INTEC JAPAN/BLOG

このブログは、異文化研修の教育機関(株)インテック・ジャパンの情報発信用です。(株)イー・メディアとの提携により、同社のドキュメント・レポート「Electronic Journal」をウィークデイの毎日お届けします。
「Electronic Journal」は様々な情報を400字詰原稿用紙7枚にまとめて配信する日刊メールマガジンです。

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● 2007年04月 記事 ●

2007年04月02日

H−ⅡAに何が起こったのか(EJ第1352号)

 日本のロケットの失敗の原因について述べる前に、世界の主力ロケットの最初の10
機の残した実績を見ておくことにします。括弧内の年号は初打ち上げの年を示していま
す。
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      デルタロケット  (米/1960)・・ 10機中1機失敗
      アトラスロケット (米/1960)・・ 10機中5機失敗
      タイタンロケット (米/1960)・・ 10機中1機失敗
      プロトンロケット(ソ連/1965)・・ 10機中4機失敗
      ゼニットロケット(ソ連/1985)・・ 10機中2機失敗
      アリアン1 〜4(欧州/1979)・・ 10機中2機失敗
      アリアン5   (欧州/1996)・・ 10機中2機失敗
      長征1〜4   (中国/197O)・・ 10機中2機失敗
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 平均すると、約20%の失敗率なのです。日本については、H−ⅡとH−ⅡAは、そ
れぞれまだ10機打ち上げていませんが、失敗率は次の通りです。
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       H−Ⅱ  ・・・・・ 7機中2機が失敗/28.6%
       H−ⅡA ・・・・・ 6機中1機が失敗/16.7%
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 これで見ると、日本の失敗率がとくに高いというわけではないのです。しかし、日本
の場合、H−Ⅱにいたるまでに、次のようなロケットを打ち上げ、高い成功率を示して
いるのです。
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       N−Ⅰ  ・・・・・ 7機中1機が失敗/14.3%
       N−Ⅱ  ・・・・・ 8機すべてが成功/   0%
       H−Ⅰ  ・・・・・ 9機すべてが成功/   0%
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 この高い成功率を新聞報道などで、日本の宇宙技術は高い信頼性を達成していると書
いているため、H−ⅡとH−ⅡAの失敗が大きな失敗のように感じられるのです。
 しかし、この新聞論調は正しくないのです。というのは、N−ⅠからH−Ⅰまでのロ
ケットは、米国からの技術導入を受けて開発されているからです。これらのロケットの
ベースになったのはボーイング社のデルタロケットなのです。
 デルタロケットは1960年の初打ち上げ以降、2003年12月までに301機を
打ち上げ、17機が失敗――失敗率6%という94%の成功率を誇るロケットなのです。したがって、H−Ⅱ以前のNASDAの輝かしく見える実績は、米国の技術に負うとこ
ろが大きかったのです。
 したがって、H−Ⅱ以降は日本が独自に技術開発を進めたのであり、H−Ⅱ/H−Ⅱ
Aロケットの失敗率は、十分予測されるリスクの範囲内といえるのです。けっして日本
の技術が他の先進国に比べて劣っているわけではないのです。
 それでは、H−ⅡAロケット6号機の事故原因は何かについて考えてみることにしま
す。なお、本日現在時点でも、事故原因の発表は行われておらず、今までに明らかにな
った事実に基づき述べることになります。
 打ち上げは2003年11月29日午後1時33分、種子島宇宙センターからです。
ロケットの先端に搭載されていたのは、情報収集衛星(IGS)の第2弾です。しかし
ロケットが打ち上げられてから10分53秒後、地上からの指令破壊コマンドにより、
H−ⅡAロケット6号機は破壊されたのです。
 その理由は、打ち上げ後100秒ほどからロケットは予定の軌道から外れていき、衛
星を正常の軌道に投入できないことが明確になったからです。
 ちなみに、情報収集衛星(IGS)とは要するに偵察衛星のことで、次の2組の衛星
を2回にわたって打ち上げ、4つの衛星によって地球上のすべての地点を最低1日に1
回観測できる体制を整えようというのです。
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       1.光学衛星   IGS−O 光を使って地上を監視
       2.レーダー衛星 IGS−R レーダーで夜間の監視
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 最初の1組は、2003年3月28日にH−ⅡA5号機で打ち上げられ、成功してい
るのです。したがって、同年11月29日の6号機による打ち上げが成功していれば、
4つの衛星がすべて揃っていたのです。惜しいことをしたものです。
 失敗の原因は、H−ⅡAロケットに2基装着されている固定ロケットブースター(S
RB−A)のうち、左(L)側の1機は燃焼後うまく投棄されたものの、右(R)側の
1基が投棄されずに残ってしまったことにあるといわれています。SRB−Aは燃え尽
きたあとも重さが10トンもあり、そのため予定通りの加速ができなかったのです。
 ロケットは打ち上げ直後からさまざまなデータを地上に送ってくるようになってい
ます。これをテレメトリ・データというのですが、このデータによると、打ち上げ後6
2秒から、問題のSRB−Aノズルの表面温度を監視するセンサーの測定値が一気に上
昇して測定不能になっていることがわかったのです。異常はすぐに周囲の温度センサー
に波及し、打ち上げ後70秒からは、反対側にあるSRB−Aのノズルの舵角が推力を
変更しようと増加したのです。
 分析の結果、ノズルに発生した穴か亀裂から燃焼ガスが噴き出し、その反動を打ち消
すために、反対側のSRB−Aの舵角が大きくなったものと思われます。
 実は、SRB−Aのノズル――開発時から問題が生じていたのです。地上燃焼実験で
は、5回中3回にわたってノズルの周りに問題が発生しています。これはノズルのかた
ちに問題があり、変更する意見も出ていたのですが、予算と時間の関係でそれは不可能
なことだったのです。               ・・・[日本宇宙開発/07]

SRB-A.jpg 

2007年04月03日

みどりはなぜ機能を喪失したか(EJ第1353号)

 H−ⅡA第6号機の打ち上げ失敗については大きく取り上げられ、注目されましたが
今までにもあまり表に出ないロケットや衛星に関わる失敗はたくさんあるのです。その
例として大型地球観測衛星「みどり」について考えてみることにします。
 H−ⅡA第6号機が失敗したのは、2003年11月29日ですが、同じ年の10月
25日に地球観測衛星「みどり2」が機能を停止するという発表がありました。このよ
うな報道に接するとわれわれは一瞬衛星の寿命が尽きたのかと考えてしまいますが、そ
うではないのです。
 「みどり2」は、2002年12月14日にH−ⅡAロケット4号機で打ち上げられ
たばかりです。衛星の寿命は平均3年といわれますが、うまく利用すれば10年は十分
使えるのです。それが1年経過しないうちに機能を停止したのです。
 「みどり2」というからには、もうひとつ「みどり」があるはずです。確かに「みど
り」は1997年6月に打ち上げられているのですが、やはり打ち上げ後1年にならな
い時点で機能を停止しているのです。何のことはない、「みどり」は2回連続して失敗
していることになります。
 宇宙開発の場合、ロケットの打ち上げは新聞でも大きく取り上げられますが、打ち上
げ後に衛星に故障が生じて運用を中止するときは、あまり大きな記事の扱いにならない
のです。しかし、打ち上げ後1年を経過しないうちに機能を停止するのは明らかに失敗
であり、われわれはもっと関心を持って見守るべきです。
 ところで「みどり」と「みどり2」は、大型地球観測衛星といわれますが、なぜ「大
型」といわれるのかご存知ですか。
 それは「重量」なのです。「みどり」も「みどり2」も重量が3トンを超えるので、
大型衛星といわれるのです。「みどり」以前の地球観測衛星には「ふよう1号」という
のがありましたが、重量は1.34トンであり、これが当時としては最大の衛星だった
のです。「みどり」/「みどり2」はその2倍以上です。
 問題はその失敗の原因です。原因の追究のためには、もう少し詳しく「みどり」につ
いて知る必要があります。
 この地球観測衛星は、もともと「みどり」という名前ではなく開発時の名称は「AD
EOS」といったのです。「ADEOS」は、次のことばの省略形です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      ADEOS = Advanced Earth Observation Satellite
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 ことばからわかるように、技術的に高度な機構を備えた衛星とされているのです。衛
星の構造をごく大雑把にいうと、本体の前半部分に各種センサーを配置し、後半部分に
電源系や推進系、それに地表との通信系がまとめてあります。つまり、それぞれの機能
がモジュール化されているのです。こういう特徴を持つ衛星のことを「プラットフォー
ム衛星」といいます。
 「みどり」と「みどり2」は、その前半部分に非常に多くのセンサーを搭載し、それ
ぞれが3トン以上の重量になっています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
        「みどり」  ・・・ センサー8基 3.5トン
        「みどり2」 ・・・ センサー5基 3.7トン
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 なぜ、このように多くのセンサーを積んでいるのかというと、それは国際貢献の分が
含まれているからです。「みどり」「みどり2」ともに日本が開発したセンサーは、2
基ずつであり、残りは米航空宇宙局(NASA)やフランス国立宇宙研究センター(C
NES)のセンサーなどを無償で搭載しているからです。
 それだけに失敗は許されないのです。せっかく信頼を寄せてくれているのにそれを裏
切る結果になったからです。たとえ無償とはいえ、失敗の確率の高いロケットであれば
どの国も高価なセンサーを提供しないからです。
 さて、地球観測衛星は地球を南北に回る極軌道に投入されますが、それぞれ投入され
る軌道は異なるのです。「みどり」と「みどり2」の軌道は次の通りです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
        「みどり」  ・・・・・ 回帰周期41日準回帰軌道
        「みどり2」 ・・・・・ 回帰周期 4日準回帰軌道
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 回帰周期41日準回帰軌道とは、41日に1回、地表の同じ場所の上空に戻ってくる
軌道という意味なのです。つまり、これら2つの衛星によって、地球をちょうどなめる
ように観測することができるのです。
 さて、この「プラットフォーム衛星」の設計は、非常に難しいのです。とくに電源系
――電気の供給をどうするかが一番困難なのです。「みどり」と「みどり2」の場合、
「フレキシブル型太陽電池パドル」を採用しています。
 この太陽電池パドル――柔らかい幕の上に電池セルを貼り付ける方式です。形状は文
章では表現しにくいので、添付ファイルを見ていただきたいと思います。
 このフレキシブル型パドルは、枠を持たない柔らかな幕を宇宙空間に広げる方式であ
って、無重力環境でどんな振動が起こるか、または温度変化によって伸び縮みをどう計
算するかなどの難問を解かなければならないのです。
 NASDAの技術陣は、この難問にあえて挑み見事に失敗をしています。なぜなら、
「みどり」「みどり2」の機能喪失は、ともに衛星の電源系にトラブルが生じたことが
原因とされているからです。
 「みどり」の機能喪失は、フレキシブル型の太陽電池パドルがちぎれてしまったこと
が原因ですし、「みどり2」の機能喪失は太陽電池パドル基部の電線ハーネスの破断が
疑われています。これは、明らかな設計上のミスといわれています。なぜ、このミスが
生じたのでしょうか。              ・・・ [日本宇宙開発/08] 

^Q.jpg

2007年04月04日

4兎を追った『みどり』の失敗(EJ第1354号)

 「みどり」と「みどり2」はなぜ失敗したのか――この原因を探るには、宇宙開発を
担当している組織について知る必要があります。ここまでは、単にNASDA(宇宙開
発事業団)とご紹介してきましたが、2003年10月1日に宇宙開発に関わる次の3
つの組織が統合して、宇宙航空研究所開発機構(JAXA)という組織が誕生している
のです。
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        宇宙開発事業団  (NASDA)・・
        航空宇宙技術研究所(NAL)   ・・JAXA
        宇宙科学研究所  (ISAS) ・・
        JAXA ⇒ Japan Aerospace Exploration Agency
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 JAXAについては後で詳述するとして、「みどり」開発の背景的事情についてお話
しします。「みどり」――ADEOSの開発当時の正式名称は次のように呼ばれていたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       ADEOS = 地球観測プラットフォーム技術衛星
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 なぜ、プラットフォームと呼ばれるのかというと、それは米国のスペースシャトル計
画と密接な関係があるのです。スペースシャトルは、1981年4月に最初の打ち上げ
が行われたのですがこれが成功して米航空宇宙局(NASA)は、これを宇宙輸送系と
して使う計画を立てます。
 宇宙輸送系というのは、スペースシャトルによって地球低軌道に、軌道上における種
々の整備を行うための貨物を輸送することを意味しています。スペースシャトルは地球
低軌道に29.5トンの貨物を運ぶことができるのです。打ち上げの頻度は、スペース
シャトルを1週間に1回、年間50回打ち上げるという計画です。1回の打ち上げコス
トは日本円にして約30億円かかるといわれます。
 米国の構想はこうです。衛星をひとつのマシンとして作るのではなく、機能別のモジ
ュールを結合した構造物として設計するのです。そうすれば、スペースシャトルで打ち
上げるモジュールを必要に応じて取り替えることができるというわけです。こういうモ
ジュールの土台となる衛星のことを「プラットフォーム技術衛星」といいます。衛星の
軌道や姿勢を修正するための推進剤を補給することも可能です。
 しかし、昨日述べたように、このプラットフォーム衛星――設計が非常に難しいのです。電源系と並んで難しいのは「熱設計」の部分です。熱設計というのは、宇宙という厳し
い環境の中で、衛星を一定の温度に保つ設計のことをいいます。この設計に失敗すると
衛星は軌道上で簡単に壊れてしまうのです。
 宇宙空間において熱は「輻射」で伝わるのですが、宇宙の熱源である太陽の表面温度
は6000度Cもあるのに対し、宇宙の温度自体は零下270度C――極端に熱いか冷
たいかなのです。こういう厳しい真空の空間において衛星を一定の温度に保つには技術
的に大変難しいのです。
 しかも、モジュールを付けた場合も外した場合も温度が一定に保たれる必要がありま
す。そのためには、それぞれのモジュールやモジュールを取り付ける本体の熱設計が独
立しており、お互いに影響を与えないようにする必要があるのです。
 「みどり」の検討が始まった時点における「プラットフォーム衛星」の技術は将来的
に有望であり、日本としてもどうしても手に入れたいものであったのです。そこで「み
どり」を「プラットフォーム衛星」として設計するという壮大な試みにNASDAは挑
戦することになるのです。
 しかし、その挑戦意欲は評価されるものの、日本はその面での技術力はかなり低く、
そういう意味で無謀な試みであったといえるのです。「みどり」の本来の目的は地球観
測衛星であり、その制作に当って、世界のどの国もやったことのない新技術に挑戦する
必要などなかったのです。「二兎を追うもの一兎をも得ず」といいますが、NASDA
は明らかに地球観測衛星とプラットフォームという二兎を追ったことになります。
 しかも、プラットフォームはあくまでも米国のスペースシャトルによる地球低軌道へ
のモジュールの輸送計画の実現が前提だったはずです。しかし、1986年にスペース
シャトル「チャレンジャー」の爆発事故が起こって、シャトルによる軌道輸送サービス
計画は中止になってしまったのです。
 ところが、NASDAはそれにもかかわらず「みどり」の設計変更をせず、そのまま
「プラットフォーム衛星」として制作を進めたのです。松浦晋也氏は、「みどり」制作
時の日本の宇宙技術としては、実に四兎を追っていたと指摘しています。四兎とは、次
の4つです。
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            1.地球観測衛星という本来目的
            2. プラットフォームの技術修得
            3.重量3トンを超える衛星規模
            4.他国センサーを積む国際協力
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 なぜ、米国のシャトル輸送計画が中止になった時点でプラットフォームを断念しなか
ったのでしょうか。さらに、プラットフォームという未知の技術を試す衛星に他国のセ
ンサーを搭載して国際協力をしたのでしょうか。地球観測という目的だけを忠実に果た
す手堅い衛星――そういう技術は日本のお家芸である――にしなかったのでしょうか。
 疑問がたくさん湧いてきます。しかもです。「みどり」に続く「みどり2」までも同
じプラットフォーム衛星の設計を引き継いでいるのです。そして、ともに1年以内に機
能喪失――どうやら日本は失敗から学べないようです。
 NASDAとはどういう組織なのでしょうか。明日は、ロケットや衛星の開発組織の
実態にメスを入れます。             ・・・ [日本宇宙開発/09]

2007年04月05日

JAXA/文部科学官僚が天下り先(EJ第1355号)

 2003年のことです。宇宙開発に携わってきた3つの組織が合体してJAXA(宇
宙航空研究所開発機構)ができましたが、それまでは、NASDA(宇宙開発事業団)
が衛星やロケットを作ってきたのです。このNASDAというのは、どういう組織なの
でしょうか。
 NASDAが設立されたのは、1969年10月1日のことです。初代理事長には島
秀雄氏が就任しています。島秀雄氏は、旧国鉄の出身で、新幹線建設に辣腕を発揮した
スーパーエンジニアとして知られています。
 そのとき島理事長のもとに集まった人材は、大別すると次の3つの系統に分かれるの
です。
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           1.国の研究機関から来たエンジニア
           2.霞ヶ関の官庁からの出向者
           3.宇宙分野への進出を目指すメーカ
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 とくに3番目のメーカからの出向エンジニアは優秀だったといわれます。宇宙開発と
いう新分野で確固たる地位を築きたいと考える各メーカは、こぞって一流の人材を送り
込んできたからです。これらのメーカのエンジニアを中心に、NASDA設立以前から
研究を続けてきた国の研究所からの人材の能力が加わってNASDAの基礎的な技術
基盤が作り上げられたのです。
 次のリストは、NASDAの歴代理事長の在任期間と出身を示していますが、これか
ら興味深いことがわかります。
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       島  秀雄  1969〜1977 国鉄
       松浦 陽恵  1977〜1980 宇宙航空技術研究所
       山内 正男  1980〜1984 宇宙航空技術研究所
       大澤 弘之  1984〜1989 科学技術庁
       山野 正登  1989〜1995 科学技術庁事務次官
       松井  隆  1995〜1996 科学技術庁
       内田 勇夫  1996〜2000 科学技術庁事務次官
       山之内秀一郎 2000〜     JR東日本
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 初代から第3代の理事長は、いずれもエンジニアが就任しています。NASDA立ち
上げの重要な時期であり、一番苦労の多い時期に当ります。この時期の理事長は自らも
衛星やロケットのことがよくわかっていないと務まらないのです。
 そういう大変な時期においては、官僚は敬遠しているのです。しかし、NASDAス
タートから15年が経過し、NASDAという組織が順調に運営されるようになると、
官僚出身者が理事長の座を独占するようになってくるのです。
 しかし、1999年11月にH−Ⅱロケット8号機の打ち上げ失敗が起こって官僚出
身の内田理事長が退任すると、次の理事長には再びエンジニアの山之内氏を就任させる
など、責任回避の官僚体質丸出しの人事が行われているのです。
 さらに、1981年〜1984年――この時期は、NASDA設立以来メーカから出
向されてきていた優秀なエンジニアがNASDAから去り、官僚出身者が副理事長にな
って、やがて理事長になる年に該当するのですが、その年にNASDAには、霞ヶ関式
の2年ローテーション人事が導入されているのです。この人事によって、NASDAで
は優秀なエンジニアが育たなくなってしまったのです。
 衛星やロケットの開発は一通りすべての工程を経験するのには、5年から10年はか
かるのです。そこに2年ローテをやられたらどうなるでしょう。この愚かな人事の強行
によって、優秀な人材によって築かれた初期のNASDAの技術基盤は大きく崩壊する
ことになるのです。
 衛星やロケットの開発現場では、エンジニアのモラールが低下し、責任回避の姿勢が
顕著にあらわれていたのです。2年後に移動が確実であれば、下手に動いて責任を負わ
されるのは損とばかりに、本気で取り組む者が少なくなっていたのです。大過なく2年
を過ごそうとするからです。
 不幸なことに、そういう時期に「みどり」/「みどり2」の設計が行われていたので
す。これでは、成功するはずがないではありませんか。
 聞くところによると、プラットフォーム衛星化について末端のエンジニアは一貫して
反対していたそうです。しかし、計画責任者がそもそも計画のことを知らず、技術力も
ないのですら、そのような意見が通るはずがないのです。そうなると「みどり」/「み
どり2」の2度にわたる失敗は起こるべくして起こったことになります。
 この2年ローテーション人事制度はさすがに是正の動きが出て現在は、プロジェクト
・マネージャ制度が行われています。この制度は、ひとつのプロジェクトにおいては、
その計画の終了までは主要なメンバーは動かさないという制度です。
 しかし、霞ヶ関の官僚が今もJAXAを有力な天下り先と考える構図は、何も変わっ
ていないのです。現在のJAXAの副理事長の前職は、文部科学省の文部科学審議官で
す。確かにこの人は京都大学工学部の出身ではありますが、科学技術庁には入庁したも
のの、2003年8月にNASDAの副理事長になるまでは宇宙開発とは関係ない仕事
に就いてきた人です。したがって、明らかに天下り先として現在のJAXAの副理事長
に就いていると考えられます。
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        http://www.jaxa.jp/about/gaiyo/index_j.html
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 他の省庁なら別ですが、JAXAのような組織では、現場で十分な経験を積み、技量
を磨いてきた人を理事長に就けるべきですが、きっとそうならないでしょう。何しろこ
の国は、官僚という種族に支配されている社会主義国なのですから。官僚支配は衛星や
ロケットの開発分野にも及んでいるのです。     ・・・[日本宇宙開発/10]

2007年04月06日

『マイクロラブサット』の奇跡(EJ第1356号)

「みどり」/「みどり2」運用失敗のウラに、ある意味において痛快な話があります。
実は、2002年12月の「みどり2」の打ち上げで、「マイクロラブサット」という
小さな衛星が打ち上げられているのです。その重量は54キログラムです。
 「マイクロラブサット」は、次の3つの目的のために開発された衛星なのです。
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       1.衛星の製造・試験・打上げによるエンジニアの育成
       2.小回りのきく小型衛星に必要な技術を開発すること
       3.安価な民生用電子部品を利用した衛星開発への挑戦
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 これは、ますます肥大化する衛星計画に対するアンチテーゼとして、小型衛星を開発
しようという動きの一環として開発されたものなのです。
 大型の衛星の開発には長大な時間とコストがかかり、次世代を担う人材が育たない
――このことに危機感を持ったNASDA内部の一部のエンジニアたちが、小型の低コ
スト衛星を自前で開発することによって、若手のエンジニアたちに経験を積ませること
を狙いとしたものなのです。
 このコンセプトがNASDA内部で提案されたのは1995年のことですが、実際に
開発が始まったのは1998年なのです。そして、2002年に打ち上げに成功してい
るのです。
 衛星の総開発費は4億円――2億円かけて筑波宇宙センター内に小型衛星の製造と試
験のための設備を建設し、残りの2億円で衛星を製造しています。
 皮肉なことに、当初寿命3ヶ月として設計された「マイクロラブサット」は、打ち上
げから1年6ヶ月を経過した現在でも正常に飛び続けているのです。
 秋葉原の電気街で入手できる民生部品で組んだ搭載コンピュータは、放射線が飛び交
う過酷な宇宙環境に耐えて正常な結果を出力し続けているし、同じく民生用の受光素子
を使ったデジタルカメラは、非常に鮮明な画像を送信してくれているのです。2003
年10月には、大規模な太陽フレアがあったのですが、それにも耐えて現在もなお動作
を続けているのです。
 その一方で膨大なコストをかけて3年の寿命として設計され、打ち上げられた「みど
り2」は、1年もたずに機能を喪失している――何とも皮肉な話ではありませんか。
 「みどり」/「みどり2」の失敗に見られるように、日本の宇宙開発のやり方は何か
しろおかしい点があります。何かが抜けているといったらよいのかも知れません。その
原因を究明するため気象衛星「ひまわり」について考えてみることにします。
 日本が気象衛星のことを真剣に考えるようになったきっかけは1959年9月26日
から27日にかけて中京地方を襲った伊勢湾台風だったのです。
 伊勢湾台風――最低気圧929.2ヘクトパスカル、上陸時の暴風半径250キロメ
ートルの巨大台風で、全国で死者・行方不明者が5098人、負傷者3万8000人以
上という昨今では考えられないほどの大被害を出してしまったのです。
 当時の気象観測は、陸上からの気象通報が主であって、海上の観測は一部船舶と航空
機に頼っていたのです。そのため、気象台が台風に関する警報を出したのは当日の午前
11時であって、台風に備える十分な時間的余裕がなかったのです。
 この伊勢湾台風の経験から、もっと広域的な気象観測によって台風の進路を予測する
べきであるという意見が出されたのです。ちょうど伊勢湾台風の翌年の1960年4月
米国は気象観測を目的とした試験衛星「タイロス1」を打ち上げています。そして19
65年までに米国は10機のタイロス衛星を打ち上げて技術開発力を高めていったの
です。
 そして、1966年に入って初の実用気象衛星「エッサ」の打ち上げに成功するので
す。しかし、「エッサ」は地球低軌道を回る衛星であり、気象衛星としては不十分だっ
たのですが、米国は同じ年の12月に気象観測センサーを搭載した実験衛星「ATS−
1」を静止軌道に打ち上げて、静止軌道からの気象観測を可能にしたのです。
 しかし、その当時の日本は、タイロス衛星やエッサ衛星の画像を受信してその利用法
を探るという程度のことしかできなかったのですが、1969年に「世界気象機関(W
MO)」が国際協力によって、静止軌道に衛星を打ち上げ、全世界的なリアルタイムの
気象観測を可能にする「世界気象観測計画」を打ち出すに及んで、日本もその一翼を担
うことになったのです。
 「世界気象観測計画」によると、大国の分担による衛星の提供により、1977年か
ら衛星5機による静止衛星観測体制を築こうというものだったのです。
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        米国 ・・・・・ 2機  欧州 ・・・・・ 1機
        日本 ・・・・・ 1機  ソ連 ・・・・・ 1機
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 この日本に課せられた1機の衛星の製造は、1969年に設立されたばかりのNAS
DAが担当して行うことになったのです。メーカは日本電気が選定され、米ヒューズ・
エアクラフト社が、開発していた静止気象衛星の技術を導入して、衛星を製造したので
す。そして、1977年7月14日、米国のデルタロケットによって打ち上げられたの
です。これが「ひまわり1号」なのです。
 「ひまわり」は、1978年から画像利用を本格的に開始し、気象観測に威力を発揮
するようになります。「ひまわり」は5号まで打ち上げられるのですが、その運用はま
さに綱渡りの連続で何ともすっきりしないものだったのです。
 しかし「ひまわり」という名前は、気象観測衛星の代名詞として定着し、国民生活に
欠くことのできない実用衛星となったのです。   ・・・ [日本宇宙開発/11]

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2007年04月09日

気象衛星なしの異常な状態(EJ第1357号)

 「ひまわり」は静止気象衛星であり、太平洋上空、東経140度の静止軌道上から、
1時間に1回の割合で地球半球の画像を配信していたのです。
 添付ファイルに「ひまわり5号」の写真があります。「ひまわり」シリーズは、第1
号から第5号まで基本的に構造は同じで同じセンサーを搭載していたのです。図の下の
部分はアンテナですが、このアンテナ部分をのぞいて衛星全体はぐるぐると回転する構
造になっています。
 アンテナの上に楕円形の窓のようなものがありますが、その奥に気象観測用のセンサ
ーがあります。このセンサーはスキャナと考えるとわかりやすいと思います。センサー
も本体と一緒に回転しており、1回の回転で地球を東西方向に1ラインだけ、スキャン
するのです。
 そうすると、センサーの内部に撮影する方向を変えるミラーが入っていて、1回転ご
とに少し動いて撮影する向きを1ライン分だけ南北方向に変えるのです。そして、セン
サーが次に地球を向いたときには前に、スキャンしたラインの隣のラインをスキャンす
る――これを繰り返していくのです。そのようにして、地球をなめるように1ラインず
つスキャンしていきます。そして、25分に1枚の割合で画像が得られるのです。
 このようにして「ひまわり」が取得した画像は、スーパー・コンピュータによって、
画像の雲の流れから風向・風速の分布を算出し、シミュレーションを行い、数時間先の
天候を予測するのです。このように気象衛星が取得した観測データは、天気予報の精度
を決める重要な働きをするのです。
 テレビで天気予報を解説するとき、天気予報士が『まず、「ひまわり」の画像を見ま
しょう』というのを聞いたことが何回もあると思います。しかし、2003年5月以後
は「気象衛星の映像を見ましょう」というように変わっており、「ひまわり」というこ
とばは消えているのです。どうしてでしょうか。
 どうしてかというと、「ひまわり」は2003年5月に寿命が尽きているからです。
それでは、それに代わる衛星はどうしたのでしょうか。
 「ひまわり」の後継衛星は「運輸多目的衛星(MTSAT)」だったのですが、この
衛星は1999年11月15日、「H−Ⅱロケット8号機」で打ち上げられる予定だっ
たのに、ロケットの第1段エンジンのトラブルで打ち上げに失敗――ついに後継機がな
くなってしまったのです。そこで、「ひまわり5号」をそのまま使い続けていたのですが、ついに2003年5月に寿命が尽きてしまったというわけです。
 それでは、現在、天気予報には何を使っているのかというと、米国の海洋大気庁(N
OAA)から借りてきた衛星「ゴーズ/GOES9」を使っているのです。何ともお粗
末な話です。どうしてこういうことになったのでしょうか。
 「ひまわり」の開発状況は次のようになっています。この頃は国産化率にはあまりこ
だわらず、高い精度で打ち上げられ、トラブルなしで動くということが目標だったのです。
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                         開発費 国産化率
      ひまわり   1977.7.14 117億円  11%
      ひまわり2号 1981.8.11 144億円  35%
      ひまわり3号 1984.8. 3 133億円  32%
      ひまわり4号 1989.9. 6  53億円  32%
      ひまわり5号 1995.3.18 146億円  29%
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 ここで説明しなければならないことがあります。衛星というものは一度故障すると軌
道上での修理はできないのです。したがって、故障しないように細心の注意をもって
設計・製造されます。当然のことです。
 それでも故障は起こるのです。そのために、通常は予備の衛星を用意するのです。ま
して気象衛星のように故障してしまったら天気予報ができなくなるので、予備衛星の用
意は不可欠です。
 予備の衛星は、あらかじめ軌道上に用意しておくこともありますし、製造した衛星を
地上で保管し、いつでも打ち上げられるようにしておくのが通常です。
 「ひまわり」から「ひまわり3号」までは開発に不可欠であるとして、いずれも予備
の衛星が地上に用意されていたのです。これを「プロトプライトモデル」といいます。
これが役に立ったのは「ひまわり3号」です。1号・2号は、正常に運用されたものの
「ひまわり3号」はトラブル続きで、運用停止の一歩手前まで追い込まれたのです。
 そこで3号の予備機として地上に用意されていたプロトプライトモデルが、4号とし
て打ち上げられたのです。4号の開発費が通常の半額なのはそのためです。そして5号
は最後までノートラブルで運用されたのです。これがかえって仇となったのです。
 というのは、「ひまわり5号」の安定運用によって、気象庁の上位官庁である運輸省
が、気象衛星の予備機の予算に難色を示すようになったからです。気象庁としては、2
機製造するには1機を作る2倍の経費はかからないし、製造に先行する試作品の製造も
不要であるとして予備機製作の必要性を説いているのですが、運輸省は聞き入れなかっ
たというのです。
 それに気象庁内部でも、気象衛星による気象観測に疑問の声も出ていた時期もあるの
です。それは「地域気象観測システム(アメダス)」との対立です。アメダスは日本全
国の気象データをネットワークで集めて分析し表示するシステムですが、一時期「気
象衛星を打ち上げる金でアメダスを充実させるべき」という意見が気象庁内部で出てい
たのです。運輸省の予備機予算反対の根拠はここにもあるのです。しかし、気象衛星の
有効性はすぐに認識されたのですが、運輸省はそれでも予備機の予算を認めず、遂に気
象衛星なしの最悪の事態に陥ったのです。     ・・・ [日本宇宙開発/12]

2007年04月10日

日本の気象衛星は今後どうなるか(EJ第1358号)

 「ひまわり」についてもう少し詳しくいうと、2つの不幸が重なったといえます。ひ
とつは、H−Ⅱロケット8号機の打ち上げ失敗で、「ひまわり5号」の後継機として考
えていた「運輸多目的衛星(MTSAT)」が無駄になったことですが、もうひとつつ
いていないことがあるのです。
 実は、代替衛星MTSAT−1R――2003年3月打ち上げ予定――を米スペー
ス・システムズ/ロラ−ル社に発注していたのですが、さんざん製造が遅れたうえ、2
003年7月に同社が倒産してしまったのです。何ということでしょうか。
 なぜ米社に発注するのかというと、日本は1989年の対米交渉「スーパー301」
によって、実用衛星については国際調達することを米国に約束させられているからで
す。
 ロラール社は、衛星の引渡しに当たって3000万ドルの追加経費や補償金の支払い
をを請求するなど、無理難題を気象庁に申し立ててきており、今年の1月時点において
は、この問題は解決のメドが立っていないのです。
 さて、気象衛星というと、誰でも天気予報のための衛星と考えていますが、実は次の
3つの意義があるのです。
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          1.天気予報の高精度化
          2.国際貢献/アジア・太平洋地域
          3.安全保障面での貢献
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 第1は「天気予報の高精度化」のためです。
 日本の気象衛星は、東経140度の太平洋上で運用されていますが、最大の目的は天
気予報の高精度化です。台風がどこにいるのかをリアルタイムで把握して、台風に対す
る素早い備えを可能にし、気象被害を大幅に減少させることに貢献しています。
 第2は「国際貢献」のためです。
 日本の気象衛星は、アジア太平洋地域に対して行う国際貢献でもあるのです。「ひま
わり」シリーズの画像は、日本だけでなく東南アジア各国やオーストラリアのような南
半球の国でも受信されていたのです。
 日本は、国際貢献の一環として、受信したデータをもとに天気図を作成し、「ひまわ
り」に搭載した通信装置による衛星ファクシミリ通信「ウェザーファクス」を無料で配
信するという実用性の高いサービスを行っていたのです。こういうサービスは日本とい
う国の威信を高めることに貢献していたといえます。
 第3は「安全保障面での貢献」のためです。
 気象衛星は安全保障面でも重要な働きをします。天候は戦争に大きな影響を与えるの
です。したがって、米国は気象衛星には大変力を入れており、次の3つを組み合わせて
運用しています。
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         1.静止気象衛星「ゴーズ(GOES)」
         2.極軌道気象衛星「ノア(NOAA)」
         3.軍事用極軌道気象衛星 「DMSP」
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 「ゴーズ(GOES)」は米国の気象庁に当たる海洋大気庁が運用しているのですが
開発時にはアルファベットで呼ばれ、打ち上げに成功すると数字に改称されるのです。
例えば、最初のGOESは開発時は「GOES−A」ですが、打ち上げ後は、「GOE
S−1」と呼ばれています。
 GOESは、1975年10月の打ち上げからスタートし、1986年の「GOES
−G」で打ち上げに失敗――直ちに地上予備機を打ち上げて「GOES−7」としたの
ですが、ここで設計を大幅に変更しています。
 そして新設計の「GOES−8」は1994年4月に打ち上げられ、2001年7月
の「GOES−12」まで、打ち上げが終わっています。このうち「GOES−9」に
ついては、日本の気庁が借りており、細々と気象観測をやっていますが、次の打ち上げ
のメドは立っていないのです。
 ところで、これほど頻繁に静止軌道に衛星を打ち上げていたら静止軌道がいっぱいに
なってしまうのではないかという疑問がわいてきます。静止軌道は、気象衛星だけでな
く、通信衛星や放送衛星なども使う衛星が密集した宇宙の特等席なのです。
 したがって、そこを用済みの衛星で埋めないように、寿命がきた衛星は最後の推進剤
――これは必ず残しておく必要がある――を使って静止軌道よりも少し高い軌道に移し
て、そこで動作を止めて廃棄するのです。これを「デオービット」というのです。
 「ひまわり5号」については、デオービットに必要な最後の推進剤を残しながら、機
能を絞って最後の最後まで運用を続けたことになるのです。
 さて、今後日本の気象衛星はどうなるのでしょうか。
 国土交通省(事故後運輸省から名称変更)と気象庁は、次世代気象衛星「MTSAT
−2」を2005年に打ち上げる予定で、三菱電機に発注しています。この衛星はロラ
ール社に発注した「MTSAT−1R」が打ち上げられる前提で発注されたのですが、
現在ではこれが本命になってしまっています。
 心配なのは、現在米国から借りている「GOES−9」がそれまで持つかということ
です。というのは、この「GOES−9」は、1995年の打ち上げでとっくに設計寿
命が切れており、いつ機能を停止しても不思議はないという代物だからです。
 もし、「GOES−9」が機能停止になると、東アジア・太平洋地域で、静止衛星に
よる気象観測の空白を作ってしまう恐れがあります。気象衛星の機能喪失は、単に日本
の天気予報の精度が落ちるだけのことではなく、この衛星を利用しているアジア・オセ
アニア地域の国々に多大な迷惑をかけることになります。日本の気象衛星は日本だけの
ものではないのです。
 現在の状況は、気象衛星計画の初期の段階で予備機を持つことの重要性を運輸省が理
解しなかった点にあるといえます。        ・・・ [日本宇宙開発/13]

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2007年04月11日

テポドン発射は衛星打ち上げである(EJ第1359号)

 1998年8月31日――この日は何の日だと思いますか。
 北朝鮮(朝鮮民主主義共和国)が「テポドン」を太平洋に向けて発射した日です。テ
ポドンは日本の上空を飛び越えて太平洋に落下しています。思えばこの日を境にして日
本が北朝鮮に対する姿勢を一段と強化することになるのです。
 9月4日になって、北朝鮮中央通信は、それを「光明星1号」の打ち上げであると発
表したのです。日本政府やマスメディアはこれを頭から信じようとはせず、「北朝鮮の
言い訳である」として、あくまでミサイルの実験であるとして報道し、現在でもその考
え方を変えていません。
 本当に衛星が打ち上げられたのであれば、衛星は27Mヘルツの電波を送信しており
それを受信できるはずです。しかし、世界中のアマチュア無線家が電波の受信に挑んだ
にもかかわらず、「光明星1号」の電波は受信されなかったのです。
 ところが、米政府は9月12日になって「衛星の打ち上げである可能性が高い」と発
表したのです。米国の北米防空司令部(NORAD)には軌道上の物体を監視するレー
ダーがあり、軍事機密以外の軌道上物体の軌道情報を公開しているのです。現在、そこ
にはテポドンは「1998−F04」と記録されています。これは次のことを意味して
いるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
         1998−F04 F=Failure
         1998年に起きた4番目の衛星打ち上げ失敗
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 もちろん文部科学省もこのことは知っているはずですが、何もコメントしていません
し、日本政府もマスコミもあくまで「ミサイルの発射実験」という態度を変えていない
のです。いつもであれば、他の国ならばいざ知らず米国が発表することにはすぐ追随す
る日本がこの問題に関しては頑なな態度をとっているのは不思議な話です。
 米国の発表だけではないのです。9月17日には韓国の国家安全保障会議がやはり衛
星の打ち上げであると発表したのです。
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      2段式のミサイルの「テポドン」に第3段を載せて衛星の打ち
      上げに使用し、この第3段が着火せずに衛星の軌道投入に失敗
                    ――韓国国家安全保障会議の分析
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 松浦晋也氏は、テポドンは次の2つの理由から、衛星の打ち上げであると主張してい
ます。
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        第1の根拠:ロケットを真東に向けて打ち上げている
        第2の根拠:金正日総書記の祝賀行事に合わせている
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 第1の根拠は、「ロケットを真東に向けて打ち上げている」ことです。
 発射基地は、ハンギョンプクド・ムスダンリであり、そこから真東に向けて打ち上げ
られています。非力なロケットで大きな衛星を打ち上げる場合は、ロケットの到達速度
に加えて地球の自転速度を最大限に利用する必要があるのですが、そのためには北朝鮮
の場合、この位置から真東に向けて打ち上げるのがベストであるといえます。
 もし、単なるミサイルの実験であれば、真東である必要はないのです。まして日本を
恫喝するのが目的であれば、関東の上空を通過するように打ち上げたり、札幌や仙台な
どの大都市の上空を通過するなどのもっと効果的な方法がいくらでもあります。
 第2の根拠は、「金正日総書記の祝賀行事に合わせている」ことです。
 テポドンの打ち上げは8月31日ですが、9月9日には金正日総書記の国家最高指導
者就任の祝賀行事が行われているのです。こういう場では何らかの方法で国威の発揚を
はかるものですが、そのために日本を恫喝する――これは明らかにおかしいです。その
点、衛星の打ち上げの方がはるかに効果的です。
 祝典にはマスゲームが行われたのですが、その中には衛星が登場しているのです。お
そらく祝典前には「光明星1号」を打ち上げるという前提で衛星のマスゲームを何ヶ月
もかけて練習したものと考えられます。
 それでは、当時の日本政府(小渕恵三首相)は本気でミサイル実験と信じていたのでし
ょうか。
 そんなことはないと思います。どちらにせよはっきりした事実は出ないのですから、
ここは衛星の打ち上げよりもミサイル実験で押し通した方が得策という計算をしたと
考えられます。というのは、ちょうど当時日本政府は「偵察衛星」の開発をひそかに
検討していたからです。しかし、表面に出すと国民の反発を招くので「情報収集衛星」
として検討していたのです。
 こういう事実があります。1998年8月25日、自由民主党の科学技術・情報懇談
会の席上、三菱電機の谷口一郎社長が講演しているのです。演題は、「多目的精密観測
衛星について」――谷口社長はここで日本独自の偵察衛星の必要性について熱弁を振る
っているのです。
 そして、31日のテポドン発射――これを境に状況は一変してしまいます。9月1日
の自民党総務会では、日本も偵察衛星を持つべきであるという意見が出され、北朝鮮脅
威論が加速したのです。同じ1日にテレビに当時民主党の菅直人代表が「日本は自前で
偵察衛星を持つべきである」と発言し、小渕首相はそれに対して「強い関心」を表明す
るといった具合です。
 したがって、日本政府は衛星打ち上げよりもミサイル実験で押し通す方が得策と考え
たのでしょうが、本当は衛星打ち上げの方がミサイル実験よりも衝撃的なのです。衛星
打ち上げというと平和的に聞こえますが、本質は軍事目的の実験そのものなのです。
                        ・・・ [日本宇宙開発/14]

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2007年04月12日

宇宙開発計画の司令塔はどこか(EJ第1360号)

 気象衛星にせよ、多目的衛星(偵察衛星)にせよ、それを企画し、設計し、設計内容
を精査し、計画を立てて製作する――そういう司令塔はどこなのでしょうか。
 はっきりしているのは、製作しているのはメーカであるということです。問題は、メ
ーカを指揮して製作に当たらせているのはどこなのでしょうか。
 文部科学省なのでしょうか。それとも、JAXA(宇宙航空研究所開発機構)なので
しょうか。それともそのための特定のプロジェクトチームなのでしょうか。
 一番それらしいのはJAXA(以前はNASDA)ということになりますが、JAX
Aが本当にロケットや衛星の開発のノウハウを持っているのでしょうか。
 このようにいうと、基本的なコンセプトや仕様をメーカに提示したり、設計に関して
指示を出しているという答えが返ってくると思いますが、JAXAは本当にそのような
ことができる能力を持っているのでしょうか。
 これらの疑問に対し、日本初の偵察衛星(「みどり2」/多目的衛星)の製作の軌跡
を簡単に振り返って、実態はどうなっているかについて検証したいと思います。
 先週28日のEJ第1359号で、北朝鮮のテポドン発射の直後から偵察衛星に対す
る風向きが大きく変わったことを書きましたが、実際に1998年9月7日、政府与党
連絡会議は「情報衛星プロジェクトチーム」(座長:中山太郎元外務大臣)を発足させ
ているのです。
 このプロジェクトチームのメンバーは、次の通りですが、いずれも自由民主党の防衛
族議員です。
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      中山 太郎(大正13年生) 大阪高等医学専門学校卒
      野呂田芳成(昭和 4年生) 中央大学法学部卒
      愛知 和男(昭和12年生) 東京大学法学部卒
      玉澤徳一郎(昭和12年生) 早稲田大学大学院政治学部卒
      衛藤征士郎(昭和16年生) 早稲田大学大学院政治学部卒
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 同年10月14日には、このメンバーでヒヤリングが行われているのですが、そのと
きの資料「多目的情報収集衛星システムの検討」は、三菱電機の鎌倉製作所のエンジニ
アが総力でまとめたのです。ちなみにその資料には、次のようなことまで書いてあった
のです。
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           1998年着手/2002年打ち上げ
           予算総額       2000億円
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 プロジェクトチームは、テポドン発射の10日後の9月10日から10月15日まで
に7回のヒアリングを行い、10月29日に「情報収集衛星導入についての提言」をま
とめて党に提出しているのです。なお、この提言書の詳細は、次のアドレスをクリック
すると、見ることができます。
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       http://www.jimin.jp/jimin/saishin9998/seisaku-21.html
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 そして、11月6日の閣議で、政府は2002年度に情報収集衛星4機を打ち上げる
ことを決定し、予算も1998年度の第3次補正予算で17億円を組み、直ちにこの計
画は動き出すことになったのです。何と素早いというか、電光石火というか――当時小
渕内閣は予算の大判振る舞いをしていたときですから、こういうことができたのかも知
れません。
 単に予算を取るまでの計画のまとめ方ではないのです。かなり具体的なことまでこの
短い間に決まっているのです。主要な5つの点をまとめると次のようになります。
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        1.比較的低軌道の周回軌道へ打ち上げる周回衛星
        2.必要な情報を高分解能で撮影できる機能を持つ
        3.1メートル以下の分解能を有する光学センサー
        4.悪天候や夜間時の撮影も可能なものにする機能
        5.同一地点を最低1日1回以上観測を可能にする
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 プロジェクトチームのメンバーの学歴を見ると、中山氏を除き全員が文科系です。そ
の中山氏の専攻も医学なのです。とてもではないが、ロケットや衛星に関して、基本的
なコンセプトを示したり、設計に関して指示ができるとは思えないのです。
 それなら、なぜ、このように早くまとまったのかというと、製作を担当した三菱電機
が衛星ビジネスのためにかねてから準備をしており、その計画をプロジェクトチームが
そのまま受け入れたからなのです。むしろ、プロジェクトメンバーから専門的な質問が
出ないからこそ早くまとめられたといってよいと思います。
 その証拠に、「民間から情報衛星について聞く」と題して行われた10月14日のヒ
ヤリングにおいて、三菱電機はプレゼンを行っているのですが、そのプレゼンの内容と
結論としてまとまったプロジェクトチームの5つのポイントは、まったく同じものなの
です。
 政治家はものごとの核心を把握して的確な判断を下し、あとは専門家にまかせればよ
い――これは丸投げ宰相の小泉首相がいうことばと同じですが、プロジェクトチームの
上記のメンバーに偵察衛星の核心を把握して的確な判断が下せるでしょうか。これは基
本的に丸投げと同じと考えてよいと思います。
 それでは、JAXAは何をやっているのかですが、ここには天下り官僚が居座ってお
り、専門家の言によると、ほとんど役立っていないと考えてよいそうです。結局、メー
カがコンセプトも基本設計も実施計画も、すべて作って製作するというかたちになって
いるのです。官僚たちはこういう衛星開発を利用して新しい組織を作り、天下り先の確
保に執念を燃やしているのです。         ・・・ [日本宇宙開発/15]

2007年04月13日

政治・行政における理工系素養の不足(EJ第1361号)

 1998年の多目的情報収集衛星の予算総額は最終的には衛星からのデータを受信
する地上局を建設するための費用が加わったため、2500億円に増加しています。
 これほど巨額の官需となると、メーカはそれを獲得しようとして必死になります。し
たがって、仮にプロジェクトチームのメンバーから相当無理な注文が出ても、否定的な
返事はまずできないと考えられます。したがって、メーカは何でも「できる」という返
事を返すことになるのです。
 したがって、それが無理かどうかの本当の判断は、メーカにいろいろな角度から質問
することによって、その応答から発注側自身が判断しなければならないわけです。その
ために発注側としては、ロケットや衛星、それに宇宙軌道に関する相当詳しい知識を持
っている必要があります。
 こういう知識は、単に理工系だからわかり、文科系だからわからないというのではな
く、勉強することによってはじめて身につく知識なのです。勉強しなければ、たとえ理
工系でもわからないのです。現代のように高度に科学が発達した世の中では、文科系の
人も理工系的素養を持たないと、正しい政策判断ができない時代になっているといえま
す。
 そういう意味で、中山太郎座長を中心とする情報衛星プロジェクトチームの防衛族議
員たちは、そういう知識の上に立って政策の判断をしたのでしょうか。結果は、最初の
2機は打ち上げられていますが、残る2機は昨年11月29日のH−ⅡA6号機の打ち
上げ失敗で、当初の計画は達成されていないのです。
 企業へのコンピュータの導入期に、さかんにいわれた次のことばがあります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      自らコンピュータを使う必要などない。コンピュータを使える
      人間を使えればよいからである。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 私は大企業の情報システム部門に10年以上在籍した経験がありますが、その経験を
通じてこのことばがウソであることを実感したのです。結局自分がコンピュータを使え
なければ、コンピュータを使える部下を使うことなどできるはずがないのです。
 この発想はコンピュータを使う人間を一段低く見ています。コンピュータは下々の者
が使うマシンであって、一段上にいる経営者はとくに使う必要がない――そういう考え
方ですが、これは完全に間違っています。むしろ、重要な政策判断を下す経営者ほどコ
ンピュータを自ら使いこなす必要があるのです。
 コンピュータが使えるようになると、その分だけ自らのパワーが増すことになります
コンピュータを使うことによって、従来はできなかったことができるようになっている
はずです。そうすると、そのパワーアップした能力をベースにものごとを考えるように
なり、新しいアイデアや智恵が出てきます。
 したがって、コンピュータを使える人とそうでない人との間には考え方に大きな差が
生ずるのです。つまり、コンピュータが使えない人は、コンピュータの力をベースに物
事を発想する「コンピュータ頭脳」ができていないので、現代の経営に対応する良い智
恵やアイデアが出てこないのです。
 日本の場合、政治も行政も理工系的素養が決定的に不足していると考えます。日本で
は、自分ができない難しいことは、専門家の仕事であるとして、それから逃げる傾向が
あります。そのため理工系的知識が不足するのです。つまり、文科系の人から見ると理
工系の人はすべて「専門家」なのです。
 しかもこの「専門家」ということばも必ずしも相手を尊敬して使うことばではなく、
難しいことの好きな「技術屋」という意味で使うことが多いのです。しかし、理工系の
学部を出て企業に就職した人のほとんどは、その技術やノウハウを企業に入社してから
一から勉強して覚えたといっているのです。
 そういう国において、先端技術の粋を集結しなければならないロケットや衛星を製作
するのは非常にリスクがあります。結局はどんな無理なことでも「できる」といわざる
を得ないメーカを信じて、すべてを丸投げせざるを得ないからです。このあたりに、次
々とロケットの打ち上げに失敗したり、衛星が機能を停止する原因の一端が潜んでいる
のではないかと考えます。
 ここに興味深いデータがあります。最近宇宙開発で目覚しい進歩を遂げている中国の
指導者の最終学歴と専門分野を示したものですが、驚くなかれ全員が理工系です。ほと
んど全員が文科系の日本と際立った差というべきでしょう。
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       氏名   役職 出身校              専門
      胡錦涛 国家首席 精華大            水利工学
      温家宝 首相   北京地質学院          地質学
      呉邦国      精華大            電子工学
      賈慶林      河北工学院          電気工学
      曽慶紅      北京工業学院       自動制御工学
      黄菊       精華大            電機工学
      呉官正      精華大          自動制御工学
      李長春      ハルピン工業大学    工業企業自動化
      羅幹       フライブルグ鉱山冶金大    機械鋳造
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 日本の科学技術庁長官は現在の町村信孝長官で59代ですが、そのうち、理工系出身
の長官は次の4氏のみです。
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       第19代 西田信一       札幌工業大学土木建築科
       第27代 前田正男           山梨高工機械科
       第39代 宮崎茂一      東京帝大工学部土木工学科
       第56代 有馬朗人       東京大学理学部物理学科
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 ちなみに、総理大臣については、第56代の岸信介首相以降、現在の小泉純一郎首相
まで、理工系出身者はゼロです。          ・・・[日本宇宙開発/16]

2007年04月16日

本当に宇宙開発を理解しているのか(EJ第1362号)

 行政(官)が、いかに宇宙開発についての知識がないかを如実に示す話があります。
 既に述べたように、情報収集衛星は「光学衛星」と「レーダー衛星」が一組となって
2回打ち上げられ、4機で運用されることになっています。その一組は2003年3月
28日に打ち上げられたのですが、これに関してこんな話があるのです。
 情報収集衛星の打ち上げにさいして、内閣府は厳しい情報管制を敷いたのです。当然
ですが、衛星を投入する軌道についても一切の情報を提供しなかったのです。内閣府と
しては、衛星を運用する軌道を公開すると、いつどこの上空を通過するかがわかってし
まうので、偵察衛星としては非公開とするのは当然であると考えたわけです。
 ちなみに、人工衛星の軌道は「軌道要素」という一組の数字がわかると算出すること
ができるのです。軌道要素は「2行要素」(TLE)という技術フォーマットが決まっ
ていて、TLEがわかると、誰でも計算でその衛星が地球のどの地点でいつ見えるかを
知ることができるのです。衛星観測が趣味のアマチュアでも十分計算可能です。
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       軌道要素/2行要素 ・・ TLE Two Line Elements
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 しかし、衛星の軌道は変化するので、最新のTLEを把握しておく必要があります。
内閣府は、このTLEを隠そうとしたのです。しかし、米国NASAのゴダード宇宙セ
ンターがインターネットのサイトで、日本の情報収集衛星(以下、IGS)のTLEを
公開したので、そのデータは世界中に配信されてしまったのです。ゴダード宇宙センタ
ーのデータを再配布しているサイトのひとつご紹介しましょう。
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           http://www.heavens-above.com/
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 そのため、IGSの軌道データは世界中に流れてしまったのです。これによって判明
したのは次の事実です。
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       1.回帰日数4日の太陽同期準回帰軌道に打ち上げ
       2.上空通過時間は午前10時30分であると特定
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 この事実について問い合わせても内閣府は「ノーコメント」の繰り返しなのです。挙
句のはてに「そんな個人のホームページのデータなどに信頼性はない」とまでいう始末
です。
 そうしているうちに、ゴダードからの軌道要素の公開はストップされたのです。おそ
らく日本から米国に中止要請が行なわれた結果と考えられます。
 このように書いていくと、内閣府のとった処置は当然のことと考える人もいるでしょ
う。しかし、そうではないのです。日本はある意味において非常に恥ずかしいことをし
ているのです。なぜなら、この出来事は、いかに日本政府が宇宙開発の基礎を知らない
かを全世界に示してしまったからです。
 衛星軌道要素は原則公開なのです。というのは米国の北米防空司令部(NORAD)は、軌道上の人工物体については10センチ程度の破片にいたるまで、レーダーで監視して
います。軌道上でそれらの破片が使用中の宇宙船や衛星に衝突することを避けるためで
す。もちろん軍事機密に属するものは公開しませんが、それ以外のものは公開が原則な
のです。
 そして、それらの情報はゴダード宇宙センターがTLEのかたちで配布しているので
す。これを「軌道要素配布」と呼んでいるのです。先ほどのサイトは、ゴダード宇宙セ
ンターが配布したものを再配布しているサイトなのです。内閣府は、ちょっと宇宙のこ
とに詳しいマニアですら知っている「軌道要素配布」のことを知らなかったことになり
ます。
 もうひとつ内閣府が知らなかったと思われることがあります。それは、衛星観測とい
う趣味が存在し、世界中に多くのサテライト・ウォッチャーがいることをです。最近は
民生用のデジタル映像機器の性能が優れていて、これらを駆使すればかつての軍事シス
テムに近い観測能力が持てることです。
 したがって、ゴダード宇宙センターからのTLEの公開がストップした後もこれらの
サテライト・ウォッチャーたちが自らの観測結果をインターネットで公開し、連絡を取
り合って軌道要素の計算を続けてメーリングリストで配信しているのです。
 打ち上げから3ヵ月後の6月に、日本のサテライト・ウォッチャーがIGSの撮影に
成功しています。つまり、宇宙空間から地球は丸見えですが、宇宙も最新のデジタル映
像機器を使えば、丸見えなのです。偵察衛星というものは、そういう事実をふまえて活
用を考えるものなのです。IGSの導入を決定した防衛族議員たちは、このような事実
を知っていたのでしょうか。
 実は内閣衛星情報センターという組織があります。その設立は2OO1年4月のこと
です。主力は、防衛庁、外務省、警察などからの出向者が中心ですが、電子・通信メー
カからの民間の出向者もたくさんいます。つまり、宇宙関係の専門家はたくさんいたわ
けです。それでいて、軌道要素配布のように基礎的なことがどうしてわからなかったの
でしょうか。
 それは、内閣衛星情報センターという組織自体が寄り合い所帯であって、出向者がそ
れぞれの出身母体だけしか見ていないという状態になっているのではないかと考えら
れます。知識が何ら共有化されていないからです。
 それぞれ優秀な専門家はいるのですが、それを束ねる側の政治家や行政が宇宙開発に
ついて基本的なことがわかっていない――これは事実のようです。偵察衛星の導入を決
めた防衛力議員は、住宅を購入するに当たって一家の主婦が担当者を質問攻めにするほ
どの真剣さで、総額2500億円もかかる衛星システムの導入にさいしてメーカを質問攻めにしたのでしょうか。             ・・・ [日本宇宙開発/17]

2007年04月17日

日本の宇宙開発はなぜ遅れたのか(EJ第1363号)

 考えてみると、日本は随分長い間にわたって宇宙開発に取り組んできています。それ
にもかかわらず、米国、ロシア、欧州、中国と大差がついているように感じます。どう
して、こんな結果となってしまったのでしょうか。
 ところで、かつて日本は、旧ソ連、米国、フランスに次いで4番目に人工衛星「おお
すみ」を打ち上げているのです。1970年2月11日のことです。東京大学宇宙航空
研究所(ISAS)が、4回連続の打ち上げ失敗のあとで、「ラムダ4S型ロケット5
号機」による打ち上げに成功したのです。
 これは実に画期的なことであったのです。よく知られているように、日本の本格的な
ロケット開発は、1955年に東京大学の糸川英夫教授が発射実験を行った「ペンシル
ロケット」からはじまるのです。この時点でロケット先進国の米国は、日本のロケット
には何の興味も示さなかったのです。
 しかし、1961年9月から翌年にかけて、糸川英夫グループの開発による「カッパ
ー6型ロケット」(富士精密製作)5機と付属する地上設備、コンポジット型推進剤の
製造技術権をユーゴスラヴィアに販売する契約を締結したり、1964年にはインドネ
シアへ輸出を行うようになると、米国はにわかに東大ロケットを問題視するようになる
のです。
 この「カッパーロケット」というのは、高度100キロメートルに到達する能力を持
つ固体推進剤を使用する2段式ロケットなのですが、米国が懸念したのは、この輸出が
ミサイル技術の拡散につながると判断したためなのです。
 米国をはじめとする先進国は、固体推進剤を使うロケットを軍事目的で開発しており
当然のことながら、その製造方法については軍事機密だったのです。しかし、日本のロ
ケットは、唯一非軍事目的のために開発されたものであり、購入可能であったため購入
しようと考える国が多かったのです。購入してからいくらでも軍事転用ができるからで
す。
 その後、日本のロケットは、続いて大型の「ラムダ」ロケット「ミュー」ロケットと
急ピッチで開発していくことになるのですが、これによって米国務省の軍備管理・縮小
局(ACDA)は、1965年になって、次のようなステートメントを時のジョンソン
大統領に警告していたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       日本は、今後3年以内に核弾頭ロケットを自力開発する能力
      を持つであろう。ミサイルとの関連の少ない液体ロケット技術
      を日本に供与することで、日本のロケット開発への米国の関与
      を増大させ、核ミサイル開発の芽を摘み取ることができると共
      に、米国並みの輸出管理政策を採用させることができる。
        ――ADCAによるジョンソン大統領へのステートメント
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 結論からいうと、日本はまんまと米国の策略に乗ってしまったのです。日本の宇宙開
発の現状は、それを如実に物語っているといえます。米国の戦略として、勝手に技術開
発をやっている国を従属させるためには、より優れた技術をその国に供与して自らの技
術体系に組み込んでしまう――これにまんまとひっかかってしまったわけです。
 この戦略に沿って米国は日本との間に、1969年7月31日に「宇宙開発に関する
日本国とアメリカ合衆国との協力に関する交換公文」を締結します。これは、米国が行
う過去最大級の技術供与となったのです。
 このとき米国から得た技術が「ソー・デルタ」というロケットの技術です。当時は、
「アトラス」という技術が主流だったのですが、「ソー・デルタ」は実績に裏付けられ
た手堅い信頼できる設計技術だったのです。この技術によって日本のロケットは、「N
−1」から「H−I」までの間、非常に高い成功率を収めることができたのです。
 しかし、その後米国は日本に対して、スペースシャトルの運行を前提とする有人宇宙
ステーションなどへの参加を呼びかけるなど日本を自分の土俵へと引き入れようとし、
日本も米国に大きく依存するようになっていきます。そして、1986年1月28日の
チャレンジャー事故が起こり、米国の宇宙開発計画が大きく変更されることになり、日
本の宇宙開発はそれによって大きな影響を受けることになるのです。
 現在の日本のロケット技術は、100%の純国産技術に執拗にこだわり、新技術を追
い求めて多くの失敗を積み重ねています。しかし、NASDAの設立時に初代理事長の
島秀雄氏は、あくまで「実用ロケット」を標榜し、次のように、とても堅実なロケット
の設計思想を持っていたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       「実用ロケット」とは、確実性が実証された技術だけで構成
      し、総合的な信頼性と経済性が高く、依頼主の希望した日時に
      希望した軌道高度へ、人工衛星などのペイロードを確実に投入
      することができるロケットです。
                 ――島秀雄NASDA初代理事長の理念
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 しかし、日本はこの島理事長の設計思想から大きく逸脱し、異常に最先端技術にこだ
わる姿勢を取るようになり、NASDAは関係者だけが「実用ロケット」と称する「実
用性に疑問がつくロケット」の開発を推進していくことになるのです。こうして、何と
かNASDA事業をビジネスとして軌道に乗せようと尽力した島理事長の「実用ロケッ
ト構想」は反故にされてしまうのです。
 それに日本のロケット開発は、異常なほど失敗を恐れるところがあり、失敗から学ぶ
ことが下手なのです。なかなか失敗を失敗として認めず、それを「不具合」といい繕う
ところがあるのです。これでは新しい技術は育たないのです。
 これに比べて中国は、日本とは対照的なロケットの設計思想で有人宇宙飛行を成功さ
せています。その違いについては、明日のEJで述べます。 
・・・ [日本宇宙開発/18]

2007年04月18日

中国はなぜ有人飛行に成功したか(EJ第1364号)

 中国の宇宙開発は、1992年から始めて次の通り4回の無人の実験を経て、5回目
の「神舟5号」で有人宇宙飛行を成功させています。その総額費用は、約180億元
(2700億円)になります。
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      神舟1号 ・・ 1999年11月20日 打ち上げ/無人
               ・地球周回軌道14周回/カプセル回収
      神舟2号 ・・ 2001年 1月10日 打ち上げ/無人
               ・生命維持の実験を実施/カプセル回収
      神舟3号 ・・ 2002年 3月25日 打ち上げ/無人
               ・宇宙飛行士ダミー人形/カプセル回収
      神舟4号 ・・ 2002年12月30日 打ち上げ/無人
               ・有人飛行のリハーサル/カプセル回収
      神舟5号 ・・ 2003年10月15日 打ち上げ/有人
               ・有人宇宙飛行成功/世界3番目の快挙
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 これに対して、日本は宇宙開発についても米国追従の姿勢をとり、国際宇宙ステーシ
ョン計画に付き合わされて、20年の年月と3100億円の資金を投入して、いまだに
自力での有人宇宙飛行など夢のまた夢という状態です。
 どうして、中国とこのような差がついたのでしょうか。
 中国は、非常に現実的な計画を立てて宇宙開発に臨んだことがわかっています。その
設計思想は2003年10月14日の「人民網/日本語版」を読むとわかります。ここ
には、「神舟5号」の総設計師へのインタビューが出ています。次のアドレスをクリッ
クしていただくとページが開きます。
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       http://j.peopledaily.com.cn/cehua/20031014/02.htm
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 中国は最初から有人ロケット開発を目指していたのです。さらにその条件として「手
持ちの技術で安全な有人飛行を実現する」という現実的な目標を立てたのです。この場
合、最初に次の重要な選択肢があったのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
        1.宇宙往還機の開発 ・・・・・ 米国型
        2.使い捨てカプセル ・・・・・ ソ連型
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 「宇宙往還機」の典型は米国のスペースシャトルで、高度のハイテク技術を駆使した
何度でも再使用できる未来型の宇宙輸送システムです。これに対して、「使い捨てカプ
セル」はかつての旧ソ連の「ソユーズ型」で、宇宙からの帰還はカプセルで回収すると
いうものです。
 中国は、宇宙往還機は複雑過ぎて投資額が大きく、安全性の面でも問題があると考え
たのです。ちょうど中国がこの計画を立てた時期が1986年で、チャレンジャーの事
故の年と重なるのです。そのため宇宙往還機に対する安全性の信頼が揺らいでいたこと
は確かで、それが中国の決断に影響を与えたと考えられます。
 しかし、当時人をカプセルに押し込んで回収するというのは、古いと考えられていた
のですが、あえてこの方式を選択したことが有人飛行の成功につながるのです。この点
「米国のあとをついていけば間違いない」とする日本のロケット開発のコンセプトとは
大きく異なるのです。
 「神舟5号」の総設計師の話によると、地球に帰還するカプセル(帰還モジュール)
は、旧ソ連の「ソユーズ」よりも30%もスペースを拡大して世界最大であること、そ
れに「ソユーズ」の場合は、地球に帰還する際、宇宙船を宇宙のゴミにしてしまうが、
「神舟5号」は帰還モジュール離脱後も宇宙船は軌道モジュールとして約半年間巡航を
続け、科学・技術実験を行うことができるという点で、「ソユーズ」を越えているとし
ているのです。
 これを実現するために、中国は「ソユーズ」の情報をあらゆる手段を駆使して収集し
たといいます。ロシアと交渉して「ソユーズ」の実物を買い取ろうしたといわれます。
しかし、これは実現しなかったので、断片的資料を収集してそれを丹念に学習し「神舟
ロケット」を開発したのです。
 こうした中国の技術開発は「模倣プラスアルファの技術開発」といわれます。まず、
徹底的に真似をして、実験を重ねてそこに何かを付け加えるという技術開発です。つま
り、あえてオリジナルを求めず、模倣したものをツギハギして精度を高めるという少し
カッコの悪いコンセプトです。考えてみれば、日本もかつては「モノマネ日本」といわ
れたものですが、今の日本にはコピーする力すらないという専門家もいるのです。
 世界で3番目になる有人宇宙飛行に成功した「神舟5号」は、2003年10月15
日に、内モンゴル自治区から「長征CZ2Fロケット」で打ち上げられています。搭乗
していたのは、38歳になる人民解放軍のヤン・リーウェイ空軍中佐です。
 「神舟5号」は、全長39.3メートル、最大直径3.36メートル、全備質量45
9トンの2段式液体燃料ロケットです。ロケットが乗った地球周回軌道データは次の通
りです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
        近地点高度 ・・・・・ 200キロメートル
        遠地点高度 ・・・・・ 343キロメートル
        軌道傾斜角 ・・・・・ 42.4度
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「神舟5号」は、約7時間かけて高度343キロメートルの円軌道に移行、地球周回
軌道を14回する間に偵察カメラにて通過する軌道直下の国々の偵察撮影を行い、そし
て、10月16日午前6時23分に内モンゴル自治区内に着陸帰還しています。
 中国が行ったことは、まさに目標による管理の典型的な成功事例であると考えます。
日本はどう対抗すればよいのでしょうか。     ・・・ [日本宇宙開発/19]

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2007年04月19日

『スーパー301』に屈した日本(EJ第1365号)

 宇宙開発の話は最後のしめくくりに入ります。NASDAの設立が1969年ですか
ら、既に35年が過ぎようとしています。しかし、日本の宇宙開発の現状は、メーカの
立場から見れば期待はずれを通り越し、失望感すら漂っています。
 航空宇宙工業会の調査による2002年度の宇宙産業の規模は約3300億円――こ
の規模は中堅企業1社の年間売上高程度でしかないのです。
 この数字がいかに低いかは、同じ乗り物を製造している自動車産業の規模が四輪車だ
けで、16兆4494億円であることを考えると歴然としています。
 しかし、ロケットや人工衛星の開発は、国がメーカに発注する官需であり、手堅く儲
かるのではないかと常識的には考えますがそうではないのです。利益率は非常に低く、
マイナスになることすらあるといいます。
 官需における利益は、原価計算方式によって一定割合が確保されることになっていま
す。必要経費から計算していって、そこに利益(4%〜5%)を上乗せして総予算額を
決定するのですが、官需の場合、原資は税金であり、ムダは徹底的に排除されるべしと
の原則が建前上は決まっています。
 この原価計算方式は、ちょっと考えると合理的に見えますが、大きな問題点があるの
です。それは、メーカがコストダウンに努力しないことです。なぜなら、コストダウン
をしても利益に反映しないからです。そのため、メーカはいかにして必要経費を増やす
かに汲々とするのです。この官需のメカニズムでは、コストダウンが進むことはないの
です。
 とはいうものの、利益率が4%〜5%保障されるビジネスは、昨今では良いビジネス
といえます。しかし、そううまくはいかないのです。なぜなら宇宙開発ビジネスには、
膨大な先行開発投資が不可欠であるからです。
 日本の宇宙開発の目標はあくまで国産技術の確立です。したがってメーカとしては、
営業において自社の持っている技術をプレゼンテーションする必要があります。しかし
存在しない技術はプレゼンテーションできないので、宇宙開発の仕事を受注するために
は、先行して技術を開発しておく必要があるのです。
 先行開発投資は巨額の資金がかかるので、とても4%〜5%の利益ではカバーできな
いのです。それでも日本の宇宙開発に関わる企業は、マイナスを覚悟で先行投資を行い
貴重な国産技術を数多く開発しています。将来、宇宙産業市場が大きく成長すればその
とき実をとれるからです。
 日本の宇宙産業の前途が暗いのは、官需が細いことに加えて、民需が閉ざされている
ことです。しかし、民需はともかく、なぜ官需が細いのでしょうか。
 もともと日本には正式な軍隊というものがなく、ロケットや人工衛星の開発は平和利
用に限定されていますが、通信衛星、放送衛星、気象衛星などの実用衛星の開発は不可
欠であり、官需が細いということはないはずです。
 ところが、そうではないのです。それは、1989年の対米交渉、通称「スーパー3
01」の結果、実用衛星は、国際的に調達することになってしまったのです。「スーパ
ー301」についてもう少し詳しく述べましょう。
 1989年5月――当時の日本経済は絶好調だったのですが、これに脅威を感じた米
国は、包括貿易法「スーパー301条」に基づき、日本に対して、人工衛星、スーパー
コンピュータ、林産物の市場を開放するよう迫ってきたのです。その結果、日米の間で
通商交渉が行われ、日本は市場開放に同意したのです。
 その結果、政府調達の衛星は技術開発衛星に限定され、通信衛星、放送衛星、気象衛
星などの実用衛星はすべて国際調達をすることが決まったのです。国際調達とはいうも
のの、宇宙産業は米国が世界を支配しており、結果として米国から調達することを意味
しているのです。
 EJ第1358号で、日本が代替気象衛星を米ロラール社に発注し、同社が倒産して
問題が解決していないことについて述べましたが、自前で開発する能力があるのに、な
ぜロラール社に発注したのかというと、これも「スーパー301」によって調達せざる
を得なかったのです。
 日本が市場開放に同意したことによって何が起こったかというと、実用衛星という官
需に支えられていた日本の衛星産業が壊滅的な打撃を受けたのです。これは、歴史に残
る日本外交の失敗のひとつであるといえます。
 外交の基本は、「相手国が何を考えているのかを読み、どう先回りして対処するかを
自分の頭で考える」ことです。しかし、日本の外交はそれができないのです。ソ連にゴ
ルバチョフ政権ができてソ連との冷戦が終結したとき、米国は次に航空宇宙分野におい
て米国の優位性を脅かす存在は日本であると判断し、いち早く日本封じ込めの手を打っ
てきたのです。
 そのため米国は、1969年に日本と宇宙開発技術に関する公文を締結し、日本に大
幅な技術供与を行って日本の対米依存度を強める政策を取り、現在ではすっかり米国の
術中に陥って米国抜きでは何もできなくなってしまったのです。
 考えてみれば、日本の宇宙開発は、当然経験すべき失敗を米国に代行してもらうこと
で、失敗の少ない宇宙開発をやってきたのですが、そのツケが一度にまわってきたとい
えます。
 それにしても、航空宇宙関係に関して日本はなぜこのような不利な条件を受け入れた
のでしょうか。交渉から15年経過して漏れ聞こえてきたところによると、米国は日本
が当時北米大陸で大きなシェアを持っていた自動車と家電製品に対して、報復関税をか
けることを示唆して日本の譲歩を引き出したといわれます。
 そして結局、米国の脅しに屈して、自動車と家電製品を守るために、長年日本が国費
を投入して手塩にかけて育ててきた衛星産業を生贄として差し出したのでしょう。やは
り、日本の宇宙開発は「ネクタイとしての開発」に過ぎないのでしょうか。
                         ・・・[日本宇宙開発/20]

2007年04月20日

米宇宙ステーションに振り回される日本(EJ第1366号)

 2004年1月14日のことです。米国のブッシュ大統領は、有人月・火星探査を含
む大規模な宇宙計画を発表しています。その内容をまとめると、次の3点になります。
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      1.2010年までにISS(国際宇宙ステーション)を完成
        させる。ISS完成後スペースシャトルを引退させる。
      2.新しい宇宙船として深宇宙探査可能なCEVを2008年
        までに開発し、2014年までに有人飛行を実施する。
      3.2020年までに月有人長期滞在を実現し、月を基地とし
        て火星に有人探査、それ以遠には無人探査を実施する。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 英語の読める方のために、ブッシュ大統領の演説の全文を参照できるようにしておき
ます。次のアドレスをクリックすると、ホワイトハウスのサイトが開きます。
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      www.whitehouse.gov/news/releases/2004/01/20040114-1.html
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 ISS――国際宇宙ステーションについてお話ししておく必要があると思います。
 米国が日本に対して宇宙ステーション計画(以下、SS)への参加を要請してきたのは、1982年5月のことです。時の科学技術庁長官は、中川一郎氏(現中川経済産業相の父)でした。これを受けて、日本は、宇宙開発委員会の下に宇宙基地計画特別部会を設置し、協力体制への検討をはじめたのです。
 1984年1月、レーガン大統領は年頭教書演説でSSの開発を進めることを正式に
表明し、その年の6月のサミットにおいてサミット関係国に対してISSの参加を求め
たのです。
 ここで日本はひとつの計算をしたのです。ここは「国際協力」を旗印としてSSに積
極的に参加し、そのプロセスを通じて米国から有人宇宙船やロケット開発技術の移転を
受ける――要するに技術を修得するためにSSに参加するという考え方です。何と甘い
考え方でしょうか。科学ジャーナリストの松浦晋也氏は、そういう日本を表現して次の
ようにいっています。
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      初心者はルールも知らずに、ポーカーの卓に座ったのである。
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 まことに適切な表現であると思います。「技術がないから参加する」のではダメなの
です。「技術があるから参加する」のでなければ主導権が取れないからです。
 1969年7月の米国との提携においては、東大のロケットが大きな存在感を有して
おり、米国から多くの技術を引き出すのに成功しましたが、SSでは日本が提供できる
技術は何もないのです。何しろ日本は有人飛行をやっていないからです。そういう国が
有人飛行を何回も成功させている米国やロシアに対抗できるでしょうか。まさに、ルー
ルを知らないでポーカーの卓に座る行為といえます。
 1985年1月には欧州宇宙機構(ESA)がSSに参加し、同じ年の4月にはカナ
ダが参加を表明するなど、1985年という年は、一種のSSブームが盛り上がった年
なのです。そして、日本がSSに正式に参加した年も同じ年の5月のことなのです。科
学技術庁とNASAの間で、宇宙ステーション計画予備設計了解覚書が署名され、これ
によって、日本の宇宙飛行士がスペースシャトルに搭乗できるようになったのです。
 この時点で米国は、スペースシャトルをして、低コストで革新的な宇宙輸送システム
として宣伝していたのですが、その運用現場では事故を出し続けるスペースシャトルを
なだめ、すかしながら、ひたすら打ち上げを繰り返していたのです。
 そして、決定的な事故が起こってしまいます。皮肉なことに、日本が米国と調印した
翌年の1986年1月28日、スペースシャトル「チャレンジャー」が、打ち上げ直後
に爆発事故を起こしてしまうのです。何しろ1985年はSSに期待が高まった年であ
っただけに、事故の衝撃はちょうど宇宙バブルの崩壊に等しいものだったのです。
 SSの計画に日本は、日本モジュールを制作して提供し、参加することになっていま
す。SSの乗組員8人のうち、日本の割り当て分は1人、1年中日本人が宇宙にいる計
画だったのです。しかし、チャレンジャーの事故によって、乗組員は4人に半減され日
本の割り当て分も半分になり、日本人の宇宙飛行士は1年の半分しか宇宙にいられない
ようになったのです。
 米国国内では、SS計画に対する批判が強くなり、1991年5月には、米下院でI
SS計画打ち切りの動議が可決され、NASAの多数派工作でやっと上院で否決すると
いう事態にまで発展するのです。
 そして、1993年2月には時のクリントン大統領がSS予算の縮小を指示したこと
から、SS計画は根底から見直されることになってしまったのです。そして、「宇宙ス
テーション・アルファ」として再出発することになります。
 しかし、計画の縮小に満足しなかったNASAは、ロシアを引き込むことに成功しま
す。ロシアは「ミール2」という宇宙ステーションを構築していたのですが、予算が確
保できずに苦しんでいたのです。
 そして、ロシアの「ミール2」をNASAの「アルファ」と合体させることにし、当
初の計画の規模にまで戻すことに成功したのです。搭乗員も7人に増やすことになった
のですが、ロシアは常時3人枠を強く要求したので、日本人の滞在枠は6ヶ月のままで
す。それに加えて、ロケットの製作はロシアとなり、打ち上げる軌道もロシアに合わせ
るというロシアの要求に翻弄される結果になっています。そしてこの時点で名称は「国
際宇宙ステーション」(ISS)に変更されたのです。日本の宇宙開発計画は思惑はず
れの連続という事態になったのです。       ・・・ [日本宇宙開発/21]

20日インテック画像・国際宇宙ステーション.jpg


2007年04月23日

コロンビア事故に見るNASAの驕り(EJ第1367号)

 国際宇宙ステーション――ISSの話をもう少し続けます。
 1998年11月20日に最初のモジュール「ザーリア」が打ち上げられます。計画
では、続いて「ズヴェズダ」が打ち上げられ、このモジュールには乗組員が居住するた
めの設備が用意してあるので、乗組員がそこで作業する予定になっていたのです。
 しかし、「ズヴェズダ」の製造は財政難から大幅に遅れ、やっと2000年7月12
日に打ち上げられたのです。それでもこの時点では、2007年にはISSは完成する
計画でスケジュールは進んでいたのです。しかし、ここで米国は飛んでもない事故を起
こしてしまいます。スペースシャトル「コロンビア」の空中分解事故です。これによっ
てスケジュールは、完全に白紙に戻ってしまったのです。ISSの話とは少し離れます
が、この事故について少し述べることにします。
 2003年2月1日のことです。「第113飛行通番:STS−107」コロンビア
は、宇宙飛行の最終段階となる帰還時の滑空飛行中に米国本土のテキサス州上空で空中
分解し、乗員全員が死亡したのです。
 この悲しむべき事故の前後の事情は、それこそ映画が一本できるほどドラマチックな
ものだったのですが、いずれにせよ、米国は日本と違って事故後直ちにNASAから完
全に独立した調査委員会を設置して、徹底的な事故調査をするのです。そして、けっし
て同じ原因の事故を2度と起こさないようにしているのです。
 その点、事故を「不具合」とぼかして責任を回避し、徹底的な調査をせずに、同じ原
因による事故を何度でも起こす日本とは、あまりにも対照的であると思います。
 この事故では、打ち上げ時に外部燃料タンクの発泡性断熱材でできている「バイポ
ッド・ランプ」が落下して、コロンビアの左翼前縁部の耐熱パネルに衝突、数ヶ所に損
傷と亀裂を発生させていたことが問題となっています。
 この発泡性断熱材の落下のことは、打ち上げ時にわかっていたのです。しかし、責任
者であるリンダ・ハム博士とNASAジョンソン宇宙センターのロン・ディモットモア
計画部長は次のように発言して、何の手も打たなかったのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       「コロンビア」の飛行安全には支障はない。今回のミッシ
      ョンで、バイポッド・ランプの落下は、問題になることでは
      ない。今回も、いつもの通りでいく。
           ――リンダ・ハム博士の打ち上げ9日目のコメント
       「コロンビア」の耐熱タイルに衝突したとしても、柔らか
      い素材なので、まったく問題ない。
                   ――ロン・ディットモア計画部長
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 しかし、事故調査委員会の2003年5月28日の中間報告によると、バイポッド・
ランプの落下による衝突で左翼前縁部に生じた亀裂から、大気圏再突入時に超高温の大
気が侵入してアルミニウム合金などの機体構造材を、溶かして燃やしたことが空中分解
の原因であると、リンダ・ハム博士らの主張を否定したのです。
 ところで、打ち上げ直後にバイポッド・ランプの落下はわかっていたのですから、本
当に何とかできなかったのかという疑問が生じますね。この疑問について、以下、宇宙
アナリストで工学博士である中富信夫氏の意見を参考にして書くことにします。
 結論からいうと、打ち上げから2分7秒以内であれば、救出できたと中富信夫博士は
いうのです。打ち上げ後、2分7秒後には高度47キロメートルに達し、2基の固体ロ
ケット・ブースターは燃焼を終って分離します。それからさらに加速して宇宙に出てい
くのですが、それまでであれば、乗員と機体は問題なく救出できるというのです。
 といっても別に困難なことではないのです。2分7秒以内に飛行管制官ないし管制責
任者が機長に対して、次の命令をすればよいのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       Mission Abort/MA ミッション放棄モードを選択せよ!
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 MAは「スペースシャトル飛行管制マニュアル」に定められている手続きなのです。
要するに、機体に亀裂が生じた場合のリスクは、宇宙に出て大気圏に再突入するときが
危ないのですから、宇宙に出ないで帰還させればよいのです。そうすれば、乗員と機体
を無傷で地上に帰還させることができるのです。しかし、そういうことには冷静に対処
できるはずのNASAの責任者たちは、それができなかったのです。チャレンジャー事
故から17年経過する間に驕りが生じたとしか思えないのです。
 中富博士は、これについて次のようにいっています。
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       「貧すれば鈍する」というか、「第113飛行通番:STS
      −107」の「102コロンビア」でのミッション経費520
      億円のうち、370億円ほどをムダにすることを恐れて、ある
      いはミッション・アボートを発動した自身の地位(飛行管制官
      並びに飛行管制責任者)を、何らかの責任を問われて失うこと
      を恐れる保身のあまり、「誇り高き宇宙飛行士たち」と「10
      2コロンビア」と「築き上げてきたNASAの栄光」と「アメ
      リカ(コロンビア)の誇り」等々のかけがいのないものを「す
      べて失う愚を犯す」ことになったと考えられる。
         ――中富信夫著、『日本の衛星はなぜ落ちるのか』より。
           光文社刊
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 宇宙開発と事故は付きものです。要は失敗からいかに学ぶかなのです。この点は失敗