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2007年03月20日

イスラエル人のルーツを探る(EJ第556号)

 現在のイスラエル人、すなわち白人のユダヤ人(アシュケナジー系)は本当のユダヤ
人ではなく、偽者であるというアーサー・ケストラーの指摘は、きわめて重要な意味を
持っています。それでは『旧約聖書』に登場するユダヤ人たちはどこに行ってしまった
のでしょうか。
 ここで、もう一度イスラエル人(スファラディー系)のルーツをたどってみる必要が
あります。なぜなら、彼らの一部がシルクロードを通り、海を越えて日本に渡来し、日
本人の祖先となったと考えられるからです。しばらく、世界史の話が続きます。
 『旧約聖書』によると、世界は一度ノアの大洪水で滅び、ノアの家族だけが生き残っ
たとされています。生き残ったノアには、セム、ハム、ヤペテという3人の息子がいた
のですが、現在の人類はみな彼らの子孫になるのです。
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       ●セ ム ・・・・・ 有色人種系の祖
       ●ハ ム ・・・・・ 黒人系の祖
       ●ヤペテ ・・・・・ 白人、アーリア系の祖
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 紀元前2000年頃のことです。メソポタニア地方に「古バビロニア王国」という国
がありました。この国に「アブラハム」という名前の男がいたのです。アブラハムの一
族は遊牧民で、メソポタミアの平原をさまよって生活をしていたのです。彼らのことを
「さまよえる人」という意味で「ヘブライ人」と呼ぶのです。このヘブライ人のことば
がヘブライ語、ヘブル語です。
 『旧約聖書』の「創生記」によると、このアブラハムから、イスラエル人とアラブ人
が生まれるのです。そのためアブラハムはイスラエル人、アラブ人双方から「太祖」と
呼ばれています。
 太祖アブラハムには、イシマエルとイサクという子供がいたのですが、このイシマエ
ルからのちのアラブ人が誕生します。聖書では、神の預言者の系譜は、アブラハムから
イサクへと受け継がれるとあります。そのイサクの子供がヤコブというのですが、ヤコ
ブが神の預言者の正当な継承者となります。
 「創世記」第32章29節によると、ヤコブは「イスラエル」と呼ばれるということ
が書いてあり、以後ヤコブは、「イスラエル」と名乗り、その子孫は「イスラエル人」
と呼ばれることになったのです。イスラエルには12人の息子がおり、それぞれが、1
2の部族を構成したという話はすでにお話ししましたね。
 これら12の部族は長くエジプトに寄留し、奴隷同然の生活を送っていたのですが、
大預言者のモーセが世に現れると、彼らは敢然とエジプトを脱出します。これが有名な
「出エジプト(エクソダス)」であり、それからおよそ40年にもわたり、イスラエル
12部族は荒れ野をさまよう生活を送ることになります。
 放浪の途中でモーセが亡くなり、ヨシュア・ベン・ヌンが12部族の指導者となります。そして、ヨシュア・ベン・ヌンの率いるイスラエル12部族はヨルダン河を渡り、現在
のパレスチナ地方にたどり着くのです。
 イスラエル12部族はこの地に定住し、イスラエル王国を築きます。部族間の争いが
起こりますが、これを政治的に解決し、最初の王になったのは、ユダ族の羊飼いダビデ
です。そして、そのダビデの子供であるソロモンが王となり、イスラエル国は繁栄を極
めます。イスラエルの神殿もこのソロモンの時代に建てられているのです。
 しかし、3代目の孫の時代に混乱が起こり、紀元前931年にイスラエル王国は、北
朝イスラエル王国と南朝ユダ王国に分裂してしまいます。この北朝イスラエル王国が、
10の部族、南朝ユダ王国は2つの部族から構成されたのです。これについては前にお
話した通りです。もっともイスラエルは2つに分裂しましたが、祭祀を司るレビ族だけ
はどちらの王国にも属さず、両国の祭祀を担当したのです。
 さて、ソロモンが建設したイスラエル神殿はエルサレムにあり南朝ユダ王国の領内に
あったのです。エルサレムは「聖地エルサレム」と呼ばれることになります。一方北朝
イスラエル王国は、ゲルジム山に聖地を設けて、ここに神殿を建てたのです。しかし、
契約の箱(アーク)はエルサレム神殿にあったと思われます。
 この北朝イスラエル王国に最初に攻め込んできたのはアッシリア帝国です。ときは、
紀元前722年、北朝イスラエル王国の首都「サマリア」がアッシリア帝国によって陥
落し、北朝イスラエル王国は滅亡してしまいます。
 このときアッシリア軍は南下して南朝ユダ王国を攻め落とそうとします。紀元前70
1年のことです。しかし、そのときはどうしても攻め落とせなかったのです。神が奇跡
を起こしたと伝えられています。
 実はこのアッシリアという国は研究の価値があるのです。なぜなら、この国は、聖書
に非常に関連深い国だからです。エデンの園もバベルの塔もノアの箱船が漂着したアラ
ラト山もすべてアッシリアの領内にあったのです。しかし、現在、アッシリアという国
はありません。この国については改めて取り上げます。
 アッシリア帝国の攻撃を辛うじて防いだ南朝ユダ王国も、そのあとに台頭し、アッシ
リア帝国を征服した「新バビロニア王国」によって滅ぼされてしまいます。紀元前60
5年、エルサレムは包囲され、多くのイスラエル人は囚人として首都「バビロン」に連
行されます。これが有名な「バビロンの捕囚」です。
 新バビロニア王国は攻撃を続行し、紀元前586年、ついにエルサレムの神殿は破壊
され、南朝ユダ王国は滅亡してしまうのです。そのとき神殿にあった宝物はすべてバビ
ロンに持ち去られてしまうのですが、そのリストにあの契約の箱(アーク)は入ってい
なかったのです。
 イスラエルはこのあと、もう1回王国を築くことができるのですが、これが現在のイ
スラエル国とどのように結びついてくるのかについては、もう少し世界史を勉強する必
要があります。明日もこの話を続けます。    ・・・ [日本人とユダヤ人09]

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