INTEC JAPAN/BLOG

このフォーラムは、異文化研修の教育機関(株)インテック・ジャパンの情報発信用です。
最新のニュースを毎週月曜日にお届けします。

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● 2008年08月 記事 ●

2008年08月04日

超巨大小売業IKEA成功の秘訣を探る/その2/0118号

●最初に扱った家具は「RUT」である

 イングヴァル・カンプラードは、エルムタリッド農場に腰を落ち着けてから
も、通信販売で輸入品を小売商に卸売りする仕事に専念したのです。カンプラ
ードは珍しい商品――といっても家庭で使う実用品に限られていたのですが、
そういう商品を見つけては「IKEAの新商品」と題して広告ビラを作成し、
注文を取ったのです。
 しかし、それらの商品は、裁縫道具、ナイロンストッキング、グリーティン
グカード、種物、万年筆、紙入れなど、いずれも郵送しやすい小物ばかりだっ
たのです。あるとき彼はメッケルン湖の向こう岸の家具工場で素敵なチェアを
見つけたのです。何の変哲もないアームレスチェアだったのですが、カンプラ
ードは気に入ったのです。
 「そうだ、家具を扱ってみよう」――カンプラードはこのときはじめて家具
を「IKEAの新商品」に加えることを決意したのです。彼はそのアームレス
チェアに「ルート/RUT」という名前を付けて、売ることにしたのです。
 RUTをどのようにして売るか――彼は父親が購読していた「農民新聞」に
目をつけたのです。その新聞には、通信販売で家具を売る広告がたくさん出て
いたのです。カンプラードはあえてそこに割って入る決心をしたのです。
 カンプラードはあるメッセージを付けた「IKEAの新商品」のパンフレッ
トを作り、「農民新聞」に折り込むことにしたのです。農民新聞はその地方に
おいてよく読まれており、発行部数は28万5000部を超えていたので、大
変な費用がかかったのですが、あえてそれをやったのです。
 ところで、「あるメッセージ」とは何でしょうか。それは次のようなメッセ
ージであったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 お店の商品が高いのは、仲買人がいるためです。豚肉一キロを農場で直接手
 に入れるのと、お店で買うのとでは値段がぜんぜん違うでしょう!
            ――リュディガー・ユングブルート著/瀬野文教訳
     『IKEA/超巨大小売業、成功の秘訣』 日本経済新聞出版社刊
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 カンプラードのこの宣伝は功を奏し、RUTをはじめとする「IKEAの新
商品」は売れに売れたのです。この成功のなかで、カンプラードは商品を家具
に絞ることを考えていたのです。しかし、1950年代のスウェーデンで、家
具の通信販売を行う業者は多く、その競争は激しかったのです。その争点は何
といっても「価格」だったのです。
 IKEAも当然激しい価格競争に巻き込まれます。値下げ競争は果てしなく
続き、やがて品質を犠牲にしなければならない事態に陥ったのです。その限界
はすぐにやってきたのです。IKEAには、購入した家具に満足できない顧客
からの苦情の手紙が日を追って増えていったのです。

●家具展示場で「品質」を確かめさせるアイデア

 IKEAのこうした窮状を救ったのは、カンプラードが新たに社員として採
用したスヴェン・イェーテ・ハンソンという若者だったのです。ハンソンは、
カタログやパンフレットでは商品の品質までは確かめられないので、どうして
も価格が購入か非購入かを決める要素になる――何らかの方法で、事前に顧客
が品質を確かめられるやり方を導入すべきだと指摘したのです。
 このハンソンは、現在の企業の企画部長のような役割で、カンプラードの経
営を助けたのです。カンプラードとハンソンはその方法についてとことん話し
合い、家具の展示ハウスを作ることで意見の一致をみたのです。
 現在であれば、家具の展示販売は当たり前であって何の目新しさもありませ
んが、当時家具を展示販売しているところはなかったのです。展示ハウスの場
所は、かなりの都会で、鉄道の便も良いエルムフルトが選ばれたのです。カン
プラードは、展示場にふさわしい建物を物色し、ある閉鎖された家具工場を見
つけたのです。
 カンプラードとハンソンは、そこを家具展示ハウスにすることにして、準備
に入ったのです。そして、今後IKEAは、家具販売だけに専念し、事務用品
や文房具の通信販売はやめることにしたのです。
 そして、新しいカタログを作成し、新聞広告や常連客へのダイレクトメール
を通じて次のことを訴えたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 カタログをお求めのお客様には、エルムフルトの家具展示場への招待券を差
 し上げます。どうぞじっくりご覧になって、品質をお確かめください。
            ――リュディガー・ユングブルート著/瀬野文教訳
     『IKEA/超巨大小売業、成功の秘訣』 日本経済新聞出版社刊
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 1953年3月18日にIKEA展示場はオープンしたのです。門が開く前
から約1000人が行列を作り、大勢の顧客が押し寄せたのです。そして展示
家具は売れに売れたのです。注文された品物はメーカーの工場から顧客に直送
されたので家具を保管する倉庫もいらなかったのです。
 そしてこの成功によって、IKEAの売り上げは300万スウェーデンクロ
ーネになり、前年の2倍に跳ね上がったのです。           以上

2008年08月11日

超巨大小売業IKEA成功の秘訣を探る/その3

●商品の組み立て家具化を推進する

 エルムフルトの家具展示場は大成功だったのです。週末だけのイベントだっ
たのですが、毎週多くの人がまるで巡礼者のように展示場に押し寄せ、カタロ
グの発行部数は、50年代半ばには50万部に達したのです。
 カンプラードは、スウェーデン鉄道と交渉して、来店客の乗車券の割引を実
現させ、IKEAで家具セットを注文したお客には、エルムフルト・ホテルで
のディナーに無料招待するなどサービスに務めたのです。
 それから数年経ってIKEAでは、MAXという名前のテーブルをIKEA
の商品に加えることにしたのです。MAXは、消費者が自分で組み立てねばな
らないテーブルであるという点が今までの家具とは違っていたのです。
 組み立て家具のIKEAサイドのメリットには、次の3つがあったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
             1.梱包しやすい
             2.運送しやすい
             3.破損しにくい
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 組み立て家具のアイデアは、注文されたあるテーブルをIKEAの4人目の
社員であるジィリス・ルンドグレンが梱包しようとしたときに、偶然浮かんだ
アイデアなのです。「テーブルは足を外したほうが梱包しやすい。足なんか抜
いてしまえ」――ルンドグレンはこう言い出したのです。彼は、IKEAでは
カタログ製作などの広告デザインの仕事をしていたのですが、なかなかのアイ
デアマンで、IKEAの発展に大きく寄与した人物です。
 確かにテーブルは、足を外すことにより、平らな包装(フラットパック)に
なるので、運送しやすく、運送コストも大幅に安くなったのです。それに、運
送時に起きる家具の破損を軽減する効果もあったのです。
 しかし、組み立て家具の販売はIKEAが最初ではなかったのです。スウェ
ーデンの百貨店グループのNKデパートは1940年代において、IKEA以
前にこのやり方で成功を収めていたのですが、あくまでそれを好む特定客向け
の販売であり、それほど力を入れてはいなかったのです。
 カンプラードは、頻繁に家具工場を回り、家具の製作現場にまで足を運んで
家具の組み立て販売の有用性を説き、テーブル以外の家具にも組み立て商品化
を進めていったのです。これによって、カンプラードはIKEAの家具の価格
をさらに下げることに成功したのです。

●コンプライアンスを守らないIKESA

 IKEAの広告デザイナーであるルンドグレンは、これはというデザインの
家具を発見すると、それにバリエーションを加えて、新しいデザインの家具に
作り替えることが巧みだったのです。
 しかし、これは一種のパクリ行為であり、老舗の家具店や地元の同業者から
総反発を買ったのです。それでなくてもIKEAの安い商品が既存の家具メー
カーや販売業者の怒りを買っており、いくつもの訴訟を起こされる騒ぎとなっ
ていたのです。
 IKEAがそれらを無視して仕事を拡大していったところ、遂に家具販売組
合はIKEAに納品しているすべての家具メーカーに対して手紙を送り、今後
ともIKEAとの取引を続けるのであれば、既存の販売店からの受注は一切中
止するという勧告を行ったのです。
 しかし、地元の家具メーカーの中にはIKEAとの関係を継続したいと望む
ところもあったのです。価格は安かったものの、IKEAの受注は数が多かっ
たので、IKEAとの取引は家具メーカーとしてはメリットがあったのです。
 そこで、カンプラードは一計を案ずるのです。IKEAの子会社を多く作り
そこにはIKEAとは違う名前を付けたのです。そして、家具メーカーに対し
ては、そこから注文を出したので、家具販売組合の干渉をかわすことはできた
のです。当時のIKEAが、今時のコンプライアンスを守る優良企業でなかっ
たことは確かです。そのため、家具見本市から締め出されたり、いろいろいじ
められたのです。
 このようなありとあらゆる非難にもかかわらず、IKEAに忠実に納品を続
けた有力企業がいくつかあったのです。そのひとつがフォーム絨毯のメーカー
です。この企業はスウェーデン経済界最大の名門ポンニエル家の勢力下の企業
だったので、ポンニエル家がIKEAに出資しているのではないかという噂が
流れたのです。
 しかし、その噂は見当はずれであり、当時IKEAの株主はカンプラードた
だ一人だったのです。カンプラードは、あの孫正義氏が若い時に年長の高名経
営者に可愛がられたように、不思議な魅力を持つ若き経営者として当時の大御
所経営者に目をかけられるという幸運に恵まれたのです。
 1958年にIKEAは、エルムフルトに最初の本格的な家具店を設立した
のです。7000平方メートルの床面積を備えたこの店舗は、5年前にオープ
ンしたそれまでの家具展示場とはまったく次元を異にするものだったのです。
それは当時のヨーロッパで最大のプレゼンテーションを誇るどこも真似のでき
ないものであったのです。カンプラードは、その店の経営トップに彼の最大の
腹心であるハンソンをすえたのです。                以上

2008年08月18日

超巨大小売業IKEA成功の秘訣を探る/その4/0120号

●社会主義国ポーランドとの提携で納入業者不足を解決

 1960年の話です。その頃IKEAは家具の注文は増えているのに、生産
にネックがあって商品の補充が追いつかないという悩みを抱えていたのです。
そのネックとは、IKEAの商法に反発するスウェーデン国内の家具メーカー
の多くが、IKEAとの取引に応じてくれなかったことです。
 結論からいうと、カンプラードはこのネックを当時社会主義国のポーランド
と提携することによって乗り切ったのです。そのきっかけは、カンプラードが
新聞でポーランドの貿易相がスウェーデンにやってくるという記事を読んでひ
らめいたことなのです。
 カンプラードは、ポーランドの貿易相に手紙を書き、自分の会社を紹介し、
ポーランドの家具メーカーと提携する用意があることを伝えたのです。数ヶ月
後やっとポーランドからワルシャワで話がしたいという趣旨の招待状が届いた
のです。1961年1月、カンプラードはポーランドを訪問したのです。
 ポーランドとの交渉は曲折があったものの成功し、IKEAはポーランドと
長期契約を結ぶことに成功したのです。これによってIKEAは、品不足を心
配することなく、商品を満載したカタログによって注文を受けることができた
のです。さらに何よりもIKEAにとってプラスだったことは、スウェーデン
の家具業者が絶対に追いつくことができない価格優位を実現したことです。
 カンプラードの伝記作者のバッティル・トーレクルは、スウェーデンの業界
が行ったIKEAに対するボイコット攻撃について次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 エルムフルトの成り上がり者を邪魔してやろうという試みは、皮肉なことに
 かえってその成り上がり者をさらに強くしてしまった。
            ――リュディガー・ユングブルート著/瀬野文教訳
     『IKEA/超巨大小売業、成功の秘訣』 日本経済新聞出版社刊
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

●低価格に高品質が加わったIKEAの家具

 ポーランドとの提携で納入業者不足を解消したカンプラードは、さらなる飛
躍を求めて、スウェーデンの首都ストックホルムに進出する計画を立てます。
カンプラードが敷地として選んだのは、ストックホルム郊外の広大な土地であ
り、家具店の利用面積は、約4万6000平方メートルの広さだったのです。
ここにニューヨークにある円形のグッゲンハイム・ミュージアムを模した家具
店を建設したのです。これは家具店としてはかつてない広さだったのです。
 このビルの建設にはエルムフルト1号店の30倍もの資金がかかったといわ
れますが、IKEAはそれをすべて現金で支払ったのです。IKEAはその時
点でそのぐらい儲かっていたのです。
 オープンは1965年6月のことです。初日だけで実に1万8000人のお
客がストックホルム南西の新しい家具店を訪れたのです。IKEAのストック
ホルム進出が大成功を収めたのは、次の2つの幸運が後押ししたためです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
    1.一流インテリア雑誌の家具の商品テストに合格
    2.ストックホルムの住宅政策にフィットしたこと
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 IKEAのストックホルム店がまだ建設中のときのことです。スウェーデン
の有名なインテリア雑誌「くつろぎ百科」が、大々的な家具の商品テストを行
い、IKEAの家具と老舗の有名家具メーカーの製品の比較を行ったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 IKEAの商品が安いことは、当時スウェーデンの国内ではよく知れ渡って
 いたから、値段については想像の範囲であった。だが品質テストの結果には
 誰もあっとおどろいた。専門家が公平に審査したところ、なんとライバル社
 の製品よりもIKEAの製品の方が高品質だったのです。品質テストで勝利
 を得たのは、ポーランドで製作されたIKEAのチェアで、比較対照された
 他社の一番高価なチェアのわずか4分の1の値段で、しかも耐久テストにも
 壊れることなく合格したのです。
            ――リュディガー・ユングブルート著/瀬野文教訳
     『IKEA/超巨大小売業、成功の秘訣』 日本経済新聞出版社刊
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 IKEAの家具は安かろう悪かろうであると思われていた時期に、この「く
つろぎ百科」の商品テストはIKEAにとって絶好の追い風となったのです。
家具業界は激しく反発したものの、テストの結果には異議をはさむ余地はなく
業界の完敗だったのです。
 そこで、業界は戦法を変えて、IKEAの家具のデザイン性の貧弱さを攻撃
したのです。しかし、これについてはそのときスウェーデン政府が進めていた
住宅政策がIKEAに味方したのです。
 当時のスウェーデンの国民にとって住宅選択の余地は少なく、住宅は不足し
ていたのです。そこで国としては効率の良い集合住宅に力を入れており、都市
郊外に団地が急ピッチで建設されていたのです。IKEAの家具はこういう住
宅にぴったりであり、価格も安く、それに品質も良いということで、スウェー
デンの国民に受け入れられたのです。                以上

2008年08月25日

超巨大小売業IKEA成功の秘訣を探る/その5/0121号

●スウェーデンを脱出するカンプラード

 IKEAのストックホルム店が大成功を収めた1970年代の前半において
カンプラードはヨーロッパ大陸へのIKEAの進出を考えていたのです。その
初出店先はスイスと決めたのです。
 しかし、スウェーデンの企業が外国で仕事をするのは容易なことではなかっ
たのです。スイスで持ち出せる資金は500万クローネの制限があり、おまけ
にスイスで稼いだ利益はスウェーデンに送らなければならなかったのです。
 500万クローネでは家具店の建築費が出ないので、借金嫌いのカンプラー
ドもスイスでは融資を受けなければならなかったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 外国で投資をしたことがカンプラードに決定的な転機をもたらした。スウェ
 ーデンの法律は、彼が国内で儲けた金を海外で好きなように投資するのを許
 さなかった。そのためカンプラードは企業家としての自由が制限されている
 と感じた。これは要するに、ストックホルムの政治家や役人が勝手に決めた
 ことにイケアが縛られているということだった。
            ――リュディガー・ユングブルート著/瀬野文教訳
     『IKEA/超巨大小売業、成功の秘訣』 日本経済新聞出版社刊
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 このことが契機となってカンプラードは、スウェーデンにIKEAの親会社
と事務総局を置くことをあきらめ、一家でスウェーデンを離れることを決めた
のです。この国では企業家に対してしかるべき敬意が払われていない――カン
プラードはそう考えたのです。ドイツ人作家ハンス・マグヌス・エンツェンス
ベルガーは、当時のスウェーデンについて次のように書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 スウェーデンのような社会では、金持ちは面白くないだろうと思われる。い
 やまったく、税金だけならまだしも我慢ができただろう。たとえ不承不承に
 せよ、彼らとてやはり立派な市民として、税金だけはきちんとおさめるつも
 りでいるのだから。だがそれよりも彼らの自尊心を傷つけるのは、誰一人と
 して彼らの運命に理解を示さないことである。
      ――リュディガー・ユングブルート著/瀬野文教訳の前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 要するに、金持ちが邪魔者扱いされ、さげすまれ、排除される国になってし
まっていたのです。なかでもカンプラードが一番心配していたのは相続税の問
題です。当時のスウェーデンの税法では、相続者は遺産全体のわずか35%し
かもらえず、残りの65%は税務署に持っていかれたのです。
 これから逃れるのは、カンプラード一家が半永久的にスウェーデンを離れる
しかない。カンプラードは妻や弁護士と相談した結果、とりあえず隣の国であ
るデンマークに移ることにしたのです。
 1973年、準備を整えて、カンプラード一家はデンマークに移住します。
その時点で既にIKEAは、従業員を1000人を抱える家具商に成長してお
り、その企業価値は1億6000万クローネに達していたのです。

●IKEAの経営バイブル「ある家具商人の遺言」

 カンプラードは、スイスを手始めとして、フランス、ドイツ、デンマークな
ど、ヨーロッパのほぼ全域に出店攻勢をかけたのです。このようにビジネスが
拡大していくと、当然のことながら、すべてをカンプラードが企画・決定・管
理をすることが不可能になります。
 そこでカンプラードは、それぞれの国の店舗の責任者となる幹部社員たちの
ために、「ある家具商人の遺言」というタイトルのIKEAKの経営バイブル
書というべきものを書き始めるのです。そのとき彼はまだ50歳に手が届いて
いなかったのです。それはまさにカンプラードの企業に対する考え方や経営哲
学そのものであったのです。
 カンプラードは、企業は金儲けの手段ではなく、職業はけっして、生活の糧
を得るためだけのものではないと説き、働くということについて次のように述
べています。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 だが働くよろこびがなければ、人生の三分の一は失われたも同じである。そ
 の喪失感は、机の引き出しからマンガ本を取り出して読んだところでけっし
 て埋まらないだろう。人間の幸福というのは、目的を達することにあるので
 はなく、実現するまでの過程が幸せなのである。   ――上記前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 卓越なる企業経営者の至言には似ているものが多いものですが、カンプラー
ドの場合、他の経営者とは異なっています。企業の目的を果たすための資金の
調達についてカンプラードは「ある家具商人の遺言」で次のようなユニークな
ことをいっています。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 そのために企業は資金を必要とするが、それは自分で手に入れなければなら
 ない。銀行から金を借りるとか株主から資金を集めるなどは論外である。資
 金を調達する場合も信頼できるのは自分だけだ。   ――上記前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――――――以上

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