INTEC JAPAN/BLOG

このブログは、異文化研修の教育機関(株)インテック・ジャパンの情報発信用です。(株)イー・メディアとの提携により、同社のドキュメント・レポート「Electronic Journal」をウィークデイの毎日お届けします。
「Electronic Journal」は様々な情報を400字詰原稿用紙7枚にまとめて配信する日刊メールマガジンです。

トップ カテゴリー:日本人のルーツ

2008年05月29日

『神』の字のつく3天皇は実在天皇(EJ第587号)

EJでは日本人のルーツについてメスを入れています。今日から連載するレポートも
そのひとつです。なお、このレポートは、2001年4月2日から4月16日まで、1
1回にわたって連載したものであることをお断りしておきます。
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 今朝から古代史の話をします。古代史の話といっても漠然としていますが、EJで取
り上げているのは日本人のルーツにマトを絞っています。自分の国の歴史がはっきりし
ない国は先進国では日本くらいのものです。また、他国から抗議されて教科書の歴史的
事実を書き替えることを繰り返す国もおそらく日本しかないでしょう。
 なぜ、そうなってしまうのでしょうか。本来であれば重要な手がかりになるべき「古
事記」や「日本書紀」などの国の歴史書に大きな謎と意図的なウソの記述があり、本当
のことがわかりにくくなっているからです。国際化時代になって、諸外国の人と接する
機会の多い世の中では、自分の国についてきちんとした歴史観を持っていることは大切
なことであると思います。
 「日本書紀」は、一般には神武天皇以来連綿と続く万世一系の皇統の歴史を綴った書
物といわれています。「万世一系の皇統」とは戦前までよく聞かれた言葉ですが、要す
るに天皇家は世襲制で連綿としてつながってきたということを意味しているのです。
 しかし、「日本書紀」の内容を仔細に検討すると、一方で万世一系の皇統といいなが
ら、他方で王朝交代の可能性を認めているところがあるのです。
 実は、「日本書紀」には、2つの大きな物語というか2つの世界があるのです。その
1つは、初代の神武天皇に始まり、応神天皇に終る物語です。もう1つは、仁徳天皇に
始まり、武烈天皇に終る物語です。
 一応「日本書紀」では、前半の最後の天皇である応神天皇と、後半の最初の天皇であ
る仁徳天皇は父子関係で結んでいるので、皇統はつながっているようにみえます。しか
し、応神天皇と仁徳天皇は父子関係ではないとする説が多いのです。
 『天皇誕生』(中公新書刊)の著者である遠山美都男氏によると、「日本書紀」の後
半の世界では、前半の世界のような世襲ではなく、中国のように天命を受けて成立し、
天命が離れることによって崩壊する王朝が、日本にもあったという事実を示していると
いうのです。大和朝廷の成立の謎を解くには、天皇がどのようにして誕生し、続いてき
たかということを明らかにする必要があると思うので、そういう角度から考察して見る
ことにします。
 初代の天皇は神武天皇です。神武天皇以下、15代までの天皇を並べてみます。
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        1.神武天皇*  6.孝安天皇  11.垂任天皇
        2.綏靖天皇   7.孝霊天皇  12.景行天皇
        3.安寧天皇   8.孝元天皇  13.成務天皇
        4.懿徳天皇   9.開花天皇  14.仲哀天皇
        5.孝昭天皇  10.崇神天皇* 15.応神天皇*
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 戦前は「じんむ、すいぜい、あんねい、いとく、こうしょう、こうあん、こうれい、
こうげん・・・」というように暗記させられたということです。国として「万世一系の
皇統」というものを国民に意識づける狙いがあったと思いますが、実際にはこれだけの
数の天皇が本当にいたかどうかは非常に疑問なのです。
 この15代の天皇のうち、名前に「神」が入る天皇は3人――神武、崇神、応神――
います。これら3人の天皇の業績や記述は非常に多いのです。したがって、これら3人
の天皇は実在したとみられていますが、他の天皇に関しては実在したかどうかについて
さまざまな意見があります。
 はっきりしていることは、第2代の綏靖から第9代の開花までは、その歴史的な記述
がほとんどなく、実在しなかったのではないかといわれています。これは「欠史8代」
といって専門家も認めている事実です。
 神武天皇は、その生まれも育ちも九州であり、彼にとって九州以外の国は未知の世界
だったのです。「魏志倭人伝」によると、当時九州にはいくつか大きな国があったとさ
れており、神武天皇は、それらの国を束ねる大王ではなかったかと思われます。
 その神武天皇の前に「塩土老翁」なる人物が現れ、「東の方によい土地があり、青い
山脈が取り巻いている。その中に「天磐舟(あまのいわふね)」に乗って下ってきた者
がいる」ということを伝えたのです。
 ここで「東方」とは、具体的には「畿内」のことを意味しています。畿内とは、現在
の京都、奈良盆地一帯を指します。神武天皇の関心は東方に向けられ、そこに都を作ろ
うと大軍を率いて東に向かうのです。これが有名な神武天皇の東征です。
 ところが当時畿内には既にニギハヤ命(ニギハヤのみこと)という人が畿内を制覇し
ており、畿内王朝を形成していたのです。そこに神武天皇軍が攻めてきたのですから、
王朝をかけた戦争になったのです。
 ニギハヤ命にはナガスネヒコという武将がおり、神武天皇軍を相手に獅子奮迅の活躍
をするのです。そのため神武天皇軍は大苦戦を強いられます。神武天皇は太陽の国であ
るわが軍が太陽に向かって戦うのは不利と悟り、いったんは兵を引きます。そして、紀
伊半島をぐるりと回り、熊野地方から上陸して紀伊半島を北上し、吉野を超えて再びナ
ガスネヒコ軍と対峙します。
 今度は、太陽を背にしての戦いであり、ナガスネヒコ軍を圧倒します。このときどこ
からともなく金色の鴉(とび)が飛来して神武天皇の弓の先に止まり、あたり一面に金
色の光を発光します。これがナガスネヒコ軍の戦意を喪失させて神武天皇軍を勝利に導
いた話はあまりにも有名です。神武天皇は大和に入ると、橿原宮を建立して正式に初代
天皇に即位したのです。
 歴史的記述を調べると、神武天皇については、いま述べたようにその即位までの記述
は豊富であるのに天皇に即位してから業績は不明なのに対して、崇神天皇の場合は天皇
に即位してからの業績は詳細なのです。つまり、両者を合わせて1人前なのです。この
ことから神武天皇は架空であり、崇神天皇が初代の天皇であるという説があるのです。                 ・・・[日本人のルーツ/01]

2008年05月30日

天照大神は男性神である?(EJ第588号)

古代の天皇系譜の話をするとき、神話の話を避けては通れません。しかし、神話の話
をすると、かなり難しい漢字を使うことになります。一応テスト送信して表示されるこ
とを確認してはおりますが、EJを受け取るPCの環境によっては、文字が正しく表示
されなかったり、印刷をすると文字が欠落することもありますのであらかじめご了承願
います。
 昨日のEJで、神武天皇に続く第2代の綏靖天皇から開花天皇までの8代は、架空の
天皇であり崇神天皇が初代の天皇である、という説があるということについて述べまし
た。問題は、神武天皇の扱いです。
 アカデミズムでは、神武天皇を含む9代の天皇はすべて架空の天皇であり、崇神天皇
が初代の天皇であって天皇即位までの神武天皇に関する記述は、すべて崇神天皇のそれ
であるという立場に立ちます。
 これに対してもう少し大胆な意見があるのです。それは、神武天皇と崇神天皇は同一
人物であるという説です。確かに両天皇について伝えられていることは、2人分合わせ
て1人分であり、同一人とみると納得がいきます。
 それを証明するのは、両天皇のもうひとつの名前なのです。
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      神武天皇=始馭天下之天皇 ・ ハツクニシラススメラミコト
      崇神天皇=御肇国天皇 ・・・ ハツクニシラススメラミコト
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 これらの難しい言葉は、どちらも「初代天皇」の意味であり、同じ呼び方をするので
す。したがって、両天皇は同一人物であるという説です。アカデミズムは、神武天皇も
架空であるとするのが定説になっていますが、神武天皇を架空と決め付けるのはやや問
題があります。どうしてかというと、神武天皇がさまざまな名前で全国の神社に祀られ
ており、その存在を否定することは困難であるからです。
 古事記と日本書紀には多くの神話が載っています。その解釈は難解であり、それを解
くかぎは実は神社にあります。神社に残る神々の伝承の研究こそ、日本神話の深層に迫
る方法といえます。こういう神社の伝承から古代史を調べ直す方法を神社伝承学という
のですが、こういう観点からのアプローチも必要なのです。
 全国の神社にはいくつかの種類があることがわかります。村の鎮守の神社、多くの人
の崇敬を集める大社、そしてかつて国を挙げて祀っていた神宮――いずれも格が違いま
すね。
 中でも、日本において最も重要な神社というと、やはり伊勢神宮ということになりま
す。この伊勢神宮は日本の神社の頂点に君臨しているのです。
 一口に伊勢神宮といいますが、別宮と摂社、末社、諸管社などを含めると、全部で1
25社から成るのです。伊勢神宮とはそういう神社の総合体なのです。しかし、中心と
なる神社は次の2つなのです。
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       内宮 ・・・・・・ 天照大神(あまてらすおおみかみ)
       外宮 ・・・・・・ 豊受大神(とようけのおおかみ)
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 両祭神は同列ではなく、豊受大神は天照大神の食事を用意する役割を担っているとい
いますから、中心は内宮にあります。つまり、伊勢神宮の内宮は日本の神社の頂点であ
り、その祭神である天照大神は神道における最高神とされているのです。
 また、天照大神は「皇祖神」ともいわれます。皇とは「皇室」のことですから、天照
大神は天皇家のご先祖様ということになるのです。しかし、この天照大神――実に大き
な謎につつまれているのです。
 実は、この天照大神、古事記と日本書紀ではその表現のしかたが違うのです。古事記
には、「天照大御神」とあり、日本書紀には「大日?貴(おおひるのむち)」とあります。
 ところでこのことばですが、そのまま訳すと「太陽神を祀る巫女」という意味になり
ます。そうすると、天照大神は、太陽神を祀る巫女にして高天原の支配者ということに
なります。これに該当する人物が、邪馬台国の女王といわれる「卑弥呼」なのです。し
かし、そう結論づけるにはいくつもの問題点があるのです。天照大神は果たして卑弥呼
なのでしょうか。
 記紀神話において天照大神は明らかに女性なのです。しかし、神社伝承学では別の立
場に立ちます。なぜかというと、神社で祀られている天照大神はいずれも男性神である
からです。
 天照大神を祀る神社は多くあります。奈良県桜井太田の「他田坐天照御魂神社」、奈
良県磯城郡田原本町にある「鏡作坐天照御魂神社」、兵庫県竜野市の「粒坐天照神社」、
京都府福知山市の「天照玉命神社」、京都府京都市の「木嶋坐天照御魂神社」などは、
いずれも男性神として天照大神を祀っているのです。
 これらの神社に祀られている天照大神の正式名を調べてみると、「天照国照彦天火明
櫛甕玉饒速日命」という非常に長い名前なのです。これは明らかに複数の神の複合体で
す。
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           天照国照彦 ・・・・ 天照大神
           天火明 ・・・・・・ 火明命
           櫛甕玉 ・・・・・・ 大物主命
           饒速日命 ・・・・・ ニギハヤヒ命
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 ここで重要なのは「ニギハヤヒ命」です。神社伝承学の立場では天照大神を太陽神を
祀る巫女とニギハヤヒ命を分けて、それぞれが別神としているのです。この考え方に立
てば、天照大神が男性であっても矛盾はないわけです。
 神話の世界に深入りすることは避けますが、いろいろな点から検証すると、天照大神
をあらわす上記の4神はどうみても同一人物なのです。そうすると、天照大神は男性神
ということになります。これについては明日検証したいと思います。
                        ・・・[日本人のルーツ/02]

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