どのようにして電波を突き止めたか(EJ第1165号)
1941年10月18日、ゾルゲ諜報団の無線技師マックス・クラウゼンは逮捕され
三田警察署に留置されます。取調べに当たったのは、東京刑事地方裁判所検事局の吉河
光貞検事です。その日のうちに取り調べは開始されたのですが、クラウゼンは、比較的
素直に自分がゾルゲ諜報団の一員であったことを自供しているのです。
クラウゼンが日本に潜入したのは、1935年11月28日のことですが、当時日本
は、翌年2月に起きる2.26事件の前兆とみられる事件が相次いでおり、準戦時体制
下ともいうべき状況にあったといえます。政府としては国内治安の引き締めを行い、軍
部の政治進出も顕著になりつつあったのです。
当然のことですが、外国人に対する監視体制も厳しく、外国人同士が話をする場所は
帝国ホテルのロビーぐらいしかなかったといえます。そのような状況の中で、クラウゼ
ンは赤坂の山王ホテルに1ヶ月ほど宿を取り、それからお茶の水の文化アパートを借り
て移り住みます。
そこでクラウゼンは、ウラジオストックのブィズバーデン局と交信するため、無線送
信機と受信機を組み立てたのです。送信用真空管2個については、米国で購入して日本
に持ち込み、あとは東京市内で部品を調達したというのです。
組み立てたのは、送信用真空管2個を並列に接続し、100ボルトの交流電源を使用
し、これを変圧器によって800ボルトにして働かせる米国無電アマチュア協会創案の
アームストロング式短波送信機で、アンテナ長は5〜6メートルでした。
この送信機の性能は、周波数6〜7000キロサイクル、空中線出力は15キロワッ
トで、最大通信距離は4000キロメートルは可能ということですが、確実な通信距離
は1000キロメートルといわれます。東京――ウラジオストック間の直線距離は、ち
ょうど1000キロメートルなのです。この程度であれば、手製の送信機でも十分届く
というクラウゼンの計算です。
受信機は、ラジオ受信機を買ってきてそれを短波受信用に改造しています。これで受
信周波数は40メガサイクルから60メガサイクルの波長までカバーしたといいます。
これらの無線装置は使用のつど組み立て、使用後は分解しており、非常に慎重にコトに
当たっていたことが分かります。
クラウゼンは、これらの証言を東京刑事地方裁判所で開かれた予審尋問で検事の質問
に対して行っているのです。通信の傍受に対してどのように対応したかとの検事の質問
に対して、クラウゼンは次の趣旨のことを証言しています。
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1.日本の探知機関による傍受は防ぐことはできない。通信は
必ず傍受されるという前提でコトに当たる必要がある。
2.しかし、都市市街地における方向探知は困難であり、最も
良い条件でも数キロ圏内程度の確認しかできないこと。
3.電波発射点の正確な確認は、ドイツでもそうであるように
受信機を持って巡回するしか方法はなく時間がかかる。
4.したがって、送信については毎回場所を移動し、長時間の
通信を避け、または波長を変更するなどの処置をとる。
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クラウゼンの証言の中で注目すべきは3の「電波発射点の正確な確認は、受信機を持
って巡回するしか方法はない」という部分です。クラウゼンとしては、発信電波は傍受
されても、発射点を特定するのは簡単ではないと考えていたのです。そして、そのため
に、日本の防諜機関が受信機を持って巡回することまでは、まさかやるまいと考えてい
たのです。
この判断はある意味では当っていたといえると思います。なぜなら、クラウゼンがは
じめて電波を出した1935年の年末から1941年の7年間の間に実に130回、6
万6000字の暗号通信を送ることに成功しているからです。
しかし1939年に陸軍科学研究所登戸出張所が生田村(現在の川崎市多摩区生田)
に開設されると、クラウゼンはたちまち追い詰められることになるのです。ここに「無
線の高野」という異名をとる高野泰秋少佐がいたのです。
高野少佐は、「諜者用無線機」を開発しているのですが、これは当時陸軍が使ってい
た軍用無線機とは比較にならないほど優れた性能を持っており、しかも、重量8キロで
ランドセルを一回り大きくした背負式で、どこにでも持って巡回できるという優れもの
なのです。この短波用通信機は、世界的にみても当時の最先端の技術を応用して作られ
ており、戦後GHQが注目し、朝鮮戦争で北朝鮮の通信傍受用に採用されたほどなので
す。
これに加えて高野少佐は「不法無線探知用方向探知機」なる機材も開発しています。
この機材は、ブラウン管に電波の波形を映す鑑別機を組み込んだ全波受信機です。自動
車に機材をセットして移動しながら、電波の発信地点を探知するのです。
これを使っていたのが昨日のEJでご紹介した「ヤマ」という秘密機関の乙班なので
す。乙班は、高野少佐が開発した「不法無線探知用方向探知機」を改造して3台の車に
搭載し3点測定法で不法電波の発信地点を突き止めるというもので、このチームは「移
動監視隊」と呼ばれていたのです。
実はクラウゼンの発信する電波は、東京都市逓信局によって何回も傍受されていたの
です。したがって、当局としては、スパイ団の存在は分かっていたのですが、どうして
もその発信地点を特定できなかったのです。
「ヤマ」機関の採用した3点測定法とは、3台の自動車を任意の3地点に配置し、無
線で連絡を取り合いながら探知機の操作を同時に行い、電波の発信位置を絞り込んでい
くという方法です。
この方法を使うと、相手の発信する電波の発信時間が30秒までなら、半径1キロの
範囲まで絞り込むことができるのです。これによって、クラウゼン宅は特定されたので
す。クラウゼンがまさかと思うことが「ヤマ」乙班によって実際に行われたのです。
・・・[スパイ・ゾルゲ/04]