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2007年05月17日

中南米債務危機での米当局の采配(EJ第1246号)

 昨日のEJで取り上げた中南米債務危機について、もう少し詳しく説明します。リチ
ャード・クー氏によれば、この中南米債務危機のレベルこそ、日本経済が現在陥ってい
る危機のレベルであると主張しているからです。
 なぜ、米国の銀行は、中南米諸国に対して、それほどまでに巨額の資金を貸し込んだ
かです。こういう動きに対してクー氏のいたニューヨーク連邦準備銀行は危機が発生す
る4年も前から、たびたび大手米銀の役員を呼び出しては、警告を発していたのです。
それでも当時の米銀は聞く耳を持たなかったといいます。
 それは、1980年代に登場したコマーシャル・ペーパーの普及がその背景にありま
す。コマーシャル・ペーパー(CP)というのは、企業が短期(1年未満)の資金を調
達するために発行する有価証券の一種です。日本では、1987年11月からその発行
が認められるようになっています。
 このCPの普及で当時の米銀は、それまで伝統的融資先であった企業の運転資金がC
Pに代替されつつあり、それに代わる新たな融資先を開拓するのに必死だったのです。
 それに当時米国銀行界のドンといわれた、ウォルター・リストン・シティバンク会長
が、「企業は潰れるが、国は潰れない」というキャッチフレーズで、シティバンク自ら
外国の公的機関への投資を積極化させていたことに影響されて、それは一種のブームと
なっていったのです。とくに中南米の諸国は、高金利で貸し出せるので、米国のほとん
どの銀行が右にならえをしたのです。
 しかし、イギリスとアルゼンチンのフォークランド紛争をきっけにして、本当の債務
危機が発生したとき、当時、FRB(米連邦準備制度理事会)議長のポール・ボルカー
氏が、ニューヨーク連銀に出してきた指示は次のように意外なものだったのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       いかなる手段を使ってでも、銀行が中南米に踏みとどまって
      資金を供給するようにせよ。銀行に逃げ出す口実を絶対に与え
      てはならない。          ――ポール・ボルカー議長
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 普通こういう事態になったら、外国の銀行は残っているドルをかき集めて逃げ出すと
ころです。ボルカー議長が恐れたのは、一行でも資金を回収して逃げ出そうとする銀行
があると、他の銀行もみんな一斉に逃げ出してしまうことだったのです。
 もし、そういう状況を許したら、借り手はデフォルトの公式発表を余儀なくされ、主
要米銀のほとんどは確実に倒産に追い込まれてしまうからです。
 ニューヨーク連銀は、中南米諸国に融資していた何百という銀行ひとつ1つに対して
資金回収をせず、追加融資をするよう説得して回ったのです。要するに、追い貸しの依
頼です。銀行が追い貸しに応ずれば、メキシコ側はそのお金で金利分を支払うことがで
き、公式なデフォルトは何とか回避できるからです。
 倒産寸前の企業に追い貸しをする――このようなことはミクロの世界では、考えられ
ないことです。しかしこういう場合は、マクロで考えて手を打つことが必要なのです。
よく国の財政赤字を個人の借金にたとえて、これ以上は借金できないという論法を使う
ことがありますが、ミクロの常識をマクロにあてはめることは問題があります。
 さて、ボルカー議長は、銀行が逃げ出さないようにする手を打つと同時に、米国にあ
る3つの銀行検査当局に対し、そのとき完全に不良債権化していた中南米諸国への貸付
を「不良債権として扱ってはならない」と命令したのです。もし、不良債権として扱う
と、追加融資ができないことと、株主代表訴訟を恐れて、銀行が中南米から逃げ出して
しまうからです。
 さらに、ボルカー議長を頂点とする米国金融当局は、さらに外国の銀行が中南米から
撤退したり、危機的状況に陥っている米銀に対して融資を削減したりしないように要請
したのです。当時の前川日銀総裁にボルカー議長が電話したのも、その要請のひとつで
あったのです。このように考えると、FRB議長がいかに重責かがよくわかります。
 さらに、米国金融当局は、米銀経営陣の経営責任を一切問わなかったことです。米銀
がそれまでにやってきたことの詳細をすべて把握していたにもかかわらず、あえてそれ
を問題にしなかったのです。これもミクロとマクロの考え方の違いです。
 既にシステミック・リスクが発生していて、全銀行の協力と団結が必要なときに、ミ
クロ経済では当然の正義は、マクロ経済の生存のために棚上げされたのです。少なくと
も、経営者の責任を問う状況ではないという高度の判断が行われたのです。
 ボルカー議長の危機に対する適切な対応と強力なリーダーシップによって、中南米危
機は少しずつ収まっていったのです。そして危機解消といえる状態になるまでに数十年
もかかっています。それまで、米国金融当局は、5年もかけて、借り手である中南米側
と貸し手である銀行の双方の財政状態を着実に改善していったのです。もちろん、世界
銀行やIMFにも借り手側の経済運営面での支援を仰いでのことです。
 ある程度危機が収まった1987年5月のことです。体力が回復した当時のシティバ
ンクが中南米向け融資を不良債権として処理しようとしたのです。それに対してボルカ
ー氏は公の場で猛反対してをこれを止めています。
 ボルカー氏が恐れたのは、体力を取り戻した銀行がそのようなかっこいい行動をとる
と、他の銀行も右にならえをする恐れが十分あったからです。とくにシティバンクは、
中南米危機の原因を作った銀行であり、勝手な行動は許さないというボルカー氏の怒り
もそこにあったと思います。
 特筆すべきは、この未曾有の金融危機の解決には納税者の負担がゼロであったことで
す。中南米危機は貯蓄貸付組合(S&L)問題の10倍以上深刻な問題であったにもか
かわらず、S%Lが1600億ドルかかったのに比べ、ゼロで済んだのです。日本はこ
の中南米危機を参考にすべきであるとクー氏はいうのです。
                      ・・・[バランスシート不況/14]

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