟らしいものを発見したのは、アララト山北東斜面のクレバスの下ですから、ほとん
どはアララト山で発見されているのです。それに聖書では、アララト山の山頂で船がと
まったと記述しています。
 これに対して「アキャイラ連山」というのは、アララト山から南に約30キロ離れた
ところにある連山のことです。ノアの箱舟の発見が狙いであれば、アキャイラ連山の方
で箱舟らしいものが発見されても無視されるはずなのに、なぜ、問題になっているので
しょうか。
 1948年5月のことです。トルコ北部を大地震が襲ったのです。一部地域では、崖
崩れや土砂崩れがあり、多くの被害が出たのですが、農夫レシッド・サリハン氏が借り
ていた農地にも被害が拡大したのです。
 レシッド氏が農地に行ってみると、そこに奇妙な地形が広がっていたというのです。
それは真上から見ると、ちょうど船のかたちをした箱舟地形になっていたのです。それ
は、その土の下には巨大な船が埋まっているようだったというのです。
 しかし、その場所はアキャイラ連山であり、アララト山ではなかったので、問題にさ
れなかったのです。この箱舟地形が問題になったのは、1959年に航空測量機を操縦
していたトルコのパイロット、A・クラティス中尉が、偶然に高度3000メートルの
上空から箱舟地形を発見し、撮影してからです。
 クラティス中尉は、現像した写真に尋常ではないものを感じてそれを司令部に報告し
たのです。司令部ではそれを専門家に鑑定を依頼、トルコ陸軍の工兵隊を現地に向かわ
せたのです。
 現地に到着したトルコの調査隊は、測量の結果土中に埋まっている舟らしきものは、
長さ約150メートル、幅約45メートルの大きさであることがわかったのです。
 聖書において神がノアに命じた箱舟の大きさは、長さが156メートル、幅が26メ
ートルですから、横幅が異なるものの、大きさもほぼ一致すると考えてよいでしょう。
土中に埋まっているので、土砂などで膨らんでいるものと考えられます。
 ところが、ダイナマイトなどを使って発掘を進めたところ、あると思った場所に舟な
どなかったのです。しかも、箱舟地形の土地はかなり固く、思うように発掘できなかっ
たそうです。トルコの調査団の力ではどうすることもできなかったのです。
 1985年になって、米国の調査隊が「断面走査レーダー」という新兵器を持って箱
舟地形の発掘にのぞんだのです。断面走査レーダーというのは、人間の体を輪切りにし
て撮影するMRIやCTのように、地面の下に隠されている物体をスキャンしながら探
査するマシンです。
 この調査の結果、箱舟地形の下に巨大な構造物が埋まっていることが確認されたので
す。それは、巨大な舟である可能性も十分あるというのです。
 そこで、米国の調査団は、超ハイテクを駆使した大規模な調査を行うことを決定しま
す。超ハイテクというのはNASAが地球の地下資源探査に使用している「インター・
フェース・レーダー」のことです。
 準備が整い、日本のNHKをはじめ、各国の撮影隊も参加してその一部始終を撮影す
ることになったのです。しかし、・です。クルド人ゲリラにその撮影隊が襲われて中断
してしまいます。もし、クルド人ゲリラが本隊を襲って高価なマシンを奪われたら、大
変なことになる――そういうわけで、現在も中断続行です。・・[ノアの洪水/06]

箱舟地形.jpg

2007年01月24日

ノアの箱舟は黄金比率を使っている(EJ第1006号)

 物的証拠はまだ見つかっていませんが、聖書の「ノアの洪水」の話はどうやら本当の
話のようです。しかし、現在においても、それが本当の話であることを伏せておきたい
向きがあるようで、決定的証拠はまだあがっていないのです。
 アララト山か、そこからそう遠くないアキャイラ連山に物的証拠らしいものがあるこ
とはわかっており、早く調べればいいのにと考えますが、アララト山というのは治安も
さることながら、登るのにかなり危険を伴う山なのです。まして調査となると何日もか
かるので、前もって相当の準備が必要であり、そういう意味で現在はストップしている
のだと思います。
 ところで、関連資料を調べてみたところ、1977年に米国では、「ノアの箱舟を求
めて」というテレビ番組が放映されているのです。番組内容は、アララト山でノアの箱
舟を探す試みを紹介したあと、「箱舟はここにある」として、「ノアの洪水」の物語は
史実であると結論づけているそうです。
 このノアの箱舟についての真偽の論争は欧米では聖書自体に強い関心があり、かなり
昔から行われているのですが、日本ではあまり話題になっていません。近いうちに「こ
れマジ!?」で取り上げそうなテーマですね。
 「ノアの洪水」が史実であるとすると、改めていろいろな疑問が湧いてきます。ノア
が神から受けた指示通りに船を作ることができたのですから、地球上にはノア以外にも
船を作る技術を持つ人はたくさんいたはずです。そのため、船もたくさんあったと考え
る方が自然です。
 したがって、大洪水が襲ってきたとき、人々はそれらの船に乗り込んで、何とか生き
延びようとしたはずです。しかし、最終的には、ノアの箱舟以外の船はすべて海の藻屑
になってしまったというわけです。
 どうして、ノアの箱舟だけは地球規模の大洪水を乗り切れたのでしょうか。まして、
ノアの箱舟には、多くの動物が乗っているのです。人間だけが乗っている船よりも条件
は厳しいはずです。神のご加護があったからであることは確かであるとしても、もう少
し納得できる理由はないのでしょうか。
 ひとつ手がかりがあります。それは、船のサイズです。そもそも神はノアになぜ船の
サイズを指示したのでしょうか。神の指示を再現してみましょう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      箱舟の長さ300キュビット、幅50キュビット、高さ30キ
      ュビットとする。それに屋根をつけ、三階建てで各階は部屋に
      分かれ、横にドアをつけ、窓をつける。
      ――ノーマン・コーン著/浜林正夫訳『ノアの大洪水』大月書
      店刊より。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 長さ300、幅50、高さ30という数字――300:50:30という比率は次の
ようになります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
          300:50:30 → 30:5:3
          → 6:1:0.6
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この「6:1:0.6」という比率は、驚くべきことに現代のタンカーと同じ比率で
あり、「黄金比率」と呼ばれています。黄金比率で船を作ると、流体力学と構造力学的
に非常に安定するので、タンカーなどに適用されているのです。荒れた海で船体が90
度傾いても転覆することはないのです。
 それでは、「ノアの洪水」がどの程度のレベルの洪水であるかについて聖書から検証
してみたいと思います。旧約聖書の創世記には、次のように書かれています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      「ノアの生涯の第600年、第二の月の十七日、この日、大い
      なる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた」
      ――「創世記」第7章11節より。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これを見ると、洪水の水源が次のように2つあることがわかります。2つが一度に押
し寄せたというイメージです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       「大いなる深淵」 ・・・ 地球の内部からの盛り上り
       「天の窓」 ・・・・・・ 空から降る大量の雨
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 「深淵」とは、文字通り「深い淵」――地球の内部から何かが盛り上がり、これによ
って海面が上昇して津波のように水が内陸に押し寄せ、それと同時に「天の窓」が開
いて、滝のような雨が落ちてきたということになります。これが40日間続いたという
のですから、まさしく大洪水になります。
 天の窓が開いて滝のような雨が40日間降り続く――こういうことが気象学上起こり
得ることなのでしょうか。
 ここで雨が降る原理を考えてみます。雨というのは「上空の水蒸気が、気温が下がっ
たため、水滴となって落ちてくる現象」です。いいかえると、大気中に含まれる気体と
しての水が、液体となって落ちてくるのです。この場合、気体と液体では、気体の方が
エネルギーが高い、つまり温度が高いのです。
 つまり、気体としての水が液体の雨になるのは、エネルギーが下がる――温度が下が
ることを意味しているのです。もう少し詳しくいうと、1立方メートル当たりの空気中
に存在できる気体としての水の量が限られているのです。これを「飽和水蒸気量」とい
います。
 例を上げて説明します。気温25度のときの飽和水蒸気量は、23.1グラムです。
この状態で温度が20度に下がるとその飽和水蒸気量は17.3グラムなので5.8グラ
ム分の水が気体として支えきれなくなって、雨となって地上に落ちるのです。 なお、気温が高いほど、飽和水蒸気量は多くなります。・・・[ノアの洪水/07]

洪水のときのパニックを描いた絵画.jpg

2007年01月25日

ノアの洪水の謎を解く3つの理論(EJ第1007号)

 土砂降りの雨が40日間も降り続く――そのようなことが気象現象として起こり得る
でしょうか。
 昨日のEJで述べたように、雨が降る原理は、気体としての水分を含んだ温かい空気
が、冷たい空気にぶつかったとき、温かい空気の温度が下がり、気体として維持してい
た水分を保持できなくなるので雨となるというものです。
 空気と空気のぶつかる部分を「前線」といいます。梅雨前線とか、秋雨前線とかいう
あの「前線」です。前線が近づいてくると雨になるのです。前線は、普通は移動するも
のですが、ときには一ヶ所に止まって動かないときがあります。これを停滞前線という
のです。停滞前線が居座っているときは、長い間雨が降り続くことになります。梅雨前
線がそうですね。
 しかし、全地球で雨が長期間にわたって降り続くには、この停滞前線が地球を覆って
しまう必要があります。しかし、地球上の特定の場所に前線が止まって、長期的に雨を
降らすということはあっても、地球全体を停滞前線が覆ってしまうことは、気象学的に
いってあり得ないことなのです。地球上には、熱帯雨林もあれば、砂漠地帯もあり、気
候は一様ではないからです。ノアの大洪水は、単なる気象学上の現象では説明できない
のです。
 大洪水の水はどこから来たのか――これからは、これがメインテーマとなります。今
まで、多くの学者がこの謎解きに挑戦しているのですが、いまだに謎は解けていないの
です。
 私が調べたところでは、この謎解きに挑戦し、それを学説のレベルにまで高めた人物
としては次の3人がいます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
           1.トマス・バーネット
           2.ウイリアム・ウィストン
           3.高橋 実
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 17世紀以前の西欧の世界では、キリスト教が文化の中心にあり、政治、経済の世界
まで強い影響力を持っていたのです。しかし、17世紀後半になると経済活動はキリス
ト教的倫理によってはおさえられなくなり、科学は自らの真理基準をもって自発的に活
動するようになってきていたのです。
 そして、アイザック・ニュートンの業績によって科学は一層の発展を遂げるのです。
本来こうした科学とキリスト教という宗教は相容れないものなのですが、当時の科学者
や科学に興味を示すほとんどの知識人は、科学は宗教と調和できるし、調和すべきであ
ると考えていたのです。
 これは、大変興味深いことですが、科学と調和させるために実際上、キリスト教的信
仰が科学上の発見に合わせて少しずつ修正されていったことを意味しています。そして
こういう傾向が最も顕著だったのは、アイザック・ニュートンを生んだ英国のケンブリ
ッジだったのです。
 科学が発達すると、世界の創造に迫ることができますが、英国の科学者たちは、自然
を探究することによって神の賢明なる慈悲深い計画を明らかにしつつあることを信じ
ていたわけです。とくにケンブリッジ大学においては、こういう傾向は際立っていたと
いえます。
 盲目的な信仰よりも科学的で理性的な論証の方が真のキリスト教の最終的な判定者と
してふさわしい――そういう考え方が、当時のケンブリッジでは顕著であったのです。
 そういう環境の中で、アイザック・ニュートンは生まれ育つのです。ニュートン(1
642〜1727)は、ケプラーが死んだ12年後、ガリレオが死んだ数ヵ月後に生ま
れています。しかし、ニュートンという人は、神に関する考え方を教会や国家と異にし
ており、異端者といわれたのです。
 ニュートンが晩年、英国の学会である王立協会の総裁になり、1705年にナイトの
称号を授与されたときも、イギリス国教会の信徒としての行動をとるという条件がつい
たそうです。しかしニュートンの偉大さは、その後の歴史が証明しています。
 1681年と1696年の間に、ともにケンブリッジの出身者にしてニュートンの影
響を多大に受けた2人の聖職者が、「ノアの洪水」と「世界の終末の火の海」を扱った
著作を発表します。その2人こそ、その所説をこれからご紹介するトマス・バーネット
とウイリアム・ウィストンなのです。
 トマス・バーネットは、クライスト・カレッジのフェロー、ウイリアム・ウィストン
は、クレア・ホールの元フェローであり、後年数学の教授として活躍した人です。
 彼ら2人は、大洪水は救いようもなく悪に染まってしまった人類を罰するために神が
行ったものであることをあくまで自明の理としながら、ひとつの世界が終って、これに
代わる新しい世界が生まれる激変を独自の理論で説明しているのです。
 トマス・バーネット(1636〜1715)は、『地球の神聖な理論』という著作を
1681年に出版しています。初版は限定25部の暫定版だったのです。
 一般向けの英語版は、『地球の理論』という書名が付けられて1684年に出版され
チャールズ二世に献じられています。その後、何回か増補改定が行われ、最終版は16
90年に出版されたのです。最終版に載せられたバーネット自身による著作全体の表題
は、次のようになっています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      地球の理論。地球の起源、およびそれがすでにこうむってきた
      そしてすべてのものが焼きつくされるときまでにこうむるであ
      ろうすべての一般的変化の説明を含む――トマス・バーネット
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 バーネットの著作は、地質学史の世界では、非科学的であり、地質学の発展に障害に
なったとさえいわれています。しかし、ノアの洪水の水がどこからきたかを思考する重
要なヒントになるので、明日のEJで解説することにします。
                          ・・・[ノアの洪水/08]

トマス・バーネット.jpg

2007年01月26日

ノアの洪水以前の地球は地上の楽園(EJ第1008号)

 トマス・バーネットは、地球上をすべて水で覆い尽くすには水が足りない――と考え
ていました。彼の計算によると、創世記に述べられているように、山々を15キュビッ
トの深さまで覆うとすれば、現在の海の水のおよそ8倍は必要になるが、それらの水は
どこからきたのであろうか――ということだったのです。
 そこで彼は逆転の発想をします。大洪水以前の地球と以後の地球(つまり、現在の地
球)は違うのではないか――彼はこう考えたのです。彼は次のように記述しています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      ・・・大洪水以前の地球の表面は平坦で、整然としていて、ど
      こも同じようだった。山もなく、海もひとつもなかった。・・
      海もなく、エリュシオンの野のように平坦であった。そのすべ
      てを旅しても山にも岩にも出会うことなく、しかも、人が住む
      世界としてのすべてのものがよくそなえられていた・・数百年
      にわたってこういう状態が続いていた――バーネット
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 平坦な大地を覆うのは、現在の海の水だけで十分なのです。それにバーネットは聖職
者ですから、ともすると、2つの地球論に走りやすかったといえます。つまり、神は当
初人類には恵まれた環境を与えていたのですが、人類は悪の限りを尽くしたので、神は
怒り、大洪水を起して人類を滅ぼし、環境を変えてしまったという説です。
 もうひとつ、数学者でもあるバーネットは、大洪水以前、地球上にどのくらいの人類
が生きていたかを計算しています。その答は、次のように算出されています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
             107億3741万8240人
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この数字が正しいといると、当時世界はユダヤのみではなく、世界の大部分に人は住
んでおり、これだけの人を神は洪水によって、溺死させたということになります。バー
ネットの説く地球生成論をごく簡単に説明しましょう。
 まず、最初に何があったかというと、「あらゆる物体の素材と成分とが、たがいに混
沌として入れまじっている」状態であったとバーネットは述べています。
 これらのさまざまな要素が、神の命令によって、それぞれの重力に応じた早さで中心
に向かって落下したときに地球は生まれたのだとしているのです。
 まず、最も重い要素である固体の物質は、まっすぐ中心に落下し、卵の黄身のような
固い核を作ったのです。次に重いのは水でこれも落下し、固い核の周りに球体を形成し
ます。バーネットはこれが聖書でいう「大深淵――地中に隠された地下水」であるとい
っています。
 そこには、石油などの油も含まれており、これらはしだいに分離して水面に浮かんだ
のです。空気はどうか――空気よりも重く水よりも軽いこまかな粒子が空中に充満して
、これらもちょうど雪片のように下の方に落ちていって、水の球体の上の石油や油の表
面にくっつきます。その結果ねばねばしたかたまりができ、これが太陽の熱で固められ
地球の外側の殻となったのです。
 この殻が、ちょうど卵の殻が白身をおさえているように水をおさえている――とバー
ネットはいいます。そしてバーネットは、聖書で「神は地を水の上に敷かれた」といっ
ているのは、このことをいっているのだと解説しています。
 ここで関心のあるのは、ノアの洪水以前の地球の環境です。バーネットは、神はパー
フェクトであり、その最初の創造(地球の環境)は完全であったといっています。
 当時、地球はつねに太陽から同じ距離にあり、そして、地軸はまだ傾いていなかった
ので、地球は常夏の状態を享受していたといいます。バーネットは、次のように述べて
います。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      きびしい気象はなく、氷や雪やひょうのように極端な寒さから
      生ずるものはなく、雷もなかった・・・風はといえば、その土
      地では強風も突風もなかった・・・当時、自然はこういう混乱
      にはまったく無縁だったのである――バーネット
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 地上の楽園――最近よく聞くことばですが、このバーネットが述べる世界は、まさに
地上の楽園といえます。バーネットはこの地上の楽園の環境そのものがそもそも大洪水
の原因であるといっているのです。
 どういうことか、説明しましょう。太陽が一年中照らしているので、地下水の大部分
は水蒸気となり、それが地殻を圧迫するようになります。水蒸気は空に上がって雨とな
って地上に落ちてきますが、それが繰り返されると、やがて地殻は乾燥し、ひび割れし
て大きな裂け目ができるようになります。
 この地殻の巨大な破片が水の層にどんどん落ちていき、そのため水は、上方に押し上
げられ、割れ目からほとばしり出て、水は世界中に広がっていったのです。これが聖書
でいう大洪水です。
 このようにして最初の完全な世界は荒廃し、かつて平坦であった地殻にはしわができ
て山となります。そして、現在の世界ができたのですが、バーネットは現在も整然とし
た世界の崩壊が進行中であるといっています。
 地殻のひび割れは現在も地震というかたちで起こっており、これが繰り返されると、
大地の核は空気と水と物質の粒子の混沌としたものでとりかこまれ、ここで、天地創造
の最初のプロセスが繰り返さるといっています。そして、再び山も海もない平坦な地殻
を形成するはずであるとバーネットはいうのです。
 以上がトマス・バーネットの『地球の理論』です。当時、この理論はもてはやされ、
長期にわたって強い影響力を持ち続けたのです。ケプラー、ガリレオ、ニュートンが既
に存在した時代の理論です。EJ第1009号はウィストンの理論を紹介します。
                          ・・・ [ノアの洪水/09] 

バーネット/地球の理論.jpg    
                             

2007年01月29日

ウィストンとはどういう人物か(EJ第1009号)

 ニュートンの弟子というべき人のひとりに、ウィリアム・ウィストン(1667〜1
752)という人がいます。ニュートンとは25歳の年の開きがあります。ウィストン
は、彼がケンブリッジ大学の学生のとき、ニュートンの『プリンキピア』という著作を
読んで感銘を受け、後にニュートンの推薦によってケンブリッジ大学・数学科のルカス
教授職を長く務めた人物です。
 ところで、ニュートンの『プリンキピア』という本をご存知でしょうか。ニュートン
という人は、自分の研究を世に広めるのにあまり熱心でなかった人なのですが、ニュー
トンよりも10歳年上に当るエドマンド・ハレー――あのハレー彗星を発見した天文学
者――がニュートンに強く勧めて、陽の目を見た著作です。このハレーについては、あ
とでEJのテーマにからんできますので覚えておいてください。
 ところで、『プリンキピア』では、ニュートンは次の3つの法則を公理として置いて
説明しています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       1.慣性の法則
       2.運動の法則
       3.作用反作用の法則
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 定理というのは、この公理から導き出されたものであり、多くの定理が生まれていま
す。ケプラーの法則やガリレイの放物運動も、その定理のひとつということになるので
す。
 数学においては、公理は必ずしも事実に基づかなくても良いのですが、物理の世界で
はそれは許されないのです。そのため、ニュートンが置いた公理は、実験や観察に基づ
いて導き出したものであったのです。そういう意味で、ニュートンは「私は仮説をつく
らない」といったのです。
 『プリンキピア』は難解であるにもかかわらずベスト・セラーになり、若い人たちや
女性にも読まれたそうですが、そのせいもあって、『プリンキピア』の手法、つまり3
つの公理から出発する演繹法は、他の分野でも使われ始めて、それは神学にも及んだの
です。 これは、数学論文の形式にもなっています。ところで『プリンキピア』という
のは英語 「principle」をラテン語の「principia」 であり、それをカタカナにしたも
のなのです。
 さて、EJ1007号で「ノアの洪水の謎を解く3つの理論」を上げましたが、その
第2の理論というのが、ウィリアム・ウィストンによる「地球の新理論」なのです。こ
の「地球の新理論」はニュートンの影響を受けて、次のような数学論文の形式でまとめ
られているのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
              第1編 補助定理
              第2編 仮説
              第3編 現象
              第4編 解
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この「地球の新理論」を仮に新刊書として出版するとして、表紙のオビに当る部分を
ウィストンは次のように書いています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       すべてのもののはじまりから終末までの地球の新理論。ここ
      では、聖書に示されたような6日間の世界の創造、全世界的な
      洪水、そしてすべてのもののはじまりから焼失が、理性と哲学
      に完全に合致することが示される――ウィストン
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この理論の説明に入る前に、ウィストンという人がどういう人であったかについても
う少し述べることにします。
 ウィストンはもともと聖職者ですが、ケンブリッジ大学で数学と天文学の公開講義を
し、聖書の注釈やキリスト教の教義史の本を書いて出版するなど、大変活躍した人なの
です。彼は科学の関心においても、宗教への関心においてもニュートンの影響を大きく
受けていたのです。
 ウィストンは、ニュートンが考えたように、三位一体説は原始キリスト教に付け加え
られた虚偽と確信していたのです。「三位一体」とは,聖書において啓示されている神
をいい表すキリスト教教理用語です。
 「三位一体の神」とは,聖書の神が実体において唯一の神でありつつ、父と子と聖霊
の3つの位格において存在することを意味しているのですが、この三位一体の神の教理
は,歴史において、激しい論争を通して形成されたのです。三位一体の神の教理の成立
に至るまでの論争を教理史において「三位一体論争」と称しているのです。
 ウィストンは、キリスト自身もその初期の弟子たちも子が父と同体であるとは信じて
いなかったと指摘し、ニュートンも同じ考え方であったのです。しかし、ニュートンは
自分の社会的地位を考慮してそのことを明言しなかったのに対し、ウィンストンは迎合
できず、大胆率直にそのことを講義で話したり、出版したりしたので、ケンブリッジ大
学の教授職を奪われ、大学から追放されてしまうのです。
 このように、ウィストンは「変わり者の宗教家」というレッテルが貼られ、第一線か
ら遠ざけられるのですが、彼の「地球の新理論」は高く評価され、全部で6回も再版さ
れ、英国だけでなく