大韓航空007便墜落事件の謎を追う(EJ第1103号)
本日からEJでは、航空機事故のテーマを取り上げることにし
ます。1983年9月1日未明にサハリン沖のモネロン島上空で
起こった大韓航空007便のソ連軍戦闘機による撃墜事件です。
数ある航空機事故の中でもっとも謎の多い事件とされています。
どうして大韓航空機撃墜事件なのかというと、EJに関連して
御巣鷹山事故ともく星号遭難事故のことを調べたさい、この事件
に関するかなり多くの貴重な資料を入手したからです。中には、
あっと驚くような情報もあります。
ところで、大韓航空機撃墜事件は、どのような事件だったので
しょうか。簡単に振り返ってみることにします。
1983年9月1日(欧米時間では8月31日)のことです。
アラスカのアンカレッジからソウルに向っていた大韓航空007
便(ボーイング747型機)が正規ルートを北に500キロも逸
脱し、サハリン上空でソ連軍(以下、ソ連と表記)戦闘機によっ
てミサイルを撃ち込まれ、撃墜されてしまったのです。乗客・乗
員269人全員が死亡するという痛ましい事件でした。
当時ソ連は、アフガニスタン戦争の泥沼から脱け出せないまま
西側との冷戦状態を崩しておらず、米ソは依然として敵対関係に
あったのです。ソ連の権力の座にあったのは、ブレジネフ書記長
のあとを継いだアンドロポフ書記長――元KGB長官でした。
これに対してときの米国大統領は、対ソ政策強硬派のタカ派と
して知られたレーガン大統領――東西両陣営が厳しく対峙し、8
年後の1991年に起きるソ連崩壊など、誰もが、予想だにして
いなかったのです。
この事件の謎は、大きく分けると次の3つがあります。
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1.北太平洋上の定期航路をソウルに向けて飛行していたはず
の大韓航空007便がなぜ大幅にコースを逸脱し、ソ連領
サハリン上空にいたったかという謎です。
2.領空を侵犯されたソ連側がスクランブルをかけて大韓航空
007便に警告を促したにもかかわらず同機は何の応答も
せず、そのまま飛び続けたという謎です。
3.最終的にソ連側によって007便の残骸は発見され、ロシ
ア時代になってからボイスレコーダも返還されたものの、
未だに遺体は戻っていないという謎です。
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1と2については、柳田邦男氏をはじめ、多くの学者や研究者
によるレポートがありますが、なぜか3については、それを謎と
いう人はいないのです。
007便の残骸が沈んでいた海域は、モネロン島北の海域とさ
れています。米ソが激しい深海戦争をやった結果、ソ連側が19
83年の10月20日にブラック・ボックスを入手していたので
す。意外なのは、かなり早い時期に見つけているのです。
1993年2月に、ICAOの調査団がロシアに赴き、当時、
海底で捜索とブラック・ボックスの回収に従事した民間の潜水員
監督官と2人のダイバーに会って、聞き取り調査をしています。
ICAO(イカオ)というのは、次のことを意味しています。
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国際民間航空機関
International Civil Aviation Organization ・・ICAO
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国際民間航空機関(ICAO)は、1947年4月4日、国際
民間航空条約に基づき、本部をカナダのモントリオールに置き、
国際連合の一部として、正式に発足しています。日本は、195
3年シカゴ条約の批准とともに、ICAOに加盟しています。
機体の沈んだ海底は砂地で、水深は174メートル、視界は約
8〜10メートルほどしかなく、そういうごく限られた視界のた
めに潜水員たちは、機体の残骸の全容を見ることはできなかった
といいます。
残骸は横に60メートル、幅160メートルの範囲に散乱し、
航空機はまさにバラバラになっていたのです。そこにあったのは
機体の金属片、衣服、文書、財布などの乗客の持ち物などです。
しかし、不思議なことに遺体は1体も発見されていないのです。
ダイバーは、潜水作業をはじめて約1週間でフライトレコーダ
を収めたコンテナ容器を発見――それから3日後にボイスレコー
ダのコンテナ容器も見つかっています。これらの目的の容器の発
見にともない、潜水作業は縮小され、11月の初めには捜索は終
了しているのです。
ロシア政府は、1993年3月11日、韓国、米国、日本の3
国からの遺族の代表に対して、モスクワのロシア外務省別館で、
ロシア側の再調査結果の説明会を開いています。
そのとき捜索活動の総指揮官であったシードロフ元海軍大将は
遺体は、手のひらの一部以外、発見されていないといっているの
です。そして、もともと捜索活動の主眼はフライトレコーダとボ
イスレコーダの発見にあり、遺体は最初から引き上げるつもりは
なかったというのです。おかしな話と思いませんか。
・・・[大韓航空01]
