INTEC JAPAN/BLOG

このブログは、異文化研修の教育機関(株)インテック・ジャパンの情報発信用です。(株)イー・メディアとの提携により、同社のドキュメント・レポート「Electronic Journal」をウィークデイの毎日お届けします。
「Electronic Journal」は様々な情報を400字詰原稿用紙7枚にまとめて配信する日刊メールマガジンです。

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● 2007年11月 記事 ●

2007年11月01日

どのようにして電波を突き止めたか(EJ第1165号)

 1941年10月18日、ゾルゲ諜報団の無線技師マックス・クラウゼンは逮捕され
三田警察署に留置されます。取調べに当たったのは、東京刑事地方裁判所検事局の吉河
光貞検事です。その日のうちに取り調べは開始されたのですが、クラウゼンは、比較的
素直に自分がゾルゲ諜報団の一員であったことを自供しているのです。
 クラウゼンが日本に潜入したのは、1935年11月28日のことですが、当時日本
は、翌年2月に起きる2.26事件の前兆とみられる事件が相次いでおり、準戦時体制
下ともいうべき状況にあったといえます。政府としては国内治安の引き締めを行い、軍
部の政治進出も顕著になりつつあったのです。
 当然のことですが、外国人に対する監視体制も厳しく、外国人同士が話をする場所は
帝国ホテルのロビーぐらいしかなかったといえます。そのような状況の中で、クラウゼ
ンは赤坂の山王ホテルに1ヶ月ほど宿を取り、それからお茶の水の文化アパートを借り
て移り住みます。
 そこでクラウゼンは、ウラジオストックのブィズバーデン局と交信するため、無線送
信機と受信機を組み立てたのです。送信用真空管2個については、米国で購入して日本
に持ち込み、あとは東京市内で部品を調達したというのです。
 組み立てたのは、送信用真空管2個を並列に接続し、100ボルトの交流電源を使用
し、これを変圧器によって800ボルトにして働かせる米国無電アマチュア協会創案の
アームストロング式短波送信機で、アンテナ長は5〜6メートルでした。
 この送信機の性能は、周波数6〜7000キロサイクル、空中線出力は15キロワッ
トで、最大通信距離は4000キロメートルは可能ということですが、確実な通信距離
は1000キロメートルといわれます。東京――ウラジオストック間の直線距離は、ち
ょうど1000キロメートルなのです。この程度であれば、手製の送信機でも十分届く
というクラウゼンの計算です。
 受信機は、ラジオ受信機を買ってきてそれを短波受信用に改造しています。これで受
信周波数は40メガサイクルから60メガサイクルの波長までカバーしたといいます。
これらの無線装置は使用のつど組み立て、使用後は分解しており、非常に慎重にコトに
当たっていたことが分かります。
 クラウゼンは、これらの証言を東京刑事地方裁判所で開かれた予審尋問で検事の質問
に対して行っているのです。通信の傍受に対してどのように対応したかとの検事の質問
に対して、クラウゼンは次の趣旨のことを証言しています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      1.日本の探知機関による傍受は防ぐことはできない。通信は
        必ず傍受されるという前提でコトに当たる必要がある。
      2.しかし、都市市街地における方向探知は困難であり、最も
        良い条件でも数キロ圏内程度の確認しかできないこと。
      3.電波発射点の正確な確認は、ドイツでもそうであるように
        受信機を持って巡回するしか方法はなく時間がかかる。
      4.したがって、送信については毎回場所を移動し、長時間の
        通信を避け、または波長を変更するなどの処置をとる。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 クラウゼンの証言の中で注目すべきは3の「電波発射点の正確な確認は、受信機を持
って巡回するしか方法はない」という部分です。クラウゼンとしては、発信電波は傍受
されても、発射点を特定するのは簡単ではないと考えていたのです。そして、そのため
に、日本の防諜機関が受信機を持って巡回することまでは、まさかやるまいと考えてい
たのです。
 この判断はある意味では当っていたといえると思います。なぜなら、クラウゼンがは
じめて電波を出した1935年の年末から1941年の7年間の間に実に130回、6
万6000字の暗号通信を送ることに成功しているからです。
 しかし1939年に陸軍科学研究所登戸出張所が生田村(現在の川崎市多摩区生田)
に開設されると、クラウゼンはたちまち追い詰められることになるのです。ここに「無
線の高野」という異名をとる高野泰秋少佐がいたのです。
 高野少佐は、「諜者用無線機」を開発しているのですが、これは当時陸軍が使ってい
た軍用無線機とは比較にならないほど優れた性能を持っており、しかも、重量8キロで
ランドセルを一回り大きくした背負式で、どこにでも持って巡回できるという優れもの
なのです。この短波用通信機は、世界的にみても当時の最先端の技術を応用して作られ
ており、戦後GHQが注目し、朝鮮戦争で北朝鮮の通信傍受用に採用されたほどなので
す。
 これに加えて高野少佐は「不法無線探知用方向探知機」なる機材も開発しています。
この機材は、ブラウン管に電波の波形を映す鑑別機を組み込んだ全波受信機です。自動
車に機材をセットして移動しながら、電波の発信地点を探知するのです。
 これを使っていたのが昨日のEJでご紹介した「ヤマ」という秘密機関の乙班なので
す。乙班は、高野少佐が開発した「不法無線探知用方向探知機」を改造して3台の車に
搭載し3点測定法で不法電波の発信地点を突き止めるというもので、このチームは「移
動監視隊」と呼ばれていたのです。
 実はクラウゼンの発信する電波は、東京都市逓信局によって何回も傍受されていたの
です。したがって、当局としては、スパイ団の存在は分かっていたのですが、どうして
もその発信地点を特定できなかったのです。
 「ヤマ」機関の採用した3点測定法とは、3台の自動車を任意の3地点に配置し、無
線で連絡を取り合いながら探知機の操作を同時に行い、電波の発信位置を絞り込んでい
くという方法です。
 この方法を使うと、相手の発信する電波の発信時間が30秒までなら、半径1キロの
範囲まで絞り込むことができるのです。これによって、クラウゼン宅は特定されたので
す。クラウゼンがまさかと思うことが「ヤマ」乙班によって実際に行われたのです。
                       ・・・[スパイ・ゾルゲ/04]

映画「スパイ・ゾルゲ」より.jpg

2007年11月02日

映画『スパイ・ゾルゲ』の音楽と武満徹(EJ第1166号)

 篠田正浩監督の引退作になる映画作品『スパイ・ゾルゲ』は、魯迅の次の言葉ではじ
まり、ジョン・レノンの『イマジン』で終るという構成になっています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
        思うに希望とは、もともとあるものともいえぬし、
        ないともいえない。
        それは地上の道のようなものである。
        もともと地上に道はない。
        歩く人が多くなれば、それが道になる。   魯迅
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 篠田監督は、最初からそのように決めていたのです。この映画の音楽は池辺晋一郎が
担当したのですが、篠田監督は池辺にそれを依頼するとき、あらかじめ、ジョン・レノ
ンの『イマジン』と武満徹の『弦楽のためのレクイエム』を使うことについて了解を求
めているのです。
 池辺晋一郎ほどの大家になるとそういう注文は嫌うものですが、彼は1984年には
『瀬戸内少年野球団』、1990年には『少年時代』などの篠田作品の音楽を担当して
おり、気心も知れているので、これらを了解したうえで音楽を引き受けているのです。
そのため、この映画には、篠田好みの音楽がふんだんに使われており、そういう観点か
ら見るのも面白いと思います。
 篠田監督の音楽好きは相当なもので、作曲家武満徹に心酔していたのです。篠田は、
1960年の監督第2作目になる『乾いた湖』ではじめて武満に音楽を依頼して以来、
16の作品の音楽を武満に依頼しています。大変な武満ファンだったのです。
 その武満徹は1996年2月20日に急逝してしまうのですがそうでなかったら、こ
の映画の音楽は武満に書いてもらいたかったに違いないと思われます。篠田の話による
と、今から15年前に武満とこの映画について話し合ったことがあり、そのとき武満は
「スパイの映画だから、ものすごく優しい音楽を書こう」といってくれたそうです。そ
れに、ジョン・レノンの『イマジン』を使うようにアドバイスしたのも武満だったので
す。
 そういうことがあったからこそ、篠田は2.26事件のシーンに武満の『弦楽のレク
イエム』を使い、最後のところで『イマジン』を使ったのです。
 もちろん映画『スパイ・ゾルゲ』でメインに使われている曲は池辺が作曲した次の2
つの曲です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
        池辺晋一郎作曲、『交響曲第5番/シンプレックス』
                 佐藤功太郎指揮/東京都交響楽団
        池辺晋一郎作曲、『交響曲第6番/個の座標の上で』
           岩城宏之指揮新日本フィルハーモニー交響楽団
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ゾルゲの日本人妻だった石井華子(葉月理緒菜)が、ゾルゲが刑死したあと自室でレ
コードを聴きながら、嘆き悲しむ印象的なシーンがあります。そのとき流れていた曲は
バッハの『無伴奏チェロ組曲第6番』なのです。
 ゾルゲはこの曲が非常に好きで、いつもこのレコードをかけて仕事をしていたといわ
れます。演奏は、パブロ・カザルスです。石井華子という人は、生涯ゾルゲとの愛を貫
き通した人であり、そのゾルゲとの思い出を『人間ゾルゲ』(勁草書房)にまとめてい
るのですが、その中でこのバッハのレコードをゾルゲからプレゼントされたと書いてい
るのです。
 さて、映画では、コミュニストであったゾルゲと尾崎を『インターナショナル』、ド
イツ人を『菩提樹』、そして、『東京ブギウギ』や『リンゴの唄』が日本の戦後を象徴
するものとして挿入されています。それにCGで描かれた日劇と朝日新聞社、数寄屋橋
のシーンが非常に懐かしいです。
 この中で『インターナショナル』については少し説明が必要です。これは「立て、飢
えたるものを、今ぞ日は近し、立てよ、わが同士・・・」というあの労働歌なのです。
これをギターで弾いているのですが、この曲を編曲したのは武満徹なのです。
 武満の作品に『ギターのための12の歌』というのがあるのですが、この作品はポピ
ュラーな12の歌を武満がギターへ編曲したものです。取り上げている12の歌は「ロ
ンドンデリーの歌」にはじまり、コスマの「失われた恋」ビートルズの「ミッシェル」
「ヘイ・ジュード」「イエスタデイ」、そして「インターナショナル」で終わるのです。
最近では、ギタリストの福田進一がCDを出しています。篠田はその中のギターの「イ
ンターナショナル」をさりげなく映画で使っているのです。
 映画の最後にジョン・レノンの『イマジン』が演奏だけで流れ歌詞がスクリーンに表
示されます。篠田はレノンが歌う『イマジン』ではなく、文字で歌詞を入れたかったと
いっています。日本人は未だに『イマジン』をラブソングだと思っているからです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
        想像してごらん、この世に国家なんか存在しないと
        決して難しいことではない
        殺戮も死もなくなり、
        宗教の争いも消えてしまう
        想像してくれよ、すべての人間が
        平和に暮らしている姿を
        君はこんな私を夢想家と思うだろうが
                      ――ジョン・レノン
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この音源は、レノンが自分の歌を入れるために作っていたものをオノ・ヨーコさんか
らもらったものと篠田はいっています。
 そして、俳優やスタッフのクレジットが終わったあとに「この作品を武満徹に」とい
うことばが出て映画は終わるのです。篠田の武満への思いの深さがよく分かります。
                       ・・・[スパイ・ゾルゲ/05]

映画『スパイ・ゾルゲ』より.jpg

2007年11月05日

日本は”普通の国”ではない(EJ第933号)

 遂にテロ特措法が期限切れになり、インド洋で給油活動に従事していた海上自衛隊は
日本に帰ってきます。日本外交はどうあるべきでしょうか。そこで、今回は、日本外交
の問題を取り上げることにします。
 なお、この記事は、2002年8月26日から9月13日までEJで取り上げたテー
マであることをお断りしておきます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 毎週日曜日の午前7時30分からフジテレビで、「報道2001」という番組をやっ
ています。竹村健一氏の番組です。大物政治家がよく登場します。
 この「報道2001」の番組の最後に「竹村健一のいっぺんいうてみたかった」とい
うコーナーがあり、そこで竹村氏はよく話題の新刊書を紹介するのです。確か8月11日のそのコーナーだったと思いますが、竹村氏は次の本を紹介したのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       村田良平著/田久保忠衛・小森義久――特別鼎談
       『甦れ、日本外交/なぜ外務省はダメになったか』扶桑社刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 著者の村田良平氏は現在72歳。京都大学法学部を卒業し外務省に入省。中近東アフ
リカ局長、経済局長を経て外務事務次官、駐米大使、駐独大使を歴任後退官。現在、日
本財団特別顧問をされています。
 竹村氏によると、村田良平氏は大物外交官で、本書の中では外務省の後輩を実名で批
判している――これはなかなか勇気のある行動で、読み応えがあるということでした。
 早速購入して読んでみたのですが、366ページに及ぶ重厚な内容の本です。村田氏
は最近の外務省のありようについて、猛省すべきことはたくさんあり、確かに何人かの
現役の後輩を実名で批判していますが、大部分の外務省員は今も日本のために真面目に
働いていることを少しでもいいから伝えたい――これが外務省OBとしての本音ではな
いかと思います。そういうわけで、この本をベースとして、しばらく日本外交について
EJで考えてみたいと思います。
 「日本の常識は世界の非常識」ということばがあります。これも竹村健一氏のことば
ですが、村田良平氏は上掲書の冒頭で「日本は普通の国ではない」――もう少し露骨に
いうと、「普通の、まともな国ではない」といっています。村田氏のことばを借りてい
うと、次のようになります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      「日本は敗戦とともに、戦前とは異質であるが逆の方向の“異
      常な国”になっており、現在でも、基本的には異常なままでと
      どまっている」と。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 どのように異常かはあとで述べるとして、異常な国になってしまった原因は次の5つ
だというのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       1.無敵不敗と信じた日本陸海軍の完全敗北
       2.6年8ヶ月にわたる米軍による占領支配
       3.戦力不保持条項等を含む憲法の押し付け
       4.手続きも内容も裁判に価しない東京裁判
       5.長期に及ぶ米国のマインドコントロール
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 それぞれの項目について述べることは避けますが、戦前の誇り高い日本人はこれら5
項目によって強い精神的ダメージを受け、普通でない国に変節してしまったと村田氏は
いっています。
 日本は、戦後米国をお手本として民主主義を学んだといわれますが、占領期間中はと
ても民主主義などというものではなかったのです。占領軍の方針に反する一切の発言場
を封じられ、記事は検閲を施され、国旗と国歌は禁止されたのです。とくに占領政策と
東京裁判についての批判は強権で弾圧されたのです。
 要するに占領中は日本人には、連合軍の選択する情報しか与えられなかったのです。
そのうちに日本人は日本人であることに後ろめたさを抱くようになります。連合軍が日
本を普通の国でない国にするのに6年8ヶ月あれば十分だったのです。
 それでは、日本のどこが普通ではない異常の国であるかについてまとめてみます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       1.主権の大切さが国民に定着していない国
       2.万事穏便にトラブルを解決せんとする国
       3.ほとんど本能的というべき人命尊重指向
       4.国民が正しい歴史観を持っていない国家
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 国家の威信、主権は国の大小を問わず独立国家にとってきわめて重要なものです。そ
の手本として村田氏は、かつてフィンランドという比較的小国が、隣国であったソ連と
いう巨人に対して、独立国としての矜持を保つためにいかに努力を払ってきたか、歴史
をひもといてみるべしといっています。「一寸の虫にも五分の魂」そのものだというの
です。
 この独立国家にとって、何よりも重要な主権の侵害に対して世界でいちばん鈍感な国
は日本であるというのです。日本は敗戦以来明らかに主権が侵害されたというケースで
も、生ぬるい対応しかしてこなかったといえます。
 北朝鮮によると推察される日本人の拉致事件、今年5月、瀋陽の日本領事館で起こっ
た日本に庇護を求めた北朝鮮人5名を中国の軍事警察が力で連行していった事件――明
らかな主権の著しい侵害であるにもかかわらず、いずれも生ぬるい対応しかしていない
のです。これが米国だったらと考えれば、日本がやはり普通の国ではないことがわかる
と思います。
 それは、何でも穏便に解決しようという「平和友好外交」という日本の外交姿勢に問
題があるのです。もとより、平和友好は外交の目的ではなく、外交努力をした結果とし
て生まれればよいものなのです。
 村田氏によると、外交の要諦は合意をはかって利益を確保することとほぼ同程度に、
どうしても残る不満、不和を一定の許容範囲に収めることによって、それを紛争の糧と
しないための努力である――といっています。しかし、どのような場合でも、独立国と
しての矜持を保つことが必要なのです。     ・・・[日本外交の諸問題/01]

甦れ、日本外交.jpg
             

2007年11月06日

理想的な外交官が備える徳目(EJ第934号)

 ハロルド・ニコルソン――およそ外交について書かれた本には必ず登場する名前です
が、ニコルソンは英国の元外交官の名前であり、名著といわれる『外交』の著者です。
 ニコルソンは、民主的な外交のあるべき姿について、次のように述べています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       一公僕である外交官は外相に従属する。内閣の一員である外
      相は議会の多数派に従属する。そして議会は国民を代表する単
      なる会議であるから、主権を有する国民の意思に従属すること
      となる。――ハロルド・ニコルソン
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 現在の国会が国民の意思を代表しているかどうかは疑問ですが、ニコルソンの指摘は
誠に自明であると思います。また、ニコルソンは同書のなかで、外交官が備えるべき道
徳的資質として、次の7つをあげています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
          1.誠 実       5.平 静
          2.正 確       6.謙 虚
          3.上機嫌       7.忠 誠
          4.忍 耐
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これらの7つの徳目をベースとして、村田氏の記述を参考にしながら、職業外交官の
あるべき姿をまとめてみます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      1.外交官は外国において自国を代表し、自国の利益を最大限
        に伸ばし、損害を最小限に食い止めることを使命とする。
      2.外交官は、職業人生の大きい部分を外国で過ごすことにな
        るが、国際法に基づいて一定の特権と免除が与えられる。
      3.外交官はその職業の重要部分たる交渉の遂行のため、また
        日常生活のため相当レベルの外国語の能力が必要である。
      4.外交官は、近代政治史、外交史、戦争史を中心とする世界
        史に通暁し、国際法について基本的な知識が必要である。
      5.外交官の最重要任務は情報の収集であるが、そのための不
        断の勉強、人脈の構成、社交努力の積重ねが必要である。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これがすべてではありませんが、これだけを見ても外交官は相当レベルの高い教養を
有し、外国における自国の代表者にふさわしい資質を備えている必要があります。
 さて、ここまで「外交官」という名称でお話ししてきましたが外交官は、次の3つが
あります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
           1.大使とそれに準ずる行政官
           2.公使
           3.領事とそれに準ずる行政官
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 常識的知識でありますが、大使、公使、領事――それぞれが、どう違うのかについて
知っておく必要があります。わが国の大使は、対外的には元首たる天皇陛下の代理とし
てその国に派遣されるのです。具体的にいうと、派遣される国の元首に対して信任状を
持っていくのです。公使もこの点については同じですが、公使は大使に次ぐ外交官の1
階級です。
 したがって、大使・公使は、天皇の認証官として扱われます。そして、皇居宮殿にお
いて「認証官任命式」が行われ、天皇陛下のお言葉を賜ることになっています。したが
って、一番在外公館でエライのは大使、公使の順ということになります。
 外国からわが国に派遣されてくる大使・公使は、天皇への信任状を持ってくるので、
それを受け取る儀式があります。このときは、東京駅またはホテルから宮中への差し回
しの馬車で参内し、信任状捧呈式に臨むわけです。なお、どうでもいいことですが、馬
車が嫌なときは車でもいいそうですが、ほとんどの国の大使・公使は馬車を希望するそ
うです。
 それでは、領事官とは何をするのでしょうか。それには、領事館が何をするところか
がわかれば答えになります。
 領事館(領事)は、派遣先の国で、自国と自国民の利益を保護したり、その国との間
の通商や、経済、文化面での友好関係を発展させたりする機関です。領事官はそこで働
く役人ですがその任務としては現地の情報を本国へ報告するほか、旅券や査証(ビザ)
の発給や派遣先の国の自国民の出生や死亡、婚姻の証明などの仕事をするのです。もち
ろん、領事館は不可侵権と治外法権が認められていますが、大使・公使のように国家を
代表する資格はないのです。
 領事の種類としては、専任領事と名誉領事がありますが、専任領事が一般的にいう領
事に当たります。専任領事は派遣国の国家機関であるので、派遣国より俸給を受けるこ
とになっています。5月8日の中国武装警察によるわが国の不可侵権の侵害は、瀋陽の
日本総領事館で起こっているのです。
 ところで、こうした在外公館に認められている不可侵権や治外法権は何のためにある
のでしょうか。
 これは、そういう特権がなかったら何が起こるかを考えてみればわかります。外交官
が国と国との交渉をしているとき、もし相手国が話を有利に進めようとして、税金を上
げるぞとか、刑務所に入れるぞとかいうプレッシャーをかけることが考えられます。そ
ういうことが起こらないように、外交官たちが安心して仕事ができるようにするための
措置なのです。
 この大使館や総領事館への不可侵や、外交官の任地国での法的義務の免除などという
一連の外交特権は、1961年に採択されたウィーン条約の規定で説明されますが、実
際にはそれよりもはるかに古い、1648年のウェストファリア条約から決められてき
た基本ルールなのです。ヒットラーですら守ったといわれます。そういう長い前から全
世界で確立されてきた外交の規範というものを中国は踏みにじり、日本はそれを許容し
たのです。                 ・・・ [日本外交の諸問題/02]
              

2007年11月07日

英語が堪能でない駐米日本大使(EJ第935号)

 昨日のEJで、職業外交官のあるべき姿を5つあげましたが、その第3のポイントを
再現します。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      3.外交官はその職業の重要部分たる交渉の遂行のため、また
        日常生活のため相当レベルの外国語の能力が必要である。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 改めていうまでもなく、大使をはじめとする外交官は派遣されている国の言葉に習熟
していることは当たり前のことであり、国民の多くはそれを疑いもしないでしょう。例
えば、並みいる大使の中でも、駐米大使といえば、日本国民全体を代表する「顔」であ
り、「口」であり、「耳」のはずです。当然のことながら、米国に多くの知己を持ち、
米国について熟知していることはもちろんのこと、英語については母国語のように話せ
る人材――と誰もがそう思っているはずです。
 しかし、毎日新聞社、現ワシントン駐在編集特別委員、小森義久氏によると、それは
大きく事実と異なるのです。小森氏は、ここ8代の駐米大使は、そのほとんどがミスキ
ャストであると指摘しています。具体的に名前を上げておきます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       1975〜1980 東郷 文彦(事務次官経験者)
       1980〜1985 大河原良雄
       1985〜1989 松永 信雄(事務次官経験者)
       1989〜1992 村田 良平(事務次官経験者)
       1992〜1995 栗山 尚一(事務次官経験者)
       1995〜1999 斉藤 邦彦(事務次官経験者)
       1999〜2001 柳井 俊二(事務次官経験者)
       2001〜     加藤 良三
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 このリストを見ていただくとわかるように駐米大使8人中6人までが事務次官経験者であり、そのうちほとんどの人が条約局長と外務審議官を経験しているのです。経歴は
驚くほど似ておりまるで金太郎飴です。この条約局というポストは、外務省内部ではワ
ンランク上のポストであり、ここを経験すると事務次官レースは有利となるようです。
 松永信雄氏以下について、小森氏による適性分析をご紹介しま
す。松永信雄氏の専門外国語はフランス語であり、米国はもちろ
んのこと、英語圏に勤務したことは一度もないのです。そのため
英語の理解力には難があり、プレスクラブで米国人記者の質問に
何回も聞き返さないと理解できなかったといいます。
 1986年に、当時の中曽根康弘首相が米国の黒人について問題発言をして米国から
非難されたことがあるのです。そのとき日本は公式に謝罪することになり、その謝罪文
を松永大使が英語で米国議会で読み上げ、そのあとCNNのインタビューを受けたので
す。しかし、それがテレビ報道されたとき、松永大使の英語の発言にはすべて英文の字
幕がつけられていたといいます。
 続く村田良平氏についても小森氏はミスキャストであるといっています。昨日のEJ
でもご紹介したように村田氏は外務省きってのドイツ通であり、ワシントン駐在のドイ
ツ大使がドイツに関する村田氏の博学ぶりには驚嘆したそうです。
 しかし、村田氏はこと米国に関しては素人であり、英語力についてもワシントンの大
きな会議に出たあと、「私の英語力では理解できなかった」と率直に漏らしたといいま
す。そのせいもあって村田氏は在勤2年でドイツ大使に転出しています。しかし、村田
氏は本では、このことにはいっさい触れていません。
 続いて、栗山尚一氏――この人は歴代次官の中では知米派とされてきた人です。しか
し、第1期クリントン政権時代において、米国議会関係者から「コールドフィッシュ」
と呼ばれたのです。コールドフィッシュとは、米国では、活気のない、冷たい感じの人
物を指す表現なのです。
 つまり、栗山氏は米国駐在大使として効果を発揮するには、個人の魅力があまりにも
欠けていた人物といわれています。そのため、1993年から94年にかけたこの時期
において日米関係はかつてないほど険悪になってしまったのです。栗山大使について米
国務省の元日本担当であったケビン・カーンズ氏は次のように述べています。
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       今の日本大使(栗山氏)は、ワシントンにおける日米関係で
      の政治的プレゼンスを感じさせません。日米関係で彼がなにか
      をしたという事例がみつからない。イメージがない。パフォー
      マンスがない。フェースレスとしかいえません。
                         ――ケビン・カーンズ
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 斉藤邦彦氏――彼は外交官としての専門外国語は英国で英語を学んでいますが、それ
以後30数年の外交官生活では米国はもちろんのこと、英国、カナダなどの英語圏での
経験は皆無です。そのため、自ら任にあらずとして駐米大使人事を固辞したといわれて
いますが、周囲が説得してやっと引き受けたのでいす。
 しかし、駐米大使としての斉藤氏はよくがんばったといえるのです。英語力もあり、
自らテレビ討論に出演するなど、パフォーマンスには優れていたようです。
 斉藤氏に続いて大使になったのは柳井俊二氏です。田中外相にクビを切られたあの大
使です。柳井氏も専門の外国語はフランス語で、ワシントンを知らない駐米大使です。
英語力はどちらかというと堅苦しく「野球はお好きですか」という次元の質問にも、じ
っくりと考えて答えるという感じで流暢というにはほど遠いという感じです。田中元外
相の方がはるかに上です。
 こういう小森氏の指摘に関して、柳井氏は抗議の書状を送り、反論していますが、こ
れについては明日ご紹介します。それにしても、駐米大使の英語に問題があるとは、本
当に意外も意外という感じです。        ・・・ [日本外交の諸問題/03]

2007年11月08日

なぜ事務次官経験者が駐米大使なのか(EJ第936号)

 毎日新聞の小森義久氏は、2001年に「SAPIO」誌に連載で、昨日のEJで述
べたような一連の大使人事批判を展開したのです。これに対して当時駐米大使を務めて
いた柳井俊二氏は、小森氏に対し、反論の書簡を送ってきます。
 その中で「駐米大使であるのに英語が堪能ではない」という小森氏の指摘に対する柳
井氏の反論をご紹介します。
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       なお、任地の言語が流暢であることも一つの重要な要素で
      はありますが、任地の言語を解さないこと自体が当該国の大
      使として不適切であるということではないと思います。この
      点については、小森様も高く評価しておられる歴代の駐日米
      大使の多くが日本語を解さないことを例にひくまでもないで
      しょう。――柳井俊二氏
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 駐米日本大使が英語を満足に話せない――これは大変恥ずかしいことだと思います。
外務省という役所は、その職務柄英語をはじめとする諸外国語の堪能な人が集まってい
る――誰でもそう考えていますね。まして、英語は国際語ですし、それを駆使しなけれ
ばならない駐米大使はとくに英語の堪能な人が選ばれているはずである−−外務省の
一連の不祥事を批判しながらでも、このことは誰しも疑っていなかったと思います。
 ですから、小森氏にそこを指摘された外務省は、外務省の語学力について猛反論をし
てくると思ったのです。しかし、柳井氏の反論は、「駐日米国大使だって日本語を話せ
ないのだから、駐米日本大使が英語を流暢に話せないのは別におかしくない」というも
のだったのです。
 柳井氏の反論は、歴代の駐米日本大使の英語力の低さを認めてしまっています。それ
を前提に、「駐日米国大使だって、日本語ができないじゃないか」と反論しているので
す。これは明らかに、おかしな反論としかいいようがありません。
 小森氏は、この柳井氏の反論に対し、再反論をしていますので英語力に関する部分を
ご紹介します。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       柳井氏は「任地の言語を解さないこと自体が大使として不
      適切とはならない」と述べる。だがアメリカ駐在の大使が英
      語を自由に使えるかどうかはその大使の対米一般アピールの
      効率の決定的なカギとなる。しかも英語はほぼ国際語なので
      ある――小森義久氏
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 小森氏はこんな話を披露しています。1996年12月のことです。ペルーの首都リ
マで日本大使公邸占拠事件が起きましたがテロリストたちが公邸を占拠した直後、駆け
つけたペルーの警察が銃撃を続けたのに対し、占拠された側の責任者である青木盛久大
使がペルー警察隊に対してスペイン語で何やら叫んだのです。
 警察隊によると、それは次のように聞こえたというのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
              「火事を逮捕しろ!」!!?
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 実は、青木大使はテロリストから命ぜられ、警察に対し「銃撃をやめてください」と
叫んだつもりなのですが、彼のスペイン語がお粗末なためそのようにしか聞こえなかっ
たといいます。しかし、青木大使はペルーに2年前から赴任しており、スペイン語の修
得は十分できたはずなのにこの有様です。
 しかし、これはまだ許せる話です。スペイン語だからです。しかし、英語となるとそ
うはいかないと思うのです。もし、青木氏が英語で叫んでいたら、警察隊は理解できた
のではないか――少なくとも英語のわかる人を連れてくることはできたと思います。
 小森氏は再反論のなかで、湾岸戦争のさい、ABCテレビの著名なアンカーのテッド
・コッペル氏とワシントン駐在クウェート大使とのテレビ討論を取り上げています。
 イラクに占領される前のクウェートの統治のあり方を批判するコッペル氏に対し、ク
ウェート大使は格調高い英語でコッペル氏と激しい討論を繰りひろげ、コッペル氏がタ
ジタジとなる一幕もあったといいます。
 普通の視聴者であれば、大使の主張になるほどとうなづく内容だったそうです。クウ
ェート大使は、英国で弁護士をやっていたことがあり、その英語力のレベルは相当高い
ものだったのです。だからこそ、ワシントン駐在大使に任命されたと思うのです。
 昨日のEJで1975年から現在までの駐米大使8人を列挙しましたが、そのうち事
務次官を経験していないのは、大河原良雄氏と現駐米大使である加藤良三氏の2人だけ
です。しかし、皮肉なことに、この2人の大使はいずれも長期にわたるワシントン在勤
経験があり、英語力も抜群なのです。
 したがって、2人とも着任するや旧知の米国の要人と会談を重ねています。つまり、
ふさわしい人が選ばれているわけですが、事務次官経験者だけは適性があろうとなかろ
うとまるで「ごほうび」のように駐米大使に任命されているのです。
 一番問題なのは、駐米大使のポストが外務省に独占されていることです。日本にとっ
て米国は今後とも非常に重要な国です。したがって、駐米大使は米国側がよく知ってお
り、その実力を認めている人を「日本の顔」として派遣すべきです。
 なぜなら、米国は日本に対してそうしているからです。クリントン政権での最初の駐
日大使はフリッツ・モンデール元副大統領ですし、後任はトーマス・フォーリー元下院
議長です。いずれも当時の与党民主党の大物政治家です。
 米国のこうした駐日大使選びは共和党のブッシュ政権でも続けられています。駐日大
使に任命されたハワード・ベーカー元上院院内総務は共和党の重鎮であり、ブッシュ大
統領も声をかけられれば無視できない存在だといわれます。
 それなのに、なぜ日本は英語もロクにできない、米国に顔を知られてもいない一官僚
を駐米大使に任命し続けるのでしょうか。    ・・・ [日本外交の諸問題/04]
              

2007年11月09日

川口外相には外務省改革はできない(EJ第937号)

 昨日のEJで「毎日新聞の小森義久氏」と紹介してしまいましたが、産経新聞ワシン
トン駐在編集特別委員の誤りでした。お詫びして訂正させていただきます。
 小森氏は毎日新聞記者として、1972年に南ベトナムの首都サイゴンを皮切りに1
976年には特派員としてワシントンに駐在、そのあと1983年に東京において外務
省担当記者となり、政治部所属の編集委員という立場で、外務大臣や外務省幹部に接す
る機会を多くもっています。
 1987年に毎日新聞を退社し、産経新聞の記者として、ロンドン、ワシントンの特
派員を経験、さらに1998年から北京に駐在するという外務省やその統括下にある各
地の日本大使館、領事館に関する詳細な情報をもっている人です。
 小森義久氏は多くの著作を出していますが、近著に次の一冊があります。
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         小森義久著、『亡国の日本大使館』(小学館刊)
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 この本を読むと、各地の日本大使館、領事館の問題点が山のようにあるということが
わかり、川口順子外務大臣がやろうとしている外務省改革の大変さがわかります。前に
ご紹介した村田良平氏の著書とあわせ、引き続き日本外交の問題点について書いていき
たいと考えています。
 8月25日に正式に外務政務官を辞任した水野賢一衆議院議員が、昨日発売の『週刊
新潮』9月5日号で「川口外相では絶対にできない『外務省改革』」という緊急手記を
書いています。実は小森氏の本でも、川口外務大臣による外務省改革の難しさが指摘さ
れているのです。
 この川口外相――前の田中真紀子外相があまりにも異常であったためにきわめてまっ
とうな外相と思われていますが――私も川口外相では外務省改革はムリであると思いま
す。それは、川口氏が生粋のエリート官僚そのものであるからです。
 川口氏は1965年に通産省(現在の経済産業省)に入省し、エリート官僚がたどる
コースを順調に進んで、米国のエール大学に送られ、修士課程をクリアしています。そ
ういう経験から、流暢な英語を話せる、もともと外務省向きの逸材です。1990年夏
に外務省に出向し、駐米公使も経験しています。
 駐米公使のときは川口氏があまりにも米国要人との会合に積極的に活躍するので、駐
米日本大使と間違われる一幕もあったといわれます。「駐米日本大使は女性になった」と。
 この時代の川口氏を小森氏はよく知っており、インタビューをしたことがあるそうで
す。そのとき川口氏は、自分のワシントンでの勤務は限られているので、積極的にいろ
いろなことをやりたいといっていたそうです。
 その後、川口氏はわずか1年半で米国を去り、東京に戻ったのです。通産省官房審議
官というポストへの転任です。しかし、そのポストも1年で、川口氏はサントリーの常
務になるのです。
 これは通産官僚の典型的な天下りそのものです。つまり、通産省では川口氏を民間企
業に出すことを決めていて、そのハク付けのために、駐米公使などの役職につけたに過
ぎないのです。したがって、川口氏が米国で公使としていかにがんばったとしても、そ
れはほとんど意味のないショーだったというのです。こんなことで、日本の外交はいい
のでしょうか。そして、川口氏自身も、そのことをよく知っていて、米国において、華
やかに行動を演出したということらしいのです。
 川口外相は「、変える会」が提案した外務省改革のための実施項目の目玉ともいえる
「機密費の透明性の確保」と「事務次官を最終ポストとし、その後、大使には任命しな
い」という2つの項目については今後の外務省改革としては取り上げない意思を表明し
ています。これでは何も変わらないと思うのです。
 川口外相就任で最も注目されたのは、空席となっていた事務次官として誰を選ぶかの
判断だったのです。なぜなら、新事務次官は、外務省改革の先頭に立つ改革の旗手とし
ての役割が期待されていたからです。川口外相は「外務省幹部には民間など各界の人材
を活用する」と明言しており、注目されていました。
 しかし、川口外相が事務次官として選んだのは、当時インドネシア大使をしていた竹
内行夫氏だったのです。竹内氏は1967年の入省、前任の事務次官の野上義二氏が1
966年入省、その前の事務次官の川島裕氏が1964年の入省ですから、完全に外務
省伝来の順送り人事なのです。ただ、異変があったとすれば、1965年入省の次官が
いないだけです。
 なぜいないかというと、例の真紀子騒動のあおりなのです。もし外務省の一連の不祥
事が発覚せず、真紀子騒動がなければ、川島氏の次の次官は、1965年入省の現在駐
米大使、加藤良三氏だったからです。何のことはない――川口外相は単に外務省の順送
り人事を踏襲しただけのことだったのです。
 しかも、竹内氏は、2001年3月にジャカルタに赴任したばかりであり、2002
年2月に事務次官になっています。その間わずか10ヶ月という短期間です。こんな短
い期間で大使という大役が務まるものなのでしょうか。
 とくに大使の場合、公費で高い運賃を払って家具家財を送り、家族全員を同伴するの
です。それに料理人やお手伝いさんを伴うのが一般的であり、大変経費がかかります。
それを1年にも満たない短期間で本庁に呼び戻す――これは税金の無駄使いそのもので
はないでしょうか。
 こういうことに川口外相が何とも思わないのは、自分も経産省でそういうステップを
踏んできたからです。ここで、はっきりしていることは、竹内氏がインドネシア大使し
てはおそらく何もできなかったということです。もし、部下がやるというのであれば、
大使などいらないのです。エリート官僚の川口氏では、とうてい外務省の改革などムリ
だと考えるゆえんです。            ・・・[日本外交の諸問題/05]

亡国の日本大使館.jpg
             

2007年11月12日

親中よりも媚中になっている対中国外交(EJ第938号)

 EJで外交の問題を取り上げて論じていたところ、日本外交の大きなニュースが飛び
込んできました。小泉首相と北朝鮮の金正日総書記との日朝首脳会談が9月17日に決
まったことです。
 9月1日のフジテレビの「報道2001」では、中曽根康弘元首相が登場してこのニ
ュースについてコメントを行っています。中曽根氏は今回の小泉首相の決断は高く評価
するし、成功を期待するが、話が急過ぎるので、準備は本当に大丈夫なのか心配だと話
しています。
 小泉首相は、今回の日朝首脳会談の実現については1年ほど前からいろいろなルート
を通じ、その実現に努力してきたといっていますが、これはかなり差し迫った話だと思
います。
 8月31日発売の「日刊ゲンダイ(週末特別版)」によれば、外務省が中国やシンガ
ールで非公式に交渉を続けてきたのは事実であるが、話が煮詰まってきたのは7月のブ
ルネイでの日朝外相会談とその後の局長級協議であり、そこにブッシュ米政権の意向が
強く働いているとみられます。
 中曽根氏は、外交には次の4原則があり、とくに第2原則を守ることは大切であると
訴えています。韓国の金大中大統領のケースが事実上の失敗に終わっただけにその成果
が心配されます。
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          1.自国力以上のことをやらないこと
          2.ギャンブルで外交をやらないこと
          3.世界の潮流に乗っているかどうか
          4.外交を内政に利用してはならない
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 さて、日本国民が直接的に主権侵害というものを意識したのは、2002年5月8日
に起こった中国・瀋陽の日本総領事館への中国武装警官の立ち入り事件です。
 もともと外務省の在外公館は、海外での邦人保護を任務として設けられているのです
が、その対応のひどさは筆舌に尽くし難いといわれます。その中でも悪評の高いニュー
ヨークの総領事館にいたっては、9月11日のテロ後、なぜか日の丸の掲揚をやめてい
ます。これは、テロ事件の影響を受けた日本人が困惑し、相談のために総領事館に駆け
込んでくるのを避けるためだといわれているのです。これでは何のための在外公館なの
でしょうか。
 そのように、海外の危機で日本同胞の生命さえ満足に守れない日本国外務省の出先機
関が、他国の国民の保護などできるはずがないのです。したがって、あの瀋陽の主権侵
害事件は起こるべくして起こったといえます。
 それに小泉首相もこの事件に対して決定的なミスを犯しているのです。というのは事
件翌日の5月9日に、日中友好の名目の下、日中友好文化観光訪日団の団長と会見し、
しかもその日の夜には、その訪日団を迎えての日中友好文化交流式典に出て、挨拶まで
してしまっているからです。
 普通の国の首相であれば、主権を踏みにじった相手の国の代表との会談などは即座に
ボイコットし、それによって相手の国に対し、抗議の意思表示をするはずです。しかし
小泉首相はこともあろうに主権を踏みにじった中国の訪日団と会ってしまっているので
す。こういうところに「日本は世界一主権に鈍感な国」といわれるゆえんがあります。
 仮に、その時点では詳しい情報が首相に上がっていなかったのだとすれば、外務省の
現地からの報告があまりも遅いか、情報の内容が真実を伝えていなかったということに
なります。どちらにしても恥ずかしいことです。ちなみに、この瀋陽の事件、最初に現
地から外務省に入った報告は、「総領事館への駆け込みも、中国当局の侵入もない」と
いうウソの報告だったのです。
 しかし、この主権侵害事件は、その一部始終を撮影したビデオテープの存在があった
ため、事実は白日の下に晒されてしまったのです。事実は明白そのものです。もし、こ
のビデオテープがなかったなら、現地から最初に入ったウソの報告のままで終わってい
た可能性すらあるのです。
 当初ビデオの存在を知らなかった現地総領事館の報告は、事実と大きく異なる報告だ
ったのですが、ビデオの存在を知ると二転三転するのです。こういう現地の醜悪きわま
る対応に対し、外務省は何ら反省していないのです。
 それは、2002年6月8日付の朝日新聞に掲載された中江要介元中国大使の次の投
稿によって明らかです。
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      人権を守るという目的のため、外交公館の目と鼻の先で公館
      出入者を盗み撮りするという手段は“目的のために手段を選ば
      ず”という謗りは免れ得まい。
      ――2002.6.8付、朝日新聞
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 彼は,中国当局による外交公館不可侵の違反行為を非難するわけでもなく、日本総領
事館側の無能にして非人道的な対応に怒りを発するのでもなく、ビデオを撮影した報道
機関を批判しているのです。これはまことに本末転倒な批判というべきであり、彼が外
務省のアジア局長を務め、元中国大使であるだけに、外務省の本質をあらわしていると
いえるのです。それもわざわざ投稿しているのですから、確信犯です。
 瀋陽の日本総領事館の前の道は公道であり、日本側からはもちろんのこと、あの規制
の厳しい中国ですら写真撮影は禁止されていないのです。彼の主張は、あくまで中国は
悪くないし、領事館側の対応も悪くない、報道機関にだけ批判をしているのです。
 それにしても日本はなぜ中国に対しては弱腰なのでしょうか。小森義久氏にいわせる
と、それは「親中」というよりも「媚中」という姿勢です。中国に媚びへつらっている
姿勢です。
 瀋陽の総領事ポストは、外務省では、いわゆるチャイナスクールと呼ばれるグループ
の退官直前のノンキャリア官僚に与えられていたポストであり、ほとんど中国側と折衝
できる能力など持っていないのです。      ・・・ [日本外交の諸問題/06]

2007年11月13日

なぜ国会議員は中国に何回も行くのか(EJ第939号)

 中国との外交――日本にとってはもちろんのこと、アジア全体にとってこれは非常に
重要です。しかし、中国に対して、日本はどのようなスタンスで外交をするかというこ
とになると、これが明確ではないのです。また、そういうことに対して、政治家も外務
省もマスコミも知識人も意見がバラバラで、国民もあまり関心がないように見えます。
 不祥事で議員を辞職した加藤紘一氏は、「日米中は正三角形で等距離である」という
ことをさかんに主張しており、そういうことを中国の要人にもいっているのです。この
主張はごく常識的に考えても非常におかしいのです。
 中国というのは、共産主義の一党独裁で反日を国是とする国です。ですから、歴史認
識も違いますし、靖国神社参拝問題、教科書問題など、いろいろと干渉をしてきます。
もちろん日米安全保障条約にも反対ですし、米軍のアジア駐留にも反対です。
 一方米国は日本と日米安全保障条約を結んでおり、いざというときには日本を守るこ
とを誓っている同盟国です。そういう日米中の3国間が、なぜ等距離なのでしょうか。
この考え方で外交を進めていくと、日米の同盟関係は崩壊してしまいます。これは中国
にすり寄る「媚中」の考え方そのものです。
 加藤紘一氏ともあろう人が、なぜこのような考え方なのかについてはひとつの答があ
ります。それは、加藤氏が外務省の出身であり、しかも、チャイナスクール(中国語を
研修)であるという経歴です。加藤氏と同期のチャイナスクールに浅井基文氏という人
がいます。この人は、加藤氏よりもはるかに徹底した媚中派であり、「今の日本の政治
に必要なのは毛沢東だ!」などということを平気でいっているそうです。しかも、この
人は外務省では中国課長をやっていたのです。
 また、元インド大使の野田英二郎という人がいます。野田氏は2001年6月23/
24日付のヘラルド・トリビューン紙に、「日米安全保障条約は破棄されなければなら
ない」と書いているそうです。その理由としては、「日米安保条約は、中国にとって大
変な脅威になっている。これをやめないと、日本はニュートラルの立場に身を置けな
い」ということを上げています。まるで中国の大使のような発言ではないでしょうか。
 また、野田氏は2000年10月に「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書を、教
科書図書検定調査審議会の委員という立場から、他の委員に働きかけて何とかこれを落
とそうといろいろ画策したそうです。これは新聞にも報道されています。
 それが正しい選択かどうかは別として、日本は、米国と日米安全保障条約を結んでい
る以上、これを基本的な軸として他国との外交を行わなければならないのに、実際の外
交交渉に当たる政治家や外務省が、バラバラの意見を述べているのは実に不可解なこと
であると思います。
 それにしても、なぜ、媚中派がかくも多いのでしょうか。それには、それなりの理由
があるのです。
 繰り返しますが、中国は全体主義国家なのです。一党独裁という体制は建国以来全然
変わっていないのです。したがって、われわれは対中外交を考えるとき、このことを前
提に置いて考えざるを得ないのです。
 全体主義国家ですから、政策は一枚岩です。したがって、中国が対日政策をする窓口
は1本であり、おそらく、トウカセン外相がその窓口であると思われます。そのため、
多くの政治家、財界人、マスコミがトウカセン外相にすり寄ろうとしています。ですか
ら、向こうにとっては、彼らを縦横に操れるのです。
 こういう一枚岩のところと外交をするには、腹の据わった強力な外交官を配置して外
交の力を1本化するのが定石ですが、日本の場合、単に中国にすり寄るだけの媚中外交
に堕しています。現在の阿南惟茂中国大使などでは、とうてい日本を代表して中国と渡
り合えるような人物ではないのです。
 さて、政治家は国会が終ると、海外視察と称して外国に出かけますが、一番多い国は
どこかご存知ですか。
 それは中国なのです。それには明確な理由があります。それは経費のほとんどが先方
持ちであるということです。具体的にいうと、日本側は往復の飛行機代を出すだけで、
あとは中国本土に足を着けた地点から離れる地点まで、宿泊費から中国国内を移動する
飛行機代その他汽車代、毎晩の豪華な宴会費用などは全部中国側が出しているのです。
 このようなことをする国は中国だけです。しかも、中国大使館のスタッフはあらゆる
機会を利用して日本の議員に近づき、中国訪問へのいざないを行っているのです。「熱
烈歓迎します。ぜひお越しください」とセールスして回っているのです。
 議員であれば、与党はもちろんのこと、野党でも、中国政府に巨額の援助を与えるこ
とを左右できる立場にいます。その議員が中国側から過度の接待、供応を受けている―
日本国内でこんなことをすれば、直ちに収賄罪で摘発されてしまいます。
 小森義久氏によると、こうした北京詣の常連は、自民党の橋本派と農水関連議員が多
数を占めているといわれます。2000年9月のことですが、自民党の外交部会で激し
い議論があったそうです。その結果、それまで決定が先送りされていた対中新規ODA
特別円借款162億円が決定されています。
 これを熱心に推したのは、例の鈴木宗男代議士と額賀福志郎代議士だったのです。と
もに橋本派の代議士です。徹底して反対していたのが、塩崎恭久、原田義昭代議士だっ
たといわれます。なぜ、中国に現在でも巨額の援助をする必要があるのか――なぜかそ
うならないのです。
 実は額賀代議士は、その9月に訪中して連日接待を受けて帰国するや一転して援助賛
成派に変貌しているのです。これでは、中国にいいように料理されるだけです。それに
しても、日本の国会議員や与党三党の幹事長たちは、おどろくべき人数と頻度で、中国
を訪れているのです。まるで、甘いエサに群がるアリのようにです。対中外交がこんな
ことでは日本はどうなるのでしょうか。     ・・・[日本外交の諸問題/07]
              

2007年11月14日

阿南中国大使はなぜ抜擢されたか(EJ第940号)

 外務省は9月1日付で、田中真紀子前外務大臣との確執で辞任した野上義二前事務次
官を英国公使に起用したことを発表しています。この人事は世間一般からみれば、田中
大臣とともに事実上更迭されたはずの次官を、こんなに早い時期に有力なポストに起用
するのは問題ではないかということになります。
 しかし、これを外務省側からみると、事務次官経験者が公使に転出するのは異例とい
うことになるのです。本来は大使になるはずの者が公使という低いポストに就くのだか
ら異例ということなのです。確かに公使は大使よりも下のポストですが、大使とともに
天皇の代理として国を代表する重要ポストなのです。外務省は川口外務大臣を含めて、
何か感覚が鈍っていると感ずるのは私だけでしょうか。
 さて、2000年の11月のことです。中国大使にそれまで内閣外政審議室長だった
阿南惟茂氏が任命されます。前任者は谷野作太郎氏です。これは、外務省内部では、仰
天の人事だったそうです。というのは、外務省内部では従来の年功序列にしたがえば、
次の中国大使は、当時オランダ大使をしていた池田維(ただし)氏(現ブラジル大使)
がなると皆が思っていたからです。
 ちなみに、中国大使のポストは、各国大使の中でも高位とされており、歴代大使とも
必ず他の国で大使を最低一回経験してから北京に送られてきていたのです。谷野氏はイ
ンド大使を歴任しているし、池田氏もオランダ大使を経験していたのです。
 しかし、この阿南氏は、外務省入省では池田氏よりも5年下の1967年、しかも大
使経験ゼロというのですから、外務省の慣習にしたがえば、異例中の異例といえるので
す。もとより、抜擢はあっていいのですが、そのためには傑出した能力なり、実績が必
要です。しかし、小森氏によると、阿南氏に関する限り、どこを探しても、そのような
傑出したところはないというのです。それどころか、小森氏の知る範囲では、大きなマ
イナス点ならいくらでもあるというのです。
 阿南氏がアジア局長時代のことです。記者懇談会で北朝鮮工作員による日本人拉致事
件の話が出たとき、彼は次のように述べて拉致そのものに疑念を表明しています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       亡命者の証言以外に証拠がなく、亡命者の発言は信用でき
       ない――阿南惟茂外務省アジア局長
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 一般人ならともかく、外務省アジア局長の要職にある者がする発言ではないと思いま
す。こうように、自国民に対する惻隠の情のない者が、瀋陽の領事館において北朝鮮の
亡命者を冷たく扱ったのも、さもありなんと思います。
 この発言は産経新聞が大きく報道したので問題となり、西村真悟衆議院議員から「亡
命者証言以外にも警察の捜査などの根拠があり、外交の使命を放棄する軽率な発言」と
厳しく非難されているのです。これ以外にも、阿南氏の外交能力には疑問符がつく話は
たくさんありますが、あえてここではご紹介しません。この事例だけで、彼が外交官と
しての適性に欠けることは十二分に証明できるからです。
 私が不思議に思うのは、瀋陽の総領事館事件で、コトが阿南大使の進退が問われる事
態に及んだとき、自民党のドン野中広務代議士が、「阿南のような男をやめさせてはな
らない」と記者団に語ったことです。私はこれを聞いて、阿南氏について何も情報がな
かったので、「阿南大使というのは相当の大物?」と考えてしまったのです。これがと
んでもない間違いだったわけです。
 問題は、このような人物がなぜ中国大使の職にいるのかということです。この謎を解
くには、次のようないきさつについて知る必要があります。
 1998年7月のこと――当時の橋本首相は、外務省の高野紀元北米局長を外務省研
修課長という閑職に人事異動しています。理由は高野局長が国会での答弁で、橋本首相
の親中(媚中以上)路線とそぐわない発言をしたというのです。
 具体的にいうと、日米防衛ガイドラインの適用範囲において、高野局長は次のように
答弁したのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       日米安保条約が規定する極東とその周辺を概念的に超える
       ことはない――高野紀元外務省北米局長
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これは極めて常識的な答弁であり、その直後において橋本首相は別に何もいわなかっ
たのです。しかし、この答弁に対して中国から「この答弁によれば、ガイドラインは地
理的概念を含み、台湾も対象としうるとも受け取れる」というクレームがくると首相は
一転して怒り出したといいます。そして、橋本首相自ら「ガイドラインの周辺事態は地
域の概念ではない」という珍妙な言明をして、中国に釈明しているのです。そして、高
野局長は閑職に飛ばされたというわけです。
 阿南氏はこの橋本首相に日ごろから接近し、中国には必要以上に最大限の配慮をする
という橋本氏の親中態度にぴったりの助言をして気に入られていたらしいのです。何し
ろ橋本氏は、中国人女性と非常に親密なつきあいをしていたことは周知の事実であり、
野中氏にもその疑惑があるのです。それがこの異常ともいえる媚中路線になっていると
したら、情けない話です。
 この橋本首相――2000年5月に行われた天皇、皇后両陛下のヨーロッパ訪問のさ
い、主席随員を務めているのですが、そのときの警備の件でオランダ大使をしていた池
田氏が橋本氏の指示通りにしなかったことを怒って、中国大使の人事のときに「池田は
だめだ。阿南にしろ」と人事に介入したといわれます。きわめて次元の低い話です。
 とにかく阿南大使は、中国当局の話をそのまま口移しで伝えるだけのロボット大使と
して省内でも有名なのです。日本政府はそういう人物を平気で現在でも中国大使に留任
させているのです。瀋陽事件の責任はどうなったのでしょか。・・・ [日本外交の諸
問題/08]
              

2007年11月15日

”沈黙の外交官”防衛駐在官とは何か(EJ第941号)

 外交問題のテーマは、あのニューヨークのテロの日、9月11日を念頭に置いて書い
ております。
 川口外相は、外務省改革に関連し、「変える会」の提言の目玉ともいうべき次の重要
3項目を外務官僚の反対に押されて、当初は行動計画に盛り込んでいませんでしたが、
この2日になって一転してそれらを復活させることを表明しています。これは、国民や
与党内の批判を意識して変更したものと思われます。川口氏は外務省改革を目的として
外相になったはずです。このように右顧左眄するのは見苦しいです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      1.事務次官を外務官僚の最終ポスト化し、主要大使への
        転出を認めない。
      2.報償費(機密費)使途について、一定期間後の公表を
        義務づけること
      3.外務省現職職員の子弟の外務省への採用については、
        これを自粛する
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 さて、今朝は「駐在武官」について考えます。日本だけではありませんが、世界中の
日本大使館に外務官僚とは毛色の違う外交官が配属されています。一体彼らは何のため
に駐在しているのでしょうか。
 そもそも「武官」という名称は「文官」に対応する言葉です。「文官」が表の外交官
であるとすれば、「武官」は裏の外交官であり、表には出ません。そのため、「沈黙の外
交官」と呼ばれているのです。
 つまり、在外公館に派遣されている軍人を「駐在武官」と呼び世界各国では現在でも
一般名称として使われています。日本でも戦前まではこの名称を使っていたのですが、
現在では「防衛駐在官」と呼んでいます。
 振り返ってみると、旧日本軍の駐在武官には、凄い名前が並んでいます。山本五十六
はワシントンの日本大使館付きの海軍武官でしたし、大島浩元ドイツ大使の前職はベル
リン日本大使館付きの陸軍武官だったのです。
 それでは彼らは何を任務としているのかというと、もし駐在している国で戦乱やテロ
が発生し、その国に暮らしている邦人に危害が加えられるような事態が起こったとき、
駐在武官は戦火を潜り抜け、在留邦人の脱出ルートを確保する――そのために日頃から
さまざまな情報収集活動を行う情報収集のプロ――これが駐在武官の任務なのです。
 さて、旧軍の駐在武官と現在の防衛駐在官とはどこが違うのでしょうか。その違いを
まとめると次のようになります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
        駐在武官  ・・・ 軍部から派遣され、軍の指揮下
        防衛駐在官 ・・・ 防衛庁から出向、大使の指揮下
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 本来駐在武官は軍人ですから、軍から派遣され、当然のことながら軍の指揮下に入る
のです。そして海軍から派遣される武官は「海軍武官」陸軍から派遣される武官は「陸
軍武官」と呼んでいたのです。
 しかし、日本には建前上「軍隊がない」ことになっているので防衛駐在官(ディフェ
ンスアタッシュ)は、防衛庁から外務省への出向というかたちをとるのです。そして、
防衛駐在官が戦前の武官と一番異なる点は、大使の指揮下に入るということです。つま
り、日本の場合は、武官が文官である大使の指揮下に入るということになります。
 これには大きな問題があるのです。防衛駐在官は行動のすべてを大使に報告し、防衛
庁との通信も大使館の通信員が公電を打ち、外務省を通じて防衛庁に送られることにな
るのです。非常事態にこんなまどろっこしいことができるでしょうか。これはすべて事
実上存在する軍隊を軍隊ではないという建前にしているために起こる不条理なのです。
 実際問題として、軍事の専門家でない文官の大使が武官を指揮できるはずがないので
す。そのひとつの例があります。1984年に、サハリン近海上空でのソ連軍機による
大韓航空機の撃墜事件が起こりました。
 現在、軍事評論家として活躍中の志方俊之氏は、当時在米大使館付き防衛駐在官とし
て米国にいたのです。このときは、緊急時ということもあり、外交に軍事的専門性が求
められたので、防衛庁から直接指示を受けてソ連機の無線交信のやりとりを傍受したと
されています。
 しかし、これは真実ではないのです。このときソ連機パイロットの無線交信を傍受し
解読したのは米軍なのですが、米軍が表に出るという印象を消すために、日本の防衛駐
在官がやったという発表が行われたのです。
 防衛駐在官の身分は外交特権を持つ外交官であり、書記官、参事官などの外務省での
役職を持つと同時に、陸自一佐(大佐)などの自衛隊の階級を持っているのです。した
がって、日常の執務では制服を着用するのです。それに防衛駐在官は外国では軍人とし
て扱われるのです。
 このように大使は、防衛駐在官の指揮をしなければならないのですが、大使が防衛問
題に関心がなかったりすると、その活動は非常に制限されたものになります。そのよう
な大使を順送りの人事を決めてしまうのは大いに問題があります。
 当然のことですが、駐在武官(防衛駐在官)は外交特権はあるのですが、すべての行
動は監視されています。米国は同盟国ですが、駐在武官(防衛駐在官)に渡した軍事情
報が敵対国のスパイに流れては大変だからです。まして、日本はその軍事情報が文官の
大使や通信員にも伝えられるので、同盟国といえども軍事情報を提供してくれないとき
があるのです。                ・・・ [日本外交の諸問題/09]

志方俊之氏.jpg
              

2007年11月16日

日本はハンディキャップ国家でよいのか(EJ第942号)

 各種情報によると、小泉首相と金正日総書記はいろいろな点で似ています。まず、名
前が両方とも「K.J」であること、それに加えて、午年生まれ、変人、離婚歴、今年
が還暦、ともに映画・演劇が大好き――不思議な一致です。案外意気投合する可能性も
ありそうですね。
 それにしても、まさにこれこそ首脳しかできない乾坤一擲の外交ですが、国中に期待
論が高まると、「過大な期待は困る」とか「政治生命を賭けるとはいっていない」とか
不審船の引き上げ時期を台風にかこつけて延期を画策するなど、早くも腰の引けた対応
を見せているのは、みっともない限りです。
 さて、今朝は「ハンディキャップ国家論」というものについて考えることにします。
そもそも外交以前の問題として、「日本をどのような国家にするのか」という議論があ
るべきです。外交とはそういうものを踏まえて行われるべきものです。
 しかし、今までの日本のどの首相もこれを明確にはしていないのです。つまり、国家
ビジョンが明確ではないのです。あえて国家ビジョンらしいものを探すと、「非武装中
立国家」というのがありますが、現状は非武装でも中立でもないと思います。
 このルーツを探ると、吉田茂元首相の「吉田ドクトリン」といわれるものにたどりつ
きます。吉田元首相は、総理在任中は、再軍備せず、よって憲法改正はしないという主
張を一貫して通していたのです。実は米国は、ダレス国務省顧問を通じて再軍備を強く
日本に迫っていたのですが、吉田茂は憲法を楯にして、断固それを拒否したのです。こ
れを「吉田ドクトリン」と呼び、これを永遠に信奉すべしと説く学者が多いのです。
 外交評論家の田久保忠衛氏によると、吉田首相は引退して大磯に引っ込んでからは、
憲法を改正して、再軍備すべしという意見だったというのです。田久保氏によると、こ
のことを証言してくれたのは、吉田茂が駐英大使だったとき、駐在武官をしていた陸軍
良識派の辰巳栄一氏だったというのです。辰巳氏は、吉田茂が首相になったとき、私設
顧問としてGHQとの軍事折衝役として活躍して、終生吉田茂に尽くした人です。
辰巳氏は、吉田茂には再軍備すべしといっていたそうです。吉田茂は引退してからは
辰巳氏に対し、「辰巳のいう通り、あのとき再軍備しておくべきたった」といっていた
そうです。そして、吉田茂は当時の佐藤首相、三木自民党幹事長にも自分の考え方を意
見として伝えたと辰巳氏にいっているのです。したがって、この「吉田ドクトリンを」
今もって信奉せよという考え方には問題があります。
 日本はどのような国を目指すべきか――このことに言及した人のひとりとして、小和
田恒元外務事務次官がいます。小和田氏は東京芸大学長・平山郁夫氏との「これからの
日本の行く道」と題する対談で、次の3つの方向を示しています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
            1.極東の特殊な国として
            2.普通の国として生きる
            3.ハイディキャップ国家
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 第一の道である「極東の特殊な国」とは、敗戦後多くの日本人が考えていたイメージ
の国です。国際問題に一切関わりを持たず清く、貧しく、美しく、極東の小さな島とし
て生きていくという道です。少なくとも現在の日本は、その道を選択していないことは
確かです。
 第二の道である「普通の国として生きる」とは、自由党の小沢一郎氏(現在民主党)
がよくいう「普通の国」になることです。すなわち、文字通り普通の国がするように、
自分の国を守る軍隊を持ち、欧米諸国のように、経済、政治、軍事とバランスのとれた
国家を目指す道です。しかし、日本がこの方向を目指すには、憲法改正が大前提になる
ので、そう簡単にはいきません。
 第三の道が「ハンディキャップ国家」になる道です。これは、小和田氏のことばを借
りると、次のような意味になります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       日本は過去の自己の行動や国民の信条として、日本自身が属
      する共同体たる国際社会の共同の利益のためであっても“特定
      の行動”には参加しませんということを国家として明確にする
      ――しかし、共同体の一員として責任を果たすために、他の分
      野でそれを補って余りある犠牲を払うことを求められる。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 このハンディキャップ国家論のよって立つ根拠は、吉田ドクトリンです。日本が国際
貢献を果たそうとしても軍事貢献ができないので、そこにハンディキャップを負ってい
る――だからその他の面で補わなければならないのです。他の面とは、小和田氏のいう
「他の分野でそれを補って余りある犠牲」のことであり、つまりお金です。ODAもこ
の考え方がベースになっています。
 小和田氏は、このように日本が進むべき3つの道を示し、日本がどの道を進むべきか
を明確にはしていないものの、文脈からハンディキャップ国家を目指すべきという考え
方であることが読み取れます。
 小和田氏がハンディキャップ国家論者であるということは、外務省がそういう考えで
あるということです。小和田氏の後任の事務次官で駐米大使を歴任した斉藤邦彦氏も
「私はハンディキャップ国家が日本の進むべき道であると思う」といっています。
 「ハンディキャップ国家」――何と嫌なことばでしょう。なぜ自らハンディキャッ
プがあるなどと、自分を貶めるようなことをいうのでしょうか。ハンディキャップ国家
という考え方は、村田良平氏のいう「日本は特殊な国、異端の国」という考え方にその
ままつながってきます。
 こういう方針で臨んだ湾岸戦争とテロ特措法まで作って対応したアフガン戦争におい
て日本は、国際社会からどのような評価を受けたでしょうか。
                      ・・・[日本外交の諸問題/10]

2007年11月19日

日本は歴史の囚人になってはならない(EJ第943号)

 ナイン・イレブン――昨年9月11日の米同時多発テロから4日後の9月15日のこ
とです。当時駐米大使の柳井俊二氏と政治担当公使の小松一郎氏は、国務省にリチャー
ド・アーミテージ国務副長官を訪れ会談をしています。この会談は会談そのものが極秘
扱いされ、その内容は極秘公電で日本に送られています。
 ここで「公電」というのは、大使や総領事などの在外公館長から、外相宛に送られる
連絡文書のことです。ときの外相は、改めていうまでもなく、あの田中真紀子氏です。
 柳井大使がなぜアーミテージ国務副長官に会いに行ったのかというとテロ直後からホ
ワイトハウス、国務省、国防総省の日本担当者から、「今回は日本人も多く被害にあっ
ていることであり、日本自身の問題として積極的かつ主体的な対応を求める」という要
請が相次いでいたからです。
 アーミテージ副長官が柳井大使に伝えたメッセージは次の3点です。後に有名になる
「ショー・ザ・フラッグ」です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
        1.湾岸戦争のさいの対米協力の轍を繰り返さない
        2.日の丸や日本人の顔が見える協力が不可欠なり
        3.タイミングを外さず意図表明だけでもすること
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 日本は湾岸戦争のさい、巨額の血税を注ぎ込みながら、国際的評価をまったく得られ
なかった苦い経験があり、同じ失敗はできないという思いが、政府、外務省、防衛庁の
関係者に強くあったことは確かです。それに今回は多くの日本人も亡くなっており、米
国からの強い要請をきっかけに、自衛隊の海外派遣に対するハードルは一挙に下げられ
たといえます。もちろん、小泉政権に対する高い支持も背景にあって、「今度は何とか
しなければならない」という世論が醸成されていったのです。
 駐日米大使のベーカー氏は、「ショー・ザ・フラッグ」が米国からの外圧と受け取ら
れる恐れがあるとして、その火消し活動を行っています。ベーカー氏は日本記者クラブ
での講演を皮切りにいろいろな機会をとらえて、「ショー・ザ・フラッグ」が英語の古
い言い回しであって、自衛隊の参加をストレートに求めたものではないといった言葉の
解釈に焦点を当てて、巧みに本質を覆い隠す行動をしているのです。こういうことも、
大使の重要な務めなのです。
 このようにベーカー駐日大使が火消しをやっている間もアーミテージ副長官は、日本
国内にある自衛隊の派遣不要論に対しては「そういう議論は、おびえたダチョウがやる
ように砂の中へ頭を突っ込むようなもの」と強く批判し、自衛隊には後方支援や領域警
備で重要な役割があることを強調して、自衛隊の派遣を強く求める発言を繰り返してい
るのです。
 一方、外務省は、米国側の意に沿って自衛隊派遣の流れを作ることに全力を尽くして
います。なぜかというと、外務省には「湾岸トラウマ」というものがあり、とくに当時
の柳井駐米大使と小松公使は湾岸トラウマを負う外務官僚の代表格だからです。
 というのは、柳井氏は湾岸危機当時、外務省の条約局長、小松氏は条約局の法規課長
の要職にあり、1990年秋の臨時国会に提出された国連平和協力法案(廃案)の作成
責任者として国会答弁の先頭に立っていたのです。
 その結果としての湾岸戦争の国際評価は、クウェートが発表した貢献国リストに掲載
されなかったどころではない最低の評価を受けていたのです。そのひとつをご紹介しま
しょう。
 1991年6月8日、ワシントンのコンスティテューション通りで、湾岸戦争勝利記
念パレードが盛大に行われたのです。そのときの駐米大使は、村田良平氏――村田大使
は、パレードの数日前に届いた招待状を見て愕然とします。日本の大使の席が多国籍軍
に参加した国とは違う一般席に用意してあったからです。
 村田大使は、スコウクロフト大統領補佐官と会い、「130億ドルもの貢献策が正当
に評価されていない」として、抗議したのです。その結果、やっと日本の席は特別観覧
席に移されたというのです。その特別観覧席に立ってパレードを見る村田大使の胸の中
には釈然としないものがあったことは当然でしょう。
 つまり、クウェートのみならず、当の米国自身が日本の貢献度を非常に低く見ていた
のです。そのため、同時テロの直後に柳井大使が打ったアーミテージ副長官の真意を伝
える極秘公電は小泉首相の意識を大きく変えたことは確かです。なぜなら小泉首相は、
テロ直後「テロは怖いねぇ」といった評論家のような発言をしていたからです。そうい
う意味では、前柳井駐米大使は大使としての仕事を果たしていたといえます。
 ところで、国務省副長官、リチャード・アーミテージという人物は何者なのでしょうか。
 アーミテージ副長官は、ブッシュ政権内で外交や安全保障分野の対アジア・日本政策
を取り仕切る責任者ですが、素早い決断力と行動力には定評があります。しかし、その
一方で敵も多いのです。本来、彼の役割は国務省よりも国防省の副長官の方がより適任
といえますが、彼のあまりの豪腕ぶりにラムズフェルド国防長官が恐れをなして就任を
拒否したといわれているのです。
 アーミテージ氏は日本に対して次のように忠告しています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       歴史の囚人(Prisoner of history)になってはいけない
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 アーミテージ副長官は日本が歴史の囚人になっているといっているのです。いつまで
も歴史に縛られていないで、憲法改正か解釈変更で、集団的自衛権の行使を認めるよう
迫っているのです。集団的自衛権は自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、
自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利のことです。
主権国家である日本はもちろん集団的自衛権を有しているのですが、憲法九条によって
行使できないことになっているのです。      ・・・[日本外交の諸問題/11]

リチャード・アーミテージ.jpg

2007年11月20日

自衛隊海外派遣をめぐる迷走(EJ第944号)

 1年前の同時多発テロによるアフガン戦争のさいの自衛隊の海外派遣について外務省
は、湾岸トラウマもあって非常に積極的でしたが、防衛庁となると、とても一枚岩とい
うわけにはいかなかったのです。
 防衛庁には、いわゆる「制服組」の自衛隊員のほかに「内局」と呼ばれる「背広組」
の官僚(防衛参事官)がいて、双方あまり仲が良くないのです。ところで、この内局の
官僚は何をするのが任務でしょうか。
 両者ともその位置づけ上は対等なのですが、内局は法律作成や国会答弁などで政治に
直接関与することが多いので、いろいろな面で制服組よりも優位に立っていたのです。
そういうこともあるので、総じて制服組は自衛隊の海外派遣には積極的であるのに対し
て、内局の防衛参事官は派遣に慎重姿勢をとっていたのです。
 内局は法律作成や国会答弁をする立場から、与党議員への根回しをどうするかとか、
野党の追及をどのようにかわすかということを真っ先に考えてしまうので、軍事的な合
理性を優先させる制服組とは意見が合うはずもなかったのです。
 しかし、湾岸戦争のときとアフガン戦争では、大きな違いがひとつあったのです。そ
れは首相の違いです。前者が海部首相、今回は小泉首相――両首相とも党内基盤は弱い
ですが、小泉首相は圧倒的な国民の支持率がバックにあり、それが大きな差を生んだと
いえます。もともと首相になる前の小泉は自衛隊派遣に関しては慎重派であったのです
が、首相になってからは、強力な官邸主導でコトを進めようとします。
 官邸主導の名の下で、外務省総合政策局、外務省北米局が中心となって、それに海上
幕僚監部が緊密に連携して「米軍支援に関する対応策」が練られていったのですが、防
衛庁の内局はかやの外であったようです。9月19日に小泉首相は7項目の支援策を発
表しますが、内局の幹部の大半は発表直前まで知らされていなかったといいます。
 当初海上幕僚監部防衛部は、既存の周辺事態法による自衛隊の早期派遣を考えていた
のですが、この7項目の中に「情報収集のための自衛隊艦艇の速やかな派遣」が入った
ことによって、外務省が主張する新規立法の支持に回って、ここに外務省と緊密な連携
が成立することになったのです。
 このとき海幕は、「情報収集」を名目にしてイージス艦を現地に派遣することを念頭
に置いており、それを外務省は後押しするかたちをとっていたのです。このことを事前
に情報として掴んだ米政府は大いに期待したといわれます。しかし、このあたりから制
服組の勇み足がはじまるのです。
 当時横須賀基地に米空母キティホークが停泊していたのです。その米第7艦隊司令部
から、9月21日に予定されているキティホークの出航にさいして警備要請を受けたの
です。海幕はこれを受けてキティホークの警備を認めるよう防衛庁内局に対して承認を
求めます。
 しかし、自衛隊が米艦艇を護衛するときは、米艦艇が日本防衛のために出動するとき
に限られており、湾岸戦争のとき同じように警備を求められた米空母ミッドウェーの活
動目的が日本防衛でないとして拒否した経緯があるのです。
 今回もキティホークの活動目的は日本防衛ではなく、湾岸戦争のときと同じケースで
あり、前回と整合性をとる意味でも今回も拒否するのがすじというものです。しかし、
最初から官邸と海幕に押しまくられている防衛庁内局としては、米国からの無言の圧力
もあって断ることができないふんい気だったといいます。
 結局9月21日に、横須賀基地から出航したキティホークを通常型の護衛艦で伊豆諸
島の周辺海域まで護衛出動したのです。これによって、米国側は日本はイージス艦を出
してくると確信し、水面下で日本のイージス艦派遣を織り込んだ作戦計画を練り始める
という事態になっていきます。
 しかし、ここで防衛省内局と官邸の間で食い違いが起こるのです。内局としては、キ
ティホークの護衛を事前に官邸に報告したとしているのに対し、福田官房長官は「事前
には知らされていない」として不快感を示したのです。与党の公明党の幹部からも強い
反対の声が上がり、それに突き上げられたのです。
 ここまでの経緯を分析すると、官邸は知っていたとしか思えないのです。内局から説
明を受けて了承してしまったものの、公明党などの強い反発に態度を一変させたとしか
考えざるを得ないのです。しかし、これは大きな問題となり、海幕は、イージス艦の派
遣を断念せざるを得ないことを悟ります。これによって、官邸と防衛庁内局との溝は一
層深いものになります。
 しかし、ここでも柳井大使はひと働きします。この時点では、当時の田中外相がテロ
直後の米国務省の連絡先をこともあろうに記者団に漏らすという不手際があったので、
官邸の了解のもとに田中抜き外交が公然と行われるようになっていたのです。つまり田
中外相は完全にかやの外に置かれたのです。
 柳井大使は、意見書を出して、遅々として進まない自衛隊協力を早期に実現させよう
としたのです。この意見書は、テロ対策特別措置法案成立を促進させることになったも
のの、イージス艦派遣については、意見書が米国による外圧そのものとして強い批判が
出て、結局のところ見送りとなったのです。
 一方、さっぱり情報の入らない前田中外相は、柳井大使に電話を入れ、帰国を命令す
るのです。こういう状況を見ると、当時の日本では、悪役に近かった柳井前駐米大使は
なかなかよくやっていることがわかってきますが、田中外相のやっていることは外交と
は程遠いものであったといえます。
 外務省は、表面的には激しい外務省批判を浴びながらも、海幕と組んで、テロ特措法
成立へのステップをきちんと踏んでいたことになります。
 米国がイージス艦派遣にこだわっていたのは、ディエゴガルシア島周辺での防空に加
えて、日本だけに供与しているイージス艦を投入させて日米同盟を強固にしたかったも
のと思われます。               ・・・ [日本外交の諸問題/12]


              

2007年11月21日

9月11日の奇妙な数の一致(EJ第945号)

 本日(2002年9月11日)はニューヨークの同時テロが起こってからちょうど1
年後ということになります。どうせ新聞では、これに関する特集を組むでしょうから、
重複を避けて、EJの読者である土井信俊策氏から寄せられた興味ある話題を提供しま
す。以下、原文のままご紹介します。情報提供感謝します。
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      昨年、サンフランシスコの知人から聞いたという福井の
      社長からの話に「不思議な数字=11」は偶然でしようか?
      テロの日:9月11日:9+1+1=11
      ビルに突入した機:11便
      1月1日から数えて9/11:254日目:2+5+4=11
      1年365日−254日目(当日)=111日
      米国の緊急TEL:911:9+1+1=11
      イラン・イラクの国際エリア:911:9+1+1=11
      ツインビルのLOOKS(見た形):11
      今以って、不思議な数字と感じています。
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 こういう不思議な一致というのは、他にも多く存在します。一度EJで取り上げてい
ますが、あの頃と比べると読者も大幅に増えているので再現させていただきます。
 それはケネディとリンカーンに共通する驚くべき一致です。「そんなこと偶然だよ」
といえなくなるほど、強い説得力があると思います。
 第1は、両者とも名前の文字数がともに7文字です。こんなことはよくあることで、
どうということはありません。
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     Kennedy=7文字  Lincoln=7文字
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 第2は、これら2人の大統領は、選挙で投票数が不明確ということで、あとで訂正さ
れています。そして、2人とも公民権問題に深くかかわっています。
 第3は、2人とも金曜日に妻の目の前で殺されているという事実です。これは驚くべ
き一致といえます。
 第4は、リンカーンは1860年、ケネディは1960年に大統領に選ばれているこ
とです。ともに「60」という数字に関係があります。
 第5は、それぞれの大統領の後任者は次のようにともに「ジョンソン」という名前で
あり、南部出身の民主党員で、上院議員であったということです。
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       リンカーン ・・・・ Andrew Johnson → 13文字
       ケネディ  ・・・・ Lyndon Johnson → 13文字
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 第6は、両大統領の暗殺者はともに裁判にかけられる前に殺されており、2人とも南
部の人間であることです。そしてそれぞれの暗殺者の名前の文字数は同じ数なのです。
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       リンカーン ・・・ John Wilkes Booth → 15文字
       ケネディ  ・・・ Lee Harvey Oswald → 15文字
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 第7は、リンカーンの秘書はケネディといい、彼に劇場に行かないよう進言し、ケネ
ディの秘書はリンカーンといい、彼にダラスに行かないよう進言したのですが、ともに
進言は聞き入れられず、暗殺されています。
 ちなみに、リンカーンの後継者であるアンドリュー・ジョンソン第17代大統領は、
名前の文字数の「7」にとことん支配された一生を送っているのです。
 14歳(7×2)のとき仕立屋の見習いとなり、7年間働いて21歳(7×3)のと
き仕事を辞めています。1828年(7×4)に市会議員に当選1835年(7×5)
に州議会議員に選ばれ、1842年に(7×6)に下院議員、49歳(7×7)のとき
に上院議員になっています。そして、17代アメリカ大統領に就任したとき、彼は56
歳(7×8)であり、67歳で死亡しています。
 ここまで、数合わせの話で通してしまったので、このあとも数の話を続けます。
 1995年のことを思い出していただきたいのです。この年の1月17日に阪神・淡
路大震災が起こっています。そして、3月20日に地下鉄サリン事件が追い討ちをかけ
るように起こったのです。この年は変動・騒乱の年なのです。
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        1995=1+9+9+5=24 → 2+4=6
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 「6」はユダヤ民族を支えた秘法「カバラ」では、「変動・騒乱」を意味しているの
です。これを日本に関わりのあるケースで調べてみると次のようになります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      大正12年(1923) 関東大震災
      昭和16年(1941) 太平洋戦争開戦の年
      昭和34年(1959) 浅間山大爆発/伊勢湾台風
      昭和43年(1968) 十勝沖地震/ソ連軍のチェコ侵攻
      昭和61年(1986) ソビエト・チェルノブイリ原発事故
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 現在東海地震がいつ起こるか関心が集まっていますが、次の6の年は「2004年」
です。少し心配ですね。
 なお、カバラでは「11」という数を「1+1=2」とは区別して使っています。
「10」は宇宙を象徴する完全数であり、これに1を加えることによって、完全なもの
から新しく次のものがはじまる――ニューヨークの世界貿易センタービルはアメリカ的
なものの完成された姿ととらえると、何となく符号が合ってくるような気がします。                ・・・ [日本外交の諸問題/13]

2007年11月22日

米国はなぜイージス艦の派遣を求めたか(EJ第946号)

 「イージス艦」とは、米国が独自に開発したイージスシステムを搭載した巡洋艦(護
衛艦)のことです。イージス艦は米海軍に70隻、日本に1993年から4隻(こんご
う、きりしま、みょうこう、ちょうかい)が導入されています。防衛庁は中期防衛力整
備計画(2001年度〜2005年度)に基づいて、あと2隻導入する予定になってい
ます。重要なことは、イージス艦は米国と日本にしかないのです。米国は日本だけにイ
ージスシステムを供与したのです。
 イージスシステムとは従来の防空システムでは対処できないような、多数の航空機お
よびミサイルによる同時攻撃に対処するための、高度に自動化された対空戦闘システム
のことです。「イージス」とはギリシャ神話の最高神ゼウスが女神アテナに与えた「万
能の盾(Aegis=アイギス)」 に由来しています。
 このイージスシステム――驚くべき防空能力を持っています。このシステムに付いて
いるSPY−IDレーダーは、半径500キロまでの航空機やミサイルなど、150〜
200個の目標物を同時に探知し、速度や航空経路を捕捉しながら追尾できる能力を持
っています。
 そして、情報は大型コンピュータで瞬時に処理され、敵と味方を峻別しながら一斉に
迎撃ミサイルで応戦できます。他方向から飛来する10〜20の飛行物体を同時に探知
し、対空ミサイルで撃ち落すことも可能なのです。
 これだけではありません。「リンク16」と称されるデータリンクシステムが装備さ
れており、米イージス艦とリアルタイムで情報を共有できるのです。例えば米イージス
艦のレーダー範囲外で捕捉できない飛行物体も、海自のイージス艦がそれを捕らえれば
その情報は同時に米イージス艦のレーダーにも映るので、直ちに攻撃できるのです。米
国が日本のイージス艦派遣を強く求めたのは、こういう事情があったからです。
 ここで考えるべきことがあります。それは、これほどのシステムを米国はなぜ日本に
供与したのかということです。実はこれは米議会で大変な論争があったのです。
 1988年2月4日、米国の下院における軍事委員会(海事力小委員会)において、
イージスシステムの対日売却問題について、初の公聴会が開かれたのです。その席で海
事力小委員会のベネット委員長(民主党)は、終始反対を表明したのです。その理由は
スパイ防止法がない日本では、イージスシステムの機密がソ連に漏洩する恐れがあると
いううことです。ちょうどその前年に東芝機械の対共産圏輸出調整委員会(ココム)規
制違反が起きていたので、それを引き合いに出して反対を表明したのです。
 これに対して、賛成の論陣を張ったのが当時国防次官補であったリチャード・アーミ
テージです。彼は、ソ連の太平洋艦隊に対抗するには、日本の洋上防空能力を一段と強
化する必要があり、米艦艇の安全航行につながるので、イージスシステムの対日売却は
米国にとって有益であると主張したのです。それに、政府間の武器売却で流出が生じた
ことは一度もないと述べ、機密漏洩を心配するベネット委員長を押さえ込んだのです。
 このアーミテージの主張に当時のカールッチ国防長官が支持を表明し、イージスシス
テムの日本売却が決まるのです。1988年6月24日に米国防総省と防衛庁の間でイ
ージスシステムの売買契約が締結されます。それだけにアーミテージ副長官としては、
アフガン戦争時における日本のイージス艦派遣に強い期待感を抱いたのは当然のこと
です。
 米国側としては、日本艦艇の護衛という名目でイージス艦が派遣され「リンク16」
を使えるようにしておいてもらえれば、米軍との情報交換ができ、日本側は自衛の名の
もとに、受身の状態でも、米軍の防空に大きく貢献すると期待したのです。米国は、イ
ージス艦をディエゴガルシア島と周辺の防空のための派遣を求めていたのです。
 しかし、イージス艦の派遣に対しては、自民党内には多くの反対論があったのです。
もし、日本のイージス艦のレーダーが捕捉した飛行物体は、「リンク16」により、そ
のまま情報として米イージス艦に送られますが、米イージス艦がそれに対して攻撃を加
えた場合、それは日本にとって集団的自衛権の行使に抵触するという反対です。
 しかし、あくまでイージス艦を出したい外務省と防衛庁は、次のような理論武装をし
たのです。というのは、イージス艦は強力なレーダーで周囲の状況を的確に把握できる
ので、戦闘行為が起きた場合に即座に察知し、自衛隊の活動を停止するのに役立つとす
るものです。つまり、戦闘に巻き込まれないためにこそ、イージス艦は出すべきである
という理論武装だったのです。
 しかし、自民党の総務会では野中広務元幹事長が、衆議院テロ対策特別委員会では加
藤紘一委員長が反対し、公明党も野党も慎重論が多数を占めてイージス艦の派遣は見送
りとなったのです。そして、ヘリコプター搭載の「くらま」と「きりさめ」補給艦「は
まな」の3隻が派遣されることになったわけです。その任務は「輸送と補給」に絞られ
たのです。
 しかし、それならばなぜイージス艦を導入したのでしょうか。どのようなときに使う
ことを考えているのでしょうか。建前上軍隊ではない自衛隊を持ち、多くの高性能の兵
器や艦艇・航空機を導入しながら、それをどういうときに使うのかを決めていない――
こんな中途半端なことでは国は守れないと思います。
 日本は防衛庁を国防省に格上げし、自衛隊を正式に軍隊と認めるべきです。そのため
に憲法改正の議論を行い、集団的自衛権についても議論すべきです。そうしても、日本
は他国に対して何ら脅威にならない国に既になっています。少しでも自衛力の弱い日本
を望んでいる一部の国はゴチャゴチャいうと思いますが、無視すればよいと思います。
 いずれにせよ、米国は日本がイージス艦を出さなかったことに関して大変失望してお
り、日米関係に少し影が差しています。     ・・・ [日本外交の諸問題/14]

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