超巨大小売業IKEA成功の秘訣を探る/その3
●商品の組み立て家具化を推進する
エルムフルトの家具展示場は大成功だったのです。週末だけのイベントだっ
たのですが、毎週多くの人がまるで巡礼者のように展示場に押し寄せ、カタロ
グの発行部数は、50年代半ばには50万部に達したのです。
カンプラードは、スウェーデン鉄道と交渉して、来店客の乗車券の割引を実
現させ、IKEAで家具セットを注文したお客には、エルムフルト・ホテルで
のディナーに無料招待するなどサービスに務めたのです。
それから数年経ってIKEAでは、MAXという名前のテーブルをIKEA
の商品に加えることにしたのです。MAXは、消費者が自分で組み立てねばな
らないテーブルであるという点が今までの家具とは違っていたのです。
組み立て家具のIKEAサイドのメリットには、次の3つがあったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
1.梱包しやすい
2.運送しやすい
3.破損しにくい
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
組み立て家具のアイデアは、注文されたあるテーブルをIKEAの4人目の
社員であるジィリス・ルンドグレンが梱包しようとしたときに、偶然浮かんだ
アイデアなのです。「テーブルは足を外したほうが梱包しやすい。足なんか抜
いてしまえ」――ルンドグレンはこう言い出したのです。彼は、IKEAでは
カタログ製作などの広告デザインの仕事をしていたのですが、なかなかのアイ
デアマンで、IKEAの発展に大きく寄与した人物です。
確かにテーブルは、足を外すことにより、平らな包装(フラットパック)に
なるので、運送しやすく、運送コストも大幅に安くなったのです。それに、運
送時に起きる家具の破損を軽減する効果もあったのです。
しかし、組み立て家具の販売はIKEAが最初ではなかったのです。スウェ
ーデンの百貨店グループのNKデパートは1940年代において、IKEA以
前にこのやり方で成功を収めていたのですが、あくまでそれを好む特定客向け
の販売であり、それほど力を入れてはいなかったのです。
カンプラードは、頻繁に家具工場を回り、家具の製作現場にまで足を運んで
家具の組み立て販売の有用性を説き、テーブル以外の家具にも組み立て商品化
を進めていったのです。これによって、カンプラードはIKEAの家具の価格
をさらに下げることに成功したのです。
●コンプライアンスを守らないIKESA
IKEAの広告デザイナーであるルンドグレンは、これはというデザインの
家具を発見すると、それにバリエーションを加えて、新しいデザインの家具に
作り替えることが巧みだったのです。
しかし、これは一種のパクリ行為であり、老舗の家具店や地元の同業者から
総反発を買ったのです。それでなくてもIKEAの安い商品が既存の家具メー
カーや販売業者の怒りを買っており、いくつもの訴訟を起こされる騒ぎとなっ
ていたのです。
IKEAがそれらを無視して仕事を拡大していったところ、遂に家具販売組
合はIKEAに納品しているすべての家具メーカーに対して手紙を送り、今後
ともIKEAとの取引を続けるのであれば、既存の販売店からの受注は一切中
止するという勧告を行ったのです。
しかし、地元の家具メーカーの中にはIKEAとの関係を継続したいと望む
ところもあったのです。価格は安かったものの、IKEAの受注は数が多かっ
たので、IKEAとの取引は家具メーカーとしてはメリットがあったのです。
そこで、カンプラードは一計を案ずるのです。IKEAの子会社を多く作り
そこにはIKEAとは違う名前を付けたのです。そして、家具メーカーに対し
ては、そこから注文を出したので、家具販売組合の干渉をかわすことはできた
のです。当時のIKEAが、今時のコンプライアンスを守る優良企業でなかっ
たことは確かです。そのため、家具見本市から締め出されたり、いろいろいじ
められたのです。
このようなありとあらゆる非難にもかかわらず、IKEAに忠実に納品を続
けた有力企業がいくつかあったのです。そのひとつがフォーム絨毯のメーカー
です。この企業はスウェーデン経済界最大の名門ポンニエル家の勢力下の企業
だったので、ポンニエル家がIKEAに出資しているのではないかという噂が
流れたのです。
しかし、その噂は見当はずれであり、当時IKEAの株主はカンプラードた
だ一人だったのです。カンプラードは、あの孫正義氏が若い時に年長の高名経
営者に可愛がられたように、不思議な魅力を持つ若き経営者として当時の大御
所経営者に目をかけられるという幸運に恵まれたのです。
1958年にIKEAは、エルムフルトに最初の本格的な家具店を設立した
のです。7000平方メートルの床面積を備えたこの店舗は、5年前にオープ
ンしたそれまでの家具展示場とはまったく次元を異にするものだったのです。
それは当時のヨーロッパで最大のプレゼンテーションを誇るどこも真似のでき
ないものであったのです。カンプラードは、その店の経営トップに彼の最大の
腹心であるハンソンをすえたのです。 以上
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