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2007年05月25日

自衛隊の生みの親は北朝鮮である(EJ第1370号)

今回のテーマは、2004年6月14日から20回にわたって連載したものです。
 今日から20回にわたって、「自衛隊」について書きます。どうして今、自衛隊かと
いうと、2004年ほど自衛隊が話題になっている年はないのに、私たちは自衛隊につ
いてほとんど知らないからです。
 考えてみると、自衛隊の誕生のキッカケになったのは北朝鮮であり、日本人がその自
衛隊を本当の軍隊にしようと考えるキッカケを作ったのも北朝鮮である――皮肉な話で
す。
 歴史を簡単に振り返ってみましょう。
 1950年6月25日午前4時のことです。朝鮮半島を二分する38度線付近に集結
した北朝鮮軍は、なだれをうって韓国領内に攻め込んだのです。ここに、以後3年1ヶ
月にわたる朝鮮戦争の火蓋が切られたのです。
 このとき北朝鮮軍の主力兵器は、ソ連から供与された当時最新鋭のT34戦車で、こ
れによって韓国軍を次々と撃破し、開戦4日目にして首都ソウルを陥落させてしまった
のです。
 この状況をみて米極東軍最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥は、6月30日に米
地上軍の投入を決断したのです。その命令を受けて、日本に駐留していた米陸軍部隊は
次々と朝鮮半島に送り込まれていったのです。
 当時日本に駐留していた在日米軍は約8万3000人――そのほとんどが朝鮮半島に
投入され、日本本土に残された米軍兵力はごくわずかとなってしまっていたのです。
 1950年7月8日――国連の安保理理事会は、マッカーサー元帥を国連軍最高司令
官に任命したのですが、ちょうどその日にGHQ(連合国軍総司令部)は日本政府に対
して「警察予備隊」の創設を命令したのです。これは、日本本土の防衛の穴を埋めるた
めの緊急措置であったのです。
 当時の日本政府としては、GHQに異を唱えることなどできるわけはなく、直ちに設
立準備委員会を設置して編成準備に取り組んだのです。GHQからの命令は次のような
内容だったのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
          1.7万5000人の警察予備隊の編成
          2.海上保安要員8000人を増員せよ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1950年8月10日、警察予備隊令が公布施行され、その3日後から隊員募集が開
始されたのです。そのとき7万5000人の募集に対して、38万2003人が応募し
てきたといいます。
 これからお話ししていくとわかりますが、敗戦の1945年からわずか5年で警察予
備隊が創設されたことによって、ある意味において日本は救われたといえるのです。
 なぜなら、それまでの日本軍を支えた人たちの多くが警察予備隊に結果として参加す
るようになり、高度な実戦体験を持つ事実上の「日本軍」が存続することになったから
です。
 そして、1998年8月31日に北朝鮮は、テポドンを発射し平和ボケしていた日本
に活を入れ、それまでタブーとされてきた憲法改正論議を巻き起こす結果となったので
す。つまり、日本の再軍備のキッカケを作ったのは北朝鮮であり、現代の日本人をして
憲法改正論議に走らせるキッカケを作ったのも北朝鮮ということになるのです。
 もともと朝鮮半島の安定は、日本の安全保障上最大の関心事であったのです。それが
ゆえにかつて日本は清国の朝鮮半島進出を阻むために日清戦争を戦い、さらにロシアの
朝鮮半島進出に国家存亡の危機を訴えて日露戦争を戦ったのです。けっして侵略のため
の戦いではなかったのです。
 1951年1月――警察予備隊の誕生からわずか5ヶ月後のことです。米国からダレ
ス特使が来日して、吉田首相と話し合いをします。その内容は、その次の年のサンフラ
ンシスコ講和条約締結後に日本が再軍備してはどうかというものだったのです。もちろ
ん米軍は、継続して日本国内に駐留できることが条件だというのです。
 ちょうどその時点の朝鮮半島では、再び連合軍はソウルを放棄せざるを得ない状況に
陥っていたのです。中国軍が参戦してきたからです。米国は苦しい状況に陥っていたの
で、日本に再軍備を要請してきたのです。
 しかし、吉田首相は、日本の再軍備を断ってしまったのです。そのためには、憲法改
正が必要であるし、多くの国家予算も必要になること――そして何よりも当時の国民感
情に合わないと判断したからです。
 このときの吉田首相の判断については賛否両論があります。それでよかったという人
もいますが、このとき再軍備に応じていれば、少なくとも今日のような国防をめぐる不
毛の議論をしないで済んだことになります。
 ここで考えるべきことは、当時の状況が現在の日本の状況に酷似していることです。
苦しい経済状況において顕在化した北朝鮮の脅威、それに加えて米国の日本に対する軍
事的要請――そっくりではないでしょうか。まさに歴史は繰り返すのです。ここで、日
本は判断を誤らないようにするべきです。
 もとより当初米国は、日本を再軍備させないようにあの憲法を作ったのです。しかし
米国は、朝鮮戦争に苦戦して、日本に警察予備隊を作らざるを得ない状況に陥り、日本
に再軍備まで求めたのです。
 もちろん警察予備隊の創設に当たって米国は、かつての帝国陸軍色を排除しようとし
ています。その内容は、警察予備隊の応募に当たっては、旧軍の出身者は下士官と兵隊
に限定され、元将校は対象から外されていたのです。
 しかし、軍隊だけは経験豊富な将校がいないと組織はまとまらないのです。警察予備
隊も当初まったく組織として機能せず、訓練もロクにできない状況だったといいます。
そこで、1951年6月になって、ようやく陸士(陸軍士官学校)・海兵(海軍兵学校)出身者が指揮官要因として採用されるようになったのです。
 このようにして、警察予備隊は、旧軍人に率いられて成長していったのです。それは
日本軍の存続そのものだったのです。        ・・・[自衛隊の実力/01]

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