INTEC JAPAN/BLOG

このブログは、異文化研修の教育機関(株)インテック・ジャパンの情報発信用です。(株)イー・メディアとの提携により、同社のドキュメント・レポート「Electronic Journal」をウィークデイの毎日お届けします。
「Electronic Journal」は様々な情報を400字詰原稿用紙7枚にまとめて配信する日刊メールマガジンです。

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● 2007年10月 記事 ●

2007年10月01日

CIAとウサマ・ビンラディンの緊密な関係」(EJ第789号)

「米国には国務省の『表外交』とCIAの『裏外交』が存在する」とよくいわれます。
つまり、米国は国務省(日本の外務省)を通じて他国との正常な外交関係を持ちますが
その一方でCIAによって、その国にわからないようなかたちで裏外交を展開している
のです。
 裏外交の内容は、冷戦時代では、外国政府の転覆工作、破壊活動、マスコミ操作、政
治工作、要人拉致、盗聴、監視・・何でもありです。しかし、冷戦時代が終わってからは、その性格は経済スパイに絞られるようになったのです。
 1995年春に行われた日米自動車交渉では、日本側関係者の会話は交渉以前からす
べてCIAによる盗聴が行われており、交渉は米国ペースで進んでしまったのです。日
本は完全に情報戦では負けているのです。
 CIAは「米中央情報局」と訳されますが、その設立は1947年、米国の国家安全
保障に重要な役割を果たしています。そのCIAも冷戦が終結したあとの1993年に
は、CIAの役割が終わったとして、米議会から大幅な予算カットが行われ、CIAは
存亡の危機に立たされたのです。このとき、CIAを助けたのが当時のブッシュ大統領
(父親)だったのです。
 父親のブッシュはかつてCIA長官を務め、CIAの重要性について一番理解があっ
たといわれており、これが現在のブッシュ大統領にも受け継がれているのです。その考
え方は「たとえ軍事力は削減しても情報予算は絶対に削るべきではない」というもので
あり、現ブッシュ大統領は今回の同時多発テロを契機にCIA予算を10億ドル増額さ
せているのです。
 そのうえで現ブッシュ大統領はビンラディンのテロ組織を追い詰め、それを仕留める
全権をCIAに与えています。これによりCIAは水面下で裏戦争を展開し、ビンラデ
ィンやアルカイダを追い詰める戦いをすることになるのです。
 しかし、CIAにとって、ビンラディンはやっかいな敵なのです。というのは、かつ
てソ連がアフガニスタンに侵攻したさいCIAはビンラディンを利用したのです。この
ようにCIAはあらゆる手立てを講じて、水面下で敵の敵(つまり味方)を支援するこ
とによって、ソ連軍をアフガニスタンから追い出したのです。
 そのさい、ビンラディンは、CIAから情報戦の重要性を学びそのノウハウをたっぷ
りと仕込まれているので、CIAは手の内を読まれていることになります。それどころ
か今やビンラディンはCIAの上を行く諜報技術を持っているといわれます。
 ビンラディンは、イスラム諸国から若い建築エンジニア、コンピュータ・金融の専門
家を集め、優秀な頭脳集団を形成しているのです。彼は、自らの組織を事業部制を敷く
などして、それらを縦横無尽に駆使しているといわれます。
 自爆テロなど暴力や軍事活動を専門にするチームもあれば、資金調達やその運用を専
門に行うチームもあるのです。ビンラディンはサウジアラビアの富豪の息子であり、資
金は潤沢に確保しているのです。しかも、それを運用する専門家もいるのですから、C
IAから見るとやっかいな存在といえます。
 とくにビンラディンは、5〜6年前から暗号化したメールや電子透かし技術を使って
仲間への連絡や指示をする新技術を駆使しているのです。
 この技術――ステガノグラフィは、あるホームページに秘密情報を埋め込んでおくこ
とができます。そうすれば、仲間はそのホームページにアクセスして画像を表示し、そ
こから透かしを検出すれば、埋め込んである情報が読み取れるのです。
 この方法は、秘密の情報を埋め込むことはきわめて簡単なのですが、透かしの付け方
には無限の方法があって、透かしが入っているかどうかを検知することは非常に困難な
のです。これには、米国が誇る「エシュロン」も手が出ないのです。
 もっと恐ろしいことがあります。「プロミス」ということばを聞いたことがありますか。
 日本で「プロミス」というと、消費者金融の名前ですが、次のことばの訳なのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       PROMIS=Prosecutors Management Information System
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 このコンピュータ・システムは、米司法省のために開発された世界最高の電子情報管
理ソフトであり、ワシントンにあるインスロー社が開発したものです。これは、米国政
府の情報中枢を司るシステムなのです。このシステムによって大統領専用機「エア・フ
ォースワン」の飛行ルートなどもガードされているのです。
 しかし、ビンラディンはどうやらこのソフトまでも入手したらいのです。それが判明
したのは、9月11日のテロ直後のことです。その日、ブッシュ大統領はフロリダの小
学校を訪問しており、テロを知って急遽ワシントンに帰ろうとしたのです。
 ところが、大統領専用機「エア・フォースワン」がテロのターゲットになっていると
の緊急情報が入ったのです。これにより、ブッシュ大統領は、急遽ルイジアナの空軍基
地に避難せざるを得なくなってしまったのです。そのときホワイトハウスでもスパイ潜
入の疑いが出て大混乱になったといわれていますが、これは当局によって情報が封印さ
れてしまっています。
 ビンラディンは、プロミスのような米国家機密を、どのようにし入手したのでしょう
か。真相は正確なところはわかっていませんが、考えられる可能性はひとつです。
 FBIで対ロシア防諜活動の責任者でありながら、ロシアの二重スパイであったロバ
ート・ハンセンという男がいます。ハンセンはスパイ容疑で逮捕されているのですが、
逮捕前にこのソフトウェアをロシアに売り渡していた疑いがあるのです。
 ロシア・マフィアはこのソフトを54億円でビンラディンに売却したというウワサが
広がっております。もともと潤沢な資金を有し、株や麻薬などによって大儲けしている
ビンラディンのことですから、54億円など安いものです。
・・・[9.11とアフガン戦争/03]

2007年10月02日

戦争を既成事実化する米国の手口(EJ第790号)

 2001年12月7日――ハワイで行われた真珠湾攻撃記念式典で、ブッシュ大統領
はタリバンに勝利したことを述べ「今後は9月11日をテロとの戦いの記念日とする」
と宣言し、「リメンバー9月11日」を強調したといわれます。
 「リメンバー・パールハーバー」ということではじめられたこの式典において、米大
統領が「リメンバー9月11日」を口にするのは、何らかの意図が感じられます。
 ところで、この「リメンバー○○○」ということばは米国が何かコトを起こすときによ
く使うことばなのです。古いことばでいうと、次の2つがあるのですがご存知ですか。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
          1.リメンバー・アラモ
          2.リメンバー・メイン
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これら「リメンバー○○○」は、実はすべて戦争に関係があるのです。これは戦争の
口実を作るための古くからの米国の手口なのです。米国という国は、国益のためなら何
でもやる国であることを知っておくべきです。どういうことか、2つのリメンバーにつ
いて歴史を簡単に振り返ってみましょう。
 「リメンバー・アラモ」は、ジョン・ウェイン主演映画『アラモ』であまりにも有名
ですが、アラモの戦いとはテキサスの独立戦争のことです。この戦争は19世紀に起こ
っていますが、当時はイギリス、フランス、スペイン、ポルトガルといった列強が世界
各地で植民地の支配権を争っていた時代です。
 当の米国も、イギリスの支配下から独立したばかりの新興国家だったのですが、列強
に遅れをとらないよう積極的に領土拡大に取り組んでいたのです。
 当時は、現在の米国テキサス州はメキシコ領だったのです。米国はこのテキサスを何
とか自国領にしようと画策して大量の移民をテキサスに送り込むのです。メキシコは1
821年にスペインから独立しているのですが、国力を高めるために積極的に移住者を
受け入れる政策を打ち出していたので、米国はそれを利用して大量の移民と奴隷を送り
込もうとしたのです。そして、それら移民による反政府運動を起させ、その騒ぎに乗じ
て武力介入し、植民地にしようとしたわけです。
 しかし、メキシコ政府は米国のこの作戦を見抜き、反乱首謀者を国外に追放したので
す。ときのメキシコの大統領ビセンテ・ゲレロは、1830年に米国人の移住禁止と奴
隷制の廃止を定めた法律を制定して米国に対抗します。
 1835年、テキサス在住の米国人が自治権を求めて独立運動を起すのですが、これ
は米国の仕掛けた作戦だったのです。ゲレロ大統領は、直ちにこの反乱を鎮圧するため
にサンタ・アナ将軍に3000人の兵を与え、テキサスの都市、サン・アントニオに進
軍します。
 これに対して独立を求める義勇軍200人はサン・アントニオのはずれにあるアラモ
砦に立てこもり、3000人のメキシコ軍を迎え撃つのです。これがアラモ砦の戦いで
す。この義勇軍の中にいたのが、ウイリアム・バレット・トラビスやデビット・クロケ
ットです。
 しかし、3000人に対して200人では勝負にならず、義勇軍は善戦したものの、
全滅してしまいます。「最後の最後まで戦い抜いた勇敢なテキサス義勇軍」として、後
の世にまで語り草となっていますが、米国ははじめからこの200人の支援はしないと
決めていたといわれます。
 アラモ砦が陥落するや米国は「リメンバー・アラモ」のスローガンのもと、テキサス
の独立を助けるという独立軍を募り、サム・ヒューストン将軍の指揮のもと、メキシコ
に進軍し、たちまちのうちにメキシコ軍を壊滅、テキサスを独立させるのです。
 これにより、テキサスは独立を勝ち取り、初代大統領としてサム・ヒューストン将軍
を選出し、テキサス共和国が誕生するのですが、1845年に共和国からの申し出によ
り米国テキサス州になっているのです。
 米国は、1846年にはささいな理由をつけて再びメキシコに侵入し、カルフォルニ
ア、ニューメキシコなど北米大陸南西部一帯をメキシコから奪取してしまいます。これ
で米国は現在の領土を確保することになるのです。
 「リメンバー・アラモ」のスローガンで、アラモ砦を全滅させた憎きメキシコという
イメージを作り上げ、国民の意識を結集させて、それによって他国を侵略して領土を広
げるという米国流のやり方がそこに読み取れます。
 それでは、「リメンバー・メイン」とは何でしょうか。
 これはキューバの独立運動にかかわりをもっています。1895年当時、キューバは
スペインの植民地だったのです。米国はメキシコと同じ手口で、キューバには多くの移
民が行われ、多額の米国資本が投入されていたのです。
 米国はキューバでは高度な印刷技術・製紙技術を駆使して新聞社を作り、連日のよう
にスペインがいかにキューバに対して過酷な弾圧を行っているか、あることないことを
書きたてたといいます。つまり、完全なるマスコミ操作をしたわけです。
 1897年2月、キューバのハバナで暴動が起こります。米国は直ちに米国民を保護
するという名目で戦艦メイン号をハバナ湾に派遣するのです。ところが、1898年2
月にハバナ湾に停泊していた戦艦メインが突然大爆発を起して沈没してしまい、米国兵
士260人が死亡するという事故が起こるのです。
 米国はこれをスペインのしわざと宣伝し、新聞も一斉にその論調で書いたため、米国
民の間では「リメンバー・メイン」というスローガンが広がり、国内は反スペイン一色
になるのです。議会は、ときの米国大統領ウイリアム・マッキンレーに対して、軍事行
動を起す権限を与え、1898年4月、米西戦争が勃発するのです。この権限は昨年米
国議会がブッシュ大統領に与えたものと同じものなのです。・・・[9.11とアフガン
争/04]

2007年10月03日

事例分析/ベトナム戦争&湾岸戦争(EJ第791号)

 「リメンバー・アラモ」と「リメンバー・メイン」の例をあげて、米国の常套手段で
あるとEJ790号で述べましたが、実はこの意見を主張しているのは、時事評論家/
国際金融スペシャリストの増田俊男氏です。
 増田氏は自著『ブッシュよ、お前もか・・・』(風雲舎刊)の中で、米国にとって民
主主義とは制度とシステムであり、それを活用すべきものと述べています。たとえば、
「いきなり他国を攻撃して、いかにそのことを正当化するか」とテーマがあるとしまし
ょう。この場合、民主主義には多数決という方法があるのですから、国民の多くが戦争
に賛成するような状況をつくり出せばよいのです。
 政治は国益を追求するものですが、その前に立ちふさがるものは国民であり、世論で
す。とくにその国益が戦争を手段とする場合は、世論が大きな影響力を持つことになり
ます。米国民のみならずどの国の国民も、「他国の争いごとにかかわりたくない」と思
っています。こういう場合、「他国の争いごと」を「自国の争いごと」にしてしまうの
が米国のやり方であり、それがアラモ砦であり、メイン号であるというのです。
 増田氏も指摘するもうひとつの例をあげましょう。それは、ベトナム戦争への米国の
参戦の手法です。もっともこの戦争は参戦には成功したものの、いくつかの手抜かりか
らその仕掛けがバレて、失敗例になっています。
 第二次世界大戦のあと、中国の共産化がアジア諸国に拡大しつつあったのです。これ
を懸念した米国は、南ベトナムのゴ・ジン・ジェム政権を守るため大規模な軍隊を派遣
します。ゴ・ジン・ジェム政権の反対勢力は、北のベトナム共産党ホー・チ・ミンの率
いるベトナム民主共和国と、南の反政府勢力いわゆるベトコン(南ベトナム解放民族戦
線)であり、米国はそれを打倒するためには戦争も辞さないという姿勢だったのです。
 問題はどうように戦争をはじめるかです。米国は「リメンバー・メイン」と同じ手口
をここで使っています。1964年8月2日のことです。ベトナム・トンキン湾公海に
展開中の米国駆逐艦マドックスが北ベトナム軍の魚雷攻撃を受けたのです。さらに8月
4日に再びマドックスと他の軍艦が魚雷艇の攻撃を受けたとの報告がホワイトハウス
に入ったのです。
 時の大統領リンドン・ジョンソンは「いわれなき攻撃であり、合衆国としては報復せ
ざるを得ない」と宣言して、直ちに議会を召集します。このときも議会は圧倒的多数で
大統領に戦争などの必要手段をとる権限を与えています。このようにして、ベトナム戦
争は始まるのです。
 このベトナム戦争が米国の敗北に終わるキッカケとなったのは、1971年6月から「ニューヨーク・タイムズ」紙上で連載が開始されたベトナム戦争に関するペンタゴン
秘密文書の公開だったのです。これにより、トンキン湾事件は、発生の2ヶ月前から米
国軍と南ベトナム政府軍によって計画され、実行されたヤラセであったことが暴露され
てしまったのです。これによって、米国民の間では、厭戦感が広まって結局この戦争は
失敗に終わってしまうのです。
 それでは、1991年の湾岸戦争はどうでしょうか。
 この戦争に関する限り世界中のほとんどの人が、イラクが一方的に悪いと考えている
はずです。しかし、よく調べてみると、必ずしもそうとはいえないのです。
 イラク軍がクウェートに侵攻したのは1990年8月2日のことです。あっという間
にイラク軍はクウェートを制圧し、一方的にクウェートの併合を宣言したのです。
 もちろんこの軍事行為は許されるべきことではないですが、その背景を見る必要があ
ります。当時のイラクはイランとの長い戦争の結果として、莫大な赤字を抱えており、
経済的に瀕死の状態だったのです。しかし、頼みの石油価格は下落傾向にあり、これ以
上石油価格を下げると国家破産の危機にあったのです。
 ところがクウェートはOPECの協定を破って、石油増産を発表するのです。そこで
イラクはクウェートに対し、石油値上げに同調しないのなら、直接行動も辞さないと宣
言したのです。
 もともと、クウェートとイラクは国境問題を抱えており、一触即発の状態だったので
す。原因は、ルメイラ油田の採掘権をめぐる争いです。ところが、クウェートはその問
題の油田にも手を伸ばし、採掘してしまいます。イラクは当然怒ります。
 イラクがクウェートに侵攻する一週間前の1990年7月25日のことです。こうい
う状況のさなか、米国の駐イラク大使グラスビー氏はフセイン大統領と会談し、わざわ
ざ米国はイラクの立場を支持すること、それにイラク/クウェート間の国境問題には介
入するつもりはないことを発言しているのです。
 これで米国の介入はないと読んだフセイン大統領は、その翌日の26日にクウェート
国境に30000人以上の軍隊を派遣します。そして7月31日にイラクはクウェート
との最後の会談を行っているのです。
 この会談で、イラク側とクウェート側と激しく対立し、会談は決裂してしまいます。
「どうしても石油値上げに応じないなら直接行動をとる!」とイラク側がいうと、クウ
ェートの代表であるサアド皇太子は「やるならやってみるがよい。こちらには強力な味
方がついている」と応酬したというのです。そして8月2日にイラク軍は、クウェート
に侵入します。
 このように経過を追って見ていくと、イラクはことさら好戦的というわけではなく、
国難によるやむにやまれぬ行動ととれなくもないのです。ところでイスラエルのアンレ
ス国防相は、米国のチェイニー国防長官(現副大統領)に対し、イラクがクウェートに
攻め込む可能性があるという情報を入れているのですが、チェイニー長官はこれを無視
したとされています。
 米国は軍事衛星を通じてすべてを知っていたのです。しかし、イラクがクウェートに
侵入すると態度を一変させるのです。   ・・・[9.11とアフガン戦争/05]

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2007年10月04日

好戦的なブッシュ政権の狙いは何か(EJ第792号)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      『私はクウェートから脱出してきたばかりです。クウェートで
      私は、イラク兵が赤ちゃんを保育器から出して殺すところを見
      ました』。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 米国下院議会でこう証言するのは、クウェートの難民と名乗る女の子です。それと、
油まみれになった水鳥の映像――覚えておられますね。何回もテレビで見せられました。
 実は、これはヤラセなのです。議会で証言した女の子はクウェート駐米大使の娘であ
り、この証言は米国の大手広告代理店が仕事を請け負ったもので、事前に何回も練習さ
せたうえで証言台に立たせたのです。これは全米のテレビから世界中に配信され、イラ
クは世界中から非難を浴びることになります。
 油まみれの水鳥については、イラク軍がペルシャ湾に原油を流出させた結果だといっ
ていますが、この原油は米軍が誘導爆弾により、ゲッティ・オイル・カンパニーの原油
貯蔵施設からわざと流出させたものであることが判明しています。
 ときのブッシュ政権(父親)は、なぜここまでやったのでしょうか。それは、ベトナ
ム戦争で敗北し、多くの米国民が戦死しているため、大多数の米国民は戦争には非常に
消極的になっていたからです。そういう米国民を奮い立たせるにはこういう汚い仕掛け
がどうしても必要だったのです。これらは、それまで米国が繰り返し使ってきた手法そ
のものなのです。
 ここまで書くと、日本軍によるハワイ真珠湾攻撃にも米国による汚い手が使われたの
ではないかという疑惑が浮かんできます。第2次世界大戦がはじまったのは1939年
9月のことですが、当時米国経済は本格的な不況に陥っており、株価は大幅な下げを記
録していたのです。
 こういうときは戦争に限る――と、ルーズベルト大統領が考えても不思議はないので
す。戦争になれば軍需産業が急速に伸張し、景気回復のキッカケになるからです。とき
あたかもナチスドイツの侵攻はすさまじくヨーロッパ諸国を次々と制圧しつつあったの
ですが、米国はまだ参戦していなかったのです。
 このままでは世界中がナチスに制圧されてしまう――経済を急速に回復させることも
あり、ルーズベルト自身は米国も早く参戦すべきであると考えていたのですが、米国民
の実に88%が参戦には絶対反対だったのです。
 何とかしないといけない――とルーズベルトは考えたのです。そこで利用されたのは
日本です。米国の国内世論をまとめるには日本ができるだけ卑劣な手段で米国を攻撃し
てくれればよいと考えたのです。
 どのようにして日本を戦争に追い込んでいったのかについては、一度EJで取り上げ
ていますので詳しく書きませんが、日本軍の動きが逐一米国に情報が筒抜けであったこ
とは確かなのです。知られざる事実をひとつご紹介しましょう。
 日本が追い込まれたのは石油です。日本はそれまでオランダから石油を輸入していた
のですが、米国の画策によって石油を止められてしまいます。1941年10月にオラ
ンダからの最後の石油がタンカーに入れられたのですが、そのさいオランダにおいて無
線探知機がタンカーにセットされていたのです。
 そのタンカーは、いったん広島の呉の軍港に入り、その後は真珠湾に向かう戦艦の補
給艦として同行の任務についています。したがって、このタンカーの動きはすべて米国
の知るところとなっていたのです。しかし、ルーズベルト大統領はわざと知らないフリ
をして、日本に真珠湾を攻撃させるのです。
 そして、「リメンバー・パールハーバー」というスローガンのもと世論を参戦へと盛
り上げ、ルーズベルト大統領が参戦を宣言するというシナリオ通りにコトは進んだので
す。
 どうでしょう。これは、ここまで述べてきたように、テキサス独立戦争、対スペイン
戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争――その戦争をはじめるキッカケはいずれも非常に似て
おり、このやり口は米国が戦争をはじめるときの常套手段であるといってもよいと思い
ます。
 日本は別として、世界のいかなる国も「国益」を守るためにはどのようなことでもす
る――それが常識です。なかでも米国は、その傾向が強いのです。それでは米国にとっ
て「国益」とは何でしょうか。
 それは「経済的繁栄」と「世界軍事支配」であると思います。よくクリントンは平和
主義者、現ブッシュは軍国主義者といわれますが、それはともに米国の国益にかなうの
です。現在、米国は中東においてどうしても戦争をする必要があるのです。同時多発テ
ロが起こる前からブッシュ大統領はかなり好戦的な発言をしていますが、それは米国に
とってニーズがあるからです。
 米国の戦争をはじめる手口について詳しく説明したのは、9月11日の同時多発テロ
についても米国政府は知っていたのではないかという疑いがあるからです。増田俊男氏
はそう主張しています。「そんな馬鹿な!」と思われる人がほとんどだと思いますが、
ひとつひとつ検証していくと、簡単には否定できなくなってしまうのです。
 確かに、タリバン政権を相手に戦争が開始されたいきさつを調べてみると、米国がタ
リバン政権を相手にして、戦争を仕掛ける必然性というものがわかってきます。そのた
め、ビンラディンを挑発してテロを誘発させたのではないかということも一応納得でき
ると思います。
 しかし、そのテロが9月11日に、ニューヨークの世界貿易センタービルで起こると
いうことまで米国政府は知っていたということについてはどうでしょうか。「そんなこ
とあるはずがない」とほとんどの人がいうはずです。しかし、状況証拠を検証していく
と、「そんなことはない」とはいえなくなってしまうのです。
 明日から、増田氏の主張に加えて私自身が集めたさまざまな情報からこの問題にメス
を入れていきたいと思います。 ・・・[9.11とアフガン戦争/06]
           

2007年10月05日

イスラエル/PLO問題を整理する(EJ第793号)

 9月11日の同時多発テロには多くの謎があります。その謎を解くには、1998年
8月7日に、ケニアのナイロビとタンザニアのダルエスサラームの米国大使館付近で爆
発が起きて、多くの死傷者が出た米国大使館同時爆破事件について知っておく必要があ
ります。このとき12人の米国人を含む258人が死亡し、5000人以上の負傷者が
出たのです。
 米国政府はその後パキスタンで逮捕したアラブ人の証言から、この事件の犯人がビン
ラディンであると断定するのです。そして、大使館同時爆破事件の2週間後の8月10
日、クリントン前大統領は、アフガニスタンのタリバンの基地に向けて巡航ミサイルを
撃ち込みます。EJ788号で述べたように、このとき米国石油資本はタリバン政権と
パイプライン計画の交渉していたのですがこの攻撃で計画は頓挫してしまうのです。
 しかし、米国大使館同時爆破事件の犯人は少なくともウサマ・ビンラディンなどでは
なく、イスラエルがかかわっているというのは世界の常識なのです。ところが、米国は
あくまでビンラディンが指揮したイスラム過激派の犯行であるとして、現在逮捕者の裁
判が進められています。
 というのは、この大使館爆破に使われた爆薬は「セムテック」という特殊なものであり、
イスラムのテロリストが入手できるものではないからです。それに、タンザニア、ケニ
アの両方の爆発現場にはイスラエル軍が一番乗りしているのです。
 一番乗りの目的は何でしょうか。自国の軍隊よりも早いというのは異常なことです。
おそらくイスラエル軍は爆破現場から何かを回収する必要があったのではないかと思わ
れます。それは、イスラエル軍が爆破犯人であることを示しています。
 それでは、なぜイスラエルは米国の大使館を爆破しなければ、ならなかったのでしょ
うか。この事情はイスラエルとPLO(パレスチナ解放機構)問題を理解するうえで知
っておく必要があると思いますので、少し詳しく説明しておきます。
 イスラエルとPLOは、1993年9月にヨルダン川西岸とガザ地区でのパレスチナ
人による暫定的自治の実施に同意し、調印しているのです。この秘密交渉はオスロで行
われたことから「オスロ合意」といわれています。暫定自治期間は5年間と定められて
いましたから、期限は1998年9月までとなります。
 1994年5月にガザとエリコで先行自治がはじまり、アラファト議長をはじめとす
るPLOの指導部もガザ入りしたのです。次いでエリコ以外の西岸に自治を拡大する自
治拡大合意が1995年9月に調印――これを受けて1996年1月にはパレスチナ自
治選挙が行われています。
 この5年間の暫定期間中にイスラエル/パレスチナは、双方の最終地位について話し
合い、1998年9月までにお互いに相手を国として認めなければならないというきま
りになっていたのです。その時点で米国は積極的にこれを支援し中東和平を実現させよ
うとしてきています。
 しかし、その期限が迫ってきた時点のイスラエルは、パレスチナとの和平に反対のネ
タニヤフ政権下であり、和平交渉は停頓してしまったのです。つまり、パレスチナを国
家として認めることなどできないという考え方が台頭し、何とかオスロ合意を反故にし
たいと考えていたのです。そして、期限の1998年9月まであと1ヶ月と迫った8月
7日、アフリカの米国大使館爆破事件が起こるのです。イスラム過激派による反米テロ
というかたちをとってそれは起こったのです。
 もし、本当に犯人がイスラム過激派のテロであるとするなら、それは、こういうテロ
リスト国家と交渉を続けることがいかに無駄なことであるかを米国民に認識させる効果
的なデモンストレーションになったはずです。
 果たせるかな、結局イスラエルは、この米国大使館同時爆破事件のどさくさにまぎれ
て、まんまとオスロ合意をうやむやにしてしまいます。これにより、イスラエルとして
は目標を果たしたことになります。だからこそ、犯人はイスラエルであるといわれてい
るのです。いや、もう少し正確にいうなら、それに米国も加担している可能性があるの
です。
 実は、このアフリカの米国大使館爆破事件の犯人としてビンラディンが名指しされ、
多くのアラブ人が容疑者として米国に逮捕されているのですが、その裁判の最終判決が
下される日が、何とニューヨークの同時多発テロのあった2001年9月11日の次の
日――2001年9月12日だったのです。おそらく極刑は避けられないはずです。確
たる証拠もないのに濡れ衣を着せられて仲間が処刑されるのですから、イスラム国家の
反米感情は高まっていったのです。
 しかし、9月11日のテロによって、判決の公判は延期され、現在もなお開かれてい
ないのです。そういう意味において同時多発テロはイスラム国家にとっては効果があっ
たということができます。米国としては、主犯と目されるビンラディンを9月12日ま
でに逮捕しようと全力を上げたのですが、それまでに全面協力していたパキスタンのシ
ャリフ政権が、1999年10月に軍部のクーデターによって、転覆し失敗に終わりま
す。ちなみに、このクーデターを指揮していたのが現パキスタン大統領であるムシャラ
フ陸軍参謀長だったのです。
 オスロ合意がうやむやにされたあとの1999年7月に、イスラエルにはバラク政権
が誕生し、再びPLOと和平交渉が始まり、合意期限は2000年9月13日に再設定
されるのです。クリントン前大統領がノーベル賞欲しさに、この頃から中東和平成立に
力を入れるのですが「バラク政権の政策はすべて否定する」と宣言して首相に就任した
アリエル・シャロン氏によって和平交渉は吹っ飛んでしまいます。
 このシャロンという人物――バラク政権のときの外務大臣の職にあった人ですが、P
LOのアラファト議長とただひとり握手をしなかった強硬派として知られる人です。こ
のシャロン首相によってイスラエルは孤立を深めることになります。・・・[9.11
とアフガン戦争/07]
           

2007年10月09日

9.11テロ/CIAは知っていた(EJ第794号)

 米国の軍事戦略は、朝鮮半島と中東のペルシャ湾岸地域の2つのエリアで、同時に大
規模戦争が起こっても、両方とも対処できるような戦力を持つということが前提になっ
ているそうです。
 しかし、現在はこれを大きく変更させています。それは危険エリアを次の2つとみな
した軍事戦略です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
         中 東地域 ・・・・ 戦争を起こすこと
         アジア地域 ・・・・ 緊張を高めること
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 つまり、中東地域では実際に戦争を起こし、アジアではいつ戦争が起こってもおかし
くないほどの緊張状態を高めておくという戦略です。
 この考え方に立つと、米国はテロ撲滅を目標にすでに中東地域で戦争を起こしており
目下、戦闘地域をイラク、イランをはじめとする中東地域全域に拡大しようと着々と手
を打っているところです。最近何かと米国のいうことを聞かない中東諸国に対して戦争
を仕掛けるハラでいるのです。そのさい、同じく戦争をしたがっているイスラエルと連
携して行う考え方でいます。
 一方、アジアについては、現在の主役は台湾と中国で、ブッシュ大統領は、米本土弾
道ミサイル防衛構想(NMD構想)を推進することでアジア地域に緊張感を高めること
に成功しています。重要なのは、中東地域では米国がイスラエルをパートナーに選んで
いるように、アジアでは日本をパートナーに引き込もうとしていることです。それも日
本に集団的自衛権を発動させて、戦争にも参加させようとしていることです。
 アジアの問題は改めて取り上げるとして、とにかく中東地域では、あの同時多発テロ
を契機として米国は戦争に踏み切っており米国の軍事戦略からすると、そのひとつの目
標が達成されたことになるのです。だからこそ、あのテロを挑発してやらせたのは米国
のCIAではないかといわれているのです。
 9月11日の同時多発テロのような大きな仕事をやれる組織は現在では、CIAとイ
スラエル諜報機関の2つしかないといわれています。とてもビンラディンが率いるイス
ラム過激派では、それを実行する組織力も実行力もないからです。
 しかし、あのテロを実行したのは、イスラム過激派であろうと思います。それではC
IAもイスラエル諜報機関もそれが起こるまで本当に何も知らなかったのでしょうか。
 結論からいってそんなことは絶対にありえないと思います。CIAをはじめとする諜
報機関というものを調べてみると、これほどの大規模なテロの情報を事前に全く把握で
きないとしたら、その諜報機関は無能というべきです。CIAも、イスラエル諜報機関
もそんなにヤワな機関ではないのです。おそらく、ほとんどの情報は漏れていたはずで
す。
 考えられることは、イスラム過激派がテロを実行するのを知りながら、CIAもイス
ラエル諜報機関もそれを側面で支えた疑いが強いのです。なぜなら、そうであるとしか
考えられない事実がたくさんあるからです。知っていてわざとやらせたのです。
 実は、イスラム過激派と米国政府は、2001年9月12日に向けて、それぞれの目
的を果たすために必死になって動いていたのです。イスラム過激派はテロ実行に向けて
計画を練っていたし、米国はアフリカ米大使館同時爆破事件の主犯ビンラディンを9月
12日までに逮捕することに向けてです。
 こんな事実があります。2001年9月10日、パキスタンの諜報局長と軍参謀が急
遽ペンタゴンとCIAを訪れています。増田俊男氏によると、これは事前にテロの全貌
を掴み、米国に報告に行ったものといっています。当時米国とパキスタンのムシャラフ
政権とはビンラディンの逮捕をめぐって厳しい関係にあり、報告に行かないと、パキス
タンも首謀者とみなされて報復される恐れがあったからだといわれます。しかし、CI
Aとしては、この情報を一蹴したはずです。なぜなら、CIAが知っていたのではまず
いからです。
 そして、9月11日にテロは実行されます。それでは、この同時多発テロを事前に米
国が知っていたとされる証拠と思われる点を検証していきたいと思います。
 何よりも不思議なのが、4機もの航空機がハイジャックされ、異常なコースを飛行し
ているのに、ペンタゴンが戦闘機をスクランブル発進させるのが異常に遅れていること
です。4台の航空機の飛行データを整理しておきます。
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  ●アメリカン航空11便ロサンゼルス行き
   ボストン/ローガン国際空港7時59分発
   8時16分ハイジャック/8時45分WTC衝突
  ●ユナイテッド航空175便ロサンゼルス行き
   ボストン/ローガン国際空港7時58分発
   8時35分ハイジャック/9時3分WTC衝突
  ●アメリカン航空ロサンゼルス行き
   ワシントン/ダレス空港8時10分発
   その後レーダーから消える/9時43分ペンタゴン激突
  ●ユナイテッド航空サンフランシスコ行き
   ニューヨーク/ニューアーク空港8時1分発
   8時16分ハイジャック/10時6分墜落
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 米国では、ハイジャックなどで航空機が進路を変更したときはすべてペンタゴンに連
絡が入ることになっているのです。しかしいずれの飛行機も異常事態からかなりの時間
が経過しているのにペンタゴンのスクランブルがかかったのは、1番機がビルに激突す
る15分前のことなのです。米国の防空体制はこんなお粗末なものではないはずです。
 これは、明らかに報告が遅れて届いているとしか思えない異常に遅いスクランブルと
いえます。そのときの状況は、日本の真珠湾攻撃直前の米国と非常によく似ているので
す。 ・・・[9.11とアフガン戦争/08]

2007年10月10日

航空2社だけ株がカラ売りされたのか(EJ第795号)

 2月3日の朝日新聞には、ワシントン・ポスト紙が現在連載中の「9月の10日間」
の一部を紹介しています。これは、同紙の特別チームが9月11日の同時多発テロにつ
いて、聞き取り調査を中心に、政権の動揺と対テロ政策形成の内幕を日を追って検証し
ています。テロ当日部分の一部をご紹介します。
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      『9月11日朝。大統領はフロリダ州を視察中だった。世界貿
      易センタービル(WTC)に飛行機が突入したと聞き、「パイ
      ロットが心臓発作を起こしたに違いない」とカード首相補佐官
      に話した。2機目突入で「米国への宣戦布告だ。その瞬間、戦
      争を始めると決意した」と大統領は回想する』。
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 これに対して、事件当日の別のレポートによると、ブッシュ大統領は、フロリダ州の
小学校で小学生たちに本を読んで聞かせていたというのです。補佐官がテロ事件発生を
知らせるメモを大統領に渡すと、それを目にした大統領はそのまま小学生に本を読み続
け、30分位してから「国家の安全保障に関する緊急事態が発生した」といって席を立
ったというのです。
 CNNの伝えるところによると、大統領は小学校の廊下で「1機目が世界貿易センタ
ービルに激突するシーンを見て『とんでもないパイロットがいるものだ』と思ったと伝
えています。
 しかし、1機目が突入する映像はその時点では、放映されていなかったことがわかっ
ているのです。テレビが事件をライブで放送したのは2機目が突入したときからなので
す。そう考えると、どうもブッシュ大統領の態度はおかしいのです。
 同時多発テロが起こることが、事前にわかっていたのではないかという疑惑を追及し
ていますが、ハイジャックされた航空会社の株が異常なかたちでカラ売りされていると
いう事実があります。ハイジャックされた航空会社は、アメリカン航空とユナイテッド
航空の2社です。
 いうまでもないことですが、米国にはこの他にも多くの航空会社があります。イース
タン航空、ノースウエスト航空、デルタ航空、コンチネンタル航空などです。しかし、
株のカラ売りの対象になったのは、ハイジャックされた2社だけなのです。
 アメリカン航空の場合、通常は平均50万株、ユナイテッド航空は平均20株なので
すが、テロ直前の何日かは明らかに異常なカラ売りが続いているのです。
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        ≪アメリカン航空の株のカラ売り≫
          9/ 4  812700株
          9/ 5  722900株
          9/ 6  841500株
          9/ 7 1661300株
          9/10 1314000株
        ≪ユナイテッド航空株のカラ売り≫
          9/ 4  371700株
          9/ 5  478700株
          9/ 6  568300株
          9/ 7  662300株
          9/10  610300株
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 どうでしょう。これは明らかにテロを見越したカラ売りと考えて間違いがないと思い
ます。もちろんテロを起こす犯人たちが売った分も入っているのですが、それを考慮し
ても明らかに異常な数字といえると思います。
 それからこの同時多発テロの被害者の数ですが、当初WTCビルだけで10000人
近いといわれてきましたが、ニューヨーク市の発表では徐々に減少し、12月末の段階
では約3000人になっています。しかし、新聞社の報道ではさらに少なく「ニューヨ
ーク・タイムズ」は2950人「USAトウディ」では2625人になっています。
 興味深いのは、被害者の国籍を見ると、米国人は発表数字の半分以下なのです。多い
のは、メキシコ、インド、イギリス、オランダ人などです。しかし、この国籍別の報道
はなぜかほとんど行われていないのです。しかし、米国人の死者が非常に少ないのはな
ぜかひっかかる話ではあります。
 もうひとつ解けない謎があります。それは、飛行機でWTCビルに正確に衝突させる
飛行技術はかなりハイレベルのものであるという事実です。テロ実行犯はもともと飛行
機の操縦は素人であり、飛行学校で訓練を受けてそれを成し遂げたといわれているので
すが、そんなことが可能でしょうか。
 ハイジャック犯が飛行訓練を受けたとされる学校は、カルフォルニアかフロリダの飛
行学校なのですが、2001年9月19日付の「ワシントン・ポスト」は、その学校の
飛行教官の話を紹介しています。
 教官によると、彼らはろくに英語を喋れず、機械の操縦におよそ不向きな人たちであ
り、自動車の運転ですらまともにできない人間であるといっています。しかも、その学
校で教えていたのはセスナ機など小型飛行機の操縦法であり、とてもジェット機の操縦
には応用は効かないものと考えられます。なぜ、彼らにそのような高度な操縦ができた
のでしょうか。
 それにあまり報道されていないのですが、ペンタゴンに突入した飛行機は西側から進
入しています。ところが、ペンタゴンの西側は隣接するアーリントン墓地の高台が邪魔
するかたちとなり、もっとも難しい進入ルートになるのです。自衛隊のパイロットを務
めた人の話によると、本職のパイロットでも十中八九ぶつけることは困難だといってい
るのです。
 素人同然のテロリストたちはなぜこんな難しいコースを選び、難なくその目的を果た
せたのでしょうか。西側から進入するにはそれなりの理由があるのです。しかし、謎は
ますます深まる一方ですね。        ・・・[9.11とアフガン戦争/09]

2007年10月11日

ハイジャック機の進入路をめぐる謎(EJ第796号)

 ニューヨークの同時多発テロでは、世界貿易センタービルについては詳しく報道され
ていますが、国防総省(ペンタゴン)のことは、場所が場所だけにほとんど報道されて
いません。しかし、ペンタゴンへのハイジャック機の進入については不思議なことがた
くさんあるのです。
 昨日のEJでも述べたように、ハイジャック機はペンタゴンの西側から進入している
のです。ところが西側にはアーリントン墓地の高台があって飛行機での進入は非常に難
しいのです。プロのパイロットでもかなり困難だというのです。にもかかわらず、ハイ
ジャック機はなぜビルの西側を狙ったのでしょうか。
 これに対してビルの東側は比較的進入しやすいのです。東側は空軍のエリアであり、
ラムズフェルド国防長官の執務室などもあり、テロ攻撃としては東側進入の方が効果が
あると思われるのになぜ西側を狙ったのでしょうか。
 考えられることは2つあります。
 1つは、ペンタゴンのビルの西側には、米陸軍のテロ対策センターがあり、テロ関連
の膨大なデータを格納したコンピュータが設置されているのです。犯人はこのコンピュ
ータを破壊したかったのではないかということです。
 もう1つは、ペンタゴンの西側の地下には、世界貿易センタービルで稼動する株式や
先物取引のコンピュータ・センターのバックアップ・システムがあるといわれているの
です。犯人は、世界貿易センタービルを破壊するとともに、そのバックアップ・システ
ムも壊してしまおうと考えたのではないでしょうか。
 しかし、世界貿易センタービルの破壊のあと、比較的スムーズに金融市場が立ち上が
ったところを見ると、バックアップ・システムは破壊されていなかったようですが、テ
ロ関連のデータの方はかなりの被害を蒙ったといわれているのです。
 しかし、何度もいうようですが、素人同然のハイジャック犯がジェット機を単にビル
に衝突させるだけでも至難のわざなのに、ビルの特定の場所に衝突させるという高度な
飛行術をどのようにして修得したのでしょうか。
 その謎は明日のEJで答えることにして、世界貿易センタービルのある隠された事実
についてお話しします。このビルにも不可解なことがたくさんあるのです。
 実は、世界貿易センタービルの北棟に、FBIの資料分析センターがあったのです。
さらにこのビルの22階から24階にかけて、FBIの事務所があったことも判明して
います。FBIではビルの警備会社と契約を結び、火災などの緊急時に真っ先に救援隊
が駆けつけるシステムになっているのです。
 したがって、世界貿易センタービルにジェット機が激突したとき真っ先に救援隊がF
BIのフロアーに駆けつけ、ケガ人を救出しているのです。そのときすでにFBIのオ
フィスはかなりひどい状態になっていたということです。そして、ここでもそのときF
BIが捜査中のある金融犯罪に関する物的証拠や関係書類はすべて焼失してしまった
ということです。
 その焼失したデータのひとつは、モービル石油が関与したといわれるイラン産原油と
カザフスタン産原油の違法スワップ取引に関するものであるということがわかってい
ます。間近に迫った公判の必要不可欠な資料であるということです。
 ところで、この世界貿易センタービルの崩壊のしかたには多くの疑問が出ています。
よく古いビルの解体に見られるように上から下へ垂直に崩れ落ちています。しかし、専
門家によると、こういう崩壊のしかたは、ビルにダイナマイトでも仕掛けない限り、起
きないのだそうです。
 世界貿易センタービルは、今から30年以上前に設計・施工されていますが、当初か
らその安全性については専門家の間では議論があったのです。なかでもニューヨークの
消防局からは「緊急時の安全性が確保されていない」という指摘も受けて、安全には入
念な配慮が行われていたのです。
 実は1945年のことですが、当時最も高かったエンパイア・ステートビルに軍用機
B26が衝突したことがあるのです。霧で視界不良のため起こった事故だったのです。
このときは、機体の破片が地上に落下し多数の犠牲者が出たのですが、ビル自体は崩壊
することはなかったのです。
 また、テロ事件が起きる数日前のことですが、ドイツのフランクフルトでテロ対策の
国際会議が開かれたのです。会議の席上、世界貿易センタービルの設計に携わった構造
エンジニアの説明があり、そのエンジニアは次のようにいって胸をはったのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      『旅客機の激突があっても倒壊することはない。ジェット機の
      燃料は燃焼するのが早いし、2000度を超えることはない。
      WTCビルはそれくらいの衝撃や高熱には耐えるように設計し
      てある』。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この数日後、WTCビルにジェット機が激突し、わずかな時間でビル全体が崩壊して
しまったのです。エンジニアがいい加減なことをいったというよりも、爆弾が仕掛けら
れていたという説を「そんな馬鹿な!」と否定できなくなってしまっています。
 ちなみに、WTCビルのオフィスのリース契約は、テロの発生する7週間前に新しい
所有者――ラリー・シルバースタイン氏に変更されたばかりであり、その内容は32億
ドルで99年間、ビル本体ならびにオフィスの賃貸料もすべて保険で保障されることに
なっています。つまり、ビルは崩壊してしまったが、保険金によってすべてを再建でき
るだけでなく、その間の賃貸料が年間1億1000万ドルも入るのです。まったくオー
ナーは損をしないわけです。
 どうでしょう。このように考えていくと、同時多発テロには多くの疑惑があります。
なかでも、ハイジャック機のピンポイント自爆攻撃――明日のEJで考えることにします。                 ・・・[9.11とアフガン戦争/10]

ペンタゴンへの進入路.jpg

2007年10月12日

ハイジャック機は遠隔操縦されたのでは?(EJ第797号)

 2001年9月11日、4機の航空機がハイジャックされ、そのうち2機が世界貿易
センタービルに激突してツインタワービルを崩壊、別の1機はペンタゴンビルの西側に
突入してテロ対策センターなどを破壊、もう1機はホワイトハウス突入を目指したもの
の何らかのアクシデントで墜落しています。
 テロの首謀者にとって何という大きな戦果でしょうか。そもそも飛行機をハイジャッ
クすることがそんなにうまくいくものなのでしょうか。狙ったのが4機であったかどう
かはわかりませんが、ハイジャックに失敗して犯人が逮捕されたとは聞いていないので
4機を狙って4機とも成功していることになります。驚くべき成功率といえます。
 それにハイジャック犯は3人から5人といわれていますが、搭乗検査をくぐり抜ける
ため拳銃などを持っておらず、セラミックナイフのみといわれています。そんなもので
大勢の乗客を制圧できるものなのでしょうか。
 4機にどのくらいの乗客が搭乗していたのかさえも発表されていませんが、これなど
は航空会社が把握しているはずなのになぜ公表されないのでしょうか。それにすでに回
収されているはずのボイスレコーダーについても、その内容についてほとんど公表され
ていないのです。米国政府はなぜ隠しているのでしょうか。
 飛行機は、3機がロサンゼルス行き、1機がサンフランシスコ行きです。朝のことで
すから、通勤や出張などビジネスマンが多数乗っていたはずです。
 それなら、そういう乗客たちがセラミックナイフしか持っていなかったはずのハイジ
ャック犯に対して、なぜ抵抗しなかったのでしょうか。犯人はわずか3人から5人です
し、少なくともそのうちの1人ないし2人は操縦室にいたはずですから、客室には多く
ても3人しかいないのです。乗客としては、生死の危機にさらされているのですから、
何人かが犯人に襲いかかれば制圧できたと思うのですが、なぜそうしなかったのでしょ
うか。
 それでは、百歩譲って乗客は誰も抵抗できなかったとしても携帯電話で機内の状況を
伝えてきた人はいなかったのでしょうか。米国の新聞では、スチュワーデスや何人かの
乗客が携帯電話で事件を知らせてきているとあります。現在確認できているのは7人で
すが、いずれも直接の通話ではなく、伝言であったというのです。しかも、その内容は
公表されていないのです。航空会社はいまだに乗客名簿すら公表していないのですが、
なぜそれほど秘密主義なのでしょうか。
 このように謎は深まるばかりです。ハイジャックされた4機のうちユナイテッド航空
サンフランシスコ行きについては、犯人は乗客と格闘になり、それが理由で墜落したと
報じられていますが本当のことでしょうか。同機はホワイトハウスを狙っていたとされ
ており、追跡してきたF16ジェット戦闘機によって撃墜されたという情報さえあるの
です。
 すべては闇の中ですが、米政府当局は何かを必死になって隠そうとしています。謎を
解くカギは、米軍が今回のアフガン戦争で使った長距離、超高度飛行の無人偵察機「プ
レデター」にあります。「プレデター」は、ゼネラル・アトミクス製で1機320万ド
ルもするのですが、何となく見た目は、おもちゃの飛行機のように見えます。しかし、
地上で飛行のすべてを誘導できる大変画期的な偵察機なのです。
 実は、米国は「プレデター」よりもはるかに性能の優れた無人偵察機「グローバル・
ホーク」を開発しているのです。1998年にはモデル機の飛行テストを完了しており
すでに実戦で使えるレベルに達しているのですが、コストがかかり過ぎるという理由で
研究が一時凍結されていたのです。
 ところがブッシュ政権になってから研究継続のゴーサインが出て、2001年4月に
は、カルフォルニアのエドワード空軍基地から太平洋を横断して、オーストラリアのエ
ジンバラ基地までのテスト飛行が行われ、成功しているのです。
 グローバル・ホークは、ボーイング737の翼幅を持つ軍用機でありながら、離陸か
ら着陸までのあらゆる操縦は機械がこなし必要なときだけ、地上からの無線で誘導でき
るのです。
 このグローバル・ホークに関してブッシュ大統領は、同時多発テロ後に次のような注
目すべき発言をしているのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      『ハイジャックされた飛行機を地上から誘導できるような仕組
      みが必要だ。将来的には、問題の発生した飛行機はすべて地上
      の管制官が遠隔コントロールできるようにすべきであろう』。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これに関して、2001年9月10日の「ワシントン・タイムズ」は次のような記事
を載せています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      『アメリカ陸軍先端技術研究所(SAMS)の研究員たちは、
      「このグローバル・ホークの技術を使えば、誰も乗っていなく
      ても民間機をハイジャックしたように見せかけるような遠隔操
      作ができる」というのである』。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 同時多発テロ発生の1日前の新聞記事ですから、今にして思えば、これはおそるべき
予言記事になったといえます。実は米国はハイジャックされた飛行機を地上から遠隔操
縦で安全に着陸させる技術開発を昔からやっているのです。
 それらの先端技術の開発は、ペンタゴンの国防先端技術開発局(DARPA)が担当
しているのですが、実際に「ホームラン」という名前の飛行機の地上誘導装置は開発さ
れているとみられているのです。
 この先端技術はもちろん米国の最高国家機密に属しますが、今回の4機のハイジャッ
クと自爆テロは、この技術が使われたと考えると、すべての謎は解けるのです。なぜな
ら、そうであれば、ハイジャック犯は最初からいなくてもよかったからです。
・・・[9.11とアフガン戦争/11]

グローバル・ホーク.jpg
                    

2007年10月15日

ジョージ・ブッシュは2大財閥のプリンス(EJ第798号)

 ブッシュ政権になってから、米国は積極的に戦争を仕掛け、実際に戦争を起こしてき
ています。ブッシュ大統領の「悪の枢軸」発言に見られる最近のブッシュ政権の強硬姿
勢ぶりは本当に目を見張るものがあります。
 2月9日にスペインで開かれたEU外相会議では、この好戦的な米外交姿勢に対して
批判が相次いでいます。軍事力の優位を背景に“テロとの対決”ですべてを単純化し、一
方的外交を推し進めようとしている米国の姿勢に猛反発をしているのです。
 いま世界で最も好戦的な国は米国とイスラエルであると思います。今回のアフガン戦
争も米国+イスラエルという図式を無視しては語れないと思います。米国とイスラエル
が歴史的に何をしてきたのかを振り返ってみることは無駄ではないと思います。
 その前に、今回テロの標的にされたニューヨーク市について少し知っておく必要があ
ります。ニューヨーク市の人口は約700万人ですが、このうちユダヤ人は250〜3
00万人もいます。米国本土には557万人の在米ユダヤ人がいるのですが、人口比に
するとわずか3%――ニューヨーク市がいかにユダヤ人が結集しているかがわかります。
 それだけにニューヨーク市を基盤とする政治家は、ユダヤ人を敵に回しては当選でき
ないのです。前大統領夫人のヒラリー上院議員もユダヤ人の票を得ようと、かなりユダ
ヤ人寄りの政策をアピールして当選しているのです。
 さらにニューヨーク市は、世界経済から世界の政治を動かすといわれる次の2大財閥
の本拠地でもあるのです。
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       1.ロックフェラー財閥
       2.ロスチャイルド財閥
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 ロックフェラー財閥は、ホワイトアングロサクソンの富と力を代表し、ロスチャイル
ド財閥はユダヤ人の権益を代表しているのです。同時多発テロの標的にニューヨーク市
が狙われたのは、世界の政治と経済を動かす、これら2大財閥の本拠地であるためとい
ってよいと思います。
 現大統領の父親であるジョージ・ブッシュは、ロックフェラー財閥が支配する石油メ
ジャーと固いつながりを持っており、彼が長官を務めたCIAもロックフェラー財閥と
深くつながっているのです。その一方でブッシュ家はロスチャイルド財閥とも深いつな
がりがあるのです。ブッシュ家は英国のエリザベス女王と縁戚関係にあり、その女王を
財政的に支えてきているのがロスチャイルドであるからです。
 つまり、ジョージ・ブッシュは、これら2大財閥のプリンスという存在なのです。表
面的には、ロックフェラー財閥は反イスラエル派、ロスチャイルドはイスラエル派とい
う色分けがされていますが、いわゆるフリーメイソンという組織でつながっており、そ
の実態は1つといわれています。
 ところで戦争をして儲かるのは、軍需産業に携わるグループということになりますが
この面で圧倒的に強いのはロスチャイルド財閥なのです。世界最大の軍需産業ロッキード・マーティン社はロスチャイルド財閥に支配されているといわれます。
 さて、1947年、ロスチャイルドが中心となった国際連合の総会は、ユダヤ人国家
を作るためにバレスチナ分割案を採択し、その翌年、その決議によってイスラエルが誕
生します。当時の米大統領はトルーマンでしたが、彼はイスラエルが独立宣言するとわ
ずか数分でこの新国家を承認したといわれます。
 それ以後、米国の歴代政権はイスラエルを全面的に支援し続けるのですが、これがア
ラブ・イスラム世界の強い反感を買い、その後4回にわたる中東戦争を生むことになり
ます。
 1967年の第3次中東戦争では、イスラエルが圧勝し、ヨルダン川西岸からガザ地
区地域を占領したのです。その後イスラエルは占領地に続々と入植を続け、実質的に自
分たちの領土としてしまったのです。その中には聖地エルサレムも含まれていたので、
パレスチナの間で絶えずいざこざが起こり、長い間にわたって殺し合いが行われてきた
のです。
 国連の安全保障理事会はこの問題で調停に乗り出し、「イスラエルは第3次中東戦争
で占領したヨルダン川西岸から撤退せよ」という決議するのですが、イスラエルは従わ
ず国連決議を無視して入植を続けたのです。
 こうしたイスラエルの行為は、かつてイラクがクウェートに侵攻し、そのまま居座っ
たのと何も変わらない行為なのにもかかわらず、米国は何らとがめだてをせず、逆に年
間30億ドルの経済援助を続けているのです。
 これではアラブ・イスラム国家が怒るのは当然のことです。「米国はわれわれを侮辱
し、われわれの領土を占領し、イスラムを破壊しようとしている」として「米国憎し」
の感情は非常に高いものになっていったのです。
 この騒ぎは強硬派のシャロンがイスラエルの首相になると、ますます激しくなりま
す。1年間で800人以上が死亡し、そのうちパレスチナ人が600人以上なのです。
シャロン首相はいたるところに検問を置き、そこを通過するパレスチナ人が少しでも不
審な行動をとると、すぐに発砲するという過激な反応を見せて、ますますパレスチナ人
の憎悪を増大させているのです。
 さて、イスラエル軍の使う兵器のほとんどは、F16戦闘機やパレスチナ自治区で攻
撃用に使用する武装ヘリコプター「アパッチ」など、いずれも米国製なのです。シャロ
ン首相は、かつてイスラエルの国防大臣をしていたことがあり、米国のロッキード・マ
ーティン社と深いつながりがあるのです。
 このロッキード・マーティン社にリン・アン・チェイニーという実力派の女性の重役
がいるのです。彼女の夫は、リチャード・チェイニー、現ブッシュ政権の副大統領なの
です。これだけではないのです。現在のブッシュ政権は、驚くほど軍需産業と石油に深
いかかわりのある閣僚が多いのです。   ・・・ [9.11とアフガン戦争/12]
          

2007年10月16日

ブッシュ家とビンラディン一族との深い関係(EJ第799号)

 昨日のEJでリチャード・チェイニー副大統領の夫人が世界最大の軍需産業ロッキー
ド・マーティン社の重役を務めていることを伝えましたが、ブッシュ政権には、この他
にも軍需産業に深い関わりを持つ閣僚がいます。
 それは、運輸長官のノーマン・ミネタ、彼はロッキード・マーティン社の副社長をし
ていた人物です。運輸長官は航空機を管轄する大臣であり、軍需産業に大きな利権を持
っています。
 それから、国防長官のドナルド・ラムズフェルド、彼はランド・コーポレーションの
元理事長だった人です。このランド・コーポレーションというのは、フリーメイソンの
「300人委員会」によって作られた軍事シンクタンクのことで、軍事には関係が深い
のです。ランド・コーポレーションは軍事だけではなく、かつてはCIAと組んで「M
Kウルトラ作戦」という洗脳の実験と研究をやっていたことがわかっています。
 クリントン政権時代にランド・コーポレーションは、イランと北朝鮮に配置されてい
る弾道ミサイルが、米国にとっていかに脅威になっているかをまとめたレポートを作成
し、米国民に「ならず者国家」の脅威を吹き込み、これが国家ミサイル防衛(NMD)
を構想させるキッカケとなったのです。このときのランド・コーポレーション理事長が
現在のラムズフェルド国防長官なのです。
 当然のことながら、NMD構想のプランはランド・コーポレーションが担当し、防衛
に必要なミサイルの製造は、ロッキード・マーティン社が引き受けることになったので
す。このようにブッシュ政権と米国の軍需産業とは深く結びついているのです。
 現ブッシュ政権でもうひとつ指摘しなければならないことは、石油資本との結びつき
です。この事実はあまねく知られていることですが、EJでは少し詳しく述べることに
します。なぜなら、この背景がわからないと、今回のアフガン戦争の真相はわからない
と思うからです。
 実は、ブッシュ家というのは、現大統領の祖父の代から国益を無視した商取引を繰り
返して財をなした、ある意味で悪名高き一家なのです。したがって、ブッシュ家を語る
には、現大統領の祖父プレスコット・ブッシュについて知る必要があります。
 1942年10月のことです。米国政府はニューヨークのユニオン銀行を突然閉鎖し
ます。その理由は、ナチスの隠し口座を開設していることが発覚したからです。このユ
ニオン銀行の経営者がプレスコット・ブッシュその人だったのです。彼は他にもナチス
との商取引を行っており、それらの企業はすべて資産凍結処分を受けています。
 この事件に代表されるように、プレスコット・ブッシュは非合法な手段で稼いだ資金
を元にして政治を動かし、石油や金融ビジネスの世界でしだいにのし上がっていったの
です。
 1950年、プレスコットは息子のジョージが石油会社を設立するさいに多大の資金
を出しているのですが、この会社はジョージの卓抜なる経営手腕によって1953年に
ザパッタ石油と名称を変更して大石油会社へと発展していくキッカケを掴みます。そし
て、ザパッタ石油は1963年にはペンゾイルとなり、世界最大の石油会社になってい
くのです。
 石油ビジネスを成功させるには、どうしてもサウジアラビアとの関係を強化する必要
があります。ジョージ・ブッシュがサウジアラビアとのパイプとして接近したのが、あ
のビンラディン一家なのです。彼はビンラディン一族を再三にわたってテキサスに招待
して関係強化を図ってきたといわれます。
 このとき、ジョージと一緒に行動していたのが、ジェームス・ベーカー、元国務長官
なのです。もちろん、ジョージはベーカーと一緒にサウジアラビアのビンラディン一家
を何度も訪問しているのです。
 さて、現ブッシュ大統領も父親の行っていた石油ビジネスに興味を抱き、1978年
に石油採掘会社「アルバスト」を設立しています。問題は、このときも父親の代から受
け継がれてきたサウジのビンラディン一家との関係を利用していることです。
 中東最大手の建設会社にビンラディン建設という会社がありますが、この創業者はモ
ハメド・ビンラディンという人です。この人とジョージは付き合っていたのですが、こ
の人の長男がサレム・ビンラディン、次男がウサマ・ビンラディンなのです。
 ビンラディン建設のサレム・ビンラディンは、ブッシュ家との関係を通じて、対米ビ
ジネスを手がけていたのですが、ブッシュ・ジュニアと関係が深かったのがこのサレム
なのです。その関係により、ビンラディン兄弟はテキサスに「ビンラディン航空」を作
っていますし、またサレムはやはりテキサスに「ヒューストン・ガルフ空港会社」も設
立しているのです。
 こういう話を聞くと「さもありなん」とは思うものの、これほどまでにブッシュ家と
親しかったビンラディン一族のウサマ・ビンラディンが対米テロを行うほど、米国を憎
むことになる経緯がよく理解出来ないと思います。
 この経緯を調べてみると、ビンラディン建設の創業者モハメドと彼の長男サレムが相
次いで自ら操縦する飛行機事故で死亡していることがわかったのです。とくに1988
年5月に起こったサレムの事故死には不審な点が多く、2000年になってから米国の
公共放送PBSが、この事件を取り上げて「フロントライン」という人気ドキュメンタ
リー番組で報道したのです。
 報道では、飛行機事故でありながら、連邦航空局が事故原因の調査を行っていないこ
とや、サレムが搬送されたテキサス州のサンアントニオの陸軍病院で十分な検死が行わ
れていない不可解な事実の追求を行い、サレムが米国のある筋によって抹殺された可能
性があることを指摘したのです。
 問題はサレムがなぜ殺されなければならなかったかです。これについて真相は闇の中
ですが、米国がイランとの秘密交渉のさいにビンラディン航空所有の飛行機を使った事
実があり、そのさいサレムが米国の極秘情報を掴んだのではないかと疑われているので
す。弟のウサマ・ビンラディンはこれに怒ったのでしょうか。
・・・[9.11とアフガン戦争/13]
           

2007年10月17日

タリバンとはどういう勢力なのか(EJ第800号)

 アフガン問題についていろいろ述べてきましたが、これからしばらくタリバンについ
て述べることにします。アフガニスタンは多民族国家ですが、タリバンを構成する主要
民族は「パシュトゥン人」(アフガン全体の38%)なのです。
 俳優シルベスタ・スタローンが主演した映画に「ランボー3」というのがあります。
この映画では、パシュトゥン人はつねにランボーの味方として活躍しています。彼らは
武勇に優れ、勇敢で聡明な人として描かれてます。
 実は、このパシュトゥン人は「失われたイスラエル十部族」の末裔なのです。途中か
らEJをご覧になった人は何のことかわからないでしょうが、「失われたイスラエル十
部族」はEJが意欲的に追求している大きなテーマのひとつなのです。パシュトゥン人
の有力者の家系には、必ずといってよいほど、アダム、アブラハム、モーセ、ダビデな
どの名前があるのです。
 この追求については改めて述べるとして、ここではタリバンについて述べることにし
ます。アフガニスタンは、北をロシアに接する中央アジア諸国、トルクメニスタン、ウ
ズベキスタン、タジキスタン、西をイラン、東から南をパキスタン、東北は中国のシン
チャンウイグル自治区と、カシミールのフンザ地方に接している65万2626平方メ
ートルの国です。人口は1555万人であり、首都はカブールです。
 アフガニスタンには、かつて多くの民族が侵入し、北のロシア東南のイギリス、西の
ペルシャが覇権を目指して争ったのです。第2次世界大戦後は、ソ連、中国、米国の勢
力が入り乱れて争うという、徹底的に他国に侵略された国といえます。
 とくに石油などの資源のないアブガニスタンが、どうして他国から狙われたかという
と、それは文明の十字路という地政学的なロケーションにあったといえます。
 第2次世界大戦が終了後、英国はインドから撤退し、立憲君主国のアフガニスタンは
賢明な国王――ザヒル・シャー国王のもとで近代化を図り、1973年までは国として
の体制を整えていったのです。
 しかし、ザヒル・シャー国王が眼の治療のためイタリアを訪れていた間に、国王の甥
に当たるダウド将軍が1973年7月17日にクーデターを起こし、共和制に移行して
しまいます。このクーデターに関わったのはアフガニスタン共産党であり、背後にソ連
が画策していたのです。
 大統領になったダウド将軍は国内の体制固めのため、すべての政治グループを封じ込
めるのです。そめためイスラム協会は弾圧を察知して、パキスタンのペシャワールとい
う街に逃げ込んでしまいます。そして、このペシャワールを基地として、反政府ゲリラ
がアフガニスタンに入り込んでいるソ連を追い出すべく抵抗運動をはじめるのです。
 1978年、ダウド大統領はアフガニスタン共産党の一派――ハルク派によって暗殺
されてしまいます。ソ連はそれをアフガニスタン軍のクーデターであるように工作して
ソ連軍を大量に介入させて軍事行動を起こします。そして、ハルク派のリーダーである
人民民主党の指導者タラキを新大統領に就任させます。
 しかし、そのタラキ大統領も、その後継のアミン大統領も相次いでソ連の工作員によ
って暗殺され、ソ連軍は治安回復を名目に10万人以上の軍隊を率いてアフガニスタン
に軍事介入してきたのです。ソ連はアフガニスタンを自らの勢力圏内に置き、その南に
あるインド洋の冬になっても凍らない不凍港を確保し、中東の石油を手に入れ、米国の
同盟国であるパキスタンににらみをきかせたいと考えていたのです。ソ連にとってアフ
ガニスタンは世界の批判を浴びても手に入れたい国だったのです。
 これに対して、米国、パキスタン、サウジアラビアはソ連の南下を食い止めるために
立ち上がります。「アフガニスタンのイスラムの同胞を救おう」というキャンペーンを
行い、義勇軍を募ったところ、これに呼応して世界中のムスリム(イスラム教徒)たち
が集結してきます。この義勇軍の中に若きウサマ・ビンラディンがいたのです。
 米国は相手がソ連であることから背後に隠れて武器などを支援し、とくにCIAはビ
ンラディンにさまざまな指導をしたことは既にお話ししたとおりです。そして、彼らは
遂にソ連軍を打ち破り、1989年2月にソ連はアフガニスタンへの軍事介入から手を
引くのです。ムスリムたちは聖戦に勝利したのです。
 アフガニスタンの人たちは、反ソ抵抗運動の指導者を「ムジャヒデン(聖戦士)」と
呼び、賞賛し、その後の国づくりに期待したのですが、ムジャヒディンたちは仲間割れ
から内戦を起こし、再び混乱に陥るのです。この内戦にパキスタン、イラン、ロシアな
どの外部勢力が介入し、大勢の難民が周辺国に逃げ込む事態になります。
 こうした内戦が2年ほど続いて1994年に、カンダハルに近いイスラムの指導者、
ムラー・ムハマンド・オマルが長期化する内戦を憂い、弟子たちとともに救済運動に立
ち上がるのです。この運動の担い手は、パキスタンで難民として生活していた各地のイ
スラム神学校出身の神学生(タリバン)たちであり、そのほとんどは、パシュトゥン人
だったのです。
 タリバン勢力は、各地方の主要都市を次々と落とし、ムジャヒディンたちを駆逐しま
す。そして、首都カブールを制圧し、ソ連軍が10年かかっても実現できなかったアフ
ガニスタン制圧をわずか4、5年で達成してしまうのです。
 このように、当時のタリバンは、現在のタリバンとは評価が、180度違うのです。
アフガニスタン国民はタリバンを支持し、米国をはじめとする多くの国がタリバンを歓
迎したのです。            ・・・[9.11とアフガン戦争/14]
           

2007年10月18日

タリバンは商売上手なしたたかな政権(EJ第801号)

 ムハマンド・オマルがタリバンを率いて救済運動に立ち上がったのは1994年の春
のことですが、米国では1993年1月にクリントン政権が誕生しています。タリバン
は蜂起から、わずか4〜5年で首都カブールを落とし、アフガニスタンのほぼ全土を制
圧してしまいます。
 アフガニスタンのこの情勢を見て態度を変えたのは、パキスタンとサウジアラビアで
す。それまで両国はムジャヒディンの一派であるヘクマティアルを支援していたのです
が、ヘクマティアルがタリバンによって駆逐されてしまったので、タリバン政権を承認
することによってタリバン政権と親密化を図ろうとします。
 とくにパキスタンは、インドとの間でカシミール紛争を抱えており、アフガニスタン
に親パキスタン政権ができることは軍事上も歓迎すべきことだったのです。
 もともとタリバンは、ソ連がアフガニスタンに侵攻したときにパキスタンに避難して
きた人々の子どもであり、パキスタンが育ててアフガニスタンに送り返したという事情
もあり、パキスタンとしては、タリバンに親近感を持っていたのです。
 それでは、サウジアラビアはどういう目的があってタリバンを支援しようとしたので
しょうか。このサウジアラビアという国は、調べれば調べるほど複雑で不可解な国なの
です。しかし、タリバンを本腰を入れて支援したのは、トルクメニスタンなどの石油・
天然ガス・パイプラインの建設権益にあるのです。そのため、タリバンにいるビンラデ
ィンに対して資金面を含むさまざまな援助をしたのです。
 それでは、米国はタリバン政権をどのように見ていたのでしょうか。当然のことなが
ら、クリントン政権時代と現ブッシュ政権時代とは大きく異なります。
 米国としては、アフガニスタンに安定した政権ができることは悲願のパイプラインの
建設が進むというメリットがあり、クリントン政権の初期の頃はタリバン政権を歓迎し
ていたのです。とくに米国のユノカル社は、アフガニスタンの部族のすべてと交渉しカ
ザフスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンなど周辺国にも事務所を開設するほど
の熱心さでパイプラインの建設に賭けていたのです。
 ユノカル社は石油や天然ガスの探査から開発・掘削・搬出・供給までの技術を有する
企業として世界中に知られる有力企業であり、その強引なやり口には定評があったので
す。
 同社は米国政府高官や軍の関係者の天下りを積極的に受け入れているのです。駐パキ
スタン大使を務めたロバート・オークレーブッシュ元大統領時代の空軍長官ロナルド・
ライス、太平洋司令長官のチャールズ・ラーソン、それに、あのヘンリー・キッシンジ
ャー元国務長官もユノカルの顧問を務めているのです。
 ところがこのタリバン政権は他国の思い通りになるような政権ではなかったのです。
 タリバンは、コーラン(イスラム教の教典)とシャリア(イスラム法)を必要以上に
過激に解釈する「超原理主義」を貫き、厳し過ぎる処刑、極端な女性差別、アヘンの生
産を奨励するようになったのです。これに反対したのが「アブがニスタンの英雄」とい
われたマスード司令官であり、これに呼応したグループがいわゆる「北部同盟」なので
す。
 それにタリバンはなかなか商売上手だったのです。パイプライン建設で最後まで競り
合ったのがユノカル社とアルゼンチンのブリダス社の2社だったのですが、タリバンは
両社を手玉に取るようにして値を釣り上げていったといわれます。
 結局ユノカル社がタリバンと最終的に話をつけ「セントラルアジア・ガス・パイプラ
イン・プロジェクト」をトルクメニスタン政府に提案し、調印するところまでこぎつけ
たのです。1995年10月のことです。
 このプロジェクトは、トルクメニスタンから天然ガスを買い、アフガニスタン、パキ
スタンを結ぶパイプラインで輸送し、パキスタンでマーケティングを行うというものだ
ったのです。時のクリントン政権は、ユノカル社から積極的なロビー活動を受け、トル
クメニスタンとアフガニスタンに対して根回しをするなど、その実現に向けて前向きに
動いたのです。
 クリントン政権としては、タリバンが「反イラン」を宣言していたので、タリバンと
結ぶことによってイランを押さえられること、それにユノカル社によるパイプラインの
建設権益を獲得することは、この地域での資源をイランとロシアには渡さないという政
治戦略上の重要な意味を持っていたのです。
 こういう政府のタリバン寄りの姿勢に対し、米国の人権擁護団体が、タリバンが女性
を差別しているとして、抗議の嵐を巻き起こしたのです。クリントン大統領夫人のヒラ
リー夫人までも反対を表明するに及んで、当初前向きだったオルブライト国務長官まで
が「タリバン政権は承認しない」といいはじめたのです。オルブライト国務長官は、人
権理想主義外交を積極的に進めていて、その外交姿勢からすれば、当時のタリバン政権
はとても容認できるものではなかったのです。そして、このオルブライト−ヒラリー連
合の女性団体は、タリバン政権に取り入っているユノカル社まで、抗議の矛先を向けた
のです。
 そして、1998年8月7日に起こったアフリカの米大使館同時爆破テロ事件の報復
としてクリントン大統領がスーダンとアフガニスタンを空爆するに及んで、ユノカル社
はアフガニスタンから手を引くことを決めたのです。
 クリントン大統領が、なぜアフガニスタンを攻撃したかというとそれは首謀者がビン
ラディンであり、タリバン政権がビンラディンをかくまっていると考えたからです。ニ
ューヨークの同時多発テロと全く同じ構図です。
 これによって、タリバン政権は国際的に孤立状態に置かれてしまいます。1999年
11月にタリバン政権は国連からも制裁措置を受けることになりますが、パキスタンと
サウジアラビアだけはタリバンの承認を続けていたのです。
                     ・・・[9.11とアフガン戦争/15]

2007年10月19日

タリバン/パシュトゥン人のルーツを探る(EJ第802号)

 ニューヨークの同時多発テロに関連して中東の話題をスタートさせたのは1月28日
のことです。したがって、既に3週間連続してこのテーマを追及していることになりま
す。今週もこのテーマをさらに発展させていきます。
 実はEJでユダヤの話題を取上げたのは、2001年2月13日のEJ554号から
2月23日のEJ562号までです。それから4月に再開しましたが、その後はずっと
休んでしまったことになります。しかし、今回は別のテーマもはさみますが、このテー
マは今後も継続して追及していくことを考えております。ご期待ください。
 すでにタリバンを構成しているパシュトゥン人は「失われたイスラエルの10支族」
の末裔であるということについてはお話ししました。ところで「失われたイスラエルの
10支族」というのは、一体何でしょうか。少し復習をしてから話を先に進めます。
 紀元前2000年のことです。メソポタニア地方に古バビロニア王国という国があっ
たのです。この国にアブラムという男がいたのです。アブラムはのちに神の勅命を受け
てアブラハムと名乗るようになります。彼は神の預言者となったのです。
 アブラハムの一族は遊牧民で、メソポタニアの平原をさまよい歩いて生活していたの
です。彼らのことを「ヘブライ人」と呼びますが、それは「さまよえる人」という意味
なのです。アブラハムにはエジプト人の妻との間に2人の息子がいたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       1.イシマエル ・・・・・・・・・ アラブ人
       2.イサク → ヤコブ ・・・・・ イスラエル人
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 イシマエルからはのちのアラブ人が誕生します。したがって、イシマエルはアラブ人
の祖ということになります。もう一人の息子のイサクはアブラハムから神の預言者の地
位を受け継ぎますがそれはさらに息子のヤコブへと受け継がれるのです。
 『旧約聖書』の「創世記」によると、ヤコブは神の御使いから「イスラエル」と名乗
るよういわれます。これが現在のイスラエル国のルーツということになります。ヤコブ
こと、イスラエルには12人の息子がいたのです。やがてこれが、「イスラエル12支
族」として編成されるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
        1.ルペン         7.ガド
        2.シメオン        8.アシェル
        3.レビ          9.イッサカル
       ◎4.ユダ         10.ゼブルン
        5.ダン         11.ヨセフ
        6.ナフタリ      ◎12.ベニヤミン
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 イスラエル12支族は古代エジプト王国に寄留して奴隷同然の生活を送っていたので
すが、大預言者モーセが現れるとイスラエル人は決然としてエジプトを出国し、約束の
地「カナン」を目指します。これが有名な「出エジプト(エクソダス)」といわれるも
のです。映画「モーゼの10戒」を思い出します。
 モーセに率いられたイスラエル12支族は、約40年間荒れ野をさまよい、やっと約
束の地カナンに近づきます。そこで、モーセは没し、ヨシュア・ベン・ヌンがモーセの
あとを引き継ぐのです。この約束の地カナンというのが、現在のパレスチナ地方のこと
なのであり、彼らはここで「イスラエル王国」を築くのです。
 当初は支族間の闘争があって混乱したのですが、これを収めたのがユダ族の「ダビデ
(エル・ハナン)」なのです。そして、ダビデは預言者にして大王と呼ばれるようにな
ります。このダビデ王の子供がソロモンであり、ソロモン王の時代にイスラエル王国は
大きく繁栄するのです。
 このイスラエル12支族の中に「ヨセフ」という支族があります。この王国は、ヨセ
フの2人の息子、「マナセ」と「エフライム」をそれぞれ独立させて支族とするという
考え方があります。この中の「エフライム」という支族は、あとでよく出てきますので
覚えておいていただきたいと思います。
 イスラエル王国は、ダビデ、ソロモンに続いて「レハブアム」という3代目になって
大混乱が起こってしまいます。重税と使役があまりにひどいので、国民が反乱を起こし
たのです。この騒ぎをめぐって、エフライム族の有力政治家であるヤロブアムと3代目
レハブアムと先鋭に対立してしまうのです。
 紀元前931年、遂にイスラエル王国は分裂し、次の2つに分裂してしまうのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       1.南朝ユダ王国 ・・・・・・・ ユダ、ベニヤミン
       2.北朝イスラエル王国 ・・・・ その他の10支族
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 イスラエル12支族の中の「レビ族」は祭祀人の立場にあり、両国に帰順することに
なったのです。このとき、ソロモン王が建設した神殿は「エルサレム」、北朝イスラエ
ル王国は「ゲルジム山」に神殿を建設したのです。
 しかし、紀元前722年に、急速に勢力を伸ばしてきた「アッシリア帝国」によって
北朝イスラエル王国の首都サマリアが占領されてしまいます。南朝ユダ王国もアッシリ
ア帝国に攻められますが、なんとか守り切ったものの、続いて台頭してきた新バビロニ
ア王国に滅ぼされてしまうのです。つまり、イスラエル王国はここでいったん姿を消し
てしまうのです。
 ところが、紀元前538年、その新バビロニア王国を滅ぼしたペルシアの大王「キロ
ス2世」によって、イスラエルは捕囚から解放されるのです。南朝ユダの人たちは喜び
いさんでエルサレムに戻り、神殿の修復を行います。これが「ソロモン第2神殿」なの
です。
 しかし、北朝イスラエル国の人たちはだれも戻らず姿を消してしまうのです。これが
「失われたイスラエル10支族」です。  ・・・ [9.11とアフガン戦争/16]

2007年10月22日

ユダヤ教の思想/二元論的思考法(EJ第803号)

 ブッシュ大統領の「悪の枢軸国」発言が世界的に大きな波紋を呼んでいます。このよ
うに物事を「悪」と「善」に2つに分けて考える思考法は、「二元論的思考法」といっ
て、典型的なユダヤ的思考法なのだそうです。
 ユダヤの二元論的思考法については、ちょうど1年前にEJでユダヤの問題を取上げ
たとき、ある読者から寄贈された次の本に出ていたのです。「悪の枢軸国」というあま
り聞き慣れないことばを聞いたとき、この本のことを思い出したのです。
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       『日本人に謝りたい/あるユダヤ人の懺悔』
       モルデカイ・モーゼ著/久保田政男訳 日新報道刊
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 この本の著者によると、二元論的思考法はユダヤ教の思想からきたものであるという
ことです。現在、日本人はそれと意識しないであらゆる面でこの二元論にはまっている
――このように著者はいっているのです。
 著者は、二元論的思考法の例として、プロ野球の「セ・リーグの人気の秘密」を取り
上げているので、ご紹介しましょう。
 日本のプロ野球には、セ・リーグとパ・リーグがあります。両リーグともその力に大
きな差はないし、必ずしもスター選手が一方に偏っているということもないのですが、
人気についてはセ・リーグが圧倒的です。何が原因だと思いますか。
 モーゼ氏は、その理由を「セ・リーグには巨人がいるからである」としています。大
方の日本人もそう考えていると思いますがユダヤ人のモーゼ氏がそういうところに大変
興味があります。彼の主張の一部を本から引用します。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      『巨人ファンの巨人信仰は、一種の擬似宗教というべきもので
      あろう。日本共産党のマルクス主義信仰と似ている。したがっ
      て、絶対神聖不可侵の善玉の神なのであろう。とすると、巨人
      ファンの信仰の対象たるジャイアンツというチームは必然的に
      巨人ファン以外からは悪玉の神ということにならざるを得ない
      ではないか。単なる自己のひいきチームの相手というだけでは
      すまないのである。
       ここに善悪二元論的思考が見事に成立するのをみることがで
      きよう。そうなのである。セ・リーグの人気の秘密はこの善玉
      ・悪玉の葛藤という二元論にあったのである』。
                     (上掲書P50〜51より)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 巨人ファンから見れば、確かに巨人は「善」、それに立ち向かってくる他のチームは
「悪」ということになります。しかし、そ
れがなぜ、セ・リーグの人気につながるのでしょうか。
 それを解くカギとしてモーゼ氏は、巨人には「アンチ巨人」という存在があることを
指摘します。ここで面白いのは、巨人以外の他の5球団イコールアンチ巨人とは限らな
いことです。アンチ巨人とはとくにひいきの球団はないのに、「ただ、巨人が負ければ
いい」と思っている人たちです。
 実は、かくいう私もこのアンチ巨人なのですが、時間があると巨人が負けることを期
待して結構テレビで巨人戦を観戦しているのです。もっと熱心になると、アンチ巨人で
も球場まで足を運んでいる者もいます。したがって、明らかにアンチ巨人派は、巨人フ
ァンであるといえます。
 重要なことは、セ・リーグの他のチームやパ・リーグには、このアンチ巨人という一
派が見当たらないのです。例えば、アンチ阪神ファンとかアンチ西武ファンというもの
があるでしょうか。阪神や西武が負けるだけで、喜ぶファンなどいないはずです。
 この善悪二元論の典型というべきものにプロレスがあります。米国でプロレスをエン
ターテインメントとして興行化に成功させたのはユダヤ人であり、戦後日本へ持ち込ん
だのもユダヤ人であるといわれます。悪の代表の米国の選手対空手チョップの善の代表
力道山という構図が当時の日本人を熱狂させたのです。
 モーゼ氏は、日本共産党はこの二元論によって成り立っているといっています。日本
共産党が論拠とするマルクス主義の唯物史観は虚構仮説に過ぎず、本来であれば日本共
産党の存在根拠などないのですが、独特の二元論の押し付けによって現在でも存続して
いるとモーゼ氏はいっています。
 共産党の二元論の押し付けとは、大企業、自民党政府といったものを絶対悪として設
定し、その対応物として絶対善――それが日本共産党というわけですが、これによって
自己を具現化しているわけです。
 現在の小泉政権でも絵に描いたような二元論が展開されています。改革を推進する小
泉政権とそれに抵抗する抵抗勢力という図式です。これなども善玉と悪玉の対決の典型
です。
 太平洋戦争においては、連合国側が作った図式は、枢軸国イコール悪玉、連合国イコ
ール善玉なのです。今回のブッシュ発言もイラン、イラク、北朝鮮を悪の枢軸国、他の
国は善として圧力をかけているのです。アフガン戦争でもテロ犯をかくまうタリバンは
悪、テロに組しない国が善とする二元論に立っています。
 ところで、枢軸ということばを使う以上、悪の枢軸国と名指された3国は、相互に何
らかの関連があるとも考えられます。イランとイラクはもともと民族的にも宗教的にも
歴史的に仲が悪いのです。ただ、米国が敵であるということだけが一致しています。
 それでは、北朝鮮はどうかというと、確かな情報ではないものの、北朝鮮はイランに
ミサイル技術を輸出しているといわれています。この構図ですと、米国がイランを攻め
てもイラクは米国に対して批判しないし、その逆も真です。それに北朝鮮を叩けば、イ
ランへのミサイル技術の輸出の不安はなくなり、危険を未然に防ぐことができる――そ
ういう状態になっているのです。
 重要なことは、われわれの身近にこういうユダヤ式思想がそれと気づかぬうちに定着
していることです。           ・・・ [9.11とアフガン戦争/17]

モーゼの本.jpg
           

2007年10月23日

アフガン王室とパシュトゥン人の関係(EJ第804号)

 「失われたイスラエルの10支族」は、一体どこに行ったのでしょうか。なにしろ1
0支族ですから、相当な人数になります。それだけの人たちが移動すれば、南朝ユダ王
国の人たちの目に止まるはずです。しかし、ユダ王国のだれひとりとして北朝イスラエ
ルの10支族の人たちを見かけていないのです。したがって、彼らが西に移動したので
はないことは確かです。それにギリシャやエジプトにも記録は残っていないのです。
 南は海ですが、集団で何万という人たちが一度に船に乗って移動することは不可能で
す。だいいち彼らは遊牧民であって、航海などできないはずですし、船も持っていない
のです。
 そうすると、彼らは北か東に移動したことになります。メソポタミア地方から北か東
といえば、そこには、東西文明をつないだシルクロードが走っています。イスラエルの
10支族はこの長い道を通って東に移動したものと考えられます。
 シルクロードを東へと移動していけば、中国にたどり着きますが、そこは終点ではな
く、朝鮮半島、そして日本へとつながっているのです。つまり、シルクロードの終点は
日本なのです。そこで、メソポタミア地方から日本までのシルクロードを丹念にたどっ
ていくと、イスラエルの10支族の残した痕跡というものが明確に残っていることがわ
かるのです。
 イスラエルは本当に不思議な国です。既に述べたように、北朝イスラエルは紀元前7
22年にアッシリアに、南朝ユダは紀元前605年に新バビロニア王国にいったんは滅
ぼされます。しかしその新バビロニア王国を滅ぼしたペルシアの大王の寛大な措置によ
って国土は返還されます。南朝ユダ王国の人たちは破壊された神殿を修復し「ソロモン
第2神殿」を建設して、以後長きにわた
って南朝ユダ王国は存続することになります。
 しかし、北朝イスラエルの人たちは解放されたにもかかわらず元のゲルジム山に戻ら
ず、蒸発してしまうのです。これほどの人数の蒸発は異常であり、今でも世界史最大の
謎といわれているのです。しかし、南朝ユダ王国もイエス・キリストが登場した時代を
経て、古代ローマ帝国の統治下にあった紀元66年、あまりにも過酷なユダヤ人弾圧に
耐えかねて、ローマ帝国に叛旗を翻えすのです。これが世にいう「第1次ユダヤ戦争」
です。
 しかし、紀元70年にエルサレムはローマ帝国第四軍団によって攻め落とされ、「ソ
ロモンの第2神殿」は破壊されてしまうのです。しかし、ユダヤの残党たちは、地下に
もぐって抵抗を続けます。そして、紀元132年にユダヤ地下勢力は再びローマ帝国に
立ち向かいます。これが「第2次ユダヤ戦争」です。
 しかし、当時のローマ帝国は最盛期を迎えており、南朝ユダ王国は完膚なきままに制
圧され、ユダヤ人は国を完全に失ってしまうのです。それからというもの、1948年
にパレスチナの地にイスラエル共和国が建国されるまで、ユダヤ人は流民となって各地
をさまようことになることはご存知のことと思います。
 聖書は今後のイスラエルについて不気味な預言をしています。それは次のような内容
です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      『将来イスラエルを舞台にして戦争が起きる。その結果、現在
      エルサレムの神殿の丘に立っているイスラム教のモスクは破壊
      される。そして、そこにはユダヤ教の神殿「ソロモンの第3神
      殿」が建設される。そのとき、北朝イスラエルの10支族は復
      活を果たし、南朝ユダと統合しひとつの王国になる』と。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 さて、話をアフガニスタンに戻すことにします。北朝イスラエルの10支族は明らか
にアフガニスタンにもきており、タリバンを構成するパシュトゥン人はイスラエル10
支族の末裔といわれています。このことを主張するのは、ラビ・M・トケイヤー氏であ
り、彼の著書『日本・ユダヤ封印の古代史』(徳間書店刊)に詳しくその理由が示され
ています。
 実は、アフガニスタン王室が古代イスラエル王室の系統をひくことは世界的にも認め
られていることなのです。もっと具体的にいうならば、アフガニスタン王室は、南朝ユ
ダの系統につながることになります。ところで、アフガニスタンという名前には次のよ
うな由来があるのです。
 紀元前1000年頃のことです。古代イスラエルの初代の王を「サウル」と称したの
ですが、サウルには「エレミヤ」という子がいて、そのエレミヤには「アフガナ」とい
う子がいたのです。
 アフガナは第2代のイスラエルの王ダビデのもとで育てられ、第3代のソロモンのと
きも王室の中にいたのです。それから400年後、イスラエルの混乱期にアフガナの子
孫は祖国を離れ、アフガニスタンの中央部の都市グルに逃れたのです。アフガニスタン
の国名は、このアフガナからきているのです。
 古代イスラエル王室の初代の王サウルは、イスラエル12支族の中のベニヤミン族出
身の王であり、ベニヤミン族はのちにイスラエル南北分裂時代には、南朝ユダに属して
いたのです。そうすると、南朝ユダ王国の系統をつぐ王室は混乱期にアフガニスタンに
逃れて王室を維持しており、一方北朝イスラエルの10支族の一部は、流れ流れてアフ
ガニスタンにたどりつき、パシュトゥン人となってこの地に根を下ろしているのです。
そして、その後アフガニスタン王室もパシュトゥン人も7世紀になってムハンマドがイ
スラム教を広めて以来、イスラム教に改宗しています。
 このようにして、南朝ユダと北朝イスラエルは、時期と方法は違うものの、どちらも
アフガニスタンにたどりつき、奇しくも今回のアフガン戦争では、王室を支持する北部
同盟が米国の力を借りてタリバンと争うことになったのです。実に不思議なめぐり合わ
せということがいえると思います。
 ここで分からなくなるのは、現在のイスラエル共和国とアフガン王室、タリバンとの
関係です。常識的には、現在のイスラエル共和国の人たちは、南朝ユダ王国の末裔とい
うことになるのですが、これをめぐってある論争があるのです。
・・・[9.11とアフガン戦争/18]

イスラエル初代王/サウル.jpg

2007年10月24日

ユダヤ人に関するケストラーの