INTEC JAPAN/BLOG

このフォーラムは、異文化研修の教育機関(株)インテック・ジャパンの情報発信用です。
最新のニュースを毎週月曜日にお届けします。

<< 2008年05月 | トップ | 2008年07月 >>

● 2008年06月 記事 ●

2008年06月02日

ビジョナリー・カンパニーを解明する/その4/0109号

●社員の着想を大きく育てる社風

 ジェームズ・コリンズとジェリー・ポラスがビジョナリー・カンパニーの社
史を調べていったとき、各社で成功した動きのほとんどが戦略的計画に基づく
ものでなく、実験、試行錯誤、臨機応変によるものであり、なかには偶然の産
物そのものであることを発見して驚いています。
 そのひとつの例がジョンソン&ジョンソンにあります。1890年、当時ジ
ョンソン&ジョンソンは消毒ガーゼと絆創膏が主力商品の会社だったのです。
あるとき、薬用絆創膏のいくつかで、患者の皮膚が炎症を起こしたという抗議
の手紙をある医師から受け取ったのです。
 フレッド・キルマーという研究開発担当の役員は、直ちにイタリア風のスキ
ン・パウダーをこの医師に送ってクレーム処理を行ったのです。そのとき、他
の絆創膏でも同じ症状が起こる可能性があると考えて、そのパウダーを小さな
缶に入れて絆創膏と同封したらどうかと会社に提案したところOKが出たので
それを実行に移したのです。
 そうしたところ意外なことに顧客から「パウダーを売ってくれ」という注文
が相次いだのです。そこで、ジョンソン&ジョンソンはパウダーを独立商品と
して売ったところ、好調な売れ行きを示し、世界中の地域で家庭用の常備薬と
して有名になったというのです。
 ジョンソン&ジョンソンにはもうひとつ有名な話があります。1920年の
こと、同社の社員アール・ディクソンの妻が何度も包丁で指を傷つけるので、
ディクソンは外科用のテープに小さなガーゼを貼りつけ、特製のカバーをつけ
て傷にくっつかない特製の絆創膏を作ったのです。
 この話を聞いた同社のマーケティング部門がその製品を市場で試してみるこ
とにしたのです。はじめは良い結果は出ず、製品に何回も改良を加えて辛抱強
く実験を重ねた結果、世界中で売れるヒット製品になったのです。今やどこの
家庭にもある「バンドエイド」はこうして生まれたのです。

●実験・研究・試行錯誤して多角化を目指す企業文化

 ジェームズ・コリンズとジェリー・ポラスがヒューレッド・パッカードのビ
ル・ヒューレッドとインタビューしたとき、彼に「とくに尊敬し、手本にして
いる企業があるか」と質問したところ、次の答えが返ってきたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 3Mだ。これは断言できる。3Mが次にどう動くか、だれにもわからない。
 本当にすごいのは、3M自身、次にどう動くのかが、たぶんわかっていない
ことだ。しかし、次の動きを正確に予想できなくても、同社が今後も成功を
 続けていくことは、確実だといえる。      ――ビル・ヒューレッド
     ジェームズ・C・コリンズ/ジェリー・I・ポラス著/山岡洋一訳
         『ビジョナリー・カンパニー』/日経BP出版センター刊
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 3M――ミネソタ・マイニング&マニュファクチャリングは、設立早々に事
業に失敗しています。設立のさいの事業目的は「研磨材原料の採掘」なのです
が、採掘した研磨材原料の品質が悪く、大失敗に終わり、ほとんど致命的な打
撃を受けたのです。
 そこで何でもいいから会社が生き残れる事業はないかと、役員と従業員たち
は、必死になって解決策を話し合ったのです。その結果、ある投資家の意見を
入れて、鉱業をあきらめ、研磨材の製造――具体的にはサンドペーパー事業に
変更することを決断したのです。1904年のことです。
 1914年にウィリアム・マックナイトという30歳にもならない若者が3
Mの総支配人になってから3Mは変化を始めるのです。彼は、会計士から営業
マンに転じた変わり者であり、研究熱心な若者だったのです。
 彼は会社の倉庫を利用して研究室を作り、500ドルを投資して接着剤用の
水槽を購入し、さまざまな実験と試験を行いはじめたのです。そのひとつの成
果として、研磨布「スリー・エム・アイト」を発表したのです。この新製品は
大ヒットし、75年経った現在でも同社の製品リストに名を連ねています。こ
の製品の成功で同社は設立以来はじめて配当を払えるようになったのです。
 そして3Mの名前を世界的に有名にするヒット商品――スコッチ・セロファ
ン・テープが誕生したのですが、これはマックナイトの作った3Mの企業文化
が花開いた結果なのです。
 ジョンソン&ジョンソンにしても3Mにしても変化に対する企業の対応は、
実にフレキシブルであるといえます。それは経営者が役員や従業員のアイデア
に真摯に耳を傾け、少しでも可能性のあるものについては、研究と実験を積み
重ねて辛抱強くその実現を目指すというところから来ています。
 その結果、進出できる分野にはチャンスがあれば積極的に乗り出し、タマゴ
を一つのカゴに入れて企業を危なくさせることを避けようとしています。そう
いうものをビジョナリー・カンパニーは持っているのです。
 「独創的なアイデアを持っている人の意見に耳を傾けよう。そのアイデアが
はじめは、どんなにばかげていると思えたとしても。激励しよう。ケチをつけ
るな。アイデアを出すよう、皆に激励しよう」――これは、3Mのマックナイ
トの考え方を具現した同社のスローガンです。ビジョナリー・カンパニーは何
らかのかたちで、いずれもこれに近い理念を持っているのです。    以上

2008年06月09日

ビジョナリー・カンパニーを解明する/その5/0110号

●生え抜きCEOにこだわるビジョナリー・カンパニー

 ここに興味深いデータがあります。ビジョナリー・カンパニー18社には過
去を含めて合計113人のCEOがいるのですが、そのうち社外から招聘され
たCEOはわずか3.5 %、具体的には4人しかいないのです。
 しかし、比較対象企業の140人のCEOでは、22.1 %が社外から招聘
したCEOなのです。つまり、ビジョナリー・カンパニーは比較対象企業に比
べて、社外の人材を経営者として登用する確率が6分の1しかないということ
になります。
 ゼネラル・エレクトリック(GE)のCEOというと、ジャック・ウェルチ
があまりにも有名ですが、ウェルチについて書かれた数多くの文献を読むと、
なんとなく彼は、外部から白馬にまたがってGEにやってきた救世主的カリス
マ経営者のようなイメージがあります。
 しかし、それは大きな間違いなのです。ウェルチは文字通りの生え抜きであ
り、25歳で大学院を卒業してGEに入社しています。CEOに就任したのは
入社20年後のことなのです。
 それにウェルチが経営を引き継いだとき、GEは別に低迷しておらず、前C
EOのレジナルド・ジョーンズは立派な経営を行っていたのです。しかし、あ
まりにもウェルチが有名になったので、ジョーンズの影が薄くなってしまった
のです。ジョーンズは引退したとき「もっとも尊敬されているアメリカの経営
者」として称えられ、1980年には「CEO・オブ・ザ・イヤー」に選ばれ
ているのです。
 ジョーンズはGEのために数多くの立派な仕事を成し遂げていますが、一番
GEに貢献した仕事は、なんといってもジャック・ウェルチを自分の後継者と
してCEOに選んだことだったのです。ジョーンズは優れた後継者を選出する
ために文字通り精魂を傾けたCEOなのです。
 ジョーンズは、まず「CEOの引き継ぎの道筋」という文書を作成したので
す。ウェルチがCEOになる7年前のことです。この文書に基づいてジョーン
ズは、同社の経営人材委員会が選定した生え抜きばかりの96人の候補者を2
年間をかけて12人に絞り込んだのです。そして、さらにその12人を慎重に
観察し、半分の6人に絞り込んでいます。この6人の候補者のなかにジャック
・ウェルチがいたというわけです。
 この6人全員は「事業部門責任者」として、経営委員会の所属となります。
ジョーンズはこの6人に対し、さまざまな課題に取り組ませ、エッセー・コン
テストなどを行い、徐々に的を絞り、さらに3年間かけて一人を選定したので
す。その最後に残った一人がジャック・ウェルチだったのです。
 おそらくウェルチを含めた6人は、選りすぐりの人材ばかりだったと思われ
ます。その証拠に選に漏れた残りの5人はその後、GTE、ラバーメイド、ア
ポロ・コンピュータ、RCAなどの社長やCEOになっているからです。

●CEO後継計画があるかどうかの差は大きい

 コルゲートという企業があります。「コルゲート歯磨き」のあのコルゲート
です。1806年創業の老舗の優良企業ですが、ビジョナリー・カンパニーで
は、P&Gの比較対象企業のポジションに甘んじています。
 事実コルゲートは1806年の設立以来一世紀にわたって着実に成長し、プ
ロクター&ギャンブル(P&G)と肩を並べる優良企業だったのです。ビジョ
ナリー・カンパニーの比較対象企業18社のなかでは、当初、どの企業よりも
基本理念を明確に表明しているし、企業の基本的な価値と明確な事業の目的を
定めていたのです。
 しかし、1940年代になると、P&Gに比べて規模で半分以下、収益面で
4分の1になり、それ以来40年にわたって平均してこの比率は変わっていな
いのです。また、かつては強かった基本理念から離れ、P&Gと比べて、社風
がはるかにあいまいになってしまったのです。
 いったい何が起こったのでしょうか。その最大の理由の一つは、P&Gに比
べて後継計画が貧弱で、経営者の継続性が保てなくなってしまったということ
なのです。コルゲートは4代までは、生え抜きの人材――といっても創業者の
一族に経営を引き継がせる同族経営だったのです。そうしているうちに20世
紀のはじめになって、経営幹部の育成と後継計画に失敗したのです。
 1920年後半になると、いよいよ後継者になり得る人材が不足したので、
パルモア・ピートと合併して、外部の人材に経営を託すことにしたのです。そ
のCEOがチャールズ・ピアースなのです。
 しかし、ピアースをCEOにしたのは失敗だったのです。ピアースは「事業
拡大熱」に浮かされ、規模の拡大だけに気を取られ、コルゲートの事業の基本
と価値観を無視したのです。とくに、小売店、顧客、従業員との関係を公正な
ものにするという基本的な価値を踏みにじり、小売店や従業員とのトラブルが
相次いだのです。
 これに対してP&Gでは、コルゲートと同じ時期に同族経営から脱却する必
要に迫られたものの、1990年に入社した生え抜きのリチャード・デプリー
がCEOを担えるように注意深く準備していたのです。デプリーは1930年
にCEOになり、それから18年間、CEOとして見事な実績を残しているの
です。これはCEOの後継計画がいかに大事かを示しています。    以上

2008年06月16日

ビジョナリー・カンパニーを解明する/その6/最終回/0111号

●ビジョナリー・カンパニーは決して満足しない

 ビジョナリー・カンパニーになって、その地位を維持し向上させて行くには
何が必要でしょうか。ビジョナリー・カンパニーにとって一番大切なものは、
次の問いであるというのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
      明日にはどうすれば、今日よりうまくやれるか
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 ビジョナリー・カンパニーが他の企業に比べて飛び抜けた地位を保っている
のは、将来を見通す力に優れているためでも、成功のための特別な秘密がある
わけでもなく、「自分自身に対する要求がきわめて高い」というきわめて単純
な事実によるのです。つまり、決して満足しないという精神です。
 『ビジョナリー・カンパニー』の著者、コリンズ/ポラスはビジョナリー・
カンパニーには「不断の改善」が根付いているとして、次のように述べている
のです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 ビジョナリー・カンパニーでは、不断の改善がしっかりとした仕組みに基づ
 いて、日々の行動に一本筋を通す習慣として組織のすみずみにまで染み込ん
 でおり、現状をいつも不十分と感じるようにする具体的な仕組みによって、
 それを強化している。(中略)要するに、明日には今日よりも自社が強くな
 るように、可能なかぎり、すべてのことを行っているのである。
     ジェームズ・C・コリンズ/ジェリー・I・ポラス著/山岡洋一訳
         『ビジョナリー・カンパニー』/日経BP出版センター刊
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 企業経営は、その企業が他よりも一頭地抜ける存在になり、それが誰の目に
も明らかになったときが一番危険であるといわれます。幹部や従業員が安心し
て贅肉がつき、自己満足に陥る可能性があるからです。
 P&G(プロクター&ギャンブル)のCEOであるリチャード・デブリーは
その危険をつねに感じていたのです。そういうときに、マーケティング・マネ
ジャーのニール・マッケルロイが斬新な提案を持ってきたのです。その提案は
デブリーCEOの意に沿うものであったので、それに賛成し、早速実施に移し
たのです。1931年のことです。
 それは「P&Gのブランド同士が直接競争する」という提案だったのです。
P&Gは最高の人材を抱え、最高の製品を持ち、最高のマーケティング組織を
持っている――だったら、P&Gの最高のもの同士を戦わさせればいいじゃな
いかという提案なのです。
 そのようなことは既にどこでもやっているというかも知れませんが、P&G
がそれをやったのは1930年代であることを考慮する必要があります。この
時期において、既にそのことに気付いていたというのは凄いことなのです。
 このようにビジョナリー・カンパニーは、何からのかたちで「現状を不十分
と感じるようにする仕組み」を持っているのです。この精神は、「勝ちて驕ら
ず」の精神に通じるものがあります。

●社内に不安と緊張をつくり出す諸制度がある

 「ワークアウト」――ゼネラル・エレクトリック(GE)でやっている集会
の名称です。従業員がグループごとに集会を開き、改善の提案を話し合って、
具体的な提案をまとめます。管理職は議論に加わることはできず、全員の前で
提案について回答を要求されます。
 管理職は、逃げることも、隠れることも、回答をのばすことはできず、その
場で回答が求められるのです。
 ボーイングでは事業計画策定に当って、「敵の視点」という方法を編み出し
ています。この方法では、何人かの管理職に、競争相手の立場に立って、ボー
イングを壊滅させる戦略を立案する任務を与えるのです。ボーイングの弱点は
どこにあるか、どのように攻めるか、どの市場なら簡単に進出できるか――敵
の視点から徹底的にボーイングを壊滅させる戦略を考えさせるのです。
 ラジオを製造・販売するノードストロームでは、SPH(一時間当たりの売
り上げ)のランキングを発表しています。このランキングは同僚との比較で自
己の評価を図るものになっています。SPHには、どの金額に達すればよいと
いう基準がないので、上位にランクされても安心はできないのです。
 ヒューレッド・パッカード(HP)でも社員をランク付けする伝統を持って
いるのです。管理職が集まって会議を開き、部門ごとのランキングを決めるの
です。これによって、部門ごとに最上位から最下位までのランキングが公表さ
れるのです。
 これらはいずれも社内に安心感が広がるのを抑え、緊張感を醸成するイベン
トであり、制度です。ビジョナリー・カンパニーのように企業規模が大きくな
り、歴史のある伝統的な会社になると、どうしても社員は「ウチの会社は大丈
夫だ」との安心感が起こり、緊張感が失われ、それが業績に影響してくるもの
です。それを何とかして防ぐというのがこれらの方法なのです。
 ビョナリー・カンパニーについて6回にわたりご紹介しましたが、精読する
方のある本であると考えます。                   以上

2008年06月23日

昭和的価値観と現代の若者/0112号

●今年の新入社員のタイプは「カーリング型」

 空前の「売り手市場」ということで、各企業とも人材の確保にやっきとなっ
ています。そのことに関係があるのか、今年の4月に入社した新人の「入社初
日退社」が相当の数に上っているということです。
 財団法人・社会経済生産性本部によると、今年の新入社員のタイプは「カー
リング型」というのだそうです。『週刊文春』/6月19日号によると、その
ココロは次のようなことであるというのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 周囲がブラシで擦るのをやめてしまうと、減速したり、止まってしまいか
 ねない。            ――『週刊文春』/6月19日号より
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 同週刊誌には、4月入社新人の奇異な行動を紹介していますが、とくに電話
応対には悪戦苦闘しているようです。傑作な例をひとつ紹介します。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 電話応対をしている最中の上司宛の電話を新人が受けて一言。「ただいま、
 ○○は取り乱しております」。周囲は大爆笑。 ――上掲『週刊文春』より
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 最近の若い人に共通しているのは、活字ものを読まないことです。そのこと
も影響して若い人の「日本語表現力」が落ちています。上司が忙しく電話で話
しているのを見て、それをうまく表現できなかったのです。

●22の昭和的価値観

 城繁幸氏の次の本がよく売れているそうです。城氏といえば『若者はなぜ3
年でやめるのか』(光文社新書)のヒットで知られる人事の専門家です。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
  城繁幸著
  『3年でやめた若者はどこへ行ったのか』/ちくま新書/708
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 城繁幸氏の前著『若者はなぜ3年でやめるのか』については2006年11
月13日付の「INTEC FORUM」/ 第31号で、既に取り上げております。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
    http://www.intecjapan.com/forum/2006/11/post_108.html
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 そのとき、入社3年以内で36.5%――実に3人に1人が辞める現象を紹
介し、そういう現象を踏まえてか「年功序列制度」が復権しつつあることに対
して、城繁幸氏は「それは『昭和的価値観』の復活である」として苦言を呈し
ていることをご紹介しております。
 『昭和的価値観』とは何でしょうか。
 城繁幸氏は前著では、昭和的価値観を年功序列制度と終身雇用制度であると
していたのですが、今回の新著『3年でやめた若者はどこへ行ったのか』(ち
くま新書)では、その昭和的価値観を細かく具体的に提示し、現代の若者の意
識とのずれを指摘しています。新著で著者が昭和的価値観として指摘したのは
次の22項目です。参考までにすべて列挙しておきます。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
  1.若者は、ただ上に従うこと
  2.実力主義の会社は厳しく、終身雇用は安定しているということ
  3.仕事の目的とは、出世であること
  4.IT業界は3Kであるということ
  5.就職先は会社の名前で決めること
  6.女性は家庭に入ること
  7.言われたことは、何でもやること
  8.学歴に頼ること
  9.留学なんて意味がないということ
 10.失敗を恐れること
 11.公私混同はしないこと
 12.盆暮れ正月以外、お墓参りには行かないこと
 13.酒は飲んでも飲まれないこと
 14.フリーターは負け組だということ
 15.官僚は現状維持にしか興味がないということ
 16.新卒以外は採らないこと
 17.人生の大半を会社で過ごすこと
 18.大学生は遊んでいてもいいということ
 19.最近の若者は元気がないということ
 20.ニートは怠け者だということ
 21.新聞を読まない人間はバカであるということ
 22.左翼は労働者の味方であるということ
                             ――城繁幸著
      『3年でやめた若者はどこへ行ったのか』/ちくま新書/708
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 次号もこのテーマを続けます。                  以上

2008年06月30日

若者こそ昭和的価値観を変える先頭に立て/0113号

●「3年で辞める」若者はエリートである

 城繁幸氏は、その前著『若者はなぜ3年でやめるのか』(光文社新書)にお
いて、せっかく目標の企業に入社した若者がわずか3年で辞めていく実態を客
観的に指摘しています。そして、城繁幸氏はその理由として、次の2つを上げ
ているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
       1.わがままで忍耐不足な若者が多いこと
       2.転職市場の成熟という環境要因がある
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 ここで留意しなければならないことは、ここでいう「3年で辞める」若者と
は、大企業が採用を決めるほど優秀な若者のことであるということです。彼ら
は最初からやりたい仕事というものを持っており、少しでも仕事のミスマッチ
があると、すぐ辞めようとするのです。
 昔であれば、仕事が自分に合わないからといっても、なかなか自分に合う仕
事が見つかるものではなかったのですが、現代ではネット上に転職市場が立ち
上がっていて、優秀な人材であれば自分に合う仕事が見つけられるのです。だ
から簡単に辞めてしまうのです。
 ところで、2008年春卒業の大卒者に対する求人倍率は2.14 倍という
超売り手市場だったそうです。これは仮に就職を希望する大卒者を企業が全部
採用しても企業の求人需要は半分も満たせないことになります。そのせいか、
3年どころか入社初日から退職者が多く出るという不可解な現象まで起こって
いるのです。こういう社会的常識をわきまえない新人は少なくとも城繁幸氏の
いうところの「3年で辞める」若者ではないのです。
 「3年でやめる」若者に対して、城繁幸風にいうと昭和的価値観にどっぷり
とつかった年配の管理職は、「最近の若者は辛抱が足りない。若いうちは仕事
を選ばないで何でもやるべきだ。若いときのそういう苦労はやがて自分の血と
なり、肉となる」といって苦言を呈するのがつねです。
 年配者の立場で考えると、当然の指摘であるように思えますが、城繁幸氏に
いわせると、それは昭和的価値観からくる時代遅れの考え方であり、依然とし
てそういう価値観に支配されている大企業の人や組織や制度が根を張っている
からこそ優秀な若者に逃げられるのだといっているのです。
 城繁幸氏は、前著で「昭和的価値観」とひとくくりにして呼んでいたものを
22の具体的な価値観としてあらわし、それぞれに関連付けて、それとは違う
行動をする若者の意見を紹介しています。(「INTEC FORUM」/ 第112号)
 略歴によると、城繁幸氏は1937年生まれで現在35歳です。東大法学部
を卒業して大手企業に入社して人事部に配属され、新人事制度導入直後からそ
の運営に携わる経歴を持つ、典型的な企業エリートです。彼は、「3年で職場
に見切りをつける」若者の世代を代表する旗手として、依然として昭和的価値
観に支配されている大企業の人や組織や制度などに対して新著で反論を展開し
ているのです。

●若者こそ昭和的価値観を変える先頭に立つべきである

 既に平成は20年にもなるのに、いまだに多くの企業で昭和の時代から続く
風習や決まりごとや働き方が定着しているのです。その証拠に社会経験のない
若者――とくにエリートは、誰にいわれたわけでもないのに歴史ある大企業の
門戸を叩くのです。この傾向は昔からかわっていないのです。
 ちなみに2007年就職人気ランキング上位10社のうち実に6社が15年
前のバブル期とまったく同じなのです。しかし、その先に待っているのは、エ
リートでもセレブでもないただの勤労者であり、やがて彼らはものいわぬサラ
リーマンと化していく――城繁幸氏はこういっているのです。
 城繁幸氏が社会に出たのは1995年――バブルが崩壊し、企業の雇用形態
に大変動が起き始めた時期に当たります。従来の年功序列、終身雇用制の賃金
体系では企業は立ち行かなくなり、新しい模索をはじめた時代に城氏は社会に
出ていかざるを得なかったのです。だからこそ、企業人としての自分の生き方
に強い問題意識をもったものと思われます。
 しかし、城繁幸氏の考え方に納得がいかない年配者は多いのです。その疑問
は、大別すると次の4つがあります。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 1.昭和的価値観は昔からこの国に伝えられてきた日本人としての規範や精
   神のありようを示したものであり、必ずしも悪いものばかりではない。
 2.自分のやりたいこと、できること、すべきこと――この3つを一致させ
   ることが必要であるが、そのためには入った職場で10年以上頑張る。
 3.入社した企業には何かの縁があるのでその縁は大事にすべきだ。もし、
   良くない昭和的価値観があるなら、それを変える努力をすべきである。
 4.優秀な若者こそ自分に合わないからといって企業から逃げ出さずに、そ
   の職場に腰を据えて新しい価値観を作るために先頭に立つべきである。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 3年で辞めて、それが真にプラスになった人は一握りです。しかし、失敗し
た人も何かを掴んで成長していきます。そういうかつての若者の現在の意識は
この本を通じて知ることができます。一読の価値はあります。     以上

最近のコメント