篠田監督最後の作品『スパイ・ゾルゲ』(第1162号)
今週は映画の話題を取り上げます。この記事は2003年8月4日〜8日まで連載し
たものであることをお断りしておきます。
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篠田正浩監督の『スパイ・ゾルゲ』を観ました。とても印象深い映画でした。次の大
きなテーマを取り上げる前の話題のひとつとしてこの映画について書くことにします。
8月15日も近いので、ちょうどよいと思っています。
新しい21世紀がはじまってから3年が経過しましたが、ここにきて、われわれが生きてきた20世紀を見直そうとする映画監督が増えているようです。そういう作品を上げると、次の3つになります。
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1.ロマン・ポランスキー監督
『戦場のピアニスト』
2.ベルトラン・タヴェルニエ監督
『レセ・パセ/自由への通行許可証』
3.篠田正浩監督
『スパイ・ゾルゲ』
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ポランスキー監督は、ナチス占領下のポーランドに実在するひとりのピアニストを通
じて、あの時代のユダヤ人たちの過酷な生活を描いていますし、タヴェルニエ監督はや
はりナチス占領下のフランスの映画人たちの抵抗を描いています。占領はされても、ド
イツには協力しないというフランス人の心意気を描いた物語になっているのです。
そして、篠田正浩監督は、第2次世界大戦直前の日本でスパイ活動をして逮捕され、
処刑されたリヒャルト・ゾルゲと尾崎秀美(ほつみ)いう2人の人物を通して、当時の
日本の真の姿を描き出そうとしています。
これら3人の監督の生年月日は次の通りであり、ほとんど同世代の人なのです。
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ポランスキー ・・・ 1933年 8月 8日生まれ
タヴェルニエ ・・・ 1941年 4月25日生まれ
篠田正浩 ・・・・・ 1931年 3月 9日生まれ
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篠田監督は、この作品について次のようにいっています。
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日本人が忘れ去ろうとしている「昭和」
日本人が失いつつある「時代感覚」
日本と日本人が取り戻すべき「アイデンティティ」
その、まるごとを描いてみたかった。
2つの祖国を持つジャーナリストにしてスパイ、
ゾルゲという一人の≪怪物≫の目を通して ――篠田正浩
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この映画の主役リヒャルト・ゾルゲは、ドイツ人の父とロシア人の母のもとでロシア
のアゼルバイジャンで生まれ、ドイツに移り住むのです。ゾルゲが18歳のとき第1次
世界大戦がはじまりゾルゲもドイツ軍の志願兵として戦線に送られます。
そして、負傷――3度の負傷のあと除隊するのですが、戦争の無意味さを実感し、し
だいに共産主義運動に引かれていくことになります。国際共産主義世界の実現を夢見て
コミュニストになり、ドイツを離れてモスクワのコミンテルンの活動に参加するように
なるのです。コミンテルンとは、レーニンが作った共産主義インターナショナルのこと
です。
そして、活動の場を赤軍に移して1930年から上海でソ連のスパイとして諜報活動
をはじめるようになります。その上海でゾルゲは、朝日新聞社上海通信局の記者である
尾崎秀美と知り合うのです。それが尾崎との最初の出会いです。
1932年に尾崎は日本に転勤になるのですが、ゾルゲも1933年に「フランクフ
ルター・ツァイトゥング」紙の東京特派員として、諜報活動のために來日し、再び尾崎
と接触します。そして、尾崎は協力者としてゾルゲの諜報活動を助けるのです。
尾崎は、中国の専門家としての知識・識見を買われ、朝日新聞社から近衛文麿内閣の
嘱託となり、さらに南満州鉄道嘱託になって権力の中枢に入っていくのです。ゾルゲが
日本政府の極秘事項について正確な情報が得られたのは、尾崎の協力があったればこそ
なのです。
それにしても、ゾルゲの場合はわかるのですが、一高から東京帝大(現在の東大)を
出て朝日新聞社に入社――まるで絵に描いたようなエリートコースを進んだ尾崎秀美が
なぜソ連のスパイであるゾルゲに協力したのか、それがこの映画では十分描き切れては
いないと思うのです。
ただ、いえることは、当時の日本は経済がどん底の状態でありそれに軍国主義がはび
こっていて、国が良い状態でなかったこと――その反動として、当時のソ連は理想の国
という幻想があったのです。こういう日本の国情が尾崎秀美に何らかの影響を与えてい
たことは確かなのです。
ところで、ゾルゲ諜報団とはどういうメンバーだったのでしょうか。
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リヒャルト・ゾルゲ ・・・・・・ リーダー
尾崎秀美 ・・・・・・・・・・・ 近衛内閣嘱託
ブラント・ド・ヴェケリッチ ・・ クロアチア人記者
マックス・クラウゼン ・・・・・ ドイツ人無線技師
宮城与徳 ・・・・・・・・・・・ 画家
アグネス・スメドレー ・・・・・ 米国人ジャーナリスト
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ゾルゲは、駐日ドイツ大使に信頼され、大使館の中に一室をもらいます。そして、ナ
チス党員の地位を巧みに利用し、大使館経由で日本とドイツの情報を収集し、その極秘
情報をモスクワに送っていたのです。ゾルゲは、1933年から足かけ9年間、日本に
滞在し、諜報活動を続けていたのです。 ・・・[スパイ・ゾルゲ/01]