INTEC JAPAN/BLOG

このフォーラムは、異文化研修の教育機関(株)インテック・ジャパンの情報発信用です。
最新のニュースを毎週月曜日にお届けします。

2008年08月25日

超巨大小売業IKEA成功の秘訣を探る/その5/0121号

●スウェーデンを脱出するカンプラード

 IKEAのストックホルム店が大成功を収めた1970年代の前半において
カンプラードはヨーロッパ大陸へのIKEAの進出を考えていたのです。その
初出店先はスイスと決めたのです。
 しかし、スウェーデンの企業が外国で仕事をするのは容易なことではなかっ
たのです。スイスで持ち出せる資金は500万クローネの制限があり、おまけ
にスイスで稼いだ利益はスウェーデンに送らなければならなかったのです。
 500万クローネでは家具店の建築費が出ないので、借金嫌いのカンプラー
ドもスイスでは融資を受けなければならなかったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 外国で投資をしたことがカンプラードに決定的な転機をもたらした。スウェ
 ーデンの法律は、彼が国内で儲けた金を海外で好きなように投資するのを許
 さなかった。そのためカンプラードは企業家としての自由が制限されている
 と感じた。これは要するに、ストックホルムの政治家や役人が勝手に決めた
 ことにイケアが縛られているということだった。
            ――リュディガー・ユングブルート著/瀬野文教訳
     『IKEA/超巨大小売業、成功の秘訣』 日本経済新聞出版社刊
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 このことが契機となってカンプラードは、スウェーデンにIKEAの親会社
と事務総局を置くことをあきらめ、一家でスウェーデンを離れることを決めた
のです。この国では企業家に対してしかるべき敬意が払われていない――カン
プラードはそう考えたのです。ドイツ人作家ハンス・マグヌス・エンツェンス
ベルガーは、当時のスウェーデンについて次のように書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 スウェーデンのような社会では、金持ちは面白くないだろうと思われる。い
 やまったく、税金だけならまだしも我慢ができただろう。たとえ不承不承に
 せよ、彼らとてやはり立派な市民として、税金だけはきちんとおさめるつも
 りでいるのだから。だがそれよりも彼らの自尊心を傷つけるのは、誰一人と
 して彼らの運命に理解を示さないことである。
      ――リュディガー・ユングブルート著/瀬野文教訳の前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 要するに、金持ちが邪魔者扱いされ、さげすまれ、排除される国になってし
まっていたのです。なかでもカンプラードが一番心配していたのは相続税の問
題です。当時のスウェーデンの税法では、相続者は遺産全体のわずか35%し
かもらえず、残りの65%は税務署に持っていかれたのです。
 これから逃れるのは、カンプラード一家が半永久的にスウェーデンを離れる
しかない。カンプラードは妻や弁護士と相談した結果、とりあえず隣の国であ
るデンマークに移ることにしたのです。
 1973年、準備を整えて、カンプラード一家はデンマークに移住します。
その時点で既にIKEAは、従業員を1000人を抱える家具商に成長してお
り、その企業価値は1億6000万クローネに達していたのです。

●IKEAの経営バイブル「ある家具商人の遺言」

 カンプラードは、スイスを手始めとして、フランス、ドイツ、デンマークな
ど、ヨーロッパのほぼ全域に出店攻勢をかけたのです。このようにビジネスが
拡大していくと、当然のことながら、すべてをカンプラードが企画・決定・管
理をすることが不可能になります。
 そこでカンプラードは、それぞれの国の店舗の責任者となる幹部社員たちの
ために、「ある家具商人の遺言」というタイトルのIKEAKの経営バイブル
書というべきものを書き始めるのです。そのとき彼はまだ50歳に手が届いて
いなかったのです。それはまさにカンプラードの企業に対する考え方や経営哲
学そのものであったのです。
 カンプラードは、企業は金儲けの手段ではなく、職業はけっして、生活の糧
を得るためだけのものではないと説き、働くということについて次のように述
べています。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 だが働くよろこびがなければ、人生の三分の一は失われたも同じである。そ
 の喪失感は、机の引き出しからマンガ本を取り出して読んだところでけっし
 て埋まらないだろう。人間の幸福というのは、目的を達することにあるので
 はなく、実現するまでの過程が幸せなのである。   ――上記前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 卓越なる企業経営者の至言には似ているものが多いものですが、カンプラー
ドの場合、他の経営者とは異なっています。企業の目的を果たすための資金の
調達についてカンプラードは「ある家具商人の遺言」で次のようなユニークな
ことをいっています。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 そのために企業は資金を必要とするが、それは自分で手に入れなければなら
 ない。銀行から金を借りるとか株主から資金を集めるなどは論外である。資
 金を調達する場合も信頼できるのは自分だけだ。   ――上記前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――――――以上

2008年08月18日

超巨大小売業IKEA成功の秘訣を探る/その4/0120号

●社会主義国ポーランドとの提携で納入業者不足を解決

 1960年の話です。その頃IKEAは家具の注文は増えているのに、生産
にネックがあって商品の補充が追いつかないという悩みを抱えていたのです。
そのネックとは、IKEAの商法に反発するスウェーデン国内の家具メーカー
の多くが、IKEAとの取引に応じてくれなかったことです。
 結論からいうと、カンプラードはこのネックを当時社会主義国のポーランド
と提携することによって乗り切ったのです。そのきっかけは、カンプラードが
新聞でポーランドの貿易相がスウェーデンにやってくるという記事を読んでひ
らめいたことなのです。
 カンプラードは、ポーランドの貿易相に手紙を書き、自分の会社を紹介し、
ポーランドの家具メーカーと提携する用意があることを伝えたのです。数ヶ月
後やっとポーランドからワルシャワで話がしたいという趣旨の招待状が届いた
のです。1961年1月、カンプラードはポーランドを訪問したのです。
 ポーランドとの交渉は曲折があったものの成功し、IKEAはポーランドと
長期契約を結ぶことに成功したのです。これによってIKEAは、品不足を心
配することなく、商品を満載したカタログによって注文を受けることができた
のです。さらに何よりもIKEAにとってプラスだったことは、スウェーデン
の家具業者が絶対に追いつくことができない価格優位を実現したことです。
 カンプラードの伝記作者のバッティル・トーレクルは、スウェーデンの業界
が行ったIKEAに対するボイコット攻撃について次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 エルムフルトの成り上がり者を邪魔してやろうという試みは、皮肉なことに
 かえってその成り上がり者をさらに強くしてしまった。
            ――リュディガー・ユングブルート著/瀬野文教訳
     『IKEA/超巨大小売業、成功の秘訣』 日本経済新聞出版社刊
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

●低価格に高品質が加わったIKEAの家具

 ポーランドとの提携で納入業者不足を解消したカンプラードは、さらなる飛
躍を求めて、スウェーデンの首都ストックホルムに進出する計画を立てます。
カンプラードが敷地として選んだのは、ストックホルム郊外の広大な土地であ
り、家具店の利用面積は、約4万6000平方メートルの広さだったのです。
ここにニューヨークにある円形のグッゲンハイム・ミュージアムを模した家具
店を建設したのです。これは家具店としてはかつてない広さだったのです。
 このビルの建設にはエルムフルト1号店の30倍もの資金がかかったといわ
れますが、IKEAはそれをすべて現金で支払ったのです。IKEAはその時
点でそのぐらい儲かっていたのです。
 オープンは1965年6月のことです。初日だけで実に1万8000人のお
客がストックホルム南西の新しい家具店を訪れたのです。IKEAのストック
ホルム進出が大成功を収めたのは、次の2つの幸運が後押ししたためです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
    1.一流インテリア雑誌の家具の商品テストに合格
    2.ストックホルムの住宅政策にフィットしたこと
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 IKEAのストックホルム店がまだ建設中のときのことです。スウェーデン
の有名なインテリア雑誌「くつろぎ百科」が、大々的な家具の商品テストを行
い、IKEAの家具と老舗の有名家具メーカーの製品の比較を行ったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 IKEAの商品が安いことは、当時スウェーデンの国内ではよく知れ渡って
 いたから、値段については想像の範囲であった。だが品質テストの結果には
 誰もあっとおどろいた。専門家が公平に審査したところ、なんとライバル社
 の製品よりもIKEAの製品の方が高品質だったのです。品質テストで勝利
 を得たのは、ポーランドで製作されたIKEAのチェアで、比較対照された
 他社の一番高価なチェアのわずか4分の1の値段で、しかも耐久テストにも
 壊れることなく合格したのです。
            ――リュディガー・ユングブルート著/瀬野文教訳
     『IKEA/超巨大小売業、成功の秘訣』 日本経済新聞出版社刊
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 IKEAの家具は安かろう悪かろうであると思われていた時期に、この「く
つろぎ百科」の商品テストはIKEAにとって絶好の追い風となったのです。
家具業界は激しく反発したものの、テストの結果には異議をはさむ余地はなく
業界の完敗だったのです。
 そこで、業界は戦法を変えて、IKEAの家具のデザイン性の貧弱さを攻撃
したのです。しかし、これについてはそのときスウェーデン政府が進めていた
住宅政策がIKEAに味方したのです。
 当時のスウェーデンの国民にとって住宅選択の余地は少なく、住宅は不足し
ていたのです。そこで国としては効率の良い集合住宅に力を入れており、都市
郊外に団地が急ピッチで建設されていたのです。IKEAの家具はこういう住
宅にぴったりであり、価格も安く、それに品質も良いということで、スウェー
デンの国民に受け入れられたのです。                以上

2008年08月11日

超巨大小売業IKEA成功の秘訣を探る/その3/0119号

●商品の組み立て家具化を推進する

 エルムフルトの家具展示場は大成功だったのです。週末だけのイベントだっ
たのですが、毎週多くの人がまるで巡礼者のように展示場に押し寄せ、カタロ
グの発行部数は、50年代半ばには50万部に達したのです。
 カンプラードは、スウェーデン鉄道と交渉して、来店客の乗車券の割引を実
現させ、IKEAで家具セットを注文したお客には、エルムフルト・ホテルで
のディナーに無料招待するなどサービスに務めたのです。
 それから数年経ってIKEAでは、MAXという名前のテーブルをIKEA
の商品に加えることにしたのです。MAXは、消費者が自分で組み立てねばな
らないテーブルであるという点が今までの家具とは違っていたのです。
 組み立て家具のIKEAサイドのメリットには、次の3つがあったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
             1.梱包しやすい
             2.運送しやすい
             3.破損しにくい
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 組み立て家具のアイデアは、注文されたあるテーブルをIKEAの4人目の
社員であるジィリス・ルンドグレンが梱包しようとしたときに、偶然浮かんだ
アイデアなのです。「テーブルは足を外したほうが梱包しやすい。足なんか抜
いてしまえ」――ルンドグレンはこう言い出したのです。彼は、IKEAでは
カタログ製作などの広告デザインの仕事をしていたのですが、なかなかのアイ
デアマンで、IKEAの発展に大きく寄与した人物です。
 確かにテーブルは、足を外すことにより、平らな包装(フラットパック)に
なるので、運送しやすく、運送コストも大幅に安くなったのです。それに、運
送時に起きる家具の破損を軽減する効果もあったのです。
 しかし、組み立て家具の販売はIKEAが最初ではなかったのです。スウェ
ーデンの百貨店グループのNKデパートは1940年代において、IKEA以
前にこのやり方で成功を収めていたのですが、あくまでそれを好む特定客向け
の販売であり、それほど力を入れてはいなかったのです。
 カンプラードは、頻繁に家具工場を回り、家具の製作現場にまで足を運んで
家具の組み立て販売の有用性を説き、テーブル以外の家具にも組み立て商品化
を進めていったのです。これによって、カンプラードはIKEAの家具の価格
をさらに下げることに成功したのです。

●コンプライアンスを守らないIKESA

 IKEAの広告デザイナーであるルンドグレンは、これはというデザインの
家具を発見すると、それにバリエーションを加えて、新しいデザインの家具に
作り替えることが巧みだったのです。
 しかし、これは一種のパクリ行為であり、老舗の家具店や地元の同業者から
総反発を買ったのです。それでなくてもIKEAの安い商品が既存の家具メー
カーや販売業者の怒りを買っており、いくつもの訴訟を起こされる騒ぎとなっ
ていたのです。
 IKEAがそれらを無視して仕事を拡大していったところ、遂に家具販売組
合はIKEAに納品しているすべての家具メーカーに対して手紙を送り、今後
ともIKEAとの取引を続けるのであれば、既存の販売店からの受注は一切中
止するという勧告を行ったのです。
 しかし、地元の家具メーカーの中にはIKEAとの関係を継続したいと望む
ところもあったのです。価格は安かったものの、IKEAの受注は数が多かっ
たので、IKEAとの取引は家具メーカーとしてはメリットがあったのです。
 そこで、カンプラードは一計を案ずるのです。IKEAの子会社を多く作り
そこにはIKEAとは違う名前を付けたのです。そして、家具メーカーに対し
ては、そこから注文を出したので、家具販売組合の干渉をかわすことはできた
のです。当時のIKEAが、今時のコンプライアンスを守る優良企業でなかっ
たことは確かです。そのため、家具見本市から締め出されたり、いろいろいじ
められたのです。
 このようなありとあらゆる非難にもかかわらず、IKEAに忠実に納品を続
けた有力企業がいくつかあったのです。そのひとつがフォーム絨毯のメーカー
です。この企業はスウェーデン経済界最大の名門ボンニエル家の勢力下の企業
だったので、ボンニエル家がIKEAに出資しているのではないかという噂が
流れたのです。
 しかし、その噂は見当はずれであり、当時IKEAの株主はカンプラードた
だ一人だったのです。カンプラードは、あの孫正義氏が若い時に年長の高名経
営者に可愛がられたように、不思議な魅力を持つ若き経営者として当時の大御
所経営者に目をかけられるという幸運に恵まれたのです。
 1958年にIKEAは、エルムフルトに最初の本格的な家具店を設立した
のです。7000平方メートルの床面積を備えたこの店舗は、5年前にオープ
ンしたそれまでの家具展示場とはまったく次元を異にするものだったのです。
それは当時のヨーロッパで最大のプレゼンテーションを誇るどこも真似のでき
ないものであったのです。カンプラードは、その店の経営トップに彼の最大の
腹心であるハンソンをすえたのです。                以上

2008年08月04日

超巨大小売業IKEA成功の秘訣を探る/その2/0118号

●最初に扱った家具は「RUT」である

 イングヴァル・カンプラードは、エルムタリッド農場に腰を落ち着けてから
も、通信販売で輸入品を小売商に卸売りする仕事に専念したのです。カンプラ
ードは珍しい商品――といっても家庭で使う実用品に限られていたのですが、
そういう商品を見つけては「IKEAの新商品」と題して広告ビラを作成し、
注文を取ったのです。
 しかし、それらの商品は、裁縫道具、ナイロンストッキング、グリーティン
グカード、種物、万年筆、紙入れなど、いずれも郵送しやすい小物ばかりだっ
たのです。あるとき彼はメッケルン湖の向こう岸の家具工場で素敵なチェアを
見つけたのです。何の変哲もないアームレスチェアだったのですが、カンプラ
ードは気に入ったのです。
 「そうだ、家具を扱ってみよう」――カンプラードはこのときはじめて家具
を「IKEAの新商品」に加えることを決意したのです。彼はそのアームレス
チェアに「ルート/RUT」という名前を付けて、売ることにしたのです。
 RUTをどのようにして売るか――彼は父親が購読していた「農民新聞」に
目をつけたのです。その新聞には、通信販売で家具を売る広告がたくさん出て
いたのです。カンプラードはあえてそこに割って入る決心をしたのです。
 カンプラードはあるメッセージを付けた「IKEAの新商品」のパンフレッ
トを作り、「農民新聞」に折り込むことにしたのです。農民新聞はその地方に
おいてよく読まれており、発行部数は28万5000部を超えていたので、大
変な費用がかかったのですが、あえてそれをやったのです。
 ところで、「あるメッセージ」とは何でしょうか。それは次のようなメッセ
ージであったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 お店の商品が高いのは、仲買人がいるためです。豚肉一キロを農場で直接手
 に入れるのと、お店で買うのとでは値段がぜんぜん違うでしょう!
            ――リュディガー・ユングブルート著/瀬野文教訳
     『IKEA/超巨大小売業、成功の秘訣』 日本経済新聞出版社刊
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 カンプラードのこの宣伝は功を奏し、RUTをはじめとする「IKEAの新
商品」は売れに売れたのです。この成功のなかで、カンプラードは商品を家具
に絞ることを考えていたのです。しかし、1950年代のスウェーデンで、家
具の通信販売を行う業者は多く、その競争は激しかったのです。その争点は何
といっても「価格」だったのです。
 IKEAも当然激しい価格競争に巻き込まれます。値下げ競争は果てしなく
続き、やがて品質を犠牲にしなければならない事態に陥ったのです。その限界
はすぐにやってきたのです。IKEAには、購入した家具に満足できない顧客
からの苦情の手紙が日を追って増えていったのです。

●家具展示場で「品質」を確かめさせるアイデア

 IKEAのこうした窮状を救ったのは、カンプラードが新たに社員として採
用したスヴェン・イェーテ・ハンソンという若者だったのです。ハンソンは、
カタログやパンフレットでは商品の品質までは確かめられないので、どうして
も価格が購入か非購入かを決める要素になる――何らかの方法で、事前に顧客
が品質を確かめられるやり方を導入すべきだと指摘したのです。
 このハンソンは、現在の企業の企画部長のような役割で、カンプラードの経
営を助けたのです。カンプラードとハンソンはその方法についてとことん話し
合い、家具の展示ハウスを作ることで意見の一致をみたのです。
 現在であれば、家具の展示販売は当たり前であって何の目新しさもありませ
んが、当時家具を展示販売しているところはなかったのです。展示ハウスの場
所は、かなりの都会で、鉄道の便も良いエルムフルトが選ばれたのです。カン
プラードは、展示場にふさわしい建物を物色し、ある閉鎖された家具工場を見
つけたのです。
 カンプラードとハンソンは、そこを家具展示ハウスにすることにして、準備
に入ったのです。そして、今後IKEAは、家具販売だけに専念し、事務用品
や文房具の通信販売はやめることにしたのです。
 そして、新しいカタログを作成し、新聞広告や常連客へのダイレクトメール
を通じて次のことを訴えたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 カタログをお求めのお客様には、エルムフルトの家具展示場への招待券を差
 し上げます。どうぞじっくりご覧になって、品質をお確かめください。
            ――リュディガー・ユングブルート著/瀬野文教訳
     『IKEA/超巨大小売業、成功の秘訣』 日本経済新聞出版社刊
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 1953年3月18日にIKEA展示場はオープンしたのです。門が開く前
から約1000人が行列を作り、大勢の顧客が押し寄せたのです。そして展示
家具は売れに売れたのです。注文された品物はメーカーの工場から顧客に直送
されたので家具を保管する倉庫もいらなかったのです。
 そしてこの成功によって、IKEAの売り上げは300万スウェーデンクロ
ーネになり、前年の2倍に跳ね上がったのです。           以上

2008年07月28日

超巨大小売業IKEA成功の秘訣を探る/その1/0117号

●「IKEA/イケア」の由来を知る

 「IKEA/イケア」をご存知でしょうか。
 「IKEA」は、スウェーデンの大手家具店で、2006年4月に日本に進
出し、目下大ブレーク中です。この「IKEA」という企業の凄さは、銀行か
らお金を借りず、株式市場に上場して資金を調達することもせず、もっぱら、
自分の稼いだお金だけで、グローバル企業にのし上がったことにあります。
 「IKEA」については、2007年に次の書籍が発売され、この世界一の
企業が編み出す「儲けの秘密」を明らかにしています。そこで、「インテック
・フォーラム」では、何回かに分けて「IKEA」の成功の秘訣を探ってみた
いと思います。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
           リュディガー・ユングブルート著/瀬野文教訳
  『IKEA/超巨大小売業、成功の秘訣』 日本経済新聞出版社刊
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 「IKEA」――イケアというネーミングの由来は何でしょうか。
 「IKEA」の4文字は、次の言葉の頭文字なのです。この文字の中に「I
KEA」のルーツがあります。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
    IKEA = Ingvar Kamprad Elmtaryd Agunnaryd
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 「Ingvar Kamprad」というのは、イングヴァル・カンプラード――「IKE
A」の創業者の名前です。「Elmtaryd Agunnaryd」――アグナリッド村のエル
ムタリッド、これは南スウェーデンの辺鄙な農場の名前であり、「IKEA」
の創業者イングヴァル・カンプラードが少年時代に家族とともに暮らしていた
場所なのです。
 日本語のカタカナ表記は「イケア」、ドイツやオランダも同じ「イケア」で
すが、アメリカやオーストラリアなどでは「アイキア」となります。中国では
「宣家家居」というのです。

●「IKEA/イケア」を創業する

 「IKEA」の原点は、17歳のイングヴァル少年が北欧最大の港町ヨーテ
ボリで、最初に設立した会社にあります。ヨーテボリは、ボルボ、SKF(ス
ゥエーデン・ボールベアリング工場)、ハッセルブラッドといった有名な企業
が拠点を構えるスウェーデン経済の重要な中心地なのです。
 イングヴァル少年は、ヨーテボリで高等商業学校に入学して、商売の勉強を
しながら、商売をやろうと考えていたのです。これについて、前掲書では次の
ように書いてあります。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 高等商業学校でイングヴァル・カンプラードははじめて理論を学んだが、そ
 れらはすでに何年も前から実地で覚えたことばかりだった。若き経営者イン
 グヴァルにとってもっとも興味深かったのは、教授たちが論ずる販売の問題
 だった。つまり、「どうやったら、最短距離で工場から顧客に商品をとどけ
 ることができるか?」、「一番有利な仕入れ値で商品を購入できるのはどこ
 か」といった問題だった。
            ――リュディガー・ユングブルート著/瀬野文教訳
     『IKEA/超巨大小売業、成功の秘訣』 日本経済新聞出版社刊
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 カンプラードは学校の図書館で経済新聞からスウェーデンの取引相手を探し
ている外国の会社に目をつけると、そこに手紙を書いて商品を取り寄せて販売
をはじめたのです。学校でそれが一番手っ取り早い商売であると教わったから
です。ベルトや紙入れや万年筆や時計――なんでも扱ったのです。
 彼は列車に乗って、南スウェーデン中をまわり、土地のタバコ屋やおもちゃ
屋などを一軒ずつ訪問して、商品を売り込んでいったのです。そんなに簡単に
売れるはずはなかったのですが、彼は頑張り抜いて少なくとも仕入れた商品は
売り捌くことに成功したのです。こういう地道な営業努力を通じて、カンプラ
ードは商売というもののコツを掴んでいったのです。
 こうしているうちに、カンプラードは小さな広告を新聞に載せるようになっ
たのです。これが少しずつ成果を挙げるようになり、それが営業の効率化に役
立つことを知ったのです。
 1947年にカンプラードは兵役に服さねばならなくなります。しかし、彼
は少しずつ軌道に乗りつつある商売をやめたくなかったので、上官と掛け合っ
て、夜間は兵舎にいなくてもいいという許可をもらい、ある一軒家の地下室に
事務所を設けたのです。
 連隊の同僚たちは、一日の勤務が終わると、みんな居酒屋に出かけたのです
が、彼は事務所にこもって商売に没頭したのです。当時の「IKEA」の品目
は、裁縫道具、ナイロンストッキング、グリーティングカード、種物、万年筆
紙入れといったところだったのです。新聞に広告を出して注文を取る単純なビ
ジネスモデルだったのですが、商売は面白いようにうまくいったのです。
 兵役が終わると、カンプラードは両親のいるエルムタリッドに戻り、腰を落
ち着けて商売の展開を始めます。                  以上

2008年07月22日

要人の携帯電話利用には3つの危険がある/0116号

●政府要人の携帯電話は“傍受”されている

 携帯電話は使う側から考えると非常に便利な通信手段であるが、情報社会に
おけるテロ攻撃という見地からはきわめて脆弱な通信インフラである――こう
いうのは、著名な軍事評論家の江畑謙介氏です。
 携帯電話は電波を使うことによる移動の自由が身上ですが、江畑氏によると
電波にはいくつかの弱点があり、それによる携帯電話の問題点を3つ指摘して
いるのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
           1.電波は傍受されやすい
           2.現在位置が特定される
           3.電波妨害を受けやすい
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 第1の問題点は「電波は傍受されやすい」ことです。
 外に電波を放出する以上、電波は傍受されやすいのです。一般生活において
も携帯電話や室内コードレスフォンの電波が傍受され、いたずらや個人攻撃に
悪用される問題点が多く発生しています。
 そういう携帯電話を首相をはじめ政府の要人が使うことには大きな問題があ
るのです。元警察庁国際部長の大貫啓行・麗澤大学教授は電話傍受の危険性に
ついて次のように指摘しています。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 (携帯電話での)会話はすべて傍受されているはずで、当然、安全保障上の
 問題はあります。だから福田首相は、米国をはじめ通信傍受能力を有してい
 る先進情報諸国から首相官邸、携帯電話、自宅の電話などを傍受されている
 という前提で行動しなければなりません。
             ――『週刊ポスト』/2008年7月18号より
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 傍受を防ぐ方法がないわけではないと江畑氏はいいます。携帯電話に暗号化
装置を付けるとか、スクランブル機能といって別の信号を混ぜて発信する機能
を付ける方法があり、官邸にはそういう携帯電話が用意されています。
 しかし、相手方の携帯電話にもその暗号を解読したり、スクランブルを解除
できる機能がなければならないので、特定の相手としか通信できないのです。
福田首相をはじめ政府要人はこれを嫌って、一般の携帯電話を使っているもの
と思われます。

●現在の位置を特定される危険

 第2の問題点は「現在位置が特定される」ことです。
 首相や政府の要人が携帯電話を使うことの危険性は、その要人が現在いる位
置が特定されてしまうことです。とくに首相や政府の要人にとって現在位置が
特定されると、戦争ではマイクロウェーブ兵器などによる攻撃を受ける可能性
もあり、安全保障上好ましいことではないのです。
 どうして携帯電話を使うと現在位置がわかってしまうのかについて、江畑謙
介氏は、次のように説明しています。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 携帯電話のスイッチを入れると、しばらくして感度表示が出るが、あれは携
 帯電話が一番近い中継局(通信基地局)との間で自動的に交信を行い、この
 持ち主の(この番号の)電話が今ここに居るということを、電話中継局のコ
 ンピュータに教えているのである。           ――江畑謙介著
      『情報テロ/サイバースペースという戦場』より 日経BP社刊
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 どのぐらいの精度で特定されるかは、通信基地局の密度によって異なってき
ます。最近では通信基地局の数が増加したことと、その精度が非常に向上して
いるので、かなり狭い範囲内に相手を特定できるのです。
 それに加えて、首相や政府要人は、移動において秘書や警護の人が周りを取
り巻いていますが、それらの人の持つ携帯電話からでも容易に現在位置が特定
できるのです。江畑氏は要人の携帯電話使用の危険性については次のようにコ
メントしています。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 要人は常に自分の、あるいは自分の秘書、副官、ないしは常に行動を共にす
 る人物が持つ携帯電話の番号を他に知られないようにせねばならないし、状
 況が緊迫したような場合には、一般的な携帯電話の使用は止めて、特別な回
 線を使った専用通信手段に限定する必要がある。     ――江畑謙介著
      『情報テロ/サイバースペースという戦場』より 日経BP社刊
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 第3の問題点は「電波妨害を受けやすい」ことです。
 携帯電話は電波を使うがゆえに電波妨害に弱いのです。携帯電話の電波はき
わめて微弱なものであり、簡単にして低コストで妨害ができるのです。したが
って、特定の場所で携帯電話が使えないようにすることなどは容易なのです。
 ということは、戦争を含めた緊急事態では携帯電話は真っ先に妨害されるこ
とを考えておくべきです。いずれにせよ、首相や政府要人は一般の携帯電話の
利用は控える見識を持つべきです。                 以上

2008年07月14日

要人の携帯電話セキュリティの現状/0115号

●なぜ、日本の要人は一般の携帯電話を使うのか

 さきの通常国会開催中のときの話です。そのとき国会では年金問題の総括質
疑が行われていたのです。民主党の議員が質問に立ち、福田首相と升添厚労相
とのコミュニケーションについて質問したときのことです。
 「私と升添さんとはいつも緊密に連絡を取り合っていますよ」と福田首相は
答えながら、スーツから携帯電話を取り出し、今ここでかけてみましょうか」
といったのです。そのときNHKテレビは国会中継をしていたので、非常に多
くの人がそれを目撃したことになります。
 もうひとつこんな話があります。2008年3月5日早朝、首相官邸小ホー
ルで開かれた「地球温暖化問題に関する懇談会」の初会合の席上で、それは起
こったのです。
 そのとき小ホールには、福田首相をはじめ町村官房長官、座長の前財界総理
・奥田碩トヨタ自動車相談役らのメンバーが既に揃っており、会議は今まさに
始まろうとしてしたのです。
 そのとき、「ちょっと失礼」といって、福田首相がスーツから携帯電話を取
り出し、「もしもし、福田です」と話しながら、席を外して部屋の外に出て、
誰かとなにやら話し込んだのです。
 普通のビジネスパーソンであればそういうことはよくあることですが、一国
の首相が人前で携帯電話を使うことは明らかに異様です。洞爺湖サミットは終
わったばかりですが、サミットに出席するような国のトップが携帯電話を使っ
ているのあなたは見たことがあるでしょうか。米国のブッシュ大統領が携帯電
話を使っている映像を見たことがあるでしょうか。
 おそらくないと思います。なぜなら、そういうことを警備の人が絶対にさせ
ないからでいす。どうしてでしょうか。危険だからです。ちなみに、米国では
大統領、副大統領、全閣僚、議会幹部、軍幹部は携帯電話は使っていますが、
すべて盗聴防止特殊モジュール搭載の携帯電話であり、その携帯電話でも機密
情報は話さないということが徹底されているからです。まして人前で携帯電話
を使うことなど論外です。
 しかるに日本の要人の携帯電話はどうなっているでしょうか。
 現在、福田首相の携帯電話はNTTドコモの市販の携帯電話ですし、町村官
房長官、官房副長官たちも一般の携帯電話なのです。盗聴防止特殊モジュール
搭載の携帯電話を持っているのは高村外相だけであり、それも外国首脳との電
話や機密情報のやり取りのさいしか使っていないのです。外相も一般の携帯電
話を持っており、普段はそれを使っているということです。
 昨今は「セキュリティ」ということがうるさくいわれますが、会話などが盗
聴されると国益にかかわる国の要人たちの一般携帯電話使用――なぜ、このよ
うな事態が起こっているのでしょうか。日本の国のセキュリティはどうなって
いるのでしょうか。

●ケータイへの依存度が高い福田政権

 『週刊ポスト』/7月18号に、次のような記事が出ています。宰相の携帯
電話使用は安倍政権のときからはじまったといわれています。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 かつて安倍政権の政府高官らは通常電話でホワイトハウスに電話していた。
 それに対して、ライス国務長官が不快感を示し、日米首脳の盗聴防止付きの
 直通専用回線ができたという経緯がある。複数の情報部門の関係者によると
 政治家が盗聴の対象になっているのは周知の事実で、それは当然に役人たち
 も知っていることだという。ところが、政治家が無警戒なのをいいことに、
 その状況を情報収集に利用しているというのだ。
             ――『週刊ポスト』/2008年7月18号より
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 小泉政権の5年半では、小泉元首相自身が携帯電話をプライベートでも持た
なかったので、要人の携帯電話使用は話題にもならなかったのですが、安倍政
権になると事情は一変したのです。
 安倍前首相は、主として携帯電話で連絡を取っており、とくに親しい塩崎官
房長官(当時)などとは携帯電話だけでなく、携帯メールでも頻繁にやり取り
していたので、それが他の閣僚たちへと広がっていったのです。
 それが福田政権になると官邸の携帯電話使用は当たり前になったのです。福
田首相はあらゆる機会に携帯電話片手にしゃべっており、もはや携帯電話は福
田首相の唯一最大のブレーンと化しているようです。町村官房長官などは「日
に2〜3回は総理とケータイで話している」と公言しているほどです。
 あまり知られていないことですが、福田首相はかなり前から携帯電話を使っ
ているのです。福田首相が小泉政権の官房長官のときにケータイへの迷惑メー
ルの件でキャリアの社長を官邸に呼び、事情を聞いているのです。そのとき、
福田官房長官(当時)は「ケータイ・メールは受信者にも料金がかかると聞い
ているが、そのために迷惑メール対策が遅れているのではないか」といったと
いうのです。キャリアの社長たちは福田氏が携帯電話に並々ならぬ関心を持っ
ていることに驚いたというのです。
 どうして、要人は携帯電話の利用に慎重であるべきでしょうか。これについ
ては、次回軍事専門家の江端謙介氏の意見を中心に解説します。    以上

2008年07月07日

『本を読む本』が伝授する現代読書術/0114号

●古典『本を読む本』が売れている

 『週刊/東洋経済』6/21特大号では読書術を特集しています。この時期
に読書術とは・・といぶかる向きもあるとは思いますが、実は次の本がこのと
ころ非常に売れているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
    M.J.アドラー/C.V.ドーレン著/外山滋比古・槇未知子訳
           『本を読む本』――講談社学術文庫/1299
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 この本は、講談社学術文庫に収められていることからもわかるように、19
40年に米国で出版され、世界各国で翻訳されて読み継がれてきているいわば
古典なのです。累計販売部数は約8万部ですが、その約半分がこの3〜4か月
で売れたというのです。
 売れた原因は、話題の公認会計士の勝間和代氏が自著で紹介したことがきっ
かけで、若いビジネスパーソンが一気に読み始めたものと考えられます。今時
の若いビジネスパーソンは話題本には目がないようです。
 ところで『本を読む本』とは、どういう内容の本なのでしょうか。
 著者のアドラーとドーレンは、ともにエンサイクロペディア・ブリタニカの
編集長を経験しており、本を4つのレベルに分けて読む方法をわかりやすく説
明しています。4つのレベルの読書法とは次の通りです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
    1.    初級読書――Elementary Reading
          ・小学校で学習する基本的な読み書きのこと
    2.    点検読書――Inspectional Reading
          ・短い限られた時間内で内容を把握すること
    3.    分析読書――Analytical Reading
          ・本全体について、分析的にじっくりと読む
    4.シントピカル読書――Syntopical Reading
          ・1つの主題を何冊もの本を関連づけて読む
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 「初級読書」で基礎を作り、「点検読書」で書店や図書館で本を選別し、自
らが興味のある本に絞って「分析読書」を行う――このレベルに達すると、読
み手は書き手の水準に到達できるといいます。そして、「シントピカル読書」
という最上級水準に達します。ひとつの主題について何冊もの本を比較読書し
客観理解をし、書かれていない主題をも発見するというレベルです。

●現代の情報収集にフィットする佐藤優式読書

 『週刊/東洋経済』6/21特大号では、6人の知的生産の達人の読書術が
披露されていますが、これら6人の達人の中にあって、アドラー/ドーレンの
『本を読む本』で説く読書術に一番近いのは、佐藤優氏の読書法です。
 興味深いことですが、佐藤氏は1930年出版の世界百科事典を毎日少しず
つ読んでいるというのです。なぜ、1930年代の百科事典なのかというと、
戦前の事典は絶対性が強いことに特徴があるからといっています。佐藤氏は百
科事典について次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 百科事典とは英語に訳すと「エンサイクロペディア」、つまり、「円環をな
 す」という意味だ。優れた百科事典には、ある時点で切った「知の円環=体
 系」が載っている。ここがオンライン百科事典の「ウィキペディア」と異な
 るところである。      ――『週刊/東洋経済』6/21特大号より
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 佐藤氏が戦前の百科事典を読んでいるのは、戦前の百科事典の持つ「知の体
系」を身につけようとしているのです。既に述べたように、アドラー/ドーレ
ンは百科事典の編集者であり、読書法の考え方が似ていて当然と思われます。
 佐藤氏は読書を「熟読」「速読」「超速読」の3種類に分けていますが、中
心になるべきはあくまで「熟読」であるというのです。しかし、忙しいビジネ
スパーソンが熟読すべき本は限られるので、熟読できない本の概要を短時間で
理解したり、読むべき本を決めるために「速読」と「超速読」を駆使すること
になります。
 書店に行って本を探し、これはという本を見つけたら、「超速読」で読むか
どうかを決めるのです。ここでは購入した本の「速読」をご紹介します。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 序文の1ページ目と目次を読んだら、以後はひたすら文字をできるだけ早く
 目で追う。重要な箇所は線を引き、ページ上に付箋を貼っていく。線を引い
 た部分はノートに書き写し、そこには簡単なコメントを書き込む。これは読
 了後、線を引いた部分に何が書いてあったかを忘れないための補強作業だ。
 一連の作業で記憶への定着は著しく向上する。     ――前掲雑誌より
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 佐藤氏は「速読」と「超速読」ができるためには基礎知識が必要であるとい
います。したがって、これらはアドラー/ドーレンの「初級読書」に該当し、
「速読」と「超速読」は「点検読書」、それに「熟読」は「分析読書」と「熟
読」の繰り返しは「シントピカル読書」に該当するのです。      以上

2008年06月30日

若者こそ昭和的価値観を変える先頭に立て/0113号

●「3年で辞める」若者はエリートである

 城繁幸氏は、その前著『若者はなぜ3年でやめるのか』(光文社新書)にお
いて、せっかく目標の企業に入社した若者がわずか3年で辞めていく実態を客
観的に指摘しています。そして、城繁幸氏はその理由として、次の2つを上げ
ているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
       1.わがままで忍耐不足な若者が多いこと
       2.転職市場の成熟という環境要因がある
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 ここで留意しなければならないことは、ここでいう「3年で辞める」若者と
は、大企業が採用を決めるほど優秀な若者のことであるということです。彼ら
は最初からやりたい仕事というものを持っており、少しでも仕事のミスマッチ
があると、すぐ辞めようとするのです。
 昔であれば、仕事が自分に合わないからといっても、なかなか自分に合う仕
事が見つかるものではなかったのですが、現代ではネット上に転職市場が立ち
上がっていて、優秀な人材であれば自分に合う仕事が見つけられるのです。だ
から簡単に辞めてしまうのです。
 ところで、2008年春卒業の大卒者に対する求人倍率は2.14 倍という
超売り手市場だったそうです。これは仮に就職を希望する大卒者を企業が全部
採用しても企業の求人需要は半分も満たせないことになります。そのせいか、
3年どころか入社初日から退職者が多く出るという不可解な現象まで起こって
いるのです。こういう社会的常識をわきまえない新人は少なくとも城繁幸氏の
いうところの「3年で辞める」若者ではないのです。
 「3年でやめる」若者に対して、城繁幸風にいうと昭和的価値観にどっぷり
とつかった年配の管理職は、「最近の若者は辛抱が足りない。若いうちは仕事
を選ばないで何でもやるべきだ。若いときのそういう苦労はやがて自分の血と
なり、肉となる」といって苦言を呈するのがつねです。
 年配者の立場で考えると、当然の指摘であるように思えますが、城繁幸氏に
いわせると、それは昭和的価値観からくる時代遅れの考え方であり、依然とし
てそういう価値観に支配されている大企業の人や組織や制度が根を張っている
からこそ優秀な若者に逃げられるのだといっているのです。
 城繁幸氏は、前著で「昭和的価値観」とひとくくりにして呼んでいたものを
22の具体的な価値観としてあらわし、それぞれに関連付けて、それとは違う
行動をする若者の意見を紹介しています。(「INTEC FORUM」/ 第112号)
 略歴によると、城繁幸氏は1937年生まれで現在35歳です。東大法学部
を卒業して大手企業に入社して人事部に配属され、新人事制度導入直後からそ
の運営に携わる経歴を持つ、典型的な企業エリートです。彼は、「3年で職場
に見切りをつける」若者の世代を代表する旗手として、依然として昭和的価値
観に支配されている大企業の人や組織や制度などに対して新著で反論を展開し
ているのです。

●若者こそ昭和的価値観を変える先頭に立つべきである

 既に平成は20年にもなるのに、いまだに多くの企業で昭和の時代から続く
風習や決まりごとや働き方が定着しているのです。その証拠に社会経験のない
若者――とくにエリートは、誰にいわれたわけでもないのに歴史ある大企業の
門戸を叩くのです。この傾向は昔からかわっていないのです。
 ちなみに2007年就職人気ランキング上位10社のうち実に6社が15年
前のバブル期とまったく同じなのです。しかし、その先に待っているのは、エ
リートでもセレブでもないただの勤労者であり、やがて彼らはものいわぬサラ
リーマンと化していく――城繁幸氏はこういっているのです。
 城繁幸氏が社会に出たのは1995年――バブルが崩壊し、企業の雇用形態
に大変動が起き始めた時期に当たります。従来の年功序列、終身雇用制の賃金
体系では企業は立ち行かなくなり、新しい模索をはじめた時代に城氏は社会に
出ていかざるを得なかったのです。だからこそ、企業人としての自分の生き方
に強い問題意識をもったものと思われます。
 しかし、城繁幸氏の考え方に納得がいかない年配者は多いのです。その疑問
は、大別すると次の4つがあります。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 1.昭和的価値観は昔からこの国に伝えられてきた日本人としての規範や精
   神のありようを示したものであり、必ずしも悪いものばかりではない。
 2.自分のやりたいこと、できること、すべきこと――この3つを一致させ
   ることが必要であるが、そのためには入った職場で10年以上頑張る。
 3.入社した企業には何かの縁があるのでその縁は大事にすべきだ。もし、
   良くない昭和的価値観があるなら、それを変える努力をすべきである。
 4.優秀な若者こそ自分に合わないからといって企業から逃げ出さずに、そ
   の職場に腰を据えて新しい価値観を作るために先頭に立つべきである。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 3年で辞めて、それが真にプラスになった人は一握りです。しかし、失敗し
た人も何かを掴んで成長していきます。そういうかつての若者の現在の意識は
この本を通じて知ることができます。一読の価値はあります。     以上

2008年06月23日

昭和的価値観と現代の若者/0112号

●今年の新入社員のタイプは「カーリング型」

 空前の「売り手市場」ということで、各企業とも人材の確保にやっきとなっ
ています。そのことに関係があるのか、今年の4月に入社した新人の「入社初
日退社」が相当の数に上っているということです。
 財団法人・社会経済生産性本部によると、今年の新入社員のタイプは「カー
リング型」というのだそうです。『週刊文春』/6月19日号によると、その
ココロは次のようなことであるというのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 周囲がブラシで擦るのをやめてしまうと、減速したり、止まってしまいか
 ねない。            ――『週刊文春』/6月19日号より
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 同週刊誌には、4月入社新人の奇異な行動を紹介していますが、とくに電話
応対には悪戦苦闘しているようです。傑作な例をひとつ紹介します。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 電話応対をしている最中の上司宛の電話を新人が受けて一言。「ただいま、
 ○○は取り乱しております」。周囲は大爆笑。 ――上掲『週刊文春』より
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 最近の若い人に共通しているのは、活字ものを読まないことです。そのこと
も影響して若い人の「日本語表現力」が落ちています。上司が忙しく電話で話
しているのを見て、それをうまく表現できなかったのです。

●22の昭和的価値観

 城繁幸氏の次の本がよく売れているそうです。城氏といえば『若者はなぜ3
年でやめるのか』(光文社新書)のヒットで知られる人事の専門家です。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
  城繁幸著
  『3年でやめた若者はどこへ行ったのか』/ちくま新書/708
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 城繁幸氏の前著『若者はなぜ3年でやめるのか』については2006年11
月13日付の「INTEC FORUM」/ 第31号で、既に取り上げております。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
    http://www.intecjapan.com/forum/2006/11/post_108.html
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 そのとき、入社3年以内で36.5%――実に3人に1人が辞める現象を紹
介し、そういう現象を踏まえてか「年功序列制度」が復権しつつあることに対
して、城繁幸氏は「それは『昭和的価値観』の復活である」として苦言を呈し
ていることをご紹介しております。
 『昭和的価値観』とは何でしょうか。
 城繁幸氏は前著では、昭和的価値観を年功序列制度と終身雇用制度であると
していたのですが、今回の新著『3年でやめた若者はどこへ行ったのか』(ち
くま新書)では、その昭和的価値観を細かく具体的に提示し、現代の若者の意
識とのずれを指摘しています。新著で著者が昭和的価値観として指摘したのは
次の22項目です。参考までにすべて列挙しておきます。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
  1.若者は、ただ上に従うこと
  2.実力主義の会社は厳しく、終身雇用は安定しているということ
  3.仕事の目的とは、出世であること
  4.IT業界は3Kであるということ
  5.就職先は会社の名前で決めること
  6.女性は家庭に入ること
  7.言われたことは、何でもやること
  8.学歴に頼ること
  9.留学なんて意味がないということ
 10.失敗を恐れること
 11.公私混同はしないこと
 12.盆暮れ正月以外、お墓参りには行かないこと
 13.酒は飲んでも飲まれないこと
 14.フリーターは負け組だということ
 15.官僚は現状維持にしか興味がないということ
 16.新卒以外は採らないこと
 17.人生の大半を会社で過ごすこと
 18.大学生は遊んでいてもいいということ
 19.最近の若者は元気がないということ
 20.ニートは怠け者だということ
 21.新聞を読まない人間はバカであるということ
 22.左翼は労働者の味方であるということ
                             ――城繁幸著
      『3年でやめた若者はどこへ行ったのか』/ちくま新書/708
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 次号もこのテーマを続けます。                  以上

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