指揮台に立つのが事件といわれる指揮者(EJ第1466号)
●指揮台に立つのが事件といわれる指揮者(EJ第1466号)
2004年7月13日――カルロス・クライバーという高名な指揮者がその74年の
生涯を閉じています。この指揮者、近年ほとんど演奏をやっておらず、クラシック音楽
ファンでなければ、名前を知らない人も多いかも知れません。
しかし、実演にせよ、ビデオにせよ、CDにせよ、一度でも彼の指揮する音楽を聴い
た人であれば、忘れることのできない鮮烈な印象を与える指揮者であるといえます。
指揮者というのはオーケストラで唯一楽器を演奏しない音楽家です。したがって、た
とえば、ベートーヴェンの交響曲第5番ロ短調「運命」を何人かの指揮者の演奏で聴き
比べても、少なくとも音楽の素人には、そこにはっきりとした違いを見つけられないこ
とはよくあることです。
しかし、カルロス・クライバーの場合は違うのです。たとえば彼の指揮した「運命」
は、音楽にあまり詳しくない素人が聴いても、明らかに他の指揮者との違いを感ずるは
ずです。クライバーはそれほど凄い指揮者であるといえます。したがって、カルロス・
クライバーの死は、一般の音楽ファンにとっても大きなニュースであり、EJのテーマ
として彼の音楽論を取り上げる価値はあると思います。
それはさておき、指揮者といえば、新聞などで報じられていないあるニュースがあり
ます。2004年10月23日(土)にN響のAチクルスの演奏会があったのです。N
響は、この秋のシーズンから、新音楽監督にウラディーミル・アシュケナージが就任し
ているのですが、23日はそのアシュケナージが、Aチクルスにはじめて登場したので
す。演奏曲目は次の通りです。
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≪ウラディーミル・アシュケナージ音楽監督就任記念≫
チャイコフスキー/交響曲 第3番 二長調 作品29
チャイコフスキー/交響曲 第4番 ヘ短調 作品36
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ところが、開演直前の午後5時56分に第1回目の地震があったのです。この地震は
東京でも相当揺れたので、N響側としては開演を10分程度遅らせたのです。そして、
第1曲目がはじまったのですが、午後6時30分過ぎにも地震が起こっています。
演奏は何事もなく進められましたが、あとから考えると指揮者のアシュケナージの様
子は、左手をかばうように動かさないなどどことなくおかしかったのです。その後も何
度か余震はありましたが、とにかく第1曲目は無事に終了したのです。
しかし、アシュケナージは地震のショックによって、指揮棒で左手の手のひらを突き
刺し、裂傷を負っていたのです。そのためアシュケナージは1曲目が終了すると直ちに
病院に運ばれ、第2曲目はコンサート・マスターの指揮で行われたのです。
このようなことは、普通の音楽会では起こりえないことです。しかし、それがN響の
定期公演で起こったのです。新音楽監督のアシュケナージにとって何とも不幸なスター
トとなってしまったようです。どうも今年のNHKはついていないと思います。
カルロス・クライバーの話に戻ります。こういう高名な音楽家が亡くなると、CDシ
ョップでは、追悼イベントが行われるのがつねですが、クライバーの場合、非常に遺し
た作品が少ないのです。とにかくクライバーは、指揮台に立つこと自体が「事件」とし
て騒がれるほど公演回数が少なかったので、ビデオやCDで聴ける作品は数えるほどし
かないのです。
このカルロス・クライバーのことを評して、かのヘルベルト・フォン・カラヤンは次
のようにいっています。
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この芸術家が音楽することを楽しむ機会があまりにも少ない
のは残念。彼が指揮するのは冷蔵庫の中身を補充する必要に迫
られたときだけだ。 ――ヘルベルト・フォン・カラヤン
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カラヤンとクライバーはあまり親しくはないのです。カラヤンは、生前クライバーを
ただの一度もベルリン・フィルに招くことはなかったといわれています。おそらくカラ
ヤンは誰よりもクライバーの天才ぶりを熟知しており、自分の影が薄くなるのを恐れた
のではないかといわれているのです。
しかし、クライバーの方はカラヤンを尊敬していたのです。こんな話があります。カ
ラヤンがザルツブルグ・イースター音楽祭において指揮する、「ニーベルングの指輪」
の「ジークフリート」をリハーサルしたとき、クライバーは14日間も勉強のために客
席に座り続けていたというのです。そのとき、既にクライバーは指揮者として大成して
いたのですが、彼は文字通りカラヤンのリハーサルから何かを学ぼうとしていたのです。
カルロス・クライバーは、日本が非常に気に入ったらしく、全部で5回の来日公演を
行っています。これを見ると、日本における公演回数は非常に多く、日本の音楽ファン
は恵まれていたといえます。彼はこれ以外にもお忍びで2回も来日しているのです。
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1.1974年 バイエルン国立歌劇場 ・・・・ 4公演
2.1981年 ミラノ・スカラ座 ・・・・・・ 10公演
3.1986年 バイエルン国立管弦楽団 ・・・ 8公演
4.1988年 ミラノ・スカラ座 ・・・・・・ 6公演
5.1994年 ウィーン国立歌劇場 ・・・・・ 6公演
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・・・ [クライバー/01]