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2007年01月22日

アララト山には箱舟の残骸がある(EJ第1004号)

 世界中にある地球規模の洪水伝説は、いずれも大洪水によって地球上のすべての生き
物は絶滅してしまうのですが、一部の人間や動物は命を救われるということでパターン
は一致しています。大洪水は、堕落してしまった人類を懲らしめるために神が起こした
もので、一部の信心深い者は救われるという、きわめてキリスト教的な世界の話です。
 したがって、これが実際に起こったことではないかと考える人は少ないはずです。し
かし、「ノアの洪水」は史実であると考える人は少数派ながらいるのです。
 既にご紹介した高橋実氏は、地球上には異常なほど水が多いことに気づき、これらは
「ノアの洪水」の余水ではないかと考えたのです。そこで現在EJでは「ノアの洪水」
が実際に起こったことなのかどうかを検証しているのです。
 実は月は「ノアの洪水」と密接な関係があるのです。このままEJを読んでいってい
ただくと、やがて結びついてきます。その話をするためにも「ノアの洪水」が史実であ
るかどうかをはっきりさせる必要があるのです。
 もともと地球は「水の惑星」といわれるほど、水が多い惑星です。そのため、その地
球上に住む人類は、一方で水の恩恵を受けながらも、他方において水と戦ってきたので
す。したがって、世界の各地には、必ず洪水の記録が残っています。
 「ノアの洪水」が史実であると仮定すると、世界各地に地球規模の大洪水の何らかの
記録が残っていなければならない――と考えて世界中の国に、地球規模の大洪水が起こ
った記録はないか探してみたのです。
 果たせるかな、世界中のほとんどの国に地球規模の大洪水が起こったという記録が、
伝説や神話のかたちで残されていることがわかったのです。
 しかし、これだけでは、「ノアの洪水」が史実であるという証明にはなりません。犯
罪捜査風にいうと、状況証拠のひとつが実証された段階といえると思います。
 これに物的証拠が加わると、「ノアの洪水」は史実であるという驚くべき結論に到達
することになるのです。ところで、物的証拠などあるのでしょうか。
 「ノアの洪水」の物的証拠とは、ノアが作った箱舟そのものです。この箱舟が漂流し
て、聖書でいうようにアララト山頂に漂着したのだとすると、そこに何らかの痕跡があ
るはずです。それが見つかれば、何よりもの物的証拠となるはずです。
 創世記の「ノアの洪水」のことを記述した書籍を見ると、アララト山頂に漂着した箱
舟のイラストがあります。写真のAがアララト山であり、Bが漂着した箱舟のイラスト
、Cは洪水の前夜を描いた絵画です。
 アララト山は写真を見てもわかるように日本の富士山に似ています。アララト山は、
現在はトルコ共和国の領内のアルメニア共和国に近いコーカサス地方にあります。標高
5165メートルのコニーデ式火山です。
 そのアララト山に、本当にノアの箱舟の何らかの痕跡があるのでしょうか。少なくと
も現時点においては、そのようなものは確認されていないのです。
 しかし、この問題をていねいにフォローしてみると、アララト山でノアの箱舟を見た
という目撃情報はたくさんあるのです。それでいて、現在においても、誰もこの問題に
決着をつけようとしていないのです。UFOの問題と同じです。
 覚えている人もあるかも知れませんが、1985年の夏に当のトルコのアララト山で
、ある事件が起こったのです。日本のNHK、ドイツ、フランス、アメリカ各国の撮影
隊の一団が地元の反政府集団のテロに襲撃されたのです。テロリストの正体は、トルコ
政府に反旗をひるがえし、分離独立運動を掲げるクルド人の一団であったのです。
 問題は、日本、ドイツ、フランス、アメリカという先進国の一団が何を目的としてア
ララト山に登ろうとしたかにあります。その目的は、山頂にあるといわれているノアの
箱舟の痕跡を探り、それを撮影しようとしたのです。
 しかも、アララト山付近は、テロが出没する危険性についても撮影隊はよく知ってい
たのです。単なるドキュメンタリー作品を制作するにしては、危険が大き過ぎるのです
が、箱舟発見という重大な使命を帯びてのプロジェクトだったのでしょう。
 ノアの箱舟を目撃する目的で、アララト山に登った最初の人はドイツ人の自然哲学者
フリードリッヒ・パロットです。パロットは登頂に成功し、箱舟の残骸を目撃したとい
うのです。1829年のことです。
 彼は、アララト山の北東斜面のルートをとって登頂したのですが、彼は、そのとき、
アホーラ(アルグフリ)という村にある聖ヤコブ修道院を訪れています。
 その修道院にはひとつのイコン(聖像)があったのです。その修道院の話によると、
それは山頂の箱舟の残骸を削り取って、作ったものだそうです。しかし、残念なことに
その修道院は、それから10年後に起きた火山噴火と大地震でアホーラ村ごと消失して
しまったのです。
 続いて、1883年に英国大使館員を含めたトルコ政府の調査隊がアララト山に登頂
し、箱舟の残骸を発見しています。この調査隊の目的は、箱舟発見にあるのではなく、
火山が原因での地震の被害を調査するためだったのです。
 そのとき政府の調査隊が目にしたものは、アララト山を覆う氷河の割れ目、すなわち
クレバスの底に、何やら木片のようなものを発見したのです。しかし、アララト山は高
い山であり、その山腹には木が生えないのです。    ・・・[ノアの洪水/05]

アララト山と箱舟.jpg

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