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このブログは、異文化研修の教育機関(株)インテック・ジャパンの情報発信用です。(株)イー・メディアとの提携により、同社のドキュメント・レポート「Electronic Journal」をウィークデイの毎日お届けします。
「Electronic Journal」は様々な情報を400字詰原稿用紙7枚にまとめて配信する日刊メールマガジンです。

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● 2007年03月 記事 ●

2007年03月01日

有機ELには国家プロジェクトがある(EJ第1098号)

 有機ELについて、かなりテクニカルな話が続いていますのでアタマが痛くなった人
も多いと思います。しかし、このくらい詳しく、ひとつの次世代技術について知ってお
くと、いろいろな面に役立つことが多いと思います。新聞記事を読んだ程度では、単な
る情報に過ぎず、応用は効かないものです。
 さて、有機ELは日本が独走状態であると述べましたが、具体的には、どうなのでし
ょうか。果たして、有機ELは、不況にあえぐ日本経済の救世主となり得るのでしょうか。
 有機ELの一番の狙い目は、ケータイ市場であると思います。この分野ではパイオニ
アが、まず、最初に参入しています。1999年のことです。しかし、これはエリアカ
ラーであり、国内向けではなく、モトローラの携帯電話向けに出荷されたのです。
 最近こういう技術革新のトップを突っ走っている企業は、つねにパイオニアなのです
。記録型DVDしかり、有機ELしかりとまさに社名のごとく、つねに先陣を切ってい
ます。
 2002年になると、韓国や台湾で、エリアカラーの携帯電話のディスプレイが発売
されています。東北パイオニア製のエリアカラーディスプレイなどは月産70万ユニッ
トも生産されているのですが、国内には販売されていません。日本のユーザには、フル
カラーでないと売れないという思い込みがあり、国内では販売していないのです。国内
はもっぱら液晶の全盛です。
 それでは、フルカラー有機ELの国内販売はいつになるのかというと、2003年か
ら数社で参入といわれています。もし、有機ELディスプレイが登場すると、液晶との
違いは歴然としており、急速に有機ELにシフトしていくはずです。
 有機ELにとって追い風になるのは、最近少しずつはやり始めているケータイの「動
画配信」です。そのため、あれだけ不振を極めている次世代携帯電話FOMAが、価格
が下がったこともあって、少しずつ売れ出しているのです。これなどは、動画配信が後
押しをしているといえます。
現在、液晶は輝度を上げてきれいに見せていますが、動画になると、液晶は決定的に
不利な立場に立たされてしまいます。というのは、液晶は素子移動が遅いため、動画に
は向かないのです。
 有機ELは、液晶の1000倍の速度で素子が移動するので、動画に向いており、液
晶の敵ではないのです。それに、カラーの美しさがありますから、ケータイ市場に有機
ELが参入すると、大きなシェアを獲得する可能性は大なのです。
 有機ELのテレビ化の状況はどうでしょうか。
 テレビ市場へのアプローチの方法は、60インチクラスの大型と、5インチ〜10イ
ンチクラスの小型の両端から、一番需要が見込める中型サイズに迫っていくという方針
のようです。
 メーカとしては、ソニー、三洋電機などが力を入れています。中でもソニーは「次世
代有機ELテレビはソニーが先陣を切る」という意気込みで取り組んでおり、2003
年1月には24インチ有機ELテレビを試作して発表しています。
 有機ELテレビのサイズの大小と、駆動方式との関係をまとめておきます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      大型〜特大型(40〜100インチ) ・・  パッシブ型
      中型〜 大型(15〜 40インチ) ・・ アクティブ型
      小型〜 中型( 5〜 15インチ) ・・ アクティブ型
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 興味深いのは、最大100インチクラスの特大テレビにパッシブ型が採用される可能
性が高いということです。60インチ以上のテレビとなると、有機ELの競合相手は、
もはや液晶ではなくPDP(プラズマ・ディスプレイ)なのです。
 軍配はどちらに上がるかというと、もちろん有機ELであるといえます。なぜなら、
有機ELは、プラズマと比べると、発光素子の効率が10倍以上も勝っていることと、
消費電力においても驚異的に小さくすることができるからです。それに、薄さ、軽さ画
質――何をとってもプラズマを凌いでいます。
 しかし、有機ELで、本当に60インチ以上が可能であるかどうか――これには、新
しく真空蒸着の装置を開発する必要があり大きなヤマが立ちはだかっているのです。
 ところが、この実現のために、2002年から、国家プロジェクトが立ち上がってい
るのをご存知でしょうか。
 日本の有機EL関係の「産・官・学」が結集し、それに加えて産業分野では、材料メ
ーカ、パネルメーカ、印刷会社など、日本を代表する有機EL12社が勢ぞろいして、
この国家プロジェクトに取り組んでいるのです。プロジェクト・リーダーには、山形大
学工学部教授/城戸淳二氏がなっています。
 この国家プロジェクトの目的は次の2つに絞られています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       1.60インチ有機ELディスプレイ/テレビを作る
       2.フレキシブルな「シート・ディスプレイ」を作る
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この2つの目的を5年以内(2002年〜2006年)に達成するというのです。最
近、この分野には、韓国、台湾が激しい攻勢をかけてきており、各社バラバラでやって
いると、いかに優れた技術を持っていても、負けてしまうのです。
 従来の国家プロジェクトは、国は資金のバラマキをやるだけで何も守ってくれないの
です。したがって、自国の中も、海外も敵ばかりという有様で、結局負けてしまうのです。
 しかし、今回は、有機ELの要(かなめ)になる材料メーカ、パネルメーカ、印刷会
社の3者が一体になっており、これがある限り、海外の敵に勝てるはずです。
 それに、このようなプロジェクトでは、どうしても最終商品のパネルに目が行ってし
まいますが、有機ELは材料しだいで勝負が決まるのです。その点、材料メーカとパネ
ルメーカが一体化しているので、大いに期待が持てます。・・・ [有機EL/09]

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2007年03月02日

国家プロジェクトでも負ける恐れがある(EJ第1099号)

 有機ELの技術面は、1987年のタン氏の論文以来15年、日本が完全に世界をリ
ードしており、他国の追随を許さない――それに加えて、有機ELの権威、山形大学工
学部、城戸淳二教授率いる国家プロジェクトが進行中とくれば、有機ELは日本のもの
と誰でも考えます。
 しかし、城戸教授によると、それでも日本は、よほどうまくやらないと有機ELを自
分のものにし、それをテコにして経済を活性化できないというのです。すべては、企業
の経営者と国の力の入れ方にかかっているのです。
 とくに、警戒すべきは、サムスンSDIを筆頭とする韓国企業です。韓国企業の経営
者は、始動は遅いのですが、いったんこれで行くと決めると徹底して突き進むというス
タイルをもっているといいます。要するに、本物の経営者なのです。
 これに対して、日本の電機メーカの経営者たちは、自社の信念に基づいて何かをやる
というよりも、他社のやることを見ていてどこかの企業がある分野を開拓すると、それ
にならって一斉にその分野に入っていく傾向があるのです。他社のやることをやってお
かないと、あとになって「なぜ、やらなかったのか」と問われて責任を追及されるのを
嫌うからです。
 そういう電機メーカの中にあって、特異な存在がシャープとパイオニアなのです。シ
ャープは早くから液晶に着眼し、企業の存亡を賭けて、とことんそれに特化していった
のです。そして「液晶ならシャープ」といわれる存在になっています。
 パイオニアは、もともと音響メーカであったのですが、オーディオ分野での成長に限
界があることを見極めると、記録型のDVDレコーダやPDP(プラズマ・ディスプレ
イ)と有機ELディスプレイに絞って、どんどん開発を進めたのです。
 だからこそ、パイオニアは世界初の記録型のDVDレコーダの商品化や世界初の有機
ELの商品化を成功させています。パイオニアが商品化したのは車載用FMレシーバー
ディスプレイです。前にも述べたように、パイオニアという企業は、その社名のように
真のパイオニアといえます。
 城戸教授は、この2社は例外として、他の電機メーカのトップは、機を見るに敏にし
て、決断能力を持つというトップに求められる資質に欠けるところがあり、「自社は何
をするのか、しないのか」という決断も甘いものがあると、なかなか厳しい評価をして
います。他社と同じことをやっていれば、パイがあってもお互いにそれを食い合って自
滅してしまうだけです。
 城戸教授がここまで厳しいことをいうのは、韓国のサムスンSDIのやり口を知って
いるからです。サムスンは、1998年に城戸研究室に研究生を送り込んできているの
です。その頃は、サムスン本体でも有機EL研究者は10人程度のものであったのです
が、現在ではこの分野だけで400人以上いるといいます。
 また、サムスンSDIは、釜山にNECと合弁会社を作り、NECが過去10年以上
にわたって蓄えてきた有機ELのノウハウや半導体技術などのノウハウを吸収してしま
っています。そして先端技術も日本の特許もすべて買い取り、それに加えてパイオニア
やエプソンなどの有機ELのエンジニアたちをゴッソリ引き抜いているのです。やるこ
とが徹底しているのです。
 何しろサムスンSDIは、有機ELのエンジニアを400人以上抱え込み、数千億円
という巨大な資金を投下できる余裕があるのです。サムスンSDIのトップは、ヒト、
モノ、カネ、情報のすべてを賭けて、一気に日本を追い越そうとしているのです。
 実際問題として、高い技術力を持ちながら、日本は、鉄鋼、電気、半導体、液晶――
ことごとく日本は敗退しているのです。これは、企業の力だけでなく、国の政策に問題
があるといえます。このままでいけば、有機ELも同じ運命をたどる可能性は高いとい
城戸教授はいっているのです。
 現時点で有機材料やパネルがきちんと作れるのは、日本のメーカだけであり、特許も
日本が多く持っています。パネルの量産技術に関しても、東北パイオニアの米沢工場で
の歩留まりは、実に95%以上です。少なくとも他国を圧倒しているのです。
 それでは、どうして負けるのでしょうか。有機材料についてもパネルにしても量産と
なると、それらを生産する装置を作るのですが、その装置を外国企業は買うからです。
日本の装置メーカはきわめて優秀であり、その装置を購入して使いこなすと、誰でも日
本と同じ製品ができるようになります。そうなった時点で、日本と海外の製造技術の差
はなくなってしまうのです。それに加えて、高給で日本人技術者の引抜きをやるのです
から、生産技術差はほとんどなくなるといってもよいと思います。
 そうなってしまうと、韓国などのように労働賃金が低い国との競合には日本は不利に
なります。それに、そういうプロジェクトに関する国の援助も不十分そのものです。韓
国や台湾には税的な優遇措置がありますが、日本にはないのです。実効税率も先進国で
最高の税率を課せられています。米国がやっているように「日本のディスプレイ産業を
どうするか」という視点で政策を考える必要があるのですが、経済産業省などはわかっ
ていないのです。
 それに、この分野でも「ツウ・リトル、ツウ・レイト」なのです。城戸教授は、現在
の国家プロジェクトを早くやるよう要請してきたのに、2002年という遅い時点では
はじめ、しかも、予算はたかだか年間10億円なのです。
 サムスンなどは、1社で利益が4000億円〜5000億円もあり、いくらでも研究
開発費に投入できるのです。これでは、日本の企業は勝てるはずがないでしょう。
 首相は日本の有機ELの現状を知っているのでしょうか。有機ELについて何かの政
策を考えるには、ここまでEJが述べてきたくらいの知識は必要でしょう。しかし、役
人のレクチャーは15分が限度という人ですから、とても無理でしょう。
 ところで、有機ELの特許はどうなっているのでしょうか。なぜ日本は優位に立てな
いのでしょうか。この問題については、明日のEJで述べます。
・・・ [有機EL/10] 

2007年03月05日

特許は多くても勝負はそれで決まらない(EJ第1100号)

 有機ELに関する特許については日本が圧倒的――ここまではそう書いてきましたが、実際に有機ELに関する新規特許の数で調べてみましょう。添付ファイルを見てください。
 これを見ると、1991年〜1996年までは日本、1997年から2000年まで
は米国、そして2001年は圧倒的な差で日本がトップを切っています。
 これは有機EL全体の新規特許数ですが、有機材料に関してもパネルの構造に関して
も、素子の構造についても、日本は圧倒的な特許数を誇っているのです。それでいて、
どうして韓国に勝てないのでしょうか。
 それはさておき、有機EL製品を作るさい、避けて通れない次の2つの重要な特許が
あるといわれています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
        1.コダック社の重要特許 ・・・ 低分子系
        2.CDT社 の重要特許 ・・・ 高分子系
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 コダック社の特許とは、あのタン氏の特許のことです。しかし城戸教授は、コダック
社の特許は重要な特許ではあるけれども、避けて通れない特許ではないというのです。
特許の世界では特許を次のように2つに分けており、コダック社の特許は「重要特許」
に過ぎないといっているのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
        1.避けて通れない特許 ・・・ 基本特許
        2.避ければ通れる特許 ・・・ 重要特許
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 電極で有機物をサンドイッチのように挟んで光らせる――これは1960年からずっ
と存在していた技術であり、それ自体は特許ではないのです。それでは、コダック社の
特許に抵触しないようにするには、どうすればいいのでしょうか。
 まずコダック社の特許は、材料に低分子系を使っている特許であるということです。
EJ1093号で述べたように、有機材料には、「低分子系の材料」と「高分子系の材
料」があるのですが、コダック社の特許は前者を採用しています。
 低分子系の材料を使い次の2つのことを可能にしているのがコダック社の特許です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
          1.超薄漠を可能にしたこと
          2.発光層二層化の多層構造
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 したがって、低分子系の材料を使わないか、低分子系の材料を使っても、上記の2つ
のことに触れなければいいのです。低分子系の材料を使い、単層でやれば、コダック社
の特許には触れないのです。これは、日本の技術で十分可能です。それに、コダック社
の特許は2003年に切れるということです。
 低分子系の材料を使わず、高分子系材料/ポリマーを使えば、コダック特許は関係が
なくなります。しかし、今度は、CDT社の特許がからんできます。
 実は、高分子系の材料を使い、有機ELの発光に世界ではじめて成功したのは、ケン
ブリッジ大学なのです。もう少し正確にいうと、高分子の中でも「π(パイ)共役高分
子」という特殊な材料を使い、有機EL素子を作製したのは、ケンブリッジ大学のフレ
ンド教授の率いるグループであり、のちにスピンアウトして、CDT社を設立していま
す。しかし、CDT社の特許は、高分子系材料といっても、非常に特殊な材料を使った
特許であり、別な材料を使えば一切抵触しないのです。これも日本の技術にとって何も
脅威ではないと城戸教授はいっています。
 このように特許には多くの抜け穴があるのですが、それは有機ELの世界を一つや二
つの特許では押さえられないということを意味しています。したがって、日本の特許も
いくら数が多いといっても、それだけで、有機ELの世界を完全に押さえられるもので
はないのです。
 しかし、はっきりしているのは、日本の有機ELの技術が台湾や韓国の比ではないと
いうことです。これは、液晶にしても同じことがいえるのですが、液晶の技術は韓国に
すぐ真似され、明らかに日本の技術が流れています。つまり、おいしいところは韓国に
吸い取られてしまっているのです。そういうことから、有機ELも同じ運命をたどると
見られています。
 それは、「クロスライセンス」が原因と見られています。日本の電機メーカは、いろ
いろな商売を海外企業と提携してやっており、結局特許はバーターになってしまうので
す。また、韓国企業については、明らかに特許侵害のケースもあるということですが、
それでもいろいろなしがらみがあって、訴えることはできないというのです。
 しかし、日本には、有機ELの国家プロジェクトのリーダーを務める城戸淳二教授が
います。城戸教授は、1984年に早稲田大学理工学部応用化学科を卒業して、すぐニ
ューヨーク・ポリテクニック大大学院に留学し、そこではじめて有機ELに関わりを持
ったそうです。
 そのニューヨーク時代に、留学先の後輩で台湾出身の杏林さんと結婚しているのです
が、この杏林さんは高分子化学の博士で城戸教授の重要なパートナーを務めています。
帰国後は、山形大学の工学部の一助手からスタートし、2002年11月に同大学の教
授となっています。まだ、若い有能な学者です。
 城戸教授は、企業、とくに中小企業と積極的に付き合っており足が地についた研究を
精力的に行っています。そして、山形県と掛け合って、「有機エレクトロニクスバレー
構想」を県の事業として認めさせるという快挙を成し遂げています。
 とにかく城戸教授の存在は、日本の有機ELにとって心強い限り――政府もこれに対
し全面的に支援を行うべきです。           ・・・ [有機EL/11]

有機EL

2007年03月06日

青色の発見からスタートした有機EL(EJ第1101号)

 有機ELの話は、今日と明日で終りです。今朝は、有機EL制作の課題について考え
ます。
 有機ELの品質は、その材料がすべてを握っているといっても過言ではないですが、
具体的にはどのような材料を使うのでしょうか。そして、そのような有機材料は日本に
あるのでしょうか。
 材料がなくなる心配はありません。なぜなら、有機ELの材料のほとんどは石油から
作られるからです。石油からプラスチックが作られるように、石油を原料として石油化
学製品(有機物)はいくらでも合成することが可能なのです。
 初期の頃の有機ELの材料は、「アントラセン」という有機化合物が使われたのです。このアントラセン――青色に発光するのですが、実はこの「青色に光る」ということは
重要な意味を持っているのです。というのは、青色さえ出せれば、他の色はすべてその
青色から引き出すことができるからです。
 青色は、可視光線の中で一番波長が短く、それ以外の色はすべて青色よりも長波長に
なります。この長波長の色は、それよりも短波長の色から取り出せるのです。そういう
意味で、青色は特殊な色であるといえます。
 思えば、有機ELは、アントラセンが発見され、一番短波長の青色からはじまった意
義は大きいのです。もし、これが長波長の赤色からはじまっていたら、有機ELがこれ
ほど急速に実用化されることはなかったと思うからです。
 その赤色の発見からはじまった例として、レーザーの基になるLEDがあります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
        LED=Light Emitting Diode/発光ダイオード
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 LEDについては、赤色が最初に発見され、橙色、黄色、緑色までは出すことができ
たのですが、高輝度で鮮やかな青色の光を放つLEDを作り出すことができなかったの
です。それをカルフォルニア大学の中村修二教授が開発に成功して、青色、藍色、紫色
が出せるようになったのです。しかし、それまでのLEDの発達は苦難の道乗りであっ
たといえます。赤色が最初に発見されるのと青色が発見されるのとでは天と地ほど違う
のです。
 ところで、もともと有機物というのは、電気の絶縁体に使われてきたのです。プラス
チックや電気のコードなどがそうです。その有機物に電気を通して光らせるというのが
有機ELなのですがこれを今から25年も前にやって成功させたのが、あのノーベル賞
の白川英樹博士です。このように考えてみると、この分野の研究で日本が強いことはわ
かると思います。
 有機材料についてはこのくらいにして、有機ELの最大の課題といわれる長寿化の問
題について考えてみます。
 1987年にコダックのタン氏が実験に成功したときの有機ELは、わずか数分しか
光らすことができませんでした。そのためコダック社は当初歯牙にもかけなかったので
す。しかし、その後、日本の学者の研究によって、寿命は10時間から100時間にな
り2003年1月の時点で、ある特定の材料では10万時間を超えるところにきていま
す。しかし、一番よく使われる材料では、せいぜい数万時間であり、この程度の寿命で
は商品化は難しいのです。
 寿命を延長させる方法としては、有機ELが劣化するメカニズムをひとつひとつ解明
し、それを潰していくというやり方があります。有機ELの劣化の主要な原因には次の
2つがあります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
             1.発光効率が低下する
             2.ダークスポット増加
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 最初に「寿命」の定義をしておく必要があります。簡単にいうと、「明るさが半分に
なるまでの時間」ということになっているのです。1平方センチ当り5ミリアンペアの
電流密度で、5ミリ角の素子が100カンデラで光っているとすると、それが半分の5
0カンデラになるまでの時間が寿命ということになるのです。
 劣化の原因の第1は「発光効率が低下する」ことですが、これには、有機ELが光る
システムそのものに原因があるのです。というのは、有機ELの光る基本的なメカニズ
ムである次の2つの反応に原因があるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       1.還元反応 ・・・ 有機物に電子を与える
       2.酸化反応 ・・・ 有機物から電子をとる
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 有機ELはその構造上、電子を与えたり、引き抜いたりを繰り返えさざるを得ないの
ですが、そのプロセスにおいて化合物が何らかの副反応を起こして構造が変わってしま
うのです。構造が変化すると、光らない「消光サイト」が増えて、光る部分が少なくな
っていくのです。そのため、消光サイトが増えるにしたがって有機ELの発光効率が落
ちてしまうのです。
 副反応が起きる原因は、不純物が混じることにあるとされています。有機物の純度は
無機半導体の材料レベルには達しておらず、さまざまな方法によって徹底的な純度アッ
プを図るしかないのです。有機材料の純度決定法を確立する研究が進行中です。
 「ダークスポット」は、発光面の中にできる非発光点がボツボツと増えていく現象です。原因は電極材料と湿気(水)とが反応することです。対策としては湿気を完全に遮断す
るしかないわけですが、これについては既に解決されているといいます。
 現在の有機ELの寿命は、先ほど述べたように数万時間〜10万時間――1年が約8
000時間ですから、もし、10万時間であれば、10年以上は持つということになり
ますが、現在の家電レベルでは不十分であり、これをもう一桁増やすことを目標に研究
が続けられているということです。城戸教授によると、いずれも解決できる問題である
といっています。                  ・・・ [有機EL/12]

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2007年03月07日

国と地方と企業がひとつの目標を目指す(EJ第1102号)

 日本が有機ELをテコにして復活する――このことを実現するには、基本的な条件と
して、国内に量産工場を持つ必要があります。そして、その工場で日本人が、日本の装
置を使って、日本の材料を使って有機ELを生産し、その結果、生まれた製品が良く売
れる――こういう状況が整うことが必要なのです。
 しかし、現在の状況を考えると、こういう状況が整うことは、夢のまた夢なのです。
企業は量産工場を労働賃金が安いところに作ろうとします。城戸先生のいる山形県など
は、国内では賃金が安いのですが、現在では、中国、タイ、ベトナム、フィリピンの方
がもっと安く上がるのです。そのため、国内の企業は東北地方に工場を建設するという
意識は低いのです。しかし、それでは液晶でたどった道と同じ道を有機ELもたどるこ
とになるのです。それでは、どうしたらいいのでしょうか。
 それは、国と地方(県)と企業が1つの目標に向って進むことしかないのです。とり
わけ国の責任は大きいのです。国は本当に分かっているのでしょうか。
 国は、道路建設などで土建業には多くの支援をしますが、製造業の支援には力を入れ
ていません。どうしてなのでしょうか。ものづくりは日本が世界に誇るべき伝統である
はずです。現時点で日本は、有機ELにおいて世界一の技術が結集した状態にあるので
す。有機ELを本当の意味で日本のものにする絶好の機会が、いま訪れているのです。
その事実を政府は、経産省は、きちんと認識しているのでしょうか。
 かつて半導体事業を「産業のコメ」として育てたように、有機ELについても、国が
リーダーシップを持って、「次世代の産業のコメ」として育て上げるべきです。それが、きちんとした目標のない、資金のバラマキをしているので、有機EL国家プロジェクト
に回せる予算が年間でたったの10億円なのです。話にならないのです。だから、日本
には戦略がないといわれるのです。
 地方(県)も有機EL産業誘致に一工夫すべきです。かつて青森県は、液晶産業を誘
致しようとして、面白いアイデアを提案しています。
 青森県は、陸奥湾に面した地域を工業用地として提供し、そこに青森県の負担で工場
を建設することを提案したのです。そして返済はリース形式でやるので、企業は銀行か
らお金を借りる必要はないのです。しかし、青森県は結局三重県に破れてしまいました
が、このアイデアは有機ELにも適用できるのです。
 城戸教授は、この青森方式を山形県で採用するよう県に要請しています。彼の構想は
こうです。山形県が用地を提供し、そこに有機ELの総合研究所を作ります。最近は不
景気で研究所を閉鎖する企業も増えているので、県として研究所を作ることは意義のあ
ることです。
 それに加えて県は貸し工場を建設し、それを進出企業に安く提供する。さらに、進出
企業に関しては5年間免税とし、必要な装置や機材についても県が負担して導入し、あ
とからリース形式で返してもらう――こういう方式が考えられるのです。
 山形県には、東北パイオニアの米沢工場があって有機ELを生産しています。既に述
べたように、この東北パイオニアは、有機ELの関連企業の中で群を抜いている優秀な
企業です。何しろこの工場では、パネルの量産技術において、その歩留まりは95%以
上という優秀さなのです。
 その東北パイオニアの米沢工場の道路一つ隔てた向かい側に旭硝子ファインテクノ
のITO基板の工場があり、そして有機ELのメッカともいうべき城戸教授のいる山形
大学があるのです。
 このように、山形県には、基板工場はある、量産工場はある、基盤研究をする大学が
あるのです。そこに最先端研究所ができて貸し工場があれば、確実に有機EL関連企業
が集まるに違いない――これが城戸教授の主唱する「山形有機エレクトロニクスプロェ
クト」なのです。
 この「山形有機エレクトロニクスプロジェクト」では、ディスプレイの他に、新会社
を設立して有機ELの白色パネル(照明)を量産する計画もあるとのことです。有機E
Lの白色パネルが量産されて低コストで市場に出てくると、非常に明るいので、確実に
蛍光灯を駆逐していくはずです。「線」の照明から「面」の照明に変わっていくわけです。
 そして、こういう白色パネルを中小企業が作れるような環境を整えることが第2段階
です。つまり、新会社によって白色パネルを部品として安く出荷できるようにするわけ
です。これは、究極の中小企業対策になるはずです。これによって中小企業が育ってい
くことになります。
 東北パイオニアのケースを見てもわかるように、有機ELの材料やパネルがきちんと
作れるのは日本のメーカだけです。それなら少なくとも有機ELの材料メーカだけは、
世界中からの注文殺到で発展するのではないかと誰でも考えます。
 しかし、これもかなり疑問なのです。有機ELの材料メーカのトップはあの出光興産
ですが、それ以外に20社以上の国内メーカがひしめいているのです。最近の国内メー
カは、発展しそうな市場があると、われもわれもと進出して、結局どこもかしこも利益
が出なくなってしまうのです。これでは、優秀な製品を継続して作り出していくという
ことが難しくなります。
 また、これは、「他社のやらないものをやる」という日本の企業スピリットが弱くな
ってきたことを示す証拠であるということができます。だからこそ、他社が開発したも
のであっても、安易に進出を図ろうとするのです。
 有機ELについて、主として城戸教授の著書を中心にいろいろご紹介してきました。
感じたことは、やはりこういう「ものづくり」は日本人に向いているということです。
しかし、それに国策がうまくフィットしないと、せっかくの技術が本当の意味で日本の
ものにならないのです。有機ELが、半導体や液晶の二の舞にならないよう国として、
地方として対策を講ずるべきです。           ・・・[有機EL/13]

2007年03月08日

いろは歌にひそむ謎を解明する(EJ第548号)

 これは有名な話ですが、日本の「いろは歌」には隠された秘密があるといわれています。例のマイケル・ドロズニンの『聖書の暗号』と同じ考え方です。
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         いろはにほへと ・・・ 色は匂えど
         ちりぬるをわか ・・・ 散りぬるを我が
         よたれそつねな ・・・ 世誰ぞ常な
         らむうゐのおく ・・・ らむ有為(憂ゐ)の奥
         やまけふこえて ・・・ 山今日越えて
         あさきゆめみし ・・・ 浅き夢見じ
         ゑひもせ  す ・・・ 酔ひもせず
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これは、いろは歌を7文字で折り返して並べたものですが、各行の1番下の字を縦に
読むと「とかなくてしす」というようになります。「咎(とが)なくて死す」、つまり、
「無実の罪を着せられて死んだ」という意味になります。これは万葉の歌人、柿本人麿
が怨念を込めて残した暗号であるという説があります。
 しかし、この説には時代考証上の無理があって、後世の誰かが柿本人麿の思いを暗号
にして伝えたとされています。井沢元彦氏は、江戸川乱歩賞を獲得した著書『猿丸幻視
行』(講談社刊)において、7文字折り返しのいろは歌の「の」の字を中心に一定のル
ールで文字をひろっていくと、「かきのもとひとまろ」という文字があらわれることを
推理しています。
 説明してもいいのですが、複雑だし、長くなってしまうので、興味のある方は本を参
照していただきたいと思います。
 「咎(とが)なくて死す」の話は大変有名ですが、ここからはあまり知られていない
話です。7字折り返しのいろは歌の1番上の字を縦に読むと「いちよらやあゑ」となり
ます。昔から暗号が入っている歌のことを「折句」といい、平安時代では歌人同士の間
でさかんに折句の交換が行われたといわれます。
 この折句において、暗号を各句の末尾に置くことを「沓」(くつ)といい、各句の頭
に置くことを「冠」(かむり)といったのです。いろは歌では沓が「とかなくてしす」
であり、冠は「いちよらやあゑ」ということになります。
 この「いちよらやあゑ」は、ヘブル語(ヘブライ語)ではないかという説があるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       「いちよらやあゑ」=「イーシ・エル・ヤハウェ」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「イーシ・エル・ヤハウェ」は「神ヤハウェの人」という意味になります。神ヤハウ
ェのもとから来られた「神の人」、イーシ・エルとは、イエス・キリストのことです。
 このようにいうと、いろは歌にヘブル語が入っているわけがないし、なぜいろは歌が
イエス・キリストなんだという反論があると思います。実は、この点こそこれからEJ
で取り上げたいお話なのです。 なお、日本のいろは歌は、その意味内容が、聖書のイ
ザヤ書40章6節と詩篇119篇37節の思想と酷似しているという説もあるのです。
テーマは、日本とイスラエルの関係ですが、これについて続くEJで詳しく述べていき
ます。
 もう一度いろは歌を見ていただきたいのですが、7字折り返しのいろは歌のそれぞれ
の隅の字をひろうと「い」「ゑ」「す」、すなわち「イエス」となるのです。考えてみると、キリストも、「咎(とが)なくて死す」と無関係ではありませんね。
 いろは歌に「咎(とが)なくて死す」の暗号が隠されていることは江戸時代にも認め
られていたのです。そのひとつの証拠をあげてみましょう。
 歌舞伎に「仮名手本忠臣蔵」という出し物がありますね。この「蔵」が大石蔵之助を
あらわしているのは誰でもわかりますが、「仮名手本」というのは何でしょうか。
 江戸時代の「仮名手本」は、実はいろは歌なのです。それに、討ち入りの赤穂義士は
47人、これはいろはの「ん」を除く47字と一致しますね。確かに47士は「咎(と
が)なくて死す」そのものであり、これは五代将軍綱吉の裁きに対する批判です。もち
ろん、当時、まともに幕府を批判などできませんから、時代を鎌倉に設定し名前を変え
て暗号を折り込んで批判したわけです。これが「仮名手本忠臣蔵」の意味です。
 江戸時代に徳川幕府を批判する方法が暗号であったとすると、平安時代に藤原家の批
判をする方法もやはり暗号だったと考えられます。ここに、万葉集、古事記に潜んだ暗
号を解読することの意義があります。この万葉集や古事記の中に柿本人麿や山上億良の
暗号を仕込んだ人物は源為憲ではないかといわれています。この人はパズルの収集本と
もいうべき「口遊(くちずさみ)」の作家として有名な人ですが、いろは歌も彼の作品
?ではないかといわれているのです。これについては別の機会に述べます。
 いろは歌は有名ですが、歌として評価した場合、素晴らしい歌ではありますが、暗号
を入れたせいもあり、何となく苦しい感じがします。改作いろは歌として公募して第一
席入選した次の作品などは実に素晴らしいものです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      とりなすこえす ゆめさませ ・・ 鳥啼く声す 夢さませ
      みよ あけわたる ひんがしを ・ 見よ 明け渡る 東を
      そらいろはれて おきつへに ・・ 空色映えて沖きつ辺に
      ほふねむれゐぬ もやのなか ・・ 帆船群居ぬ 靄の中
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
                      ・・・ [日本人とユダヤ人/01]                                                                       

2007年03月09日

日本の習慣に潜む古代ユダヤの風習(EJ第549号)

 ヨセフ・アイデルバーグという人がいます。アイデルバーグはイスラエルから日本に
渡り、1972年に京都の護王神社で見習いとして仕えるなどして、イスラエルと日本
の関係の研究に後半生を捧げたユダヤ人なのです。
 この人は、『大和民族はユダヤ人だった』(たま出版、1984年発行)という本を出
しているのですが、実はこの本には英語の続編があり、この続編は出版されることがな
く、アイデルバーグは亡くなっています。
 この続編の原稿のコピーを手に入れたというラビ・マーヴィン・トケイヤー氏による
と、その続編にはきわめて興味深いことが書かれていたのです。
 これからの話は、多くの書籍を参考にしていますが、とくに、ラビ・マーヴィン・ト
ケイヤー氏による次の2冊の著作からの話をベースにしていることを最初にお断りし
ておきます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      『聖書に隠された/日本・ユダヤ封印の古代史』
      『聖書に隠された/日本・ユダヤ封印の古代史2』
      ラビ・マーヴィン・トケイヤー著 久保有政訳/徳間書店刊
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 日本では、数を数えるとき、「ひい、ふう、みい・・」と数えることがありますね。
アイデルバーグは、この「ひい、ふう、みい・・」はヘブル語(ヘブライ語)であると
いっているのです。
 この数の数え方をちゃんとご紹介しましょう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
         ひい、ふう、みい、よお、いつ、むう、なな、
         やあ、ここの、とうぉ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 一、二、三と読みが合っているので、われわれ日本人は数をあらわすものと決めてか
かっていますが、これはぜんぜん違うのです。ちゃんと意味があるのです。
 『記紀』(古事記と日本書紀)には、天の神であるアマテラスが「天の岩屋戸」に隠
れたので、そのために世の中が真っ暗闇になったという有名な話があります。
 このとき女神にそこから出てもらおうと、ウズメ(アマノウズメノミコト)がその前
で踊り、女祭司コヤネ(アメノコヤネノミコト)が他の神々の見守る前で読んだ祝詞、
すなわち祈祷文が例の「ひい、ふう、みい・・」だったというのです。
 この「ひい、ふう、みい・・・」は、実は神道の鎮魂法の祓詞(はらいことば)とし
て使われているのですが、これをヘブル語と考えると、非常に意味の通ることばとなる
のです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      「ヒァファ ミ ヨツィア マ ナーネ ヤカヘナ タゥォ」
       (Hifa mi yotzia ma naane ykakhena tavo)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『ヒァファ』は「その美しいかた」の意。『ミ』は「誰が」の意。『ヨツィア』は「彼
女を出すだろう」。『マ』は「何と」の意。『ナーネ』は「答える」という意味。『ヤカヘ
ナ』は「誘って連れ出す」。『タウォ』は「彼女が来る」の意味。まとめると次のような
意味になります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      「誰がその美しいかた(女神)を連れ出すのでしょう。彼女が
      出て来るために、誘いにいかなる言葉をかけるのでしょう」。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 どうでしょう。天の岩屋戸の話とぴったりと一致するではありませんか。どうして、
日本の神話の中にヘブル語が出てくるのでしょうか。
 添付ファイルを見ていただきたいと思います。日本のカタカナと古いヘブル語の比較
表です。上段はヘブル語、下段はカタカナですが、似ていると思いませんか。とくに、
コ、カ、ハ、フはよく似ていますし、発音も同じです。
 もうひとつ例をあげましょう。赤ちゃんの初宮詣のとき、日本では母親が赤ちゃんを
抱かない習慣があります。日本の神道には母親は産後の汚れの中にあるという考え方が
あり、赤ちゃんを抱かないことになっているのです。今の若い人はそういうことを知ら
ない人もいるとは思いますが・・・。
 ところが、この習慣は聖書時代の古代ユダヤの風習と同じなのです。もっとも現代の
ユダヤ人はこの風習を持っていませんが、日本には古代ユダヤの風習がまだ残っている
のです。なぜ、そのようなものが残っているのでしょうか。
 また、日本神道の神官の服装や榊の枝でお祓いをする仕草はやはりユダヤの風習と同
じなのです。それに、神社の神官は白装束に独特の帽子をかぶり、その衣の袖の端には
「房」といって数10センチの糸をたばねて垂らした飾りをつけています。
 トケイヤー氏によるとこれらはすべてユダヤの風習と同じであり、神官の衣の房は非
常に古いイスラエルの風習であるというのです。聖書にも次のように記されています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      「身にまとう着物・・に、房を作らなければならない」
      (申命記22.12)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 つまり、衣につける房(ツィーツィート)は、イスラエル人であることのシンボルだ
ったのです。今日でもユダヤ人は祈るときタリートと呼ばれる白い大きな布を頭や肩に
かけるのですが、これは伝統によって隅に房をつけることになっているのです。
 現在、日本に残っている習慣の多くは、古代ユダヤの風習と同じものが実に多く発見
されるのです。                ・・・[日本人とユダヤ人/02]

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2007年03月12日

大和民族のルーツはイスラエルである(EJ第550号)

 ここまで「ユダヤ人」と「イスラエル人」をとくに説明しないで使ってきています。
今朝はこのあたりのことを整理しておきたいと思います。そうしないと、これから先の
話が混乱してしまうと思うからです。
 そもそも「イスラエル」ということばが先にできたのです。イスラエルの父祖といわ
れるヤコブという人が、自分の名前を「イスラエル」と改めたことにより、彼の子孫が
イスラエル民族と呼ばれるようになったからです。
 イスラエルには12人の息子がいて、それぞれがイスラエルの12部族となったので
す。紀元前10世紀になって、イスラエルは、ソロモン王のもとで繁栄の絶頂を迎えます。当時イスラエル人12部族は、統一王国イスラエルを形成していたのです。
 しかし、ソロモン王が死ぬと、統一王国イスラエルは、南北に分裂し、王朝は2つに
分かれ、「北王国イスラエル」と「南王国ユダ」になります。北王国イスラエルは「サ
マリア」とも呼ばれ南王国ユダは「ユダヤ」と呼ばれるようになったのです。
 現在、ユダヤ人というのは、基本的にはこの南王国ユダの人々とその子孫をさすので
すが、ユダヤ人をイスラエル人と同義に使う場合もあります。そこに明確な区分けはな
いようです。
 さて、サマリア、すなわち北王国イスラエルは、かつてのイスラエル12部族のうち
10部族が属しているのです。念のため、その10部族の名前をご紹介しておきます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
        ルベン、ガド、エフライム、イッサカル、ゼブルン
        ナフタリ、アシェル、ダン、マナセ、ベニヤミン
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 その後紀元前8世紀になって、北王国イスラエルは、東の強国アッシリア帝国の王サ
ルゴンⅡ世の軍隊に征服され、北王国イスラエルの10部族全員がアッシリアの捕囚と
して、アッシリアに強制移住させられてしまうのです。
 これ以来、北王国イスラエルの10部族は歴史の公の部隊からは姿を消してしまうの
です。そのため北王国イスラエルの人々のことを「イスラエルの失われた10部族」と
呼ぶのです。
 それにしても北王国イスラエルの人々は、一体どこに行ってしまったのでしょうか。
アッシリアは彼らをどこに移住させようとしたのでしょうか。聖書には、次のように記
述されています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      「アッシリアの王は、イスラエル人をアッシリアに捕らえ移し
      彼らをハラフと、ハボル、すなわちゴザン川のほとり、イディ
      ヤの町に連れていった」(Ⅱ列王記18.11)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これは現在のイラク北部にあたるそうです。イスラエルの10部族の人々は、捕囚と
してまずここに連れてこられて、やがて世界各地に散っていったといわれます。つまり
、この地が彼らの放浪の出発点になったのです。
 これらイスラエル10部族の一部の人たちが、「聖なる宝」を携えて日本にたどりつ
いて日本人の先祖となったという説があります。この説は特定の学者だけが唱えている
説ではなく、かなり多くの学者も同じことをいっています。それには、それなりの根拠
というものがあるのですが、これについてはいずれ述べていきたいと思います。
 小谷部全一郎という人がいます。彼は、1929年に『日本及日本国民之起源』を出
版し、日本の古来のさまざまな風習は、日本人と天皇家のルーツが古代イスラエル人で
あることを示していると主張して一大センセーションを巻き起こしたのです。なお、小
谷部全一郎のこの本は、「日本人のルーツはユダヤ人だ」(たま書房)というタイトルで
再販されています。
 昨日のEJで述べた以外で、小谷部博士の指摘しているものの一部をご紹介しましょ
う。日本神道では、水や塩を使って禊(みそぎ)を行いますが、古代ユダヤ人も禊を厳
粛に行うのです。パレスチナの有名なヨルダン川は、日本語に直すと「禊川」になるの
です。相撲で力士が土俵に上るとき、水で口をゆすぎ、仕切りの前に塩をまきますが、
これは土俵を清めているのです。
 それから、日本の神社は檜で建てられますが、古代ユダヤでも檜で神殿を建築してい
ます。また、日本の神社には拝殿と奥殿がありますが、古代ユダヤの神殿にも拝殿(聖
所)と奥殿(至聖所)があります。ユダヤ教の神殿の至聖所には祭司以外は入ることが
許されませんが、日本の神社の奥殿も神主以外は入ることを許されていないのです。
 ユダヤ教の神殿の入口の近くには水を満たした水盤があり、ここで司祭および参拝者
は手を洗い清めて参入しますが、これは日本の神社でも同様ですね。
 日本人は神社で参拝するとき、身をかがめて神を拝し、あるいは人に礼をしますが、
古代ユダヤ人も同じように身を屈めて礼をしていたというのです。
 これ以外にも正月行事のいわれ、履き物を脱ぐ風習と足を洗う風習、盆踊りのこと、
結婚式のこと、葬式の風習など、数え切れないほど類似点があるのです。
 日本神話によると、大和民族の先祖は「高天原」(タカマガハラ)からきたとされて
います。この高天原とは、一般的には、天上界と理解されていますが、小谷部博士はこ
れは天上界のことではなく、西アジアの「タガーマ(地方の)ハラン」のことであると
主張したのです。
 タガーマ地方とは、現在のイラク北部からアルメニアのあたりに当たり、そこに古代
には「ハラン」と場所があったのです。この場所は、イスラエル10部族がアッシリア
に連れてこられた場所であり、放浪の出発点です。だから、ここを高天原と呼んでもお
かしくないでしょう。小谷部博士は、日本に来たのは、イスラエル10部族のうち、ガ
ド族とマナセ族の2つの部族であると主張しています。 
・・・ [日本人とユダヤ人/03]

2007年03月13日

童歌”かごめかごめ”の謎に迫る(EJ第551号)

 昨日のEJで小谷部全一郎博士の説をご紹介しました。小谷部博士は『成吉思汗は源
義経也/義経は生きていた』という本を書います。
 この小谷部博士の説によると、「イスラエルの失われた10部族」のうちのガド族と
マナセ族の2つの部族が「聖なる宝」を携えて日本にやってきて日本人の祖先となった
というのです。天皇を呼ぶ呼称である「ミカド」はカド族出身を意味するヘブル語「ミ
ガド」から来たものに違いないと博士はいっています。
 日本人の祖先が古代イスラエル人であるなんて信じられないという人がほとんどで
あると思います。しかし、大和民族のルーツは現時点でもはっきりとはしていないので
す。それが証拠に邪馬台国がどこににあったかはわかっていないし、その女王といわれ
る卑弥呼についても明確ではないのです。そうであるとしたら、日本人の先祖がイスラ
エル人であるという説も一概に否定はできないことになります。
 しかし、どうして邪馬台国は発見されないのでしょうか。これに対して古代史の研究
家である大杉博氏は、実に大胆な説を述べています。彼は、大和朝廷は日本人の先祖が
イスラエル人であったことを知っていたが、ある事情によってその事実やその発祥の地
、すなわち邪馬台国を意図的に隠したというのです。
 どうして大和朝廷は事実を隠蔽したのかについては、もう少し話が進んだところでお
話しすることにし、ここでは伏せておきたいと思います。しかし、古代イスラエル人が
やって来た日本の場所については明らかにしておく必要があると思います。それは、四
国なのです。したがって、邪馬台国も四国にある――ということになります。さらに大
杉氏は、卑弥呼はアマテラスオオミカミと同一人物であると推理しています。
 ここで日本に昔から伝わる、次のわらべ歌について考えてみることにします。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
               かごめ かごめ
               かごの中の 鳥は
               いついつ 出やる
               夜明けの晩に
               鶴と亀が すべった
               後ろの正面 だーれ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この歌にはいろいろな説があります。学研が発刊している月刊誌『ムー』では、カゴ
メ探偵団と称して読者の意見も取り入れて全国各地を調査していますが、調べれば調べ
るほど謎が深まる不思議な歌です。
 この歌に関して、中東問題研究センター所長、宇野正美氏は、きわめて注目すべき説
を述べています。宇野氏は、この歌は四国の剣山のことを歌っているというのです。そ
の根拠は、剣山が昔は「鶴亀(つるき)山」と呼ばれていたことにあるとして、次のよ
うにいっています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      『剣山山頂に登り、すぐ崖の下を見るならば、自然石でつくら
      れた大きな鶴と亀を見つけることができる。長い歳月のうちに
      鶴の首は落ちているが、亀はそのままの形を保っている。この
      童歌にも「鶴と亀」が出てくる。その鶴と亀が崩落したとき、
      後ろの正面からそれまで隠されていたものが登場するというの
      である』。(宇野正美著、『古代ユダヤは日本で復活する』より。
      日本文芸社刊)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 宇野氏はさらにもっと衝撃的なことをいっています。剣山が人工の山であるというの
です。確かに昔からそういう伝承はあります。宇野氏は、剣山は何かきわめて重要なも
のを隠すために築かれた人工の山であるといっているのです。
 ところで、かごめの歌ですが、不思議な部分があります。「夜明けの晩に」という部
分です。「夜明け」というのは、朝日が昇るときであるから朝であるのに「晩」とはど
ういうことでしょうか。宇野氏は著書の中で「夜明けにもかかわらず、晩のような暗い
状態」と説明していますが、説得力はありません。
 これには異説があります。これはインターネットで調べたものですが「夜明けの晩」
とは朝であり夜であり、朝でもなく夜でもない時間、暁(あかつき)のことだというの
です。つまり、うすら明るくなりかけて、まだ陽が昇らぬ時間帯であるというのです。
朝というのは、鶏の鳴く声とともに始まるとされこれを「東天紅」といいます。そのた
め神社では、東天紅を知るために鶏を飼ったのです。
 実は東天紅を知ることは神事を行ううえで重要なのです。宵に祭場へ神々をお招きし
て神事を行うのですが、神々は東天紅までに天上に戻さなければならないきまりになっ
ているのです。この「宵」というのは夜の時間帯で、時間の経過にしたがって、夕→宵
→夜中→暁というように変化します。
 ちなみに「朝廷」とはこの「夜明けの晩」(暁)に宮城の内庭(屋根のない屋外)で
開かれる宮廷会議を意味しています。神の時間から人間の時間へ、つまり神託を受ける
祭事(まつりごと)から俗事としての政事(まつりごと)へ変換させることが、天皇の
仕事だったのです。
 話を整理します。日本人の先祖である古代イスラエル人が何か非常に大事な宝を持っ
て四国にやってきたのです。彼らは人工の山を築き、そこにその宝を隠しました。そして、その人工の山は「鶴亀山」と呼ばれ、現在の剣山になります。大和朝廷はこの事実を知
っていましたが、なぜか意図的にこれを隠蔽してしまいます。一体何をどのような理由
で隠したのでしょうか。            ・・・[日本人とユダヤ人/04]


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2007年03月14日

契約の箱は剣山に隠されている(EJ第552号)

 「日本民族のルーツは古代イスラエル人である」という主張を展開していますが、も
ちろん日本人のすべてが古代イスラエル人の子孫であるという意味ではないのです。
 日本はもともと多民族国家であって、ある者は北からある者は中国から、また、フ
ィリピンからも、ベトナムからも、ミクロネシアからも、ポリネシアからも来た人はあ
ったと思います。その中にあって自らの言葉と独自の文化を持ち、指導力のある一団と
して、古代イスラエル人がいたという意味なのです。
 さて、今朝は古代イスラエル人が四国に持ち込んだという「聖なる宝」についてお話
ししましょう。
 今から3500年前のことです。古代イスラエル人はエジプトを出て砂漠の旅を続け
ていたのです。そしてシナイ山で創造主である神が、神と古代イスラエル人との契約の
しるしとして、「契約の箱」をつくるように命じたのです。
 神はモーセに対して具体的な契約の箱の原型を示しています。モーセはその通りに作
り上げたのですが、これは「モーセ契約の箱」と呼ばれているのです。
 3500年前のモーセの言葉を「旧約聖書」から引用します。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      「アカシヤの箱を作らなければならない。長さは2キュピト半
      幅は1キュピト半、高さは1キュピト半」
      「これに純金をかぶせる。それはその内側と外側にかぶせなけ
      ればならない。その回りには金の飾り縁を作る」
      (「出エジプト記」25章9節、10節、11節)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1キュピトとは約44センチです。そうすると指定の箱は、長さ110センチ、幅と
高さは66センチになります。実はこの大きさの箱は、日本の神輿(みこし)そのもの
なのです。
 さらに決定的なのは、「出エジプト記」の第25章12〜14節の次の記述です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      「箱のために4つの金の環を鋳造し、それを四隅の基部に取り
      付ける。一方の側に2つの環を、他の側にほかの2つの環を取
      りつける。アカシヤの材で棒を作り、それを金でかぶせる。そ
      の棒は、箱をかつぐために、箱の両側にある環に通す」
      (「出エジプト記」の第25章12〜14節)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 どうでしょう。これは完全に日本の神輿そのものです。さらに聖書では、その棒は抜
いてはならないこと、箱には「贖いのふた(あがない)」をかぶせて、そのふたの両端
に2つの金のケルビムを置けという細かい指示をしています。
 ケルビムとは天使のことですが、日本人には「天使」という思想はないのです。その
代わりに、日本の神輿には鳳凰が乗せられています。鳳凰というのは、古来中国では麒麟、亀、龍とともに「四瑞(しずい)」として尊ばれ、くちばしは鶏、あごは燕、背中は亀、尾は魚、首は蛇、前部は麒麟で後部は鹿に似ているという想像上の鳥です。
 驚くべきことに宇野正美氏は、聖書の指示通りに「契約の箱」を作ったといいます。
それを添付ファイルに示しておきます。実に見事なものではありませんか。
 契約の箱には、モーセが神から受けた十戒が刻まれた石板2枚と、マナという食べ物
が入った壷、それにモーセの兄アロンの杖が入れられたとされています。これが世にい
う「契約の箱」、アークといわれるものです。
 さて、モーセたちはエジプトを出発して、約40年にわたって砂漠を放浪し、その後
継者たちがパレスチナの中心にあるエルサレムに到達します。
 そして、ダビデがその王朝をつくり、ソロモンが跡を継ぐのです。このソロモンのと
きにエルサレムに壮大な神殿、すなわち礼拝所を作ったのです。そこに契約の箱(アー
ク)は設置されていたのです。契約の箱は神の箱とも呼ばれ、神(ヤハウェ)の臨在を
示す象徴であるところから、アークと呼ばれるのです。
 ソロモン王の没後、イスラエルの神殿はアッシリア軍によって破壊されてしまい、そ
こにあった礼拝用の器具はすべてアッシリアへと持ち去られてしまったのですが、契約
の箱だけはなかったのです。どうしてそんなことがわかるのかというと、そのとき持ち
去られたリストは「旧約聖書」にすべて載っているからです。
 以来、契約の箱は行方不明です。それがいまどこにあるかについてはさまざまな説が
あり、あらゆる方法で探索が行われたのですが、未だに見つかっていないのです。昔か
らソロモンの秘宝をめぐる冒険ドラマがありますが、ソロモンの秘宝とは、まさにこの
アークを指しているのです。このアークをめぐって多くの国が戦争となったりしたので
すが、一向に見つからないでいます。
 ここまで書けばわかると思いますが、そのアークは四国の剣山に隠されているとする
説がここにきて有力になっているのです。つまり、古代イスラエル人がアークを携えて
四国にたどり着き、それを剣山に隠したというわけです。
 アークがなぜ剣山に隠されているかを示す根拠は、数多くあります。その根拠は改め
て示すとして、四国に昔から伝わる弘法大師の不思議な言い伝えをご紹介しましょう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      「弘法大師(空海)さんは、四国に大事なものを封印なさって
      いる。この封印は瀬戸内海にカネの橋が架かるときその封印は
      解ける」。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 当時の大和朝廷はアークのことを知っており、このことを意図的に隠そうとしたので
す。この隠蔽工作に空海が深くかかわっているのです。その隠蔽工作は壮大なものであ
り、そこにあらゆる手段が講じられています。空海は中心となってそれをやっているの
ですが、これについては明日お話ししたいと思います。
・・・[日本人とユダヤ人/05]


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2007年03月15日

四国88ヶ所をめぐる謎を解く(EJ第553号)

 読者から「イスラエル人は白人であり、そのイスラエル人が日本人の祖先であるとい
う説には抵抗がある」という趣旨の質問がきていますので、最初にこの質問についてお
答えしておきたいと思います。
 確かにイスラエル人は白人ですが、「旧約聖書」に登場する古代イスラエル人はセム
族といって、中背で毛髪・瞳孔は黒く、どちらかというと日本人に似ているのです。し
かし、イスラエル人は長い歴史の中でユダヤ教を信奉する白人(カザール人)との間で徐
々に混血が繰り返されて白人化したとされています。
 さて、今朝は空海の話をするのですが、それには、ときの大和朝廷がその発祥の地、
すなわち邪馬台国をなぜ隠さなければならなかったかということを知っていただく必要があります。
 まず、大和朝廷が発祥地を隠すためにどのような方策をとったかについて述べましょ
う。
 第1に、皇族たちが大和朝廷の発祥の地が四国にあることを絶対に口外しないことを
誓約させています。天武8年(679年)のことであり、これを「吉野宮の会盟」とい
うのです。
 第2に、大和朝廷の発祥の地が四国にあることを隠すためのカムフラージュを施した
記紀(古事記、日本書紀)を編纂したことです。記紀にはそういう個所がたくさんある
のです。
 第3に、記紀の記述を信用させるために、各国々に「風土記」を編纂させ、そのなか
に記紀の記述を裏付けるような記事を掲載させたのです。さらに、「万葉集」を編纂し、歌のうえでも朝廷の発祥地を隠したのです。
 第4に、全国各地にカムフラージュ用の神社を創建したり、場合によっては山を築い
たりしたのです。そして、朝廷の発祥地である阿波へは他国者を立ち入らせないように
したのです。
 まだありますが、ざっとこんな具合ですから、記紀や万葉集などから、いくら邪馬台
国を探そうとしても見つからないのは当然のことなのです。
 最大の疑問は、このように歴史をゆがめるようなことをしてまで、大和朝廷はその発
祥地をなぜ隠そうとしたかです。結論をいうとそれがわかってしまったら、唐が契約の
箱(アーク)を奪いに攻め込んでくるという恐れがあったからなのです。
 当時の大和朝廷は極端なほどに唐来襲を恐れていたのです。それは663年に行われ
た朝鮮の白村江(はくすきのえ)における日本・百済連合軍と唐・新羅連合軍との戦い
で、日本は唐の水軍に敗れ、惨敗しているからです。そして、その結果百済が滅び、国
が滅びることの惨めさを身にしみて知ったからです。
 もうひとつ理由があります。それは、ちょうどその頃、唐ではイラン人を中心とする
キリスト教の一派によってキリスト教が流行り始めたということです。これは景教(け
いきょう)と呼ばれるのですが、これについては改めてお話しします。
 こんな時代に、もし「日本にはユダヤの秘宝契約の箱がある」ということが唐にわか
ってしまったら、本気で奪いにくる可能性は十分あったのです。まして、白村江の戦い
で唐は日本に勝っており、日本恐れるに足らずということがわかってしまったのですか
ら、なおさらのことです。
 空海は唐に詳しく、唐が日本の国力のはるかに上を行く国であることを誰よりも熟知
していたので、大和朝廷の隠蔽工作に協力したのです。空海と四国といえば、四国88
ヶ所の霊場の存在がありますが、これと隠蔽工作とは関係があるのでしょうか。
 これは、隠蔽工作の第4の方策「朝廷の発祥地である阿波へは他国者を立ち入らせな
いようにする」ということと、深い関係があります。
 一般の人は空海が88ヶ所の霊場を開いたというからには、そのすべてが真言宗の寺
であると思っています。しかし、実際には空海の創建した真言宗の寺は38ヶ所、残り
の50ヶ所の寺は真言宗以外の宗派の寺です。このことから、四国88ヶ所を開いたの
はく空海ではないという説もあるほどです。
 添付ファイルに地図を出していますが、この88ヶ所の札所はいずれの札所からも剣
山を含む一帯が見えないよう配慮されているのです。つまり、空海は可能な限り他国の
者には剣山を含む一帯を見せないよう札所を配置したのです。
 札所の配置に注目していただきたいのです。88ヶ所中1番札所霊山寺から10番札
所切幡寺までは、「十里十ヶ所」といって各札所間の距離が短いのです。
 ところが、10番札所の切幡寺から西は、池田町までの広い地域に札所がまったく置
かれていないのです。それでは、この区域は空海とまったく縁がないのかというとそう
ではなく、空海の創建した寺はたくさんあるのです。とくに池田町にある箸蔵寺は空海
の創建であり、四国では最大級の寺であるのに札所にしていないのです。
 ところで第1番の札所から第10番の札所までの寺の開基を調べてみると、4番から
10番までが空海の開基となっています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      第 4 番 ・・・ 大日寺  第 8 番 ・・・ 熊谷寺
      第 5 番 ・・・ 地蔵寺  第 9 番 ・・・ 法輪寺
      第 6 番 ・・・ 安楽寺  第10番 ・・・ 切幡寺
      第 7 盤 ・・・ 十楽寺  
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これらの寺の頭文字を並べると、「大・地・安・十・熊・法・切」となります。大杉
博氏によると、これは「大地に安住するために隈を法で切る」という意味だというので
す。
 この隈とは「彎曲して入り組んだ所」という意味で、10番の切幡寺から西側の池田
町沿いの平野部も隈に該当します。そこを切るとはそこから先に行かせないという強い
意思をあらわしているというのです。     ・・・ [日本人とユダヤ人/06]

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2007年03月16日

四国は葬られた国”死国”である(EJ第554号)

 古代イスラエル人が四国に渡来し、大和朝廷を築いたという仮説に立って話を進めて
います。それでは大和朝廷発祥の地は四国のどこかということを明らかにしておく必要
があります。
 四国には山上部落が弥生時代からあったといわれます。それに古代史の研究家の大杉
博氏によると、四国では有史以前から明治時代まで、毎年山を焼く習慣があったそうで
す。そのため四国のほとんどの山の中腹以上が奈良の若草山のように草原になっていた
といいます。
 そして冬になると、その草山の草が枯れて地肌が露出し、ちょうど馬体のような色に
なるので、遠くから四国の山を見ると変な形の馬がたくさん寄り集まっているように見
えていたといわれます。その姿を形容して「邪馬台国」といったのではないかという説
があるのです。つまり、「変な馬を台にしたような国」という意味です。
 また、その山上の国を「天国(あまつくに)」とか、「高天原(たかまがはら)」と
呼んだり、「ヤマトの国」(山人の国)と呼んでいたといわれます。このように邪馬台
国は四国山上にあったとすると、記紀にある「芦原中国(あしはらなかつくに)」と「出雲」を含めた日本発祥の地は、四国の阿波であると考えられるのです。もちろん剣山も阿波にあります。
 剣山山頂に上がると、そこに広がる風景は、パレスチナの地形によく似ているそうで
す。ちなみにエルサレムは800メートルの山上にあり、日本に渡来した古代イスラエ
ル人がパレスチナに似た四国の山上を選ぶことには不思議はないのです。
 前回10番札所の切幡寺より西には行かせないという何らかの強い意思が存在する
ことについて述べました。実際に切幡寺から池田町までの吉野川沿いには街道が敷かれ
ていないのです。切幡寺まで行き、そこから土佐に行くのは、吉野川沿いに進み池田町
を通って入るのが一番近いのに、そこは街道がないので通れず、わざわざ讃岐を通って
入るしかなかったのです。
 つまり、吉野川沿いに土佐に入るコースは人を入れないブラックホールがあったわけ
です。しかし、皇族関係の人はこのコースを通ることを許されていたという話もありま
す。実はこのブラックホールこそが「芦原中国(あしはらなかつくに)」ということに
なるのです。大和朝廷はEJ553で述べたように国策として、このブラックホールの
地域を隠そうとしたのです。
 四国88ヶ所めぐりについてもう少し考察してみたいと思います。いわゆる遍路たち
が四国88ヶ所を巡礼する習わしは、南北朝時代に生まれたといわれています。
 遍路姿は死装束です。これを着て四国88ヶ所を巡礼するのはたとえ途中で行き倒れ
てもよいという意思のあらわれであるとされています。それは、四国が常世国(とこよ
こく)と考えられているからです。かつての日本では、死後に常世国に行くのが理想と
されていたのです。
 これに加えて四国は「葬られた国」という意味があるのです。葬られた国とは、大和
朝廷の発祥地が故意に隠されて表面上は存在しないという意味です。そういう意味にお
いて、やはり、四国は「死国」を意味しているということになるのです。
 これに関して大杉博氏は、四国を死国にせざるを得なくなった悲しみを詠んだ歌が
「いろは歌」で、やはり作家は空海であるといっています。これはなかなか面白い説です。
 「いろは歌」の7字折り返しの一番下の字を読むと、「とかなくてしす(咎なくて死
す)」となりますが、これは人の死ではなく大和朝廷の発祥地阿波を隠さざるを得なく
なったことを指しているというのです。つまり、「咎がないのに葬られた死国」という
意味です。
 大杉氏による「いろは歌」の解釈は次の通りです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      『母(いろは)なる国は、その匂いがいっぱい残っているが、
      これでおしまいか。この世は無常である。さまざまの因縁によ
      って生じた現象を、今日ようやく乗り越えて、これから、浅い
      夢を見ず、酔いもせず、厳しい現実の世を生きてゆく』。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 大杉氏は「いろは」を母、すなわち、大和朝廷を生み出した母なる国と解釈し、「浅
い夢を見ず、酔いもせず、厳しい現実の世を生きてゆく」は空海が困難かつ厳しい問題
に生涯を捧げていることをあらわしていると主張しています。
 さて、剣山についての話題です。剣山では7月13日から剣神社の夏祭りが行われる
のですが、7月17日には「神輿渡御(みこしとぎょ)」という神事があります。大勢
の山伏姿の信者たちによって、神輿が剣山の山頂に担ぎ上げられるのです。EJ552
号で述べたように、神輿のルーツは契約の箱(アーク)とされているので、象徴的な神
事であると思います。
 問題はこの7月17日という日です。この日は京都の八坂神社では山鉾巡行が行われ
る日でもあります。『旧約聖書』によるとノアの箱船がトルコとアルメニア国境にある
アララテ山に漂着した日が7月17日なのです。
 古代イスラエル人が住めなくなったイスラエルを逃れてはるばる日本に渡来し、剣山
にアークを安置したことは、ノアの箱船がアララテ山に漂着したことにも匹敵する出来
事であり、そのために「神輿渡御」の神事が残っているのではないかというのです。
 ところで、八坂神社で山鉾巡行が行われるときの掛け声は「エンヤラヤー」です。日
本人にとっては単なる掛け声のこの「エンヤラヤー」は、古代ヘブライ語、すなわちヘ
ブル語では「我こそは神を誉め讃えまつらん」を意味するのです。これらの昔から伝わ
る意味不明のことばはヘブル語であることが多いのです。
 八坂神社の「ヤサカ」は古代ヘブル語の「イヤサカ」からきていると考えられます。
イヤサカは「神を讃える」という意味であり、これがやがて「ヤサカ」となったので
す。日本という国についてわれわれはあまりに知らないですね。
                     ・・・ [日本人とユダヤ人/07]             

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2007年03月19日

ユダヤ人とは何者か/その正体に迫る(EJ第555号)

 世界の動きの中で最も分かりにくいのが中東情勢です。中東和平の交渉が暗礁に乗り
上げているなか、2月6日、イスラエル首相公選が行われ、最大野党であるリクードの
シャロン党首が、労働党のバラク首相に大差をつけて新首相になることが決まったこと
はご承知の通りです。
 古代史を調べてみて、中東情勢を理解するには、「ユダヤ人とは何か」ということを
整理して臨まないと何もわからないということがわかりました。今朝はこの問題を整理
してみます。
 ところで「ユダヤ人」というと、皆さんはどんな人を思い出すでしょうか。カール・
マルクス、アルベルト・アインシュタインジークムント・フロイト、アンネ・フランク
、ヘンリー・キッシンジャー、ジョージ・ソロス・・・。まだまだ出てきます。
 全世界におけるユダヤ人の比率が極めて低いことを考えると、これだけの人を思い出
すことができるのがいかに驚くべきことかわかると思います。歴史に残る偉人ばかりだ
からです。
 しかし、厳密にいうと、これらの人々はユダヤ人ではないのです。彼らはすべて「コ
ーカソイド」と呼ばれる白人なのです。それに、現在のイスラエルのバラク首相、これ
から首相になるシャロン党首、いずれも「コーカソイド」の子孫と考えられます。
 ところで、アーサー・ケストラーという人をご存知ですか。この人はハンガリー生ま
れのジャーナリストにして科学者、それに偉大なる思想家なのです。それにこの人もユ
ダヤ人です。複雑系のことを研究している人であれば、この人が「ホロン」という概念
の提唱者であることを知っておられるかも知れません。
 実はこのケストラー、1983年に妻と一緒に服毒自殺しています。自殺の原因は不
明ですが、どうやらケストラーが出した書籍のひとつ『ユダヤ人とは何か/原題:第1
3支族』と関係があるのではないかといわれています。というのは、この本の内容があ
まりにも衝撃的であるからです。ケストラーの主張を参考にしながら、ユダヤ人とは何
かに迫ってみます。
 一般的な印象としては「ユダヤ人は白人である」と考えている人は多いと思います。
しかし『旧約聖書』に登場する人は、いずれも白人ではありません。モーセやダビデ、
ソロモン、イエス、いずれも白人ではなく、肌の浅黒い人たちです。彼らは人種的には
「セム系」と呼んでいます。
 しかし、ヨーロッパの宗教画を見ると、イエスもマリアも瞳が青く、金髪で肌が白い
白人として描かれていることが多いのですが、これは完全に間違っています。クリスト
ファ・コロンブスやミッシェル・ド・ノストラダムスも非白人系ユダヤ人です。
 一般的にユダヤ社会では、白人系と非白人系を次のように区別しているのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
        1.白 人系ユダヤ人 ・・・ アシュケナジー系
        2.非白人系ユダヤ人 ・・・ スファラディー系
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 アシュケナジーとはドイツの地名であり、アシュケナジー系は、元はアーリア系の民
族の名前です。スファラディーとは、もともとは「スペイン」という意味です。ユダヤ
人は地中海沿岸に住みそのほとんどはスペインにいたからです。
 アーサー・ケストラーは、なぜこんなに白人系ユダヤ人が多くいるのか、その謎解き
に取り組みます。ケストラー自身もアシュケナジー系ユダヤ人であったからです。結果
としてこれはあるタブーを冒すことにつながるのです。
 8世紀以前の世界をみると、アシュケナジー系ユダヤ人はほとんどいなかったことが
わかっています。それがなぜか8〜9世紀になると、一挙にアシュケナジー系ユダヤ人
が増えている!――この事実をケストラーは発見し、そして、「コーカソイド」にたど
りつくのです。
 紀元8世紀頃のことですが、コーカサスからカスピ海の北岸に「カザール汗国(はん
こく)」という国があったのです。この国の住民はトルコ系白人で、コーカソイドと呼
ばれたのです。
 EJ553号で私は読者の質問に答えて、「イスラエル人は長い歴史の中で、ユダヤ
教を信奉する白人(カザール人)との間で徐々に混血が繰り返されて白人化した」と述
べましたが、実はそうではなく、もっと別な事情があったのです。
 カザール汗国は、南方において「ビザンチン帝国」と「ウマイヤ朝」(のちにファテ
ィマ朝となる)と接していたのですが、ビザンチン帝国はキリスト教、ウマイヤ朝はイ
スラム教を国教としてしていたので、ビザンチン帝国とウマイヤ教は政治的にも宗教的
にも対立関係にあったのです。
 ところがカザール汗国は国教というものがなかったのです。そのため両国から宗教的
に強い干渉を受けるようになります。キリスト教をとるか、イスラム教をとるか――究
極の選択をカザールは迫られたのです。どちらを選択しても戦争になる!――国の浮沈
にかかわる重要な選択です。
 しかし、この国の支配階級は知恵者が多く、誰もが想像もしなかった決断を行うので
す。なんとカザール汗国はユダヤ教に改宗してしまったのです。実はキリスト教もイス
ラム教もユダヤ教を母体としているので、両国も文句をつけられないという判断に基づ
く決断です。国全部がユダヤ教の信者となったわけです。
 しかし、カザール汗国は、モンゴル帝国の攻撃を受けて11世紀に滅亡してしまいま
す。このとき大量の難民が出るのですが、ユダヤ教徒となったカザール人の多くは西に
移動し、東欧に住み着きます。これがアシュケナジー系ユダヤ人となるのです。
 彼らはユダヤ人としてイスラエルという国家を建国しますが、彼らは血縁的には『旧
約聖書』のユダヤ人とは何の関係もない人たちなのです。ケストラーの到達した結論は
これだったのです。この事実と現在のイスラエルとパレスチナの紛争とは、無関係では
いのです。ことばは悪いですが、彼らは偽のユダヤ人だからです。このことはフリーメ
イソンとも深く関連してきます。謎の一端が少しほどけてきたようです。
                      ・・・ [日本人とユダヤ人/08]

2007年03月20日

イスラエル人のルーツを探る(EJ第556号)

 現在のイスラエル人、すなわち白人のユダヤ人(アシュケナジー系)は本当のユダヤ
人ではなく、偽者であるというアーサー・ケストラーの指摘は、きわめて重要な意味を
持っています。それでは『旧約聖書』に登場するユダヤ人たちはどこに行ってしまった
のでしょうか。
 ここで、もう一度イスラエル人(スファラディー系)のルーツをたどってみる必要が
あります。なぜなら、彼らの一部がシルクロードを通り、海を越えて日本に渡来し、日
本人の祖先となったと考えられるからです。しばらく、世界史の話が続きます。
 『旧約聖書』によると、世界は一度ノアの大洪水で滅び、ノアの家族だけが生き残っ
たとされています。生き残ったノアには、セム、ハム、ヤペテという3人の息子がいた
のですが、現在の人類はみな彼らの子孫になるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       ●セ ム ・・・・・ 有色人種系の祖
       ●ハ ム ・・・・・ 黒人系の祖
       ●ヤペテ ・・・・・ 白人、アーリア系の祖
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 紀元前2000年頃のことです。メソポタニア地方に「古バビロニア王国」という国
がありました。この国に「アブラハム」という名前の男がいたのです。アブラハムの一
族は遊牧民で、メソポタミアの平原をさまよって生活をしていたのです。彼らのことを
「さまよえる人」という意味で「ヘブライ人」と呼ぶのです。このヘブライ人のことば
がヘブライ語、ヘブル語です。
 『旧約聖書』の「創生記」によると、このアブラハムから、イスラエル人とアラブ人
が生まれるのです。そのためアブラハムはイスラエル人、アラブ人双方から「太祖」と
呼ばれています。
 太祖アブラハムには、イシマエルとイサクという子供がいたのですが、このイシマエ
ルからのちのアラブ人が誕生します。聖書では、神の預言者の系譜は、アブラハムから
イサクへと受け継がれるとあります。そのイサクの子供がヤコブというのですが、ヤコ
ブが神の預言者の正当な継承者となります。
 「創世記」第32章29節によると、ヤコブは「イスラエル」と呼ばれるということ
が書いてあり、以後ヤコブは、「イスラエル」と名乗り、その子孫は「イスラエル人」
と呼ばれることになったのです。イスラエルには12人の息子がおり、それぞれが、1
2の部族を構成したという話はすでにお話ししましたね。
 これら12の部族は長くエジプトに寄留し、奴隷同然の生活を送っていたのですが、
大預言者のモーセが世に現れると、彼らは敢然とエジプトを脱出します。これが有名な
「出エジプト(エクソダス)」であり、それからおよそ40年にもわたり、イスラエル
12部族は荒れ野をさまよう生活を送ることになります。
 放浪の途中でモーセが亡くなり、ヨシュア・ベン・ヌンが12部族の指導者となります。そして、ヨシュア・ベン・ヌンの率いるイスラエル12部族はヨルダン河を渡り、現在
のパレスチナ地方にたどり着くのです。
 イスラエル12部族はこの地に定住し、イスラエル王国を築きます。部族間の争いが
起こりますが、これを政治的に解決し、最初の王になったのは、ユダ族の羊飼いダビデ
です。そして、そのダビデの子供であるソロモンが王となり、イスラエル国は繁栄を極
めます。イスラエルの神殿もこのソロモンの時代に建てられているのです。
 しかし、3代目の孫の時代に混乱が起こり、紀元前931年にイスラエル王国は、北
朝イスラエル王国と南朝ユダ王国に分裂してしまいます。この北朝イスラエル王国が、
10の部族、南朝ユダ王国は2つの部族から構成されたのです。これについては前にお
話した通りです。もっともイスラエルは2つに分裂しましたが、祭祀を司るレビ族だけ
はどちらの王国にも属さず、両国の祭祀を担当したのです。
 さて、ソロモンが建設したイスラエル神殿はエルサレムにあり南朝ユダ王国の領内に
あったのです。エルサレムは「聖地エルサレム」と呼ばれることになります。一方北朝
イスラエル王国は、ゲルジム山に聖地を設けて、ここに神殿を建てたのです。しかし、
契約の箱(アーク)はエルサレム神殿にあったと思われます。
 この北朝イスラエル王国に最初に攻め込んできたのはアッシリア帝国です。ときは、
紀元前722年、北朝イスラエル王国の首都「サマリア」がアッシリア帝国によって陥
落し、北朝イスラエル王国は滅亡してしまいます。
 このときアッシリア軍は南下して南朝ユダ王国を攻め落とそうとします。紀元前70
1年のことです。しかし、そのときはどうしても攻め落とせなかったのです。神が奇跡
を起こしたと伝えられています。
 実はこのアッシリアという国は研究の価値があるのです。なぜなら、この国は、聖書
に非常に関連深い国だからです。エデンの園もバベルの塔もノアの箱船が漂着したアラ
ラト山もすべてアッシリアの領内にあったのです。しかし、現在、アッシリアという国
はありません。この国については改めて取り上げます。
 アッシリア帝国の攻撃を辛うじて防いだ南朝ユダ王国も、そのあとに台頭し、アッシ
リア帝国を征服した「新バビロニア王国」によって滅ぼされてしまいます。紀元前60
5年、エルサレムは包囲され、多くのイスラエル人は囚人として首都「バビロン」に連
行されます。これが有名な「バビロンの捕囚」です。
 新バビロニア王国は攻撃を続行し、紀元前586年、ついにエルサレムの神殿は破壊
され、南朝ユダ王国は滅亡してしまうのです。そのとき神殿にあった宝物はすべてバビ
ロンに持ち去られてしまうのですが、そのリストにあの契約の箱(アーク)は入ってい
なかったのです。
 イスラエルはこのあと、もう1回王国を築くことができるのですが、これが現在のイ
スラエル国とどのように結びついてくるのかについては、もう少し世界史を勉強する必
要があります。明日もこの話を続けます。    ・・・ [日本人とユダヤ人09]

2007年03月22日

ユダヤ地下政府とタルムード思想(EJ第557号)

 EJ550号で、アッシリア帝国に滅ぼされた北朝イスラエル王国の人たちがアッシ
リアの捕囚になり、のちに「イスラエルの失われた10部族」と呼ばれるようになった
経緯についてお話ししました。そして、その10部族の一部が契約の箱(アーク)を持
って日本に渡来し、四国の剣山にそれを隠したという仮説を立ててここまでお話しして
きました。
 しかし、宇野正美氏はこれとは違う説を主張しています。アークを持って日本に渡来
したのは、南朝ユダ王国の一部の人たちであるというのです。というのは、イスラエル
の神殿は南朝ユダ王国の領内にあり、北朝イスラエル王国の人がアークを持ち出すのは
困難であるからです。
 それに北朝イスラエル王国はアッシリア帝国に滅ぼされましたが、南朝ユダ王国はア
ッシリアの攻撃を何とか防いでおり、新バビロニア王国に滅ぼされるまでに100年以
上の期間があったのです。しかし、北朝イスラエル王国があっさりと滅ぼされるのを目
の前で見て、南朝ユダ王国の一部の人がアークを持って日本に逃れたのではないかとい
うのが宇野正美氏の説です。
 しかしこの南朝ユダ王国、つまりユダヤ国家は新バビロニア王国に滅ぼされたあと、
何回も建国を試みるのですが、その後も多くの国に滅ぼされます。
 新バビロニア王国は、その後ペルシャに滅ぼされるのですが、ペルシャはユダヤ人に
理解があり、捕囚のユダヤ人を開放してパレスチナに戻してやるのです。喜び勇んで彼
らは再びパレスチナに王国を樹立し、破壊されたソロモンの神殿を再建します。これが
「ソロモン第2神殿」です。
 しかし、メソポタミア地方に住んでいたはずの北朝イスラエル王国の人々は、ほとん
どパレスチナに戻ってこず、いつの間にかメソポタミアからも消えてしまったのです。
「イスラエルの失われた10部族」といわれるのはそのためです。
 新しく王国を樹立した南朝ユダ王国は単に「ユダ王国」と呼ばれますが、やがて「ユ
ダイヤ」とか「ユダヤ」とか呼ばれるようになり、「ユダヤ王国」になります。
 しかし、ユダヤ王国の安泰は長く続かなかったのです。アケメネス朝のペルシャがエ
ジプトのアレキサンダー大王によって滅ぼされると、パレスチナ地方は「マケドニア・
ギリシャ」の支配を受け、引き続き「プトレマイオス朝エジプト」、「セレウコス朝シ
リア」の支配を受けるのです。
 しかし、度重なるユダヤ人への弾圧にユダヤ人が一斉に決起してエルサレムの完全奪
取に成功し、ユダヤが独立を宣言するに至ります。これを「ハスモン朝ユダヤ」といい
ますが、この体制がしばらく続くのです。
 そして、ユダヤはローマ帝国の支配下に置かれ、さまざまな迫害を受けたあと、世界
帝国ローマを相手に2回の戦争(ユダヤ戦争)を行い、コテンパンに敗れてエルサレム
のソロモン第2神殿はローマ軍によって破壊されてしまいます。神殿はその後今日に至
るまで再建されていないのです。
 アッシリアに滅ぼされてから、ローマによってソロモン第2神殿を壊されるまでの長
い間にユダヤ人の指導者層たちの考え方に大きな変化が起こっています。それは、バビ
ロンの捕囚になったことが直接的な原因だったのです。
 というのは当時の新バビロニア王国では、占星術や偶像崇拝が流行していたのです。
これらは『旧約聖書』の中で厳格に禁止されていることなのですが、バビロンの捕囚に
なったユダヤ人たちはこれに染まっていくのです。
 それから、国が滅び捕囚されたのは、律法を破ったからであり律法を尊重すべきであ
るという考え方です。趣旨はおかしくないのですが、次第に極端になっていきます。食
べ物から安息日の規定など、何でも律法で縛るようになり、しまいには人間は律法のた
めにあると極端に考えるようになってしまったのです。紀元前後のパレスチナ地方には
サドカイ派とかパリサイ派など、極端な思想を持つユダヤ教徒がたくさんいたのです。
このような時代を背景にイエス・キリストが登場するのです。
 こうした結果、当時のユダヤの指導層は「タルムード」という思想を持つようになり
ます。「タルムード」は、書物のかたちをとっており、『旧約聖書』の注釈やユダヤ人
の知恵を集大成した内容になっています。ここで重要なのは、そこに秘められている思
想なのです。これを一言でいうと「ユダヤ人のみが人間であり他の民族はゴイム(獣)
である」ということになります。自分たちは特別に選ばれた人間であり、世界を支配し
なければならないと信じてしまったのです。
 ユダヤとローマとの第1次ユダヤ戦争の頃、つねにソロモン第2神殿で祈りを捧げて
いたユダヤの指導層全員が突然姿を消してしまったのです。そして、ガラリヤ湖南方、
ヨルダン河東岸にある「ペラ」というギリシャ人都市へ集団移住してしまいます。これ
は神託によるものとされていますが、やがてペラからも姿を消してしまうのです。そし
て、歴史の闇の中に消えたユダヤの指導者たちの消息は今もってもわからないのです。
 宇野正美氏によると、彼らは地下に潜り、「地下政府」を設立したというのです。こ
のユダヤ人の地下政府は、タルムードの思想のもとに長い時間をかけて着実に力を蓄え
て、世界の政治、経済に大きな影響を及ぼすようになってきているといいます。その目
指す目標は、ユダヤ人の恨みを晴らすことであり、世界政府を樹立することなのです。
初期の頃からEJを読んでいただいている読者であれば、ここまで書けばわかっていた
だけると思いますが、宇野正美氏のいうユダヤの地下政府とはフリーメイソンに他なら
ないのです。
 2週間にわたって、ユダヤと日本の不思議な関係についてお話ししてきました。しか
し、まだ、まだお話ししなければならないことはたくさんあります。1948年のイス
ラエルの建国をめぐる地下政府の画策、日本史に大きな影響力を持つ「秦氏」の話は断
続的になりますが、引き続きお話ししていくつもりです。
                      ・・・ [日本人とユダヤ人/10]

2007年03月23日

H−Ⅱロケットの知られざる実力(EJ第1346号)

 2004年5月5日付の日本経済新聞の社説に「H2A立て直しに万全期せ」という
タイトルの主張が掲載されていました。H2Aといえば2003年11月29日に種子
島宇宙センターから打ち上げられ、失敗に終わった国産の主力ロケットのことです。
 それがなぜ今ごろ日経の社説になるのかというと、打ち上げ失敗の原因調査がいまだ
にもたついているからです。実は宇宙開発委員会は、3月のはじめに最終報告書の案を
まとめているのですが、その内容が身内に甘い分析をしているとして各方面から非難が
集中して修正を余儀なくされているのです。
 一体H2A(H−ⅡA)に何が起こったのでしょうか。それにしても、なぜ、日本の
ロケットはこうも頻繁に落ちるのでしょうか。H−ⅡAだけではないのです。なぜか日
本のロケットは失敗続きです。技術立国日本といわれるほど日本の技術は世界をリード
しているはずですが、なぜロケットだけはこうも遅れているのでしょうか。
 既に中国は、有人宇宙衛星の打ち上げに成功しているのにこの有様です。このまま行
けば日本の宇宙開発は、米国やロシア、それに中国に追いつくどころか、韓国にも、北
朝鮮にも、インドにも抜かれる恐れがあるのです。
 これについては、既に数冊の本が出ているのでかなり前から情報を集めていたのです
が、ロケットの問題は、あまりにも専門的な用語が多く、前提として知っておくべき知
識も多いので、EJのテーマに取り上げるのに二の足を踏んでいたのです。
 しかし、5月5日の日経の社説を読んで取り上げる決心をしました。専門的な内容で
すが、誰にでもわかるようわかりやすく記述するつもりですので、読んでいただきたい
と思います。今朝はその予告編として考えていただきたいと思います。
 最初に、H2A――EJではH−ⅡAと記述――の話からはじめることにします。H−
ⅡAロケットは、H−Ⅱロケットの後継機です。H−Ⅱロケットは日本初の完全国産化
を達成したロケットで、1994年の初フライトに成功して以来、これまでに7機の打
ち上げを行っています。
 実は、このロケットなかなかの優れものなのです。大きな特色を上げると、次の4つ
になります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
        1.重量2トン級の静止衛星の打ち上げ能力がある
        2.全段自主技術開発による2段式ロケットである
        3.1トン級の静止衛星は同時に2個打ち上げ可能
        4.静止軌道以外の各軌道に打ち上げることが可能
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 なお、の段階で早くも「静止衛星」などの専門用語が出てきますが、それらの専門用
語はあとで説明しますので、ここでは、漠然とした特色だけを理解しておいていただき
たいと思います。
 宇宙開発先進国のロケットと比較して日本のロケットの際立つ特色として上げられる
のは、「経済的なロケット」という点にあります。具体的にいうと、H−Ⅱロケットは
人工衛星を静止軌道だけてなく、低・中高度の各種軌道に打ち上げられますし、1トン
程度の衛星であれば、同時に2個打ち上げることも可能ということですから、そういう
意味ではきわめて経済的といえます。それに、ロケット製造コストも他の先進国に比べ
て際立って低コストなのです。
 経済的といっても「安かろう悪かろう」では困りますが、日本のロケットの技術はわ
れわれが考えているよりは、はるかにレベルが高いのです。ちなみに、H−Ⅱロケット
の製造コストは1機約170億円ですが、その改良作であるH−ⅡAロケットの製造コ
ストは、半額の85億円にダウンしているのです。こういうことは他国には見られない
特色といえます。
 さて、H−Ⅱロケットは、1994年に初フライトに成功したあと、1997年まで
は順調に打ち上げ成功を続けていたのですが、1998年と1999年の2回にわたっ
て打ち上げに失敗し7機でその運用を中止しているのです。H−Ⅱロケットの7回の打
ち上げ記録を示しておきます。
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       1.H−Ⅱ1号機  成功  1994. 2. 4
       2.H−Ⅱ2号機  成功  1994. 8.28
       3.H−Ⅱ3号機  成功  1995. 3.18
       4.H−Ⅱ4号機  成功  1996. 8.17
       5.H−Ⅱ6号機  成功  1997.11.28
       6.H−Ⅱ5号機  失敗  1998. 2.21
       7.H−Ⅱ8号機  失敗  1999.11.15
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 これを見ると、6号機の方が5号機よりも早く打ち上げられていますが、ロケット開
発ではこういうことはよくあるのです。ちなみに、7号機は準備されていたのですが、
5号機と8号機が相次いで失敗したので、予定していた7号機の打ち上げは中止された
のです。そして、H−Ⅱで培われた技術は、H−ⅡAに受け継がれることになります。
 ここで注目すべきことがあります。H−Ⅱ1号機から3号機までは、ロケットの試験
なのです。これは、ことごとく成功しています。これらの3回にわたるテストでOKが
出たので、いよいよ本番の衛星の打ち上げがはじまったのです。そして、4号と6号、
では、次の衛星が打ち上げられています。
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      H−Ⅱ4号機 ・・・ 地球観測プラットフォーム技術衛星
      H−Ⅱ6号機 ・・・ 熱帯雨林観測衛星(TRMM)など
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 この成功の波に乗って、5号機では通信放送技術衛星、8号機では多目的衛星を打ち
上げる予定だったのですが、続けて失敗してしまうのです。なぜ、テスト成功のあと、
このような失敗が起こるのでしょうか。      ・・・ [日本宇宙開発/01]

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