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   <title>INTEC JAPAN / FORUM</title>
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   <updated>2008-08-25T02:10:27Z</updated>
   <subtitle>このフォーラムは、異文化研修の教育機関(株)インテック・ジャパンの情報発信用です。
最新のニュースを毎週月曜日にお届けします。</subtitle>
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   <title>超巨大小売業ＩＫＥＡ成功の秘訣を探る／その５／０１２１号</title>
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   <published>2008-08-25T02:09:30Z</published>
   <updated>2008-08-25T02:10:27Z</updated>
   
   <summary>●スウェーデンを脱出するカンプラード 　ＩＫＥＡのストックホルム店が大成功を収め...</summary>
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      ●スウェーデンを脱出するカンプラード

　ＩＫＥＡのストックホルム店が大成功を収めた１９７０年代の前半において
カンプラードはヨーロッパ大陸へのＩＫＥＡの進出を考えていたのです。その
初出店先はスイスと決めたのです。
　しかし、スウェーデンの企業が外国で仕事をするのは容易なことではなかっ
たのです。スイスで持ち出せる資金は５００万クローネの制限があり、おまけ
にスイスで稼いだ利益はスウェーデンに送らなければならなかったのです。
　５００万クローネでは家具店の建築費が出ないので、借金嫌いのカンプラー
ドもスイスでは融資を受けなければならなかったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　外国で投資をしたことがカンプラードに決定的な転機をもたらした。スウェ
　ーデンの法律は、彼が国内で儲けた金を海外で好きなように投資するのを許
　さなかった。そのためカンプラードは企業家としての自由が制限されている
　と感じた。これは要するに、ストックホルムの政治家や役人が勝手に決めた
　ことにイケアが縛られているということだった。
　　　　　　　　　　　　――リュディガー・ユングブルート著／瀬野文教訳
　　　　　『ＩＫＥＡ／超巨大小売業、成功の秘訣』　日本経済新聞出版社刊
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　このことが契機となってカンプラードは、スウェーデンにＩＫＥＡの親会社
と事務総局を置くことをあきらめ、一家でスウェーデンを離れることを決めた
のです。この国では企業家に対してしかるべき敬意が払われていない――カン
プラードはそう考えたのです。ドイツ人作家ハンス・マグヌス・エンツェンス
ベルガーは、当時のスウェーデンについて次のように書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　スウェーデンのような社会では、金持ちは面白くないだろうと思われる。い
　やまったく、税金だけならまだしも我慢ができただろう。たとえ不承不承に
　せよ、彼らとてやはり立派な市民として、税金だけはきちんとおさめるつも
　りでいるのだから。だがそれよりも彼らの自尊心を傷つけるのは、誰一人と
　して彼らの運命に理解を示さないことである。
　　　　　　――リュディガー・ユングブルート著／瀬野文教訳の前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　要するに、金持ちが邪魔者扱いされ、さげすまれ、排除される国になってし
まっていたのです。なかでもカンプラードが一番心配していたのは相続税の問
題です。当時のスウェーデンの税法では、相続者は遺産全体のわずか３５％し
かもらえず、残りの６５％は税務署に持っていかれたのです。
　これから逃れるのは、カンプラード一家が半永久的にスウェーデンを離れる
しかない。カンプラードは妻や弁護士と相談した結果、とりあえず隣の国であ
るデンマークに移ることにしたのです。
　１９７３年、準備を整えて、カンプラード一家はデンマークに移住します。
その時点で既にＩＫＥＡは、従業員を１０００人を抱える家具商に成長してお
り、その企業価値は１億６０００万クローネに達していたのです。

●ＩＫＥＡの経営バイブル「ある家具商人の遺言」

　カンプラードは、スイスを手始めとして、フランス、ドイツ、デンマークな
ど、ヨーロッパのほぼ全域に出店攻勢をかけたのです。このようにビジネスが
拡大していくと、当然のことながら、すべてをカンプラードが企画・決定・管
理をすることが不可能になります。
　そこでカンプラードは、それぞれの国の店舗の責任者となる幹部社員たちの
ために、「ある家具商人の遺言」というタイトルのＩＫＥＡＫの経営バイブル
書というべきものを書き始めるのです。そのとき彼はまだ５０歳に手が届いて
いなかったのです。それはまさにカンプラードの企業に対する考え方や経営哲
学そのものであったのです。
　カンプラードは、企業は金儲けの手段ではなく、職業はけっして、生活の糧
を得るためだけのものではないと説き、働くということについて次のように述
べています。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　だが働くよろこびがなければ、人生の三分の一は失われたも同じである。そ
　の喪失感は、机の引き出しからマンガ本を取り出して読んだところでけっし
　て埋まらないだろう。人間の幸福というのは、目的を達することにあるので
　はなく、実現するまでの過程が幸せなのである。　　　――上記前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　卓越なる企業経営者の至言には似ているものが多いものですが、カンプラー
ドの場合、他の経営者とは異なっています。企業の目的を果たすための資金の
調達についてカンプラードは「ある家具商人の遺言」で次のようなユニークな
ことをいっています。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　そのために企業は資金を必要とするが、それは自分で手に入れなければなら
　ない。銀行から金を借りるとか株主から資金を集めるなどは論外である。資
　金を調達する場合も信頼できるのは自分だけだ。　　　――上記前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――――――以上
      
   </content>
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   <title>超巨大小売業ＩＫＥＡ成功の秘訣を探る／その４／０１２０号</title>
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   <published>2008-08-18T01:11:29Z</published>
   <updated>2008-08-18T01:13:28Z</updated>
   
   <summary>●社会主義国ポーランドとの提携で納入業者不足を解決 　１９６０年の話です。その頃...</summary>
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   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.intecjapan.com/forum/">
      ●社会主義国ポーランドとの提携で納入業者不足を解決

　１９６０年の話です。その頃ＩＫＥＡは家具の注文は増えているのに、生産
にネックがあって商品の補充が追いつかないという悩みを抱えていたのです。
そのネックとは、ＩＫＥＡの商法に反発するスウェーデン国内の家具メーカー
の多くが、ＩＫＥＡとの取引に応じてくれなかったことです。
　結論からいうと、カンプラードはこのネックを当時社会主義国のポーランド
と提携することによって乗り切ったのです。そのきっかけは、カンプラードが
新聞でポーランドの貿易相がスウェーデンにやってくるという記事を読んでひ
らめいたことなのです。
　カンプラードは、ポーランドの貿易相に手紙を書き、自分の会社を紹介し、
ポーランドの家具メーカーと提携する用意があることを伝えたのです。数ヶ月
後やっとポーランドからワルシャワで話がしたいという趣旨の招待状が届いた
のです。１９６１年１月、カンプラードはポーランドを訪問したのです。
　ポーランドとの交渉は曲折があったものの成功し、ＩＫＥＡはポーランドと
長期契約を結ぶことに成功したのです。これによってＩＫＥＡは、品不足を心
配することなく、商品を満載したカタログによって注文を受けることができた
のです。さらに何よりもＩＫＥＡにとってプラスだったことは、スウェーデン
の家具業者が絶対に追いつくことができない価格優位を実現したことです。
　カンプラードの伝記作者のバッティル・トーレクルは、スウェーデンの業界
が行ったＩＫＥＡに対するボイコット攻撃について次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　エルムフルトの成り上がり者を邪魔してやろうという試みは、皮肉なことに
　かえってその成り上がり者をさらに強くしてしまった。
　　　　　　　　　　　　――リュディガー・ユングブルート著／瀬野文教訳
　　　　　『ＩＫＥＡ／超巨大小売業、成功の秘訣』　日本経済新聞出版社刊
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

●低価格に高品質が加わったＩＫＥＡの家具

　ポーランドとの提携で納入業者不足を解消したカンプラードは、さらなる飛
躍を求めて、スウェーデンの首都ストックホルムに進出する計画を立てます。
カンプラードが敷地として選んだのは、ストックホルム郊外の広大な土地であ
り、家具店の利用面積は、約４万６０００平方メートルの広さだったのです。
ここにニューヨークにある円形のグッゲンハイム・ミュージアムを模した家具
店を建設したのです。これは家具店としてはかつてない広さだったのです。
　このビルの建設にはエルムフルト１号店の３０倍もの資金がかかったといわ
れますが、ＩＫＥＡはそれをすべて現金で支払ったのです。ＩＫＥＡはその時
点でそのぐらい儲かっていたのです。
　オープンは１９６５年６月のことです。初日だけで実に１万８０００人のお
客がストックホルム南西の新しい家具店を訪れたのです。ＩＫＥＡのストック
ホルム進出が大成功を収めたのは、次の２つの幸運が後押ししたためです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　　　　１．一流インテリア雑誌の家具の商品テストに合格
　　　　２．ストックホルムの住宅政策にフィットしたこと
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　ＩＫＥＡのストックホルム店がまだ建設中のときのことです。スウェーデン
の有名なインテリア雑誌「くつろぎ百科」が、大々的な家具の商品テストを行
い、ＩＫＥＡの家具と老舗の有名家具メーカーの製品の比較を行ったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　ＩＫＥＡの商品が安いことは、当時スウェーデンの国内ではよく知れ渡って
　いたから、値段については想像の範囲であった。だが品質テストの結果には
　誰もあっとおどろいた。専門家が公平に審査したところ、なんとライバル社
　の製品よりもＩＫＥＡの製品の方が高品質だったのです。品質テストで勝利
　を得たのは、ポーランドで製作されたＩＫＥＡのチェアで、比較対照された
　他社の一番高価なチェアのわずか４分の１の値段で、しかも耐久テストにも
　壊れることなく合格したのです。
　　　　　　　　　　　　――リュディガー・ユングブルート著／瀬野文教訳
　　　　　『ＩＫＥＡ／超巨大小売業、成功の秘訣』　日本経済新聞出版社刊
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　ＩＫＥＡの家具は安かろう悪かろうであると思われていた時期に、この「く
つろぎ百科」の商品テストはＩＫＥＡにとって絶好の追い風となったのです。
家具業界は激しく反発したものの、テストの結果には異議をはさむ余地はなく
業界の完敗だったのです。
　そこで、業界は戦法を変えて、ＩＫＥＡの家具のデザイン性の貧弱さを攻撃
したのです。しかし、これについてはそのときスウェーデン政府が進めていた
住宅政策がＩＫＥＡに味方したのです。
　当時のスウェーデンの国民にとって住宅選択の余地は少なく、住宅は不足し
ていたのです。そこで国としては効率の良い集合住宅に力を入れており、都市
郊外に団地が急ピッチで建設されていたのです。ＩＫＥＡの家具はこういう住
宅にぴったりであり、価格も安く、それに品質も良いということで、スウェー
デンの国民に受け入れられたのです。　　　　　　　　　　　　　　　　以上
      
   </content>
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   <title>超巨大小売業ＩＫＥＡ成功の秘訣を探る／その３／０１１９号</title>
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   <published>2008-08-11T02:03:16Z</published>
   <updated>2008-08-27T07:12:46Z</updated>
   
   <summary>●商品の組み立て家具化を推進する 　エルムフルトの家具展示場は大成功だったのです...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.intecjapan.com/forum/">
      ●商品の組み立て家具化を推進する

　エルムフルトの家具展示場は大成功だったのです。週末だけのイベントだっ
たのですが、毎週多くの人がまるで巡礼者のように展示場に押し寄せ、カタロ
グの発行部数は、５０年代半ばには５０万部に達したのです。
　カンプラードは、スウェーデン鉄道と交渉して、来店客の乗車券の割引を実
現させ、ＩＫＥＡで家具セットを注文したお客には、エルムフルト・ホテルで
のディナーに無料招待するなどサービスに務めたのです。
　それから数年経ってＩＫＥＡでは、ＭＡＸという名前のテーブルをＩＫＥＡ
の商品に加えることにしたのです。ＭＡＸは、消費者が自分で組み立てねばな
らないテーブルであるという点が今までの家具とは違っていたのです。
　組み立て家具のＩＫＥＡサイドのメリットには、次の３つがあったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　　　　　　　　　　　　　１．梱包しやすい
　　　　　　　　　　　　　２．運送しやすい
　　　　　　　　　　　　　３．破損しにくい
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　組み立て家具のアイデアは、注文されたあるテーブルをＩＫＥＡの４人目の
社員であるジィリス・ルンドグレンが梱包しようとしたときに、偶然浮かんだ
アイデアなのです。「テーブルは足を外したほうが梱包しやすい。足なんか抜
いてしまえ」――ルンドグレンはこう言い出したのです。彼は、ＩＫＥＡでは
カタログ製作などの広告デザインの仕事をしていたのですが、なかなかのアイ
デアマンで、ＩＫＥＡの発展に大きく寄与した人物です。
　確かにテーブルは、足を外すことにより、平らな包装（フラットパック）に
なるので、運送しやすく、運送コストも大幅に安くなったのです。それに、運
送時に起きる家具の破損を軽減する効果もあったのです。
　しかし、組み立て家具の販売はＩＫＥＡが最初ではなかったのです。スウェ
ーデンの百貨店グループのＮＫデパートは１９４０年代において、ＩＫＥＡ以
前にこのやり方で成功を収めていたのですが、あくまでそれを好む特定客向け
の販売であり、それほど力を入れてはいなかったのです。
　カンプラードは、頻繁に家具工場を回り、家具の製作現場にまで足を運んで
家具の組み立て販売の有用性を説き、テーブル以外の家具にも組み立て商品化
を進めていったのです。これによって、カンプラードはＩＫＥＡの家具の価格
をさらに下げることに成功したのです。

●コンプライアンスを守らないＩＫＥＳＡ

　ＩＫＥＡの広告デザイナーであるルンドグレンは、これはというデザインの
家具を発見すると、それにバリエーションを加えて、新しいデザインの家具に
作り替えることが巧みだったのです。
　しかし、これは一種のパクリ行為であり、老舗の家具店や地元の同業者から
総反発を買ったのです。それでなくてもＩＫＥＡの安い商品が既存の家具メー
カーや販売業者の怒りを買っており、いくつもの訴訟を起こされる騒ぎとなっ
ていたのです。
　ＩＫＥＡがそれらを無視して仕事を拡大していったところ、遂に家具販売組
合はＩＫＥＡに納品しているすべての家具メーカーに対して手紙を送り、今後
ともＩＫＥＡとの取引を続けるのであれば、既存の販売店からの受注は一切中
止するという勧告を行ったのです。
　しかし、地元の家具メーカーの中にはＩＫＥＡとの関係を継続したいと望む
ところもあったのです。価格は安かったものの、ＩＫＥＡの受注は数が多かっ
たので、ＩＫＥＡとの取引は家具メーカーとしてはメリットがあったのです。
　そこで、カンプラードは一計を案ずるのです。ＩＫＥＡの子会社を多く作り
そこにはＩＫＥＡとは違う名前を付けたのです。そして、家具メーカーに対し
ては、そこから注文を出したので、家具販売組合の干渉をかわすことはできた
のです。当時のＩＫＥＡが、今時のコンプライアンスを守る優良企業でなかっ
たことは確かです。そのため、家具見本市から締め出されたり、いろいろいじ
められたのです。
　このようなありとあらゆる非難にもかかわらず、ＩＫＥＡに忠実に納品を続
けた有力企業がいくつかあったのです。そのひとつがフォーム絨毯のメーカー
です。この企業はスウェーデン経済界最大の名門ボンニエル家の勢力下の企業
だったので、ボンニエル家がＩＫＥＡに出資しているのではないかという噂が
流れたのです。
　しかし、その噂は見当はずれであり、当時ＩＫＥＡの株主はカンプラードた
だ一人だったのです。カンプラードは、あの孫正義氏が若い時に年長の高名経
営者に可愛がられたように、不思議な魅力を持つ若き経営者として当時の大御
所経営者に目をかけられるという幸運に恵まれたのです。
　１９５８年にＩＫＥＡは、エルムフルトに最初の本格的な家具店を設立した
のです。７０００平方メートルの床面積を備えたこの店舗は、５年前にオープ
ンしたそれまでの家具展示場とはまったく次元を異にするものだったのです。
それは当時のヨーロッパで最大のプレゼンテーションを誇るどこも真似のでき
ないものであったのです。カンプラードは、その店の経営トップに彼の最大の
腹心であるハンソンをすえたのです。　　　　　　　　　　　　　　　　以上

      
   </content>
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   <title>超巨大小売業ＩＫＥＡ成功の秘訣を探る／その２／０１１８号</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.intecjapan.com/forum/2008/08/post_115.html" />
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   <published>2008-08-04T01:57:29Z</published>
   <updated>2008-08-04T12:58:49Z</updated>
   
   <summary>●最初に扱った家具は「ＲＵＴ」である 　イングヴァル・カンプラードは、エルムタリ...</summary>
   <author>
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   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.intecjapan.com/forum/">
      ●最初に扱った家具は「ＲＵＴ」である

　イングヴァル・カンプラードは、エルムタリッド農場に腰を落ち着けてから
も、通信販売で輸入品を小売商に卸売りする仕事に専念したのです。カンプラ
ードは珍しい商品――といっても家庭で使う実用品に限られていたのですが、
そういう商品を見つけては「ＩＫＥＡの新商品」と題して広告ビラを作成し、
注文を取ったのです。
　しかし、それらの商品は、裁縫道具、ナイロンストッキング、グリーティン
グカード、種物、万年筆、紙入れなど、いずれも郵送しやすい小物ばかりだっ
たのです。あるとき彼はメッケルン湖の向こう岸の家具工場で素敵なチェアを
見つけたのです。何の変哲もないアームレスチェアだったのですが、カンプラ
ードは気に入ったのです。
　「そうだ、家具を扱ってみよう」――カンプラードはこのときはじめて家具
を「ＩＫＥＡの新商品」に加えることを決意したのです。彼はそのアームレス
チェアに「ルート／ＲＵＴ」という名前を付けて、売ることにしたのです。
　ＲＵＴをどのようにして売るか――彼は父親が購読していた「農民新聞」に
目をつけたのです。その新聞には、通信販売で家具を売る広告がたくさん出て
いたのです。カンプラードはあえてそこに割って入る決心をしたのです。
　カンプラードはあるメッセージを付けた「ＩＫＥＡの新商品」のパンフレッ
トを作り、「農民新聞」に折り込むことにしたのです。農民新聞はその地方に
おいてよく読まれており、発行部数は２８万５０００部を超えていたので、大
変な費用がかかったのですが、あえてそれをやったのです。
　ところで、「あるメッセージ」とは何でしょうか。それは次のようなメッセ
ージであったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　お店の商品が高いのは、仲買人がいるためです。豚肉一キロを農場で直接手
　に入れるのと、お店で買うのとでは値段がぜんぜん違うでしょう！
　　　　　　　　　　　　――リュディガー・ユングブルート著／瀬野文教訳
　　　　　『ＩＫＥＡ／超巨大小売業、成功の秘訣』　日本経済新聞出版社刊
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　カンプラードのこの宣伝は功を奏し、ＲＵＴをはじめとする「ＩＫＥＡの新
商品」は売れに売れたのです。この成功のなかで、カンプラードは商品を家具
に絞ることを考えていたのです。しかし、１９５０年代のスウェーデンで、家
具の通信販売を行う業者は多く、その競争は激しかったのです。その争点は何
といっても「価格」だったのです。
　ＩＫＥＡも当然激しい価格競争に巻き込まれます。値下げ競争は果てしなく
続き、やがて品質を犠牲にしなければならない事態に陥ったのです。その限界
はすぐにやってきたのです。ＩＫＥＡには、購入した家具に満足できない顧客
からの苦情の手紙が日を追って増えていったのです。

●家具展示場で「品質」を確かめさせるアイデア

　ＩＫＥＡのこうした窮状を救ったのは、カンプラードが新たに社員として採
用したスヴェン・イェーテ・ハンソンという若者だったのです。ハンソンは、
カタログやパンフレットでは商品の品質までは確かめられないので、どうして
も価格が購入か非購入かを決める要素になる――何らかの方法で、事前に顧客
が品質を確かめられるやり方を導入すべきだと指摘したのです。
　このハンソンは、現在の企業の企画部長のような役割で、カンプラードの経
営を助けたのです。カンプラードとハンソンはその方法についてとことん話し
合い、家具の展示ハウスを作ることで意見の一致をみたのです。
　現在であれば、家具の展示販売は当たり前であって何の目新しさもありませ
んが、当時家具を展示販売しているところはなかったのです。展示ハウスの場
所は、かなりの都会で、鉄道の便も良いエルムフルトが選ばれたのです。カン
プラードは、展示場にふさわしい建物を物色し、ある閉鎖された家具工場を見
つけたのです。
　カンプラードとハンソンは、そこを家具展示ハウスにすることにして、準備
に入ったのです。そして、今後ＩＫＥＡは、家具販売だけに専念し、事務用品
や文房具の通信販売はやめることにしたのです。
　そして、新しいカタログを作成し、新聞広告や常連客へのダイレクトメール
を通じて次のことを訴えたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　カタログをお求めのお客様には、エルムフルトの家具展示場への招待券を差
　し上げます。どうぞじっくりご覧になって、品質をお確かめください。
　　　　　　　　　　　　――リュディガー・ユングブルート著／瀬野文教訳
　　　　　『ＩＫＥＡ／超巨大小売業、成功の秘訣』　日本経済新聞出版社刊
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　１９５３年３月１８日にＩＫＥＡ展示場はオープンしたのです。門が開く前
から約１０００人が行列を作り、大勢の顧客が押し寄せたのです。そして展示
家具は売れに売れたのです。注文された品物はメーカーの工場から顧客に直送
されたので家具を保管する倉庫もいらなかったのです。
　そしてこの成功によって、ＩＫＥＡの売り上げは３００万スウェーデンクロ
ーネになり、前年の２倍に跳ね上がったのです。　　　　　　　　　　　以上

      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>超巨大小売業ＩＫＥＡ成功の秘訣を探る／その１／０１１７号</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.intecjapan.com/forum/2008/07/post_114.html" />
   <id>tag:www.intecjapan.com,2008:/forum//3.1113</id>
   
   <published>2008-07-28T02:22:01Z</published>
   <updated>2008-08-16T12:02:27Z</updated>
   
   <summary>●「ＩＫＥＡ／イケア」の由来を知る 　「ＩＫＥＡ／イケア」をご存知でしょうか。 ...</summary>
   <author>
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   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.intecjapan.com/forum/">
      ●「ＩＫＥＡ／イケア」の由来を知る

　「ＩＫＥＡ／イケア」をご存知でしょうか。
　「ＩＫＥＡ」は、スウェーデンの大手家具店で、２００６年４月に日本に進
出し、目下大ブレーク中です。この「ＩＫＥＡ」という企業の凄さは、銀行か
らお金を借りず、株式市場に上場して資金を調達することもせず、もっぱら、
自分の稼いだお金だけで、グローバル企業にのし上がったことにあります。
　「ＩＫＥＡ」については、２００７年に次の書籍が発売され、この世界一の
企業が編み出す「儲けの秘密」を明らかにしています。そこで、「インテック
・フォーラム」では、何回かに分けて「ＩＫＥＡ」の成功の秘訣を探ってみた
いと思います。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　　　　　　　　　　　リュディガー・ユングブルート著／瀬野文教訳
　　『ＩＫＥＡ／超巨大小売業、成功の秘訣』　日本経済新聞出版社刊
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　「ＩＫＥＡ」――イケアというネーミングの由来は何でしょうか。
　「ＩＫＥＡ」の４文字は、次の言葉の頭文字なのです。この文字の中に「Ｉ
ＫＥＡ」のルーツがあります。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　　　　ＩＫＥＡ　＝　Ingvar Kamprad Elmtaryd Agunnaryd
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　「Ingvar Kamprad」というのは、イングヴァル・カンプラード――「ＩＫＥ
Ａ」の創業者の名前です。「Elmtaryd Agunnaryd」――アグナリッド村のエル
ムタリッド、これは南スウェーデンの辺鄙な農場の名前であり、「ＩＫＥＡ」
の創業者イングヴァル・カンプラードが少年時代に家族とともに暮らしていた
場所なのです。
　日本語のカタカナ表記は「イケア」、ドイツやオランダも同じ「イケア」で
すが、アメリカやオーストラリアなどでは「アイキア」となります。中国では
「宣家家居」というのです。

●「ＩＫＥＡ／イケア」を創業する

　「ＩＫＥＡ」の原点は、１７歳のイングヴァル少年が北欧最大の港町ヨーテ
ボリで、最初に設立した会社にあります。ヨーテボリは、ボルボ、ＳＫＦ（ス
ゥエーデン・ボールベアリング工場）、ハッセルブラッドといった有名な企業
が拠点を構えるスウェーデン経済の重要な中心地なのです。
　イングヴァル少年は、ヨーテボリで高等商業学校に入学して、商売の勉強を
しながら、商売をやろうと考えていたのです。これについて、前掲書では次の
ように書いてあります。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　高等商業学校でイングヴァル・カンプラードははじめて理論を学んだが、そ
　れらはすでに何年も前から実地で覚えたことばかりだった。若き経営者イン
　グヴァルにとってもっとも興味深かったのは、教授たちが論ずる販売の問題
　だった。つまり、「どうやったら、最短距離で工場から顧客に商品をとどけ
　ることができるか？」、「一番有利な仕入れ値で商品を購入できるのはどこ
　か」といった問題だった。
　　　　　　　　　　　　――リュディガー・ユングブルート著／瀬野文教訳
　　　　　『ＩＫＥＡ／超巨大小売業、成功の秘訣』　日本経済新聞出版社刊
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　カンプラードは学校の図書館で経済新聞からスウェーデンの取引相手を探し
ている外国の会社に目をつけると、そこに手紙を書いて商品を取り寄せて販売
をはじめたのです。学校でそれが一番手っ取り早い商売であると教わったから
です。ベルトや紙入れや万年筆や時計――なんでも扱ったのです。
　彼は列車に乗って、南スウェーデン中をまわり、土地のタバコ屋やおもちゃ
屋などを一軒ずつ訪問して、商品を売り込んでいったのです。そんなに簡単に
売れるはずはなかったのですが、彼は頑張り抜いて少なくとも仕入れた商品は
売り捌くことに成功したのです。こういう地道な営業努力を通じて、カンプラ
ードは商売というもののコツを掴んでいったのです。
　こうしているうちに、カンプラードは小さな広告を新聞に載せるようになっ
たのです。これが少しずつ成果を挙げるようになり、それが営業の効率化に役
立つことを知ったのです。
　１９４７年にカンプラードは兵役に服さねばならなくなります。しかし、彼
は少しずつ軌道に乗りつつある商売をやめたくなかったので、上官と掛け合っ
て、夜間は兵舎にいなくてもいいという許可をもらい、ある一軒家の地下室に
事務所を設けたのです。
　連隊の同僚たちは、一日の勤務が終わると、みんな居酒屋に出かけたのです
が、彼は事務所にこもって商売に没頭したのです。当時の「ＩＫＥＡ」の品目
は、裁縫道具、ナイロンストッキング、グリーティングカード、種物、万年筆
紙入れといったところだったのです。新聞に広告を出して注文を取る単純なビ
ジネスモデルだったのですが、商売は面白いようにうまくいったのです。
　兵役が終わると、カンプラードは両親のいるエルムタリッドに戻り、腰を落
ち着けて商売の展開を始めます。　　　　　　　　　　　　　　　　　　以上
      
   </content>
</entry>
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   <title>要人の携帯電話利用には３つの危険がある／０１１６号</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.intecjapan.com/forum/2008/07/post_113.html" />
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   <published>2008-07-22T01:53:09Z</published>
   <updated>2008-07-22T03:54:50Z</updated>
   
   <summary>●政府要人の携帯電話は“傍受”されている 　携帯電話は使う側から考えると非常に便...</summary>
   <author>
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   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.intecjapan.com/forum/">
      ●政府要人の携帯電話は“傍受”されている

　携帯電話は使う側から考えると非常に便利な通信手段であるが、情報社会に
おけるテロ攻撃という見地からはきわめて脆弱な通信インフラである――こう
いうのは、著名な軍事評論家の江畑謙介氏です。
　携帯電話は電波を使うことによる移動の自由が身上ですが、江畑氏によると
電波にはいくつかの弱点があり、それによる携帯電話の問題点を３つ指摘して
いるのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　　　　　　　　　　　１．電波は傍受されやすい
　　　　　　　　　　　２．現在位置が特定される
　　　　　　　　　　　３．電波妨害を受けやすい
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　第１の問題点は「電波は傍受されやすい」ことです。
　外に電波を放出する以上、電波は傍受されやすいのです。一般生活において
も携帯電話や室内コードレスフォンの電波が傍受され、いたずらや個人攻撃に
悪用される問題点が多く発生しています。
　そういう携帯電話を首相をはじめ政府の要人が使うことには大きな問題があ
るのです。元警察庁国際部長の大貫啓行・麗澤大学教授は電話傍受の危険性に
ついて次のように指摘しています。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　（携帯電話での）会話はすべて傍受されているはずで、当然、安全保障上の
　問題はあります。だから福田首相は、米国をはじめ通信傍受能力を有してい
　る先進情報諸国から首相官邸、携帯電話、自宅の電話などを傍受されている
　という前提で行動しなければなりません。
　　　　　　　　　　　　　――『週刊ポスト』／２００８年７月１８号より
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　傍受を防ぐ方法がないわけではないと江畑氏はいいます。携帯電話に暗号化
装置を付けるとか、スクランブル機能といって別の信号を混ぜて発信する機能
を付ける方法があり、官邸にはそういう携帯電話が用意されています。
　しかし、相手方の携帯電話にもその暗号を解読したり、スクランブルを解除
できる機能がなければならないので、特定の相手としか通信できないのです。
福田首相をはじめ政府要人はこれを嫌って、一般の携帯電話を使っているもの
と思われます。

●現在の位置を特定される危険

　第２の問題点は「現在位置が特定される」ことです。
　首相や政府の要人が携帯電話を使うことの危険性は、その要人が現在いる位
置が特定されてしまうことです。とくに首相や政府の要人にとって現在位置が
特定されると、戦争ではマイクロウェーブ兵器などによる攻撃を受ける可能性
もあり、安全保障上好ましいことではないのです。
　どうして携帯電話を使うと現在位置がわかってしまうのかについて、江畑謙
介氏は、次のように説明しています。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　携帯電話のスイッチを入れると、しばらくして感度表示が出るが、あれは携
　帯電話が一番近い中継局（通信基地局）との間で自動的に交信を行い、この
　持ち主の（この番号の）電話が今ここに居るということを、電話中継局のコ
　ンピュータに教えているのである。　　　　　　　　　　　――江畑謙介著
　　　　　　『情報テロ／サイバースペースという戦場』より　日経ＢＰ社刊
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　どのぐらいの精度で特定されるかは、通信基地局の密度によって異なってき
ます。最近では通信基地局の数が増加したことと、その精度が非常に向上して
いるので、かなり狭い範囲内に相手を特定できるのです。
　それに加えて、首相や政府要人は、移動において秘書や警護の人が周りを取
り巻いていますが、それらの人の持つ携帯電話からでも容易に現在位置が特定
できるのです。江畑氏は要人の携帯電話使用の危険性については次のようにコ
メントしています。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　要人は常に自分の、あるいは自分の秘書、副官、ないしは常に行動を共にす
　る人物が持つ携帯電話の番号を他に知られないようにせねばならないし、状
　況が緊迫したような場合には、一般的な携帯電話の使用は止めて、特別な回
　線を使った専用通信手段に限定する必要がある。　　　　　――江畑謙介著
　　　　　　『情報テロ／サイバースペースという戦場』より　日経ＢＰ社刊
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　第３の問題点は「電波妨害を受けやすい」ことです。
　携帯電話は電波を使うがゆえに電波妨害に弱いのです。携帯電話の電波はき
わめて微弱なものであり、簡単にして低コストで妨害ができるのです。したが
って、特定の場所で携帯電話が使えないようにすることなどは容易なのです。
　ということは、戦争を含めた緊急事態では携帯電話は真っ先に妨害されるこ
とを考えておくべきです。いずれにせよ、首相や政府要人は一般の携帯電話の
利用は控える見識を持つべきです。　　　　　　　　　　　　　　　　　以上
      
   </content>
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   <title>要人の携帯電話セキュリティの現状／０１１５号</title>
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   <published>2008-07-14T00:21:31Z</published>
   <updated>2008-07-14T00:22:10Z</updated>
   
   <summary>●なぜ、日本の要人は一般の携帯電話を使うのか 　さきの通常国会開催中のときの話で...</summary>
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   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.intecjapan.com/forum/">
      ●なぜ、日本の要人は一般の携帯電話を使うのか

　さきの通常国会開催中のときの話です。そのとき国会では年金問題の総括質
疑が行われていたのです。民主党の議員が質問に立ち、福田首相と升添厚労相
とのコミュニケーションについて質問したときのことです。
　「私と升添さんとはいつも緊密に連絡を取り合っていますよ」と福田首相は
答えながら、スーツから携帯電話を取り出し、今ここでかけてみましょうか」
といったのです。そのときＮＨＫテレビは国会中継をしていたので、非常に多
くの人がそれを目撃したことになります。
　もうひとつこんな話があります。２００８年３月５日早朝、首相官邸小ホー
ルで開かれた「地球温暖化問題に関する懇談会」の初会合の席上で、それは起
こったのです。
　そのとき小ホールには、福田首相をはじめ町村官房長官、座長の前財界総理
・奥田碩トヨタ自動車相談役らのメンバーが既に揃っており、会議は今まさに
始まろうとしてしたのです。
　そのとき、「ちょっと失礼」といって、福田首相がスーツから携帯電話を取
り出し、「もしもし、福田です」と話しながら、席を外して部屋の外に出て、
誰かとなにやら話し込んだのです。
　普通のビジネスパーソンであればそういうことはよくあることですが、一国
の首相が人前で携帯電話を使うことは明らかに異様です。洞爺湖サミットは終
わったばかりですが、サミットに出席するような国のトップが携帯電話を使っ
ているのあなたは見たことがあるでしょうか。米国のブッシュ大統領が携帯電
話を使っている映像を見たことがあるでしょうか。
　おそらくないと思います。なぜなら、そういうことを警備の人が絶対にさせ
ないからでいす。どうしてでしょうか。危険だからです。ちなみに、米国では
大統領、副大統領、全閣僚、議会幹部、軍幹部は携帯電話は使っていますが、
すべて盗聴防止特殊モジュール搭載の携帯電話であり、その携帯電話でも機密
情報は話さないということが徹底されているからです。まして人前で携帯電話
を使うことなど論外です。
　しかるに日本の要人の携帯電話はどうなっているでしょうか。
　現在、福田首相の携帯電話はＮＴＴドコモの市販の携帯電話ですし、町村官
房長官、官房副長官たちも一般の携帯電話なのです。盗聴防止特殊モジュール
搭載の携帯電話を持っているのは高村外相だけであり、それも外国首脳との電
話や機密情報のやり取りのさいしか使っていないのです。外相も一般の携帯電
話を持っており、普段はそれを使っているということです。
　昨今は「セキュリティ」ということがうるさくいわれますが、会話などが盗
聴されると国益にかかわる国の要人たちの一般携帯電話使用――なぜ、このよ
うな事態が起こっているのでしょうか。日本の国のセキュリティはどうなって
いるのでしょうか。

●ケータイへの依存度が高い福田政権

　『週刊ポスト』／７月１８号に、次のような記事が出ています。宰相の携帯
電話使用は安倍政権のときからはじまったといわれています。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　かつて安倍政権の政府高官らは通常電話でホワイトハウスに電話していた。
　それに対して、ライス国務長官が不快感を示し、日米首脳の盗聴防止付きの
　直通専用回線ができたという経緯がある。複数の情報部門の関係者によると
　政治家が盗聴の対象になっているのは周知の事実で、それは当然に役人たち
　も知っていることだという。ところが、政治家が無警戒なのをいいことに、
　その状況を情報収集に利用しているというのだ。
　　　　　　　　　　　　　――『週刊ポスト』／２００８年７月１８号より
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　小泉政権の５年半では、小泉元首相自身が携帯電話をプライベートでも持た
なかったので、要人の携帯電話使用は話題にもならなかったのですが、安倍政
権になると事情は一変したのです。
　安倍前首相は、主として携帯電話で連絡を取っており、とくに親しい塩崎官
房長官（当時）などとは携帯電話だけでなく、携帯メールでも頻繁にやり取り
していたので、それが他の閣僚たちへと広がっていったのです。
　それが福田政権になると官邸の携帯電話使用は当たり前になったのです。福
田首相はあらゆる機会に携帯電話片手にしゃべっており、もはや携帯電話は福
田首相の唯一最大のブレーンと化しているようです。町村官房長官などは「日
に２〜３回は総理とケータイで話している」と公言しているほどです。
　あまり知られていないことですが、福田首相はかなり前から携帯電話を使っ
ているのです。福田首相が小泉政権の官房長官のときにケータイへの迷惑メー
ルの件でキャリアの社長を官邸に呼び、事情を聞いているのです。そのとき、
福田官房長官（当時）は「ケータイ・メールは受信者にも料金がかかると聞い
ているが、そのために迷惑メール対策が遅れているのではないか」といったと
いうのです。キャリアの社長たちは福田氏が携帯電話に並々ならぬ関心を持っ
ていることに驚いたというのです。
　どうして、要人は携帯電話の利用に慎重であるべきでしょうか。これについ
ては、次回軍事専門家の江端謙介氏の意見を中心に解説します。　　　　以上
      
   </content>
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   <title>『本を読む本』が伝授する現代読書術／０１１４号</title>
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   <published>2008-07-07T02:09:57Z</published>
   <updated>2008-07-07T03:11:08Z</updated>
   
   <summary>●古典『本を読む本』が売れている 　『週刊／東洋経済』６／２１特大号では読書術を...</summary>
   <author>
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   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.intecjapan.com/forum/">
      ●古典『本を読む本』が売れている

　『週刊／東洋経済』６／２１特大号では読書術を特集しています。この時期
に読書術とは・・といぶかる向きもあるとは思いますが、実は次の本がこのと
ころ非常に売れているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　　　　Ｍ.Ｊ.アドラー／Ｃ.Ｖ.ドーレン著／外山滋比古・槇未知子訳
　　　　　　　　　　　『本を読む本』――講談社学術文庫／１２９９
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　この本は、講談社学術文庫に収められていることからもわかるように、１９
４０年に米国で出版され、世界各国で翻訳されて読み継がれてきているいわば
古典なのです。累計販売部数は約８万部ですが、その約半分がこの３〜４か月
で売れたというのです。
　売れた原因は、話題の公認会計士の勝間和代氏が自著で紹介したことがきっ
かけで、若いビジネスパーソンが一気に読み始めたものと考えられます。今時
の若いビジネスパーソンは話題本には目がないようです。
　ところで『本を読む本』とは、どういう内容の本なのでしょうか。
　著者のアドラーとドーレンは、ともにエンサイクロペディア・ブリタニカの
編集長を経験しており、本を４つのレベルに分けて読む方法をわかりやすく説
明しています。４つのレベルの読書法とは次の通りです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　　　　１．　　　　初級読書――Elementary Reading
　　　　　　　　　　・小学校で学習する基本的な読み書きのこと
　　　　２．　　　　点検読書――Inspectional Reading
　　　　　　　　　　・短い限られた時間内で内容を把握すること
　　　　３．　　　　分析読書――Analytical Reading
　　　　　　　　　　・本全体について、分析的にじっくりと読む
　　　　４．シントピカル読書――Syntopical Reading
　　　　　　　　　　・１つの主題を何冊もの本を関連づけて読む
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　「初級読書」で基礎を作り、「点検読書」で書店や図書館で本を選別し、自
らが興味のある本に絞って「分析読書」を行う――このレベルに達すると、読
み手は書き手の水準に到達できるといいます。そして、「シントピカル読書」
という最上級水準に達します。ひとつの主題について何冊もの本を比較読書し
客観理解をし、書かれていない主題をも発見するというレベルです。

●現代の情報収集にフィットする佐藤優式読書

　『週刊／東洋経済』６／２１特大号では、６人の知的生産の達人の読書術が
披露されていますが、これら６人の達人の中にあって、アドラー／ドーレンの
『本を読む本』で説く読書術に一番近いのは、佐藤優氏の読書法です。
　興味深いことですが、佐藤氏は１９３０年出版の世界百科事典を毎日少しず
つ読んでいるというのです。なぜ、１９３０年代の百科事典なのかというと、
戦前の事典は絶対性が強いことに特徴があるからといっています。佐藤氏は百
科事典について次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　百科事典とは英語に訳すと「エンサイクロペディア」、つまり、「円環をな
　す」という意味だ。優れた百科事典には、ある時点で切った「知の円環＝体
　系」が載っている。ここがオンライン百科事典の「ウィキペディア」と異な
　るところである。　　　　　　――『週刊／東洋経済』６／２１特大号より
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　佐藤氏が戦前の百科事典を読んでいるのは、戦前の百科事典の持つ「知の体
系」を身につけようとしているのです。既に述べたように、アドラー／ドーレ
ンは百科事典の編集者であり、読書法の考え方が似ていて当然と思われます。
　佐藤氏は読書を「熟読」「速読」「超速読」の３種類に分けていますが、中
心になるべきはあくまで「熟読」であるというのです。しかし、忙しいビジネ
スパーソンが熟読すべき本は限られるので、熟読できない本の概要を短時間で
理解したり、読むべき本を決めるために「速読」と「超速読」を駆使すること
になります。
　書店に行って本を探し、これはという本を見つけたら、「超速読」で読むか
どうかを決めるのです。ここでは購入した本の「速読」をご紹介します。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　序文の１ページ目と目次を読んだら、以後はひたすら文字をできるだけ早く
　目で追う。重要な箇所は線を引き、ページ上に付箋を貼っていく。線を引い
　た部分はノートに書き写し、そこには簡単なコメントを書き込む。これは読
　了後、線を引いた部分に何が書いてあったかを忘れないための補強作業だ。
　一連の作業で記憶への定着は著しく向上する。　　　　　――前掲雑誌より
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　佐藤氏は「速読」と「超速読」ができるためには基礎知識が必要であるとい
います。したがって、これらはアドラー／ドーレンの「初級読書」に該当し、
「速読」と「超速読」は「点検読書」、それに「熟読」は「分析読書」と「熟
読」の繰り返しは「シントピカル読書」に該当するのです。　　　　　　以上

      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>若者こそ昭和的価値観を変える先頭に立て／０１１３号</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.intecjapan.com/forum/2008/06/post_110.html" />
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   <published>2008-06-29T19:23:36Z</published>
   <updated>2008-06-30T05:53:42Z</updated>
   
   <summary>●「３年で辞める」若者はエリートである 　城繁幸氏は、その前著『若者はなぜ３年で...</summary>
   <author>
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   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.intecjapan.com/forum/">
      ●「３年で辞める」若者はエリートである

　城繁幸氏は、その前著『若者はなぜ３年でやめるのか』（光文社新書）にお
いて、せっかく目標の企業に入社した若者がわずか３年で辞めていく実態を客
観的に指摘しています。そして、城繁幸氏はその理由として、次の２つを上げ
ているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　　　　　　　１．わがままで忍耐不足な若者が多いこと
　　　　　　　２．転職市場の成熟という環境要因がある
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　ここで留意しなければならないことは、ここでいう「３年で辞める」若者と
は、大企業が採用を決めるほど優秀な若者のことであるということです。彼ら
は最初からやりたい仕事というものを持っており、少しでも仕事のミスマッチ
があると、すぐ辞めようとするのです。
　昔であれば、仕事が自分に合わないからといっても、なかなか自分に合う仕
事が見つかるものではなかったのですが、現代ではネット上に転職市場が立ち
上がっていて、優秀な人材であれば自分に合う仕事が見つけられるのです。だ
から簡単に辞めてしまうのです。
　ところで、２００８年春卒業の大卒者に対する求人倍率は２.１４ 倍という
超売り手市場だったそうです。これは仮に就職を希望する大卒者を企業が全部
採用しても企業の求人需要は半分も満たせないことになります。そのせいか、
３年どころか入社初日から退職者が多く出るという不可解な現象まで起こって
いるのです。こういう社会的常識をわきまえない新人は少なくとも城繁幸氏の
いうところの「３年で辞める」若者ではないのです。
　「３年でやめる」若者に対して、城繁幸風にいうと昭和的価値観にどっぷり
とつかった年配の管理職は、「最近の若者は辛抱が足りない。若いうちは仕事
を選ばないで何でもやるべきだ。若いときのそういう苦労はやがて自分の血と
なり、肉となる」といって苦言を呈するのがつねです。
　年配者の立場で考えると、当然の指摘であるように思えますが、城繁幸氏に
いわせると、それは昭和的価値観からくる時代遅れの考え方であり、依然とし
てそういう価値観に支配されている大企業の人や組織や制度が根を張っている
からこそ優秀な若者に逃げられるのだといっているのです。
　城繁幸氏は、前著で「昭和的価値観」とひとくくりにして呼んでいたものを
２２の具体的な価値観としてあらわし、それぞれに関連付けて、それとは違う
行動をする若者の意見を紹介しています。（「INTEC FORUM」/ 第１１２号）
　略歴によると、城繁幸氏は１９３７年生まれで現在３５歳です。東大法学部
を卒業して大手企業に入社して人事部に配属され、新人事制度導入直後からそ
の運営に携わる経歴を持つ、典型的な企業エリートです。彼は、「３年で職場
に見切りをつける」若者の世代を代表する旗手として、依然として昭和的価値
観に支配されている大企業の人や組織や制度などに対して新著で反論を展開し
ているのです。

●若者こそ昭和的価値観を変える先頭に立つべきである

　既に平成は２０年にもなるのに、いまだに多くの企業で昭和の時代から続く
風習や決まりごとや働き方が定着しているのです。その証拠に社会経験のない
若者――とくにエリートは、誰にいわれたわけでもないのに歴史ある大企業の
門戸を叩くのです。この傾向は昔からかわっていないのです。
　ちなみに２００７年就職人気ランキング上位１０社のうち実に６社が１５年
前のバブル期とまったく同じなのです。しかし、その先に待っているのは、エ
リートでもセレブでもないただの勤労者であり、やがて彼らはものいわぬサラ
リーマンと化していく――城繁幸氏はこういっているのです。
　城繁幸氏が社会に出たのは１９９５年――バブルが崩壊し、企業の雇用形態
に大変動が起き始めた時期に当たります。従来の年功序列、終身雇用制の賃金
体系では企業は立ち行かなくなり、新しい模索をはじめた時代に城氏は社会に
出ていかざるを得なかったのです。だからこそ、企業人としての自分の生き方
に強い問題意識をもったものと思われます。
　しかし、城繁幸氏の考え方に納得がいかない年配者は多いのです。その疑問
は、大別すると次の４つがあります。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　１．昭和的価値観は昔からこの国に伝えられてきた日本人としての規範や精
　　　神のありようを示したものであり、必ずしも悪いものばかりではない。
　２．自分のやりたいこと、できること、すべきこと――この３つを一致させ
　　　ることが必要であるが、そのためには入った職場で１０年以上頑張る。
　３．入社した企業には何かの縁があるのでその縁は大事にすべきだ。もし、
　　　良くない昭和的価値観があるなら、それを変える努力をすべきである。
　４．優秀な若者こそ自分に合わないからといって企業から逃げ出さずに、そ
　　　の職場に腰を据えて新しい価値観を作るために先頭に立つべきである。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　３年で辞めて、それが真にプラスになった人は一握りです。しかし、失敗し
た人も何かを掴んで成長していきます。そういうかつての若者の現在の意識は
この本を通じて知ることができます。一読の価値はあります。　　　　　以上

      
   </content>
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   <title>昭和的価値観と現代の若者／０１１２号</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.intecjapan.com/forum/2008/06/post_109.html" />
   <id>tag:www.intecjapan.com,2008:/forum//3.1075</id>
   
   <published>2008-06-23T01:13:06Z</published>
   <updated>2008-06-23T04:25:21Z</updated>
   
   <summary>●今年の新入社員のタイプは「カーリング型」 　空前の「売り手市場」ということで、...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.intecjapan.com/forum/">
      <![CDATA[●今年の新入社員のタイプは「カーリング型」

　空前の「売り手市場」ということで、各企業とも人材の確保にやっきとなっ
ています。そのことに関係があるのか、今年の４月に入社した新人の「入社初
日退社」が相当の数に上っているということです。
　財団法人・社会経済生産性本部によると、今年の新入社員のタイプは「カー
リング型」というのだそうです。『週刊文春』／６月１９日号によると、その
ココロは次のようなことであるというのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　周囲がブラシで擦るのをやめてしまうと、減速したり、止まってしまいか
　ねない。　　　　　　　　　　　　――『週刊文春』／６月１９日号より
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　同週刊誌には、４月入社新人の奇異な行動を紹介していますが、とくに電話
応対には悪戦苦闘しているようです。傑作な例をひとつ紹介します。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　電話応対をしている最中の上司宛の電話を新人が受けて一言。「ただいま、
　○○は取り乱しております」。周囲は大爆笑。　――上掲『週刊文春』より
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　最近の若い人に共通しているのは、活字ものを読まないことです。そのこと
も影響して若い人の「日本語表現力」が落ちています。上司が忙しく電話で話
しているのを見て、それをうまく表現できなかったのです。

●２２の昭和的価値観

　城繁幸氏の次の本がよく売れているそうです。城氏といえば『若者はなぜ３
年でやめるのか』（光文社新書）のヒットで知られる人事の専門家です。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　　城繁幸著
　　『３年でやめた若者はどこへ行ったのか』／ちくま新書／７０８
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　城繁幸氏の前著『若者はなぜ３年でやめるのか』については２００６年１１
月１３日付の「INTEC FORUM」／ 第３１号で、既に取り上げております。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　　　　<a href="http://www.intecjapan.com/forum/2006/11/post_108.html" target="_blank">http://www.intecjapan.com/forum/2006/11/post_108.html</a>
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　そのとき、入社３年以内で３６．５％――実に３人に１人が辞める現象を紹
介し、そういう現象を踏まえてか「年功序列制度」が復権しつつあることに対
して、城繁幸氏は「それは『昭和的価値観』の復活である」として苦言を呈し
ていることをご紹介しております。
　『昭和的価値観』とは何でしょうか。
　城繁幸氏は前著では、昭和的価値観を年功序列制度と終身雇用制度であると
していたのですが、今回の新著『３年でやめた若者はどこへ行ったのか』（ち
くま新書）では、その昭和的価値観を細かく具体的に提示し、現代の若者の意
識とのずれを指摘しています。新著で著者が昭和的価値観として指摘したのは
次の２２項目です。参考までにすべて列挙しておきます。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　　１．若者は、ただ上に従うこと
　　２．実力主義の会社は厳しく、終身雇用は安定しているということ
　　３．仕事の目的とは、出世であること
　　４．ＩＴ業界は３Ｋであるということ
　　５．就職先は会社の名前で決めること
　　６．女性は家庭に入ること
　　７．言われたことは、何でもやること
　　８．学歴に頼ること
　　９．留学なんて意味がないということ
　１０．失敗を恐れること
　１１．公私混同はしないこと
　１２．盆暮れ正月以外、お墓参りには行かないこと
　１３．酒は飲んでも飲まれないこと
　１４．フリーターは負け組だということ
　１５．官僚は現状維持にしか興味がないということ
　１６．新卒以外は採らないこと
　１７．人生の大半を会社で過ごすこと
　１８．大学生は遊んでいてもいいということ
　１９．最近の若者は元気がないということ
　２０．ニートは怠け者だということ
　２１．新聞を読まない人間はバカであるということ
　２２．左翼は労働者の味方であるということ
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　――城繁幸著
　　　　　　『３年でやめた若者はどこへ行ったのか』／ちくま新書／７０８
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　次号もこのテーマを続けます。　　　　　　　　　　　　　　　　　　以上
]]>
      
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   <title>ビジョナリー・カンパニーを解明する／その６／最終回／０１１１号</title>
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   <published>2008-06-16T04:09:26Z</published>
   <updated>2008-06-16T04:13:29Z</updated>
   
   <summary>●ビジョナリー・カンパニーは決して満足しない 　ビジョナリー・カンパニーになって...</summary>
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   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.intecjapan.com/forum/">
      ●ビジョナリー・カンパニーは決して満足しない

　ビジョナリー・カンパニーになって、その地位を維持し向上させて行くには
何が必要でしょうか。ビジョナリー・カンパニーにとって一番大切なものは、
次の問いであるというのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　　　　　　明日にはどうすれば、今日よりうまくやれるか
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　ビジョナリー・カンパニーが他の企業に比べて飛び抜けた地位を保っている
のは、将来を見通す力に優れているためでも、成功のための特別な秘密がある
わけでもなく、「自分自身に対する要求がきわめて高い」というきわめて単純
な事実によるのです。つまり、決して満足しないという精神です。
　『ビジョナリー・カンパニー』の著者、コリンズ／ポラスはビジョナリー・
カンパニーには「不断の改善」が根付いているとして、次のように述べている
のです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　ビジョナリー・カンパニーでは、不断の改善がしっかりとした仕組みに基づ
　いて、日々の行動に一本筋を通す習慣として組織のすみずみにまで染み込ん
　でおり、現状をいつも不十分と感じるようにする具体的な仕組みによって、
　それを強化している。（中略）要するに、明日には今日よりも自社が強くな
　るように、可能なかぎり、すべてのことを行っているのである。
　　　　　ジェームズ・Ｃ・コリンズ／ジェリー・Ｉ・ポラス著／山岡洋一訳
　　　　　　　　　『ビジョナリー・カンパニー』／日経ＢＰ出版センター刊
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　企業経営は、その企業が他よりも一頭地抜ける存在になり、それが誰の目に
も明らかになったときが一番危険であるといわれます。幹部や従業員が安心し
て贅肉がつき、自己満足に陥る可能性があるからです。
　Ｐ＆Ｇ（プロクター＆ギャンブル）のＣＥＯであるリチャード・デブリーは
その危険をつねに感じていたのです。そういうときに、マーケティング・マネ
ジャーのニール・マッケルロイが斬新な提案を持ってきたのです。その提案は
デブリーＣＥＯの意に沿うものであったので、それに賛成し、早速実施に移し
たのです。１９３１年のことです。
　それは「Ｐ＆Ｇのブランド同士が直接競争する」という提案だったのです。
Ｐ＆Ｇは最高の人材を抱え、最高の製品を持ち、最高のマーケティング組織を
持っている――だったら、Ｐ＆Ｇの最高のもの同士を戦わさせればいいじゃな
いかという提案なのです。
　そのようなことは既にどこでもやっているというかも知れませんが、Ｐ＆Ｇ
がそれをやったのは１９３０年代であることを考慮する必要があります。この
時期において、既にそのことに気付いていたというのは凄いことなのです。
　このようにビジョナリー・カンパニーは、何からのかたちで「現状を不十分
と感じるようにする仕組み」を持っているのです。この精神は、「勝ちて驕ら
ず」の精神に通じるものがあります。

●社内に不安と緊張をつくり出す諸制度がある

　「ワークアウト」――ゼネラル・エレクトリック（ＧＥ）でやっている集会
の名称です。従業員がグループごとに集会を開き、改善の提案を話し合って、
具体的な提案をまとめます。管理職は議論に加わることはできず、全員の前で
提案について回答を要求されます。
　管理職は、逃げることも、隠れることも、回答をのばすことはできず、その
場で回答が求められるのです。
　ボーイングでは事業計画策定に当って、「敵の視点」という方法を編み出し
ています。この方法では、何人かの管理職に、競争相手の立場に立って、ボー
イングを壊滅させる戦略を立案する任務を与えるのです。ボーイングの弱点は
どこにあるか、どのように攻めるか、どの市場なら簡単に進出できるか――敵
の視点から徹底的にボーイングを壊滅させる戦略を考えさせるのです。
　ラジオを製造・販売するノードストロームでは、ＳＰＨ（一時間当たりの売
り上げ）のランキングを発表しています。このランキングは同僚との比較で自
己の評価を図るものになっています。ＳＰＨには、どの金額に達すればよいと
いう基準がないので、上位にランクされても安心はできないのです。
　ヒューレッド・パッカード（ＨＰ）でも社員をランク付けする伝統を持って
いるのです。管理職が集まって会議を開き、部門ごとのランキングを決めるの
です。これによって、部門ごとに最上位から最下位までのランキングが公表さ
れるのです。
　これらはいずれも社内に安心感が広がるのを抑え、緊張感を醸成するイベン
トであり、制度です。ビジョナリー・カンパニーのように企業規模が大きくな
り、歴史のある伝統的な会社になると、どうしても社員は「ウチの会社は大丈
夫だ」との安心感が起こり、緊張感が失われ、それが業績に影響してくるもの
です。それを何とかして防ぐというのがこれらの方法なのです。
　ビョナリー・カンパニーについて６回にわたりご紹介しましたが、精読する
方のある本であると考えます。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　以上

      
   </content>
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   <title>ビジョナリー・カンパニーを解明する／その５／０１１０号</title>
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   <published>2008-06-08T19:29:00Z</published>
   <updated>2008-06-08T19:50:19Z</updated>
   
   <summary>●生え抜きＣＥＯにこだわるビジョナリー・カンパニー 　ここに興味深いデータがあり...</summary>
   <author>
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   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.intecjapan.com/forum/">
      ●生え抜きＣＥＯにこだわるビジョナリー・カンパニー

　ここに興味深いデータがあります。ビジョナリー・カンパニー１８社には過
去を含めて合計１１３人のＣＥＯがいるのですが、そのうち社外から招聘され
たＣＥＯはわずか３.５ ％、具体的には４人しかいないのです。
　しかし、比較対象企業の１４０人のＣＥＯでは、２２.１ ％が社外から招聘
したＣＥＯなのです。つまり、ビジョナリー・カンパニーは比較対象企業に比
べて、社外の人材を経営者として登用する確率が６分の１しかないということ
になります。
　ゼネラル・エレクトリック（ＧＥ）のＣＥＯというと、ジャック・ウェルチ
があまりにも有名ですが、ウェルチについて書かれた数多くの文献を読むと、
なんとなく彼は、外部から白馬にまたがってＧＥにやってきた救世主的カリス
マ経営者のようなイメージがあります。
　しかし、それは大きな間違いなのです。ウェルチは文字通りの生え抜きであ
り、２５歳で大学院を卒業してＧＥに入社しています。ＣＥＯに就任したのは
入社２０年後のことなのです。
　それにウェルチが経営を引き継いだとき、ＧＥは別に低迷しておらず、前Ｃ
ＥＯのレジナルド・ジョーンズは立派な経営を行っていたのです。しかし、あ
まりにもウェルチが有名になったので、ジョーンズの影が薄くなってしまった
のです。ジョーンズは引退したとき「もっとも尊敬されているアメリカの経営
者」として称えられ、１９８０年には「ＣＥＯ・オブ・ザ・イヤー」に選ばれ
ているのです。
　ジョーンズはＧＥのために数多くの立派な仕事を成し遂げていますが、一番
ＧＥに貢献した仕事は、なんといってもジャック・ウェルチを自分の後継者と
してＣＥＯに選んだことだったのです。ジョーンズは優れた後継者を選出する
ために文字通り精魂を傾けたＣＥＯなのです。
　ジョーンズは、まず「ＣＥＯの引き継ぎの道筋」という文書を作成したので
す。ウェルチがＣＥＯになる７年前のことです。この文書に基づいてジョーン
ズは、同社の経営人材委員会が選定した生え抜きばかりの９６人の候補者を２
年間をかけて１２人に絞り込んだのです。そして、さらにその１２人を慎重に
観察し、半分の６人に絞り込んでいます。この６人の候補者のなかにジャック
・ウェルチがいたというわけです。
　この６人全員は「事業部門責任者」として、経営委員会の所属となります。
ジョーンズはこの６人に対し、さまざまな課題に取り組ませ、エッセー・コン
テストなどを行い、徐々に的を絞り、さらに３年間かけて一人を選定したので
す。その最後に残った一人がジャック・ウェルチだったのです。
　おそらくウェルチを含めた６人は、選りすぐりの人材ばかりだったと思われ
ます。その証拠に選に漏れた残りの５人はその後、ＧＴＥ、ラバーメイド、ア
ポロ・コンピュータ、ＲＣＡなどの社長やＣＥＯになっているからです。

●ＣＥＯ後継計画があるかどうかの差は大きい

　コルゲートという企業があります。「コルゲート歯磨き」のあのコルゲート
です。１８０６年創業の老舗の優良企業ですが、ビジョナリー・カンパニーで
は、Ｐ＆Ｇの比較対象企業のポジションに甘んじています。
　事実コルゲートは１８０６年の設立以来一世紀にわたって着実に成長し、プ
ロクター＆ギャンブル（Ｐ＆Ｇ）と肩を並べる優良企業だったのです。ビジョ
ナリー・カンパニーの比較対象企業１８社のなかでは、当初、どの企業よりも
基本理念を明確に表明しているし、企業の基本的な価値と明確な事業の目的を
定めていたのです。
　しかし、１９４０年代になると、Ｐ＆Ｇに比べて規模で半分以下、収益面で
４分の１になり、それ以来４０年にわたって平均してこの比率は変わっていな
いのです。また、かつては強かった基本理念から離れ、Ｐ＆Ｇと比べて、社風
がはるかにあいまいになってしまったのです。
　いったい何が起こったのでしょうか。その最大の理由の一つは、Ｐ＆Ｇに比
べて後継計画が貧弱で、経営者の継続性が保てなくなってしまったということ
なのです。コルゲートは４代までは、生え抜きの人材――といっても創業者の
一族に経営を引き継がせる同族経営だったのです。そうしているうちに２０世
紀のはじめになって、経営幹部の育成と後継計画に失敗したのです。
　１９２０年後半になると、いよいよ後継者になり得る人材が不足したので、
パルモア・ピートと合併して、外部の人材に経営を託すことにしたのです。そ
のＣＥＯがチャールズ・ピアースなのです。
　しかし、ピアースをＣＥＯにしたのは失敗だったのです。ピアースは「事業
拡大熱」に浮かされ、規模の拡大だけに気を取られ、コルゲートの事業の基本
と価値観を無視したのです。とくに、小売店、顧客、従業員との関係を公正な
ものにするという基本的な価値を踏みにじり、小売店や従業員とのトラブルが
相次いだのです。
　これに対してＰ＆Ｇでは、コルゲートと同じ時期に同族経営から脱却する必
要に迫られたものの、１９９０年に入社した生え抜きのリチャード・デプリー
がＣＥＯを担えるように注意深く準備していたのです。デプリーは１９３０年
にＣＥＯになり、それから１８年間、ＣＥＯとして見事な実績を残しているの
です。これはＣＥＯの後継計画がいかに大事かを示しています。　　　　以上

      
   </content>
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   <title>ビジョナリー・カンパニーを解明する／その４／０１０９号</title>
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   <published>2008-06-01T22:57:00Z</published>
   <updated>2008-06-01T23:01:36Z</updated>
   
   <summary>●社員の着想を大きく育てる社風 　ジェームズ・コリンズとジェリー・ポラスがビジョ...</summary>
   <author>
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   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.intecjapan.com/forum/">
      ●社員の着想を大きく育てる社風

　ジェームズ・コリンズとジェリー・ポラスがビジョナリー・カンパニーの社
史を調べていったとき、各社で成功した動きのほとんどが戦略的計画に基づく
ものでなく、実験、試行錯誤、臨機応変によるものであり、なかには偶然の産
物そのものであることを発見して驚いています。
　そのひとつの例がジョンソン＆ジョンソンにあります。１８９０年、当時ジ
ョンソン＆ジョンソンは消毒ガーゼと絆創膏が主力商品の会社だったのです。
あるとき、薬用絆創膏のいくつかで、患者の皮膚が炎症を起こしたという抗議
の手紙をある医師から受け取ったのです。
　フレッド・キルマーという研究開発担当の役員は、直ちにイタリア風のスキ
ン・パウダーをこの医師に送ってクレーム処理を行ったのです。そのとき、他
の絆創膏でも同じ症状が起こる可能性があると考えて、そのパウダーを小さな
缶に入れて絆創膏と同封したらどうかと会社に提案したところＯＫが出たので
それを実行に移したのです。
　そうしたところ意外なことに顧客から「パウダーを売ってくれ」という注文
が相次いだのです。そこで、ジョンソン＆ジョンソンはパウダーを独立商品と
して売ったところ、好調な売れ行きを示し、世界中の地域で家庭用の常備薬と
して有名になったというのです。
　ジョンソン＆ジョンソンにはもうひとつ有名な話があります。１９２０年の
こと、同社の社員アール・ディクソンの妻が何度も包丁で指を傷つけるので、
ディクソンは外科用のテープに小さなガーゼを貼りつけ、特製のカバーをつけ
て傷にくっつかない特製の絆創膏を作ったのです。
　この話を聞いた同社のマーケティング部門がその製品を市場で試してみるこ
とにしたのです。はじめは良い結果は出ず、製品に何回も改良を加えて辛抱強
く実験を重ねた結果、世界中で売れるヒット製品になったのです。今やどこの
家庭にもある「バンドエイド」はこうして生まれたのです。

●実験・研究・試行錯誤して多角化を目指す企業文化

　ジェームズ・コリンズとジェリー・ポラスがヒューレッド・パッカードのビ
ル・ヒューレッドとインタビューしたとき、彼に「とくに尊敬し、手本にして
いる企業があるか」と質問したところ、次の答えが返ってきたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　３Ｍだ。これは断言できる。３Ｍが次にどう動くか、だれにもわからない。
　本当にすごいのは、３Ｍ自身、次にどう動くのかが、たぶんわかっていない
  ことだ。しかし、次の動きを正確に予想できなくても、同社が今後も成功を
　続けていくことは、確実だといえる。　　　　　　――ビル・ヒューレッド
　　　　　ジェームズ・Ｃ・コリンズ／ジェリー・Ｉ・ポラス著／山岡洋一訳
　　　　　　　　　『ビジョナリー・カンパニー』／日経ＢＰ出版センター刊
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　３Ｍ――ミネソタ・マイニング＆マニュファクチャリングは、設立早々に事
業に失敗しています。設立のさいの事業目的は「研磨材原料の採掘」なのです
が、採掘した研磨材原料の品質が悪く、大失敗に終わり、ほとんど致命的な打
撃を受けたのです。
　そこで何でもいいから会社が生き残れる事業はないかと、役員と従業員たち
は、必死になって解決策を話し合ったのです。その結果、ある投資家の意見を
入れて、鉱業をあきらめ、研磨材の製造――具体的にはサンドペーパー事業に
変更することを決断したのです。１９０４年のことです。
　１９１４年にウィリアム・マックナイトという３０歳にもならない若者が３
Ｍの総支配人になってから３Ｍは変化を始めるのです。彼は、会計士から営業
マンに転じた変わり者であり、研究熱心な若者だったのです。
　彼は会社の倉庫を利用して研究室を作り、５００ドルを投資して接着剤用の
水槽を購入し、さまざまな実験と試験を行いはじめたのです。そのひとつの成
果として、研磨布「スリー・エム・アイト」を発表したのです。この新製品は
大ヒットし、７５年経った現在でも同社の製品リストに名を連ねています。こ
の製品の成功で同社は設立以来はじめて配当を払えるようになったのです。
　そして３Ｍの名前を世界的に有名にするヒット商品――スコッチ・セロファ
ン・テープが誕生したのですが、これはマックナイトの作った３Ｍの企業文化
が花開いた結果なのです。
　ジョンソン＆ジョンソンにしても３Ｍにしても変化に対する企業の対応は、
実にフレキシブルであるといえます。それは経営者が役員や従業員のアイデア
に真摯に耳を傾け、少しでも可能性のあるものについては、研究と実験を積み
重ねて辛抱強くその実現を目指すというところから来ています。
　その結果、進出できる分野にはチャンスがあれば積極的に乗り出し、タマゴ
を一つのカゴに入れて企業を危なくさせることを避けようとしています。そう
いうものをビジョナリー・カンパニーは持っているのです。
　「独創的なアイデアを持っている人の意見に耳を傾けよう。そのアイデアが
はじめは、どんなにばかげていると思えたとしても。激励しよう。ケチをつけ
るな。アイデアを出すよう、皆に激励しよう」――これは、３Ｍのマックナイ
トの考え方を具現した同社のスローガンです。ビジョナリー・カンパニーは何
らかのかたちで、いずれもこれに近い理念を持っているのです。　　　　以上
      
   </content>
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<entry>
   <title>ビジョナリー・カンパニーを解明する／その３／０１０８号</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.intecjapan.com/forum/2008/05/post_104.html" />
   <id>tag:www.intecjapan.com,2008:/forum//3.1038</id>
   
   <published>2008-05-26T01:49:44Z</published>
   <updated>2008-05-26T04:56:55Z</updated>
   
   <summary>●会社設立の時点で経営理念を確立する――ソニーのケース 　１９４５年――ソニーは...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.intecjapan.com/forum/">
      ●会社設立の時点で経営理念を確立する――ソニーのケース

　１９４５年――ソニーは、東京・日本橋の空襲で焼け落ちた古いデパートの
ビルの中で、使われなくなった電話交換室を借り、７人の社員と１９万円の貯
金で会社をスタートさせたのです。
　社長の井深大を中心に、まず何をなすべきなのか、現金収入を得ることか、
どんな事業を行うべきか、何回も議論が繰り返されたのです。このように生き
残るために必死になっていたとき、議論のかたわら社長の井深は何日もかけて
ソニーの設立趣意書を作り、のちに「ソニー・スピリット」といわれるように
なる経営理念をまとめ上げたのです。
　実は高い理想、すなわち経営理念を事業が成功したあとではなく、生き残る
ために必死になっていた時期に作成したビジョナリー・カンパニーは多いので
す。ソニーの経営理念について盛田昭夫は次のように語っています。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　ソニーは開拓者、その窓は、いつも未知の世界に向かって開かれている。人
　のやらない仕事、困難であるがために人が避けて通る仕事に、ソニーは果敢
　に取り組み、それを企業化していく。ここでは、新しい製品の開発とその生
　産・販売のすべてにわたって、創造的な活動が要求され、期待され、約束さ
　れている・・・。開拓者ソニーは、限りなく人を生かし、人を信じ、その能
　力を絶えず開拓して前進してゆくことを、ただひとつの生命としているので
　ある。　ジェームズ・Ｃ・コリンズ／ジェリー・Ｉ・ポラス著／山岡洋一訳
　　　　　　　　　『ビジョナリー・カンパニー』／日経ＢＰ出版センター刊
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　井深大が会社の設立直後に掲げた理念は、ソニーが発展していく過程で指針
として重要な役割を果たしているのです。実際にその理念は、日本企業として
は珍しい個人主義の文化や分権的な制度、市場調査を拒否する製品開発姿勢な
ど、同社の特徴が明確にあらわれているといえます。
　ソニーが設立当初にどのような製品開発を行うかを議論しているまさにその
ときに既にこの理念があったので、顧客が何を望んでいるかを調査するのでは
なく、新製品を作ることによって消費者をリードするという方針で議論できた
のです。このようにして誕生したのが、日本初の磁気テープレコーダー（１９
５０年）であり、初のフルトランジスタ・ラジオ（１９５５年）なのです。

●経営理念に基づく新薬の無料配布の決断／メルクのケース

　「メルク」という企業をご存知でしょうか。
　１８９１年に設立された世界的な医薬品大手メーカーであり、ビジョナリー
・カンパニーのひとつとして選定されています。
　メルクも会社設立時に明確な経営理念があったのです。ジョージ・メルク二
世は次のように同社の理念を表現しています。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　（われわれは）は、医学を進歩させ、人類に奉仕する理想を純粋に追求する
　業界で働いている。　　　　　　　　　　　　　――ジョージ・メルク二世
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　それから５５年後の１９９１年のことですが、３代あとの経営者であるＰ・
ロイ・バジェロスも次のように創業者と同じ理念を語っています。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　当社の成功とは、病気に打ち勝ち、人類を助けることを意味する。この点を
　忘れてはならない。　　　　　　　　　　　　　――Ｐ・ロイ・バジェロス
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　この経営理念がベースになって実行に移されたのが「糸状虫症」治療薬「メ
クチザン」の無料提供です。「糸状虫症」というのは、寄生虫が体内に入り込
み、最後には目を侵して失明する恐ろしい病気であり、第三世界――アジア、
アフリカ、ラテンアメリカなどの発展途上国において、百万人を超える人がか
かっていた病気です。
　「メクチザン」は糸状虫症を治療する新薬なのですが、患者はその薬を買え
ない貧しい人たちなのです。そこでメルクはメクチザンを必要とするすべての
人に無料で配布したのです。本当は新薬が完成すればどこかの政府機関が買い
上げてくれるだろうと期待していたのですが、その期待が外れたので、無料配
布を決めたのです。
　これについて、バジェロスＣＥＯは、もし、われわれがこれをやらなかった
ら、メルクで働く科学者の士気が低下していただろうと語っています。そして
日本に関連して次のように述べているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　１５年前、日本をはじめて訪れたとき、日本のビジネス関係者に、第二次世
　界大戦後、日本にストレプトマイシンを持ち込んだのはメルクで、その結果
　蔓延していた結核がなくなったと言われた。これは事実だ。当社はこれで利
　益をあげていない。しかし、今日、メルクが日本でアメリカ系製薬会社の最
　大手であるのは偶然ではない。長い目で見ると（こうした行為の）結果は、
　必ずしもはっきり表れないが、何らかの形で必ず報いられると思っている。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　――メルク／バジェロスＣＥＯ
――――――――――――――――――――――――――――――　　　以上

      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>ビジョナリー・カンパニーを解明する／その２／０１０７号</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.intecjapan.com/forum/2008/05/post_103.html" />
   <id>tag:www.intecjapan.com,2008:/forum//3.1022</id>
   
   <published>2008-05-18T17:47:41Z</published>
   <updated>2008-05-18T17:50:34Z</updated>
   
   <summary>●企業そのものが究極の作品である 　ビジョナリー・カンパニーというと、最初からす...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.intecjapan.com/forum/">
      ●企業そのものが究極の作品である

　ビジョナリー・カンパニーというと、最初からすばらしいアイデアに基づく
明確なビジョンを持って設立された企業というイメージがありますが、まった
くそうではないのです。
　ヒューレッド・パッカード(以下、ＨＰ)の創業者の一人であるビル・ヒュー
レッドは、創業時(１９３８年)を次のように振り返っています。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　たまに、ビジネス・スクールで講演する機会があるが、会社をはじめたとき
　に、なんの計画もなく、臨機応変になんでもやったというと、経営学の教授
　はあぜんとする。わたしたちは、カネになりそうなことは、なんでもやって
　みた。(一部略)たった約５００ドルの資本金しかなかったから、だれかが自
　分たちにできそうだと考えたものは、なんでもやってみた。
　　　　　ジェームズ・Ｃ・コリンズ／ジェリー・Ｉ・ポラス著／山岡洋一訳
　　　　　　　　　『ビジョナリー・カンパニー』／日経ＢＰ出版センター刊
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　ヒューレッド・パッカードだけではないのです。ソニーもそうなのです。ソ
ニーの創業者井深大が１９４５年８月に会社を設立したとき、具体的な製品の
アイデアはなく、井深と７人の社員は、会社がはじまったあとで、どんな製品
を作るかについて数週間をかけて意見を交換しているのです。
　これに対してテキサス・インスツルメンツ(以下、ＴＩ)の創業者はＨＰと異
なり、最初からしっかりとした技術を持ち、的を絞ったビジネス機会をとらえ
ようとして会社を設立しています。ケンウッドの創業者は井深のソニーと違い
音響技術を専門とし、その分野のパイオニアでありたいとして、１９４６年に
会社を設立しています。
　ＴＩにしてもケンウッドにしても、現在も存続しており、それだけでも成功
企業であることは間違いないのですが、ＨＰやソニーに比べるとそのスケール
という点においては大きな差があり、それぞれビジョナリー・カンパニーと比
較対象企業に分かれているのです。
　それでは一体どこが違うのでしょうか。
　簡単にいうと、ＴＩとケンウッドは企業というものを技術や製品やサービス
などの手段と考えているのに対し、ＨＰやソニーは技術や製品やサービスを企
業の手段と考えている点にあります。つまり、ＨＰやソニーにとっては企業そ
のものが究極の作品なのです。

●時を告げる予言者になるな、時計を作れ

　前回述べたコリンズとポラスによるビジョナリー・カンパニーの定義の中に
次のフレーズがあります。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　　　重要な点はビジョナリー・カンパニーが組織であることである
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
　いつどんなときでも正確な日時を言える珍しい人がいたとします。この人物
は時を告げる驚くべき才能の持ち主であり、その才能によって多くの人の尊敬
を集めるはずです。しかし、その人が時を告げる代わりに時計を作ったとすれ
ば、その人がこの世を去った後でも後世の人に永遠に尊敬される存在になるは
ずである――「時を告げる予言者になるな、時計を作れ」――コリンズとポラ
スはこういっているのです。
　創業時にすばらしいアイデアを持っていたり、明確なビジョンを持つ人はカ
リスマ的指導者であり、これは「時を告げる予言者」に該当します。これに対
して、一人の指導者の時代をはるかに超えて、いくつもの商品のライフサイク
ルを超えて繁栄し続ける会社を築くのは「時計を作ること」なのです。
　コリンズとポラスによると、ビジョナリー・カンパニーの創業者は、概して
「時を告げる予言者」のタイプではなく、「時計を作る」タイプに属するとい
うのです。彼らにとって最も大切なことは、「時計を作る」ために会社を築く
ことなのです。
　ビジョナリー・カンパニーのＧＥとその比較対象企業であるウエスチングハ
ウスの例を取り上げます。ウエスチングハウスの創業者、ジョージ・ウエスチ
ングハウスは深い洞察力を持つすばらしいエンジニアであり、発明家であって
ウエスチングハウス以外にも５９の会社を設立しているのです。彼の開発した
交流方式は米国市場に幅広く普及したのです。
　これと対照的にＧＥの創業者であるチャールズ・コフィンは、何も発明して
いないのですが、きわめて重要な革新を起こしています。アメリカ初の企業研
究所であるゼネラル・エレクトリック研究所の設立です。これによって、長い
年月にわたって次々と新しい製品が生み出されたのです。これぞ組織です。
　すなわち、ジョージ・ウエスチングハウスは時を告げ、チャールズ・コフィ
ンは時計を作ったのです。ウエスチングハウスの最高傑作は交流方式であり、
コフィンのそれはＧＥだったのです。
　ビジネス・スクールでは、経営戦略や起業に関する講義で、何よりもまず、
すばらしいアイデアと、綿密な製品・市場戦略を出発点とし、次に、「機会の
窓」が閉まる前に飛び込むことが大切であると教えるのですが、ビジョナリー
・カンパニーを築いた人はそうではなかったのです。　　　　　　　　　以上
      
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