INTEC JAPAN/BLOG

このブログは、異文化研修の教育機関(株)インテック・ジャパンの情報発信用です。(株)イー・メディアとの提携により、同社のドキュメント・レポート「Electronic Journal」をウィークデイの毎日お届けします。
「Electronic Journal」は様々な情報を400字詰原稿用紙7枚にまとめて配信する日刊メールマガジンです。

トップ カテゴリー:円の支配者日銀

2008年03月24日

●構造改革しても景気は回復せず(EJ第651号)

 このテーマは、2001年7月4日から断続的に9月4日まで21回にわたって連載
されたものです。現在、日銀の総裁が空席になっており、話題を集めているので、再現
します。途中に小泉政権下の参院選のことなども出てきますが、文章は変更しないでそ
のまま掲載します。
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 「構造改革なくして景気回復なし」――いわずと知れた小泉内閣のスローガンです。
これが参議院選挙用のスローガンであるなら問題はないのです。しかし、小泉首相が本
気でこれを考えているとしたら困ったことになります。
 このスローガンの意味は、ちょっと考えると、「構造改革をすれば景気が回復する」
というように解釈できますが、そういう意味でないと思います。「構造改革をしなけれ
ば日本経済がだめになる」ことは確かですが、そうしたからといって別に景気が回復す
るわけではないのです。
「ニュースステーション」のコメンテータとして著名な森永卓郎氏はこういっていま
す。
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      『「構造改革なくして景気回復なし」という議論には致命的な
     論理矛盾がある。構造改革というのは、生産性を上げて供給力
      を増やす政策だ。しかしいまの不況は、供給力が少ないから成
      長できないのではなく、需要が少ないから成長できないのであ
      る。だから、構造改革をいくら進めても、景気回復はできない
      のだ』。(森永卓郎著、『日銀不況』より)
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 小泉首相とブッシュ大統領による日米首脳会談でブッシュ大統領は、「日本の不良債
権問題を憂慮している。小泉首相の積極的な取り組みを期待したい。米国としてもこの
問題を解決するためにあらゆるサポートをしていきたい」と表明しましたが、それは米
国にとって当然のことといえます。
 というのは、日本の金融機関がバタバタ潰れると、それらの金融機関がかかえている
膨大な米国債が投げ売りされることになります。そうすると、米国債は暴落し、米国の
金融機関は深刻な影響を受けることになるのです。そのため、米国としては不良債権の
早期処理を強く日本に求めるわけです。
 日本経済の問題を考えるとき、このあたりの理解がとても大切なのです。「失われた
10年」といわれる1990年代の日本経済の低成長の原因は、構造改革ではなく需要
の不足が引き起こしたものなのです。したがって、この問題を解決しないで景気が回復
するはずがないのです。
 日本の現在直面している課題はデフレ、それも資産デフレであり、倒産であり、失業
なのです。これは、景気の悪化によって引き起こされる現象です。それは、基本的には
日本経済に大きなデフレ・ギャップが存在していることを意味しているのです。どうい
うことかというと、経済全体の総需要が総供給より小さいことを意味しているのです。
 ですから、とにもかくにも総需要を増やす政策を実行することが急務なのです。とこ
ろが日本は構造改革をやろうとし、米国もそれを求めているのですが、先に述べたよう
に、構造改革は経済のムダをなくし、総供給を拡大する政策なのです。
 総需要の拡大が求められているのに、総供給を拡大する政策を実施したら、一体どう
なるでしょうか。デフレギャップがさらに広がってしまうことは明らかではありません
か。それでは、なぜ総需要が増えないのでしょうか。
 その原因はデフレにあります。それでは、なぜ、デフレになってしまったのでしょう
か。それは、金融政策に原因があります。金融当局が政策に失敗してデフレになってし
まったのか、それとも誰かが意識してそういう政策をとったのかです。
 「意識してデフレ政策をとるはずがない」という反論もあると思いますが、あながち
否定はできないのです。どのように考えても日本の金融当局はあまりにも愚かな金融政
策を長い間にわたって取り続けているからです。
 リチャード・A・ウェルナーという人が書いて、このほど邦訳の出た『円の支配者/
誰が日本経済を崩壊させたのか』(吉田利子訳、草思社刊)という382ページにおよ
ぶ大著があります。これによると、日銀はあえて明確な意図をもってそういう政策をと
り続けたと書かれています。
 そういうわけで、これらの資料を駆使してEJでは、断続的にその真相に迫ってみた
いと思います。
 2000年4月、森前政権が発足した当時、株価は2万円を超えていました。それか
らというもの株価は下落する一方で、2001年3月には一時1万143円まで売り込
まれたのです。1万円割れ寸前まで行ったのです。
 そして、3月19日、日銀の量的緩和策の発表、小泉政権の誕生などで一時小康状態
を保っていましたが、ここにきて再び株価は下げています。
 12チャンルのWBSに登場するエコノミストの一人であるモルガン・スタンレー・
ディーン・ウィッター証券のロバート・フェルドマン氏は、かなり早い時期から200
0年8月が景気の山であることを指摘していました。
 フェルドマン氏は、例のエコノミストベスト10の第7位にランクされる優秀なエコ
ノミストです。そうであるとすると、日本経済は去年の8月から景気後退局面に入り、
それから1年近くになろうとしていることになります。
 問題は日銀の発表です。日銀の発表はその間次のようになっているのです。
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      2001年2月  「景気は緩やかな回復を続けている」
      2001年3月  「景気は足踏み状態」
      2001年4月  「景気は調整局面」
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 現在、日本経済は企業部門を中心に調整局面に入っていますが、なぜ日銀は8ヶ月も
不況を認めようとしなかったのでしょうか。    ・・・[円の支配者日銀/01]

3月24円の支配者.jpg
               

2008年03月25日

●日銀はなぜ資金供給を絞り込んだのか(EJ第652号)

 株価が2万円を超えていた2000年4月頃のことですが、日銀の速水総裁は、ゼロ
金利解除の時期を慎重に窺っていました。そして、ゼロ金利解除のXデーを7月17日
とひそかに決めていたのです。ちなみに、ゼロ金利政策を開始したのは1999年2月
のことです。
 速水総裁としては、1998年4月から施行された新日銀法によって、日銀として念
願の強い独立性を手に入れたあとの最初の大きな金融政策が、ゼロ金利政策であっただ
けに、その解除も日銀主導で行いたいと考えていたのです。
 新日銀法が施行される1998年3月までは、日銀総裁は大蔵大臣が罷免できる権限
を有しており、日銀の権限は限定されたものだったのです。そのため、グリーン・スパ
ンFRB議長が機動的・弾力的な金融政策を行っている米国や、強い権限を行使できる
欧州の中央銀行に、日銀としては長くから憧れを抱いており、独立を勝ち取ることは日
銀の悲願だったのです。
 日銀法改正は、1997年に橋本首相の行政改革の一環として提案されています。当
時日銀副総裁であった福井俊彦氏がマスコミや政治家に働きかけ、新日銀法によって、
「金融政策の決定がより迅速かつ柔軟になり金融市場の信頼を高めることにも役立つ」
とさかんに主張したのです。
 福井氏のいうことが本当であったかどうかは後から詳しく論評するとして、速水総裁
が、迅速、柔軟、機動性にこだわったことは確かだと思います。しかし、速水総裁が最
良のタイミングとして狙っていた7月14日のXデーは実現しなかったのです。そごう
が破綻してしまったからです。
 しかし、日銀は8月11日にゼロ金利解除を断行します。何が何でもやらなければ…
という速水総裁の決断からです。しかし、8月は7月に比べてさまざまな経済指標が悪
化し、経済環境が最悪のときにゼロ金利解除を断行したのです。しかも、今から考えれ
ば、7〜9月期のGDPは前期比マイナス0.6%という大幅なマイナス成長だったの
ですから、経済に対して猛烈な逆噴射をかけたことになるのです。大蔵省としては必死
になって止めに入ったのですが、速水総裁はこれを断行してしまうのです。
 このときマスコミの反応は日銀に好意的であったといえます。当時大蔵省が悪者にさ
れていましたから日銀はよく自らの意思を貫いたと賞賛されたのです。このとき中原伸
之審議委員、植田和男審議委員は反対したと伝えられています。これについては、昨年
の8月8日のEJ438〜441で詳しく伝えています。
 しかし、皮肉なことに日銀がゼロ金利を解除した8月から景気は減速し、調整局面に
入っていったのです。日銀もそのことに気がついてはいたのですが、強引にゼロ金利を
解除したこともありそれを素直に表明できなかったのです。
 ところで、いわゆるオーバーナイト金利を0.25%上げたことがなぜ大問題なので
しょうか。当時の新聞紙上では、その程度の利上げで企業収益に大きな影響が出るとこ
ろは市場から退場すべしという勇ましい意見まで出たのです。
 これに対して森永卓郎氏は、あるシンクタンクの試算を紹介しています。
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      『中長期的な成長径路、消費者物価1%の目標インフレ率、
      需給ギャップ等を勘案したテイラー・ルールに基づいて試算す
      ると、適正コールレートはマイナス4%にも達するという。つ
      まりいまのコールレートはかりにゼロでも極端に高過ぎるので
      ある。もちろんコールレートをマイナスにすることはできない
      が金利を引き上げる政策は明らかに誤っていたのだ』。(森永
      卓郎著『日銀不況』より。東洋経済新報社刊)
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 このようにゼロ金利解除は企業に大きな負担をもたらす結果となったのですが、もっ
と大きな問題は、このゼロ金利解除を実現するために日銀が資金を絞ってしまったこと
なのです。
 市場に流通している現金――これを「流通現金」というのですが、これと日銀当座預
金の残高の合計を「マネタリーベース」といいます。このマネタリーベースは日銀が完
全にコントロールできる資金なのです。
 このマネタリーベースは1999年12月以降、いわゆる2000年問題に備えるた
めもあって対前年比で2ケタ増が続いているのですが、2000年5月以降、低下しは
じめ、12月には前年同月比マイナス1.1%、さらに、2001年1月にはマイナス
5.6%と大幅な資金供給量の減少となったのです。
 これをどのように考えるべきでしょうか。森永卓郎氏は、たった0.25%のコール
レートを守るために、資金供給をマイナスになるまで絞り込まなければならなかったの
は、それだけ実体経済が悪化していたと考えるべきであるといっています。
 これだけ資金供給を絞れば当然株価に影響を与えます。日銀が資金供給を絞り始めた
2000年5月の時点では株価は2万円ぐらいの高値だったのですが、それからみるみ
るうちに株価は下落をはじめ、2000年の年末にはバブル崩壊後の最安値となり、2
001年3月中旬には日経平均株価が1万2000円を割り込む深刻な事態となったのです。
 それでも日銀は「景気は足踏み状態」と不況を認めようとしませんでしたが、遂に金
融引締めを断念し、3月19日に金融緩和に踏み切るのです。何とちくはぐな対応では
ありませんか。
 そもそも2000年の春にわずかに出かかった景気回復の芽は、小渕政権が100兆
円もの公的資金をはたいてやっと手にしたものだったのですが、速水総裁は日銀の権威
や面子を守るために、それを台無しにしてしまったことになります。
 3月19日の日銀の決定にはいろいろな疑問があります。それは今までと180度違
う決定内容であったこと、それにそれは、日銀審議委員の中原伸之氏の年来の意見をそ
のまま取り入れたものだったからです。クーデターが起こったのではないかという意見
すらあるほどなのです。             ・・・[円の支配者日銀/02]
               

2008年03月26日

●日銀はなぜ金利を量に変更したか(EJ第653号)

 2001年3月19日、日銀は次のことを決めています。
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      1.金融市場調節の主たる操作目標をコールレートから日本銀
        行当座預金残高に変更する。
      2.新しい金融市場調節方式を消費者物価指数の前年比上昇率
        が安定的にゼロ%以上となるまで継続する。
      3.必要と判断される場合は長期国債の買い入れを増額する。
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 この内容は、1年以上前から中原伸之日銀審議委員が何度も提案し、そのつど否決さ
れてきたものです。とにかく日銀首脳は量的緩和に関して強い抵抗感を持っているので
す。
 日銀のこの決定を報道機関は「実質的なゼロ金利の復活」と表現して報道したのです
が、これは日銀の意に沿った報道姿勢といえます。しかし、ゼロ金利復活と量的緩和と
は基本的に異なるものであり、似て非なるものなのです。
 そもそも市場にお金の量を増やす――すなわち、マネーサプライを増やすには、次の
2つの方法があります。
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      1.金利ターゲッティング
        オーバーナイト・レートのようなコール・レートを手段と
        してそれを低めに誘導する方法である。
      2.マネタリーベース・ターゲッティング
        マネーサプライの基礎となるマネタリーベースを増やす方
        法である。
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 昨日も述べましたが、マネタリーベースとは、市場に流通している現金と、日銀当座
預金の残高の合計のことをいいます。日銀はマネタリーベースをコントロールできるの
です。
 これら2つの方法のうち、日銀が伝統的に採用してきた金融調節手段は「金利ターゲ
ッティング」なのです。しかし、中原日銀審議委員の主張は「マネタリーベース・ター
ゲッティング」であり、今まで一度として採用されることがなかったのに、今回は採用
されたことになります。
 日銀は、「金利」に注目する政策とマネーサプライとか、マネタリー・ベースのよう
に「量」に注目する政策との間には本質的な違いはないことをしきりにアピールしてい
ます。
 日本銀行のホームページに、「わかりやすい金融経済」というコーナーがあるのです
が、そこにそういう趣旨の説明が行われているので、読んでみていただきたいと思いま
す。

http://www.boj.or.jp/

 日銀はこの論法で、金融の量的緩和の要請が強くなるとゼロ金利政策のような金利タ
ーゲッティング政策を取り、マネタリーベース・ターゲッティングは決して取ろうとは
しなかったのに今回それをとったのは、3月19日の金融政策決定会合では何かクーデ
ターのようなことがあったのではないかと考えられるのです。
 EJで何回かにわたって説明しますが、現在の日本経済を救うには金融の量的緩和し
かないのです。しかし、日銀はこの期に及んでもそれをなるべくやりたくないと考えて
おり、その結果、政策が小出しになって効果が上がらないことが考えられます。
 しかし、日銀が強い独立性を持っている現在では、政府といえども日銀に強制してや
らせることはできないのです。つまり、金融政策は完全に日銀の手の内にあるのです。
 少し、ややこしい話になりますが、ゼロ金利政策と量的緩和政策の違いを説明しまし
ょう。
 日銀がオーバーナイト・レートをほぼゼロに設定すると、銀行の日銀当座預金(準備
預金といいます)に対する需要は増加します。そこで日銀はこの需要の増加に応じて、
準備預金というマネタリーベースの供給を増大させます。
 この準備預金をどんどん増やしていくと、やがてオーバーナイト・レートはほぼゼロ
になります。したがって、オーバーナイト・レートをゼロに誘導する方法をとっても、
マネタリーベースの供給を増やす方法をとっても、ゼロ金利とマネタリーベースの間に
は1対1の関係があり、いずれの方法をとってもマネタリーベースの供給量には変わり
はないことになります。
 しかし、オーバーナイト・レートがゼロになってしまうと、そこに限界が生じてしま
うのです。銀行はゼロ金利によって十分な準備預金を保有することが可能になり、日銀
がそれ以上お金を供給してマネタリーベースを増やしても、そのお金は仲介業者である
短資会社に積み上げられ、銀行には届かないのです。短資会社というのは、コール市場
において、資金の余っている金融機関と、それが不足している金融機関とを仲介して需
給を一致させる仕事をする会社のことです。しかし、短資会社の日銀当座預金はマネタ
リーベースには含まれないので、マネタリーベースの増加はここで行き詰まってしまう
ことになります。
 オーバーナイト・レートをゼロ以下、つまりマイナスにしない限り、マネタリーベー
スをそれ以上増やすことはできなくなります。また、銀行がその資金を貸し出しや証券
投資のために使わない限り――そういうことが実際に起こっている――マネーサプライ
の増加につながらないのです。
 このようにゼロ金利政策は、マネーサプライを増やす手段としては限界があるのです
が、この限界を打破するには、中原日銀審議委員のいうように金利ターゲッティングを
捨てて、マネタリーベース・ターゲッティングに切り替えるしかないのです。
 その具体的な手段としては、第1に短期国債現先買いオペを実施し、状況を見て長期
国債買い切りオペを実施することです。これが何を意味するかについては次回に説明し
ますが、3月19日の日銀の発表には、「長期国債の買い切りオペ」をやるといってい
るのですから、今までの日銀とは明らかに違います。 ・・・円の支配者日銀/03]

3月26中原審議委員.jpg
               

2008年03月27日

●短期金融市場はどういう市場か(EJ第654号)

 日銀の問題を考えるとき、短期金融市場(以下、コール市場)についての理解が必要
になります。EJでは何度かやっていますが、今朝はこれをもう少し詳しく説明するこ
とにします。
 コール市場とは金融機関の間で資金を融通し合う市場のことです。コール市場の「コ
ール」という言葉は、呼べば直ちに戻ってくる資金(money at call )という意味で、
ごく短期の資金を意味しているのです。
 1997年11月17日に北海道拓殖銀行が、26日には徳陽シティ銀行が破綻した
のですが、直後に取り付け騒ぎが起こっています。実は、その破綻の前にコール市場と
いうプロの市場で取り引き停止が起こっていたのです。コール市場で破綻両行は企業と
しての信用を失い、資金繰りがつかなくなりそれが破綻の直接の原因となったのです。
 それでは、コール市場と日銀はどういう関係にあるのでしょうか。これを明らかにす
る必要があります。
 銀行は日銀に当座預金口座(日銀当座預金)を持っています。日本の銀行は、銀行の
銀行である日銀の当座預金に「準備預金」というかたちで、一定のお金を預けることを
義務付けられているのです。これを準備預金制度といいます。
 準備預金は、銀行の預金量の割合に応じて決められています。準備預金に金利はつか
ないので、各銀行は決められている額ぎりぎりしか積みません。毎月16日から翌月1
5日までの平均残高でいくらというかたちなので、平均的に積むのか最初はあまり積ま
ずあとからたくさん積むのか、あるいはその逆で行くのかは銀行にまかされています。
もし、所要額に達しないと「過怠金」を納めさせられることになっています。
 われわれが銀行から預金を取り崩して現金を引き出すと、その銀行は日銀当座預金か
ら準備預金を引き落として対処します。年末には多くの預金が引き出されるので、銀行
は多額の現金を用意する必要があります。
 日銀の地下の大金庫から各銀行に向けて紙幣が大量に運び出されるのですが、これに
より各銀行の準備預金は減少します。一定の準備預金を積むことを義務づけられている
銀行にとっては「資金不足」の要因になります。
 さて、個人や企業が銀行預金を取り崩して税金を政府に納めれば、銀行の準備預金は
減少し、その代わり政府が日銀に預けている預金が増加します。逆に政府が公共事業費
などを民間に支払えば、政府預金が減少して、準備預金は増加します。
 経済全体の資金の過不足は、このように民間と銀行との現金のやりとりと、税金の支
払いによって変化するのです。こういう資金の過不足は個々の銀行によって違いがあり
銀行同士での頻繁な資金の融通が必要になります。この資金繰りを毎日行っているのが
ール市場なのです。
 このコール市場の金融コントロールを行うのは日銀です。市場の資金過不足の状況を
把握し、市場に資金を供給したり、回収したりするのです。この行動を「金融調節」と
いいます。法人税などの納付期限やボーナスの支給などの季節的要因による資金量の変
動を最小限にコントロールのも金融調節です。
 市場関係者が注目しているのは日銀の金利政策です。日銀は資金供給を意図的に絞っ
たり、緩めたりして、政策意図を市場に伝えます。日銀が短期金利を高くしようと思え
ば、資金供給の量を絞り、銀行が準備預金を積み立てるペースを遅らせます。そうする
と、銀行の資金繰りは苦しくなり、コール市場の需給は逼迫し金利は上昇します。
 この金融調節で日銀が直接の誘導対象としているのは、翌日物の「無担保コールレー
ト」(オーバーナイトレート)です。この金利を調節することによって銀行の貸出しを
増減させることができるのです。
 日銀による金融調節には、公定歩合での「日銀貸し出し」という手段もあります。こ
の「銀行貸し出し」は、銀行が金融市場から調達するコールレートよりも公定歩合が低
いときは銀行としてうまみがあったのです。例えば、公定歩合がコールレートよりも1
%低いとき、1000億円の貸し出しを受けると、年間10億円儲かるのです。これは
銀行の収益支援となります。
 日銀はそういう意味で銀行の生殺与奪の力を握っており、日銀に協力的でない銀行は
「日銀貸し出し」が受けられなかったり、「日銀貸し出し」を引き上げられたり、準備
預金が積み立て不足のときに貸してくれなかったり、いろいろいじわるをされることが
あるそうです。こういうぎりぎりの嫌がらせのことを日銀内では「焼き鳥」と呼んでい
るのです。「東海銀行を焼き鳥にする」などというのです。こういうところが日銀の不
正の温床となっているのです。また、日銀と短資会社との癒着も取り沙汰されています
が、これについては明日お話しします。
 さて、北海道拓殖銀行破綻のさいの日銀の行動をチェックしてみます。1997年1
1月15日が土曜日であったこともあり、14日の金曜日が日銀への準備預金の積み上
げ最終日に当ってたのです。ところが拓銀は資金の調達はできず、100億円を超す積
み不足が生じていました。普通ならコール市場で金融機関から融通できるのですが、す
でにこの時点で、コール市場において拓銀向けに資金を出す金融機関はなくなっていた
のです。
 しかし、日銀は14日の時点で拓銀が実質上債務超過にあることが分かっていたので
日銀は何もせず、翌15日に拓銀経営陣は自力再建を断念するのです。拓銀が破綻を発
表したのは17日のことです。拓銀はすでにコール市場において破綻を宣告されていた
のです。                    ・・・[円の支配者日銀/04]

2008年03月28日

●短資会社は日銀の天下り業界(EJ第655号)

 先週のEJで日銀の隠語「焼き鳥」についてお話ししましたが実際に行われた「焼き
鳥」の例をひとつご紹介しましょう。
 1995年12月のことです。かねてから三和銀行は、他行が準備預金の積み立てが
終り、コールレートが下がった頃を見計らって資金調達を繰り返していることについて
他行から「金融村の秩序を乱す」とクレームがきているので、日銀は三和銀行を「焼き
鳥」にしたことがあるのです。
 さんざんいじわるをして「日銀貸し出し」をしたのですが、貸し出しにさいして担保
の積み増しという制裁を課したのです。三和側は、制裁の早期解除を目指して接待を繰
り返し、その見返りとして何とか早期解除を認めてもらったそうです。
 1991年、東海銀行の不祥事にからんで日銀OBの幹部が処分されたのを不満に思
った日銀が、東海銀行に対する「日銀貸し出し」を1000億円程度回収した例もある
のです。旧大蔵省といい、日銀といい、外務省といい、この国は本当におかしくなって
いると思います。
 コール市場における資金の貸し手と借り手は、短資会社によって結びつけられます。
つまり、資金を借りたい銀行と貸したい銀行を結びつける仲介の働きをする会社が短資
会社です。短資会社は、どの都市銀行にどけだけカネを配分するかの事実上の決定権を
握ります。
 それでは、短資会社というのはどういう会社でしょうか。
 短資会社は、国内で6社しかないのです。コール市場は東京、大阪、名古屋の3ヶ所
あります。とっても別に証券取引所のような場所があるわけではなく、電話によって取
引が行われる、いわゆるテレフォン・マーケットです。
 短資会社の名前と場所、それにランクは次の通りです。
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          ≪東 京≫      ランク
           東京 短資      上位
           日本 短資      中位
           山根 短資      中位
          ≪大 阪≫
           上田 短資      上位
           八木 短資      下位
          ≪名古屋≫
           名古屋短資      下位
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 長い間、国内6社独占でやってきたのですが、1993年に日英合弁の外国為替ブロ
ーカー、ハトリ・マーシャルが参入して国内独占に風穴が空いたのです。
 東京短資と上田短資は上位短資とランクされていますが、儲け過ぎているという批判
があります。上位短資は、会社の規模からすると、異常に大きな内部留保を積み、みか
けの利益をわざと小さく操作しているという批判があります。
 この国内6社すべてに代表権を持つ役員に日銀OBがいるのです。日銀は平取締役ま
で含めれば、1社2、3人もOBを送り込んでおり、短資業界は日銀の天下り業界と化
しているのです。
 これら6社がどのくらいの営業収益(手数料収入)を上げているか、なるべく近い決
算月で比較してみます。
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                 営業収益       決算月
       東京 短資  260億3700万円  1996.11
       日本 短資  212億1400万円  1996. 9
       山根 短資  267億3100万円  1996. 5
       上田 短資  219億1300万円  1997. 2
       名古屋短資   74億2500万円  1997. 1
       八木 短資  106億2300万円  1996.10
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 これら6社の資本金がいずれも1億〜3億円であることを考えると、莫大な利益を上
げていることがわかると思います。コール市場の手数料は固定されていて、弱小短資が
赤字にならない程度に設定されているのです。
 日銀の短資会社に対する保護措置は目に余るものがあります。
 信用金庫関係者の話によると、愛知県の信用金庫は名古屋のコール市場にしか資金を
出せないのであるといいます。弱小の名古屋短資を助けるための措置です。それでいて
静岡県の信用金庫は、東京のコール市場に資金を出せるのです。
 また、1997年11月に日銀は「債券貸借オペ」という新方式のオペレーションを
導入するさい、対象として30の金融機関を選定したのですが、多くの都市銀行が選定
から外れているのに短資会社は6社とも全部対象になっているのです。債券貸借オペの
実績のある都市銀行から不満が強まり、基準の公開が求められていますが、日銀は基準
を公表していないのです。
 短資会社幹部が日銀幹部の接待をすることは日常茶飯事となっており、その狙いは日
銀の金融調節の情報の入手にあるとされています。収賄容疑で逮捕された吉沢容疑者の
容疑事実の中にも接待の見返りとして、「日本銀行の金融調節、他の市中銀行の動向に
関する機密情報の漏洩」が上げられていますが、金融市場の公正さを守る日銀にとって
考えられない不祥事といえます。
 大蔵省の金融行政は護送船団方式として批判されましたが、日銀も自分の庭先で似た
ようなことをやっているのです。外からよく見えない分、大蔵省よりも日銀の方がタチ
が悪いといえると思います。その日銀が独立性を手にして、日本の金融政策は日銀が握
っているのです。                ・・・ [円の支配者日銀/05]

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