INTEC JAPAN/BLOG

このブログは、異文化研修の教育機関(株)インテック・ジャパンの情報発信用です。(株)イー・メディアとの提携により、同社のドキュメント・レポート「Electronic Journal」をウィークデイの毎日お届けします。
「Electronic Journal」は様々な情報を400字詰原稿用紙7枚にまとめて配信する日刊メールマガジンです。

トップ カテゴリー:ノアの洪水

2007年01月16日

地球には明らかに水が多すぎる(EJ第998号)

 われわれの住んでいる地球が「水惑星」といわれているのをご存知でしょうか。
 地球の地表の3分の1は海です。そして、北極と南極には氷山と氷床があります。そ
うすると、地球上のかなりの部分は水で覆われていることになります。他に水のある惑
星というと、火星や金星がありますが、地球ほどの水はないといわれています。
 「この多すぎる水はどこからきたのか」――と考えたことがあるでしょうか。実は、
世界中の多くの学者がこのテーマに挑んでいるのですが、今のところその謎は解明され
ていないのです。
 「何とかして地球上の水を減らすことはできないか」――これが実現すると、人間の
住む土地が増えるので人類にとって意義のあることです。しかし、減らすどころか、最
近の地球の温暖化現象で、氷山が溶けて逆に水が増え、人間の住める土地が少なくなり
つつあるようです。
 「海」はどのようにしてできたのでしょうか。
 約46億年前のことです。太陽系3番目の惑星である地球が誕生したのですが、その
とき地球はマグマ・オーシャン(マグマの海)の状態で、岩石がドロドロに溶けて地表
を覆っていたといわれています。
 岩石の中には水が化合物の状態で存在します。そのため岩石が溶岩状になると、岩石
の中の水の化合物が水蒸気となって出てきます。この水蒸気が空気中に放出されると雨
雲が形成され、それが雨となって地上に落ちてきます。しかし、地上が熱いうちは雨は
水蒸気となって空に発散し、また雨雲を形成します。
 しかし、地球誕生から約6億年が経過すると、地表の温度は摂氏100度を切るよう
になり、雨はそのまま地上に止まるようになって、少しずつ海が形成されていったわけ
です。
 ところで、水が液体の状態でいられるのは、次の条件が必要なのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       1気圧の下で、地表の温度が摂氏0度以上100度未満
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 地球が誕生して約6億年が経過してやっとこの状態になったのというわけです。もう
ひとつ――太陽から受け取るエネルギーは地球上で1分間に1平方センチメートル当り
約2カロリーといわれています。
 ところで金星は、この太陽から受け取るエネルギーが地球の2倍なのです。これによ
って、金星の地表温度は摂氏500度近くまで上がってしまいます。逆に、太陽から受
け取るエネルギーが2%減少すると、地球は全面凍結してしまうといわれています。
 地表温度が下がって地表が凍結し、雪や氷で覆われると、今度は太陽光が反射してし
まい、太陽から受け取るエネルギーがさらに少なくなって一層地表温度が下がるという
悪循環がはじまるのです。すべては、太陽しだいであり、地球上の生命を保つ環境は微
妙なバランスの上に成り立っているのです。
 水はこのようにかけがいのない貴重なものですが、地球上の水は、いささか多すぎる
と考えた人がいます。高橋実さんという日本人の科学者です。考えてみれば、人類はぎ
りぎりの水際に住んでいるといえます。よく晴れた日に飛行機から下を見ると、それが
よくわかります。東京にしても、ニューヨークにしても、ロンドンにしても、上海にし
ても、ほとんどの大都市が海面すれすれのところに展開されているのです。
 もし、南極の氷がとけて、海面が5メートル程度上昇すれば、すべてが海に沈んでし
まうのです。ちなみに、南極の氷がすべてとけてしまうと、世界の海面は150メート
ル上昇するといわれています。地球の温暖化が進むと、南極の氷はとけることになりけ
っして非現実的な話ではないのです。
 高橋氏は冒頭のテーマ――「何とかして地球上の水を減らすことはできないか」を本
気で考えて、科学者らしく計算をしてみたのです。その結果、このことが人智の及ばざ
ることであることを悟ったといいます。
 どういう計算かご紹介しましょう。
 海面を100メートル下げることを考えたとします。そうすれば、地球上に多くの陸
地ができることになります。これを実現するには、3.5京トンの海水を氷にして、そ
れを南極大陸に積み上げる必要があるのです。「京」という単位は、「兆」の1万倍と
いう途方もない単位です。
 しかし、海水を氷にしてそれを南極大陸に積み上げるのに、石油が動力源として20
兆トン必要になるのです。ところが石油の埋蔵量は、大陸ダナのありったけを見積もっ
ても2兆トンぐらいにしかならないというのです。これは、しょせん不可能なことであ
るわけです。
 ところで、大陸の氷がとけて海水になるという理屈は納得できますが、氷はなぜでき
たのかということに関しては、はっきりしていないのです。素人的に考えると、気候の
変化に決まっているということになります。確かに極冠と呼ばれる南北両極圏の氷は、
地球上でできたものと考えられます。
 しかし、氷について不可解なのは、二畳紀といって今から約2億年くらい前の、古生
代末期に近い頃の地層に発見される氷河の痕跡です。これがオーストラリア大陸にも南
米大陸にも分布しているばかりではなく、アフリカ大陸の中央部、赤道直下にも、それ
から、赤道の北にも南にも広く発見されているのです。
 この氷はどうしてできたのでしょうか。素人は、当時はきっと寒かったのだろうと簡
単に考えていますが、高橋氏は氷の分布状態から考えて、それでは説明がつかないとい
っています。
 「氷は地球の寒暖と関係なしにできたものらしい」が、「氷がとけるときは、寒いと
ころはとけ残り、暑いところはとけて海水になる」――高橋氏はこのように考えて、壮
大な仮説を組み立てるにいたるのです。        ・・・[ノアの洪水/01]

地球.jpg

2007年01月17日

ノアの洪水の神話は史実である(EJ第999号)

 「地球の水は多すぎる」――日本人の科学者、高橋実氏はこのように考えたのですが
問題はこの水がどこからやってきたのかがわからないのです。
 現在の地球で増水するという現象は、大量の雨が降るか、南北両極圏の氷がとけるこ
としか考えられません。高橋氏が考えたのは前者の「大量の雨」――すなわち、「洪水」
それも「ノアの洪水」だったのです。「どうもイマの地球の水の一部は、ノアの洪水の
時の水なのかも知れない」――高橋氏は、このように考えたのです。
 ところで、「ノアの洪水」についてあなたはどのように考えているでしょうか。
 大部分の人は、ノアの洪水は聖書の中の話、すなわち、神話であると考えていると思
います。確かに、ノアの洪水の話は「旧約聖書」の「創世記」に記述されています。
 しかし、聖書は実際に起こったことを述べているというよりもキリスト教的な啓示と
してとらえるものとされており、その関心の中心はもっぱら遠い過去の出来事の中に、
現在と未来の神の予言を見出すことに向けられていたといえます。
 そのため「洪水」は、この世の終末(最後の裁き)を予示するものとしてとらえられ
ています。これに関連して、マタイの福音書には、次の記述があります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。すな
      わち、洪水の出る前、ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い
      飲み、めとり、とつぎなどしていた。そして洪水が襲ってきて
      いっさいのものをさらっていくまで彼らは気がつかなかった。
      人の子の現れるのも、そのようであろう。
                   ――マタイ福音書24:37−9
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 こういう思考の流れから、ノアの洪水を実際に起こった史実としてとらえるのは困難
なのですが、高橋氏はあえて実際に起きたこととして、とらえてみることに挑戦したの
です。このように考えると、実はいろいろな謎が解けてくるのです。
 その謎のひとつに「マンモスの謎」があります。
 マンモスの冷凍体が、北シベリア(ベレゾフカ)のツンドラの中で発見されたのは、
1799年のことです。今から203年も前のことです。このマンモスの冷凍体はよく
保存されていて、まるで冷凍牛肉のように新鮮だったそうです。
 このマンモスの冷凍体から、胃の中や歯の間などにあった未消化の草や木の葉が発見
されたのです。この事実から考えて、次のことがいえるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      マンモスは食事中か食事直後か、それが消化し切れないほどの
      時間内に何らかの原因で突然殺されている。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 どういうことかというと、マンモスは食事中か食事が終ったとたん、そのままの状態
で、いきなり冷凍されてしまっているのです。その死因は何だったのでしょうか。
 謎は長い間とけなかったのです。20世紀の後半に入ってからマンモスの歯の間や胃
の中にあった木の葉が、マンモスの冷凍体の発見されたツンドラ地帯に生えていないと
いうことがわかったのです。その木の葉は、1000マイルも南の暖かいところにしか
生えていないのです。
 もうひとつ、マンモスの死因は「溺死」という説が出てきたのです。これは、南米の
アンデス山脈の高地からあるはずのない貝殻が見つかったことから、マンモスは突然の
高潮に襲われたという説から出てきたのです。いずれにせよ、人類が体験したことのな
い突然の気候の急変によって、マンモスは一挙に寒冷の地に運ばれたというのです。
 高橋実氏は、その著書において、これに関して次のように述べています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      マンモスが襲われたのは、暖かい地域においてだ。巨大な水が
      マンモスを襲うと同時に、それを1000キロメートルも20
      00キロメートルも離れたところへ押し流してしまった。シベ
      リヤ北部の低いところにきて、水勢が衰えたところでマンモス
      の遺体はしばらく止まり、そこで冷凍された。
            ――高橋実著、『灼熱の氷惑星』より。原書房刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 私がこの高橋氏の著書を手に入れたのは、今から20年も前のことです。本の表題に
興味をそそられたからです。しかし、内容は難解であり、途中で読むのをやめてしまっ
たのです。そのため長く書棚の奥の方で眠っていたのですが、現在の住まいに引っ越す
ときについになくしてしまったのです。
 しかし、EJで月の話を書きはじめたときに、あることでこの本を思い出し、必死に
なって本を探しはじめたのです。そして、やっとこの11月28日に神保町の古本屋の
店先のゴンドラの中でこの本を発見したのです。これは奇跡です。
 初版が1975年2月27日で、私の手に入れた版が1975年の5月10日の初版
第8刷ですから、相当売れた本であるといえます。ちなみに本の価格は900円ですが
入手値段はたったの100円だったのです。
 断続的にはなりますが、これからのEJで高橋氏の驚くべき仮説をご紹介していきま
すが、その前提として「ノアの洪水」について詳しく知る必要があります。
 しかし、・・・です。「ノアの洪水」について書かれた単行本が非常に少なく、かつ
てあってもほとんどが廃版になっているのです。しかし、それでも何冊か貴重な本を手
に入れましたので、それを手かがりに秘密を解明したいと考えていす。・・・[ノアの
洪水/02]

灼熱の氷惑星.jpg

2007年01月18日

創世記によるノアの箱舟神話(EJ第1002号)

 「ノアの洪水」の話を知らない人はないでしょう。しかし、多くの人、とくに日本人
はその詳細について知っている人はとてもわずかです。ところで、ノアの箱舟はどのく
らいの大きさであるかご存知ですか。
 創世記によると、神がノアに与えた指示は次の通りです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      箱舟の長さ300キュビット、幅50キュビット、高さ30キ
      ュビットとする。それに屋根をつけ、三階建てで各階は部屋に
      分かれ、横にドアをつけ、窓をつける。
      ――ノーマン・コーン著/浜林正夫訳『ノアの大洪水』大月書
      店刊より。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1キュビットは約52センチです。書籍によっては、「1アンマ」という単位を使っ
ています。1アンマ=1キュビットというわけです。1アンマとは、大人の肘から中指
の先までの長さの単位とされています。ちなみに、私の場合は46センチしかありませ
んが・・・。
 これで箱舟の大きさは次のようになります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       長さ ・・・・ 1万5600センチ=156メートル
       幅 ・・・・・   2600センチ= 26メートル
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これで想像がつくと思いますが、まるでタンカーのような凄く大きな船です。そんな
船をノアが神の命にしたがって、陸地の奥で作り出したのですから、周囲はノアが完全
に気が狂ったと考えたのです。そんな大きな船をこんなところで作って、どうやって浜
辺へ引いていくのか――洪水など誰も考えなかったからです。
 しかし、ある日雨が降り始めると、どこからとこなく、数多くの動物たちがノアのと
ころにやってきます。それらはすべてつがいだったのです。彼らもノアと同じように、
神に命じられた鳥や動物だったのです。ノアは箱舟の扉を開けて彼らを箱舟の中へと導
きます。
 それを待っていたかのように、雨は激しさを増し、豪雨となり14日間降り続くので
す。そして、遂に「大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれて」滝のよう
な激しい雨が降り始めるのです。
 どのくらい雨は続いたのかについては諸説があります。40日、40夜、150日間
、1年・・・・いずれにせよ、その結果として、次のようになります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      水はますます勢いを加えて地上にみなぎり、およそ天の下にあ
      る高い山はすべて覆われた。水は勢いを増してさらにその上、
      15アンマ(約8メートル)に達し、山々を覆った。
      ――「創世記」第7章19〜20節
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 一番高い山よりも水が8メートルも高くなったのですから、地球上はすべて水で満た
され、その上に浮かんでいるのは、ノアの箱舟だけになってしまったのです。
 やがて雨はやみ、箱舟はアララト山の上に止まったのです。そして水は少しずつ引い
て、やがて地上が見えてきたのです。このとき、地球上で生きていたのは、ノアの一族
と箱舟に乗り込んだ鳥や動物たちだけとなってしまったのです。
 以上が「旧約聖書」の「創世記」が伝える「ノアの洪水」の物語の概要です。果た
して、これが史実でしょうか。
 一体「ノアの洪水」は何時起こったのでしょうか。
 1650年に英国のアッシャー大司教は、聖書でいうところの天地創造は紀元前40
04年と発表しています。ケンブリッジ大学の言語学者ジョン・ライトフットは、これ
を補正して次のように日時まで割り出しています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
          紀元前4004年10月26日午前9時
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 そして、ノアの洪水があったのは、紀元前2344年という数字が有力視されていま
す。しかし、これは聖書学の年代決定によるものであり、諸説があります。大雑把にい
って今から4500年前に「ノアの洪水」は起こったというのです。
 しかし、現在では、敬虔なキリスト教徒でも、「ノアの洪水」は史実ではなく、神の
道に反してはならないという、戒めのためのたとえ話として、とらえるようになってい
るのです。まして、日本では完全に神話としてとらえています。
 しかし、19世紀の後半になって、あることから、もしかすると、「ノアの洪水」が
史実ではないかという考え方が出てきたのです。その「あること」とは何でしょうか。
 現在、国連の査察が行われているイラク―――ここは、かつて世界最古といわれる
「メソポタミア文明」が発祥したところなのです。「メソポタミア」というのは、古代
ギリシャ語で「大きな河にはさまれた地」という意味なのです。その河とは、チグリス
河とユーフラテス河のことです。
 今から5000年前のことですが、この地にシュメール人と呼ばれる民族が最古の都
市を建設し、古代メソポタミア文明は幕を開けるのです。そのためこれをシュメール文
明と呼ぶこともあるのです。
 シュメール文明で特筆すべきことは、きちんとした文法を持つ言語体系を有していた
ことです。その形から「楔形文字」といわれますが、この言語は、そのあとこの地に興
ったアッカド、古バビロニア、アッシリア、バビロニアというシュメール文明以外の国
家でも使われたのです。
 このメソポタミア地方からは、この楔形文字を刻んだ粘土板が多数出土しているので
すが、19世紀後半になるまで、この文字は誰にも読めなかったのです。・・[ノアの
洪水/03]

ノアの箱舟.jpg

2007年01月19日

地球規模の洪水伝説は世界中にある(EJ第1003号)

 「ノアの洪水」の謎を解くことに貢献した人物の一人にジョージ・スミスという人が
います。スミスは、1840年に英国のロンドンで生まれ、14歳のときに銀行券の銅
版づくりの見習いになります。
 この仕事でスミスは非凡な才能を発揮します。しかし、スミスの関心は楔形文字を解
読することにあったのです。そこで、スミスは、銅版づくりの仕事をやめて、博物館の
修理工として働き始めます。それは、楔形文字の刻み込まれた何千という粘土板の断片
を集めて修復する作業です。この仕事を通じて、スミスは楔形文字を完全に解読するこ
とができるようになったのです。
 スミスの名を世界的に有名にしたのは、アッシリアの首都ニネヴァで発掘された粘土
板の解読に成功したことです。その粘土板は、アッシュール・バニパル王の図書館にあ
ったものですが、その一片には、次のように記述されていたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      ニシル山に船は止まった。7日たっても、船はニシル山の頂に
      止まったままだった。私は、鳩を放った。だが、止まる場所が
      ないのか、鳩は戻ってきた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これは創世記の「ノアの洪水」の記述に瓜二つです。「ニシル山」と「アララト山」
の違いはありますが、明らかに、「ノアの洪水」のことを書いています。スミスは、残
りの膨大な粘土板をつなぎ合わせて読んでいったところ、それは「ギルガメッシュ叙事
詩」と呼ばれる文献であることが判明したのです。
 さらに調べてみると、この粘土板は、アッシリア人が先住民であった古バビロニア人
から継承したものであることがわかったのです。このアッシュール・バニパル王という
人は古代文化に造詣が深く、アッシリア以前の記録を収集して、自ら図書館を建てて、
そこに保存していたのです。
 「ギルガメッシュ叙事詩」は全編12章から成り、その11章に、「ノアの洪水」と
そっくりの記述があるのです。『ノアの大洪水』の著者のノーマン・コーンによると、
その11章は幸いにも全体のうちで最もよく保存されているもののひとつであり、洪水
の記述は200行に及んでいたそうです。
 1872年12月3日、スミスは聖書考古学会で「ギルガメッシュ叙事詩」について
報告し、世界中にそのニュースは伝わっていったのです。その発表会の席には、当時の
英国首相グラッドストンをはじめ、多くの著名な学者、神学者、考古学者がならんでい
たといいます。しかし、スミスは、惜しいことに赤痢にかかり36歳の若さで世を去っ
ています。
 昨日のEJで「あること」が原因で「ノアの洪水」が、もしかしたら史実ではないか
と考えられるようになったと述べましたが、その「あること」とは、スミスによる「ギ
ルガメッシュ叙事詩」の発見なのです。
 仮に「ノアの洪水」が史実であったと考えてみましょう。そうであったとすると、大
洪水――それも地球規模の大洪水の記録はメソポタミア地方だけでなく、世界中にある
はずです。結論からいうと、地球規模の大洪水の記録は世界中に存在するのです。
 イラクの隣りのイランには、ペルシャ人固有の神話体系の中に洪水伝説があります。
インドは遺跡の中から楔形文字が見つかっており、もともとメソポタミア地方との結び
つきは強いのです。もちろん洪水伝説は存在します。インドには「マハーバーラタ」と
いう大叙事詩があるのですが、この中に「ノアの洪水」とそっくりの話があるのです。
 中国では、「欽定古今図書集成」の中に、大洪水が起こって地上の人間や動物は絶滅
したが、一部の人間や動物は巨大なヒョウタンに乗って助かるという話があります。こ
の他にも漢民族の神話の中に大洪水の伝承が見られます。
 オーストラリアにも大洪水の伝説があります。ここでは、動物が主人公になっていま
す。ハワイにも洪水伝説があります。ハワイの話は、「創世記」の「ノアの洪水」の話
と酷似しています。北米のアラスカ地方にも大洪水の伝説はあります。インディアン系
のトリンギット族、その他のインディアンの部族を調べると大洪水神話は存在します。
 中南米インディアンの神話の中にも、スケールの大きな大洪水の伝説が存在します。
今までに宇宙は4回死滅したが、そのつど大洪水と大火事が天地を襲ったとあります。
 ギリシャにも大洪水伝説があります。古代ギリシャが青銅の時代、主神ゼウスが堕落
した人類を滅ぼす目的で、大洪水を起すのですが、「ノアの洪水」によく似ています。
 ヨーロッパの北欧神話の中にも洪水伝説があります。北欧神話の『エッダ』という文
献の中に、真っ赤な色をした星が現れて、大洪水が起こったという話があります。北方
のスカンジナビアやアイルランドにも大洪水の伝説があります。
 古代エジプトに関しては、直接的に大洪水にふれた記録はないのですが、エジプトの
地方の神話の中には大洪水伝説があるといわれています。アフリカのマサイ族の神話に
も大洪水の話が存在します。
 不思議なことに日本に関しては、明確に大洪水についての記述が残っていないのです
。日本神話の原典である「古事記」や「日本書記」には、「大洪水」ということばも描
写もないのです。しかし、イザナギとイザナミによる日本列島形成に関する記述はあま
す。それを大洪水直後と考えればツジツマは合います。
 このように、例外はあるとしても、世界中に地球規模の大洪水の記録が伝説として存
在しているのです。その神話のいずれもがひとにぎりの人間や動物をのぞいて、世界中
の人間や動物が絶滅したと述べています。したがって、「ノアの洪水」は、実際に起こ
った史実と考えても別に不思議はないのです。
 しかし、神話の中に残っていてもそれは起こったことの証明にはならないという説も
一理あるといえます。               ・・・ [ノアの洪水/04]


ジョージ・スミス.jpg

2007年01月22日

アララト山には箱舟の残骸がある(EJ第1004号)

 世界中にある地球規模の洪水伝説は、いずれも大洪水によって地球上のすべての生き
物は絶滅してしまうのですが、一部の人間や動物は命を救われるということでパターン
は一致しています。大洪水は、堕落してしまった人類を懲らしめるために神が起こした
もので、一部の信心深い者は救われるという、きわめてキリスト教的な世界の話です。
 したがって、これが実際に起こったことではないかと考える人は少ないはずです。し
かし、「ノアの洪水」は史実であると考える人は少数派ながらいるのです。
 既にご紹介した高橋実氏は、地球上には異常なほど水が多いことに気づき、これらは
「ノアの洪水」の余水ではないかと考えたのです。そこで現在EJでは「ノアの洪水」
が実際に起こったことなのかどうかを検証しているのです。
 実は月は「ノアの洪水」と密接な関係があるのです。このままEJを読んでいってい
ただくと、やがて結びついてきます。その話をするためにも「ノアの洪水」が史実であ
るかどうかをはっきりさせる必要があるのです。
 もともと地球は「水の惑星」といわれるほど、水が多い惑星です。そのため、その地
球上に住む人類は、一方で水の恩恵を受けながらも、他方において水と戦ってきたので
す。したがって、世界の各地には、必ず洪水の記録が残っています。
 「ノアの洪水」が史実であると仮定すると、世界各地に地球規模の大洪水の何らかの
記録が残っていなければならない――と考えて世界中の国に、地球規模の大洪水が起こ
った記録はないか探してみたのです。
 果たせるかな、世界中のほとんどの国に地球規模の大洪水が起こったという記録が、
伝説や神話のかたちで残されていることがわかったのです。
 しかし、これだけでは、「ノアの洪水」が史実であるという証明にはなりません。犯
罪捜査風にいうと、状況証拠のひとつが実証された段階といえると思います。
 これに物的証拠が加わると、「ノアの洪水」は史実であるという驚くべき結論に到達
することになるのです。ところで、物的証拠などあるのでしょうか。
 「ノアの洪水」の物的証拠とは、ノアが作った箱舟そのものです。この箱舟が漂流し
て、聖書でいうようにアララト山頂に漂着したのだとすると、そこに何らかの痕跡があ
るはずです。それが見つかれば、何よりもの物的証拠となるはずです。
 創世記の「ノアの洪水」のことを記述した書籍を見ると、アララト山頂に漂着した箱
舟のイラストがあります。写真のAがアララト山であり、Bが漂着した箱舟のイラスト
、Cは洪水の前夜を描いた絵画です。
 アララト山は写真を見てもわかるように日本の富士山に似ています。アララト山は、
現在はトルコ共和国の領内のアルメニア共和国に近いコーカサス地方にあります。標高
5165メートルのコニーデ式火山です。
 そのアララト山に、本当にノアの箱舟の何らかの痕跡があるのでしょうか。少なくと
も現時点においては、そのようなものは確認されていないのです。
 しかし、この問題をていねいにフォローしてみると、アララト山でノアの箱舟を見た
という目撃情報はたくさんあるのです。それでいて、現在においても、誰もこの問題に
決着をつけようとしていないのです。UFOの問題と同じです。
 覚えている人もあるかも知れませんが、1985年の夏に当のトルコのアララト山で
、ある事件が起こったのです。日本のNHK、ドイツ、フランス、アメリカ各国の撮影
隊の一団が地元の反政府集団のテロに襲撃されたのです。テロリストの正体は、トルコ
政府に反旗をひるがえし、分離独立運動を掲げるクルド人の一団であったのです。
 問題は、日本、ドイツ、フランス、アメリカという先進国の一団が何を目的としてア
ララト山に登ろうとしたかにあります。その目的は、山頂にあるといわれているノアの
箱舟の痕跡を探り、それを撮影しようとしたのです。
 しかも、アララト山付近は、テロが出没する危険性についても撮影隊はよく知ってい
たのです。単なるドキュメンタリー作品を制作するにしては、危険が大き過ぎるのです
が、箱舟発見という重大な使命を帯びてのプロジェクトだったのでしょう。
 ノアの箱舟を目撃する目的で、アララト山に登った最初の人はドイツ人の自然哲学者
フリードリッヒ・パロットです。パロットは登頂に成功し、箱舟の残骸を目撃したとい
うのです。1829年のことです。
 彼は、アララト山の北東斜面のルートをとって登頂したのですが、彼は、そのとき、
アホーラ(アルグフリ)という村にある聖ヤコブ修道院を訪れています。
 その修道院にはひとつのイコン(聖像)があったのです。その修道院の話によると、
それは山頂の箱舟の残骸を削り取って、作ったものだそうです。しかし、残念なことに
その修道院は、それから10年後に起きた火山噴火と大地震でアホーラ村ごと消失して
しまったのです。
 続いて、1883年に英国大使館員を含めたトルコ政府の調査隊がアララト山に登頂
し、箱舟の残骸を発見しています。この調査隊の目的は、箱舟発見にあるのではなく、
火山が原因での地震の被害を調査するためだったのです。
 そのとき政府の調査隊が目にしたものは、アララト山を覆う氷河の割れ目、すなわち
クレバスの底に、何やら木片のようなものを発見したのです。しかし、アララト山は高
い山であり、その山腹には木が生えないのです。    ・・・[ノアの洪水/05]

アララト山と箱舟.jpg

2007年01月23日

箱舟は2つの場所で発見されている(EJ第1005号)

 「ノアの洪水」のように宗教のからむ問題は、その真実の解明を求める動きと、それ
に反対する動きが錯綜するものです。神の啓示ということを強調したい人たちは、真実
が解明されることに強く反対するのです。そのために、「ノアの洪水」の真偽は、多く
の目撃証言がありながら、いまだに解決していないのです。
 英国大使館員を含むトルコ政府の調査隊は、1883年、アララト山の山頂付近のク
レバスの下に箱舟の残骸らしいものを発見し、この情報は当然のことながら、イスタン
ブ−ルから全世界に向けて発信されたのです。
 このニュースは多くの国々の新聞に掲載されたのですが、シカゴ・トリビューン紙、
ニューヨーク・ワールド紙、ニューヨーク・ヘラルド紙などは、このニュースを取り上
げながら、それはインチキであると批判したのです。
 新聞社としてろくに調査もせず、きわめて感情的にインチキときめつけたのですが、
同紙の読者たちは「なぁーんだ、そういうことか」というように新聞を信じてしまいま
す。
 そのあともそういうことの繰り返しなのですが、19世紀から20世紀にかけての主
要な箱舟解明の動きについて、私の調べた事件をまとめると、次のようになります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      1.1850年 ・・ イアラム事件
      2.1893年 ・・ 世界宗教会議/米国シカゴでの提案
      3.1916年 ・・ 帝政ロシアロスコヴスキー中尉事件
      4.1948年 ・・ トルコ北部大地震での箱舟発見事件
      5.1952年 ・・ フランス人実業家ナヴァラ事件
      6.1959年 ・・ トルコ人パイロット箱舟発見事件
      7.1972年 ・・ トルコ人ジョージ・ハゴピアン事件
      8.1985年 ・・ 米国/最新機器による箱舟探査事件
      9.1985年 ・・ 日、独、仏、米各国撮影隊襲撃事件
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これら9つの事件のすべてを述べる紙面はありませんが、箱舟らしいものが発見され
た場所は2つあるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      1.2.3.5.7. ・・・・・ アララト山北東斜面
      4.6.8.9 ・・・・・・・・   アキャイラ連山
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 昨日のEJ1004号でご紹介したフリードリッヒ・パロットとトルコ政府調査隊も
箱舟らしいものを発見したのは、アララト山北東斜面のクレバスの下ですから、ほとん
どはアララト山で発見されているのです。それに聖書では、アララト山の山頂で船がと
まったと記述しています。
 これに対して「アキャイラ連山」というのは、アララト山から南に約30キロ離れた
ところにある連山のことです。ノアの箱舟の発見が狙いであれば、アキャイラ連山の方
で箱舟らしいものが発見されても無視されるはずなのに、なぜ、問題になっているので
しょうか。
 1948年5月のことです。トルコ北部を大地震が襲ったのです。一部地域では、崖
崩れや土砂崩れがあり、多くの被害が出たのですが、農夫レシッド・サリハン氏が借り
ていた農地にも被害が拡大したのです。
 レシッド氏が農地に行ってみると、そこに奇妙な地形が広がっていたというのです。
それは真上から見ると、ちょうど船のかたちをした箱舟地形になっていたのです。それ
は、その土の下には巨大な船が埋まっているようだったというのです。
 しかし、その場所はアキャイラ連山であり、アララト山ではなかったので、問題にさ
れなかったのです。この箱舟地形が問題になったのは、1959年に航空測量機を操縦
していたトルコのパイロット、A・クラティス中尉が、偶然に高度3000メートルの
上空から箱舟地形を発見し、撮影してからです。
 クラティス中尉は、現像した写真に尋常ではないものを感じてそれを司令部に報告し
たのです。司令部ではそれを専門家に鑑定を依頼、トルコ陸軍の工兵隊を現地に向かわ
せたのです。
 現地に到着したトルコの調査隊は、測量の結果土中に埋まっている舟らしきものは、
長さ約150メートル、幅約45メートルの大きさであることがわかったのです。
 聖書において神がノアに命じた箱舟の大きさは、長さが156メートル、幅が26メ
ートルですから、横幅が異なるものの、大きさもほぼ一致すると考えてよいでしょう。
土中に埋まっているので、土砂などで膨らんでいるものと考えられます。
 ところが、ダイナマイトなどを使って発掘を進めたところ、あると思った場所に舟な
どなかったのです。しかも、箱舟地形の土地はかなり固く、思うように発掘できなかっ
たそうです。トルコの調査団の力ではどうすることもできなかったのです。
 1985年になって、米国の調査隊が「断面走査レーダー」という新兵器を持って箱
舟地形の発掘にのぞんだのです。断面走査レーダーというのは、人間の体を輪切りにし
て撮影するMRIやCTのように、地面の下に隠されている物体をスキャンしながら探
査するマシンです。
 この調査の結果、箱舟地形の下に巨大な構造物が埋まっていることが確認されたので
す。それは、巨大な舟である可能性も十分あるというのです。
 そこで、米国の調査団は、超ハイテクを駆使した大規模な調査を行うことを決定しま
す。超ハイテクというのはNASAが地球の地下資源探査に使用している「インター・
フェース・レーダー」のことです。
 準備が整い、日本のNHKをはじめ、各国の撮影隊も参加してその一部始終を撮影す
ることになったのです。しかし、・です。クルド人ゲリラにその撮影隊が襲われて中断
してしまいます。もし、クルド人ゲリラが本隊を襲って高価なマシンを奪われたら、大
変なことになる――そういうわけで、現在も中断続行です。・・[ノアの洪水/06]

箱舟地形.jpg

2007年01月24日

ノアの箱舟は黄金比率を使っている(EJ第1006号)

 物的証拠はまだ見つかっていませんが、聖書の「ノアの洪水」の話はどうやら本当の
話のようです。しかし、現在においても、それが本当の話であることを伏せておきたい
向きがあるようで、決定的証拠はまだあがっていないのです。
 アララト山か、そこからそう遠くないアキャイラ連山に物的証拠らしいものがあるこ
とはわかっており、早く調べればいいのにと考えますが、アララト山というのは治安も
さることながら、登るのにかなり危険を伴う山なのです。まして調査となると何日もか
かるので、前もって相当の準備が必要であり、そういう意味で現在はストップしている
のだと思います。
 ところで、関連資料を調べてみたところ、1977年に米国では、「ノアの箱舟を求
めて」というテレビ番組が放映されているのです。番組内容は、アララト山でノアの箱
舟を探す試みを紹介したあと、「箱舟はここにある」として、「ノアの洪水」の物語は
史実であると結論づけているそうです。
 このノアの箱舟についての真偽の論争は欧米では聖書自体に強い関心があり、かなり
昔から行われているのですが、日本ではあまり話題になっていません。近いうちに「こ
れマジ!?」で取り上げそうなテーマですね。
 「ノアの洪水」が史実であるとすると、改めていろいろな疑問が湧いてきます。ノア
が神から受けた指示通りに船を作ることができたのですから、地球上にはノア以外にも
船を作る技術を持つ人はたくさんいたはずです。そのため、船もたくさんあったと考え
る方が自然です。
 したがって、大洪水が襲ってきたとき、人々はそれらの船に乗り込んで、何とか生き
延びようとしたはずです。しかし、最終的には、ノアの箱舟以外の船はすべて海の藻屑
になってしまったというわけです。
 どうして、ノアの箱舟だけは地球規模の大洪水を乗り切れたのでしょうか。まして、
ノアの箱舟には、多くの動物が乗っているのです。人間だけが乗っている船よりも条件
は厳しいはずです。神のご加護があったからであることは確かであるとしても、もう少
し納得できる理由はないのでしょうか。
 ひとつ手がかりがあります。それは、船のサイズです。そもそも神はノアになぜ船の
サイズを指示したのでしょうか。神の指示を再現してみましょう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      箱舟の長さ300キュビット、幅50キュビット、高さ30キ
      ュビットとする。それに屋根をつけ、三階建てで各階は部屋に
      分かれ、横にドアをつけ、窓をつける。
      ――ノーマン・コーン著/浜林正夫訳『ノアの大洪水』大月書
      店刊より。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 長さ300、幅50、高さ30という数字――300:50:30という比率は次の
ようになります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
          300:50:30 → 30:5:3
          → 6:1:0.6
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この「6:1:0.6」という比率は、驚くべきことに現代のタンカーと同じ比率で
あり、「黄金比率」と呼ばれています。黄金比率で船を作ると、流体力学と構造力学的
に非常に安定するので、タンカーなどに適用されているのです。荒れた海で船体が90
度傾いても転覆することはないのです。
 それでは、「ノアの洪水」がどの程度のレベルの洪水であるかについて聖書から検証
してみたいと思います。旧約聖書の創世記には、次のように書かれています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      「ノアの生涯の第600年、第二の月の十七日、この日、大い
      なる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた」
      ――「創世記」第7章11節より。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これを見ると、洪水の水源が次のように2つあることがわかります。2つが一度に押
し寄せたというイメージです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       「大いなる深淵」 ・・・ 地球の内部からの盛り上り
       「天の窓」 ・・・・・・ 空から降る大量の雨
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「深淵」とは、文字通り「深い淵」――地球の内部から何かが盛り上がり、これによ
って海面が上昇して津波のように水が内陸に押し寄せ、それと同時に「天の窓」が開
いて、滝のような雨が落ちてきたということになります。これが40日間続いたという
のですから、まさしく大洪水になります。
 天の窓が開いて滝のような雨が40日間降り続く――こういうことが気象学上起こり
得ることなのでしょうか。
 ここで雨が降る原理を考えてみます。雨というのは「上空の水蒸気が、気温が下がっ
たため、水滴となって落ちてくる現象」です。いいかえると、大気中に含まれる気体と
しての水が、液体となって落ちてくるのです。この場合、気体と液体では、気体の方が
エネルギーが高い、つまり温度が高いのです。
 つまり、気体としての水が液体の雨になるのは、エネルギーが下がる――温度が下が
ることを意味しているのです。もう少し詳しくいうと、1立方メートル当たりの空気中
に存在できる気体としての水の量が限られているのです。これを「飽和水蒸気量」とい
います。
 例を上げて説明します。気温25度のときの飽和水蒸気量は、23.1グラムです。
この状態で温度が20度に下がるとその飽和水蒸気量は17.3グラムなので5.8グラ
ム分の水が気体として支えきれなくなって、雨となって地上に落ちるのです。 なお、気温が高いほど、飽和水蒸気量は多くなります。・・・[ノアの洪水/07]

洪水のときのパニックを描いた絵画.jpg

2007年01月25日

ノアの洪水の謎を解く3つの理論(EJ第1007号)

 土砂降りの雨が40日間も降り続く――そのようなことが気象現象として起こり得る
でしょうか。
 昨日のEJで述べたように、雨が降る原理は、気体としての水分を含んだ温かい空気
が、冷たい空気にぶつかったとき、温かい空気の温度が下がり、気体として維持してい
た水分を保持できなくなるので雨となるというものです。
 空気と空気のぶつかる部分を「前線」といいます。梅雨前線とか、秋雨前線とかいう
あの「前線」です。前線が近づいてくると雨になるのです。前線は、普通は移動するも
のですが、ときには一ヶ所に止まって動かないときがあります。これを停滞前線という
のです。停滞前線が居座っているときは、長い間雨が降り続くことになります。梅雨前
線がそうですね。
 しかし、全地球で雨が長期間にわたって降り続くには、この停滞前線が地球を覆って
しまう必要があります。しかし、地球上の特定の場所に前線が止まって、長期的に雨を
降らすということはあっても、地球全体を停滞前線が覆ってしまうことは、気象学的に
いってあり得ないことなのです。地球上には、熱帯雨林もあれば、砂漠地帯もあり、気
候は一様ではないからです。ノアの大洪水は、単なる気象学上の現象では説明できない
のです。
 大洪水の水はどこから来たのか――これからは、これがメインテーマとなります。今
まで、多くの学者がこの謎解きに挑戦しているのですが、いまだに謎は解けていないの
です。
 私が調べたところでは、この謎解きに挑戦し、それを学説のレベルにまで高めた人物
としては次の3人がいます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
           1.トマス・バーネット
           2.ウイリアム・ウィストン
           3.高橋 実
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 17世紀以前の西欧の世界では、キリスト教が文化の中心にあり、政治、経済の世界
まで強い影響力を持っていたのです。しかし、17世紀後半になると経済活動はキリス
ト教的倫理によってはおさえられなくなり、科学は自らの真理基準をもって自発的に活
動するようになってきていたのです。
 そして、アイザック・ニュートンの業績によって科学は一層の発展を遂げるのです。
本来こうした科学とキリスト教という宗教は相容れないものなのですが、当時の科学者
や科学に興味を示すほとんどの知識人は、科学は宗教と調和できるし、調和すべきであ
ると考えていたのです。
 これは、大変興味深いことですが、科学と調和させるために実際上、キリスト教的信
仰が科学上の発見に合わせて少しずつ修正されていったことを意味しています。そして
こういう傾向が最も顕著だったのは、アイザック・ニュートンを生んだ英国のケンブリ
ッジだったのです。
 科学が発達すると、世界の創造に迫ることができますが、英国の科学者たちは、自然
を探究することによって神の賢明なる慈悲深い計画を明らかにしつつあることを信じ
ていたわけです。とくにケンブリッジ大学においては、こういう傾向は際立っていたと
いえます。
 盲目的な信仰よりも科学的で理性的な論証の方が真のキリスト教の最終的な判定者と
してふさわしい――そういう考え方が、当時のケンブリッジでは顕著であったのです。
 そういう環境の中で、アイザック・ニュートンは生まれ育つのです。ニュートン(1
642〜1727)は、ケプラーが死んだ12年後、ガリレオが死んだ数ヵ月後に生ま
れています。しかし、ニュートンという人は、神に関する考え方を教会や国家と異にし
ており、異端者といわれたのです。
 ニュートンが晩年、英国の学会である王立協会の総裁になり、1705年にナイトの
称号を授与されたときも、イギリス国教会の信徒としての行動をとるという条件がつい
たそうです。しかしニュートンの偉大さは、その後の歴史が証明しています。
 1681年と1696年の間に、ともにケンブリッジの出身者にしてニュートンの影
響を多大に受けた2人の聖職者が、「ノアの洪水」と「世界の終末の火の海」を扱った
著作を発表します。その2人こそ、その所説をこれからご紹介するトマス・バーネット
とウイリアム・ウィストンなのです。
 トマス・バーネットは、クライスト・カレッジのフェロー、ウイリアム・ウィストン
は、クレア・ホールの元フェローであり、後年数学の教授として活躍した人です。
 彼ら2人は、大洪水は救いようもなく悪に染まってしまった人類を罰するために神が
行ったものであることをあくまで自明の理としながら、ひとつの世界が終って、これに
代わる新しい世界が生まれる激変を独自の理論で説明しているのです。
 トマス・バーネット(1636〜1715)は、『地球の神聖な理論』という著作を
1681年に出版しています。初版は限定25部の暫定版だったのです。
 一般向けの英語版は、『地球の理論』という書名が付けられて1684年に出版され
チャールズ二世に献じられています。その後、何回か増補改定が行われ、最終版は16
90年に出版されたのです。最終版に載せられたバーネット自身による著作全体の表題
は、次のようになっています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      地球の理論。地球の起源、およびそれがすでにこうむってきた
      そしてすべてのものが焼きつくされるときまでにこうむるであ
      ろうすべての一般的変化の説明を含む――トマス・バーネット
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 バーネットの著作は、地質学史の世界では、非科学的であり、地質学の発展に障害に
なったとさえいわれています。しかし、ノアの洪水の水がどこからきたかを思考する重
要なヒントになるので、明日のEJで解説することにします。
                          ・・・[ノアの洪水/08]

トマス・バーネット.jpg

2007年01月26日

ノアの洪水以前の地球は地上の楽園(EJ第1008号)

 トマス・バーネットは、地球上をすべて水で覆い尽くすには水が足りない――と考え
ていました。彼の計算によると、創世記に述べられているように、山々を15キュビッ
トの深さまで覆うとすれば、現在の海の水のおよそ8倍は必要になるが、それらの水は
どこからきたのであろうか――ということだったのです。
 そこで彼は逆転の発想をします。大洪水以前の地球と以後の地球(つまり、現在の地
球)は違うのではないか――彼はこう考えたのです。彼は次のように記述しています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      ・・・大洪水以前の地球の表面は平坦で、整然としていて、ど
      こも同じようだった。山もなく、海もひとつもなかった。・・
      海もなく、エリュシオンの野のように平坦であった。そのすべ
      てを旅しても山にも岩にも出会うことなく、しかも、人が住む
      世界としてのすべてのものがよくそなえられていた・・数百年
      にわたってこういう状態が続いていた――バーネット
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 平坦な大地を覆うのは、現在の海の水だけで十分なのです。それにバーネットは聖職
者ですから、ともすると、2つの地球論に走りやすかったといえます。つまり、神は当
初人類には恵まれた環境を与えていたのですが、人類は悪の限りを尽くしたので、神は
怒り、大洪水を起して人類を滅ぼし、環境を変えてしまったという説です。
 もうひとつ、数学者でもあるバーネットは、大洪水以前、地球上にどのくらいの人類
が生きていたかを計算しています。その答は、次のように算出されています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
             107億3741万8240人
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この数字が正しいといると、当時世界はユダヤのみではなく、世界の大部分に人は住
んでおり、これだけの人を神は洪水によって、溺死させたということになります。バー
ネットの説く地球生成論をごく簡単に説明しましょう。
 まず、最初に何があったかというと、「あらゆる物体の素材と成分とが、たがいに混
沌として入れまじっている」状態であったとバーネットは述べています。
 これらのさまざまな要素が、神の命令によって、それぞれの重力に応じた早さで中心
に向かって落下したときに地球は生まれたのだとしているのです。
 まず、最も重い要素である固体の物質は、まっすぐ中心に落下し、卵の黄身のような
固い核を作ったのです。次に重いのは水でこれも落下し、固い核の周りに球体を形成し
ます。バーネットはこれが聖書でいう「大深淵――地中に隠された地下水」であるとい
っています。
 そこには、石油などの油も含まれており、これらはしだいに分離して水面に浮かんだ
のです。空気はどうか――空気よりも重く水よりも軽いこまかな粒子が空中に充満して
、これらもちょうど雪片のように下の方に落ちていって、水の球体の上の石油や油の表
面にくっつきます。その結果ねばねばしたかたまりができ、これが太陽の熱で固められ
地球の外側の殻となったのです。
 この殻が、ちょうど卵の殻が白身をおさえているように水をおさえている――とバー
ネットはいいます。そしてバーネットは、聖書で「神は地を水の上に敷かれた」といっ
ているのは、このことをいっているのだと解説しています。
 ここで関心のあるのは、ノアの洪水以前の地球の環境です。バーネットは、神はパー
フェクトであり、その最初の創造(地球の環境)は完全であったといっています。
 当時、地球はつねに太陽から同じ距離にあり、そして、地軸はまだ傾いていなかった
ので、地球は常夏の状態を享受していたといいます。バーネットは、次のように述べて
います。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      きびしい気象はなく、氷や雪やひょうのように極端な寒さから
      生ずるものはなく、雷もなかった・・・風はといえば、その土
      地では強風も突風もなかった・・・当時、自然はこういう混乱
      にはまったく無縁だったのである――バーネット
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 地上の楽園――最近よく聞くことばですが、このバーネットが述べる世界は、まさに
地上の楽園といえます。バーネットはこの地上の楽園の環境そのものがそもそも大洪水
の原因であるといっているのです。
 どういうことか、説明しましょう。太陽が一年中照らしているので、地下水の大部分
は水蒸気となり、それが地殻を圧迫するようになります。水蒸気は空に上がって雨とな
って地上に落ちてきますが、それが繰り返されると、やがて地殻は乾燥し、ひび割れし
て大きな裂け目ができるようになります。
 この地殻の巨大な破片が水の層にどんどん落ちていき、そのため水は、上方に押し上
げられ、割れ目からほとばしり出て、水は世界中に広がっていったのです。これが聖書
でいう大洪水です。
 このようにして最初の完全な世界は荒廃し、かつて平坦であった地殻にはしわができ
て山となります。そして、現在の世界ができたのですが、バーネットは現在も整然とし
た世界の崩壊が進行中であるといっています。
 地殻のひび割れは現在も地震というかたちで起こっており、これが繰り返されると、
大地の核は空気と水と物質の粒子の混沌としたものでとりかこまれ、ここで、天地創造
の最初のプロセスが繰り返さるといっています。そして、再び山も海もない平坦な地殻
を形成するはずであるとバーネットはいうのです。
 以上がトマス・バーネットの『地球の理論』です。当時、この理論はもてはやされ、
長期にわたって強い影響力を持ち続けたのです。ケプラー、ガリレオ、ニュートンが既
に存在した時代の理論です。EJ第1009号はウィストンの理論を紹介します。
                          ・・・ [ノアの洪水/09] 

バーネット/地球の理論.jpg    
                             

2007年01月29日

ウィストンとはどういう人物か(EJ第1009号)

 ニュートンの弟子というべき人のひとりに、ウィリアム・ウィストン(1667〜1
752)という人がいます。ニュートンとは25歳の年の開きがあります。ウィストン
は、彼がケンブリッジ大学の学生のとき、ニュートンの『プリンキピア』という著作を
読んで感銘を受け、後にニュートンの推薦によってケンブリッジ大学・数学科のルカス
教授職を長く務めた人物です。
 ところで、ニュートンの『プリンキピア』という本をご存知でしょうか。ニュートン
という人は、自分の研究を世に広めるのにあまり熱心でなかった人なのですが、ニュー
トンよりも10歳年上に当るエドマンド・ハレー――あのハレー彗星を発見した天文学
者――がニュートンに強く勧めて、陽の目を見た著作です。このハレーについては、あ
とでEJのテーマにからんできますので覚えておいてください。
 ところで、『プリンキピア』では、ニュートンは次の3つの法則を公理として置いて
説明しています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       1.慣性の法則
       2.運動の法則
       3.作用反作用の法則
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 定理というのは、この公理から導き出されたものであり、多くの定理が生まれていま
す。ケプラーの法則やガリレイの放物運動も、その定理のひとつということになるので
す。
 数学においては、公理は必ずしも事実に基づかなくても良いのですが、物理の世界で
はそれは許されないのです。そのため、ニュートンが置いた公理は、実験や観察に基づ
いて導き出したものであったのです。そういう意味で、ニュートンは「私は仮説をつく
らない」といったのです。
 『プリンキピア』は難解であるにもかかわらずベスト・セラーになり、若い人たちや
女性にも読まれたそうですが、そのせいもあって、『プリンキピア』の手法、つまり3
つの公理から出発する演繹法は、他の分野でも使われ始めて、それは神学にも及んだの
です。 これは、数学論文の形式にもなっています。ところで『プリンキピア』という
のは英語 「principle」をラテン語の「principia」 であり、それをカタカナにしたも
のなのです。
 さて、EJ1007号で「ノアの洪水の謎を解く3つの理論」を上げましたが、その
第2の理論というのが、ウィリアム・ウィストンによる「地球の新理論」なのです。こ
の「地球の新理論」はニュートンの影響を受けて、次のような数学論文の形式でまとめ
られているのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
              第1編 補助定理
              第2編 仮説
              第3編 現象
              第4編 解
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この「地球の新理論」を仮に新刊書として出版するとして、表紙のオビに当る部分を
ウィストンは次のように書いています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       すべてのもののはじまりから終末までの地球の新理論。ここ
      では、聖書に示されたような6日間の世界の創造、全世界的な
      洪水、そしてすべてのもののはじまりから焼失が、理性と哲学
      に完全に合致することが示される――ウィストン
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この理論の説明に入る前に、ウィストンという人がどういう人であったかについても
う少し述べることにします。
 ウィストンはもともと聖職者ですが、ケンブリッジ大学で数学と天文学の公開講義を
し、聖書の注釈やキリスト教の教義史の本を書いて出版するなど、大変活躍した人なの
です。彼は科学の関心においても、宗教への関心においてもニュートンの影響を大きく
受けていたのです。
 ウィストンは、ニュートンが考えたように、三位一体説は原始キリスト教に付け加え
られた虚偽と確信していたのです。「三位一体」とは,聖書において啓示されている神
をいい表すキリスト教教理用語です。
 「三位一体の神」とは,聖書の神が実体において唯一の神でありつつ、父と子と聖霊
の3つの位格において存在することを意味しているのですが、この三位一体の神の教理
は,歴史において、激しい論争を通して形成されたのです。三位一体の神の教理の成立
に至るまでの論争を教理史において「三位一体論争」と称しているのです。
 ウィストンは、キリスト自身もその初期の弟子たちも子が父と同体であるとは信じて
いなかったと指摘し、ニュートンも同じ考え方であったのです。しかし、ニュートンは
自分の社会的地位を考慮してそのことを明言しなかったのに対し、ウィンストンは迎合
できず、大胆率直にそのことを講義で話したり、出版したりしたので、ケンブリッジ大
学の教授職を奪われ、大学から追放されてしまうのです。
 このように、ウィストンは「変わり者の宗教家」というレッテルが貼られ、第一線か
ら遠ざけられるのですが、彼の「地球の新理論」は高く評価され、全部で6回も再版さ
れ、英国だけでなく米国やフランス、ドイツにも広く読まれたのです。最後の版は、1
755年でしたから、1752年のウィストンの死後まで本は寿命を永らえることにな
ります。
 考えてみると、ウィストンが生きていた時代には、ケプラー、ガリレオ、ハレー、ニ
ュートン、バーネットという非常に優れた数学者や天文学者がほぼ同時期に生きていた
ということがわかります。背景を理解していただいたうえで、明日のEJではウィスト
ンの「地球の新理論」の説明をします。       ・・・ [ノアの洪水/10]

ウィリアム・ウィストン.jpg

2007年01月30日

地球への彗星の接近が洪水の原因(EJ第1010号)

 ウィストンは、バーネットの「地球の理論」の信奉者であり、擁護者のひとりであっ
たといわれています。しかし、ニュートン物理学の立場から分析してみると、大地の初
期の歴史についてのバーネットの説明は明らかに間違っており、そのためにもウィスト
ンは「地球の新理論」を発表する必要があったのです。
 ウィストンは、バーネットと同じように大洪水前の地球と以後の地球は違うと考えた
のです。大洪水前の地球は、現在の地球とは比べものにならないほど人が住むのに最高
の状態にあったと考えられるのです。
 太陽のコースは、地球の住民が常春で過ごせるようになっていたのです。さらに惑星
と地球の軌道は完全な円であり、太陽は地球の軌道の中心にあったのです。月の軌道の
周期は、地球のそれと同じ時間であり、したがって、大陰月は太陽月と同じで1日は現
在の一年と同じだったのです。
 このことは「創造の6日間」は実際には6日ではなく、6年ということになります。
大地は現在の地球と比べてはるかに肥沃であり、空気は薄く、清らかで、等質であり、
激しい風や嵐や揺れは、まったくなかったというのです。
 そのため、人々は現在よりもはるかに長生きであり、1000年も生きる人もしばし
ばいたというのです。これで、ノアの年齢の謎も解けます。というのは、聖書の創世記
では、ノアが600歳になったときに洪水が襲ってきたとあり、この話をうそっぽくし
ているからです。さらにノアは長寿を重ね、950歳まで生きたといわれています。ノ
アの時代の地球は環境が違っていたと考えるならば、一応納得がいきます。
 それでは、大洪水はどのようにして起こったのでしょうか。
 これに対して、ウィンストンは、バーネットとはぜんぜん違う科学的な原因をもって
きます。それは、ある彗星が地球のすぐ近くを通ったことによって起こされ、地球は現
在の軌道に修正されてしまったというのです。
 ここで「彗星」というものについて少し知っておく必要があります。彗星は別名「ほ
うき星」と呼ばれます。太陽のまわりを回る小天体で、太陽と反対の方向に尾を引くも
のは、ほうき星とといわれるのです。
 彗星の本体は、核と呼ばれ、直径数キロメートルほどの大きさで、岩石などがダスト
(塵)のかたちで混入した氷塊から成ると考えられています。より詳しくいうと、次の
5つのものから構成されています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      1.核 ・・・・・・ 比較的固くて、しっかりとした部分で
                 主に氷とガスから成り、少量の塵や他
                 の個体を含んでいる。
      2.コマ ・・・・・ 核から昇華した水、二酸化炭素、その
                 他の中性ガスからなる濃い雲
      3.水素雲 ・・・・ 巨大(直径数100万キロメートル)
                 だが、非常に希薄な、水素の外被
      4.ダストテイル ・ 最大1000万キロメートルの長さで
                 核から逃げたガスによって、核から運
                 び出された煙サイズの塵の粒子から成
                 る。肉眼で見た場合、彗星のうちで最
                 も目立つ部分
      5.イオンテイル ・ 最大1億キロメートルの長さで、プラ
                 ズマから成り、太陽風との相互作用が
                 原因のレイやストリームという線が織
                 り込まれている
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ウィストンは、「地球の新理論」の中でははっきりと特定していませんが、地球の側
を通過した彗星は「ハレー彗星」であると考えていたようです。
 ウィストンは、彗星が地球のそばを通った時期を次のように正確に計算しています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
            紀元前2349年11月28日
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 彗星の構成要素の「コマ」と「水素雲」によって、その大気中に濃厚な水蒸気を含む
雲があり、その彗星が、地球のすぐそばを通って、かなりの時間、地球とその大気を後
尾の中に巻き込んでしまったと考えたらどうでしょう。長期間にわたって物凄い雨が降
り、大洪水が起こっても不思議ではないのです。
 同時に水の圧力は、地球の地殻に割れ目をつくり、それを通って地球内部の水が押し
出されて大洪水に加わって、やがてそれは1万821フィートに達したとウィストンは
数学者らしく厳密に計算しているのです。1万821フィートという数は、地球上の一
番高い山を覆い尽くすのに十分な水だったのです。
 これだけの水が地球の表面から引いていくには、何世紀もかかり、それでも多くの水
が残った状態になっているとウィストンは述べています。そして、地球上の居住可能な
部分が大洋によって隔てられた2大陸に分かれているのは、大洪水のせいである――ウ
ィストンはそのようにいっているのです。
 そして、ウィストンは、この大洪水の結果、地球について次のようなことが起こった
と述べています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      大洪水の長期的な結果は、あらゆる点で悲惨なものであった―
      ―もっともそれは人類の堕落した状態にふさわしいものだった
      のであるが。彗星からの液体の重みで太陽年の長さが変わって
      5日長くなり、大陰年の長さは短くなって、その結果、暦は首
      尾一貫しなくなった。地球のもとの表面は新しい層に覆われ、
      人類は近づけなくなり、大洪水後にできた現在の地表は肥沃さ
      においてはるかに劣っている――ウィリアム・ウィストン
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
                         ・・・ [ノアの洪水/11]

地球の新理論中の図/彗星の接近.jpg

2007年01月31日

未確認の天体Mとは何か/高橋説(EJ第1020号)

 「ノアの洪水」のパート2です。「ノアの洪水の水はどこからきたか」の謎を解くに
は、次の3つの説について知ることが必要であると述べました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      1.トマス・バーネット ・・・・・・・・ 「地球の理論」
      2.ウイリアム・ウィストン ・・・・・ 「地球の新理論」
      3.高橋 実 ・・・・・・・・・・・・ 「灼熱の氷惑星」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これら3つの説のうち、「地球の理論」と「地球の新理論」については昨年で説明が
終っています。そこで、今朝から高橋実氏の所説について説明していきます。
 高橋氏の説を一言でいってしまうと、「地球の水のほとんどは他の天体の異常接近に
よってもたらされたものである」ということになります。ここで「天体」とは、彗星や
小惑星、隕石のレベルではなく、もっと大きな惑星レベルをあらわしています。
 高橋氏はこの天体を「天体M」と命名しています。高橋氏自身は何も語っていません
が、天体Mの「M」とは、高橋氏の名前の「実――まこと」からとったものではないか
といわれています。
 このようなSF的な話を思いつく人は高橋氏以外にもいます。しかし、高橋氏の場合
「天体M説」を物理学者がそれを基にして検討できるレベルにまで高めているのです。
これを「思考実験レベルの説」というのです。
 前にも述べたように、物理学の諸法則は数学の公理とは違って実験や観察に基づかな
いもの――すなわち事実に基づかないものは研究の対象にならないのです。つまり、物
理学の世界では、基本的に「仮説」というものは認められていないのです。
 しかし、この自然界には実験の対象になるものはごく僅かであり、とくに大宇宙の現
象――星の誕生とかブラックホールの存在などを実験室で再現できません。こういう現
象を物理的に解明しようとすれば、理論的なモデルを作り、いろいろな条件と物理学の
法則を加えて、あれこれ思考してみるしかないのです。これを思考実験といっているの
です。
 それでは、「天体M」の正体に迫ってみましょう。高橋氏は次の特徴を上げています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
           1.天体Mは未知なる惑星である
           2.特異な軌道を持つ惑星である
           3.その周期は3000年である
           4.惑星全域が氷で覆われている
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 第1の特徴として高橋氏は、「天体Mは未知なる惑星である」を上げています。現在
太陽系には、次の9つの惑星が確認されていますが、天体Mは第10番目の惑星という
ことになります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
          1.水星       6.土星
          2.金星       7.天王星
          3.地球       8.海王星
          4.火星       9.冥王星
          5.木星      10.天体M ?
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ところで惑星はどのようにして、発見されてきたのでしょうか。水星、金星、地球、
火星、木星、土星までの6つまでしか発見されていなかった時点に戻ってみます。
 天体望遠鏡が開発されて1781年に天王星が発見されます。この天王星の軌道に認
められる摂動から、その外側に未知の惑星が予測され、結果として海王星が発見されま
す。1846年のことです。「摂動」というのは、軌道が他の天体の影響を受けて変化
する現象のことです。
 その摂動は海王星にも認められ、観測の結果、米国の天文学者パーシバル・ローウェ
ルは海王星の外側に未知の惑星があることを予測し、これに基づいて、ローウェル天文
台のクライド・トンボーが1930年に冥王星を発見しています。これで9つすべてが
発見されたのです。天体Mがもし実在すれば第10番目の惑星ということになります。
 第2の特徴として高橋氏は、「特異な軌道を持つ惑星である」を上げています。
 惑星は、楕円軌道を描きます。しかし、この天体Mは冥王星の外側を公転するのでは
なく、独自の公転をするのです。太陽系の惑星はすべて同じ公転面上にありますが、冥
王星だけは傾きが大きいために、海王星の軌道の内側に入ってくるのです。天体Mは冥
王星よりも公転面の傾きが大きく、ほとんど垂直に近いと高橋氏はいっています。
 第3の特徴として高橋氏は、「その周期は3000年である」を上げています。
 天体Mは3000年の公転周期を持っていると高橋氏はいいます。つまり、天体Mの
1年は3000年なのです。太陽と冥王星の距離は約10億キロなのですが、天体Mは
その10倍の100億キロも離れているのです。
 天体Mは、初めは地球のように太陽系の比較的内側を公転していたのですが、原始太
陽系の爆発によって外側に吹き飛ばされて、このような軌道を持つようになったと高橋
氏は説明しています。天体Mは地球型のように重い元素から成る核を持っていたのです
が、水素元素が豊富な太陽系の外に吹き飛ばされたのです。
 第4の特徴として高橋氏は、「惑星全域が氷で覆われている」を上げています。
 天体Mには、地球のように陸地がないのです。惑星全体が水で覆われています。表面
は氷結していますが、核以外の部分はすべて水でできています。これは、天体Mの最大
の特色であるといえます。これについては、明日のEJでより詳しく掘り下げます。
                        ・・・ [ノアの洪水2/01]

天体Mの軌道.jpg

2007年02月01日

天体Mはなぜ『灼熱の氷惑星』なのか(EJ第1021号)

 太陽系が形成されたとき、核に固い物質を持つ惑星は太陽の重力によって太陽の近く
に集まり、岩石の地殻を持つ地球型惑星が誕生したのです。水星、金星、地球、火星が
そうです。これに対して密度の小さなガス状の気体で形成される惑星を木星型惑星とい
うのです。木星、土星、天王星、海王星、冥王星がそれに該当します。
 水というのは水素と酸素から構成されます。これらの元素を重いか軽いかという観点
で見ると、水素元素は元素のなかで一番軽いのです。太陽から出る光の粒子の圧力(光
圧力)によって最も軽い水素元素は太陽系の外側に飛ばされたので、水素元素を多く持
つ惑星――すなわち木星型惑星――は太陽系の最も遠くに位置するのです。
 これに対して、もうひとつの構成元素である酸素は比較的重い元素であり、これらは
太陽の万有引力によって引き寄せられるので、太陽系の内側の地球型惑星に多く分布す
るのです。天体Mの軌道は他の惑星の公転軌道に対して一定の角度をもって傾いていま
す。この天体Mが普通の惑星の公転軌道と交差するのは天体Mにおける1年に2回――
つまり、3000年に2回ということになります。
 当初天体Mは太陽系の外側にいるので水素原子を多く保有していたのですが、それが
地球の近くを通ることによって酸素を多く取り込み、長い間のうちにそれらが化合して
膨大なる水を形成したと考えられるのです。
 続いて、高橋氏が考えている天体Mの構造について述べることにします。
 天体Mは中心部に核を有しています。この核にC(炭素)やN(窒素)やH(水素)
といった元素が万有引力によって引きつけられて「殻」が形成されていったのです。こ
れにO(酸素)が引きつけられると「水」ができるのです。天体Mの核の大きさは地球
の2分の1程度と考えられています。
 天体Mは、その核のまわりに膨大な量の水をまとっています。天体Mには陸地はなく
すべては水でできています。しかし、宇宙空間は摂氏マイナス273.15度、表面の
水は凍結し、厚い氷の層が形成されています。その氷の厚さは30キロ〜60キロに達
しているといわれています。
 その氷の下は、3000キロ〜3600キロの水があります。地球の海の平均な深さ
は4000メートルといわれていますので、地球の海の深さの約1000倍も深いので
す。高橋氏はこれを海と呼ばず「水圏」といっています。
 もうひとつ大きな特徴があります。それは水圏の温度です。その温度は摂氏800度
〜1000度――「超熱湯」であるということです。摂氏1000度であれば水蒸気に
なって蒸発してしまうのでは――と考える人がいるでしょう。
 しかし、蒸発はしないのです。なぜなら、表層部こそ1000気圧程度ですが、水圏
の深層部では20万気圧を超えるすさまじい圧力がかかっているからなのです。
 水は摂氏100度になると沸騰して気体になります。しかし、水がそうなるには、水
にかかる気圧が1気圧であるという条件が必要なのです。もし、平地よりも気圧の低い
山の上でお湯を沸かすと、摂氏100度になる前に沸騰するし、逆に圧力をかけると摂
氏100度以上になっても沸騰しないのです。
 天体Mの水圏はまさにこの状態なのです。つまり、熱湯なのですが、沸騰しないし、
気体にはならない――しかし、表層部は氷で厚く覆われている――そこで、高橋氏は天体Mを「灼熱の氷惑星」と命名したのです。
 ここで、天体Mの核の部分が地球の半分であると考える根拠について、高橋氏は次の
ようにいっています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       それは、小型地球(天体M)と本物の地球とのニア・ミス的
      な衝突を考える場合に、相手の質量が大きいと地球のものが相
      手の方にもっていかれるという不合理があるからだ。相手の方
      が地球よりも小さくなければ、地球は相手の持っているミズを
      奪うことができない。密度が両天体において等しい――どちら
      も平均密度5.52の固体天体である――場合ならば、半径を
      小さくしておかないと、相手の質量が小さくならない。それ故
      まず半径を2分の1と仮定し、したがって体積は8分の1、質
      量も8分の1になるとしたのである。
             ――高橋実著「灼熱の氷惑星」より。原書房刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 要するに高橋氏は、天体Mの水が地球に移されたと考えているのです。そのためには
、天体Mは地球よりも小さくなければならないという発想をしたわけです。
 高橋氏は、天体Mが地球に超接近して、天体Mと地球の重力が互いに干渉し、一瞬無
重力状態の空間が生じ、天体Mの一部の水にかかる水圧がゼロになる――これによって
膨大な圧力で封じ込められていた水が、堰を切って地球になだれ込んだと考えているの
です。これが「ノアの洪水」です。
 液体や気体は固体とは違って、つねに全体が同じ圧力になるような性質があります。
したがって、どこかに圧力ゼロの部分ができると、その部分をなくそうとして他の部分
から圧力が加わるのです。これは「パスカルの原理」として知られています。
 高橋氏は、天体Mは地球と超接近したと考えているのですが、それはきわめて短時間
のうちに起こったとしています。天体Mは周期3000年の長楕円軌道を描いており、
地球の公転面に対してほぼ垂直な軌道であるからです。地球との相対速度は秒速30キ
ロで、地球の直径分だけ通過するのに約400秒――およそ7分ぐらいの間の出来事と
いうことになります。
 問題は、どのくらい接近したかですが、高橋氏の計算によると1500キロ程度まで
接近しているのです。天体Mが地球にこの距離まで接近すると何が起こるかは、明日述
べることにします。               ・・・ [ノアの洪水2/02]

天体Mと地球の異常接近.jpg

2007年02月02日

いかにして天体Mは水を地球に移したか(EJ第1022号)

 「ノアの洪水」の水は、天体M、すなわち、灼熱の氷惑星が地球のすぐ近くを通過し
たときに、天体Mから地球に移されたものである――これが高橋氏の立てた仮説です。
 高橋氏は、天体Mを地球から1500キロメートル離して通過させたとき何が起こる
かについて思考実験を行なっています。既に述べたように、天体Mが地球を通り抜ける
のにわずか400秒しかかからないのです。
 この400秒の間に、1500メートル離れた空間をわたって地球に物を移すことは
可能なのでしょうか。地球方向へ加速する大きな重力と、天体Mの速度を考えると、ち
ょうど後方に物を投げ出すようなことになるわけです。
 ここでいう「物」を文字通りの固形物と考えると、大きな矛盾がいくつも出てきてし
まうのです。しかし、移される「物」が、「水」であると考えた場合、それらの矛盾は
ほとんど消えてしまう――高橋氏はこういっています。
 ここで、天体Mの表面が分厚い氷層で覆われていることを思い出していただきたいの
です。そうすると、天体Mはちょうど満々とした膨大な水をたたえた巨大な氷の水がめ
のような感じになります。
 この水がめが、地球に近づくにつれて無重力圏ができてくるのです。はじめは無重力
圏の面積は小さいですが、近づくにつれて大きくなっていきます。そして、地球と最も
近づく1500メートルの時点で、天体Mの核の手前600キロメートルのあたりまで
無重力圏が広がって最大になるのです。そして、前後を通じて800秒ほどの間、天体
Mの水圏の一部は一時無重力状態になるのです。この無重力圏は、ちょうどそこだけが
水がめのフタを外した状態になると考えてよいでしょう。これについて高橋氏は、非常
に緻密な計算を積み重ね、多くの図を使って説明していますが、かなり複雑なのでこれ
については省略します。
 しかし、水がめのフタが開いたといっても、それは半径600キロメートルぐらいの
ものです。水圏自体は、巨大な水圧で天体Mの核へと引きつけられているのです。した
がって、そこから、水が外に向けて凄い勢いで噴出するためには、その無重力圏に対し
て、相当強い水圧がかかる必要があるのです。高橋氏はその圧力がどのくらいになるか
計算することに成功しています。
 結論からいうと、この半径600キロメートルほどの中央開口部には、約500万気
圧の圧力が天体M自身のタテ方向(半径方向の水圧)の水圧の集積としてかかってくる
のです。
 天体M自身の水圧は半径方向に天体Mの中心に向かって、圧縮するような方向にかか
っているのです。そこに一ヶ所無重力面ができるのです。つまり、圧力がなくなるわけ
です。この部分に関しては核に方向に押し付けられてはいないのです。そのため、開口
部には天体M自身の水圧が凄い力でかかってきます。
 数値を出しておくと、開口面積が半径600キロメートルの円の場合は、約250万
気圧、開口面積が2000キロメートルの場合は、70万気圧になるのです。この無重
力圏の圧力は、地球との距離が近くなると急に大きくなり、少し距離が遠のくと極端に
小さくなるのです。
 しかし、結論として述べた500万気圧にはあと250万気圧も足りません。高橋氏
は、その250万気圧に、地球の引力による「ずり下がり水圧」が加わるとていってい
るのです。
 無重力圏の圧力は、地球との距離が離れているときは数万気圧してかからないのです
が、このずり下がり水圧は、相当遠い距離からきいてくるのです。数値でいうと、無重
力圏の気圧がせいぜい1万気圧のときに、ずり下がり水圧は、早くも20万気圧ぐらい
になっているのです。
 ここで、添付ファイルの図を見ていただきたいのです。これはずり下がり水圧が横圧
によって生ずることを示しています。天体Mの水圏を仮に11の層に分け、外側から順
にⅠ、Ⅱ、Ⅲ・・・というように番号をつけます。
 さらに1つの層を10個の輪に分け、その輪をエレメンタリ・バンドとします。この
バンドが地球の重力に引かれて、地球方向に向かってずり落ちてくるのです。
 任意の1つのバンドは、縦方向、つまり天体Mの半径の方向に圧力を受けています。
もし、ここが固体である場合は、この圧力によって摩擦力が働くので、バンドがずり落
ちることはないのですが、水天体では摩擦がないので、このバンドのずり落ちを止め力
はありません。
 各バンドは、その下のバンドに圧力を加えるので、最も下方のバンドは、その上方の
バンドの重みをすべて受けることになるのです。したがって、最後のバンドの側面は、
上方の質量の重みを全部、少ない面積で受け止めるので、その面に対する水圧は、開口
面積が狭いほど高くなります。高橋氏の計算によると、その水圧、すなわち、ずり下が
り水圧は最高230万気圧になります。合計すると、約500万気圧になります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
        無重力圏の異常水圧 ・・・・・ 最高250万気圧
        ずり下がり水圧 ・・・・・・・ 最高230万気圧
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これはすさまじい水圧であり、水はノズルのように物凄い勢いで外に飛び出し、地球
上に注ぎます。その水の量は、数京トン(京は兆の1万倍)――これだけの水を毎秒2
0キロメートルでノズル状に地球上に飛ばすのです。地球がこの水によって埋め尽くさ
れても不思議はないのです。これが「ノアの洪水」であるというのが高橋氏の説です。
それは聖書でいうところの次の状況そのものです。天の窓(開口部)が開いたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      この日、大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれ
      た――「創世記」第7章11節より
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
                        ・・・ [ノアの洪水2/03] 

横圧はどう働いたか.jpg  
            

2007年02月05日

サハラ砂漠は約千秒で造られた(EJ第1023号)

 突如姿をあらわした天体Mが、どんどん地球に近づいて、衝突寸前に地球をかすめて
天空の彼方に消えたとき、地球上では何が起こったかについて述べてみます。
 天体Mはいきなりその姿をあらわし、みるみる大きくなって、空いっぱいに広がりま
す。昼間なのにあたりは暗くなり、やがて真っ暗闇になります。しかし、それも長く続
かず、再び明かりは戻ってきます。人々は一瞬ホッとします。その間に天体Mはどんど
ん小さくなって、やがて宇宙の彼方に消えてしまいます。その間、わずか7分間です。
 このあたりになって人々は騒ぎ始めます。「今のは、いったい何だったのか」と。そ
のときにわかに空が灰色に濁りはじめ、雷がとどろき、巨大な稲妻が空を走ります。同
時に、どぉっーと雨が降ってきたのです。雨は豪雨となり、滝となって流れます。
 みるみる大地は水で覆われて今までに体験したことのない洪水が発生します。海岸線
はどんどん後退し、しかも勢いを増しながら水は陸地を飲み込んでいきます。やがて、
轟音とともに高さ5000メートルに及ぶ津波が発生し、多くの人間や動物が波に飲み
込まれていきます。高い山に逃れた人もほんの少し生き延びたに過ぎず、上と下からく
る波にさらわれてしまい、多くの生命が失われたのです。
 やがて全世界を覆った水は海へと流れて行き、海の水かさは増して、海岸線は大きく
後退したのです。多くの生物は絶滅し、地球の生態系は激変してしまいます。海流や気
候も一変し、それはもはやかつての地球ではなくなってしまったのです。
 どうでしょうか。これは、まさに「ノアの洪水」そのものではないでしょうか。高橋
氏の計算によると、天体Mから地球に落とされた水はおよそ4OO京トン〜600京ト
ン――1京=1兆×10000――になりますが、それは天体Mの持つ水量の0.4〜
O.6%に過ぎないのです。この量の水は、地球に持ってくると、深さ12キロメート
ルの海になります。
 これらの水の多くは、ちょうどホースから出る水のように、スプラッシュ状態になっ
て地球上に落とされたのです。天体Mから落とされた水は、地球の成層圏上に乗り、そ
の軌道を回り続けて徐々に地上に落下していったと考えられるのです。つまり、水はス
プラッシュ状になって、世界中にばらまかれたのです。
 高橋氏は、思考実験をここまで続けて、天体M仮説の証拠探しをやっています。本当
に天体Mによって地球に膨大な水がもたらされたのであれば、必ずその痕跡がある――
というのが高橋氏の考え方です。
 高橋氏が目をつけたのは、天体Mが地球に放った水の軌跡なのです。膨大な水のスプ
ラッシュが地上に激突すれば、そこに何らかの痕跡が残るからです。それを見つけよう
というわけです。
 高橋氏は興味深い前提を立てています。それは、地球上の現在における異常な人口密
度の偏在です。高橋氏は、世界中で非常に広い地域が、極度に高い人口密度を示してい
るという事実に注目しています。それは、中国、インド、ヨーロッパです。
 高橋氏によると、これらの地域は、生態系の発展過程において中断がなかったからで
はないかというのです。ということは、生態系の中断があったところは、現在でも人口
が疎らであるということになります。
 高橋氏は、これら中国、インド、ヨーロッパを避けて、天体Mからのスプラッシュの
飛んだ方向を探索した結果、主力スプラッシュの飛んだとみられる方向は、インドの東
からシナイ半島へ、そして西へとたどったものと推測したのです。そこには、サハラ砂
漠があったのです。
 このサハラ砂漠――実は地球の謎のひとつなのです。なぜならサハラ砂漠のすぐ隣接
地帯は、気候温暖な地中海沿岸諸国になっていますし、また、サハラ砂漠と同じ緯度の
ところで、人類が凄く繁栄しているようなところがあります。それなのに、そのような
ところに、なぜ、あのような大砂漠ができたのでしょうか。
 高橋氏は、天体Mからの巨大スプラッシュが原因であると考えたのです。彼は次のよ
うにいっています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       このサハラ砂漠の砂は、天体Mから直撃水と一緒にきたもの
      だ。スプラッシュの中には砂まじりの水があったのだ。これは
      宇宙の鉄砲水だ。巨大な砂泥流が、もともとは緑成す大平原、
      文化栄えし土地を、一挙に襲ったのだ。
             ――高橋実著、『灼熱の氷惑星』より。原書房刊
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 高橋氏の計算によると、スプラッシュの速度は毎秒最高30キロメートル〜毎秒11
キロメートルを超えていたので、この状態で数十京トンの直撃水がきていたとしても、
水のほとんどは地球を離脱して飛んでいこうとします。
 しかし、その水に砂が混じっていたら・・・と高橋氏は考えたのです。そして、次の
ようにいっているのです。
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      特に決定的なことは、この大量の砂を含んだ水であったからこ
      そ、高速度のスプラッシュに制動が利いて、スプラッシュは低
      速度になり、地球に止まり得た――という考え方であった。
             ――高橋実著、『灼熱の氷惑星』より。原書房刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 大砂泥流を含んだ巨大なスプラッシュのうち、毎秒30キロメートルから11キロメ
ートルという高速度のものはサハラ砂漠の現在ある場所の上空を30秒ほどで通過し、
大西洋のはるか上空に出て地球を離脱しています。
 そして、毎秒11〜8キロメートルまでのものは、地球の長周期衛星となり、毎秒8
キロメートル以下のものは、円軌道衛星のコースをたどりながら地球に落ちていったの
です。そして、それ以下の毎秒数キロメートルの大砂泥流は、サハラ砂漠を一瞬、いや
約1000秒の間に造った――高橋氏はそう推測したのです。サハラ砂漠の砂の量は、
2000兆トンもあるのです。            ・・・ [ノアの洪水/04]

2007年02月06日

大炭田はいかにして造られたか(EJ第1024号)

 昨日のEJで、天体Mから地球に向けて噴出された大量の砂を含む水は、400京ト
ン〜600京トンと推定されていると述べました。しかし、これらの水のほとんどは地
上には落ちず、地球外に飛び去っているのです。地上に落ちたのはほんの一部です。し
かし、そのほんの一部の天体Mの水が地球上に大きな変化をもたらしているのです。
 高橋氏は、天体Mからスプラッシュ状で地球に移された水は、10京トン程度である
と計算しています。この10京トンの水が海に入ると当然海面が上昇します。しかし、
海の水が増えるとそれに比例して長い期間をかけて陸塊が浮上するのです。
 海に落ちた水の重さによって地球のマントルがゆっくり動き、圧力均衡を保つために
陸塊は徐々に押し上げられるのです。これを「アイソスタシー」といいます。天体Mか
ら地球に移された水の量と「海の浮上」「陸の浮上」の関係は次のように計算されてい
ます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
         移された水  海の浮上  陸の浮上
          3.5京トン  100m   30m
          7.0京トン  200m   60m
         10.5京トン  300m   90m
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ここで、陸の浮上は、海に水が入ってから1年に5ミリメートルとされているので、
100メートル浮上するのに2万年かかる計算になります。そうであるとすると、現時
点で陸の浮上が終ったのか、まだ浮上中なのかが関心のあるところですが、いわゆるノ
アの異変がいつ起こったのかがはっきりしない限り、それはわからないのです。高橋氏
は、天体Mからの水は10.5京トンで海は300メートル浮上したと想定しており、
このケースでは現在でも浮上中ではないかと述べています。
 ここで、天体Mから地球に降ってきた砂について、もう少し考察してみることにしま
す。
 天体Mにおいて、この砂は天体Mの核の周辺にあったはずです。つまり水圏の底部に
あったのです。表面からの深さ3000キロメートルの深部です。その砂が大量の水と
ともに地球上に落ちてくるには、それらの砂が表面に上がってきている必要があるので
す。それはどのようにしてそうなったのでしょうか。
 地球に水が移される直前、天体Mの水圏の底深く、核の表面に近いあたりまで無重力
圏ができたことは、EJ1022号で、お話ししています。しかし、その時間は100
秒ほどであり、この短時間の間に底の方の砂が表面に出てくるはずはないのです。
 ここで思い出していただきたいのは、天体Mが地球とニアミスを起こす数千秒前から
起こっていた地球の方向へのずり下がり圧力のことです。これは遠くからでも働く「ず
り下がり引力」が原因となっていて、その均衡を保つために、卵形殻を形成しようとす
る水の動きがあるのです。
 この卵形殻は地球の重力が引っ張っている方向に突き出す形になっていて、その瞬間
ごとの内部水圧の均衡を保つのです。水のこの動きによって約500京トンの水が、核
周辺の砂ごと、もの凄い勢いで天体Mの表層部に向かって奔流のように移動してくるの
です。そのため、天の窓が開く前にすでに大量の砂が表層近くまで、きていたのです。
 さて、地上に落ちてきた砂ですが、それは摂氏1000度前後の熱い砂なのです。一
緒に落ちてくる水も熱湯ですから、地底のマグマから噴出される溶岩の熱と同じと考え
ればよいのです。砂の総量は1000兆トン以上もあるのです。
 実は高橋氏はこの熱い砂が石炭や石油を作ったと考えているのです。天体Mからのス
プラッシュの通った軌跡をたどると、そこに石油地帯と大炭田が分布しているのです。
石油についてはあまり説得力はないのですが、石炭については高橋氏の説はかなり説得
力があります。
 大炭田を作った熱源がマグマの熱にあるとするなら、石炭ができたところは、理屈か
らは地殻の大変動のあった場所ということになります。しかし、実際には世界の大炭田
はことごとくといってよいほど、造山帯や地震帯とは全く関係のないところでできてい
るのです。
 世界最大の大炭田分布地帯であるミシシッピー流域ももちろんそうですし、シベリア
の炭田も中国の炭田もその通りなのです。地震帯とは関係ない安定した平野でそれらは
できているのです。
 日本人は、石炭は深い地底を掘り進むものと考えています。日本の炭田はそうだから
です。しかし世界の大炭田のあり方は、そこへ石炭の厚い層を敷き並べて、まるで「置
いたように」存在するのです。もちろんその上に表土はありますが、それを採掘する手
段は掘り進むのではなく、置いてあるものを拾うというイメージなのです。しかし、そ
の熱源が特定できないのです。
 以上のことを前提として、世界の大炭田の熱源が天体Mからの熱い砂泥流であると考
えてみます。肥沃な大平原の上に大量の熱い砂泥流が一瞬の間に襲ったとします。いう
までもないことですが、この熱い砂泥流が襲った地域のあらゆる生物――バクテリアに
いたるまで、一瞬のもとに死に絶えます。
 この砂の熱床は、石炭の原体物資が堆積する場所に、原体物資よりも早く沈積して、
一大熱床を形成します。その上に原体物資として植物の大遺体群が敷き並べられるので
す。さらに後から若干の砂が積もっていきます。
 水が退き、大平原には新しい地形がつくられますが、そこは一層広い範囲に沈積した
砂が山岳地帯の方まで広く分布しているのです。これらの砂は早く冷却しますが、その
後の年月の雨で流されて、平原の上に新しい上層堆積を造っていきます。こうして上部
が覆われると、最初の熱床を形成した砂の熱は内部にこもり、植物の遺体を全部蒸し焼
きにし、炭化させていくのです。このようにして大平原の石炭の炭田ができたのです。
イシヤキイモをつくるのと同じ理屈です。     ・・・ [ノアの洪水2/05]